2008年07月23日

背番号「9」を20年間独占し続けた男

8月中旬の発売を目指して、「ホークス70周年記念カード」を制作中です。
これまでも、巨人・阪神・中日・西武と各球団の「周年もの」カードを作ってきましたが
これまで知らなかったいろいろな発見があって、なかなか勉強になります。

今回、掲載しているのは、戦後の鶴岡・南海の黄金時代に
「5番・レフト」を長く務めた堀井数男さん。
わたしが生まれる前に既に現役を退かれており、
わたしがプロ野球を見始めたころは、南海のスカウトをされていたと思うのですが、
当時からそのお名前は存じておりました。

というのも、同氏の長男の堀井和人さんも70年から80年にかけて南海に所属しており
当時から親子選手として有名だったからです。
堀井和人さんは現在もオリックスのスカウト部長を務められているので
ちょくちょくスポーツ新聞でもお名前を拝見します。
しかし、長男の名前を鶴岡監督と同じ読みの「かずと」と付けたあたり、
その親密ぶりがうかがえますね(そして、和人氏は鶴岡監督と同じ法大出身)。

そんなわけで、お名前だけは存じていたのですが、
どんな選手だったかはよく知らなかったのです。
そこで、今回、調べてみたところ、これがなかなかの名選手だったのですよ。
46年から55年にかけて10年連続で100安打以上しており、
ベストナインに選ばれた53年には打率.314でベストテンの3位。
51年から55年にかけては毎年全試合に出場という、南海の中心選手だったのですね。
主要タイトルの獲得がなく、現在に伝わっていない選手ではありますが、
通算1513安打は野村、門田、広瀬に次いで球団歴代4位の記録ですから
70周年記念カードに当然収録されるべき選手なのです。

カード表面には、その選手の在籍期間を表示(堀井さんの場合、1943-44, 46-59)し、
在籍中に背番号変更があった場合は裏面にその変遷を表示しています。
堀井さんの場合は ※背番号は43年=「18」、46~59年=「9」 と書いているのですが、
お気づきでしょうか? 44年の背番号がありません。

実は44年という年はリーグ全体で背番号制度がなかったのです。
そもそも、戦局が相当厳しい状況になっていたであろう、44(昭和19)年にプロ野球の
リーグ戦が存続していた(ただし35試合のみで途中打ち切り)こと自体が驚きです。
さらに、堀井選手はこの年も全35試合に出場しているのです。
この年の南海軍(途中「近畿日本」と改称)の登録メンバーは、なんと15名のみ!

そして、堀井さんは、戦後は一環して背番号「9」で通します。
背番号表を確認していて気付いたのですが、同氏は引退したあとも65年まで
コーチでありながら背番号「9」を着けていたのです!
翌66年になって背番号「62」に変更するまで、
実に20年間に渡って背番号「9」を独占し続けたわけですよ!

現在では、引退してコーチになった場合は現役時代の背番号を返上して
重い番号に変更することが一般的ですが、昔は必ずしもそうではなく、
引退後もしばらく同じ番号で通すことがままあったようです。

例えば、53年の首位打者&MVPの岡本伊三美さんは63年限りで引退後も
65年まで24番でコーチを務め、通算315盗塁の森下整鎮氏も66年で引退も
67、68年は現役時代と同じ背番号「16」のコーチだったのです。
この頃は、毎年、ユニフォームを作り変えたりしなかった、
という経済的な事情もあるような気がするのですが、いかがでしょうか?

しかし、わりと最近でも82年限りで引退した藤原満さんが翌83年、
現役時代と同じ背番号「7」でコーチを務めたという事例もあります。

有名なところでは、現在ホークスで監督を務める王貞治監督が現役引退後も
背番号「1」で巨人の助監督を務めていましたが、この場合は永久欠番となることが
規定路線だったので、特別なケースでしょうね。

いやあ、今回も目からウロコの発見がたくさんありました。
そんなエピソードをまた当ブログでお伝えして行こうと考えておりますので
また、よろしくお願いいたします。
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posted by しゅりんぷ池田 |15:26 | 野球 | トラックバック(0)
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