2007年02月28日

ワグナーと古田のスポーツカード

今日のスポーツ紙に、ホーナス・ワグナー選手のスポーツカードが、史上最高額で取引されたことが掲載されていました。当時はタバコのおまけだったこのカードが、235万ドル(約2億8800万円)というから驚きです。ワグナーはタバコを吸わなかったため、早々に回収されたことによって市場に出回った枚数が少ないことなどがプレミア感を高めているようです。

スポーツカードの話では、必ずと言っていいほど紹介されるカードの中の1枚です。そのためか、日本ではワグナーの野球選手としての傑出した実績よりも、非常にレアなベースボールカードとして紹介されることの方が多いような気がします。

ホーナス・ワグナーは、1874年生まれ。1897年にメジャーデビューを果たし、1900年から17シーズンをパイレーツで過ごしています。その間、首位打者を8回、打点王を4回、盗塁王を5回獲得するなど、メジャー・リーグを代表する強打の遊撃手として鳴らしています。

当然のことながら第1回の野球殿堂入りメンバーで、書籍などでよく掲載されている2列に並んで撮られた記念写真では、ウォルター・ジョンソン投手や、ジョージ・シスラー選手らに混じって、後列の左端に立っています。ちなみに椅子に腰掛けた前列は、サイ・ヤング投手、コニー・マック監督、ベーブ・ルース選手、エディ・コリンズ選手でした。

ところで、入社したての頃、ベースボールカードの制作にほんの少し携わったことがあります。カードに使用する原稿が、手書き原稿で印刷所に入稿されていた時代です。そのときに作業台にしていた机の引き出しから、古田敦也捕手(現東京ヤクルト監督兼選手)のカードを見つけたことがあります。

よく見ると左利きの古田捕手。そう、ポジフィルムが裏焼きされ、それがそのままカードになったものでした。カードコレクターの方ならよくご存じの1枚だったのですが、当時の私にはこれが非常に価値のあるカードだとの認識はありませんでした。

もちろん、ワグナーほどの高値は付くはずはないのですが、無造作に放置されていた状況から察するに、その当時、制作を行っていた人たちにとっては校正ミスの1枚という認識の方が強かったような気がします。価値の基準をどこに置くかは人によって異なります。カードを制作していた編集者にとっては、校正でミス(写真が裏焼きだったこと)してしまったことの方が、印象に残った1枚だったに違いありません。


ベースボールアンケートvol.88 
テーマ=「松坂はメジャーで新人王を獲得する?」 
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2007年02月27日

縦縞のユニフォーム

 縦縞のユニフォームといえば、日本ならば阪神タイガースを真っ先ににイメージされる方が多いはず。とはいえ、広島東洋カープ、東京ヤクルト・スワローズ、千葉ロッテ・マリーンズも縦縞のユニフォームを持っていますから、縦縞が阪神だけの専売特許ではないとも言えます。

 阪神は1936年の大阪タイガース創設時から縦縞のユニフォームを使っていましたが、1948年頃、縦縞はいったん姿を消します。その理由をBBM社から出版されている「プロ野球ユニフォーム物語」(文・綱島理友/綿谷寛)では、戦後の物資不足が原因では・・・紹介しています。ちなみに、縦縞が復活するのは1953年です(詳しくは同書をご覧下さい)。

 海の向こうメジャー・リーグならばピンストライプのニューヨーク・ヤンキースが有名ですね。もちろん、昨年のワールド・シリーズ王者のデトロイト・タイガースも縦縞のユニフォームを持っていますから、こちらもヤンキースの専売特許というわけではありません。

 ヤンキースの前身ニューヨーク・ハイランダーズのユニフォームにピンストライプが使われたのは1912年4月11日の地元開幕試合でした。もっとも、それより以前に縦縞のユニフォームを着たチームは存在していましたし、ヤンキースもピンストライプはこの年だけで、翌年から2年間はピンストライプが入っていないユニフォームを着てプレーすることになります。

 1915年にピンストライプは復活し、今のような形になったのは1936年からと言われています。ベーブ・ルースがヤンキースに加わったのが1920年ですから、それよりも8年ほど前に、今やトレードマークともなっているピンストライプのユニフォームがお目見えしていたのです。このあたりの情報はWEB上ではたくさん紹介されているので、ご存じの方は多いはずですね。

 ルース入団後、ヤンキースは全盛を迎えることになります。強いヤンキースとピンストライプは人々の脳裏に強く焼付けられたに違いありません。もし、ルースが入団せず、チームも爆発的な強さを見せることがなかったのなら、ピンストライプ=ヤンキースのような刷り込みは起こらなかったのかも知れません。

 阪神も、草創期に活躍した酒仙投手西村幸生、強打の景浦将、松木謙治郎らスター選手の活躍によって巨人と覇権を競っていた当時のイメージが、脈々を受け継がれているのかも知れません。私たちは良かった頃のイメージをいつまでも持っているものです。運動不足のお父さんが、久々にプレーしたソフトボールで肉離れを起こすことがありますが、昔のイメージのまま体を動かしてしまうことは多々あるものです。

 例えは良くなかったかも知れませんが、それくらいイメージは私たちの体に染みついているものですから、縦縞のイメージが人々に阪神やヤンキースを連想させてしまうのは、当然と言えば当然なのかも知れません。


 話は変わりますが、今日はスポーツクリックのコンテンツ更新日です。ためになる内容が詰まっていますので、是非一度ご覧になってください。
・ソフトテニス:グレードアップ技術特集 第10回:ストロークの打ち分け楽勝レッスン! 
 http://www.sportsclick.jp/s_tennis/index.html
・ボウリング:The Big Shot! 第8回:ピート・ウエーバー
 http://www.sportsclick.jp/bowling/index.html
・ラグビー:ナワル塾 第4回:Let’s play!Try it!スキルアップ講座
 http://www.sportsclick.jp/rugby/index.html
・水泳:萩原智子 特選「ポイントレッスン」第10回:スタート台からの飛び込み
 http://www.sportsclick.jp/swimming/index.html
・柔道:これで君も柔道博士 第10回:「選手権」と「選士権」
 http://www.sportsclick.jp/judo/index.html
・格闘技:由佳一丁☆ 筋肉痛 
 http://www.sportsclick.jp/combat/column01/index22.html


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2007年02月23日

よいプレーを見抜く眼を持とう!

素人が見てもよく分からないけれど、見る人が見れば素晴らしいプレーというのが、スポーツには多々あります。特にチームスポーツにおいては、華やかシュートなどに目がいくことが多いのですが、それを引き出した他の選手の動きは、表だって評価されることはありません。

確かにスポーツニュースなどでは、解説者がそういったプレーを解説してくれるケースはありますが、スタジアムで観戦中にそんなことを気にする人はそれほど多くはないはず。もちろん、雰囲気を楽しむこともスポーツの楽しみ方の1つですから、そのことを否定するつもりはありません。

以前、順天堂大学サッカー部監督の吉村さんを取材したことがありました。吉村さんのオランダ留学中の話の中で、オランダのファンは、目立たないが素晴らしいプレーを引き出した選手の動きを、評価する目を持っているという指摘がありました。

そういったプレーに対する評価は、サッカースクールで教えられるというよりも親から子へと受け継がれてきているとのこと。スタジアムからの帰り道、日本人の親子ならロナウジーニョの素晴らしいフェイントが話題になるのでしょうが、オランダでは、それよりも相手の素晴らしいプレーを引き出した選手の動きを話題にするというのです。

吉村さんは“この差が大きいんだよ”と力説されていましたが、サッカーに限らず、華やかプレーを支える地味だが大切な動きを知るということは、特にこれから大きく成長する子供たちにとっては、とても重要なことに違いありません。

もちろん、私たちファンの側にとっても学ぶべき大切なポイントであることに変わりはありません。なぜなら、スポーツの発展はプレーの華やかさや地味さを抜きにして、よいプレーを見抜く眼を持ったファンによって支えられているからです。

うわべだけのニュースに左右されない、本当のスポーツに対する眼力を持つことで、私たちのスポーツの楽しみ方は何倍にも膨らむのではないでしょうか。

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2007年02月22日

2月2日生まれた名選手は?

何かを書こうと思ってもなかなか筆が進まないことがありますが、今日はまさにそんな日。とは言えブログは継続することが大事と頭をひねった結果、今日が誕生日のアスリートを捜すことにしました。

2月22日に生まれたアスリートを調べていくと、まずはメジャー・リーグのスパーキー・アンダーソン(1934年)を筆頭に、サッカーのデニス・ロー(1940年)、F1レーサーのニキ・ラウダ(1949年)、バスケットボールのジュリアス・アービング(1950年)、ゴルファーのビジェイ・シン(1963年)、テニスのマイケル=チャン(1972年)らをリストアップできました。

スパーキー・アンダーソンは、ナ・リーグ、ア・リーグの両方で初の800勝を記録し、75、76年にはレッズで、84年にはタイガースでワールド・シリーズを制し、両リーグで世界一となっている名将です。特に76年は、プレイオフ、ワールド・シリーズ共に無敗で制しています。最初の監督就任の記者会見では、記者たちがどんな人物なのか知らなかったというのは有名な話です。

デニス・ローは、スコットランドを代表するストライカーで、「ジャックナイフ」の異名を取った鋭いヘディングが有名。ワールドカップは1974年大会の1試合のみの出場でしたが、1964年にはスコットランドで唯一の欧州年間最優秀選手(=バロンドール)に輝いています。

ニキ・ラウダは、フェラーリやマクラーレンなどで活躍し、ワールド・チャンピオンに3度輝く名ドライバーでした。1976年のドイツGPではクラッシュで大やけどを負いますが、僅か6週間でレースに復帰した話は有名です。引退後は航空会社(ニキ航空)を経営しています。

ジュリアス・アービングは、1970~80年代にかけてのABAやNBAで活躍したスーパースターでした。Dr.Jのニックネームで親しまれたダンクシュートの名手が、1976年のオールスター・ゲームのハーフタイムで見せたフリースローラインから跳躍してのダンクシュートは、バスケットボールファンならずとも知っている方は多いはずです。

まだ現役で活躍しているビジェイ・シンは、今年1月に行われたPGAツアーで優勝し、40代にしてPGA通算18勝を挙げるというツアー新記録を樹立しています。シンよりも若いマイケル・チャンは2003年に31歳で引退していますが、1989年の全仏オープンでは17歳3カ月という史上最年少でグランドスラムを制しています。

それぞれのスポーツが好きな方なら、個々の選手のことはもっとよくご存知かも知れませんが、誕生日をもとにスポーツを見ていくだけでも、これだけの名選手がリストアップできました。スポーツは話題に事欠かない分野だと、改めて感心させられた次第です。


・『ベースボールマガジン春季号』では、「今季の順位はこうなる!!」と題した読者アンケートを募集しています。
https://www.bbm-data.com/sportsclick/baseball/baseball-q/index.html

・ベースボールアンケートvol.87のテーマは「楽天・田中は今季先発ローテ入りする?」 です。
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2007年02月20日

マラソンの距離が42.195kmになったのはいつから?

 2月18日に行われた第1回東京マラソンでは、東京の街中を約3万人のランナーが走り抜けました。42.195kmも走るんだから大変だなぁ~とTVを見ながら感心していると、家人から、「マラソンっていつから42.195kmになったの?」という質問。即答はできず、結局調べるはめになりました。

 皆さんご存じの通り、マラソンは今から2500年ほど前、地中海の小国アテネがマラトンの戦いで大国ペルシャに勝利したことを伝えるために兵士がマラトンからアテネまでを走り、勝利を伝えて息を引き取ったという故事にちなんで、1896年の第1回アテネ・オリンピックを実施する際に、マラトンからアテネのパンティアナ競技場までの約40km走る競技として行われています。

 ちなみに第1回は約40km。第2回のパリ大会が40.26km、第3回のセントルイス大会が40kmでした。第4回ロンドン大会で初めて42.195kmとなっています。この大会でも40km程度にする予定だったと言われています。スタートはイギリス王室所有のウィンザー城。このとき、イギリス国王ジョージ5世のお妃メアリーが、皇室育児室の窓の下にスタート点を移してほしいと要望したため、端数が出てしまい、結果として42.195kmとなったのです。

 第5回ストックホルム大会は40.2kmでしたから、ロンドン大会が契機となってマラソンの距離が42.195kmとなったかと言えば、そんなことはありませんでした。結局、1924年の第8回パリ大会の時に、マラソンの距離は正式に42.195kmとなっています。

 2000年のシドニー大会・女子マラソンは高橋尚子選手が優勝していますが、猛烈な勢いで追い上げてきたリディア・シモン選手の姿を今でも覚えている方は多いと思います。マラソンの距離が大会によって異なり、シドニー大会が43kmだったとしたら、順位が入れ替わっていたのかも知れません。あるいは、1964年の東京大会での男子マラソンが40kmだったら、円谷幸吉選手はベイジル・ヒートリー選手に抜かれず銀メダルに輝いていたのかも知れませんね。


・『ベースボールマガジン春季号』では、「今季の順位はこうなる!!」と題した読者アンケートを募集しています。
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・ベースボールアンケートvol.87のテーマは「楽天・田中は今季先発ローテ入りする?」 です。
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2007年02月19日

文字でスポーツを説明する難しさ

子供向けのスポーツ競技の説明原稿を作っていたため、なかなか更新ができませんでした。
普段、何気なく楽しんでいるスポーツを、文字にして説明しようとするとこれが意外に大変。
たいていの競技は、色々な書籍や雑誌とにらめっこしながら原稿を考えていきます。

例えばテニスは、「コート中央にはったネットをはさんで、ラケットを使ってワンバウンドかノーバウンドでボールを打ち合うスポーツです。試合には、男女のシングルス、男女のダブルス、混合ダブルスがあります・・・」となりました。

バレーボールの場合は、「1チーム6人でおこなうボールゲームです。ネットをはさんだ2チームが、ボールを床に落とさないように打ち合います。ボールには3回までタッチすることができますが、1人の選手は相手の攻撃をブロックした場合をのぞき、ボールに1度しかタッチできません・・・」となりました。

中には、何も参考にせずにいきなり書き始めた競技もありました。その中の1つがサッカーでした。ちなみに、サッカーは次のように表現しました。

「サッカーは1チーム11人で行うボールゲームです。ゴールを守るキーパー以外は、手や腕を使うことはできません。フィールドプレーヤーとよばれるそのほかの10人の選手は、キックやヘディングなどでボールをパスしながら相手ゴールをめざし、シュートを決めると得点になります・・・」

確かに、オフサイドなどを説明する場合は、多少の工夫はいるのかも知れませんが、競技そのものの持つシンプルさは、競技の普及に大きな役割を果たしているのかも知れません。

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2007年02月06日

5種競技とメジャー・リーガーJim Thorpe

 野球だけでなく他のスポーツにおいても、速く走ることができるにこしたことはありません。もちろん、競技によって求められる速さは異なることも事実。短い塁間を走る野球やソフトボールの選手に、陸上競技の100m走のような走りは必要ありません。

 陸上競技のスプリンターだからといって、アメリカンフットボールの名ランナーになれるかと言えば、必ずしもそうではありません。プロ野球の通算盗塁数の日本記録を持っている福本豊さんが、100mを10秒台で走ることができたかと言えば、そんなことはないでしょう。

 もちろん、そんな両方の要素を兼ね備えたスーパースプリンターも、過去に存在したことは確かです。その代表格が、20世紀前半に活躍した最高のスポーツ選手とも称えられるジム・ソープ(正式名はジェームス・フランシス・ソープ)です。

 ネイティブアメリカン(サック・フォックス族)の血を引くソープは、ネイティブアメリカンのための職業学校に入学後、スポーツ選手としてのキャリアをスタートさせています。そこでフットボールの名将として名高いグレン・ワーナーコーチに出会いスポーツ選手としての才能を開花させます。

 当然のごとく、フットボールだけでなく陸上、野球、バスケットボールなど数々の競技で頭角を現します。陸上では、1912年の第5回ストックホルム五輪にアメリカ代表として出場、5種競技、10種競技で見事に優勝を果たしています。

 ちなみに5種競技は1906年に最初の競技が行われています。五輪好きの人ならば、ここで「?」と思われるはず。第1回大会は1896年、第2回が1900年、第3回が1904年となると、第4回は1908年となります。確かに1908年には第4回ロンドン大会が行われています。

 となると、記録に残る1906年とは? となるはず。実は、第3回と4回の間に中間大会というものが存在していたのです。場所はアテネでした。正式な回数には数えられていませんが、22カ国から884名の選手が参加し、12競技に力の限りを競ったそうです。陸上の5種競技は、この大会が始まりでした(その後は1912、1920、1924年に実施)。

 話がそれてしまいましたので、話題をソープに戻します。五輪で2種目を制した栄光は翌年地に墜ちることになります。五輪出場より前に、セミプロチームで野球をプレーしていたことが発覚したためでした。アマチュア規定に違反するということで金メダルは剥奪されることになります。

 このあたりのエピソードはよく出てくる話なので、ここではあまり深くは触れません。ソープは1913年にニューヨーク・ジャイアンツに加わり、メジャー・リーガーとしてのキャリアをスタートさせます。その後、シンシナティ・レッズ、ジャイアンツと渡り歩き、1919年にボストン・ブレーブスで最後のシーズンを送っています。

 野球界を引退後、1920年からは8シーズンフットボール選手としても活躍し、NFLの前身ともいえるプロフットボール・リーグの初代会長にまで登り詰めています。

 1950年、AP通信社が20世紀前半で最も傑出したアスリートにソープを選んだことは、他方面に渡るソープのマルチな活躍ぶりを、当時の人々が評価していた証でしょう。なにしろ、ベーブ・ルースやタイ・カッブといったMLBのスーパースターたちを抑えてのものなのですから。

ジム・ソープ  出場試合289、 安打176、 本塁打7、  打点82、  打率.252
ベーブ・ルース 出場試合2503、安打2873、本塁打714、打点2211、打率.342
タイ・カッブ  出場試合3034、安打4191、本塁打118、打点1961、打率.367

 記録だけ見れば、ルースやカッブには遠く及びませんが、陸上競技、野球、フットボールという異なる3つ競技で残した実績は、類い希な才能を野球において開花させた2人をも凌駕したといえるでしょう。

 ボー・ジャクソンやディオン・サンダースがNFLとMLBの2足の草鞋を履いて活躍したことがありましたが、ソープが彼らの先駆者だったことは間違いありません。2001年には、アメリカのABC放送によって20世紀最高のスポーツ選手の栄誉にも浴しています。

 これは素晴らしい偉業だとは思うのですが、20世紀後半に活躍した選手には、ソープを超える業績を残せなかったのか・・・と思わず考えさせられました。人々の生活が多様化し、スポーツも多様化している現代社会では、本業以外でも相当な活躍を見せないと、人々の心には長くは残らないのかもしれませんね。


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2007年02月01日

伝説の黒人名捕手と2月1日

 いよいよプロ野球がキャンプイン。東北楽天イーグルス期待の新人・田中将大投手などは、さっそくブルペンで熱のこもった投球を見せていたようです。公式戦までは少々間がありますが、野球好きにとっては、話のネタが増えたことは確かです。

 前出の田中選手を筆頭に、憧れのプロ野球選手としての第1歩を踏み出した各チームの新人選手たちにとっては、期待と不安が入り交じるキャンプ初日だったに違いありません。

 そんな自らの憧れを実現できた選手がいる一方で、海の向こう米国では、人種差別のために実力がありながらメジャー・リーガーになれなかった名選手がいました。そんな選手の一人に、黒いベーブ・ルースの異名をとったジョシュ・ギブソン捕手がいます。

 通算で800本以上の本塁打を放ったとされる伝説の名選手でしたが、ついにメジャー・リーグの大舞台を踏むことはありませんでした。もう少し生まれるのが遅ければ、活躍するチャンスは大いにあったのかもしれません。

 ところで、なぜギブソン選手を取り上げたと言えば、64年前の今日、つまり1943年2月1日に、ギブソンは神経衰弱の状態がひどくなり短期間ですが入院し、治療を受けています。映画“Soul of the Game”(邦題「栄光のスタジアム」)では、その模様が描写され、精神的に病んでいたというその時の記録が、のちのメジャー入りの障壁の1つになっていたと記憶しています。

 結局、それから4年後の1947年1月20日にギブソンは脳卒中で亡くなっています。享年35歳という若さでした。日本のプロ野球選手にとってはお正月のような期待に胸膨らませる日は、偉大なる黒人選手が下降線をたどるきっかけとなった日でもあるのです。


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