2008年04月11日
時々こういうのが書きたくなる・・・では早速!!
桑原監督 お洒落。多分中々のモチベーター。サッカーは日本的オーソドックス。
哲也 ちょっとおとなしくなった。やっぱり結婚したからか??反応はやはりピカイチ。
勇蔵 相変わらずえげつない守備。攻撃にアイデアが欲しい。
ボンバー 今シーズンもボンバーはボンバー。出るとこは出てバランスとってる。
祐介 顔つきが変わった。いいDFになった。でも時々去年までの祐介。
マツ クローズドスキルは高いが、効果的に動けない。守備は鬼。相手は怖いと思う。
功治 中盤に潜伏するフィニッシャー。今シーズンも出だし良し。エース。ゴリラ①
ロペス キープもできるし、パスセンスもある。でも急ぎすぎ感もある。ゴリラ②
ハユマ やや狙われ気味も・・・ボールも運べるし、攻撃はまずまず。去年よりグッド。
コミ 去年ポストに当てといたシュートを回収中。DFの判断が早くなったのは見逃せない。
おおし 相変わらず根っこの生えた体幹。シュートは力みすぎもマリノスの戦術。
ロニー 早く点を取って欲しい。個人的には好きなタイプも、マルケスと見間違う。
サカティ 相変わらず地面を飛ぶランニング。スタメンで見たい。
ジロー 相変わらず走る。若い。
哲也・・・榎本哲也 勇蔵・・・栗原勇蔵 ボンバー・・・中澤祐二 祐介・・・田中祐介 マツ・・・松田直樹 功治・・・山瀬功治 ハユマ・・・田中ハユマ コミ・・・小宮山 おおし・・・大島秀夫 サカティ・・・坂田大輔 ジロー・・・清水
ガンバ大阪・・・この前のACLは凄かった。4バックに変えてからの特に終盤の守備は凄すぎた。明神がいい。橋本もいい。遠藤と二川はやっぱりいい。
浦和レッズ・・・オジェック放出は正解・・・遅すぎた感も。サッカーは苦しいが、やっぱりレッズはレッズ。まあ強い。
名古屋・・・ピクシーが凄い。小川、マギヌン、玉田が凄い。吉田は本当に19歳??クオリティは一番も選手層が薄いか?杉本の話はしたくない。
ヴェルディ・・・レアンドロと河野の守備がいい。攻撃はもっといい。ディエゴのチーム。個人的には好きなサッカー。 福西は最高のプレイを見せていると思う。那須がいいのは複雑。やっぱ頑張れ!!
鹿島・・・強い。青木がキレキレ。満男は調子悪い気がする。マルキーニョスと本山が要。二枚岩は硬い。コンビの手本。
マリノス・・・スクランブルアタックをしないマリノス。去年より大分ラインが下がった。後は若手の奮起とコンビの熟成。遅い攻めは去年より可能性を感じる。
バルサ・・・なんかおかしい。見てても面白くない。ボージャンは凄い。
アーセナル・・・失速。怪我人が多いし、選手層薄い。ウォルコット先発で見たかった。
ファーガソン・・・大胆。ビックリした。
posted by モーリー |22:41 |
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2008年04月11日
リスクを冒す『責任感』
「リスクを冒せ!!」
オシムは日本で率いたジェフ千葉で、あるいは日本代表でそういい続けた。それは「義務」であるかのように、日本人選手たちに言い続けた。
後方に選手をだぶつかせるサッカーを極端に嫌い、与えられた選手で方法論を変える。だからこそオシムはどのチームでも攻撃的なサッカーを実践できたのだと思う。
それは守備においても同じである。オシムは選手に「攻撃的精神」を植えつけることによって、多くの人間がボールに噛み付くことのできるシュチュエーションを多く作り出した。そして守備一辺倒にならない為の脱出手段もチームはより多く獲得することが出来た。
「何かを得たいと思うのならば、リスクを冒さなければならない。」
チームが得たいのは何か?それは「勝利」だけではない。そうでないと言うのならば、全ての戦術やシステムは「手段」に過ぎない。それではサッカーはつまらない。
僕はそうではないと思う。溢れんばかりの情熱を、鎖でつながれた信頼を、何かを創造するという志を、人間性をサッカーを通じて放散させるその様を、僕は感じることが出来る。だからサッカーは美しい。オシムが愛したサッカーも、そういうサッカーだと僕は信じている。
オシムはサッカーそのものに価値があると考えた。そしてそれを取り巻く様々なものにも価値があると考えた。そして全ての起源はサッカーであって欲しいと願うほどの、サッカー狂でもある。
だからこそオシムはサッカーそのものに対して誰よりも真摯に向き合ってきた。そしてその人生の素晴らしさがどれほど素晴らしいかを全力で伝えようとしたのだと思う。
ある時オシムは、中村俊輔の独りよがりの(けれど素晴らしい)パスに怒ったのだという。俊輔は「ボールを失うのが嫌なのかな?」ぐらいに思ったという。
それは違うと僕は思う。恐らくは下を向きながらポジションに帰って行ったであろう俊輔に怒ったのだと僕は思う。
「その素晴らしいアイデアを何故共有しようとしないのだ!」と・・・
そしてその思いは既にして俊輔に伝わっている。オシムの姿勢や志が伝えた・・・と言ってもいいと思う。俊輔は恐らくはオシムを相当に尊敬している。彼とサッカーを出来ないことを本当に残念に思っているに違いない。そして彼もまたオシムが日本でして来た事を引き継ぐ体現者であるのだと僕は信じている。
攻撃的な選手を並べるだけでは実践できないトータルな攻撃サッカーをオシムは披露した。
攻撃的に振る舞い、相手の思考の先手を取る事で、主導権を握る戦いこそが「日本的」であるという彼の描く日本スタイルの一端も披露した。
そして何より選手が彼の部屋のノックを叩かないことに寂しさを覚え、サッカーを語り合え!とメッセージを残した。
「受け身でも、ナイーブすぎてもサッカーは出来ない。」
彼は我々日本人を尊重して口には出さなかったが、彼は多くのメッセージを選手達に残したのだと思う。想像に過ぎないが解釈は選手達(自分たち)自身でするべきだ。そして多くのモノを共有すべきだと思う。何故ならば、イメージの共有されたサッカー。そういうサッカーこそが美しいから・・・私たちが感動してきたサッカーはそういうサッカーだと僕は信じる。
「責任感とは自らに対する畏れに対して抱くべきである。」
僕がオシムの発した言葉で、一番脳天を貫かれた言葉である。
何かを得たいと思うのならば、リスクを冒すのはもはや「責任」である。誰かに言われて何かをする「義務」ではないのである。
全てのサッカーにそれを期待したい。自発的に能動的に・・・それでもそれが見えない鎖で繋がっているようなサッカーが見たい。
そして観衆である私たちもまた、それらを「理解」する「責任」があるのかもしれない。それが何かを批判したり不満を持つ(僅かな)権利を得るための義務だと思う。
それは「結果」に対してではないと僕は思っている。そして恐らくはオシムも・・・
敬称略
posted by モーリー |21:42 |
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2008年04月04日
失われた『意識』と『勇気』。
日本代表は違うチームになった。そう感じる。誰もボールを追い越さないし、攻守が入れ替わっても反応が遅い・・・自分達で自分達のプレイエリアを狭め、自分達で窮屈にしている。
「サイドの裏に大きく蹴れ。」
僕の見る限りボールホルダーに対する周囲の反応はそういう風に見えた。
一体何が変わってしまったのか?少なくとも岡田監督は日本人の長所を活かすと言った・・・岡田監督本人のサッカー理解と併せて、こういうサッカーを選択したのだろう。僕の考えるところとも、オシムの考えるところとも違う。それ自体は問題ではない。結果自体も問題ではない。バーレーンがいいチームだったともいいサッカーをしたともは思わないが、簡単な相手ではないとは思う。問題は、今後に可能性を全く抱けなかったことである。
日本のスリーバックに対して、バーレーン選手三人がプレスをかけた時に今野が苦し紛れにGKに戻し、川口が大きくアバウトに蹴った時に、日本はもうビルドアップを放棄したのだな。と感じるしかなかった。だれもマークをはがす動きをしない。啓太はスリーバックの前に構える門番に成り果て、憲剛はボールを貰ってから何かをする選手になってしまった。どちらかが動けば、今野は簡単に出せた。このコンビはオシムが監督の時の基本コンビでもあったはず・・・わざわざ狭いスペースに留まり、一人で二人をマークされていた。日本は後から繋ぐという意識を放棄したように感じる。そうだと思えば、岡田監督の人選は分かりやすい。正解がどちらにあるかは、歴史が証明する・・・とでも言うべきか?とにかく日本のサッカーは急激に変化している事だけは間違いない。
ビルドアップをするには全員の意思が統一されて無ければならない。少なくとも「全員が関与している。」という意識は持たねばならない。
オシム時代は、二人のセンターバックにはたくさんの(楽に通せる)選択肢があった。自分達の前、隣のセンターバック、隣のサイドバック、一人飛ばして逆のサイドバック・・・注目したいのは、自分達の前が相手の状況によって目まぐるしく変わっていたことだと思う。啓太が前にマークを引き連れて上がり、憲剛。時には遠藤や俊輔もそのポジションに降りてきていた。啓太にマークがついていかなければ、彼がそのまま受けてターンして、相手の視点を変え、また憲剛、遠藤、俊輔の三人が受けられるポジションに動く・・・苦しい状態で受けなければならない時は、ワンタッチではたける距離に誰かが居る。そうして相手は自陣ゴール前で、人垣を作るしかなかったのがアジアカップである。プレスをかけにくれば裏が大きく空く・・・そうしてはじめて繋がる(可能性が上がる)のがロングパスである。ロングパスありきというのでは繋がらないのは当たり前。後ろで誰もはがす動きをしないのであればなおさら・・・いい体勢で、視野を確保できなければ、バンバンロングボールを通すというのはクーマンでも無理だと思う。
人が先か?ボールが先か?オシムはパスサッカーについてこの質問をぶつけられた時に
「それは鶏と卵の話のようなもの・・・」
と答えたというが、僕はどちらか?と言われれば人が先だと思う。スペースの狭い現代サッカーでは特にそうだと思う。
いわゆるビルドアップに必要ないわゆる三人目の動きと言われるものは皆無になり、だれもが受け手と出し手の関係を眺めているように思う。三人目の動きが出るにはあらゆる人間が考え走り、カバーに動かなければならない。受け手が受けた時に、また動き出すというのでは圧倒的に遅いし、いいアングルはつくれないと思う。僕自身は三人目の動きは、いつも必然ではないと思っている。それを必然とする為に、時間を作れて調整できる遠藤や俊輔がいて、彼らにアングルを与えることの出来る憲剛や阿部が彼らの後方に居た。オシムが選ぶサッカーと人選に矛盾はなかった。(勿論、彼らを使え!という事ではない。)
岡田監督のゲームプランとサッカー理解は、オシムの考える方向とは違う。オシムサッカーの継承を言うのならば、オシムの日本化の方向性を正しいと感じたのならば、岡田監督は適任ではない。彼がマリノスで優勝したときのストロングポイントを考えてみればいい。
それは日本代表が世界を相手にしたときに、相手に感じるストロングポイントであるはずだ。屈強な守備と、セットプレイでの高さ、前線に残る勝負を決められるFW・・・
後任監督は世界の潮流を知り、日本人の良さを知ろうとする人間で、人を見れる監督であれば誰でも良かった。岡田監督にした事のないサッカーを期待するのは圧倒的なミスだと僕は思う。
そしてまだ岡田監督はどのようなサッカーを目指すのか?アドバルーンを揚げていない。良いか?悪いか?は別にして、日本代表のサッカーの影響力が大きい現状で、それは良くない。先を見据えた議論が出来ない。ピッチで見せるサッカーでの回答もまだ。しかも、この先もあるかどうか分からない。
日本代表のサッカーに、人が動き、ボールが動くという「意識」は失われた。後ろに人数をだぶつかせないという前提で出来るパスサッカーは既になくなった。それを支える「勇気」はもうピッチではもう見られない。それはボールを「奪う」という意識すら、奪ってしまう。自陣で引きこもり、相手のミスに期待する引きこもりサッカーになってしまうのも必然。ゴールを守るだけの守備は決していい守備ではない。日本人の特徴である献身性は、そこで使われることになるだろう。
少なくとも僕はそんなサッカー見たくはない。もっと「良い」サッカーが出来るのを知っているのに・・・
監督交代はないだろうと思う。それは期待しない。ただ選手達には「意思統一」をして欲しいと思う。自分達で考える最上級のサッカー。自分達の能力がフルに発揮できるサッカーをして欲しいと思っている。そして、それが監督の意思と違ったとしても構わない。サッカーに対して誠実であるならば・・・
posted by モーリー |19:52 |
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