2007年04月24日
西鉄・太平洋・クラウン・西武
今回掲載しているカードは5月末に発売される予定の ジャイアンツカードの大道典嘉選手のカード。 過去に在籍してきた南海・ダイエー・ソフトバンクのユニフォームをまとった 大道の4枚の写真を1枚にまとめた企画カードで、 他にも今季他球団から移籍してきた門倉、吉武、小笠原、小田嶋、谷の同趣向のカードもあります。 大道は南海最後の年、88年の入団なのでギリギリ間に合ったのですね。 同期入団で現楽天の吉田豊彦と並んで「最後の南海戦士」ということになります。 しかし、大道のキャリアは南海・ダイエー・ソフトバンク(88~06)と 19年間の在籍で2度も球団の身売りがあったのですからすごいですね。 こういうキャリアの選手は他にいないだろうと思っていたら、その上を行く人がいました。 元西武監督の東尾修さんが西鉄・太平洋・クラウン・西武(69~88)という履歴なのです。 20年の在籍で3度の名称変更! (太平洋~クラウンでは経営権の譲渡はなく、 現在でいうネーミングライツなのですが、その件はまた別の機会に…) この時期のパリーグには阪急・山田久志、近鉄・鈴木啓示、ロッテ・村田兆治と 各チームに絶対的なエースがいて東尾もその1人だったのですが、当時の東尾の印象というと、 とにかく「勝ち星も多いが負け数もすごく多い投手」というものでした。 72年の成績はなんと18勝25敗で勝率.419、 その前年の71年は負け数が勝ち数の倍もある8勝16敗で勝率.333! この当時の西鉄は黒い霧事件の影響で弱体化、 70年からは3年連続の最下位で勝率が.355、.311、.370だったのですから 東尾のこの負け数の多さも仕方がないのかもしれません。 弱いので観客動員の面でも大苦戦。 73年に発売を開始したカルビーのプロ野球スナックで太平洋の選手のカードが出ると 背景の観客席がガラガラどころか、まったくの無人なので驚いたものでした。 東尾は通算で251勝を挙げた、いわゆる名球界投手で、 最終的に251勝247敗と勝ち越せたのですが、 この時期の大負けを考えると、それが奇跡的にすら思えます。 (名球界で負け越しているのは梶本隆夫の254勝255敗のみ) クラウン最後の年の78年終了時点の通算成績が128勝144敗で勝率.471。 その後、西武が親会社となってライオンズは強豪チームへと変貌を遂げるのですが 東尾は85年に17勝3敗という驚異的な勝率を残し、 通算成績を218勝218敗として通算勝率を五分に持ち込みます。 それが引退する3年前のシーズンですから、東尾さんの感慨もひとしおだったのでは…。 ライオンズは球団が弱体化する過程で給料の高い有力選手をどんどん放出したため、 西鉄・太平洋・クラウン・西武という履歴を歩んだ選手はこの東尾と大田卓司の2人しかいません。 (他に現在巨人でヘッドコーチを務める伊原春樹が 西鉄・太平洋-巨人-クラウン・西武という履歴) 東尾さんは、なんとも波乱万丈の球暦でしたが、時代が大きく動いている現在、 球団の親会社がドンドン変わることがまたありそうな予感がしています。
BASEBALL ENCYCLOPEDIAで東尾さんの 年度ごとの成績を改めて見直してみると本当にすごい。 その年リーグ最高の数字は太字で記されているのだが、 東尾さんのそれは太字だらけなのだ。 71年の51試合、75年の54試合はともに最多登板。 75年の25完投も最多。先発が31回で 交代完了(一番最後に投げた投手に記録される)が23というのだから 先発とリリーフの両方をやっていたわけだ。 投球回も当然多く、72年が309回2/3、75年が317回2/3、 78年が303回1/3と300回以上投げた年が3回もある(いずれもリーグ最多)。 昨今では200回以上投げる投手がマレなのに…。 最多被安打が7回、最多失点も6回とまあ、 大変でしたねえ~と言ってあげたいような数字なのでした。
posted by しゅりんぷ池田 |13:03 |
野球 |
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