2007年09月29日

『ベストメンバー規定』問題で思うあれこれ・・・運よく問題提起になったが・・・

たくさんの人達がこの問題について書いている。そしてその印象は、僕の第一印象とほとんど変わらない・・・
簡単に言えば
「何故?JFAのお偉いさん方が、首を突っ込むのか??」
「ベストメンバーって・・・あなた方が決めることなのか??」
「サポーターの気持ちを代弁してなんかはいない!!」
「そもそもベストメンバー規定なんていらない。」

至極まっとうな意見だと思う。
ただ僕なんかはベストメンバー規定を、日本に出稼ぎに来る多くのチームにだけ適用して欲しいと思う(笑)
それでも彼らは、CLやリーグの試合ほどは走らず、玉際も激しくプレイしないだろう。むしろレギュラーメンバーとかトップチームの当落線上の選手達のほうが、頑張る。そして、そのほうが結果が出る・・・という考え方ももちろん成り立つ。
そして優先順位を持たず、全ての試合に全力を尽くせ!と規定を作ったとして、決勝戦ほどには走れないのも、(プロ精神とは別に)当然でもあるように思う。そんな規定は空理空論にすぎない。理想論とさえ言えないのではないだろうか?
本当に誰かが死ぬまで、この規定やこういう問題はなくならないのだろうか?だとしたら、JFAの方々は、人間やサッカー、クラブ・サポーターを理解していないだけではなく、本当に多くの信頼を失う組織になってしまう。
そうならない為にも、今各所から上がっている多くの声に耳を傾けるべきであり、もう一度この規定を整理して考えるべきである。
「なぜ?」この規定が必要なのかを真剣に考えて欲しい。


それだけならば、すでに多くの人が語っている問題でもある。
それでも、この問題の原因が明らかになってくるにつれ、思うこともある。

武田社長が上手く振舞っていれば、何も問題はなかったのだ・・・と、聞けばJリーグの専務理事の犬飼さんと、武田社長は先輩・後輩の関係があるらしい・・・
もちろん犬飼さんは、Jの総意としてチャーター機を出したのであろうし、Jの代表としてACLに参加している川崎フロンターレは、その待遇を受けるのは当然である。(優先順位を決めてはいけない規定を作っている側の理屈としては矛盾があるが)Jの総意として、そろそろ本気でACLを獲りにいこうよいう決意の表明としてもいい決断だったように思う。

そしてJを何より大事にして欲しい!!というのは犬飼さんの立場からすれば当然でもある。その思いを受け取って欲しいのもあっただろう。
もちろんそれが、ジュニーニョや憲剛を先発として使うことではないのは上でも述べたとおり・・・
それでも武田社長が一言
チャーター機を飛ばしてくれたことを挨拶程度にでも感謝し、柏戦のメンバーがベストであること・・・Jへ中東の往復の過酷さをコンディショニングの観点から報告して還元し(もちろん企業秘密は隠してもよい)、『Jの代表』としてベストを尽くしていることを、柏戦の前に報告&提案&強調していればこんなに煩わしく、醜い問題は発生していなかったのではないか?(ただ間違いなくいい問題提起になった)

もちろん先輩・後輩としてではなく、Jの代表と川崎Fの代表として話せば良かったのである。

それにしても犬飼さん、多くの人が居る前で怒鳴りつけたと言うし・・・
武田社長をはじめ、フロンターレの事務方たちが、最低限のビジネスマナーや危機管理を欠いていたかもしれないとはいえ(どんな間抜けな規則も、規則は規則であると言う事と、提案は違う場所でも出来るという意味で・・・)、組織の上層部に居る者の発言としては、お粗末極まりない。
その怒りが、全く理解できないものではないにせよ、ほとんど理不尽な怒りを根拠に、昔の上下関係を持ち出して、叱責するなどとは(そうでなければもっと問題。)、組織を束ねるものの振る舞いとして、圧倒的に不適格である。仕事の優劣以前に、その資格を問われてしかるべきである。


追伸 ACLに出ているチームが羨ましい!!そして、面白い!!本当にそう思うようになった。それは歴史の積み重ねなのかもしれないし、Jやその関係者達の努力の賜物かもしれない。
JFAやJリーグは、この大会をもっと魅力あるものにする為に、出来ることをして欲しい。出場枠についても話し合って欲しいし・・・


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posted by モーリー |20:05 | コメント(8) | トラックバック(1)
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2007年09月23日

最高の『ポリバレント』は、サッカーの『スペシャリスト』である。

アジアカップの敗戦を機に、「個の力」や「スペシャリスト」がクローズアップされるようになってきた。いや、もっと前から日本では言われていることでもある。
多くの元・有名選手や、著名な解説者もそのように言っておられる。
「個」については以前に語ったとおり・・・http://www.plus-blog.sportsnavi.com/samurai103/article/40

今回は『ポリバレント』と『スペシャリスト』を考えてみようと思います。
その前に、(マルチロールやユーティリティとは違う)ポリバレントなる「概念」を持ち込んだ現代表監督のイビツァ・オシムの言葉を少し紹介したい。
「現代サッカーでは、様々な能力が要求される。それゆえの『ポリバレント』であって、これは私の発明ではない。」
そして選手の配合においてはこのように語っている。
「個人的には、FWしか出来ない選手が一人、センターバックしか出来ない選手が一人・・・それ以外は、何でも出来る選手で構成されるのが理想ではある。」

『スペシャリスト』とは言わずに、~しか出来ない選手・・・と語っているのは興味深い事実である。そして、それらの選手が必要だと感じていることも・・・

リッピ・ユーヴェが体系化したマルチロールとも違う、たくさんのポジションを任せられるユーティリティとも違う、サッカーにおける『ポリバレント』とは、どのように解釈すべきなのだろうか?
それを理解する為には、そもそも現代サッカーとは何であるか?を理解してみせなければならない。と僕は思う。
それさえ理解すれば、ポリバレントが決して「器用貧乏」や「武器のない選手」と映ることはないのだと思う。
僕のポリバレント解釈は簡単に言うとこうなる。
ピッチの何処にいても正しい判断が出来て、それを可能にする技術と身体能力を兼ね備え、正しいポジショニングを取り、それを可能にする持久力を持っているタレントこそが、最高のポリバレント・・・と言うことになる。そして、そんな選手がいれば間違いなくサッカーのスペシャリストであると言えるだろう。

しかしながら、そんなタレントは世界中探しても居ないだろう。
それでもレベルの違いこそあれ、そういう要素を兼ね備えた選手は、特にモダンなサッカーを標榜するチームのピッチ上には必要であると僕は思う。
そして最高のポリバレントは今後も出てこないように思われる。(それを目指す必要はあるにせよ)それほどまでに、考えるスペースも時間もピッチ上には残っていない。次々に、ポジションを移動し、なおかつたくさんの選択肢を用意するのは、ほとんど不可能ではないか?とも思えるほどである。
何がミスで、何が意図的で、何が効果的か?テレビで見ていても見逃してしまうことすらある。録画している試合では、繰り返し見てようやく気づくこともある程である。

それ程過酷な現代サッカーだからこそ、求められるポリバレントでもある。
例えば、中村俊輔はある時にはFWにならなければならず、ある時にはサイドバックの位置でボールを奪わなければならないかもしれない。
例えば、世界最高のサイドバックとも称されるダニエウ・アウベスが出没するポジションがサイドに限定されないことを思えば、日本のサイドバックの選手達もまだまだ伸びしろが有るのかもしれない。
ローマのスパレッティが、ペロッタをいわゆるトップ下に置いている事を考えてみれば、技術やイマジネーションだけが攻撃力を生むのではないと理解できるかもしれない。

だからこそ、現代サッカーとは『ポリバレント』なタレント達で構成されなければならない・・・とは言い切れないのが、またサッカーの奥深さなのだと思う。
事実上サッカーにおける最高の『ポリバレント』は不可能ではないだろうか?と書いたばかりである。
例えば、得点のみを狙い続けるフィリッポ・インザーギは『スペシャリスト』を考える上での最高のテキストである。
ダバディ曰く
「インザーギは、柳沢よりずっと下手・・・(技術がない)」
と言わしめるほどの技術しかなく、ポストプレイや、ビルドアップの参加、前線での守備を「アリバイ程度」にしかこなさない彼が、現代サッカーにおいても輝き続けられるのは何故か??
それは「得点を決めてきた」という結果だけを語るのでは充分ではない。
あれほどのハードな運動と並行して、たくさんの選択肢を持ちつつ、「速く」判断することは不可能であることの証明でもあるのではないだろうか?
ただ得点だけを目指し、いかにしてDFを欺くか。いかにして味方からいいパスを引き出すか?相手の思考を思い、味方の思考を思い、相手の視野から消え、味方の視野に入り、どんなタイミングでボールを要求し、どちらの足で、どのタイミングで打つのか??
恐らくは、インザーギは恐ろしいほどのスピードで様々なことを考えているはずである。
それをチームの為のスペースメイクや、ビルドアップを考えながら行うのは不可能とも言える。

そして、その為だけに「サッカー」を生きる者と、様々な要素を考えつつ「サッカー」を生きる者とでは、その判断一つに精度やアイデアの差が出て当然だとも言えるのではないだろうか?
そしてそれ程の「特別な」能力があれば、いかに整備された組織であろうとも打ち破り得るのだろうと思う。

理屈の上では、『ポリバレント』で構成するサッカーは可能である。実現すれば、この上なく美しいだろう。しかし、それはほとんど不可能である。
そして現代サッカーでは、『スペシャリスト』だけで構成する事を許してはくれないだろう。(成り立たないという意味で・・・)
しかしながら、だからこそ『スペシャリスト』は、組織を壊す武器になりうるのだろう。

これはどちらが重要か?という二元論では語りきれない問題でもある。


サッカーは、様々な矛盾と対立のスポーツ・・・とは西部謙司さんの言葉である。

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posted by モーリー |15:20 | コメント(9) | トラックバック(1)
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2007年09月18日

『技術』と『予測』のフィジカル論!!~世のお母さん見てください!!~

日本人はフィジカルが弱い!!
というのがもはや当たり前になりつつある昨今・・・

フィジカルとは何ぞや??と思わないこともなく、スタミナやアジリティはフィジカルではないのか??と思わないこともないのだけれど・・・

ここでは「いわゆる」フィジカル・・・日本人が弱いとされている、当たりの強さやパワーについてしっかりと想像力を働かせて考えようという、無茶な試みでございます。

外国人に言わせると「ちょこまか」と動く日本人は、それなりに脅威であるらしい・・・
それでも彼らがフィジカル・・・当たりの強さで優位に立っているのは否めない。またプレスに対する感じ方も違うようだ。
日本人が国際試合を戦えば度々洩れる感想・・・
「プレッシャーが激しかった。」
しかしながら欧州や南米からJリーグに来る選手の感想の一つとしてこういうものがある。
「次々に選手が沸いて出てくるような感じがする・・・また、ディフェンスがしつこいのでドリブル突破もしづらい・・・」(川崎F・ジュニーニョ)

うーーん・・・納得しづらい・・・

またセルティックで活躍する中村俊輔は、首脳陣から
「一体どのようなトレーニングを積んできたのか??」
とアカデミーにそのノウハウを蓄積する為に、ヒアリングを受けたらしい・・・去年少し話題になった運動量とともに、彼は類まれなるバランス感覚を有しているらしい。
ルマンの松井大輔は、神経系ではチームトップの数字を叩き出しており、それがルマンの人々を驚かせる技術の下地になっているのだろう。
彼の課題であるコンスタントさ・・・を考えれば、疲労に影響されやすい神経系が彼の優位部分であることは、至極納得である。
フランクフルトの稲本は、ドイツで最も重んじられる1対1で、その持ち味を充分に発揮し、チームに貢献している。日本よりも遥かに激しいとされるブンデスで・・・である。

確かに彼らは紛れもなく日本のトップ選手たちである。そうであっても、この事実は興味深いものでもある。
そういえばスペインはマジョルカから帰還した大久保嘉人は、日本のサッカー・・・Jリーグのサッカーにフィットするのに半年くらいかかった。
スペイン帰りの彼の感想は
「サッカーが速く、運動量が多い・・・」
であったような気がする。リーガのDFに耐えうる為に身に付けた鎧は、日本では重たくなるだけで、無用の長物だったらしい。

いつかのセリエAで中田英寿と、中村俊輔がピッチで交した言葉はこうだったらしい・・・
「ヒデさんは、フィジカル(トレーニング)やってるんですか??」
「今はあまりやってないよ!!体が重たくなるから・・・」
「僕もキレが無くなりそうで、あまりやってないんです。」
「そのほうがいいよ!!ここでやってれば自然とつくから。」

前置き??が長くなった・・・
日本サッカーの日本化が叫ばれて久しい現在・・・やはり日本人が有している特徴を全面に押し出すサッカーが、日本のサッカーだと言うのならば、やはりフィジカルの優位性も多少は考慮する必要がある。
曖昧な言い方で恐縮だが、そういう意味では「キレ」と「ミドルパワー」こそが日本の特徴だと言っていいのだと思う。そしてそれが戦術や戦い方に繁栄された時に、また日本化は一歩前進するのだろう。

しかしながら、相手は相手の優位性を押し出してくるだろう。
そしてそれからは間違いなく逃れられないのが「現代サッカー」であり、もっと言うならばたとえ技術と判断でそれをすり抜けたとして、『ゴール前』では必ず逃れられないのが「サッカー」である。

ここでようやくタイトルにある「技術」と「予測」のフィジカル論。
例えば、日本人選手と変わらないような体格を持つアルゼンチン選手は、なかなか倒れない。それは国際大会を初めて体験する日本人選手とは、随分違っているように見える。
僕がその単純な見た目の違いよりも目を見張るのは、相手の力を利用する「技術」であり、腰を低く構えたり、死角から当たって来る相手に体を預ける「予測」である。彼らはそれをサッカーに必要な「技術」の一つとして、まさに「体得」しているのである。

日本人としては立派な体躯を誇った中田英寿はこう語っている。
「相手が来る!!とわかっていれば大抵耐えられる。そういう覚悟・・・絶対に倒れない!!と構えていれば、大抵耐えられるものだよ。」
そして日本に来てからFWに転向し、得点を量産するジュニーニョはこう語る。
「多分慣れた事が大きい。最初はついて行けなかった部分もある。僕は日本に来てから成長したんだ!!」

思えば僕の好きなディフェンダーは大きくない選手が多い。
プジョル・キブ・アジャラ・コルドバ・・・・
そして日本人もあまり大きくない。
プジョルの間合いや、アジャラやコルドバの体の預け方を学ぶことが出来れば、日本サッカー界の弱点はやがて、弱点ではなくなり、相手の嫌がるものにすら成り得るだろう。

解決策は難しい。
審判の協力も必要だろう。JFAはFIFAルールに則って、審判の基準を設定しているらしいが、それも考え方一つなのかもしれない。簡単ではないが、優位性と、弱点を補ってしまえるような基準や考え方に挑戦して欲しい。
例えば、ボール保持者の体勢でファールか?否か?を決めるのも悪くないのかもしれない。
また、若年層でサッカー以外の競技を体験させるのも悪くないのかもしれない。ラグビーや柔道、果ては古武術まで・・・ヒントは転がっていそうではある。ちなみに、競り合いに強い巻はアイスホッケー経験者で、卓越したコーディネーション能力を持つ福西は体操経験者らしい。

僕は基本的には、機械や器具を使ったフィジカルトレーニングは補足程度に留めるべきだと思っている。体は膨らんでも、実際に使えているかは疑問であるし、実際に耐性のない筋肉にしかならない・・・というのが経験上の感想である。
体幹を鍛えるにしても、実際には体の重みを使ったもので充分である。
何よりも実際の動きの中で、トレーニングをしたほうが遥かに実践的である。そして体がいかに動いているか??という意識のもとでトレーニングすれば、必要な筋肉は自然と身についていくものである!!と僕は考える。集中なき反復もまたよろしくはない。

そしてこのフィジカル論の核は、何から目線かわからない僕からの、世の中のお母さんがたへのお願いとなる。
今の社会が危険なのは充分にわかる。そして子育てほどの重労働はないと知りながらお願いしたいことがある。
とにかく子供を外で遊ばせて欲しい。おもちゃもあまり与えずに、テレビもあまり見せないで欲しい。
スポーツする為に、特にサッカーに必要な神経系は、幼少期が肝心らしい・・・そして健全な魂は健全な肉体に宿る・・・とは昔からの格言でもある。お母さん頑張ってください!!
そして「クラブ」に出来ることもあるだろう。地域の結束も、お母さんの負担を少なくするに違いない!「クラブ」も「J」もまだまだ出来ることはあるはずである。
そして当然、お父さんも頑張らなければならない。

僕はいい選手を見るたびにこう思う。君のお母さんは立派だ!!

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posted by モーリー |16:43 | コメント(22) | トラックバック(1)
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2007年09月09日

世界でたった二人の『サイド』の選手・・・加地と駒野は素晴らしい!!

加地や駒野はサイドの選手らしい・・・
サイドの選手はスペシャリストでないと駄目らしい・・・
そしてテレビでも文句言われて、ここのブログでも文句言われている・・・

きっと僕が馬鹿なのだ!!そうに違いない!!
だって僕には、言っている事の意味がわからないのだから・・・

僕は彼らのことはディフェンダーだと思っていたのに、ドリブル突破と、クロスの精度を求められている・・・確かにあったほうがいいに決まっている。でもそんな選手が世界に何人いるのだろうか??

日本代表のサイドは、加地と駒野らしい・・・
僕はてっきり、加地と駒野と俊輔と遠藤だと思ってしまっていた。
加地と駒野のポジションはピッチの端から端までカバーするというポジションらしい・・・そしてそのポジションは「サイド」と言うらしい・・・知らなかった・・・

そして加地と駒野はスペシャリストでなければならないらしい・・・
そしてそのスペシャルな能力とはドリブル突破と、クロスの精度らしい・・・
僕は間違っていたらしい・・・加地や駒野はポリバレントなタレントで、守備の時に間違いが少ないから起用されていて、さらにディフェンスの選手としては水準以上の攻撃性能を持っているからだと思っていた・・・
最近ではサイドの選手の優先順位は攻撃性能が優先されるらしい・・・オシム監督は何故?水野と家長をトゥーリオと中澤の隣に置かないのだろうか?ファーガソンは何故?ギグスとC・ロナウドをビディッチとファーディナンドの隣に置かないのだろうか??
そうか!!彼らはいくらスペシャルな能力を持っていても『サイド』は務まらない・・・だって『サイド』の選手は、ピッチの端から端まで、カバー出来なければならないのだから・・・
だったら世界中をさがしても他に『サイド』の選手はいるのだろうか??僕は知らない・・・

そうか!!とにかく攻撃が好きな人たちに違いない・・・1-0で勝つよりも4-5で負けたほうがいいと思っているに違いない!!えっっ!!とにかく結果だ!と言っている??難しい話は僕にはわからない・・・けれどボールが奪えなければ攻撃できないことも知っているし、サイドバックは随分と前に走っていかなければ攻撃できないことぐらいは知っている。

彼らを『サイド』と呼ばないで欲しい。そもそも『サイド』なんてポジションはないし、現代サッカーでサイドのエリアを一人でカバーしているチームなんてない。
サイドのスペシャリストを置かないミランも、そこを二人でカバーするメカニズムを確立している。

彼らは現在の代表に欠かせない選手達である。
事実彼らはこのチームで重要な役割を果たしている。守から攻への切り替えが早く、高いポゼッションを可能にしている。
ボール回しが、手詰まりになれば逆サイドで待ち構え、ボール回しの休憩地点となり、組み立てなおす為の時間を稼いでいる。
ボールを失えば後に広大なスペースを空けていることを知りながら・・・
そして素早いリトリートで、センターバックがサイドにつり出されるのを見事に防いでいる。あのスピードで駆け上がり、同じようなスピードで戻る時もある。目の前にフリーの選手がいれば、素早いプレスもかけている。
僕ならば、5分と持たずに乳酸だらけの体になって痙攣を起こすだろう。
そしてなお、アタッキングゾーンでのフリーランニングでチームの攻撃のスピードを上げているのである・・・

彼らほどチームと勝利に忠実で勤勉に走り続ける選手が槍玉にいつも挙がるのが不思議である。

僕は彼らを誇りに思う。

ただオシムさん・・・・ハユマと小宮山も本当にいいですよ!!

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posted by モーリー |20:08 | コメント(43) | トラックバック(0)
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2007年09月04日

たまには「戦術」を語ってみる。~個人的「現代サッカー」解釈~

日本のサッカーは「守備の文化」がない・・・
と言われている。
ドイツワールドカップでは二度の逆転負けを喫し、先日のU-20、U-17の世界大会では、いずれも最後は逆転負けで大会を去った・・・
国際大会での日本は、逆転負けを演出する側に回ってしまっている。

どういう守備が日本人の特徴に合致しているか?を考える上で「守備の文化がない」・・・という言葉は邪魔なだけであるし、「リアリズム」がない・・・と言ってしまうだけでは、あまりにも乱暴な気がする。

冷静に考えて、日本が選択すべきは極力ラインを下げない守備・・・だと僕は考える。
そうであっても、サッカーは相手のあるゲーム、ラインを一度も下げずにゲームを終えるのは不可能である。そのときに僕が必要だと考えるのは「攻撃的精神」である。
Jリーグと海外のリーグを見比べて一番感じるのは「ボールに喰らいつくシュチュエーション」の数の違いだと思う。
それは「悪しき先送り」だとも呼べるもので、結局は相手がゴールを決めるか、シュートやパスをミスするまで相手の攻撃が終わらないことを意味しているのではないか?
最終ラインに殆どの人間が吸収されて、バイタルスペースを空けてミドルシュートを連発される光景・・・
あまりにも攻撃が出来ない時間が多く、ずるずると下がってきてしまうFWの姿は、現在の日本のサッカー界に共通する問題であるとも言える。
「受けない守備」・・・「攻撃的精神」を貫く守備の出来るチームは、日本にはそう多くはない。
全くのフリーであるにも関わらず、大きくクリアをするだけの守備も世界のトップ10を目指す日本が忌み嫌うべき現象である。

あのイタリアのACミランでさえも、守りきろうとしても守りきれないのが現代サッカーであるとも言えると思う。
昨年のCL優勝は、受けに回らず、攻撃的な守備を貫いたからだとも言えるのではないか?
全てのケースで当てはまらないにせよ、攻撃の得意な選手に変えて、守備の得意な選手を交代で入れることは、必ずしも「守備固め」や「逃げ切る」戦略にならないことは、既に証明されていることでもある。

ただボール保持者に、守備者がボールに喰らいつくことの出来ないシュチュエーションも存在する。
一人で膨大なスペースをカバーしなければならない時、ボールを持った選手に多くのスペースを与えられている時、数的不利になった時・・・・
そうはならない為の「リスク管理」や「コンパクトフィールド」こそが必要不可欠である。

リスク管理に関しては、サイドバックやアンカーや中盤の選手の知性に懸かっていると思う。
相手の手薄なところを攻める・・・という共通理解がなされている限りは、このうち誰が最前線まで駆け上がっても構わない。ハッキリとした動きは逆にリスクの所在地を明確にする。そしてそれは縦へのスピードをチームにもたらし得る。
コンパクトフィールドを実践し続けるのは非常に難しいが、理屈の上では可能でもある。どのポジションの選手もそれを実践する為の体力が求められてもいる。
コンパクトであることは、別にラインの高低を意味はしない。重要なのはボールに喰らいつくシュチュエーションを作り出すことだ。一発でかわされるかもしれない・・・というのは守備者からすれば、大変な恐怖だとも思う。そういう事態に陥らない為の、保障でもある。
ラインを上げるべきだとしたのは、日本サッカーが倒していかなければならない相手の優位性を消す為でもある。

その守備を実現したとしても、押し込まれる場面は必ず出てくる。
そしてその脱出方法こそが実は鍵でもある。
守から攻への素早い転進、一番小さな局面でのフリーランニングによる数的優位の確保、簡単にクリアをしないという共通理解、そして厳しいボールを自分のものにする技術・・・裏への大きなパスや、それに対する走り込みも一つの手段(最後の手段)でもあると思う。

「精神的守勢」に陥れば、相手の前進を許し、相手の攻撃の時間を長くするだけでもある。攻守が入れ替わっているにも関わらず、足が止まっている場面が多く見られるのが、その証明でもある。

そういう訳で「攻撃的な守備」こそが日本のサッカー界が目指すべき道であるのだと僕は思うのである。

そしてコインの裏表と同じで、攻撃にもいい影響を与えるはずだ。

ボールと戯れているだけだ!!と言われがちな日本選手の技術も、応用を経て、より実践的なものになるのではないだろうか??



うーーん・・・文章として大丈夫だろうか?と思いつつ・・・

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posted by モーリー |11:12 | コメント(15) | トラックバック(0)
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