2009年07月03日

ライオンズ背番号物語(その1)背番号「4」

埼玉西武ラインオンズのチームカードが今月下旬に発売されますが
今回からは、その中の企画カード「背番号物語」を紹介したいと思います。
カード表面で同じ背番号を背負った現役選手とOB選手を対比させ
裏面では、その背番号を背負った歴代選手の一覧を掲載しています。

前回、横浜ベイスターズのカードでも同企画のカードを作り、
それに関するブログを141回から146回までで取り上げておりますので、
よろしかったらそちらもご覧ください。

さて、ライオンズ歴代の背番号「4」の選手はこんな感じ。

■ライオンズ歴代背番号「4」
1950	林 幹雄
1958~59	平塚 宝
1963~67	ロイ
1968~78	基 満男
1979	マルーフ
1980	大北敏博
1982~86	片平晋作
1987~97	笘篠誠治
1998	ラービー
1999	シアンフロッコ
2000~08	高木浩之
2009~	清水崇行
※1950年のみ球団名は西鉄クリッパーズ

やはり、「4」は日本では基本的に忌避番号なので外国人選手や移籍選手が目立ちます。

初代の林幹雄(熊本高)は一軍試合出場のないまま1年で退団。
その後7年、空き番号で2代目の平塚宝(久留米商)も一軍で6安打のみ。
そして、63年に来日したロイは四番に入って活躍。同年の西鉄最後の優勝の立役者となります。
ロイは5年間で108本塁打を放って68年に近鉄に移籍。

この4番を継いだのが67年入団の基満男。
長くセカンドのレギュラーを務め、在籍12シーズン中100安打以上したシーズンが8回、
ライオンズでの通算1255安打は球団歴代9位でオールスターにも5回出場
(移籍後にも1回出場)した低迷期を支えた中心選手でした。
この時期、どこのチームも背番号「4」は外国人選手がつけていることが多く、
日本人の中心選手が4番を背負っていたのは珍しかったのですが、
守備番号の「4」と見ればそんなに奇異でもありません。
この基が78年オフに大洋に去り(根本隆、鵜沢達雄両投手とのトレード)
球団は西武に身売りをし、フランチャイズを所沢に移転します。
西武のユニフォームを着た基も見たかったような…。

そして西武初代の背番号「4」となったのが外国人のマルーフ。
1番レフトに入って146安打で打率.290(リーグ17位)とそこそこの活躍を見せますが
12本塁打と長打力不足のため、翌年はスティーブに取って代わられます。

続く4番は巨人から移籍の大北敏博(交換相手は成重春生投手)。
高松商時代に甲子園に出場して活躍し(3年夏に3試合連続完封でベスト4)
71年にドラフト2位で巨人に入団した選手で、
プロ入り後、打者に転向して二軍の首位打者にも輝きますが、
一軍では実績を残せず西武でも1安打のみで退団となります。
大北は巨人時代にカルビーカードにも登場していて驚いたことがあります。
当時は「パ・リーグの主力選手より、巨人の二軍選手の方が有名」といわれるほど
露出の格差があったわけですが、これなどその最たる例ではないでしょうか。

その次の4番が今回のカードにも登場している現二軍監督の片平晋作。
山下律夫・山村善則←→黒田正宏・片平晋作という南海とのトレードだったのですが
片平の放出はもったいないなあ~と思ったものです。
片平は王貞治ばりの一本足打法で有名になった選手で、
76年から5年間で2ケタホームランも4度(80年は21本塁打)、
32歳となる81年に8本塁打だったので、ここらが限界とみなされたのでしょうか?

あと、片平の守備位置は一塁だったため、スティーブや田淵幸一とダブるのでは?
とも思ったのですが、結局、スティーブを三塁、田淵をDHに追いやって一塁を守り、
西武在籍の5年間は毎年2ケタ本塁打し、西武の初優勝にも貢献して、
83年にはゴールデングラブ賞にも輝きます。

その片平が大洋に移籍した後、4番を継いだのが83年のドラフト2位、笘篠誠治。
内・外野を守って常勝・西武のバックアッププレーヤーとして長く貢献しました。

続く、ラービー、シアンフロッコは1年ずつの在籍で記憶が薄いですね。
ラービーは37試合、シアンフロッコは15試合のみの出場と
西武では珍しく大はずしの外国人選手となってしまいました。

2000年から背番号「4」を継いだのが高木浩之。
従前の背番号は「40」でしたが、「40」から「4」への昇格は先の笘篠も同じでした。
レギュラーを務めた期間は短かったのですが、14年間の在籍で1002試合に出場しました。
西武となってから1000試合以上に出場した選手は、実は10人といないのです。

そして今季から4番を背負うのが巨人から移籍の清水崇行。
現在は調子を落としてファームに落ちていますが、
ロイ、片平のように優勝の使者となれるでしょうか? 期待しています。

埼玉西武ライオンズのカードは7月24日の発売予定! お楽しみに!
http://www.sportsclick.jp/sportscard/card/2009_lions/index.html
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2009年07月02日

九州時代のライオンズは盗塁王を輩出せず:ライオンズ歴代最多盗塁選手

埼玉西武ライオンズカードの企画カード「タイトルホルダーの系譜」を紹介する6回目、
最終回はライオンズ歴代最多盗塁選手についてです。

この項目が今回、一番驚いたのですが、ライオンズ盗塁王は
なんと90年の秋山幸二が最初だったのですよ!

<ライオンズ歴代最多盗塁選手>
1990年	秋山 幸二(西武)	51盗塁
1994年	佐々木 誠(西武)	37盗塁
1997年	松井稼頭央(西武)	62盗塁
1998年	松井稼頭央(西武)	43盗塁
1999年	松井稼頭央(西武)	32盗塁
2007年	片岡 易之(西武)	38盗塁
2008年	片岡 易之(西武)	50盗塁

つまり九州時代のライオンズは盗塁王を輩出していなかったんですね。
ライオンズの前身、西鉄クリッパーズは50年からシーズンをスタートさせているので
実に40年にも渡って盗塁王が出ていなかったのです。

盗塁王というと60年代の広瀬叔功(南海)、70年代の福本豊(阪急)のように
特定の選手が長く独占しており、南海・阪急の得意技だったような感があります。

西鉄時代に俊足選手はいなかったのでしょうか?
そういえば、中西太さんは「体型から誤解されているけど、ワシは足も速かった」
とよくおっしゃっています(53年には3割30本30盗塁を達成!)が
自己最多の36盗塁した53年はリーグ5位タイ。

豊田泰光さんも球団歴代5位の192盗塁(西鉄在籍時のみの成績)していますが
54年の33盗塁が自己最多で盗塁王には遠く及びませんでした。

しかし、球団最初の盗塁王が
石毛(球団歴代2位=242盗塁)でも辻(同4位=220盗塁)でもなく
ホームランバッターの秋山というのも意外ですね。

秋山は球団歴代2位のホームラン数(328本。1位は清原和博の329本)を残す一方で
盗塁の方も歴代3位の227盗塁をマークしているのですね。

そして、秋山に次いで盗塁王となるのが、その秋山とのトレードで
94年に移籍してきた佐々木誠。彼もまた走れるスラッガーでしたね。

続いて、松井稼頭央が97年から3年連続の盗塁王で球団初ともいえるスピードスターが登場。
03年限りでメジャーに転出しますが、そこまでに残した306盗塁が球団歴代1位の記録なのです。
しかし、通算306盗塁はNPBのランキングでは通算25位(26位は303盗塁の秋山)
に過ぎないので、やはり伝統的にあまり盗塁が多くないチームということになりましょうか。

そして、ここ2年連続して盗塁王に輝いて片岡易之。
片岡は昨日まで通算141盗塁で球団歴代10位ジャスト。
(11位はなんと、前監督・伊東勤の134!)あと1個で9位・中西に並びます。
今季は日本ハムの田中賢介と激しく盗塁王を争っていますが、3年連続の受賞はなるか?

埼玉西武ライオンズのカードは7月24日の発売予定! お楽しみに!
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次回からは、もうひとつのサブセット「背番号物語」を紹介する予定です。
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2009年07月01日

「無冠の帝王」清原が獲得したタイトル:ライオンズ歴代最高出塁率打者

今年のライオンズのカードの中の企画カード「タイトルホルダーの系譜」を紹介する
5回目は歴代最高出塁率打者。最高出塁率のタイトルはパ・リーグで62年に設けられ
セ・リーグでは67年から「最多出塁数」が表彰項目となったものの
85年になってパ・リーグ同様に「最高出塁率」を表彰するようになりました。

出塁率は(安打+四球+死球)÷(打数+四球+死球+犠飛)で求められます。
打率の高さに加えて、四球の多さが決め手となるタイトルですね。
ライオンズの歴代最高出塁率打者はこんな感じ。

<ライオンズ歴代最高出塁率打者>
1958年	中西 太(西鉄)	.407
1959年	豊田泰光(西鉄)	.406
1961年	豊田泰光(西鉄)	.426
1983年	スティーブ(西武)	.423
1984年	スティーブ(西武)	.443
1990年	清原和博(西武)	.454
1992年	清原和博(西武)	.401
1993年	辻 発彦(西武)	.395
1997年	鈴木 健(西武)	.431
2002年	カブレラ(西武)	.467
2008年	中島裕之(西武)	.410

ライオンズ最初の最高出塁率は中西太なのですが、
同選手はこの年、打率.314で首位打者で60四球もリーグ最多でした。
実はこの60四球というには2リーグ分立後では最少の「最多四球打者」でもあるのですが
この時代は四球の数もそんなに多くなかったのですね。
昨今では「最多四球打者」が100四球以上というのもザラなんですがね。

次いで最高出塁率打者となるのが豊田泰光。
59年から3年連続で「最多四球打者」でもあったのです。
豊田さんというと、何か豪快な印象がありますが、
意外やボールをよく見るタイプの打者だったようです。
通算1699安打が歴代65位なのに対して、四球の通算数934は歴代17位なのですよ。
http://bis.npb.or.jp/history/ltb_bb.html

その後、チームの低迷もあって最高出塁率打者も長らく出なかったのですが、
久々に同タイトルに輝いたのが広岡・西武時代に活躍したスティーブ。
83年に打率2位、84年に打率3位で最高出塁率のタイトルを獲得します。

続いて登場するのが清原和博。首位打者・本塁打・打点のタイトルを獲得することはできず
「無冠の帝王」とも呼ばれた同選手ですが、
タイトルとしては最高出塁率を2回と最多勝利打点を1回受賞しています。
ちなみに、ベストナインとゴールデングラブ賞は厳密な意味では「タイトル」ではありません。
日本では混同されがちですが、投票で選ばれるものは
「アワード(表彰)」であって「タイトル」ではないのですね。

しかし、「無冠の帝王」といえば清原の入団時の師匠・土井正博のニックネームだったはず。
師匠の方は結局、プロ入り15年目に本塁打王となって「無冠の帝王」を返上したわけですが、
弟子の清原の方は主要タイトルの獲得までには至りませんでした。
彼は四球(歴代3位)も死球(歴代1位)も多かったので最高出塁率のタイトルも納得です。
http://bis.npb.or.jp/history/ltb_hp.html

その後、ライオンズでは辻、鈴木健、カブレラと最高出塁率打者を輩出し、
昨年は首位打者を争った中島裕之が受賞しました。彼は四球はあまり多くないものの
死球は多いですね(レギュラーとなった04年以降毎年死球は2ケタ)。
ちなみに昨年まで四球は多くなかった(04年以降では年平均37.4個)中島選手ですが
今季は現時点でリーグトップの四球を選んでいます。何か心境の変化があったのでしょうか?

埼玉西武ライオンズのカードは7月24日の発売予定! お楽しみに!
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2009年06月30日

シーズン中移籍しながらホームラン王になった男:ライオンズ歴代最多本塁打打者

埼玉西武ライオンズカードの「タイトルホルダーの系譜」の4回目は
ライオンズ歴代の最多本塁打打者を取り上げますが、
これがなかなかの豪華メンバーなのですよ。

<ライオンズ歴代最多本塁打打者>
1952年	深見安博(西鉄・東急)	25本
1953年	中西 太(西鉄)	36本
1954年	中西 太(西鉄)	31本
1955年	中西 太(西鉄)	35本
1956年	中西 太(西鉄)	29本
1958年	中西 太(西鉄)	23本
1975年	土井正博(太平洋)	34本
1987年	秋山幸二(西武)	43本
1990年	デストラーデ(西武)	42本
1991年	デストラーデ(西武)	39本
1992年	デストラーデ(西武)	41本
2002年	カブレラ(西武)	55本
2008年	中村剛也(西武)	46本

ライオンズ初代の本塁打王・深見安博は所属が(西鉄・東急)となっていますが、
この意味が分かるでしょうか? そう、深見はシーズン中に西鉄から東急に移籍したものの
「西鉄」「東急」ともにパ・リーグだったため、それぞれの球団で打ったホームラン
(西鉄で2本、東急で23本)を合算して52年のパ・リーグの本塁打王となったのです。

深見安博といっても、現在ではそんなに名前が伝わっている選手ではありませんが
プロ野球選手を数多く輩出しているので有名な報徳学園出身の最初のプロ入り選手で
中大を経てプロ化以前の西日本鉄道入り。
その後、同社がプロチームを持つことになり深見もプロに転じます。
50年には31歳なので、当時の選手の平均寿命からしたら相当高齢でのプロ入りでした。
初年度は四番を打って22本塁打と活躍。そんな球団草創期の功労者を
トレードに出すのですから、相手は相当な大物のはずですよね。

そう、その交換相手というのは戦後プロ野球のヒーロー・大下弘だったのです。
西鉄はさらに、50年に西日本で20勝を挙げた緒方俊明投手もこのトレードに加えます。
四番打者に加えて、エース級の投手をも放出しての2対1のトレード。
大下はそれほどの大選手だったわけですが、深見もその交換相手として恥じない
好成績を残したのですから立派です(同年の大下は13本塁打)。

ライオンズは翌53年にもホームラン王を輩出します。高卒2年目の中西太がこの年から
4年連続で本塁打王に輝くのです。中西は同年36本塁打を放ちますが
この年の近鉄のチーム本塁打は31、大映のそれは30だったのですよ。
7チーム合計の本塁打総数が386本だったので、
中西1人でリーグの1割ぐらいのホームランを放っていたことになります。
ちなみに、昨年のパリーグのホームラン総数は752本ですから、
現在で言えばシーズン70本塁打ぐらいするインパクトと言えるかもしれません。

中西が57年もホームラン王となっていれば6年連続になっていたのですが、
同年は野村克也の30本、山内和弘の29本に次ぐ24本で3位。
翌58年に同タイトルを奪還するものの、以降は腱鞘炎が悪化して満足に出場できなくなり
59、60年と山内が連続戴冠した後は、野村が8年連続でホームラン王と時代は転換します。

その後のライオンズは長い低迷期に入って本塁打王も出なくなっていたのですが、
75年に近鉄から移籍してきた土井正博が34本でホームラン王に輝きます。
近鉄の主砲を務め、リーグを代表する強打者として知られていた土井ですが、
主要タイトルにはもう一歩及ばず長らく「無冠の帝王」と呼ばれていました。
それが、32歳となる年に太平洋に転じてすぐさまタイトルを獲ったのですから驚きました。

球団は79年から西武ライオンズとなり、強豪チームに変貌を遂げますが
ホームラン王はなかなか出ませんでした。阪神から移籍してきた人気者の田淵幸一も
もう一歩及ばず、両リーグでのホームラン王の機会を逸し、
秋山幸二は85年に40本塁打、86年に41本塁打しますが落合博満の牙城を崩せず。
87年に43本を打って、ようやくホームラン王のタイトルを奪取しますが、
これが最初で最後の本塁打王となります。
通算437本塁打の秋山がホームラン王1回のみというのは意外な気もしますが、
この時期のホームラン王はデストラーデとブライアントの
両外国人選手がタイトルを独占します。

デストラーデは90年から3年連続の戴冠で同時期の日本シリーズ3連覇にも貢献。

その後また10年近く間隔が空きますが、
02年にはカブレラがシーズン最多タイの55本塁打で久々に戴冠。

そして昨年は中村剛也が秋山以来21年ぶりのライオンズの和製本塁打王に輝きます。
今季もここまで本塁打王・打点王の両部門を独走中で、
今後故障さえなければ2年連続のホームラン王が確実視されています。

中村は、童顔でズングリムックリした体型ながら意外や俊足という点や、
三塁を守る長距離砲という選手としてのタイプも中西に似ていますね。
入団以来の大きな背番号「60」を付け続けているのは、
密かに「シーズン60本塁打」を期してのものでしょうか。
なかなか得難いキャラクターなので、故障することなく大成することを願って止みません。

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2009年06月29日

ライオンズ歴代最多安打打者はわずか6名のみ

ライオンズ歴代最多安打打者はわずか6名のみ

埼玉西武ライオンズカードの企画カード「タイトルホルダーの系譜」を紹介する
3回目は最多安打。この項目もリーグ表彰されるようになったのが94年からなんですね。
(イチローが94年にシーズン210安打の新記録を樹立してから注目されるようになりました)

ライオンズの歴代最多安打打者というのはこんな感じ。

<ライオンズ歴代最多安打打者>
1953年	中西 太(西鉄)	146本
1957年	中西 太(西鉄)	154本
1983年	スティーブ(西武)	153本
1999年	松井稼頭央(西武)	178本
2002年	松井稼頭央(西武)	193本
2005年	和田一浩(西武)	153本
2008年	栗山 巧(西武)	167本
2008年	片岡易之(西武)	167本

とまあ、すごく少ないのですよ。
このタイトルを獲得するのはその年の首位打者であったり、
1番バッターとして数多く打席に立った打者の場合が多いですね。

ライオンズで最初に最多安打打者となったのは53年の中西太で146安打。
昨今では年間200安打する打者も出ているので、
146という安打数は随分少なく感じられるかもしれませんが、
70年代ぐらいまでは150本程度で最多安打打者となれていたんですね。

これも「打高投低」のトレンドの影響だと思います。
打者の平均打率は上がっているので、打席が回ってくる回数も当然多くなり
結果的に年間の安打数も増しているということなのでしょう。

中西は57年にも最多安打打者となりますが、
この後なんと25年間も最多安打打者が生まれなかったんですね。

ご存知の通り、この間の西鉄は長い低迷期に入っており
太平洋・クラウンと球団名も変遷していた頃なので、
突出して好成績を残す選手もいなかったわけです。

ちなみに首位打者は太平洋時代の75年の白仁天、76年の吉岡悟と2人出ているのですが
2人とも規定打席ギリギリの首位打者だったので、安打数もそれほど多くなかったのです。
※75年の白=403打席121安打、76年の吉岡=427打席118安打

その後、26年ぶりの最多安打打者となったのが広岡・西武時代に活躍した
スティーブ・オンティベロス。この年は打率.321でリーグ2位という好成績でした。

しかし、その後はまた松井稼頭央まで、しばらく間が空くのです。
この間、西武は未曾有の黄金時代にあったのですから、これはまた不思議なブランクですね。
この常勝・西武時代に猛威をふるった秋山・清原・デストラーデの
AKD砲は四球も多かったですからね。

99年の松井は主に3番打者に起用されて打率.330という好成績で
ベストテンの2位となり最多安打打者となります。
その後、監督が東尾修から伊原春樹に代わると松井は再び1番打者に起用されるようになり
02年には球団史上シーズン最多の193安打(打率.332はリーグ3位)
をマークして2度目の最多安打打者に輝きます。
シュアな打撃の松井が1番に座れば、当然安打数も増しますよね。

続いて05年は首位打者の和田が153安打で最多安打のタイトルも獲得。
近年では93年の石井浩郎(近鉄)の147安打以来の低い数字でした。

そして、昨年はなんと、ライオンズの1番・2番コンビ、
片岡&栗山が同数で最多安打のタイトルに輝きました。
※片岡は最多盗塁の方でカード化しているので、
 今回、最多安打は栗山の写真をカードに使用しました。

同一チームの選手が同じ安打数で最多安打のタイトルを分け合うのはひょっとして史上初?
とか思ったのですが、実は69年の王貞治&長嶋茂雄(巨人=156安打)、
84年の田尾安志&谷沢健一(中日=166安打)、
04年の川崎宗則&松中信彦(ダイエー=171安打)と過去3例もあったんですね。

ところで、現時点(6月29日現在)でのリーグ最多安打は西武の主砲・中島裕之。
ライオンズ7人目の最多安打打者の誕生となりますか?


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2009年06月26日

稲尾のシーズン353Kと松坂の215K すごいのはどっち? ライオンズ歴代最多奪三振投手

昨日の歴代最多勝利投手に続いて、ライオンズの歴代最多奪三振投手を紹介します。
昨今では最多勝利・最優秀防御率とともに投手3冠のひとつのようにみなされるようになった
最多奪三振のタイトルですが、リーグの表彰項目となったのはパが89年から、セは91年からと
割合最近のことなので、かつてはそれほど意識されていなかった項目なのですね。
(かつての投手三冠は最多勝・最優秀防御率・最高勝率でした)
その一覧はこんな感じ。

<ライオンズ歴代最多奪三振投手>
1955年	河村久文(西鉄)	225個	(投球回=279回1/3)
1958年	稲尾和久(西鉄)	334個	(投球回=373回)
1961年	稲尾和久(西鉄)	353個	(投球回=404回)
1963年	稲尾和久(西鉄)	226個	(投球回=386回)
1966年	田中 勉(西鉄)	217個	(投球回=296回1/3)
1975年	東尾 修(太平洋)	154個	(投球回=317回2/3)
1982年	松沼博久(西武)	152個	(投球回=180回2/3)
1986年	渡辺久信(西武)	178個	(投球回=219回2/3)
1997年	西口文也(西武)	192個	(投球回=207回2/3)
1998年	西口文也(西武)	148個	(投球回=181回)
2000年	松坂大輔(西武)	144個	(投球回=167回2/3)
2001年	松坂大輔(西武)	214個	(投球回=240回1/3)
2003年	松坂大輔(西武)	215個	(投球回=194回)
2005年	松坂大輔(西武)	226個	(投球回=215回)

ライオンズ初代の奪三振王は河村久文(英文)。別府緑丘高の出身で、
あの稲尾和久氏の先輩ということでも知られますが、現役時代は20勝も2度、
引退後に投手コーチとなって東尾修らを育てたことも有名です。

続いて河村氏の高校の後輩・稲尾の登場となりますが、この数字がすごい。
61年が334個で、61年が353個と現在では考えられないような300個代の奪三振数。
NPBのシーズン最多奪三振の記録は言わずと知れた68年、江夏豊の401奪三振
(投球回=329回)。稲尾の353Kは歴代2位、334Kは同6位の記録なんですね。

ところが稲尾はその年の投球回数もものすごく、
61年は404回、63年も386回投げているのですよ。
昨今では年間200回を超える投手がほとんどいないということを考えると驚異的です。
稲尾が奪った三振の個数は確かにすごいのですが、投球回と比較してみると
投球回数を下回る三振数しか奪っていないのですね。

2コ前のコラムでも書きましたが、昨今では投手の三振奪取率が上がっており
投球回数を上回る三振を奪う投手も珍しくなくなっています。
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/149

最近でも、松坂大輔は03、05年に投球回数を上回る三振を奪って
最多奪三振のタイトルに輝いています。
三振奪取率(9イニング当たりの奪三振数)で言うと松坂の03年は9.97、05年は9.46。
稲尾の58年が8.06、61年が7.86なんですね。この数字だけを比較して
だから松坂の方が稲尾の方がすごいと単純化することはできないんですけどね。
野球の質も大きく変化していますし…。

しかし、先述した68年の江夏の三振奪取率はというと、これがなんと10.97!
現在のように投手が三振奪取率を飛躍的にアップさせている時代ではない時代に
突出した数字を残しているのが光ります。稲尾と松坂の奪三振の内容を比較をしていたら
図らずも江夏のすごさを示すことになってしまいました。

このライオンズの歴代最多奪三振投手の一覧を見ていて
逆の意味で驚くのは、75年の東尾修の例。317回2/3で154個の奪三振なので
2イニングに1個ぐらいのペースでしか三振を奪っていません。
三振奪取率でいうと4.36! 時代の変遷の中で三振が持つ意味も変化してきたようです。

と、ここまで書いてきて、ふと思ったのです。実際のカード裏面には
歴代受賞者名と奪三振数しか記載していなかったのですが、
上記の表のように投球回数も併記しておくべきだったなあ~と。
次回の反省材料にしたいと思います。

埼玉西武ライオンズのカードは7月下旬の発売予定です。お楽しみに!
http://www.sportsclick.jp/sportscard/card/2009_lions/index.html
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2009年06月25日

東尾の呪い? ライオンズ球団歴代最多勝利投手

東尾の呪い? ライオンズ球団歴代最多勝利投手

またまた久し振りの更新となってしまいましたが、今回から7月下旬に発売になる
「BBM埼玉西武ライオンズ2009」のカードをご紹介しようと思います。

各チームのカードは監督以下登録全選手がカード化されていますが、それ以外に
「期待の若手選手」や「主力選手」といったカテゴリーの企画カードが準備されています。
こうした企画カードは「サブセット」と呼ばれますが、元々は人気選手を
レギュラーカード以外にも複数回登場させたいというところからスタートした工夫なのです。

今回の「BBM埼玉西武ライオンズ2009」の構成は下記のようになっています。
http://www.sportsclick.jp/sportscard/card/2009_lions/index.html

□レギュラー		71種   
□チェックリスト		 1種   
□LIONHEART		 6種   
□背番号物語		 6種   
□タイトルホルダーの系譜	 6種   
□パズルカード		 9種   

「LIONHEART」というサブセットに登場するのは
岸孝之・涌井秀章・中島裕之・片岡易之・中村剛也・栗山巧の6選手で
チームを代表する人気若手選手をカード化しています。

それ以外にどんなサブセットを組むべきか?
涌井・中島・中村らの人気選手はファンの需要もあるので再度登場させてもいいのですが
「LIONHEART」とはまた異なる切り口を考えないといけません。

そこで考え出したのが「タイトルホルダーの系譜」というもの。
現在のライオンズに在籍する選手でタイトルを獲得した選手をピックアップして
裏面には過去にそのタイトルを獲得したことがあるライオンズ歴代の選手の一覧を掲載するというものです。
(※球団が発足した1950年1のみ球団の愛称はクリッパーズ)

在籍選手のタイトルホルダーというと…
最多勝利:涌井秀章、最多奪三振:西口文也、最多安打:栗山巧、最多本塁打:中村剛也、
最高出塁率:中島裕之、最多盗塁:片岡易之と「LIONHEART」とほとんどメンバーは同じなのですが
それはそれでいいのです。で、実際そのカードを作ってみたところ、
意外な発見もあって、これがなかなか面白いものとなりました。
今回からその6部門を紹介しようかと思うのですが、まずは歴代最多勝利投手はこんな感じ。

<ライオンズ歴代最多勝利投手>
1952年	野口正明(西鉄)	23勝
1953年	川崎徳次(西鉄)	24勝
1957年	稲尾和久(西鉄)	35勝
1958年	稲尾和久(西鉄)	33勝
1961年	稲尾和久(西鉄)	42勝
1963年	稲尾和久(西鉄)	28勝
1967年	池永正明(西鉄)	23勝
1975年	東尾 修(太平洋)	23勝
1983年	東尾 修(西武)	18勝
1986年	渡辺久信(西武)	16勝
1988年	渡辺久信(西武)	15勝
1990年	渡辺久信(西武)	18勝
1997年	西口文也(西武)	15勝
1998年	西口文也(西武)	13勝
1999年	松坂大輔(西武)	16勝
2000年	松坂大輔(西武)	14勝
2001年	松坂大輔(西武)	15勝
2007年	涌井秀章(西武)	17勝

ライオンズ初代の最多勝利投手は球団がスタートして3シーズン目の52年に早くも誕生しています。
初代最多勝利投手の野口正明は地元の飯塚商出身で戦前は名古屋でプレーし
戦後50年に創設された西鉄に加わり、29歳となった53年に23勝を挙げて最多勝。
しかし翌年には肩を壊して2勝のみ、翌々年54年は未勝利で引退となりました。

2代目の川崎徳次は巨人軍在籍中から西鉄球団創設に尽力した功労者で
三原脩監督の後を受けて60、61年と西鉄の監督も務めます。
川崎は1リーグ時代の48年にも最多勝利投手となっており、これが2度目の受賞ですが
この年は防御率1.98で最優秀防御率のタイトルも獲得しています。
32歳での受賞は選手寿命が短かった当時では、かなり高齢の部類に入ると思います。

3代目はおなじみの稲尾和久が登場。稲尾はこのシーズンが2年目で
1年目も21勝を挙げていますが、56年はそれを上回る勝ち星を挙げていた投手が4名もいたのです。
稲尾は高卒2年目、20歳の若さで最多勝に輝きますが
「若くして最多勝利投手」というのが、その後のライオンズの投手の伝統のようになります。

稲尾の入団以来の勝ち星の推移は21、35、33、30、20、42、25、28で
61年の42勝はいわずと知れたシーズン最多勝利記録ですが、
59年30勝、62年25勝でも最多勝ではなかったというのがすごいですね。
※59年は杉浦忠(南海)が38勝、62年は久保征弘(近鉄)が28勝で最多勝

稲尾のあとの最多勝利投手が池永正明。稲尾と池永の間が意外にも近いことに驚きました。
池永は高卒3年目21歳で最多勝利投手に輝きますが、
ご存知の通り「黒い霧事件」に巻き込まれて70年途中で退団。

その後チームは長い低迷期に入り、73年太平洋、77年クラウンと球団名が変遷。
この低迷期に投げまくったのが後に監督も務める東尾修でした。
75年に23勝で最多勝利投手となりますが、この年15敗は最多敗戦投手でもありました。
東尾は71年に8勝16敗、72年に18勝25敗、77年に11勝20敗で最多敗戦投手となっており
九州時代(~78年)の通算は128勝144敗で、85年にかつてでは考えられない
17勝3敗という高い勝率でようやく勝敗を五分とし(218勝218敗)
最終的には251勝247敗と勝ち越して88年限りで引退します。

東尾は西武になってから83年にも最多勝投手となり、この年は最優秀防御率も受賞して
シーズンMVPに輝きますが、前回75年の最多勝とはまったく異なる感慨を持ったのではないでしょうか。

で、最近、渡辺久信監督が面白いことを言っていて、この年以降、
西武の投手には東尾氏の18勝を上回る者が出ておらず、
同監督はこの現象を「東尾の呪い」と称しているのですね。
このような例を紹介して、岸と涌井にこの呪縛を解け!とハッパをかけているわけですが
キャリア前半の頃の東尾の奮闘ぶりを思えば
「お前ら、オレがどんだけ苦労して勝ち星を挙げたと思ってるんだ!」
と憤慨する気持ちも分からないではないですね(同氏がそう公言しているわけではありませんが)。

そして東尾の次に最多勝利投手となったのが現監督の渡辺久信。
これまた高卒3年目、21歳での受賞で最多勝も3回。

続く西口文也まで6年のブランクが空きますが、この間も西武は常勝期でありながら
最多勝利投手を輩出しなかったのは不思議な気もしますが
工藤公康・渡辺久信・郭泰源・石井丈裕らが高いレベルで安定した働きを見せたため
勝ち星が突出する投手がいなかったということなのでしょうか。

西口は大卒3年目、25歳で受賞。最多勝投手となった97、98年はチームも優勝しています。

そしてこれに引き続き松坂大輔が高卒1年目から3年連続の最多勝。これはこれですごい記録のはずですが、
上の方に稲尾のとんでもない数字が並んでいるので、ちょっと割を食った感すらありますね。

一番最近の最多勝利投手はその松坂の横浜高の後輩・涌井秀章。これまた高卒3年目の受賞でした。

ライオンズの最多勝利投手は「若くして」という共通項がありますが、
もうひとつ「複数回受賞」という傾向もありますね。
涌井投手も2度、3度と最多勝を取る活躍を見せられるでしょうか。
また「東尾の呪い」を払拭する20勝にもチャレンジしてもらいたいものです。

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2009年06月05日

どうして最近の投手の三振奪取率は高くなったのか?

先日、横浜のベテラン、工藤公康投手が2年ぶりに勝ち星を挙げ
通算勝利数を「223」としてそれまで13位タイだった村山実さんを抜いて
勝ち星の歴代ランキングを単独13位としましたが、
その上、11位までにはあと14勝とこれはなかなか到達しがたい数字ですね。

順位 投手 	勝利 実働期間 登板 敗北 
 1 金田正一 400 (1950-1969) 944 298 
 2 米田哲也 350 (1956-1977) 949 285 
 3 小山正明 320 (1953-1973) 856 232 
 4 鈴木啓示 317 (1966-1985) 703 238 
 5 別所毅彦 310 (1942-1960) 662 178 
 6 スタルヒン 303 (1936-1955) 586 176 
 7 山田久志 284 (1969-1988) 654 166 
 8 稲尾和久 276 (1956-1969) 756 137 
 9 梶本隆夫 254 (1954-1973) 867 255 
10 東尾修 	251 (1969-1988) 697 247 
11 若林忠志 237 (1936-1953) 528 144 
11 野口二郎 237 (1939-1952) 517 139 
13 工藤公康 223 (1982-2009) 591 138 
14 村山 実 222 (1959-1972) 509 147 

その一方で、工藤投手は奪三振の部門ではすでにベスト10入りをしているのですよ。
あの稲尾さんを既に上回っているのですから、すごいですね。
しかも、投球回数は上位8名の中で江夏さんに次いで少ない回数なので
三振奪取率はかなり高いのですよ。

順位 投手 奪三振 実働期間 投球回 
1 金田正一 4490 (1950-1969) 5526.2 
2 米田哲也 3388 (1956-1977) 5130 
3 小山正明 3159 (1953-1973) 4899 
4 鈴木啓示 3061 (1966-1985) 4600.1 
5 江夏 豊 2987 (1967-1984) 3196 
6 梶本隆夫 2945 (1954-1973) 4208 
7 工藤公康 2837 (1982-2009) 3306.2 
8 稲尾和久 2574 (1956-1969) 3599 

下記で通算奪三振のベスト100が見られるのですが、
http://bis.npb.or.jp/history/ltp_so.html
この100人を三振奪取率順に並びかえると、こんな感じになります。

順位	投手	奪三振 実働期間 	投球回	三振奪取率
 1(81)	野茂英雄	1204(1990-1994)	1051 1/3	10.3
 2(29)	石井一久	1770(1992-2009)	1707 1/3	 9.3
 3(73)	伊良部秀輝1282(1988-2004)	1286 1/3	 9    
 4(63)	松坂大輔	1355(1999-2006)	1402 2/3	 8.7
 5(85)	井川 慶	1174(1999-2006)	1244	 8.5
 6( 5)	江夏 豊	2987(1967-1984)	3196	 8.4
 7(90)	門倉 健	1146(1996-2008)	1276 1/3	 8    
 8(60)	上原浩治	1376(1999-2008)	1549	 8    
 9(14)	川口和久	2092(1981-1998)	2410	 7.8
10(87)	仲田幸司	1158(1985-1997)	1335	 7.8
11( 7)	工藤公康	2837(1982-2009)	3306 2/3	 7.7
16( 1)	金田正一	4490(1950-1969)	5526 2/3	 7.3

※三振奪取率=9回あたりの平均奪三振数

6位の江夏さんを除いて最近の投手の名前が並びますね。
各球団のチーム打率が年々アップして、それに呼応してチーム防御率も上がっている
打高投低のトレンドにもかかわらず、どうして三振奪取率は上がる傾向にあるのでしょうか?

思うに、これも打高投低の影響で、打者をゴロやフライ打ち取ることが簡単でなくなり
三振に仕留めるのが一番効率よく打者を打ち取る手法となったということなのではないでしょうか?
ゴロやフライなら1球や2球でアウトを稼ぐことも可能ですが、
打者を三振に打ち取るには最低でも3球必要なので、投手にとっては負担増なのですが
それでも三振でアウトを取る方が安全(バットに当てさせると危険)と
みなされるようになったということかと思うのですが、いかがでしょうか?

さて、そんな工藤投手のカードも入った「横浜ベイスターズ2009ベースボールカード」の
即売会が6月7日(日)に行われます。この日のみ配布されるカードなんかもあったりしますので
お近くの方はお出掛けください!

湘南ベースボール・カードまつり in 横須賀
http://www.sportsclick.jp/sportscard/card/2009_event/index28.html
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2009年06月04日

広島・道原裕幸三軍コーチもカードに!

昨日に続いて広島のコーチの現役時代のカードをご紹介します。
今回ご紹介するのは道原裕幸三軍コーチのカード。
これは懐かしいでしょう! カープが初優勝した際の第2捕手
(正捕手は「江夏の21球」でもおなじみの水沼四郎さん)だった方です。

カードを制作するのにあたり、道原コーチのプロフィールをまとめていたところ
同コーチが芝浦工業大学の出身であることを思い出しました。

現在の芝工大硬式野球部は東都の3部にいて、春季は10戦全敗の最下位で
来週、4部優勝の東工大と入れ替え戦を戦うのですが、
かつては強豪ひしめく東都1部で優勝したこともあったのですよ。

今から考えると理系の芝工大の野球部が強かったというのは
不思議な気もしますが、まあ、そういう時代もあったのですよ。
プロにも下記のような人材を輩出しています。

岩下光一 S37年卒(東映) 922試合679安打20本塁打
小川幸一 S37年卒(国鉄) 
茅野智行 S39年卒(西鉄) 
大倉英貴 S42年卒(阪神) 377試合169安打14本塁打
切通 猛 S43年卒(阪神) 188試合 59安打 5本塁打
河村健一郎S45年卒(阪急) 632試合354安打49本塁打
豊田憲司 S45年卒(西鉄)  21試合  0安打 0本塁打
伊原春樹 S46年卒(西鉄) 450試合189安打12本塁打
道原裕幸 S47年卒(広島) 532試合188安打 5本塁打

東映の初優勝時に二塁のレギュラーだった岩下さん、
イチローの師匠の1人とされる阪急3連覇時の第2捕手・河村さん、
西武の監督も務めた伊原さんあたりが有名ですかね。

その伊原さん、道原さんが在籍していた昭和45年の春に優勝したのが
芝工大3回目で現在のところ1部で最後の優勝となっています。
なんでも昭和43年の学園紛争を機にスポーツ推薦制度が廃止され、
深刻な選手不足に陥りチームが弱体化したそうなんですね。

『東都大学野球連盟60年史』という刊行物に
道原さんのコメントが寄せらているのですが
それによると当時は伊原さんが選手兼監督のような立場で
道原さんの次の代は1人も新入生が入らず、翌年も新入生は1人だけで
80人ほどいた野球部員が15名ほどになってしまったそうなのです。
驚くような事実ですね。

ちなみに、道原コーチの出身高校は山口県の桜ケ丘高。
この学校は前述の河村健一郎さんの母校でもあるのですが、
道原さんの2学年下には、プロレスラーの長州力もいたんですよ!

このカードが入ったカープのカードは6月下旬の発売予定です。
http://www.sportsclick.jp/sportscard/card/2009_carp/index.html

監督、コーチのカードには下記があり、サインも寄せてくれています。
ブラウン・小早川毅彦・山崎立翔・浅井樹・山内泰幸・道原裕幸・澤﨑俊和

お楽しみに!

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2009年06月03日

ブラウン監督現役時代の勇姿がカードで甦る!

久方ぶりのブログ更新です。今回掲載しているカードに写っている
イケメン外国人選手は誰だと思いますか?
標題に書いているので、まあバレバレですが、
広島東洋カープのブラウン監督の現役時代の写真なんですね。

これは今月下旬に発売予定の広島のカードの中に入っている
企画カードの中の1枚で、カープOBの監督・コーチ7名の
現役時代の写真のカードが制作されています。

ブラウン監督は実は(というと失礼かもしれませんが)まだ若いんですね。
1963年1月23日生まれだそうですから、
小早川毅彦コーチ(1961年11月15日生)よりも1学年下で
現役の工藤公康投手(1963年5月5日生)よりも1学年上という年回りです。

まあ、よく言われるところですが
欧米人は日本人と比べて老けるの早いなあ~と思いますね。

そんなわけで日本で活躍していた時期もごく最近で92年から94年の3シーズン。
当時のクリーンアップトリオは前田智徳・江藤智・ブラウンですからね。
2年目のシーズンにはその年のホームラン王・江藤(34本塁打82打点)を上回る
チーム最多の83打点を挙げる活躍を見せました。
3年間の通算が235安打50本塁打、打率.256というところなので
それほど強い印象を残したわけではありませんが
ファイトあふれるプレーでチームを盛り上げました。

日本球界で活躍した外国人選手が日本のチームで監督を務めるのは
与那嶺要、ブレイザー、レオンに次いでブラウン監督で4人目だと思います。

最近も横浜の監督候補としてドジャース、パイレーツで監督を務めた
球団OBのジム・トレーシーの名前が挙がっていましたが
(その後ロッキーズの監督に就任)今後もこういう例は増えそうですね。

メッツをワールドシリーズ優勝に導いた元巨人のデーブ・ジョンソン、
現ブリュワーズ監督で元中日のケン・モッカ等々候補はたくさんいますからね。

カープのカードは6月下旬の発売予定です。お楽しみに!

BBM広島東洋カープ2009
http://www.sportsclick.jp/sportscard/card/2009_carp/index.html
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