2007年02月07日
ノリの去就問題で思い出した江藤慎一さんのこと
オリックスを自由契約となった中村紀洋の行き先が決まりませんね。 獲得の可能性がある球団と目される日本ハムの高田繁GMは 6月末の補強期限ギリギリまで考えると述べていますが、 今から37年前にあった中日の闘将・江藤慎一の ロッテへのトレードは6月4日に成立したのですね。 このときの騒動は今回のノリ問題に勝るとも劣らない大騒動だったのです。 同選手は日本プロ野球史上唯一の セ・パ両リーグで首位打者を獲得した大打者で、 入団した1959(昭和34)年から6年連続で全試合に出場し、 64、65(昭和39、40)年には全盛期のONを向こうに回して 2年連続の首位打者という抜群の成績を残していたのですが、 そうなるとチーム内で隠然たる影響力を持ち、 次第にわがままが目立つようになったのです。 69(昭和44)年には自身がオーナーである自動車整備工場の経営が傾き、 野球どころではなくなり、成績も下降します (今ならそれだけでも、大スキャンダルですよね)。 しかし、同年から中日の監督に就任した名将・水原茂監督は そういった江藤のわがままをよしとせず、 同年オフに江藤を構想外と判断し、トレード通告を行なったのです。 ところが江藤はこれを拒否。 ある朝8時に水原監督宅を訪れ、土下座をして謝ったのですが容れられず、 同年末に任意引退に追い込まれます。 そしてスッタモンダの末に江藤のトレード話がまとまったのが翌70年6月のこと。 受け入れ先は、江藤がノンプロ・日鉄二瀬時代の監督・濃人渉が率いるロッテでした。 そして交換相手は高卒4年目の若手投手・川畑和人。 鹿児島実業からドラフト2位で入団した期待の選手でしたが、 4年間で4勝しかしていない投手との交換はなんとも不釣合いでした。 ちなみに、この川畑投手は、その後、広島・阪急に移籍し、 通算9勝10敗の成績で終わりますが、 引退後、西宮市議会議員となり活躍されています。 そして、息子さんは全日本プロレスの雷陣明選手なのですね。 一方、江藤はロッテに移籍後も71年に首位打者を獲得し 面目躍如たる活躍を見せますが、流転は止まらず、 大洋・太平洋(兼任監督)・ロッテと渡り歩いて76年限りで引退。 引退後は、野球塾(天城ベースボールクラブ-ヤオハンジャパンー アムウエイ・レッドソックス)を作り、プロにも人材を送り込みましたが、 江藤さん自身はプロとは縁が切れたかっこうで、 現在、忘れられた名選手となっているのが残念です。 中村紀洋選手の動向も心配ですねえ~。
(画像追加) 05年に発売した「中日ドラゴンズ70周年記念カード」からの1枚。 精悍な顔つきで、かっこいいですね。
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posted by しゅりんぷ池田 |11:23 |
野球 |
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