2009年08月28日

74W杯についての資料

日本における74W杯の放映事情

1974年7月7日 特別番組 ワールドカップ決勝戦
(東京12チャンネルにて午後11時50分~試合終了まで<宇宙中継>)

以降の放送はダイヤモンドサッカー内にて。当然ながら録画放送。

1974年7月14日、7月21日 一次リーグ ユーゴ対ブラジル
1974年7月28日、8月4日 一次リーグ 西ドイツ対チリ
1974年8月11日、8月18日 一次リーグ ザイール対スコットランド
1974年8月25日、9月1日 一次リーグ ウルグアイ対オランダ
1974年9月8日、9月15日 一次リーグ ポーランド対アルゼンチン
1974年9月22日、9月29日 一次リーグ イタリア対ハイチ

以上は日曜午後五時からの放送。10月以降は火曜午後十時半に放送時間変更。

1974年10月1日、10月8日 決勝戦 西ドイツ対オランダ(二回目)
1974年10月15日、10月22日 一次リーグ オーストラリア対西ドイツ
1974年10月29日、11月5日 一次リーグ スコットランド対ブラジル
1974年11月12日、11月19日 一次リーグ チリ対東ドイツ
1974年11月26日、12月3日 一次リーグ オランダ対スウェーデン
1974年12月10日 一次リーグ ブルガリア対ウルグアイ   ※1
1974年12月17日、12月24日 一次リーグ アルゼンチン対イタリア
1974年12月31日、1975年1月14日 一次リーグ 西ドイツ対東ドイツ   ※2
1975年1月21日、1月28日 一次リーグ スコットランド対ユーゴ
1975年2月4日、2月11日 一次リーグ ザイール対ブラジル
1975年2月18日、2月25日 一次リーグ オランダ対ブルガリア
1975年3月4日、3月11日 一次リーグ ウルグアイ対スウェーデン
1975年3月18日、3月25日 一次リーグ ポーランド対イタリア

4月より水曜午後十時へと放送時間移動。

1975年4月2日、4月9日 二次リーグ アルゼンチン対オランダ
1975年4月16日、4月23日 二次リーグ ユーゴ対西ドイツ
1975年4月30日、5月7日 二次リーグ ブラジル対東ドイツ
1975年5月14日、5月21日 二次リーグ スウェーデン対ポーランド
1975年5月28日、6月4日 二次リーグ 西ドイツ対スウェーデン
1975年6月11日、6月18日 二次リーグ オランダ対東ドイツ
1975年6月25日、7月2日 二次リーグ アルゼンチン対ブラジル
1975年7月9日、7月16日 二次リーグ ポーランド対ユーゴ
1975年7月23日、7月30日 二次リーグ オランダ対ブラジル
1975年8月6日 二次リーグ スウェーデン対ユーゴ   ※3
1975年8月13日 二次リーグ アルゼンチン対東ドイツ   ※4
1975年8月20日、27日 二次リーグ ポーランド対西ドイツ
1975年9月3日、10日 三位決定戦 ポーランド対ブラジル
1975年9月17日、24日 決勝戦 西ドイツ対オランダ(三回目)
1975年10月1日、8日 西ドイツ大会総集編

※1、3、4 一日のみの放送。45分番組ゆえ、かなり編集されたダイジェストと思われる。
※2 1975年1月7日は日独交歓サッカー「全日本対バイエルン・ミュンヘン」を放送したため、ダイヤモンドサッカーは休止。

一次リーグの残る6試合。すなわち東ドイツ対オーストラリア、オーストラリア対チリ、ユーゴ対ザイール、スウェーデン対ブルガリア、ハイチ対ポーランド、アルゼンチン対ハイチの放映事情は不明。すくなくとも一年以上にわたった、ダイヤモンドサッカーの74年特集には含まれていない。
ウィキペディアによれば「全試合放送」とのことだが…。


上記はサッカーマガジンをもとに筆者が作成。
なお詳細のわからぬ点は朝日新聞を参照いたしました。

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posted by 由比彰紀 |16:08 | 何番? | コメント(7) | トラックバック(0)
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2009年08月21日

1972 ベルギー ~『氷川清話』とエリック・バッティ

第四回を迎えた欧州選手権の決勝ラウンド、西ドイツは…ソ連を3-0と降して、全欧の選手権を獲得した。しかし、さらに重要なことは、彼らの勝ち方だった。…彼らのプレーは、これまでのどのヨーロッパのチームと比べても最もブラジルに近いといえる、南米スタイルの質のサッカーを生み出していたことである。
中立的見地に立っていたか、そうでなかったかを問わず、西ドイツの見せた、優美で流れるようなフットボールに感銘を受けない批評家たちはいなかった。…たとえスペインやイタリアが絶頂に達しても(彼らは普通、一番南米スタイルに近いといわれている)、われわれが目にしたいと熱望してやまなかった〝ヨーロ・ブラジル型〟のサッカーにこうも近づけたかどうかは疑わしい。


上記は西ドイツが欧州選手権を制した際の評です。サッカーマガジン72年8月号より。
いやはや絶賛ですね。90年代からドイツを見た身にはにわかに信じがたい。
まあ実際にソ連戦のダイジェストなどを見れば、賛美された理由もわかりますけど。
このときの西ドイツはヒールではなく、観客から拍手をもらうチームだったようですね。

ところで…。
この評の筆者はエリック・バッティというイギリス人で、その経歴はよくわかりません。
74年の紹介では「英国ワールド・サッカー誌記者」。72年の時点ではどうですかね?
年齢すらわからない氏ですが、文章から彼が好む傾向は理解できます。要約すると…

1.	流動的、そして徹底的に攻撃すること
2.	フェアプレー尊重。悪質なタックル、シュミレーションは大嫌い

2などはステレオタイプですが、英国人だなぁとの感をいだきました。
そしてもっとも顕著なのは、お眼鏡にかなわぬサッカーに対するおそるべきつめたさです。
「見せ物としても娯楽品としても完全な失敗作」なんてのはほんの序の口。
たとえばこの大会の三位決定戦について、バッティ先生こう書かれます。


準決勝の敗者同士、ベルギーとハンガリーの試合に満足を覚えたのは、ただベルギーの監督、レイモンド・ゲタルズだけであっただろう。彼は自分の〝小〟チームがヨーロッパで3位を得たことに満足だった。しかし、これは誰に何の感銘を与えるものでもなかったし、とにかくたいした意味をもたないものである。


ひ、ひでえ…。淡々とした口調が、口をきわめたののしりよりはるかに辛辣で効果的です。
当然ながら悪口も技術がものをいう。それはわが敬する薄田泣菫が証明しています。
こういうテクニックはなかなか評価されないですが…世の批評家も見習ってほしいやね。

さて辛辣な批評を味とするエリック・バッティ。その舌鋒は自国の代表にも向けられます。
そもそもバッティ先生は、66年優勝したチームにも懐疑的だったようでありまして。
準々決勝西ドイツ戦敗北後に噴出した代表批判に対し、先生はこうコメントしております。


イングランドの批評家たちの多くの意見は、はるかにあからさまだ…。
私自身、同じ意見を述べている……が、それはイングランドが一九六六年ワールドカップに優勝したそのときに述べたものである。


なんともほほえましい。わたしはこの部分、勝海舟を想起せられます。
江戸城明け渡しで著名な勝ですが、彼はその後明治32年までのんびりと生きておりました。
その間勝のじいさんは、当座の政治家をボロクソいって過ごしたんですね。
西郷はエラかった、大久保は切れ者だった…。ひきかえ今の小物は何しとる?てな具合。
政府にとっては目の上のタンコブ。そんな勝じいさん、明治31年にこうおっしゃります。


今日の日本は…やはり金にはいよいよ切迫して来る。しかも軍備はどしどしやらなければならないので、遂に外国へまで借銭をするやうになつたが、おれはこれを三十年も前からちやんと見て居つて、当路の人達にはかねて注意しておいたよ。 (注 一部表記変更)


フフ、いいですね。ジジイは口やかましくなきゃいけない。
世のじいさんはいつも怒り、エバっていないと。それが仕事であるとすら思います。
…もっともバッティ先生が御年いくつであったか、当方それも知らないのではありますが。

またまた脱線しちゃった。おおいそぎで72年にもどります。
欧州を制し賞賛された西ドイツですが、彼らについて気になる証言があるんですよ。
引くのは毎度おなじみリヒテンベルガーの『ブンデスリーガ』。彼にいわせればこうです。
「一九七二年大会…ドイツで神話的な地位を確立したのは、決勝を戦ったチームではない」
そして敵地で勝利したイングランド戦こそが、ドイツの生ける伝説だというんですね。
はて、これはいったいどうしたことでしょう?


西ドイツ監督、ヘルムート・シェーンのやり方は、あらゆる面で正しかった。チームの選び方から、戦術の決定、選手たちの心の準備にいたるまで全てにである。そして、この最後の面は、ウェンブレーでイングランドと戦う際には、決定的に重要である。なぜなら、ほとんど例外なく、ウェンブレーを訪れるチームはボールを蹴る前から、イングランドの名声に負けているのだ。


エリック・バッティかく語りき。サッカーマガジン72年7月号から引きました。
これが時代の空気なのかなぁ。みなさんはどう感じられます?
わたしにとってウェンブリーとは、キース・ムーンの生地ぐらいの意味しかありませんが。
なるほどベッケンバウアーはこのことを言ってたのか。…ホンマかいな。

これに加えもうひとつ。イングランド戦が記憶にのこった理由が考えられます。
それは決勝の相手だったソ連が、西ドイツ国民に軽んじられた可能性なんですね。
彼らはソ連を3-0で粉砕したワケですが、じつはこの決勝がはじめてではないんです。
決勝にさきだつ一月前。なんと西ドイツはソ連と親善試合をしてるんですよ。
どうも新スタジアムのお披露目試合だったようですが…それにしてもなんて日程だ。
そしてこの試合も4-1でボッコボコ。なぜかバッティ先生3-0と誤解してますが。
まあ二戦つづけてコテンパンにしてしまえば、ソ連が忘らるるのも道理です。
相対的に敵地でイングランドを破った高揚感が残ったと、そう想像しておきますかね。

決勝のあと、バッティ先生は西ドイツをこう評しています。


…今や、誰がヨーロッパ・サッカーの代表者であるか、疑問の余地なくなった。
…ヨーロッパのベストたちを破って西ドイツは今や、一九七四年ワールドカップの半自動的な優勝候補である。(原文ママ)


かくて西ドイツは二年後のW杯最右翼へと躍り出ました。辛辣な記者をも絶賛させて。
いっぽうそのころクラブでは、アヤックスが欧州を席捲していました…。



<おまけ>
エリック・バッティにこの曲をおくります。
後世のガキのナマイキ。まあ許してくだされ。

posted by 由比彰紀 |16:56 | 何番? | コメント(2) | トラックバック(0)
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2009年08月14日

1972 ベルギー

1972年はオリンピックが開かれた年です。冬季が札幌、夏季はミュンヘンですね。
…となれば当然おわかりでしょう。ハイ、この72年にW杯はございません。
そのかわりこの年は今もおなじみ、ヨーロッパ限定のお祭りがありました。
今回はそんな1972年の夏。欧州選手権を見ていきます。

さて欧州選手権ですが、今もむかしもこの大会の主催者はUEFAです。
当然ながら公式ページもUEFAにありました。コチラをどうぞ。
ふむ。得点ランキングの数えかたを見ても、準々決勝から本大会としているようですね。
ただし一拠点での集中開催は準決勝から。準々決勝はホーム&アウェイ方式です。
いちおう本大会の枠にはいれているものの、実際は予選に近いでしょうか?
ま、今の感覚で接するのは禁物ですが…いずれにせよ準決勝以降とは別物でしょう。

そんな欧州選手権。昭和47年の新聞にはなかなか報道がありません。
読売新聞には「ジェシー初賜杯目前」「ニクラス四冠消える」などなど載っています。
サッカー関係では「ムルデカ開幕 釜本4得点」なる大きな見出しが。あ、なるほど。
そんななかこんなコラムがありました。7月16日の「こだま」欄。


ミュンヘン・オリンピック開幕まであと一か月半。地元の組織委員会はドイツ人らしいきちょうめんな準備を進めているが、その中には〝要人暗殺事件のさいの救急対策〟まで含まれている。
大会のために組織委が動員する〝大医療班〟は医師五百八十七人を含む総勢三千五百八十七人。チーム・ドクターのケーフェル博士によると「起こりうるあらゆるケースに備えている」という。…万一の事件に備えるマル秘作戦は、なかなか大がかりになりそう。


わ、笑えない…。まったくシャレになりません。
だってミュンヘン五輪ですよ? あの事件のオリンピックじゃありませんか…。

とまれこんなトコロです。日本ではこの大会、やはり存在感がないようですね。
そしてこのときの西ドイツが、それはそれは評判のいいチームなんですよ。
当時の西ドイツ評はおいおい触れますが、ベストイレブンも七人が西ドイツですか。
ベッケンバウアー、ブライトナー、ヘーネス、ネッツァー、ビマー、ハインケス…。そしてゲルト・ミュラー。おお、名にし負うお歴々がそろっておりますな。

そんななかGKゼップ・マイヤーは選から漏れています。彼も有名なんですけどね。
あれ?と思いサッカーマガジンを掘ってみると…やはり当代の資料はおもしろい。
ゼップ・マイヤーくそみそです。どの評を見ても「ハイボールの処理が…」なんて具合。
あげくの果てには、完成されたチーム唯一の穴みたいに書かれてますね。
いま彼をくさす文章はあまり見ないけれど…たしかに物騒なキャッチングではあるな。
毎度のことながらいろいろ発見があります。ほお、ゼップもユップもヨーゼフなんですか。

ところで…。
72年のサッカーマガジンをパラパラながめていて、気になることがありました。
この頃になると66年には見られなかった、選手のラインナップがたくさん出てきます。
そのポジション表記がねえ…。みなさんはどう感じられるでしょうか?
今回はこれに対する反応をうかがって、一度切っておくこととします。
いくらか例を挙げておきましょう。なお用語は当時の慣行に従います。

まずは欧州選手権準々決勝第2戦。72年5月13日開催の西ドイツ対イングランド戦です。

	西ドイツ			イングランド
GK	マイヤー	          GK	バンクス
SW	ベッケンバウアー       BK	マデリー
BK	ヘッチゲス	                マクファーランド
	シュバルツェンベック           ムーア
	ブライトナー	                ヒュース
HB	フローエ             HB	ベル
	ネッツァー	                ストーレー
	ビンマー	                ボール
FW	ヘネス	                ハンター
	ミュラー             FW	チバース
	ヘルド                    マーシュ

おつぎは同年5月31日。欧州カップ決勝アヤックス対インター・ミラノ戦。

	アヤックス			インター
GK	ストイ	        GK	ボルドン
DF	シュルビア		SW	ブルグニチ
	フルツホフ		DF	ベルジ
	ブランケンブルク		オリアリ
	クロル			ジウベルトニ
MF	ハーン			(ベルティーニ)
	ニースケンス		ファケッティ
	ミューレン		MF	ベディン
FW	シュバート			マッツォーラ
	クライフ			フルスタルピ
	カイザー		FW	ジャイール
                    (ペリゾロ)
                    ボニンセーニャ

今度は同年6月5日に行われたFAカップ決勝。リーズ対アーセナル戦ですね。
なお左の数字は背番号のことです。

	アーセナル		リーズ
1GK	バーネット		1GK	ハーベイ
2FB	ライス	        2FB	リーニー
3	マクナブ		3	マドレー
4HB	ストーレー		4HB	ブレムナー
5	マクリントック	5	チャールトン
6	シンプソン		6	ハンター
7FW	アームストロング	7FW	ロリマー
8	ボール		8	クラーク
9	ジョージ		9	ジョーンズ
10	ラドフォード		10	ジャイルス
11	グラハム		11	グレイ

最後にもう一度欧州選手権。6月18日にブリュッセルで開かれた決勝、西ドイツ対ソ連。

	西ドイツ			ソ連
GK	マイヤー		   GK   ルダコフ
BK	ヘッティゲス		   SW   フルツシラバ
	ベッケンバウアー	   BK   ジョジュアシビリ
	シュバルツェンベック       カプリチヌイ
	ブライトナー	            イストミン
HB	ヘネス		   HB	コロトフ
	ネッツァー	            トロシキン
	ビンマー	            コニコフ
FW	ハインケス	            (ドルマトフ)
	ミュラー		   FW   バイダチヌイ
	クレマース	            バニシェフスキー
		                (コジンケビッチ)
		                オニチェンコ


…ええ、うまくレイアウトできているでしょうか?
おそらくダメでしょうな。エクセルってのはさっぱりわからん…。

posted by 由比彰紀 |12:14 | 何番? | コメント(15) | トラックバック(0)
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