2007年03月13日

早稲田の応武監督

斎藤佑樹投手の早大進学、そして今回の西武の栄養費問題で
早稲田の応武篤良監督がしばしばテレビの画面に登場されていますが、
個人的には、「応武さん、なつかしいなあ~」という思いがあります。

応武監督は広島・崇徳高3年時の76年の春のセンバツで優勝したのですが、
実は、自分はこの時初めて甲子園を訪れて観戦したので、
この大会に出場した選手のことを、よく覚えているのです。
大阪の親戚宅に1週間ほど滞在して、3日ぐらい観に行ったと思います。

で、この年の秋のドラフトで、応武監督は近鉄から3位指名を受けたものの
これを拒否して早大に進むのですが、
この年の崇徳高から同監督を含む4名もの大量指名があって話題となりました。
エースの黒田真二が日本ハムの1位、内野手の山崎隆造が広島の1位、
外野手の小川達明が広島の5位と、そうそうたる顔ぶれだったのです。

黒田は入団を拒否して社会人に進み、
83年にドラフト外でヤクルトに入団しますが、プロでは未勝利のまま引退。
その後、打撃投手に転向されたので、練習で登板する黒田さんを見る度に
「ああ、崇徳の黒田だ…」と76年大会のことを思い出したものです。

山崎はカープで長く活躍していたので、ご記憶の方も多いでしょう。
現在も同球団の二軍監督を務められています。

また、この年のドラフトでは、崇徳高以外にも
福岡の柳川商(現・柳川高)から3名が指名されたのです。

太平洋の1位が外野手の立花義家、近鉄の1位が投手の久保康生、
日本ハムの3位が末次秀樹でした。

立花は現在も西武のコーチとして在籍していますが、
若くして主軸に抜擢され、チームの苦境期を支えました。
(入団1、2年目はクラウンライター・ライオンズ。3年目から西武に)

久保は近鉄・阪神で71勝を挙げ、現在は阪神のコーチ。

この年の夏の大会で8打席連続安打の快記録を作った
末次はこの指名を拒否して中央大に進み、
のちに柳川高の監督となって、しばしば母校を甲子園に導きました。
02年には長男・峰明が四番を打って夏の大会に出場し話題となりましたが、
「ああ、あの末次さんの息子が、もう高校生になったのか」と、感慨深い思いがしました。

この76年に高校3年生だった1958(昭和33)年組は、かなりの豊作年だったのですね。
そして、大学を経由してプロ入りしたので、同期ということを忘れがちですが、
この世代の最大のスーパースターは、現巨人監督の原辰徳だったのです。
いやあ、原監督、若いですねえ~。「永遠の若大将」という感じです。
選手名鑑で広島の山崎二軍監督や西武の立花コーチの顔も確認できるので、
見比べてみてください。

しかし、応武監督が近鉄に入団していたら、どうなっていたんですかね?
この当時の近鉄は梨田昌崇、有田修三という捕手の2枚看板がいた
(梨田は88年、有田は85年まで在籍)ので、
入団しても長い下積み生活を強いられたことでしょう。

現在は渋面ばかり放映されている応武監督ですが、
春季リーグ戦での早大の健闘を祈ります。

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posted by しゅりんぷ池田 |16:47 | 野球 | トラックバック(1)
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