2009年06月19日
見ている側の、祈りの言葉をあらためて
今日は三沢光晴さんの葬儀です。 はっきり言って実感わかないよね。 ぶっちゃけ嘘だって言ってほしいよね。 そんな気持ちはかわらないのですが、もう少し、思ったことを書いてみます。 今は今しかないわけだからね。こういう時だからこそ、 どうするのか。それをアレしなきゃいけないよね。 取材する側にいる私ですが、前にいた会社が NOAHの取材ができなかったので、三沢さんの取材は ほとんど出来ずに過ごしていました。 客席から試合を見ることのほうが多かったので、 ファンの方の感覚に近いと思います。 たまに対抗戦などでコメントを聞きにいく三沢さんは 大きい体のわりに声がやや小さいと知りました。 あせって緊張しつつもそばによって 耳をそばだてて聞いていました。 昨日はお誕生日で、本来なら、 試合前にケーキにロウソク立ててフーッと消して、 消したタイミングで潮崎あたりに押されて、 ケーキに顔をうめてクリームだらけにして 「いまさら嬉しい年齢でもないよね。まぁもうちょっと頑張りますよ」 などと言いながら苦笑いでワイパーでクリームを拭う三沢さん、などという のんきなニュースが流れたのではないかなと考えてしまいます。 なのになぜ私は悲しい気持ちで 「今日は葬儀です」なんて文字を打っているんでしょう。 仮に、私が「マスコミのひとり」という今の認識の姿ではなくて、 三沢さん好みの、若くてかわいいお姉ちゃんの姿になって あの日、試合前まで戻ることが出来たとして、 「今日の試合に出ないでください。いやなことが起きそうだから、行かないで」 と懇願したとしても、 おそらく三沢さんは、ニヤッと笑って、 リングに出て行ってしまうのでしょう。 「じゃあ無事に戻ってきたらどうする?」とか、 もしくは書けないような下ネタを言いながら。 選手は危険を覚悟して、細心の注意を払ってリングに上がっています。 「いつでも、この試合が最後になる覚悟をしている」 というレスラーの言葉を読んだことがあります。 そんな覚悟などして欲しくないけれど、 そこまで考えて、それでもやろうとする人に対して、 見る側は、どんな態度を取ったらいいんでしょう。 どこかに行こうとするとき、「行ってらっしゃい」と言われます。 「気をつけて」と言われるとき、うざったいなと思ったことがあります。 気をつける距離じゃねぇよみたいな。 だけど、本当に何かあったらと考えたら、 やっぱり言わずにおれないんだなと、自分も言う側になって分かりました。 行こうとする人の背中に向けて言う「気をつけて」の言葉は、 無事に帰ってきてほしいという祈りなんだな、と思います。 危険を承知でリングに上がっている人に、 テンションを下げるようなことは言いたくない。 だけど、やっぱり「気をつけて」と言わずにはおれません。 場の空気として言えないときもありますが、それでもやっぱり 祈らずにはいられない。 悲しいことが起きないようにどうしたらいいのか、 自分の頭の中だけでは何をどうすべきかすぐに浮かびません。 気をつけてね。 見ている側がそう願っていることを、あらためて確認してみる、 そんなことから、自分はやろうと思いました。 気をつけてほしいと思っている前提で見渡せば、 何をすべきか、分かるような気がしたのです。 フリーライター佐々木亜希がときどき更新するブログ 「ときどきキックアウト」は プロレスとプロレスリングNOAHをときどき応援しています。
- 共通ジャンル:
- プロレス
posted by sasakey |13:07 |
NOAH |


