2007年05月24日
木樽正明(ロ)vs谷沢健一(中)
プロ野球は交流戦が始まりましたが、先日のロッテvs中日戦で 両チームのOBの木樽正明さんと谷沢健一さんの始球式対決がありました。 1974年の日本シリーズでの対決を再現したわけですね。なかなかの好企画ですね。 で、この模様を紹介したスポーツ新聞の記事で 2人が1947年生の同級生だと知って驚きました。 木樽さんが銚子商、谷沢さんが習志野高の出身ですから、 2人は高校時代から対戦していたそうなのです。 木樽さんの全盛期は防御率1位となった69年(15勝)、 21勝を挙げてロッテの優勝に貢献してMVPに選ばれた70年、 24勝を挙げて最多勝投手となった71年ごろで、 一方の谷沢さんは.355の高打率で首位打者を獲得した76年から アキレス腱を痛めて苦しんだ後、 復活して再び首位打者に返り咲いた80年(打率.369)にかけてと 活躍期間が長かったため、世代が一世代違うような印象があります。 高卒で入団した木樽さんと大卒で入団した谷沢さんの活躍した期間がズレていたわけですね。 どころで、読者のみなさんは木樽さんってご存知ですかね? 木樽(きたる)という名前も相当、珍名さんですよね。 (プロ野球選手には珍名さんが多い、という話を最近BBMのHPのコラムでも書いたばかりです http://www.sportsclick.jp/sportscard/column01/index33.html) 木樽さんは上記のように短期間に爆発的に働きましたが、 腰痛もあって活躍期間が短く(76年、31歳で引退)、通算勝利数も112で 引退後は裏方(ロッテのスカウト部長を務め、現在は巨人の育成担当コーチ)に 回られたため、知名度がそんなに高くないのが惜しまれます。 なにしろ、全盛時にはあの、アストロ球団とも戦った大投手なんですから! 木樽さんは65年の夏の甲子園で準優勝を果たし、 同年秋初めて開催されたドラフト会議でも最も注目を集める選手の1人となりました。 しかし、初年度は指名方法が複雑だったこともあり、 12球団が腹の探り合いをした結果、思わぬ選手が1位指名を受けたり、 ドラフト1位が有力と目されていた選手が1位から漏れたりしたそうで、 木樽が東京の2位、兵庫・育英高の鈴木啓示が近鉄の2位となったそうなのです。 (と、見てきたようなことを書いていますが、わたしは同年7月生) このような結果、ドラフト1位でなかったことも、 木樽さんの知名度を減退させる一因になっているのかもしれません。 で、このときの甲子園の決勝で戦った三池工の監督が 現在の巨人の原辰徳監督の実父の原貢氏で、 主戦投手・上田卓三は翌秋のドラフトで南海に1位指名されて入団、 のちに阪神に移籍した際の背番号が投手ながら「3」 (卓三の「三」に引っ掛けて「3」なのか?と言われていました)だったのが印象に残っていますが、 同氏のあとに中1年を挟んで背番号「3」を引き継いだのが江川卓だったんですね。 上田さんはのちに南海に復帰、ダイエーの編成部長としても活躍されました。 などと、話はまたまた脱線してしまいましたが、今年は巨人や西武でも OBの始球式が予定されているそうで、それもまた楽しみですね。
BBM千葉ロッテマリーンズ2004より
posted by しゅりんぷ池田 |14:05 |
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