2007年04月04日
過剰に忘れられる選手たち:石井茂雄(急・太・ク・巨)
先日、戸田善紀さんについて書いたコラムの中で http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/38 石井茂雄さんの名前を挙げさせていただいたのですが、 通算189勝も挙げながら、この名前をご記憶の方は少ないのではないでしょうか? 189勝はNPBでも歴代28位に当たる勝利数で、 すぐ上の26位は松岡弘と山本昌の191勝。 松岡さんはV9期の巨人に立ち向かったヤクルトのエース、 山本昌は現在も現役を続けていることもあって、 石井さんとは勝ち星わずか2勝の差ながら、その知名度は雲泥の差だと思います。 同氏は米田哲也(通算350勝=歴代2位)、梶本隆夫(同254勝=歴代9位)とともに 60年代の阪急投手陣の三本柱の一角をなし、64年には28勝(※)、 翌65年も21勝と連続20勝を果たします。 (※)最多勝は小山正明(東京)の30勝 しかし、わたしはその65年の生まれですから、 石井さんの阪急での全盛期はもちろん記憶になく、 自分の記憶にある石井さんは「太平洋クラブライオンズのおじさん投手」なのでした。 プロ野球を見始めた当初(73年ごろです)、ケイブン社の豆本の選手名鑑を 本当、本が分解するぐらい読み込んだものですが、 当時は、そんな野球を見始めたばかりの子供でも 「太平洋は潰れそうなプロ野球チーム」という認識があり、 ライオンズの選手もみなくたびれているように見えたのです。 中でも、石井茂雄、木原義隆、福富邦夫、竹之内雅史ら、 「おっさん顔」(失礼!)の選手たちの顔が今でも強烈に印象に残っているのです。 石井さんは移籍した73年には12勝13敗を挙げ、 太平洋・クラウンのローテーション投手として6年間で44勝61敗と健闘しますが 西武への身売りが決まった78年のシーズンオフに自由契約。 そして、翌79年には40歳にして巨人に加わり、 選手名鑑でしか知らなかった石井投手を始めてTVの画面で見ることになったのです。 江川卓が入団して、西本聖が台頭したこの年は堀内恒夫、新浦寿夫もまだ在籍していて 投手陣は世代交代の端境期だったのですが、 おじさん投手・石井は開幕当初は谷間の先発で起用され、 5月を終わって2勝2敗を挙げ、「おじさん投手、なかなかやるじゃん」と思ったものです。 しかし、出場停止期間が明けて江川が登板するようになると、 石井の登板機会は激減、結局、その年限りで引退となってしまいました。 そのシーズンもベテランらしい老獪なピッチングを見せていただけに、 その報を聞いた際には、「まだまだやれそうなのに、もったいないなあ~」と思ったものです。 名球会ができて以降、「200勝・2000安打」というラインが幅をきかせるようになり、 それに達していない選手にスポットが当たりにくくなっているような気がするのです。 中でも、「200勝・2000安打」に近付きながらも、ギリギリ到達しなかった選手は、 その業績に比して「過剰に」忘れられているように思えてならないのです。 自分は野球カードの制作を生業としていますが、こういう選手たちのことが 忘れ去られないように努めて行きたいと常日頃から考えています。 引退後の石井さんは福岡でスナックを開業されているそうですが、お元気なんでしょうかね?
posted by しゅりんぷ池田 |15:20 |
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