2011年07月12日
夏です。移籍市場です。札束の飛び交うネタが満載です!
…てなフンイキにはなかなかなりませんな。手堅い身受け話がまとまるくらいで。
むろん本番はコパ・アメリカ以後なのでしょうが、酒のサカナにムダ金たたきは不可欠なもの。
「なんかくだらん話はねえかなあ」と、今日も筆者はカビくさい雑誌を探っていたワケです。
ほんでもって拾ったのがコレと。その名も「トレード・マネーは急上昇!」だとよ。
サッカーマガジンは1969年の八月号に見開き二ページをドーンとつかったこの特集、札束積みあげた図までつくって大はしゃぎであります。しかもなぜか国会議事堂との高さ比べまでしてキャーキャー喜んでおる!
下世話な記事書いとるねえ。それでこそ大衆誌。いやしきわれらの大衆雑誌…。
せっかくなので移籍一覧表をそのまま掲げましょう。
なおこの前年の暮れに起きたのが例の三億円事件です。億に価値のあった時代ですな。
高額移籍金ランキング (1億円以上)
リバ(拒絶) カリャーリ→インター・ミラノ 7億5千4百万円
ペレ(拒絶) サントス→ジュベンタス 6億円
アナスタシ バレセ→ジュベンタス 3億8千2百万円
ソルマニ モントバ→ローマ 2億4千3百万円
ハーラー ボローニャ→ジュベンタス 2億3千2百万円
ベルティニ フィオレンチナ→インター・ミラノ 2億3千2百万円
ロサト トリノ→ACミラノ 2億3千1百万円
デル・ソル リアル・マドリッド→ジュベンタス 2億2千万円
ベネッティ パレルモ→ジュベンタス 2億2百万円
ムジェサン バリ→ボローニャ 2億2百万円
デ・パオリ ブレスチャ→ジュベンタス 1億9千6百万円
アマリルド ボタフォゴ→ACミラノ 1億8千3百万円
メローニ ジェノバ→トリノ 1億7千4百万円
ペイロ アトレチコ・マドリッド→トリノ 1億7千万円
アルタフィニ パルメイラス→ACミラノ 1億6千5百万円
スアレス バルセロナ→インター・ミラノ 1億6千万円
アルジェリリョ インター・ミラノ→ローマ 1億3千8百万円
ドメンジニ アタランタ→インター・ミラノ 1億3千8百万円
シュネリンガー ローマ→ACミラノ 1億3千8百万円
アンクイレッティ アタランタ→ACミラノ 1億3千2百万円
ニールセン ボローニャ→インター・ミラノ 1億3千万円
クラーク フルハム→レスター・シティ 1億3千万円
ロー トリノ→マンチェスター・ユナイテッド 1億1千5百万円
ジュリニョ フィオレンチナ→パルメイラス 1億1千5百万円
ボール ブラックプール→エバートン 1億1千万円
ロサト ペニャロール→リーベル・プラテ 1億1千万円
ピサベラ アタランタ→ローマ 1億9百万円
チバース サザンプトン→トットナム・ホッツスパー 1億8百万円
ディ・ジャコモ ナポリ→トリノ 1億5百万円
ビアンクイ ブレスチャ→ナポリ 1億4百万円
ロー マンチェスター・シティ→トリノ 1億2百万円
グリーブス ACミラノ→トットナム・ホッツスパー 1億円
ヘイレリー アストンビラ→チェルシー 1億円
冒頭二つの“拒絶”ってのがスゴイですが…取引不成立ならそれは単なるウワサなのであって、そんなモン堂々とランキングにのせてちゃイカンわけで。
(本文にも「ペレ選手に対しては六億で申し入れたと…噂された」とある。おいおい。)
それはともかく…。
目だつのはジュベンタスの荒らしっぷりですかね。上位は半分ヤツで占めている。
と言ってもコレは歴代記録でありますれば。実際はさまで極端でなかったかもしれません。
ま、言うまでもないか。なんせあのルイス・スアレスの名があるくらいだから。
しかしジュベンタス一件はおくとしても、いずれ買う側はほぼセリエ勢ですよね。
この点サッカーマガジンはこのようにまとめております。
こうした巨額トレードはほとんどイタリアの金持クラブに集中している。インター・ミラノ、ACミラノ、ジュベンタスといったチームはこれまで外国人選手を買い入れるのに目にあまるほど外貨を積んだ…。…この一~二年は今度のように、イタリア・リーグ内の移籍がうなぎのぼりになり、かえって金額はあがっている。
これにくらべればサッカーの母国・英国の移籍はまだ小さいが…しだいに上昇中である。
札ビラきるイタリアへのあからさまな軽侮とともに、妙なまでの英国に対する親近感が見てとれます。
もっともそれは当然か。この時期までに「ダイヤモンド・サッカー」が放送したカードはのきなみイングランドの試合だったわけだし。
(そもそもBBCの「マッチ・オブ・ザ・デイ」を輸入して始まった番組だから。アレは。)
ただそれ以上に感じるのは、サッカーの母国に対する敬意だなあ。
うん。四十年来のファンって人にはこの角度から攻めてみましょう。そうしよソーシヨ。
…ま、筆者の英国イメージは「お茶のためにアヘンさばいた連中」なんですけどね。
posted by 由比彰紀 |15:45 |
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2011年07月05日
ガリンチャがお涙金をいただいて、ブラジルのマイナー・クラブで働いている。一九五八、一九六二年のワールドカップで世界中のサッカー・ファンを熱狂させたあのガリンチャが……。
…ガリンチャもいまは三十二歳。ろくなプレーもできず、ときには九十分の試合にも耐えることができないほど落ちぶれてしまった。だが彼は八人の娘のために金がいる。どさまわりの田舎チームでも、給料をもらえれば、かつての栄光をすてても、働かなければならない。英雄のあわれな末路というべきか。
60年代のサッカーマガジンも記事の質は玉石混交で、たとえばマシューズ卿の引退特集などはてんでつまらんのですが、上に引いたものはなかなか食いでがあります。
当稿の執筆者は共同通信の鈴木武士さん。掲載は68年の8月号ですね。
ガリンシャの転落過程まのあたりってのもスゴイけれど(もちろんガリンシャはまだまだ落ちてゆく)、じつはこの記事の本題は彼でなし。主役は飛ぶ鳥落とす勢いのジョージ・ベストなのであります。
その冒頭に落ち目のガリンシャを配するあたりあざとい。オッサン、いい仕事してるぜ!
…といってもまあ、スポナビの閲覧者にはおりませんわな。68年にジョージ・ベスト見てたかたなんざ。
まあ化石でもながめるつもりで見てちょーだい。ベスト本人もとっくに死んでるワケだし。
マンチェスター・ユナイテッドには、イングランド代表のボビー・チャールトン、スコットランド代表のデニス・ローと、世界に名を売った大スターがいるが…それ以上の大衆的人気を博しているのが、ジョージ・ベストである。
二年前、リスボンでベンフィカを5-1でやっつけたユナイテッドのジョージ・ベストを、リスボンの人たちは〝エル・ビートル〟とあだ名した。
ベストのトレードマークの第一はビートルズ・スタイルのつやのある髪である。そしてほっそりとしたからだに、もっとも現代的な服を身につけている。ギターをかかえさせたら、まさにビートルズである。
てな具合に、バロンドール獲った21の若造が紹介されるんですね。
このあとも夜遊びに女遊び、ラムゼイ率いるイングランド代表(すなわち66W杯優勝チーム)への悪口と、無鉄砲で鼻っ柱の強いガキのやんちゃっぷりが描かれるワケです。
まあこーゆー新星の登場は今もむかしもメディアのお得意様なのでしょう…が。
それにしても極端なビートルズ寄せでしょ? いくら連中が英国チャラ男の代名詞だったとしても。
導入の小文には「髪はビートルズ・カット、ファッションは流行のトップ」なる見出し。
ベストがマネキンの横でポーズとった写真には「グループ・サウンズ? ファッション・モデル? ビートルズ・スタイルのジョージ・ベスト」と念入りなキャプション。
そもそもこの記事の題からして「サッカーのビートルズ ジョージ・ベスト」だもんね。
まあ二年前の来日は大騒ぎだったらしいし。たしかに初期ビートルズに似てなくもないか…。
ただ、それはあくまでも“初期ビートルズ”なのでありまして。
先にも申したようにこの年は68年。ビートルズが世に出てから六年ほど経ってます。
いくらカビのはえた時代とはいえ時は過ぎるのであって(あたりめーだ)、この頃すでに連中は「サージェント・ペパーズ」で世間を煙に巻いている。もはやアイドル然とはしてないんですよね。
まあアルバムなんか誰も聴かないにせよ(赤盤おさえときゃいいんだろ?)、見た目もいわゆるマッシュルームじゃない。髪はボサボサのばしてるし、レノン先生にいたってはすっとんきょうな丸メガネだし。
要するにはなはだしき時代錯誤だと思うのですが…当時は違和感なかったのかね?
すりこみってやつはシブトイなあ。そらキンクスやビーチボーイズのファンもブツブツ言うよ。
そんなワケでウケたのかスベってるのかよくわからん記事なのですが、それはともかく鈴木さん。ベストの私生活をこうまとめております。
そのくせ彼はひどいけがをさせられたら…週給一万円程度の安サラリーで働かねばならぬことも知っている。そのため遊ぶのも試合のない土曜日の夜から水曜日の間に限定している。彼はたばこを吸わないし、アルコールだって軽いビールを適量に飲むだけだ。みかけによらず節制するのである。
これが事実かは知りません。言うまでもなくジョージ・ベストは典型的なガリンシャタイプですから。
果ては奈落の底に沈む男の若き日に節度があったのか? …ま、アヤシイやね。
そんでもって70年代には見る影もなく迷走すると。あなかなしや世のうつろいは。
…そういやそのころのベストをネタにした特集もあったな。また掘り出しに行こうかな?
posted by 由比彰紀 |16:04 |
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2011年04月27日
「うーん、どっちかが追いこまれたほうがおもしろかったんだけどなあ…。」
へえ、例のスペイン四連戦のことです。なかよくタイトル分けあったそうですね。
まあせっぱつまるとすれば白組さんしかないワケですが、とりあえず無冠の危機は避けられたと。
これで心おきなく今日に臨めますな。もっとも選手は食傷というか、ゲロ吐くんじゃないかと思いますが。
それはボスとておなじかな? 両監督サン、知恵熱なんぞ出さぬようお気をつけください。
ところで…この大将ご両人。そろってお名前がヨセフさんなんですよね。
モウリーニョのジョゼは言うにおよばず、グアルディオラだって元来ジョゼップでしょ? なぜかみんな愛称で呼ぶけれど。
筆者はなにかこのヨーロッパの風習がなじめませんで。だってかりにも相手は監督サンですぜ。
それをネコもシャクシもペップペップとエレキバンみたいに呼ぶのがねえ…どうにも肌に合いません。監督ってそんな気安い存在でいいのかしら?
むろんよそさまの習慣にケチつける気は毛頭なし。ポップでも罰符でもすきにしてください。
いずれにせよファンゆえの呼び名だろうなあ。よもや記者会見でペップはあるまい。
それにしてもこの愛称ってのはコトバの違いでちょろちょろかわりますな。
たとえばカタルーニャをちと離れると…ホセ・マヌエル・レイナの場合はぺぺでしたね。
あるいはチェルシーのベナユンさん。今季は微妙なあのイスラエル人です。
彼のヨッシてのもヨセフなんだそうな。へえ、てっきりヨシュアなのかと思ってたよ。
ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガーの『ブンデスリーガ』に以下の記述があります。
ヨゼフ・デアバルはかなりの変り種だった。インサイド・レフトのデアバルは、一九二七年にビュルゼーレンで生まれた。この町はラインラントにあったので、人々は彼を〝ユップ〟と呼んだ(さらに南ではヨゼフはゼップに変わる。ヘルベルガーのように)。
つまりドイツ語圏のヨーゼフには二種類の愛称があり、それは地域差によるものであると。
そういやゼップ・マイヤーなんてGKがいましたね。あの人も南の出身なんでしょう。
ゼップ・ブラッターといえばご存じスイスが生んだ俗物ですが、なるほどスイスも南にふくまれるようで。
さらにはユップ・ハインケス。来季はバイエルンの監督になるそうですね。
彼なんかはユップ圏からゼップ圏に移籍するワケだ。まあ呼びかたが変わることはないでしょうが。
そんなこんなでヨセフさんは各地にてんこ盛りなのですが、そうなると当然根っこは過去にさかのぼるワケで。
筆者はどうしても聖書がうかびます。わりに有名なのはイエスの父ヨセフでしょう。
…あ、こう言っちゃマズイのか。
ええと、イエス大先生のお母君であられるマリア嬢のダンナにして大工のヨセフさん。てトコかな。
この人はほっといてあげましょう。こんな言い回しを強いるムチャな設定が罪なのだ。
「ヤコブ原福音書」なんかそのヘン描いてはいるけれど、アレで納得するのはムリだよなあ。
そうだ、アリマタヤのヨセフがいた。例のイエス師匠の遺体を引きとったかたです。
この人はお金持なんですよね。で、立場上イエスの弟子であることをコソコソ隠してたと。
それが処刑後に意を決して死体をもらいに行った…。うん、こーゆー人間味のあるキャラは憎めないな。
ペテロなんかもこの範疇になりますか。神がかりのステファノやパウロじゃこうはいかんよ。
モンティ・パイソンの映画「ホーリー・グレイル」は1975年の作品です。
これはアーサー王伝説をおちょくったコメディなのですが、この映画にアリマタヤが出てまいりまして。
「なして中世英国にアリガタヤが?」とはじめ不思議に思ったのですが、なんとアリマタヤのヨセフさん、後にイギリスに渡ったことにされてるんですね。ああくだらね。
何が悲しゅうてユダヤの上流がブリタニアなんぞへ、まったくヨーロッパってやつはよォ。
なんてブツクサ言ってたのですが翻意しました。死後をどうあつかおうが後世の勝手ですから。
わが日本もヒトのこと言えんワケですし。為朝が琉球へ行こうが、義経がジンギスカンになろうが…。
しかしまあ元祖ヨセフとなれば、やはりヤコブさん家の十一男クンでしょう。
このヒトは人気あるんですよ。それこそ宗教の垣根を越えてるくらいで。
アラビア語圏でのヨセフはユースフとなるのですが(ユースフ・ハッジなんて選手もいましたね)、『コーラン』にあるユースフの章はまるまる旧約のヨセフ物語にあたるんです。具体的には創世記37章から46章と(38章はのぞく)。
なぜにコイツがウケたのか理解できんのですがね。なにしろ空気が読めないんだ、このヨセフ坊やは。
むかしむかし、ヤコブさん家のヨセフくんは親父にかわいがられておりました。
それでいい気になってたヨセフくんは兄貴たちにきらわれ、人買いに売っぱらわれてしまいました…。
いやなんともスゴイ展開ですが、まあ神話のこととて気にせず進みましょう。
ドナドナドナと揺られた先はとあるエジプトのお役人さんの家。
幸いヨセフくんはご主人様に気にいられます。おかげで彼はすくすくと成長しました。
育ってみるとやっぱり男前だったんでしょうね。ここで登場するのが奥サマというワケで。
「いいことしましょ?」「ババアはヤだね」 さあ、奥さん怒ったおこった…。
ま、だいたいこんな話です。ヤなガキだ。オチもイヤな弟ぶりなんだ。
こんなのが元祖にいるんだから、そら後世のヨセフ連もクセモノぞろいになりますよ。
はてさてジョゼさんにペップさん。今宵両ヨセフ氏は何を見せてくれるのでしょうか…。
posted by 由比彰紀 |13:52 |
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2011年02月08日
「ふーん、やっぱりユダなのね。」
ええ、例のフェルナンド・トーレスにまつわる一件です。筆者もいろいろ耳にしました。
9番のユニフォームが燃やされただの、裏切者のユダあつかいされてるだの…。それ自体はかまやしませんがね。どうせ育ちの悪いのがふざけ半分でやってるんだろうし(あんなモン真剣にやったらイタイ)、だとすれば何を言おうがムダなんだし。
なにより当人がわりきってるでしょうしね。連中は週末溜飲を下げたのかな?
行儀がよろしくないのはいいとして、気になるのが「裏切者=ユダ」なる図式でして。
だって出典が聖書ですぜ? おもっきし権威によりかかってまんがな。
なにも礼儀の源泉みたいなトコから引くこたないのに。せっかくブシツケやるならさ。
まあ意識すらしてないんでしょう。すりこみってのはここいらがシブトイのだ。
イスカリオテのユダはイエスのおっさんを銀貨三十枚で敵に売った、福音書最大のヒールであります。
当然キリスト教からは目のカタキにされるのですが、それはそうとわからんのが銀貨三十枚なる金額でして。
マタイ書によると当時日雇いの一日の賃金が、1デナリオン銀貨一枚であったとのこと。
してみると銀貨三十枚ってのは十五万から三十万ってトコか? いずれにせよ五千万ポンドなんてカネではなさそうですね。
イエスの時代にユダなる名をもつ男は他にもいる。たくさんいる。掃いて捨てるほどいる。
イエスの弟にもユダというのがいるし、使徒にもイスカリオテとは別にユダがいる。新約聖書には「ユダの手紙」なんて書もある。これももちろんイスカリオテくんではなし。
そんじゃそれぞれのユダはどういう関係なのかというと、それはもう伝承の解釈をめぐってあーだこーだ、てんやわんやの盛況をなしているのでありますが、まあユダという名がめずらしくもなんともない、ごくありふれたものであったことは想像がつきますね。
ご先祖様にもユダはいらっしゃる。
いちばん有名なのはヤコブの四男ユダでしょう。この人らの代からイスラエルの十二部族が分かれるんだ。
(このユダの次男が自慰行為の語源とされるオナンです。ホントかどうか知らないけど。)
こちらのユダはヤコブの親父の四男坊。にもかかわらず長子相続権をヤコブ親父からめでたくちょうだいし、おかげで子孫は他の部族にくらべ繁栄したんだそうな。あなありがたやご先祖様。
そんなありがたい相続権をなぜ四男ユダが手にしたか? それは兄貴どもがしくじったからなんですね。
長男のルベンは親父の女に夜這いしてポイ、その下のシメオンとレビは町ひとつ破壊する狼藉者…。
なんともすさんだ家庭ですな。まあユダ家が品行方正ってこともないんだけど。
歴史時代になるとマカバイのユダがいる。紀元前二世紀だからリアリティある時代ですね。
この人はレジスタンスのリーダーです。相手はドイツ人じゃなくギリシャ人だけれど。
「オレたちを支配するギリシャ人は素っ裸でスポーツなぞという不届きをする連中だ。許せん!」
てなワケで反乱に打って出たと。…このあたりギリシャ人は近代イギリス人と似ている。
やたらスポーツ好きで世界中に輸出するんだな。そら文化摩擦も起きましょう。
結局ユダ・マカバイは反乱の中途にて戦死します。
しかしレジスタンスの指導者ってのはカッコイイらしく、各方面で人気があるそうな。
たとえばイスラエルのクラブに多いマッカビ。あれはこの人から採用したとのこと。
(ところでハポエルってのはどこから来たのかね? 筆者そっちは全然知らない。)
マカバイのユダご本人からしたら本末転倒な命名って気もするけど、そのヘンはどうもおおらからしい。
それはともかく、かようにユダとはありふれた名で、多種多様なユダさんがおられたワケです。
にもかかわらず「ユダ=裏切者」にしてしまったイスカリオテのユダくん。その功績(?)はあまりにも大きい。
この人あの世のユダ業界でも肩身せまいんですかね。案外大手ふって歩いてたりして。
ユダ・イスカリオテの扱いは各福音書にて異なります。
最初に成立したマルコ福音書に目立った記録はありません。ただイエスを裏切った、とされるのみ。
ところが後続の福音書になると、ぞくぞくユダに関するエピソードが出てくるんですね。
たとえばマタイ福音書。ユダは後に首をつって自殺した、とされている(マタイ27:3-10)。
ヨハネ福音書でのユダは、金をちょろまかした小悪党になっている(ヨハネ12:6)。
ルカはさらにひどい。聖書によるとユダはこうなりましたとさ。
「…ユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。」(使徒言行録1:18)
わかりやすいなあ。うすぎたないユダの野郎××××ってなトコだ。
なんかリバプールの悪ガキどもがかわいく思えてくるね。つまるところ聖書つくった連中とおなじなんだから。
posted by 由比彰紀 |16:37 |
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2010年04月30日
※参考資料は前回同様 JDFA編『「ダイヤモンドサッカー」の時代』
1978
<リーグ戦>
ブンデスリーガ 14回
<カップ戦>
FAカップ 6回
FLカップ 2回
ドイツカップ 2回
スコットランドFAカップ 2回
<代表戦>
国際親善試合 4回
W杯予選 2回
W杯アルゼンチン大会 17回 ※9月10以降
その他 4回
<ランキング>
1.FCケルン 12回
ブラジル 6回
イタリア 同じく6回
アルゼンチン、ボルシア・メンヘングラッドバッハなど9チームが各4回
NHKにとられたためW杯はおざなりに。地方出身者としては歓迎。
1979
<リーグ戦>
ブンデスリーガ 8回
NASLサッカーボウル 2回
<カップ戦>
FAカップ 4回
ドイツカップ 2回
カップウィナーズカップ 2回
チャンピオンズカップ 2回
<代表戦>
W杯アルゼンチン大会 11回
ホームインターナショナル 8回
国際親善試合 4回
その他 9回
<ランキング>
イタリア 7回
アルゼンチン、イングランド ともに6回
バルセロナ初登場! …とはいえ、ニューヨーク・コスモスのほうが圧倒的に目立つ。
1980
<リーグ戦>
ブンデスリーガ 8回
<カップ戦>
FLカップ 2回
カップウィナーズカップ 2回
チャンピオンズカップ 2回
<代表戦>
ヨーロッパ選手権予選 10回
ヨーロッパ選手権 24回 ※7月20日以降
その他 4回
<ランキング>
西ドイツ、イングランド ともに10回
オランダ、チェコスロバキア ともに8回
ベルギー、ハンブルガーSVなど8チームが各6回
ヨーロッパ選手権に明け暮れる。
1981
<リーグ戦>
ブンデスリーガ 2回
イタリアリーグ 2回
アルゼンチン・メトロポリタンリーグ 2回
ブラジル全国選手権(カンピオナート・ブラジレイロ) 2回
<カップ戦>
FAカップ 4回
FLカップ 2回
FAチャリティシールド 2回
チャンピオンズカップ 2回
カップウィナーズカップ 2回
<代表戦>
ヨーロッパ選手権 4回 ※2月7日まで
ゴールドカップ(コパ・デ・オロ) 10回
W杯予選 6回
国際親善試合 4回
その他 8回
<ランキング>
ブラジル 10回
イタリア 8回
西ドイツ 6回
トッテナム・ホットスパー 5回
ウルグアイ、リバプールなど4チームが各4回
ブラジル全国選手権はリーグ戦としてよいものか…。
1982
<リーグ戦>
ブンデスリーガ 10回
イングランドリーグ 2回
イタリアリーグ 2回
<カップ戦>
FLカップ 3回
FAカップ 2回
FAチャリティシールド 2回
<代表戦>
国際親善試合 10回
W杯予選 6回
W杯スペイン大会 3回
ヨーロッパ選手権予選 1回
その他 8回
<ランキング>
バイエルン・ミュンヘン 8回
リバプール、トッテナム・ホットスパー 各7回
アルゼンチン、西ドイツ、ハンブルガーSV それぞれ6回
フィオレンティーナ初登場。一方W杯はもはやなぞる程度。無理もないけど。
1983
<リーグ戦>
ブンデスリーガ 14回
スペインリーグ 4回
イングランドリーグ 2回
イタリアリーグ 1回
<カップ戦>
FLカップ 2回
FAカップ 2回
FAチャリティシールド 2回
ヨーロッパスーパーカップ 2回
クラブ対抗戦(?) 2回
<代表戦>
ヨーロッパ選手権予選 7回
ホームインターナショナル 4回
ブラジル・ヨーロッパ遠征試合 2回
コパ・アメリカ 2回
その他 5回
<ランキング>
ハンブルガーSV、ベルダー・ブレーメン、イングランド ともに8回
FCバルセロナ、リバプール、マンチェスター・ユナイテッド 6回ずつ
ドルトムント、ローマなどが初登場。リーガのカードは…ベタなんだろうね、やっぱり?
1984
<リーグ戦>
ブンデスリーガ 10回
イタリアリーグ 5回
イングランドリーグ 4回
スペインリーグ 2回
ブラジル全国選手権(カンピオナート・ブラジレイロ) 2回
ブラジル・サンパウロ州選手権 2回
<カップ戦>
FAカップ 2回
コパ・ブラジル 2回
FAチャリティシールド 2回
チャンピオンズカップ 4回
<代表戦>
ヨーロッパ選手権 6回
その他 6回
<ランキング>
リバプール 10回
バイエルン・ミュンヘン、ベルダー・ブレーメン、エヴァートン 各6回
ユベントス、ASローマ ともに5回
前掲書には「世界中のリーグへと放映対象を広げた番組円熟期」とある。
筆者の印象は“手あたりしだい”。
1985
<リーグ戦>
イングランドリーグ 8回
イタリアリーグ 4回
ブンデスリーガ 4回
ブラジル全国選手権(カンピオナート・ブラジレイロ) 2回
ブラジル・サンパウロ州選手権 2回
<カップ戦>
FAカップ 2回
チャンピオンズカップ 2回
カップウィナーズカップ 2回
<代表戦>
W杯予選 16回
その他 10回
<ランキング>
スコットランド、ユベントスなど4チームが各6回
7チームが4回ずつ登場
この年4月より放送時間が30分に縮小。
1986
<リーグ戦>
ブンデスリーガ 8回
イタリアリーグ 8回
イングランドリーグ 4回
ブラジル・サンパウロ州選手権 1回
<カップ戦>
FAカップ 2回
カップウィナーズカップ 1回
チャンピオンズカップ 4回
ヨーロッパカップ 2回
<代表戦>
国際親善試合 4回
ブラジル・ヨーロッパ遠征試合 2回
その他 14回
<ランキング>
ユベントス 8回
ナポリ、西ドイツなど4チームが各6回
ナントカ特集など企画ものが目につく。30分ではいたしかたないか。
1987
<リーグ戦>
イングランドリーグ 6回
イタリアリーグ 4回
スペインリーグ 2回
ブンデスリーガ 2回
<カップ戦>
FAカップ 2回
FLカップ 2回
カップウィナーズカップ 1回
チャンピオンズカップ 2回
チャンピオンズカップ予選 2回
ヨーロッパスーパーカップ 1回
<代表戦>
ヨーロッパ選手権予選 6回
国際親善試合 2回
第2回FIFA U-16世界選手権 1回
第6回FIFAワールドユース選手権 1回
その他 18回
<ランキング>
アーセナル、ナポリ 各8回
レアル・マドリードなど5チームがそれぞれ4回
松本典子、渡辺めぐみ、きゃんひとみ…。
1988
イタリアリーグ 2回
イングランドリーグ 2回
国際親善試合 2回
その他 7回
3月いっぱいをもって番組終了。
来日していた某氏に敬意を表し…きゃんひとみ。
posted by 由比彰紀 |18:06 |
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2010年04月27日
「ダイヤモンドサッカー」という番組は、二〇年というかくも長い期間放送されていながら、その放送プログラムの具体的内容を覚えている人は、意外にも少ない。往年のサッカーファンの記憶の深い部分に刻まれた同番組だからこそ、資料的価値のある「記録」を残すべきなのではないか。
JDFA編『「ダイヤモンドサッカー」の時代』より
1968
<リーグ戦>
イングランドリーグ 30回
<カップ戦>
FAカップ 5回
FLカップ 1回
<代表戦>
ホームインターナショナル 1回
その他 1回
<登場回数ランキング>
トッテナム・ホットスパー 9回
チェルシー 7回
ウェストハム・ユナイテッド 同じく7回
マンチェスター・ユナイテッド 6回
アーセナル 5回
※四度の夏休み特集など時間帯が異なるものは省く
68年4月、一時間番組として放送開始。
1969
<リーグ戦>
イングランドリーグ 9回
<カップ戦>
FAカップ 1回
<代表戦>
ホームインターナショナル 3回
<登場回数ランキング>
トッテナム・ホットスパー 4回
イングランド 3回
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン 3回
3月いっぱいをもって番組終了。
1970
<リーグ戦>
イングランドリーグ 20回
<カップ戦>
FAカップ 5回
<代表戦>
W杯メキシコ大会 14回 ※9月28日より
<ランキング>
ブラジル 6回
トッテナム・ホットスパー 5回
ダービー・カウンティ 同じく5回
チェルシー 同上
リーズ・ユナイテッド 以下同文
70年4月、45分番組となりあらためてスタート。
W杯放送以降、ダイヤモンドサッカー特有の二回分割方式が定着する。
1971
<リーグ戦>
イングランドリーグ 11回
<カップ戦>
チャリティシールド 2回
<代表戦>
W杯メキシコ大会 39回 ※9月27日まで
<ランキング>
西ドイツ 12回
イタリア 9回
ブラジル 8回
ウルグアイ 同じく8回
スウェーデン 6回
西ドイツ区切りのアヤで最多登場。二度の延長戦も理由ではあるけれど。
1972
<リーグ戦>
イングランドリーグ 30回
ブンデスリーガ 2回
<カップ戦>
FAカップ 6回
FLカップ 2回
チャンピオンズカップ 2回
<代表戦>
ホームインターナショナル 6回
ヨーロッパ選手権 2回
ミュンヘン・オリンピック 2回
<ランキング>
ストーク・シティ 10回
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン 8回
ダービー・カウンティ 同じく8回
コベントリー・シティ 7回
マンチェスター・ユナイテッド、アーセナル、イングランド 各6回
アヤックス初登場。意外にもボルシアMGやバイエルンより早い。
1973
<リーグ戦>
イングランドリーグ 25回
ブンデスリーガ 4回
<カップ戦>
FAカップ 8回
チャンピオンズカップ 6回
ヨーロッパカップ 2回
<代表戦>
ホームインターナショナル 4回
ブラジル・ヨーロッパ遠征試合 2回
W杯予選 1回
その他1回
<ランキング>
ダービー・カウンティ 14回
ウォルバーハンプトン・ワンダラーズ 8回
コベントリー・シティ 7回
アーセナル 6回
リーズ・ユナイテッド 同じく6回
なぜかラムズが一人旅。どうやら伝説の時季らしい。
うーん、でもイングランドにとっていい年ではなかったような…。
1974
<リーグ戦>
イングランドリーグ 8回
ブンデスリーガ 2回
<代表戦>
W杯予選 3回
ブラジル・ヨーロッパ遠征試合 2回
W杯メキシコ大会ハイライト 9回
W杯西ドイツ大会 26回 ※7月14日より
その他 3回
<ランキング>
西ドイツ 14回
ブラジル 10回
イタリア 9回
イングランド 7回
オランダ 6回
イングランドがランクイン。W杯出てもいねえくせに。
1975
<リーグ戦>
イングランドリーグ 4回
ブンデスリーガ 4回
<カップ戦>
ヨーロッパスーパーカップ 2回
<代表戦>
W杯西ドイツ大会 37回
ホームインターナショナル 1回
その他 3回
<ランキング>
ブラジル、オランダ、ポーランド それぞれ10回
西ドイツ 9回
ユーゴスラビア、スウェーデン 各7回
…ムダ骨だったなぁ、この作業。
1976
<リーグ戦>
イングランドリーグ 12回
ブンデスリーガ 10回
<カップ戦>
FAカップ 10回
FLカップ 2回
ドイツカップ 2回
チャンピオンズカップ 2回
<代表戦>
アメリカ建国200年祭サッカーカップ 6回
ホームインターナショナル 3回
モントリオール・オリンピック 2回
W杯予選 2回
<ランキング>
ダービー・カウンティ 10回
イングランド 9回
マンチェスター・ユナイテッド 8回
ボルシア・メンヘングラッドバッハ 同じく8回
ハンブルガーSV 6回
R・マドリー初登場。ディナモ・キエフよりおそかったりする。
羊はあいかわらず快走中だが、やっと英国独裁体制は崩壊したかな?
1977
<リーグ戦>
ブンデスリーガ 14回
イングランドリーグ 10回
<カップ戦>
FAカップ 8回
FLカップ 2回
ドイツカップ 2回
チャンピオンズカップ 4回
<代表戦>
W杯予選 4回
国際親善試合 4回
ホームインターナショナル 2回
ヨーロッパ選手権 1回
その他 1回
<ランキング>
リバプール 12回
1.FCケルン 8回
シャルケ04 同じく8回
イングランド 6回
ボルシア・メンヘングラッドバッハ 同じく6回
バイエルン・ミュンヘン 同上
ケルンをはじめブンデス勢が続々ランクイン。羊のかわりにヤギってか。
以上は前掲書『「ダイヤモンドサッカー」の時代』に依拠。固有名詞もそれに準じた。
なお同書によれば「チーム名表記は、現在一般的に使われている呼称とした」とのこと。
つまりはアイマイであると。そう理解していいだろう。
posted by 由比彰紀 |15:53 |
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2010年02月09日
世のなか知らないことばかりで困ります。
たしか土曜お昼の番組でしたっけ? TBSは「王様のブランチ」って。
へえ、本の紹介コーナーなんてものがあったんですか。知―らなんだ、しらなんだ。
いやたまたま手にとった「中央公論」に出演者の対談が載ってたと。それだけなのですが。
そんなワケで松田哲夫さんなるかたも初見です。誰なんでしょね、このヒゲのおじさん?
どうもこの人が紹介してたようですが…ってありゃ、筑摩書房のおエライさんですか。
あすこの文庫はおもしろいんだよなぁ。うん、いつのまにかお世話になってたんですね。
まあ筆者の個人的恩恵はさておいて…。
そんな筑摩書房の松田さん。氏が対談中こんなことを言っていたんです。
ところで、テレビに出演し始めて、かなり早い時期にわかったんですが、テレビで話した言葉って届かないんですね。
二分、三分と時間が短いこともあるんですが、それだけに一生懸命、大事な情報をきちんと伝えようと思う。だけど、テレビの言葉って視聴者に届いていない。けれども、気持ちは届くんですね。これがやっぱり、メディアとしての強さだなという気がした。
…こっちとしては、ものすごく消化不良というか、何もちゃんと伝わってないと思っている。けれども、しっかり気持ちは伝わっている。そういうときには、売り上げにガーンと跳ね返ってくるわけです。
似たようなことを上岡龍太郎さんにうかがったことがございます。
いやむしろ逆かな? 師匠は「空気が伝わらない」とおっしゃりましたから。
劇場における笑いの空気は、あれはテレビを通すとどうしても伝わらない。
ゆえにテレビ全盛になってからの笑いは、芸も芸人さんもそれ相応に変質していった…。
だいたいこんな趣旨でしたかね。筑摩書房『上岡龍太郎かく語りき』より。
もっともコレが松田さんの言うことと相関性があるものか。それは全然わかりませんが。
…筑摩サン、かげながら応援しときましたぜ。ナヌ、とっくのむかしにもう絶版?
まあテレビというのが存外やっかいなシロモノであること。これはまちがいなさそうです。
なんせ松田さん、さらに加えてこんなオソロシイこと言ってますから。
ただし、「ナンバーワン」とか、「涙を流した」とか、いくつか届く言葉があるということも、経験的にわかってくる。…ためしに「ナンバーワン」と「涙」の両方使ってみたら、店頭の本が全部売れちゃったということがありました。だから、それなりに言葉が届いたときのテレビの影響力はすごいなと感じましたね。
いやあ、二つとも大キライなコトバだわ。吐き気がしそうですよ。
おぞましいというかゾッとするというか、カンベンしてくれねえかなってトコロです。
おしつけがましい、なれなれしい。そしてなにより節度を感じません。
…ん、そんな不快感まったくありませんか?
それはすばらしい。おそらくアナタのほうがしあわせに生きていけますよ。
ホント素直にそう思います。なんせテキは影響力のあるコトバなんだから。
実際あきれるほどよく耳にしますしね。なんでどいつもこいつも…というくらいに。
どんなに不愉快だとキイキイわめこうが、個人のわがままなんぞ聞いちゃもらえません。
そんなコトバ敵にまわさぬほうがそら賢明。眉間にムダなしわをつくらずにすみます。
しかももし松田さんの分析どおりであるならば、どうも意図的につかうこともあるらしい。
まあテレビに関しては素人の松田さんが言うんだ。メディア関係者には常識なのでしょう。
軽いやっつけだろうとウンザリしていたのですが…ああ、しんど。
さて…たしかココはスポナビでしたよね?
いいかげんスポーツうんぬんに触れましょうか。めんどくさいことばかり言ってないで。
今までゴチャゴチャよけいなことばかりでしたから。ここは単刀直入に参りましょう。
…ま、九分九厘バレてますよね。われながらあからさまな展開です。
「熱い思い」とやら。アレも視聴者に届く言葉なのでしょうか?
試合前にアレ聞くとねえ…お湯ひっかけてやりたくなるんですよ。やだやだ、キモチ悪い。
だけど…力のあるコトバなのかな? なんせ世のなか知らないことばかりなものでして。
かりに事実なのだとすれば。うん、精神安定剤でも買いましょうかね。
選手の素顔、攻撃的な姿勢、絶対に負けられない…。
posted by 由比彰紀 |15:42 |
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2009年12月08日
大黒柱とは、玄関を上がったところにある太い柱のことなんだそうです。
…いや自信はありませんがね。わたしは大黒柱のある家に住んだ経験がありませんから。
(とある本に床柱と誤解してるじいさんがおりました。オレもどっこいどっこいだ。)
まあ世間サマでは常識なのでしょう。本なんか読んでるとどんどんバカになります。
とはいえ…この「大黒柱」。
このコトバは柱そのものを指すより、比喩として使うほうが一般的じゃありませんか?
一家の大黒柱にチームの大黒柱。いずれも“ささえ”というイメージでしょう。
ついでにただ突っ立ってるヤツは電信柱とか。こーゆーのは揶揄をこめて言いますよね。
言葉とはやっかいなシロモノで、時とともに意味が変化していきます。
たんなる姓が開発者の名から飛行船となり、あげくロックバンドとして来日したりする。
いま使用している言葉にしても十年百年たてば、思いもよらぬ意味に転じることでしょう。
現実に存在しますよね? なにゆえ「貴様」が侮蔑語になったのやら。
数奇な運命にほんろうされ、言の葉は思いもよらぬニュアンスをもつことになるのです。
(「数奇」そのものも原義とはちがうもんね。いまやこの語にマイナスイメージはなかろ。)
前置が長くなりました。本題たるみなさまへの質問に入りましょう
「アンカー」の生い立ちをご存じありませんか?
意味用法は不要でしょう。まずは中盤のスイーパーというところです。
この語はここ数年で一気に広まった感がありますが、どうも出処がよくわかりません。
おそらくは英国原産なのでしょうが、それはここ十年でできたのでしょうか?
それとも元来現地にはサッカー用語として存在し、最近ようやく日本に伝わったのか?
あるいはむかしから日本にあったんですかね? それをボンクラ由比が見過ごしていた…。
うーん、よくわからん。英語に堪能なかた、ポンコツにぜひともご教示ください。
はたして参考になりますか。わたしなりにこのコトバのスケッチをしておきましょう。
この「アンカー」なる語。これはそもそもマケレレを指して使われはじめた気がします。
最初に聞いたのはスカパーでのプレミア中継においてでしたかね。
あれはまだチェルシーはアブラモビッチ・オーナーの景気がよかったころのこと。
その支配二年目の04-05。ドンは新進気鋭の青年モウリーニョを監督に雇いました。
その前年にノーマークのポルトでCLを獲った若造を“買った”んですよねえ…。
なになに、「アンカー」はどこ行った? いや、そのうち出てきますから。しばしお待ちを。
さて三顧の礼をもって迎えられたモウリーニョ。ふたりは天下獲りの筋を語らいます。
そこにて披露されたのが天下三分の計…じゃなかった、例の4-3-3でありまして。
これを実現すべく、モウリーニョは古巣から同志を呼び寄せます。
それがP・フェレイラにR・カルバーリョ。守備の人材ってのがいかにも彼らしい。
ところがかんじんかなめの扇の要、コスチーニャはお呼びがかからなかったんです。
そこにはすでに最高の選手がいましたからね。…いやいや、長いながい道のりでした。
まあそんなこんなでやっとマケレレなのですが…。
彼はすでに前年の03-04、新オーナーの目玉としてR・マドリーから買われておりました。
そのマケレレを新監督が三枚の中盤の底に配置し、チェルシーは強盛を誇ったワケです。
…わたしの記憶ではその翌シーズン。05-06からなんですよね。
突如「アンカー」なる言葉が誕生し、当然のごとく世に流通しだしたのは。
つまり中盤三枚が世のトレンドとして認知された後、にわかに出没したイメージなのです。
「マケレレ・ロール」にとってかわったのが「アンカー」。これがわが認識ですね。
…もっとも以上が事実とは保証しません。しょせん心もとなき記憶ですから。
わたしは試合の録画、まして保存なぞしません。おまけに関連雑誌を買う趣味もない。
となれば記憶なんぞつまらぬ繰言。なんならサギ師のペテンともとれますやね。
サッカー史の発展のためにみなさん! 記憶よりぜひ記録に残すことを心がけてください。
手もとの英和辞書にてanchorの項を引いてみました(辞書はアンカーではありません)。
まず最初の意は「船のいかり」ですね。そんでもって次が「支えになるもの、人」ですか。
なるほど、おそらく原義は“錨”なのでしょう。
それにより船がどっしり腰をおろすイメージから、“ささえ”なる副次意義が生じたと。
フム…なんか「大黒柱」と似てますな。ともに安定をもたらす存在なのでしょう。
となるとコレはやはり英国原産の語でしょうね。原義が日本に定着してるとは思えません。
ナニ? それはキサマが英語を知らないだけ?
うーん、まあそうかもね。高校時代からホント、英語とは相性が悪いものですから…。
今度はウィキペディアで「アンカー」の項を引いてみました。
とりあえず現時点において、サッカー用語の「アンカー」は土着しておらぬようです。
ならば今のうちに由来を示しておきたい。後になればなるほど始末が悪いですから。
「アンカー」は今いくつなのか? 彼はこれまでの人生をどう歩んできたのか?
ささいなことでもぜひご一報を。アナタの証言が事件を解決に導きます。
<おまけ>
しかしつい最近のことがわからんてのはなさけないですね。
そんなワケでこの歌。このコトバの意味も、つい昨日まで知りませんでした。
posted by 由比彰紀 |15:45 |
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2009年11月18日
関係ないハズのものを読んでいて思わずハッとする。ニヤリとする。
わたしにはそんなことがたびたびあります。今回もヘンなものを見つけました。
コレがはたしてサッカーと関係あるのかしら? それはみなさんでご判断ください。
それでは物理学者にして漱石の弟子(友人?)、寺田寅彦の「時事雑感」からどうぞ。
日本人には独創力がないという。また耐久力がないという。これはいかなる程度までの統計的事実であるかがわかりかねる。しかし少なくとも学術研究の方面で従来この二つのものがあまり尊重されなかったことだけは疑いもない事実である。
むかしから日本人論てのはあまり変わり映えしませんね。耐久力は少々意外かな?
なお寺田がこの文を中央公論に発表したのは昭和六年で、西暦でいえば1931年のこと。
今から八十年弱前ということになります。ではではそのつづき。
従来だれもあまり問題にしなかったような題目をつかまえ、あるいは従来行われなかった毛色の変わった研究方法を遂行しようとするものは、たいていだれからも相手にされないか、陰であるいはまともにばかにされるか、あるいは正面の壇上からしかられるにきまっている。
それにもめげず我を通す人間はいずれ抹殺される、と寺田寅彦は述べます。
あ、もちろん寺田はアカデミズムについて言ってるんですよ?
ただ学会固有のこととは思えません。すくなくともわたしには。
どの分野でもさもありなんと感じまして。勤め人、芸術家、あるいはスポーツ…。
つぎにこの現象の要因を、藪柑子は変わり者の側に見ます。
もっとも多くの場合にこのような独創力と耐久力を併有しているような種類の人間は、同時にその性状が奇矯で頑強である場合が多いから、学者と言っても同じく人間であるところの同学や先輩の感情を害することが多いという事実も争われないのである。そういう風変わりな学者の逆境に沈むのは誠にやむを得ないことかもしれない。
そろそろわが立場をはっきりさせておきましょう。
わたしはこの寺田の主張、日本の“9番不在論”を象徴しているように思うんですよ。
むろん唯我独尊男がそのままストライカーになると、そう単純にはいいませんが。
とまれ異形を排除する土壌は感じます。雑草は丹念にぬかれてるんじゃありませんか?
そして火の粉はわれわれに降ってきます。
…またそういう独創的な仕事の常として「きずだらけの玉」といったようなものが多いから、アカデミックな立場から批評してそのきずだけを指摘すればこれを葬り去るのは赤子の手をねじ上げるよりも容易である。そうしてみがけば輝くべき天下の美玉が塵塚に埋められるのである。これも人間的自然現象の一つでどうにもならないかもしれない。
これはまあ、その道でメシ食ってる人だけじゃありませんやね。
口うるさい戦術屋はどこにでもいます。スタジアムにも、居酒屋にも、ネット上にも。
ま、そこを越えてこそ雑草という気もしますが…ムズカシイんでしょうね。
現実問題としていないんでしょ? 釜本邦茂にならぶストライカーは。
ついでなのでもうひとつ。これまたおなじ文のなかに出てきます。
日本人の仕事は…容易には海外の学界に認められにくい。そうして一度海外で認められて逆輸入されるまではなかなか日本の学界では認められないことになっている。海外の学界でもやはり国際的封建的の感情があり、またいろいろな学閥があるので、ことに東洋人の研究などはなかなか目をつけないのである…。
八十年前から降る皮肉は、むしろ現行サッカー界に通ずる気がします。
posted by 由比彰紀 |16:12 |
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2009年10月07日
一九七四年のワールドカップが、西ドイツの国民にとって、二年前のミュンヘン・オリンピックとは比較にならない大成功だったことには疑いの余地がない。
…二年前のミュンヘン・オリンピックを、西ドイツは莫大な労力と資金を費して準備した。その結果、得たものは、パレスチナ・ゲリラの選手村襲撃であり、東ドイツなど社会主義国の国家養成選手の活躍であり、アマチュアリズムの混乱だった。
…ゲリラの襲撃はなかった。…ゲリラのほうも「ワールドカップのじゃまをすれば、世界の大衆を敵に回すことになる」と十分承知していたに違いない。
上記はサッカーマガジン74年8月号増刊から引きました。筆者は牛木素吉郎さん。
牛木さんがゲリラといってるのは、以前も引いた例のブラックセプテンバーのことです。
…しっかしまあムチャ言いよる。いや五輪ビイキが不愉快なのはわかりますけど。
にしてもこの書きぶりは、オリンピックが連中を引き寄せたといわんばかりでしょう。
そもそも有名な特殊部隊GSG9ができたのは、72年の事件がきっかけなんです。
そしてこの事件をひきずった西ドイツ代表の、74年のストレスはいかばかりであったか!
往時の状況は毎度おなじみ『ブンデスリーガ』に克明にえがかれています。
おわかりでしょう? この件で72五輪と74W杯は、比較すべき対象ではないんですよ。
どうも牛木さんという人は、オリンピックがからむととたんに冷静さを失いますね。
これも時代の空気がもたらすのかしら? ま、今の五輪のあつかいもよく知りませんけど。
とはいえ時は74年。66W杯と比しても新聞のあつかいは大きく異なります。
決勝戦の翌日にあたる昭和49年7月8日。朝日新聞の朝刊にこんな記事がありました。
西独、2度目の優勝 〝爆弾男〟ミューラーが決勝点
【ミュンヘン七日=中条特派員】
第十回ワールドカップ・サッカーは地元西独が優勝した。劣勢を伝えられていた西独は開始早々オランダに先制を許したが、地元の利をフルに生かして20分と43分に得点し、オランダを振り切った。西独の優勝は一九五四年以来二十年ぶり二度目。
このあと長々と決勝レポートが続きますがそれはなし。重要な点は記事の前にあります。
気づかれました? 66年と74年とでは、メディアの姿勢に大きな変化があるんですよ。
66年の読売新聞は執筆は記者でしょうが、情報は通信社の打電に頼っていました。
対して74年の朝日は、現地に記者を送りこんで取材させているんです。
この違いはデカイですよ。メディアの態度を変えさせたのは当然国民の空気でしょうから。
牛木さんは70W杯から現地取材しているそうですが、70年の時点で熱は感じられません。
サッカーマガジンにしても70年と74年では、記事の量も質もまるで別物です。
そして多感な少年(少女も?)がそのタイミングで、絶好調のチームを見たとしたら!
…わたしはコレじゃないかと思います。74年のオランダが“衝撃”となった最大の理由は。
74年は日本人の総意において、はじめて望まれたW杯だったのではなかったかと。
…ええ、ガキがテキトー言っとります。74年をご存じのかたはどやしつけてください。
ま、この空想が正しいのかはさておくとして…。
オランダが活躍したこの74W杯は、どのように日本の茶の間に提供されたのでしょうか?
往時のテレビ放映状況をまとめてみました。コチラをご覧ください。
前回のシメの意味がわかるでしょう。日本における74W杯は、決勝戦にて開幕するんです。
その後一年あまり日本のW杯はえんえん続くと。…オフシーズンがないってのはいいなぁ。
ところで…このダイヤモンドサッカーの放映に関し気になることがありまして。
この番組は東京12チャンネルで放送していたワケですが、中継地域事情がわかりません。
全国津々浦々の子どもが見るのは無理でしょう。わが地元福井などはもう絶望的。
しかし関西はどうかな? 明石家さんまさんは「あれは衝撃だった」とよく言ってます。
氏は往時19だったハズ…。となると、松之助師匠に弟子入りしたあとですかね?
だとすれば大阪か、はたまた実家奈良で見ていたのか…。うーん、さっぱりわかりませぬ。
74年をご存じのかたはこの件もぜひ。W杯は日本のどこで見られたのでしょうか?
いかん、本題からズレとる。なにより重要なのはこの放送時期でした。
なんせ開幕は7月7日の決勝生中継。それから一年以上日本の74W杯は開催されるんです。
開幕前から待ち望んでいたのも、あとから聞きつけてのめりこんだ人もいたことでしょう。
二週で一試合のペース配分もいい。サッカーずきの語りも濃密になりそうですから。
そんな彼らをサポートしたのが、現地へ飛んだ記者からのレポートだったと思われます。
ヨハン・クライフは全知全能の神なのか?! 鈴木武士
「クライフのための大会」―ある欧州のサッカー専門家がこう断言しているのを、大会前に聞いたがひょっとすると本当にそうなるかもしれない。
…クライフはなんでもやった。二人の敵が同時にタックルをかけてきたら、ひょいと空中へ舞い上がり、再び地上へ降りると同時に後ろへパスを出すといった妙技まで披露した。
…ニースケンス、シュルビアらを手足のごとく使い、彼らがシュートする体勢を作るきわめて効果的なパスを送る。味方の選手のポジションが悪いと大声で指示し、時にはレフェリーの役まで買って出る…。
もう何でも自分でやる男だ。あまりにすべてを自分でやりすぎるため、クライフがいなくなったら、オランダはどうなってしまうのだろうかと気になるくらいである。
サッカーマガジン8月号から。雑誌が発売されたのは六月のおわりでしょう。
現地で観戦した鈴木記者にとっても、オランダ・ショックはまばゆかったようですね。
そしてもうお気づきでしょうが、“衝撃”の比重はオランダよりむしろクライフにあります。
むろんクライフのうまさは一目瞭然ですが…。鈴木さん、やや熱しすぎの感があるなぁ。
(牛木さんはこの点さばけてます。五輪がからまなければ冷静な人なんですよね。)
これに対しクライフに冷淡なのがエリック・バッティ大先生です。
バッティさんは74W杯について、9月号で岡野俊一郎氏との対談にのぞみました。
そこでポーランドのデイナとガドーハを称賛し、対してクライフをこう評しています。
なるほどオランダのクライフは、今度のワールドカップの中で、戦術的にもっともすぐれたプレーヤーだ。しかしデイナやガドーハが90分間フルにプレーしたのにくらべて、クライフは5分か10分しか本当のプレーをしない。前線へ突進してすばらしい働きをしたかと思うと次には突っ立ったままで、あそこへパスを出せ、お前はあっちへ行け、と指図ばかりしていて、自分自身では何もしていない。交通巡査と同じだ。
…彼のような天才的な選手にはよくある例だ。ずっと続けて集中していることができないんだ。
ダイジェストだけだとこういう面がわからないんですよね。ま、想像はつきますけど。
とりあえずブラジル戦を。彼が目だたぬシーンが、つまりはそうなのやもしれません。
だけど…そういう一面もカッコよく映ったんじゃありませんか? 孟子を出すまでもなく。
人に使われる者と使う者。華やかで目を引くのはあきらかに後者ですから。
左手で指示する例の写真はナポレオンみたいですもんね。交通巡査かもしれないけどさ。
「才能に論議の余地がない」が「本当に重要なゲームで本領を輝かすのに失敗してきた」
バッティはクライフをこう評し、以下のように述べます。
クライフはサッカーから巨額の富を築いたことで、フットボールへの貪欲を失ってしまったように思われる…。クライフはアムステルダムの父親のない貧しい少年から、はるかに変わってしまった。
今や、私の知る限り、彼は銀行に八百万オランダ・ギルダーの預金を持つ大金持なのであり、そこにこそ、現代サッカーの悲劇がある……。
キライなんですよ、このテの言いまわし。他人がナンボかせごうが知ったこっちゃねえや。
まあ今もよく聞く批判ですけど。ヨッパライのオッサンがくだ巻いてそうです。
サッカーの進化うんぬんは知りませんが、見るがわはむかしも今も大差ないのかな。
カネってのは情緒に響くコトバのようで。人の業を見る気がします。
ならば…世界じゅうのサッカーメディアは、とっととR・マドリーに納税したほうがいい。
夏にゃさんざ世話になったでしょうよ。ウソ記事掘る必要がないくらいに。
とくにヨーロッパのメディアは必須だ。アンタらの主、イエスさまは仰せじゃないか。
「カエサルのものはカエサルに」って。全知全能の神様が言うんだからさ。
<おまけ>
山本コウタローさんで行こうかとも思ったのですが…この曲。
この精神でいいんじゃないかなぁ。
posted by 由比彰紀 |15:59 |
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