2007年02月13日
スパイス&ハーブ
「2時間過ぎてからが勝負なんだよね。そういう選手がいなくなったよなぁ」 “円谷幸吉選手と走ろう”をキャッチフレーズにスタートした 今年で41回目を迎える青梅マラソンの会場で、 50歳を少し過ぎただろうベテラン市民ランナーは 弊社ブースの前でこぼすように話していました。 実は、瀬古利彦さんの初めてのご著書『瀬古利彦マラソンの真髄』が 昨年末に出来上がり、その出版を記念してマラソン大会の会場で このところサイン会を行っています。 青梅マラソンもその一つで、2度に渡る午前午後のサイン会では、 340冊もの本が瀬古さんのサインが記され、ファンの方の手に渡りました。 1日のサイン会でこれだけ売れるのには理由があるはずです。 冒頭のランナーのセリフも、そのひとつの証かもしれません。 確かに瀬古さんの走りは、最後まで目が離せませんでした。 ときには競技場に入ってからも勝敗が分からないレースもありました。 じっと人の後ろについていって、最後の最後で鮮やかに抜き去る-。 S&Bの赤いユニフォームを身にまとった一人の天才ランナーには、 競馬でいえば、強烈な末足をみせたディープインパクトのような そんな印象を、少なくともこの日、青梅でサイン本を手にした 多くの人たちは持っていたのかもしれません。 ただ、そんな瀬古さんも、 15レース中10レースを勝った瀬古さんでも、 ついぞオリンピックではメダルを手にすることはできませんでした。 “幻のモスクワ”も入れると、ロス(14位)、 ソウル(9位)と3大会で代表となり、 国民の期待を一身に受けて、最後まで走り切りました。 「私のことを人は天才だと言うけれど、 天才は天才でも天の災いの天災の人生だよ」 と語る日本が世界に誇るマラソン界のスピードスターは、 挫折を味わったことこそ自分にとっての財産だと サイン会の合間に、しみじみと、話してくれました。 「今日は340人の人に直接本が手渡せて良かったよ」 選手を引退し、監督としても一線を退いた 今だからこそ書いておきたいことがある-。 瀬古さんメッセージは、次世代のランナーたちへの 大きな期待に他なりません。 一躍スターダムにのし上がったインターハイ連覇。 涙に明け暮れたロス留学時代。 名将・中村清監督と二人三脚で過ごした早稲田時代。 天才・瀬古利彦の半生が詰まった『瀬古利彦マラソンの真髄』。 ぜひ、みなさんも一度手にしてみてください。 ちなみに。 S&Bが「スパイス&ハーブ」の略だと知ったのは、 瀬古さんから名刺をいただいた、つい最近の話です。 瀬古利彦マラソンの真髄(定価1680円)
posted by seminar |20:43 |
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