2007年07月29日

負けたから敗因を探す?それよりも『綱渡り』はいかが?

僕はこのアジアカップに非常に満足している。いや、大満足だ!!
「勝利」は多くのものを覆い隠す・・・日本の課題が見つかったから満足だ!という事ではなく、単純に「サッカーにはこういう日もある・・・」とでも言いたくなるようなサッカーを日本代表がしてくれたと思っている。しかも敗北を喫したのである。その鮮烈な「記憶」は、選手を更に強くさせるだろう。そして大いなる「後悔」は、さらに「考える」ことへの足がかりになるに違いない。
当然のことながら、僕たちは日本人。
「運が良かったね、サウジも韓国も・・・」と冷笑するでもなく、
「いいサッカーをしたほうが、勝てるとは限らないのがサッカーさ・・・」と皮肉るでもなく、
「何故勝てなかったのか?何が足りなかったのか?」と、ある意味暑苦しく真面目すぎるくらいに、考えるのが本来の僕たちの姿だ!と言いたい。それは、僕たちのいいところかもしれない。

メディアは手ぐすねを引いて「失敗」を待っている。彼らの正義は新聞を売る事であり、視聴率を稼ぐことだ。「まさかの」失敗は、センセーショナルを求める彼らはには最高の消費財に違いない。
サウジ戦において、加地へのコンタクトがファールで、羽生のシュートが決まっていれば、彼らはオシムとその選手達を賞賛するのである。(こういう前提は成り立たないのを承知の上で・・・)
消費し尽した荒野で彼らは「王子」を探すのである。
幸いにも日本にはサッカーを愛するメディアがある。ジャーナリストがいる。その方たちも「日本の課題」と「このチームの課題」を探し続ける。戦犯を探す無自覚な結果主義者としてではなく、日本サッカーの一員として・・・
局面における失敗の指摘は、あくまでも明日への糧である。前回書いたように「共通理解」の熟成の為でもある。その「厳しさ」は「愛情」でもある。決してその選手に「失格の烙印」を押すものでは断じてない。
日本サッカーの一つの特徴として、「長いスパンで選手を判断する」というものがあるらしい。それはサッカー界の底辺で行われていることでもある。そして日本代表の選手達も長いスパンを経て、そこに到達した選手達の集まりでもある。
「プロは結果が大事・・・」
とはよく言われることでもある。そういう「生存競争」があることを承知で言わせてもらうならば、僕の考える「プロフェッショナリズム」とは「サッカーに全てをそそぐ決意と覚悟」なのだといいたくなる。
その「プロセス重視」が責任ある現場の人間によって行われていることも、オシムを日本が呼び寄せた一つの理由なのだ!とも言いたくなる。

そして負けてなお「良かった」と思える理由がもう一つある。周りのヒステリックな反応を見て言わせていただくが、三連覇を果たすことによってオシムが「アンタッチャブル」にならずに済んだ・・・という事である。
オシムが「名将」と祭り上げられ、「免罪符」を与えられることは、サッカー界の健康上よくないのだと僕は考える。そしてオシムもそれを全く望まないであろう事は、想像に易い。
「理解者」と「圧力をかける者」の折衝は、健康的なのだと思う。そして「全員を尊重するやり方・・・」とオシムが言った「アンビバレントなポリバレント」は日本人の得意とするところでもある(はず)。

負けて悔しいのは当たり前。悔しくなければ望みは無い。
そうだとしても敗因は一つではないし、他の選手が出ていれば云々・・・というのは「下衆の勘繰り」と言えなくも無い。選手も監督も言い訳しないが、大会前に一番疲れていたのは日本であることも忘れてはならない。
そして、これが「ベストメンバー」ではない。と確信を持って言える。それはオシムが「そう思ってない」という意味での確信だ。「これがベストだ!」とオシムは言ったが、そんなに単純な爺さんではない。と、僕は思っている。

負けたから探し出した理由があまりにも多いような気がする。それは「課題を探し続けている姿勢」とは違う。
僕から言わせれば「サウジも韓国もラッキーだったね。」と言いたくなる。勝利に浮かれ問題点を隠している姿を眺めては、ほくそ笑みたくもなる。一番大事な戦いは、そう遠くない未来に訪れる。

そしてようやくタイトルにある「綱渡り」の話・・・
「そういうリスクを冒しながらするサッカーが、日本人には合っていると思う・・・」
韓国戦後のオシムのコメントである。このコメントを見て思わず、
「そうなんだ!!」
と叫びそうになった。それは常々僕が思っていたことでもある。
だから皆で
「そのスリルを楽しもう!!」
と言いたいわけではもちろん無い(笑)

僕の尊敬する方が、かつてこんな事を言っていました。
「人生とは綱渡りのようなものである。走っても落ちるし、止まったままでも落ちてしまう。もちろん前に進むためにはバランス棒が必要で、片方は家族・友人・自分に関わる様々な人々・・・片方は歴史・伝統・宗教・・・どちらも大切で、片方により過ぎるとそれも落ちてしまう・・・」
完全な引用ではありませんが、大体こういうニュアンスです。
バランス棒の片方を「プライベート」とし、もう片方を「パブリック」だとしています。
サッカーの世界の『バランス棒』は「長期的な目標」と「短期的な目標」。「結果」と「内容」。だと仮定することが出来ると思います。

衝撃的な敗戦で、バランス棒の端っこあたりを握っていないでしょうか?
惨敗したドイツで「バランス棒を落としてしまったかもしれない。」
と感じていた僕は、今では「もう片方」を支えてきた人たちの存在を確信できます。
しっかりとバランス棒を握って「綱渡り」をすれば、今よりも早く進歩できるのかもしれません・・・

そういう僕は・・・・
「感動した!!」と言いながら、休憩している怠慢(苦笑)このままでは「落ちる」かもwww
「雨後の竹の子」があっちの方からも生えないかな?と期待しつつ・・・

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posted by モーリー |20:41 | コメント(26) | トラックバック(0)
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2007年07月19日

『日本サッカー』の共通理解を考える。

敗北は喫したドイツワールドカップで中村俊輔が感じたこと・・・それは
「日本サッカーには共通理解がない。」
結果的に惨敗となったブラジル戦で彼は確信を抱く。
「ブラジルなんかは、一瞬の局面で同じ絵がパッと描けるんだよ。」

そもそもサッカーにおける「共通理解」とは一体なんなのでしょう?
恐らくは局面における正解が極めて同じ・・・という事なのだと思います。サッカーというゲームの本質をどのように理解しているか?という事なのだろうと思います。そしてその「共通理解」が極めて同じ・・・というところから「日本スタイル」のサッカーが形作られる・・・僕はそう思います。

甲府の名将大木武はサッカーの日本化についてこう語っています。
『(中略)具体的に言ったら、攻撃はこんな形で、ディフェンスはこんな形でっていう、語ることが出来るレベルにあるのかどうか、それが一番大切なことじゃないかな。あっちにパスを出したけど今のはこっちでしょ、って言ったら、10人中8人ぐらいが「うん、そうだな」と、言えるぐらいになる。』
そして『整然としたものの中からは何も出てこないと思うんだよね。』と言い、
『混沌としたものの中から、何かが生まれて来るんだよ。うん。カオスだよ、カオス。それがあっちこちから出て、雨後の竹の子のように出てくるわけだよね。出てくればいいんだけど、なかなか出てこない。そんな中から、こう何ていうかな、混ざりに混ざってピューッと一切がつながって出てくる。それが理想なんだけど。そうなっていかないと日本化なんて言えないんじゃないかな。誰かが作ろうとしても無理だと思うよ。・・・』(『』内、全て引用。サッカー批評~35~より)

オシムをして「普通じゃない」と言わしめる大木監督・・・彼は誰かが作ったデザインをなぞるだけでは「日本サッカー」は生まれないと思っている。そしてそれには時間が必要だと言っている・・・大木監督曰く「30年くらい・・・」長いなあ・・・
日本スタイルの構築・・・その為には「全員がやらなきゃ」とも言っている。恐らくは、観客も含めて・・・

フランスはルマンの松井大輔は
「道端で出会った爺さんなんかが、あそこはパスだろ!なんて言ってくる・・・日本もこういう風になって欲しい。」
それこそ街中でばったり出会う爺さんまでもが、サッカーに対して、何らかの正解を持っている。そういうところのサッカーは恐らくは観客の反応も、正解に拍手と歓声を送るようになっていると思う。
先日訪れたマンUのファーガソンもその違いについて言っている。
「イングランドではいいプレーの後に拍手がある。ロナウドがボールを持っただけで歓声が沸いたのには少し驚いた・・・」
というようなことを言っている。

選手にとっても「いいプレー」を褒められるというのは励みになると思う。同じように悪いプレーへの、ため息やブーイングは、選手は痛恨の記憶とともに、その失敗を記憶する材料にもなっていると思う。

オシムは「日本サッカーの問題点」としてこう言っている・・・
「日本では、失敗の責任をチーム全体で受け止める・・・それはある意味では曖昧だ。はっきりと指摘してやらねば、その選手は再び繰り返す。それでは失敗から学べない。」
という事を言っています。

それらを踏まえて僕は思います。
日本サッカーが共通理解を持ち得る為には、局面における正解を見つけ、失敗を指摘し、共有すること・・・そしてその失敗した者に挽回のチャンスを与えて欲しいという事です。
もちろんサッカーにはその他の要素もたくさん含まれると思います。ゲームの流れや、状況を考えながらプレーするという事もそうだと思います。
ただ、局面における正解・・・例えば「あそこはパスだ。」「いや彼ならば、ドリブルで行ってもよかった。」答えは無数にあるものだとは思いますが、それが大体同じになってくると「日本スタイル」なるものの形が見えてくるのではないでしょうか?
そして、その局面での「引き出し」(プレイの選択肢)の多さこそ、いい選手の条件なのかもしれないし、それを共有しているチームがいいチームなのかもしれません。

ポゼッションサッカーやリアクションサッカーは違いでしかなく、優劣を決めるものではないような気がします。もちろんどちらも出来ることがいいのでしょうが・・・当然のことながら、自分達の選手の特徴もありますし、相手もいることです。状況によってベストの選択肢は変わるものだと思います。

大木監督が三十年と言った「日本のサッカーの構築」
オシムが目指す「日本サッカーの日本化。」
それはフォーメーションやシステムや戦術や戦い方ではなく、ある意味普遍性を持ったものへの挑戦なのかもしれません。
サッカゲームへの理解とでも言いましょうか・・・彼が行っている練習は戦術練習ではなく、状況判断の練習と言われています。
そこを見誤ると、それこそ日本サッカーの日本化などは遥か夢のかなただと感じています。

何を「学ぶ」のが正解か!それこそ雨後の竹の子のように出てきて、それが何らかの形で繋がってほしいと思います。
その先にこそ「日本サッカー」があるはず・・・

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posted by モーリー |23:09 | コメント(31) | トラックバック(0)
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2007年07月19日

豪州戦を思う・・・僕は彼らに裏切られない!!

オシム曰く
「期待しすぎた分、失望も大きかった。」
就任会見で、ドイツワールドカップを振り返って言った言葉である・・・

「不人気代表」なるフレーズが各メディアに踊る様子を苦々しく思い、「日本サッカーは死んだのか?」なる表紙の本を、希望を探し出すべく読み漁った記憶もある・・・

前監督のジーコが「あそこで終わった・・・」と嘆いた「魔の9分」。
あれからおよそ一年。日本対オーストラリアは、またしても真剣勝負の公式戦で行われることになった。
NHKのアジアカップ特集で、「日本?頑張ってほしいけど、無理だと思うよ。」「残念ながら日本はサッカルーズには勝てないよ!!」と笑みをたたえながら、インタビュアーの質問に答えるオーストラリアのファンに、苛立ちと怒りを覚えつつも「負けたのは事実・・・」とニヒルに自分を納得させつつ、「次こそは勝ってやる!!だから当たるまで負けるなよ!!」と実際に戦うわけでもない僕が何故か?闘志を奮い立たせたものである。

選手もその気持ちを汲んでくれるだろうとは思う。日本サッカーを覆う環境に感じることの出来る「閉塞感」のようなものをぶち壊そうと考える選手もいるだろうと思う。僕は過去の敗北を認める彼ら・・・それでもそこに留まらず、前進しようとする彼らを、僕は信じる!!
ヒディングに「日本は精神力がない!!」と言われたジーコとその選手達・・・もちろんそれを目撃した者たちはその後ろに日本人の精神性を見るだろう。僕たちがオシムの後ろに旧ユーゴやボスニアの精神性を探すように・・・

僕は何が何でも勝って欲しいと思う。そして勝つ為に、石にかじりついてでも勝とうとする彼らを見たい。
それさえ見られれば、彼らを信じる僕は決して裏切られたとは思わないだろう。そういう意味で僕は彼らに期待しようとは思う。

「そんなに力むなよ。」
と遠藤なんかは思うかもしれないけれど・・・感情は決して表に出さないそんな彼でも、胸に秘めたる熱い情熱を、僕は感じることが出来る。
「我々に失敗する権利はないのか?」
とオシムは言うかもしれないけれど、恐らくは彼だってドイツでの日本の様子をどれだけ無念な気持ちで眺めたかは想像できる。彼は「そんな事は強調しないで欲しい。」と言うだろうけれど、彼は日本も日本人にも愛情を寄せているだろうと思う。もちろん日本のサッカーにも・・・

それぞれが、それぞれに「思うところ」はあるだろう豪州戦。不安とも期待ともつかぬ複雑な感情で彼らはいるだろうと思う。そして、それは戦いに臨む者としては「いい精神状態」だと思う。

僕は彼らに期待しようと思う。それは彼らが最後の瞬間まで自分を出し切るという事、自分を表現するという事においてである。
そして彼らの「自分」のなかに、僕たちの思いを背負ってくれているという事に・・・

僕はもちろん日本が勝つだろうと思っている。

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posted by モーリー |22:45 | コメント(7) | トラックバック(0)
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2007年07月05日

前進するために厳しい愛情が必要だというならば・・・

「ドイツでの敗北の要因は、選手・チーム・メディア・ファン・・・全ての濃度の違いである!!」
多分、加部究さんの言葉だと思う。(記憶違いかも・・・)
この言葉は、凄く的を得ているように思う。
時代がジーコを望み、多くのファンはそれを支持した。中国でのアジアカップ直後には、支持率なるものが発表され、その数字は8割~9割にも達したという・・・
そういう僕は、今でも好きなジーコの数少ない手ごたえのある試合・・・例えば2003コンフェデでのフランス戦、2005コンフェデでのギリシャ戦・ブラジル戦で見せたパフォーマンスを本大会でも発揮してくれるはずだと淡い期待を抱いていた。
ジーコという人格者の下に「結束」し、「サムライブルー」を名乗る彼らは、その名の如く「ジーコの為に・・・」それこそ不退転の覚悟で試合に臨んでくれるものとばかり、盲目の信頼を置いていた。

それはきっと甘かったのだ。
人間はきっとそんなに単純ではないのだと思う。
「正当性」があると思えない選手選考に、選手起用に、不満を持つな!!とは簡単には言えない。いくら日本を代表しているからといって、ただ忠誠を誓えというのはあまりにも理不尽だ。僕たち自身がジーコを支持していたのである。そんな僕らに忠誠を誓えとは僕は言えない。
もちろん「日本」代表というのは、それだけじゃないとは思ってはいても・・・

最初の言葉を借りて言うならば、僕らの濃度が薄かったのだ・・・

中田英寿は、ブラジル戦の最後の10分・・・「こんな不甲斐ない僕らにそれでも声を枯らして応援してくれる」日本人を見て、思わず涙をこぼしたという・・・
中村俊輔は、前回の自らの落選を振り返り「落選した人の分まで・・・」と言った。
当確と言われていた久保竜彦は、まさかの落選のすぐ後に、あれほどカメラの前で話すのが苦手な男が自らカメラの前に立ち「今まで一緒に頑張った仲間だから、頑張ってほしい・・・」と言った。
久保の言葉は激しく僕の心を揺さぶり、それはもう涙が止まらなかった。

ドイツでの日本代表はそれぞれに「ベスト」を尽くした。それだけは間違いない。
それでもチームの「結束」は見られなかった。
ステップアップの舞台と捉えていた者もいるかもしれない。
自分が出て活躍することのほうが大事だと思っていた者もいるかもしれない。
ぶつかることもせず、ただ不満を述べた者もいるかもしれない。
全ては憶測ではあるが、チームに連帯感を感じなかったのは事実である。
そしてもう一つ・・・そんな危惧もせずに、今さら語る僕もまた卑怯である。
サッカーは間違いなく人間が行うスポーツ・・・いくら合理を追求したとして、人間から感情を奪い去れるはずもない。そうであるならば、人間理解なくして、サッカーを理解することなど不可能なのかもしれない。

前回僕は、アジアカップに「優勝」と、その為の「結束」を求めると書いた。
優勝を求めたのは、そういう「情緒」こそが勝負を分ける気がしているから・・・戦う前にそれを放棄する理由はない。大会前に負ける前提で話をするのは、マナー違反のような気がしている。

そして何より色んな思いが染み付いた「日の丸」と「ヤタガラス」・・・失敗を成功の糧にするべく、後悔や無念の涙を未来の歓喜に変えるべく、僕は最低限、ノルマと言っても構わないが『結束』を求めたい。
『チームの結束』を強く求めたい。
ファンも強くならなければならないのならば、愛する者に対して、愛するが故の批判もせねばならないのかもしれない・・・それが愛した者の涙に報いる行為ならば・・・・

アジアカップは「結果」と共に「内容」が重要な大会だ。それを意識しておく事は、前回優勝した後に、ジーコの神通力を信じた我々に対する戒めでもある。
その為には、そもそも自分自身がどのようなサッカーを求めるのか?それを明確にせねばならない。
いわゆる「日本のサッカー」を・・・
僕は日本人は美意識の高い国民だと思っている。
美しい機能美も、美しい技術と判断の結晶も見たい気がしている。
「勇気のある前進」を見たいし、それこそが日本が世界と戦う上での最低限の条件だとも思っている。
何よりも、戦う姿は美しい・・・とも思っている。

何よりもまず「結束」を・・・
そして「世界のトップ10」の道の途中にいるところを見せて欲しい・・・

『日本サッカー』が前進するために・・・・


追伸 くさいなぁ・・・恥ずかしいなぁ・・・でも本心・・・欲張り?
正直アジアカップはふたを開けてみるまでわからない(笑)他の国の強さがわからないし・・・相対化できるほどに、力関係を計れないし・・・ビックリするほど他の国が強かったら、また再出発すればいい!!多分・・・

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posted by モーリー |16:17 | コメント(38) | トラックバック(0)
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