2008年02月12日
オシムイズムの体現者たれ! ~3~
『はやさ』と『技術』。 全てはゲームの為に・・・それが為されていれば、オシムは何も禁止しない監督だ。それが有効であり、手段ならば、オシムはどんなアイデアやトリックも喜んで眺めるだろう。 最近良く思う事はオシムが本当に成し得た事は、千葉においても、代表においても、素晴らしい組織を構築したという事ではなく、むしろ個々人を鍛えることで、チームを素晴らしく有機的で同じ「意志」を持った組織を作ったことだと思うようになった。いわゆる「システム」に当てはめるでもなく、選手に合わせたサッカーをするだけでもない。選手そのものを伸ばしてしまう。もっと言えば、その選手の才能と全力を引き出す事が出来る。 そういう意味では彼は本当のコーチだった。 前回の記事で触れたことの続きですが、オシムは日本人には「はやさ」と「技術」があると言った。そして彼が言うところの「はやさ」と「技術」とはどういうものなのか?少し考えて見たいと思います。 その前に日本のサッカー界にいつもあるこんな議論について考えてみます。 「日本にカカがいれば、メッシがいれば、あるいはC・ロナウドがいれば・・・居ないからこそ日本は組織で対抗し、勝負しなければならない・・・」 皆さんも一度は聞いたことのある、あるいは似たような言い回しを聞いたことがあると思います。もちろんいるに越した事はないけれど、彼らですらも組織の中でしか輝けない。あるいは彼らの特別な能力を、戦術の一つに置く事はあっても、彼らが戦術そのものにはなり得ない。と僕は思います。 少なくともこのような意見に僕は賛同したくないし、そんな後ろ向きな気持ちで作られる組織に僕は魅力を感じません。オシムも恐らくは(少なくとも全てには)賛同しないでしょうし、日本人選手には日本人選手にしかないクオリティがある・・・と反論するかもしれません。もちろん多分ですが・・・ 「一人一人が体格で劣っていても、個人技で劣っていても、全員が速い判断で連動を続けていけば、ちょっとやそっとじゃ止められないのかな?というのがかなり見えてきた。」 とは中村俊輔の言葉である。 そして今現在も日本で足りないとされる『個』の能力・・・この漠然にして曖昧な言葉が、日本の進路を曇らせているのではないか?僕はそう思います。 例えば日本のサッカーと世界のサッカー。どちらがより有機的で能動的なサッカーか?と言われれば、間違いなく現時点では世界のサッカーと僕は答えます。個人技に秀でた選手・・・日本で言うところの「個」のある選手(同義で使われているような気がします。)ですら、組織の一部として、あるいは組織の後ろ盾を得てしか輝けないのが、世界の潮流だと僕は思っています。 オシムはある個人の特別な技能を発揮させる為に働く選手、組織を機能させる為の目を持つ選手を「水を運ぶ選手」と呼び、その必要性を説きました。実際にその選手達を得たチームは、かつての「オールスター」のチームよりも遥かに美しいサッカーを見せることでその正しさを証明したと思います。 「日本人選手はその技術をゲームで有効に使えていない。あるいは速いスピードの中では精度が落ちる。」 「日本人は本当に練習熱心だ。ただ、それは独りよがりかもしれない。」 巻は居残りのシュート練習を何度も却下されたそうだ。オシム曰く 「私の練習には必要なものが全て詰まっている。」 練習の為の練習と思っていたのかもしれない。あるいはゲームに必要な技術というものを考えさせる為に言った言葉かもしれない。いずれにせよ、オシムは日本人選手はゲームにおいて全ての能力を発揮できていないと思っていたのだろう。 中村俊輔が、漠然としたイメージで語ったサッカー。 それを可能にする「はやさ」と「技術」こそが、サッカーにおける本物の「はやさ」と「技術」なのだと僕は思う。 オシムが日本人に「技術」があると言ったのは、日本人のボール扱いの上手さや器用さを、自分ならばゲームに昇華できる自信があったからなのではないだろうか? あるいは「はやさ」と言ったのも、ただ単に敏捷性があるといった身体的な特徴だけではなく、自分ならば学習意欲旺盛な日本人選手に、判断や準備などサッカーに必要なあらゆる「はやさ」を叩き込むことが出来ると考えていたのだろう。 少なくとも純粋な意味でのスピードではないと思う。(遅いとは思わないけれど) 「松井がはやいと思っているのならばどうかしてる・・・」 と言ったのも敢えて言ったことだろう。だとすれば我々は何故言ったのかを考える必要があるように思う。 Jで、あるいは国際試合で戦った外国人選手は口を揃えていう事は、サッカーがはやいと意味とは別に 「すばしっこいし、しつこい、ちょこまかしてやりにくい。」 この特性を生かしたときに、前述したような課題を、日本人の特性である旺盛な学習意欲で武器にすらした時に、オシムの言うところの日本人によるサッカーの「日本化」があるともオシムは思っていたのだろう。 これらにオシムをして凄まじいと言わしめた「走りきろうとする意欲」をプラスしたサッカーこそが日本の目指す道ではないか?と思う。 かつてピッチで数々の芸術を披露したベルカンプはサッカーの未来をこのように語っていた・・・ 「これからのサッカーはセンターバックを二人残して全員がフレキシブルにポジションチェンジを繰り返していくようなサッカーになっていくんじゃないのかな?」 オシムはさらにこの二人のうち一人もよりポリバレントな能力を持っていることが望ましいとした。彼の目線は常に未来に向かっている。 ベルカンプの予言は当たりつつある。そしてオシムが、 「サッカーの未来は日本の望むべき方向に向かっている。」 と言った。祖母井さんによれば彼は誰よりも日本サッカーの未来を信じていたという。オシムは日本人選手のクオリティならば、そのようなサッカーが出来ると信じていたに違いない。 今の日本のサッカーに、あるいは日本のサッカーの未来に本物の「はやさ」と「技術」はあるだろうか? あるいはファンである僕たちは、サッカーにおける本物の「はやさ」と「技術」が見えているだろうか? 現代表コーチの大木さん曰く 「日本化?それはみんなでやるんだよ。」 だそうである。 敬称略
- 共通ジャンル:
posted by モーリー |18:24 |
コメント(18) |
トラックバック(0)


