2008年09月05日

サウンド・オブ・オリンピック

北京五輪が終了したのにともなって、ロサンゼルスから続いてきた五輪野球は途切れることとなりました。テレビ局に毎日しつこく流れていた「これが最後の五輪」という将来の可能性を排除しまくった煽りや、洗脳かのように続けられていた「ロンドンで一旦お休み」の統制も終わってしまえばそこまで、凪のように音沙汰なくなった様子を見れば見るほど本当に五輪野球が今終わったのだという実感がわいてきます。日本の敗北と共に足早に去ってしまった北京を見てもついこの間までの熱狂はそこにはなく、五輪の野球はたったの一週間も持たずに過ぎ去った過去に成り果ててしまったという事なのかもしれません。五輪前の予定だと、本来ならこのエントリは「何故五輪から野球が外れてしまったのか」という事を今一度考えるべき内容だったはずなのですが、日本にとってある意味「忘れたい事実」だけが残る形になってしまった祭りの跡には、反省と言うよりは後悔しか見当たらず、それを語るには億劫な状態になってしまいました。「何故野球が五輪から外れてしまったのか」を語るのが後悔に見えるのならば、野球が五輪へ新たな道を歩みだすには「どうすれば五輪に復帰できるのか」を見たくも無い過去から切り口を変えた反省として導き出す必要があります。



そもそも何故そんな見たくも無い過去を振り返らなければならなかったのかと言うと、それはそもそもこのブログが世界の野球の話をするはずのブログだったからで、何故そもそもこのブログが世界の野球の話をするはずのブログだったのかというと、それはそもそも五輪がなくなっちゃいましたーなんて事になったからで、何故そもそも五輪がなくなっちゃいましたーなんて事になったのかというと、そもそも五輪なんてあったもんだから五輪から無くなって困ってる訳なのです。そうやって改めて考えてみれば「そもそも五輪に何故野球という競技がはいれたのか」は、「何故野球は五輪から外されたか」に直結する問題ながら、あんまり語られません。野球が五輪に復帰できる理由があるとするなら、それはすなわち過去に野球が五輪に入った理由であると見てもそうそう間違いではないでしょう。「そもそも何故この後におよんでもローカル競技と呼ばれる野球が五輪に参加することになったのか」、その疑問の根は、通常語られる五輪野球の歴史よりはるか昔、今から70年前程に端を持っています。



五輪における野球の歴史という事で見れば、五輪にはじめて野球がお目見えしたのは1904年セントルイスのことです。しかしこの当時のオリンピックは10数国といった今からでは考えも及ばないような小規模な大会で、大リーグもまだ成立からたったの30年。スポーツの種類も多く認識されていなかった時代ですし、だからこそアメリカのご当地スポーツを開催できたという事かもしれません。その後のストックホルムでも引き継がれる形で野球はデモンストレーションとして開催されましたが、まぁ当たり前と言うかなんというか、セントルイスから始まった野球の五輪参加への流れはこの2大会ですっぱり止まってしまいました。一度アメリカを出たら一発で途絶えた野球の流れが五輪に戻ってきたのは1936年、ドイツベルリンオリンピック、そしてこの第ニ波こそ、後のロサンゼルスオリンピックへの流れの源流となる流れのはじまり。そして五輪自身にとっても、ナチスドイツによるこのオリンピックは、その後の開催の方向性を決める流れの源流となった大会となりました。ヒットラーのための五輪、ナチスドイツオリンピックと呼ばれるこの大会は、言わば近代五輪のはじまりとも言える大会でした。



1914年に勃発した第一次世界大戦、英米仏露伊の連合国に敗北した中央同盟国ドイツ、オーストリアは崩壊し、両国の社会は混迷を迎えていました。特にドイツでは1921年のロンドン会議において決められた多額の賠償金や領土割譲によって国民の不満が爆発、膨大な借金の返済をまかなうための紙幣発行により今のジンバブエ並みのインフレが起きるなどなどの混迷状態、そこへ1929年の世界恐慌が追い討ちをかけ、事実どうにもならない状態だったのです。そんな状態のドイツ国民が求めたのはもちろんドイツの再建、忍び寄る共産主義の傾向、そんな状況を今一度「強いドイツ」のもとまとめあげていったのが、アドルフ・ヒットラー率いるナチス。選挙を経て第一党となったナチスは、よくその宣伝力や人身掌握力に着目され語られます。ドイツをまとめる上で共産主義や旧連合、ユダヤの人々といった分かり易い敵を作り上げ、その力を分かりやすく内外に示し喧伝する。世界中の目が集まる五輪は、まさにうってつけの広告媒体でした。



ベルリンオリンピックから始まった聖火リレーはもっともわかりやすい例で、結局のところ「ベルリン五輪」すなわちそれを開催する「ナチス」の権威を世界に広告する一番の方法となりましたし、地味なところではテレビ中継や記録映画など多くの媒体でも広告しています。本音は今となっては聞けませんが、ナチスドイツのもと、五輪は「国際社会においてその力や権威を示す」事に使われる、政治的なものへとかわっていきました。野球も同じく第一次世界大戦、連合国アメリカの慰問として欧州に持ち込まれその地で徐々に定着を見せていました。しかし運命のめぐり合わせは皮肉なもので、そうした流れにおいて野球を欧州で初めて認めたのは五輪を控えていたナチスドイツ。結果として野球は、一次大戦中敵国であったナチスドイツによって、成功を約束された上で欧州の表舞台に登場することとなったのです。



野球の近代五輪初お目見えとなった大会であるベルリン五輪ですが、あんまりインターネット上に情報が無い為、素人ながら簡単に解説しますと、大変盛り上がった反面、大変盛り上がりませんでした。グライダーとともにデモンストレーションとして開催されることとなった野球は、当時五輪内でバスケットとともにアメリカがロビー活動を激しくしていた競技でした。皆さんご存知のとおりアメリカはスポーツで独自の文化圏を築いている国ですので、今でもその傾向がありますが当時はスポーツの祭典五輪といえども陸上競技以外はあんまり見所がなく、彼等には五輪の舞台にどうしてもアメリカ産のスポーツをいれる必要があったのです。現実大会中陸上競技終了とともに行われた野球は陸上からあぶれたアメリカ人も多く集め、五輪全競技中でも異例の11万人という大観衆を記録、一躍大盛り上がりのダークホース競技へとなりました。しかしもちろん、当時のドイツ人の野球及びアメリカンスポーツへの熱は高いわけではありません。野球競技開催に伴って事前に野球のルールの説明会を市民に開いたりもしたのですが、それでも観客の多くは野球のルールを把握できず、アナウンサーさえもが野球を解説できない中フライが上がれば大歓声といった始末。そもそも競技場もサッカーのネットをネットがわりにして白いテープでラインを引いたような突貫っぷりで、照明の不良加減も相まって試合は混沌と化し、観客のほぼほとんどは途中で退席してしまったという有様でした。



参加チームもUSAオリンピアズとワールズアマチュアズというチームだけで国家対抗戦でもありませんでしたし、確かに五輪野球に関わっている人たちもこれを最初の近代五輪野球というのは気が引けるのかもしれません。しかし10万超えという観客数と失敗許されぬドイツ民族は結果的に野球を助け、この大会での「成功」をもって次回の開催地である1940年東京五輪で野球は引き継がれることになりました。同時に行われたデモンストレーション競技であるグライダーはオーストリアチームから死者を出し、軍備拡大に熱心だったドイツ空軍の副産物として競技の五輪化が頓挫していますので、確かにあの日、野球は国際競技への、五輪の中核協議への道を歩みだしていたのでしょう。野球はこの晴れ舞台でのお目見えがきっかけとなり、1938年スイスローザンヌにて国際野球連盟発足、同年はじめてのW杯が開催されイギリスがアメリカを下して初優勝、そして次回五輪。ベルリンオリンピックを燃料にどんどんと進められた野球の国際化、しかし皮肉にも、その流れを止めたのも同じくナチスドイツ、そして大戦争の存在でした。



ベルリン五輪開催の為に軍事独裁的な性格を抑えていたナチスは、五輪の終了と共に主義政策を表面化させ、反ユダヤ、失地回復、共産連合との対立と段階を踏み1939年の第二次世界大戦の勃発へ駒を進めていきます。6年越しの争いとなった第二次世界大戦は、1940年開催予定だった東京の棄権、1944年開催だったロンドンの見送りと、両大会の中止を招き、五輪への野球参加の動きを断絶。野球そのものをとっても、長きに渡り二次大戦の戦場となった欧州から撤退せざるを得ず、ようやくはじまったワールドカップも逃げるように中南米の持ち回りの大会となり、芽吹き始めていた欧州での野球の芽は、とても抗いようの無い大きな流れの中で忘れられていきました。現在欧州で野球が行われていない理由の全てをここに求めるのは正しい話ではありませんが、残念ながら歴史的な事実として、この時代野球は欧州で生き残れるような状態にはなかったのです。



長きに渡る野球の新大陸での引きこもり時代の間も、国際政治、そして五輪の状態も目まぐるしくかわっていきました。枢軸という目下の敵を失った連合・共産の両陣営は矛先を探すようにして対立を深め、植民地時代の終わりと共に各地域では独立の流れが起き、そしてその二つが絡み合うようにして、時代は「資本主義」と「共産主義」の代理戦争の時代「冷戦」の時代へと突入していきます。五輪に体現した例をなぞれば、各地で起きた動乱に対してのボイコットが相次いだ1956年メルボルン、枢軸側から資本主義と言う枠組みに組み入れられ国際社会の中心へ復帰を果たしたローマ、東京の五輪開催、今なお独立時の対立を引きずっているパレスチナ問題を表面化させたミュンヘンオリンピックなどなどという流れで主要なところは抑えられるでしょうか。徐々に加熱していく東西対立の色を見せていた五輪でしたが、1980年、ついに東側陣営であるソ連のモスクワに聖火が渡ったことにより、この問題は頂点を極めました。西側からしてみれば奪われたような五輪に、ボイコットが50国近くにのぼる異常事態が発生。ベルリンから進められた「政治的性格」を持つ五輪は一人歩きし、いつしか五輪を単なる政治の意思発信の場にまで貶める状況に成り果てていました。



モスクワで一度休止となってしまった西側にとっての五輪、西側諸国にしてみれば当然次回五輪は持ち回りで西側諸国が行うものにしたかったところだったのでしょうが、それに反し、1984年の開催国は中々手が挙がらない自体に陥ります。ベルリン以降国家の威信をかけた一大イベントとして規模を急激に大きくしてきた五輪も、その膨張には限界があった、ということでしょう。1976年のモントリオール五輪で大赤字を計上し、その後四半世紀都市に負担を続ける経済状況が露呈した五輪に、世界各国は及び腰になってしまっていました。五輪を西に取り戻す、しかし経済的に負担の大きい五輪は行いたくない、そうした葛藤の結果、ついに西側の盟主アメリカ・ロサンゼルスは開催へ向け一つの方針を生み出します。それこそが現代の五輪へ通ずる「国威発揚五輪」の次の概念「売り物としての五輪」、都市に負担をかけず五輪をコンテンツとして売れる範囲内で開催する、経済的な五輪のあり方でした。しかし先ほども言ったとおり、スポーツ独自文化圏であるアメリカにおいて五輪競技はそこまで注目が集まるものではなく、特に五輪のキラーコンテンツである「サッカー」が伸び悩むという特殊な状況がアメリカにおける五輪開催のネックとなります。



アメリカにおいて五輪の黒字化を目指すのならば、どうにかしてアメリカ人の目が集まる競技を開く必要がある。一方その頃、野球は1970年のワールドカップ欧州勢初参加からアジア大会と、中米持ち回りのローカル大会から脱出、新たな国際化へまたロビー活動を強くしていました。アメリカとしてのスポーツを求めるロサンゼルス、国際化への舞台を求める野球、1936年のドイツから半世紀、ここで五輪と野球は再び流れを交える事になります。歴史の流れで欧州を追いやられた野球は、歴史の流れでデモンストレーションではない「公開競技」として五輪に復活することになったのです。



という事で「なんで野球みたいな競技が五輪に参加できることとなったの?」、前半セントルイス五輪からロサンゼルス五輪まででした。次回は公開競技となってから北京で追い出されるまで、「なんで野球は五輪から追い出されることになったの?」部分を検証して行きたいと思います。まぁ歴史的事実をのべているだけの内容ではないので主観は入りまくってはいますが、歴史的な検証が甘いのは素人判断という事でお許し下さい。

長すぎる。

  • 共通ジャンル:

posted by shoeless |11:07 | 国際大会 | コメント(2) | トラックバック(1)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

トラックバックURL
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shoeless/tb_ping/201
この記事に対するトラックバック一覧
オススメ・スポンサーサイト「オフィス」 【職務経歴書の書き方】

2008-08-29 11:37 | 続きを読む
この記事に対するコメント一覧
(事務局では、サービス全体の雰囲気醸成の為、全コメントをフィルター/目視チェックし、削除等しております。見逃し等も有りますので、ご不快な思いをされた場合は、事務局宛 support@plus-blog.sportsnavi.com にご意見頂けると幸いです。)
Re:サウンド・オブ・オリンピック

コメント投稿者ID :

興味深く読ませてもらいました。少し位長くても、歴史的事実にできるだけ、忠実なほうが良いと思います。

posted by kamiauspo | 2008-08-29 13:03

サウンド・オブ・オリンピック

コメント投稿者ID :

そう言っていただけるとありがたい話です。もし歴史的な事実や状況証拠で考えられる範囲をこえていたら、是非是非ご指摘をお願いします。

実はこのブログ以前から冗漫な文章で「なげーよ」と顰蹙を買っておりまして、うけが良くなさそうなので色々と考えていたところでした。長くする大義名分をいただけて嬉しい限りです。

コメントへのレスも長い。

posted by 管理人 | 2008-08-29 13:46

コメントする

「他サービスID/メールアドレス」で投稿する場合は、そのID/メールアドレスは表示されず、当サービス専用の固定のコメント投稿者ID「英数+連番」に変換され表示します。

※コメント投稿手順
(1)上記リストから希望のIDを選択する。
  例: Yahoo! JAPAN IDでコメント投稿
(2)Yahoo! JAPAN上の本人確認画面でIDとパスワードを入力する。
(3)スポーツナビ+blog側のコメント入力画面が表示される。
(4)コメント本文を記入し、投稿ボタンをクリックする。
(5)コメント投稿者IDとコメントが表示される。

詳しくは以下2ページをご覧下さい
【仕様変更】PCからのコメント投稿について
ブログ利用マニュアル「コメント投稿方法」

※コメント投稿手順
(1)上記リストからログイン/メールアドレスのどちらかを選択する。
  例: ログインしてコメント投稿
(2)plus-blogのアカウントとパスワード/メールアドレスを入力する。
(3)コメント入力画面が表示される。
(4)コメント本文を記入し、投稿ボタンをクリックする。
(5)コメント投稿者IDとコメントが表示される。

詳しくは以下2ページをご覧下さい
【仕様変更】PCからのコメント投稿について
ブログ利用マニュアル「コメント投稿方法」