2008年12月31日
グレート・ムタというお父さん
今日は「ハッスル・マニア」でしたー。 スポナビさんでオープニングとエンディングの劇場部分を 速報しております。 試合もいくつか見ました。 ハッスル・クリスマスあたりから見てて メインの「父子」対決について、いろいろ考えてました。 川田父、という「お父さん」と グレート・ムタ、という「個人」。 自分が子供だった頃のことを考えてても 親たちは、自分の持っている時間のほとんどを 自分たちにつぎ込んでくれてたなぁと思うのですね。 お金とかももちろんだし 休日のかなり多くを子供のために使っていてくれた。 確か高校生の頃に 精神科医のなだいなだ氏の文章で読んだのですが、 なだ氏は、自分が良き父親ではない、父親失格と自覚しているという。 だけど、良き父親である人は、 ひとりの人間として生きなかったとも言えるのではないか、 とも、書いていたのですね。 当時の夢みる私には、そんなことは 認めたくないというか、両立できるよ、できるに決まってるし そうでなきゃ困るよ なんて思っていたのだけど 今になってみると、その言葉の深さみたいなものを感じて。 家族のために生きるということは、 自分のために生きるということと、イコールではない。 どちらも否定されることではないし どちらが上でも、ない。 だけど、家族でないものを第一に考えるのなら 家族からの愛は、最低限にしか期待できないことになるし 家族を第一に考えるのならば 仕事やそのほかの関係から何かを受け取ることは これまた最低限にしか期待できないことになるのでしょう。 優先順位の問題です。 今までは家族や会社を最優先に考えることが もっとも美徳とされていたけど そうでない例もある、ということが 一般的になってきて、 どんな生き方も貫けば貫けるようになってて、 その中で、どう幸福になるかが 問われているのが、今ですよね。 「川田父」は「川田」の「父」という名からも分かるように どっちかというと家族のために生きてきたお父さんで グレート・ムタは、息子うんぬんよりも グレート・ムタとして生きることを選んだお父さんですよね。 それでも、ムタはムタなりに ボノちゃんを何とも思っていないわけじゃなかった。 昔だったら、家族を第一に思うお父さんこそが 何よりも美徳だったはずなのです。 だけど今はムタ的なお父さんも、アリだったりする。 川田父にしても、父であればいいはずだったのに 父であったがゆえに リングで戦うことを望まれたりもする。 新しい時代は新しい時代なりに 壊れた家族は壊れた家族なりに 生きていくことを望まれている現代。 自由であるかもしれませんが、 人であることの完成度と 父であることの完成度を 両方問われる時代というのは、 しんどい時代だとも思います。 あの戦いに込められた意味が そこまであったかとか、わかんないですけど、 武藤敬司さんと親しいムタが対峙した相手が エスペランサー(・ザ・グレート)という 高田延彦さんにそっくりな相手で、 あの足4の字の展開があって、 そこを、高田さんに良く似たエスペランサーが あの時には持っていなかった武器の ハイパー・ビターンで切り抜けるというのは ドラマチックでしたね。 しかもと言ったら何ですけど 当時はUインターだった高田さん (によく似たエスペランサー)が エンターテインメント的な武器を身につけて あの時を切り抜けているわけですし。 そんで、そこに居るムタは、 戦う「グレート・ムタ」というひとりの男でありつつ ボノちゃんの父親、でもあった。 私は勝手にそんなことを考えて見ていました。 フリーライター佐々木亜希がときどき更新するブログ 「ときどきキックアウト」は 「ハッスル」をときどき応援しています。
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posted by sasakey |01:07 |
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