2007年09月03日

「ハンカチ王子」の手本となったトヨタ・佐竹投手の母校

本日、準決勝を迎える都市対抗野球。毎日新聞が主催社ということで、
同大会の模様を詳しく伝えてくれているのですが、日頃あまりニュースに載らない
アマチュア選手の動向が分かったりして面白いですね。

例えば、95年の春のセンバツで優勝投手となった久保尚志選手
(観音寺中央高-中央大)がベスト4に進出した東京の鷺宮製作所で活躍している
報を目にして大変、懐かしく思いました。
http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/ama/shakaijin/local/news/20070902ddlk13050097000c.html

同年は阪神大震災があった直後の大会として記憶されていますが、
わたしの地元の香川県の学校が久々に優勝を遂げたということもあって
同選手の動向も気にかけておりました。大学に進んで野手に転向し、
社会人入りした頃にはドラフト候補にも名前が挙っていたのですが、
最近はその名を目にすることもなくなっていたので、
どうしているのかな? と思っておりました。
それが、今回、久々に名前を目にして、まだ現役を続けていることを知った次第です。

そして、本日の紙面ではトヨタ自動車の佐竹功年投手が紹介されておりました。
http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/ama/shakaijin/news/20070903k0000m050076000c.html

同投手は169cmという小兵ながら、早稲田大時代からドラフト候補にもあがっていた
有力選手で今秋のドラフトでの指名が確実視されていますが、
わたしも早大時代から注目しておりました。
というのも、同投手の出身校が「土庄高」だったからです。

この地名、「とのしょう」と読むのですが、瀬戸内海の小豆島の地名なのです。
自分は小豆島がある香川県出身なので、知っていたわけですが、
中央球界ではまったく無名の高校から、
ドラフト候補投手が浮上してきたので驚いたわけですが、
プロ野球で過去に1度だけ、この校名がクローズアップされたことがありました。

1965年秋の第1回ドラフトで阪神の1位指名を受けた石床幹雄投手の出身校が
その土庄高だったのです。
この回のドラフトで、阪神は地元・兵庫育英高の鈴木啓示投手を
指名すると目されていたのですが、
佐川直行スカウトが一世一代の大博打を打って、
中央球界ではまったく無名の石床を指名し、鈴木は近鉄へ…。

甲子園の出場経験こそないものの、高校2年次の練習試合で
のちの200勝投手、平松政次(岡山東商)と投げ合って完封した石床投手を
隠し玉として指名したのですが、この大博打は大ハズレとなってしまいました。

石床投手は内臓疾患のため、わずか5年で引退、通算1勝1敗という成績に終わり
近鉄の大エースとして君臨し、通算317勝を挙げた鈴木啓示とのコントラストが
あまりに大きかったため、その後も、
ドラフト史に残る大失敗事例として記憶されています。

その後、石床さんは郷里の小豆島で活魚料理店を経営されていましたが、
04年11月に心不全で他界。
母校・土庄高はその後も甲子園に出場することなく、プロ入りする選手もいなかったのですが、
40余年を経て、ついにプロ入り第2号選手が登場しようとしているのです。

佐竹功年投手がプロ入りすれば、再びこのエピソードが紹介されるようになると思いますが、
因縁の阪神も同投手をリストアップしているのだとか…。この秋のドラフトが早くも楽しみです。
20070903-00.jpg


BBMヒストリックコレクション2007 【ドラフト物語】より
http://www.sportsclick.jp/sportscard/card/2007_historic/index.html

この年、阪神が順当に鈴木啓示を指名していた場合、
2年連続で高卒左腕投手の指名は考えがたく、
翌年、江夏豊を指名することはなかったかも? とも言われています。

posted by しゅりんぷ池田 |12:24 | 野球 | トラックバック(0)
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