2008年08月12日
1930打席連続本塁打なしの赤星憲広(神)を上回る日本記録保持者
今週の「週刊ベースボール」を読んでいたら、 http://www.sportsclick.jp/magazine/baseball/080825/index.html 阪神の赤星憲広選手が8月6日に1930打席連続本塁打なしの セ・リーグ記録を更新した、との報が載っていました。 従前の記録を持っていたのは現阪神コーチの和田豊。 同コーチは91年から93年までの3シーズン、ホームランが「0」だったのです。 自分はその当時、カルビーで野球カードを作っていたのですが、 この和田選手の「連続本塁打なし」記録を しばしばカード裏面の解説原稿に書いていたのでよく記憶に残っています。 90年には8本塁打もしていたのに、その後3年間は、なぜか本塁打「0」。 そんなに頻繁に試合に出るわけではない選手が本塁打「0」なら当たり前ですが、 当時の和田選手は毎年コンスタントに100安打以上放っており、 首位打者争いにもしばしば名を連ねる巧打者だったのに 3シーズンにもわたって本塁打「0」だったんですね。 2リーグ分立以降、規定打席に到達しながら本塁打が「0」だった打者はのべ57人なので、 かなりのレアケースだと思うのですが、和田選手は1人でそれを3回もマークしているのです。 そして赤星選手も04、06、07年と3度なのですが、 これを史上最多の5度マークしているのが、和田選手と同時期に阪神に在籍し、 二遊間コンビを組んでいた久慈照嘉選手(92、94、96、97、98の5回。98年は中日所属)。 「規定打席に到達しながら本塁打0」を3回以上マークしているのは この3人以外に現オリックスの村松有人(96、97、07)だけなので、 阪神の選手への集中ぶりが目立ちます。不思議な伝統でしょうか。 ところで、この記録は「セ・リーグ記録」なわけですが、 日本記録保持者は元近鉄の日下隆選手で2088打席連続で本塁打なしだったそうです。 う~ん、なんだか見覚えがあるような…しかし、ほとんど知らない選手です。 調べてみたところ、同選手は鳴尾中から法大を経て1952(昭和27)年に近鉄に入団、 636試合543安打1本塁打137打点96盗塁、打率.268という成績を残し 58年限りで引退された選手だそうなのです。 法大3年秋のシーズンでは、打率.458で首位打者にも輝いています。 50年に設立された近鉄球団は初代監督の藤田省三さんが法大の元監督だったため 球団創設当初は関根潤三さんや根本陸夫さんなど法大出身の選手がすごく多く、 日下選手が入団した52年で見ると31選手中、実に8名が同大出身でした。 そして、日下選手は2年目の53年からレギュラーとなり、 53年 126安打25盗塁 打率.285(リーグ10位) 54年 142安打19盗塁 打率.296(リーグ6位) 55年 114安打26盗塁 打率.293(リーグ13位) という好成績を残し、54年にはオールスターにも出場しますが、 これが近鉄の野手では初の球宴出場だったそうです。 しかし、167cm 64kgという小兵だったため、長打力には欠け、 2年目の53年に1本のホームランを打っただけで、以降は1本のホームランも打つことなく 現役を退かれたそうなのです。とまあ、日下選手は巧打者ではあったものの、 ホームランがほぼない打者だったのですが、近鉄では時にクリーンアップも務めていたそうで 設立当初の同球団の苦闘ぶりがうかがえます。 ところで、日下選手は実兄の日下章も阪神でプレーしており、 こちらの章氏は引退後、尼崎市の市議会議員を務められたそうで、 さらには日下兄弟の父・梅吉氏は兵庫県議会議員でもあったそうなのです。 一方、隆氏は引退後、高校野球の指導者に転進。母校の鳴尾高や三田学園、育英高で 監督を務められたのですが、三田学園時代の教え子が後年プロでも活躍した 山本功児、淡口憲治、羽田耕一らだったそうです。そして、さらに、隆氏の長男が 93年に育英高を夏の甲子園優勝に導いた日下篤監督なのだとか! 記録を追究ていたら最後は思わぬところまで来てしまいましたね。 赤星選手はその後も本塁打なしのままですが、果たして、日本記録更新はなりますか?
「2008BBMベースボールカード 2ndバージョン」より赤星憲広 http://www.sportsclick.jp/sportscard/card/2008_baseball-2nd/index.html
posted by しゅりんぷ池田 |12:08 |
野球 |
トラックバック(0)




