2007年02月27日
「イジメ」はまさに「理不尽」である。そして「理不尽」は絶対になくならない。人間が人間である限り、ずっと直面し続ける問題だと思う。
僕は現在のいわゆる「イジメ」問題を取り巻く環境に、ある種の違和感を抱いているが、皆さんはどうでしょうか?
前回紹介したあるブログを見て抱いた感想は
「これでは日本に本物のFWは現れにくいな。」
というのが実は第一の感想です。
大きな社会問題で、命まで絶つ子供がいるのに不謹慎だ!と思われるかもしれないが、本当にそう思ったのだ。
僕には自殺する子供が「絶望」の中で死んでるように思えない。むしろ「抗議」の死ではないかと思う。抗議を「死」という手段でしか出来ないのは、本当に残念なことだ。残される親は「イジメ」で受けた痛みの何倍もの苦しみを、残された人生で味あわなければならない。それこそはまさしく「絶望」であり、生き地獄だと僕は思う。
イジメを受けることは恥ずかしいことではない。なぜならそれは「理不尽」だから。もし直面したならば「闘う」しかないと子供に教えるべきだと、僕は思う。僕ならば「闘い方」を教える。
さて日本のFWのことである。
柳沢敦は、Wカップのクロアチア戦で決定的なシュートを外した。テレビで何度もリプレイされ、多くの人は「ありえない!!」と怒りをぶつけた。
リトバルスキーは「ゲルト・ミューラーならギブスしていても決めた。」と言い放った。そういう僕は「俺でも決めた!」と叫び、怒りのあまり星一徹になっていた。
フランス大会で日本代表の城彰二は帰国した際、水を浴びせられた。カズにいたっては、卵やら机やら色んなものを投げつけられた。
全員に共通しているのは「ベスト」を尽くしたということである。能力にしろ精神力にしろ持ってるものは各々違うが、全員が「ベスト」を尽くしたというだろう。
しかしこれらの「理不尽」とも言える仕打ちを乗り越えたと思えるのはカズひとりだと僕は感じている。
城は引退したが才能に見合ったキャリアを全うできなかったし、柳沢に至っては昨季の後半はポジションさえ失いかけた。
今日語りたいのは柳沢のことである。円熟期に入り今シーズンからは主将を務める。僕の柳沢評は、何でも出来る頑固者。FWとして、貪欲さにかけると言われ続ける柳沢。彼は一時スタイルを変えようとした。遠くからシュートを放ち、ドリブルで突っかけた。解説者は「積極的でいいですよ。」などと絶賛していた。ある日の代表戦の話である。
柳沢は「自分を見失っていた。VTRを見て恥ずかしくなった。」と振り返る。彼はその後FWとしては特異なスタイルで今日に至る。間違いなく頑固者だ。
イタリアでもそのスタイルを変えることは無かった。「マーケティングの一環」と現地メディアに言われ続け、テクニックもスピードも何も見劣りしなかったのに、いわゆる「エゴ」が足りないとみなされた為に、ついにはFWとすらみなされなかった。しかも2トップのチームでである。彼は「ワールドカップの為に」日本に「オレンジ大使」として帰還した。僕は成功するまで帰って来て欲しくなかったが、これを日本社会は受け入れた(ように見える)。もしこれがマリノスの選手なら少なくとも僕は罵倒した。成功するまで帰って来るな!!と・・・
結論としてストライカーは社会の鏡かもしれないということだ。僕はサッカーの為に社会を変えろなどと言う馬鹿ではない。いや馬鹿だが、それは違うと愚かな僕でもわかる。
ただし「イジメ」に対して「逃げろ」と言ったり、戦うことをルール化したスポーツを=フェアで一括りにして、アンフェア=イジメとするのは偽善であるし欺瞞であると感じているだけである。
求めるものが違えば理想像は変わる。走り出して日の浅い日本サッカーはどのようなストライカー像を求めるのか?もしかするとそれが日本のストライカーの今後を決めるのかもしれない。
最後に・・・柳沢はあの試合決定的なミスを犯した。それは事実だ。海外でも実力に見合った成績を残せなかった(と、僕は思う。)。しかしそれでも頑なにプレイスタイルを守る彼の美学も悪くないのかもしれないと思い始めている。それが「理不尽」に対する彼の回答であるならば・・・・
posted by モーリー |08:34 |
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2007年02月24日
やっぱり浦和のサッカーは、前近代的だった。コンディションが伴わなければ、脆くも崩れる。戦術的な進歩は見られずじまいだった。
去年は見られた高い集中力も球際の強さも見られない。それがなければ、浦和は並みのチーム。
このブログでも浦和の守備について何度も書いたが、その際決して「いい守備」ではないと書いたが、今日それは証明された。守る人数が多いだけで、いい守備ではない。去年浦和の守備を賞賛した人は、サッカーを知らないのだ。
一体何人がボールラインより下がり、何人がボックス内にいるチームの守備が強いと言えるのか?ただの人海戦術である。
出所を押さえた今日のガンバの守備こそが、ワールドスタンダードである。
まさに「ハリボテ」の壁の陥落である。
欠場した闘将は、何も出来ないチームを笑って眺める・・・そこにチャンピオンの面影なし!!
試合の終わりに、0-4で負けるチームのサポーターの馬鹿騒ぎ・・・そこにチャンピオンの品格なし!!
posted by モーリー |16:42 |
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2007年02月23日
先日あるブログを読んだ。
「スポーツ界は何故[イジメ問題]に立ち上がらないのか?」
「[イジメ問題]に取り組まないスポーツ少年団や少年サッカーチームは即刻解決すべし。」
「イジメはスポーツで解決すべし!」
スポーツをする子はイジメをしないのではなく、イジメをしない子、されない子、見過ごさない子を育てるためにスポーツマンにする。
スポーツマンであればイジメをするな、許すな!と教えるべきだ!
「尊重」の対極にあるのが「イジメ」であり、「尊重」することが「スポーツマンシップ」なのだから、「イジメ」はスポーツの敵だ!!
こういう趣旨である。
これを見て皆さんはどう思うでしょうか?
そうだ確かに「イジメ」は悪い。と考えられるでしょうか?僕は「NO」とあえて答える。むしろ本気で思っている。「イジメ」が悪いのではなく、いじめる奴が悪いのだ!!
動詞を名詞に変えて、その後に~問題なんてつけたりすると、その名詞そのものが悪で、その問題に巻き込まれる人全てが「被害者」のように聞こえてしまうから不思議だ。
やれ「子供達がストレスに晒されている。」だの「競争社会の弊害。」だの、変な議論を大人達がまともにしているから余計に滑稽だ。
「イジメ問題」はいじめる奴が悪いのだ。「イジメがあったかどうか?」ではなく、「誰がイジメたか?」が問題のはずだ。
また、この人が言うにはスポーツマンはイジメをしないらしい。これはあまりにもロマンチックすぎる話ではないか?人間理解が僕とはあまりにも違う。
僕は人間とは「闘い」を宿命付けられたものだと考える。
僕にはいじめられた経験がある。
高校の野球部で生意気だった僕は「標的」になった。理不尽な仕打ちを受けた事は一度や二度ではない。もちろん、肉体的にも精神的にも苦しいこともあった。同級生も媚びる奴が、可愛がられた。それは僕の中では格好悪いことだった。一人では俺にいちゃもんすらつけられない奴に媚びる事など、僕には出来ない。それでは、女にもてない。
ある日僕は、同級生の多くに囲まれた。
「OOさんが、うざいと言ってる。」と言ってきた。10人以上いたがまずはそいつに
「何でOOさんは(一応敬語)、直接言ってこんのんなら!!」と言い、
「オメーはどう思っとんな!!」といい、シバキまわした。周りの奴は手を出さなかった。そいつは友達だと思っていたのに、あまりにも正義面してくるので腹が立って手が出てしまった。そいつは謝り、今でも友人である。
そのOOさんは、直接言ってくることもなく卒業した。ただの弱虫だった。もちろん僕は厳しい視線を送り続けた。そしてOOさんは目をそらし続けて卒業する羽目になったのだ。
僕はいじめた経験もある。その彼とは今でも酒を飲む仲間である。彼もまた逃げなかった。僕が徒党を組まずに、直接言い続けたこともまた良かったのかもしれない。今はすごく尊敬している。
僕は「何か」を守り、彼もまた「何か」を守った。ただ、逃げたりはしなかった。
僕がこのブログを読んで思ったのは、日本のFWの事である。本当にそう思ったのだ。これについてはまた次回。
サッカーでは決定的なミスを犯した選手は叩かれる。ドイツWカップの、クロアチア戦の柳沢などは典型的だ。しかも、国民全員で叩いたのだ。
これはある意味「イジメ」であり、間違いなくバッシングである。マスコミは「イジメ」をしたのか?そうでないなら何なのか?この続きも次回です。
バラバラになってきたところで、続きは次回です。
そもそも、スポーツマンシップと「イジメ問題」は何の関係もないはずである。
posted by モーリー |19:27 |
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2007年02月16日
「・・・彼は日本代表に何をもたらすのか?それによって何を浪費するのか?・・・」
彼とは、日本が誇る特異なレフティ、中村俊輔の事である。
前回僕は大いなる期待を込めて、オシムと中村は、オシムとピクシーになりうると書いた。
オシムは中村についてこう評価する。
杉山茂樹氏に
「受けに回った時、中村の背後は危険地帯になります。」こう問われて
オシムは
「当然だ。」と答える。
続けて、彼の守備が弱いこと、対峙する選手(サイドバック)が楽に攻撃できること、俊輔のような選手が自陣でボールを失うことがいかに危険なことかを説いたあと、こう続ける。
「しかしそのような選手は、一方において、世界で最も興味深い選手だといえる。」
オシムはセルティックを「中村中心のチーム。」と評し、「そのようなチーム作りはしない。」と答える。その一方で彼のような選手を、有機的にチームに昇華する事に、意義や挑戦を感じている節を感じさせる。
オシムは中村がプレイする際に、必要な選手達を挙げている。
1・後方から駆け上がるサイドバック。
2・センタリングを受ける息のあったセンターフォワード。
3・高い位置でサイドチェンジを受ける左ウイング的なフォワード。
4・サッカーを良く知るトップ下。
5・中村の背後をケアするフィジカルの強い賢い選手。
これらの選手が連動することが「必要」だとオシムは言う。例えで選手を当てはめると
1・加地や駒野 2・巻や我那覇や高原 3・山岸や田中達也。佐藤寿人や松井大輔も入るかもしれない。 4・遠藤や中村憲剛 5・阿部や鈴木啓太や今野。これらの選手を当てはめることが出来ると思う。中村がチームに入るベースは出来つつあるということも言えるかもしれない。
しかしオシム流に言えば、一番上の文章の続きはこういうことになる。
「・・・中村が絶好調でも、チームが悪いプレーをしたなら、当然結果は出ない。その場合、中村のポジションは失われることになるだろう。」
中村は目に見える形で、結果を残さなければならない。周りの選手達を納得させるプレーを見せることが出来なければ、代表で彼の姿を見ることは出来ない。
「正当性」ジーコに欠けていて、オシムにあるもの。これは、ピッチに出る選手や代表に選ばれる選手が感じていることだと思う。いいプレイをすれば、試合に出れる。今は全てのJリーガーが感じていることかもしれない。中村には、「正当性」に値する結果を出すことが求められる。周りの選手の献身を受けてこそ輝く中村はその全てをピッチで表現する必要がある。
「・・・日本代表をさ、日本のサッカーをもっと強くしたい。・・・これからは(これぞ日本のサッカー)っていうものを作っていきたい。・・・」とは、中村俊輔の言葉である。[日本を日本化する]ことを標榜するオシムとベクトルは同じである。
オシムもまた、遠くスコットランドからの熱意を感じていることだろうと思う。彼にもまた、巻やゴン中山といった選手に通じる[日本の美徳]を感じているかもしれない。
[一年のつもりできた]日本に、オシムはいまだなお留まっている。
[オシムはなんだかんだ言ったて、日本と日本のサッカーが好きなんだよ。]とはオシムを良く知る人の言葉らしい。
日本人の持つ、アンビバレントなポリバレント性に魅せられている。とも言っている。排除するのではなく、融合を試みる日本の文化に新たな発見があるらしい。
オシムが中村をチームに融合させることももしかすると、[日本的]なのかもしれない。それに[日本化]を見ることは、いささか強引過ぎるだろうか?
最後に、オシムが日本にいる幸せを思うたびに感謝せずにはいられない。
ジェフサポーター、ウバガイさん、千葉の人々。。本当にありがとう!!
「」内は全て引用。
ナンバー671号。週間サッカーマガジン2・13日号。
posted by モーリー |17:49 |
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2007年02月13日
「エクストラキッカー」とか「チームで唯一の選手」だとか、我らが代表チームの監督はそういう表現を良く使う。オシムは、俊輔も小笠原満男も中田英寿も小野伸二も「チームで唯一の選手達。」だと評価した。それはある意味において、ドイツでの戦いの前に多くの日本人が抱いた幻想へのアンチテーゼでもあったように思う。
しかしオシムは、
「ドイツの代表では唯一、個人で打開できた選手。。」
中村をこう評価したという。
「考えて走るサッカー。」
メディアはこぞってオシムの発言どうりのフレーズを使い続けている。この世に考えずに走らないサッカーなど存在しないというのに・・・
最初の会見で、松井大輔を評価したこともあり「オシム監督のサッカーに俊輔を必要としていないのではないか?」という疑念がメディアに流れた。
また、日本のメディアの言うところの「司令塔」のポジションに遠藤や中村憲剛といった、所属チームで「ボランチ」(日本のメディアの言うところの)を務める選手を抜擢したことによってその流れは加速したように思う。
僕は、オシムのサッカーは非常に、挑発的なほどに攻撃的だと思っている。例えば、ジーコの代表でストッパーがサイドラインを駆け上がったり、ゴール前に進出する場面を思い出せるだろうか?例えば宮本が、奪った勢いそのままに前線に顔を出す場面は何回あっただろうか?
オシムは理想のゴールキーパー像を尋ねられた時に「手を使えるカンナバーロ」と答えたそうである。全員で守り、全員で攻める。この鉄則をより高度な次元で実践しようとしている。
メディアは、ロマンチストすぎた前監督のサッカーを「自由」というキャッチフレーズで表現した。オシムのサッカーを「走るサッカー」と表現するメディアはこの現象をどう捉えるのか?個々の判断に、より責任と重みを与えているのは明らかにオシムのほうである。どちらが自由かは、既に明白になっていると思う。責任の所在無き「自由」など、ただの「放蕩」である。
僕は、オシムはかなり中村俊輔を評価していると思う。攻撃だけに専念させることも、彼中心のチームを作ることもしないと思うが、彼をチームに組み入れようとするだろう。ユーゴ時代にサビチェビッチがチームの中心に据えられ無かったことを引き合いに、俊輔もスポイルされるのではないかと思っているメディアもあるようだが心配は要らないと思う。彼は、義務を怠らない。ただ守備が強くないだけである。そして、今のチームにはそれをフォローできるだけのメカニズムがあり、知性のある選手も多い。
中村俊輔もまた、日本のサッカーに貢献したいと強く思っている。海外に出ることによって日本への愛に目覚めるということはよくある事らしい。
彼はイタリアで、いつも一人だけ黄色のビブスを渡されたり、口外はそれほどしていないが、数多くの人種差別を受けたのだろう。
「日本人だから・・・」
「日本人のくせに・・・」
こういう理不尽な経験を積み重ねてきたことは、容易に想像できる。僕らは、これをメディアに訴えるでもなく「世界は一つだ!」と叫ぶでもなく「サッカーで見返してやる。」と静かに燃え続けたこの華奢だが美しいこのレフティをもっと日本人として誇りに思ってもいいのではないか?少なくとも僕はそう思っている。
最近の俊輔は、木村和司や名波浩の名前を出すこともあり、「縦軸」を意識した発言も増えてきた。「伝統」とも「習慣」とも表現できる、これらのものは俊輔がブラジル戦で「足りない」と思ったものでもあった。
そして、オシムは「日本を日本化する。」と言っている。中村俊輔がこれに魅力を感じないはずがない。日本スタイルの確立に、彼は参加したいと思っているはずであり、その為ならばなんだってする覚悟は出来ているはずだ。僕はそう信じている。
オシムは、「日本の魅力が最も詰まった選手」として中山雅史を挙げた。それは、俊輔や高原や巻、播戸や今野や阿部、鈴木啓太に確かに継承されてると思う。日本スタイルの確立は彼らの融合によってもたらされると今から期待している。
オシムと俊輔は、オシムとピクシーのような関係になるのかもしれない。さすがにこれは、淡い期待だろうか・・・・
次回は、最近の二人の発言から具体的にどうチームに入っていくかを想像したいと思います。
posted by モーリー |16:01 |
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2007年02月10日
前回あるお叱りを頂いて続きを書くことになりました。いつもテーマ(題名)を決めて書くのですが、書いているうちに怒りが込み上げてただのフロント批判に近い内容になってしまいました。反省しております。
いつもはなるべく、日本サッカーという観点から書くのですが、今回は愛しすぎているチームのことを書くので、かなり偏った内容になることを始めにお詫びいたします。
まず、早野サッカーと言われてもイメージできません。監督就任会見からして、何もしてないのに何故か「釈明会見」のようでしたし、早野さんの言葉に触れる機会も非常に少ないです。わずかな情報からですが、今季はより攻撃的にということで4-3-3になるようです。まず布陣から予想してみます。
鈴木
マルケス (大島・マイク・坂田) 坂田
(乾・清水) (吉田・清水)
山瀬功治
(マルクス・狩野)
那須 上野
エウチーニョ 松田 中澤 田中隼磨
(小宮山・田中祐介)(那須) (栗原) (栗原)
榎本
まあこのような感じでしょうか?著しくメンバー構成のバランスが悪いですね・・・
FW編
ユース上がりの選手を使うといっても、U-22もいないし・・・U-19もマイクだけ・・・さすがに水沼ジュニアも若すぎるし。その中で唯一の希望が乾貴士!!オリンピックのデビュー戦には驚いた!!ドリブル&パスは独特。あのリティが「マテウスの若い頃にそっくり。。」ってオイッ!!マテウスは違うだろう。と突っ込みは入れたくなったけど、いい選手なのは間違いないようだ。味方選手の評価も上々。シーズンフルは無理だろうけど、大事に使って欲しい。木村和司ー中村俊輔の系譜を継ぐサッカー小僧の誕生に期待。。
それにしても、構成のバランスが悪い。右のウイングに適性がいない。早野は(ここからは呼び捨てです。身内ですから・・・)左から、マルケス、鈴木、坂田と考えているようですが、いかにもノッキングを起こしそうな組み合わせです。僕は以前から坂田の点取りやとしての才能を評価してますから、高さを犠牲にしてでも(ヘディング自体は高くて、そこそこ上手ですが、あくまでも組み立ての局面)トップで使って欲しいです。ヨーロッパのトップシーンでも、3トップのセンターは必ずしもポストプレイヤーでなくても大丈夫です。
左にマルケスか、乾。真ん中に坂田。右に吉田が、攻撃的に振舞うには最適ではないでしょうか?鈴木師匠はスクランブル待機です。長いシーズンでは、必要な選手です。(いや、そう信じているのです。)いずれにしても、右のウイングがいません。今すぐにでも、それこそトレード(余り気味のセンターバック)してでも、補強すべきです。希望する選手は永井(レッズ)西、太田、カレン(ジュビロ)水野(ジェフ)平松(エスパルス)寺田(ガンバ)。
最後の二人は、可能性あるのではないでしょうか?平松は若手に押され気味だし、寺田は才能の割には西野監督に評価されているとも思いません。寺田は若いので、オプション付きのレンタルでもいいです。とにかく、扉を閉じないで補強して欲しい。それにしてもフロントの皆さんに計画性というものは無いのでしょうか・・・
MF編
ここが一番の問題セクション。攻撃サッカーをするために必要な選手がいない。しつこいようだが、なぜ奥を出したのかわからない。トップ下にマルクスを置き山瀬をボランチに置く案が有力なようですが、山瀬はトップ下でこそ能力を発揮する選手です。パスやドリブルが飛びぬけて上手いわけではありませんが、彼のフリーランニングやポジショニングが攻撃をスムーズにさせます。マルクスについては詳しくはありません。特徴を知ってる方がいたら、教えて欲しいです。ボランチこそがこのチームの弱点と言っていいと思います。上野以外に思い当たらず、システム的に一人にするのは前の布陣を見ると不安です。マルクスは守備で貢献できる選手だとは思えないのです。二人にするにしても、上野以外に本当に思いつきません。那須を置くにしても、彼はプレッシャーに弱く攻撃で多くを期待できません。組む選手が上野ならば、縦への推進力に弱く、攻撃が停滞すること間違いなしです。ユース上がりの、長谷川アーリア・ジャスールはいい選手だと聞きますが、いかんせん経験がありません。結論からして、やはりボランチにもう一人必要です。フロンターレの谷口あたりがベストですが(マリノスユースだし・・・)なんとか、ダイナミズムと守備力を兼ね備えた選手を獲得して欲しい。(マグロンはどうなった?)
DF編
唯一安心できるセクション。特にセンターは最強だと思う。サイドに関してもエウチーニョは未知数だけど、いざとなったら那須を回せばいいし、大卒の小宮山もいい選手らしい。右サイドにはタフネス隼磨がいる。4バックならば、そのスタミナがより際立つと思うし、経験もある。ただバックアップは課題。中澤と松田と栗原で高次元のポジション争いをして欲しい。
GK編
哲也が残り、達也が去った。個人的には、達也の方が安心感がある。
色々と書きましたが、少なくともあと二人は必要です。もちろん期待はしませんが・・・ポジションを勝ち取ったわけでもない若手にポジションを任せるのは危険だということを、フロントは忘れたのでしょうか?いずれにせよ我慢のシーズンになりますが、フロントの怠慢は忘れません。力強い若手の台頭を待ちながら・・・
posted by モーリー |17:55 |
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2007年02月08日
今年からチームが変わる。J史上初の、いやサッカー界初の「お笑いフットボール」を志向するチームが生まれようとしている・・・・
15年来のサポーターの僕ですら、自虐的になるしかない現状である。
二年連続9位。その前が連覇だったことを考えると、そして伝統あるクラブからすると間違いなく「低迷」である。
そもそもこのクラブの哲学は何なのか?フロントの選手獲得基準や監督選考基準が全く理解できない。井原や小村、松永や三浦文丈。功労者に対する無慈悲で敬意無き戦力外通告。かくして歴史は繰り返される。「奥大輔」黄金の輝きを放ったジュビロから三顧の礼を持ってクラブに迎え入れたMFに対しての「0」提示。プレイでも姿勢でもチームに貢献し、キャプテンマークまで巻いた選手にフロントは戦力外通告をした。そして久保も後を追うようにクラブを出た。しかも横浜FCである。いっそ自分も改宗してやろうか!!と自暴自棄に思ったものである。
こんなことで、闘う集団になることが出来るのだろうか?30を過ぎれば、若くて実績も無い選手に取って代わられる。松田でさえ、聖域ではない!!こんなことが有り得るのか?競争ではなく、年齢によって選手が駆逐される。奥の代わりは一体誰なのだ!!彼のポジションは誰が奪い取ったのだ!!彼らフロントにとって大事なのは、年俸総額だけだ。
監督問題も深刻である。岡田監督は、一度も宣言した「攻撃的で質の高いサッカー」見せることが出来なかった。僕は半年間引っ張りすぎたと感じている。彼は決して、少なくとも僕にとってはいい監督ではなかった。攻撃するビジョンを持ってはいなかった。彼が残したものは、それほど多くはない。
続いては、早野新監督である。おそらくほとんどのサポーターは「なぜ?」と思ったに違いない。僕は一年間、冷凍カプセルに入っていたい心境である。彼もまた、攻撃のビジョンを持っていない。それどころか、守備の方法を知らない。しかも、一昨年に見せた柏での采配で見せたとうり、チームマネージメントに優れているとも思えない。典型的な「思いつき指揮官」だと感じている。選手からの信頼を勝ち取れず、意欲を削いでしまえば、今年のチームは瓦解する。
駆け込みで選手を、つじつま合わせで獲得したが、フロントにも監督にもビジョンがあるとは思えない。
今年のマリノスサポーターは地団太を踏み、我慢をする術しか残されてはいない。
posted by モーリー |20:14 |
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2007年02月05日
メンタルとかモチベーションとか精神の分野にまで外国製品が使われだして久しい今日の日本サッカー界。僕はそれによって得られたものは無いと断言します。
「今日の試合はモチベーションが難しかった。」
「モチベーションが、なかなか上がらなかった。」
「チームとして、モチベーションが低かった。」
「相手のモチベーションのほうが高かった。」
そうか!!今日は「もちべいしょん」は相手に行ってしまったのか!!くそー「もちべいしょん」さえこっちに味方してくれれば・・・「もちべいしょん」のイジワルッ!!
何かが変だ。。自分達の葛藤の問題であるはずなのに、「モチベーション」に丸投げしているようで絶対に変だ。本来の意味では「動機付け」という意味らしいが、この試合は意味が無いといってるに等しく、やる気が無かったと公言しているに等しい。要するに「言い訳」にしか聞こえないのは僕だけでしょうか?
レベルや周りの環境が違う試合で、これらのことが全く理解できないわけではないが、こんなことを公言して恥ずかしいと思わないのは絶対におかしい。僕の感覚からすれば「恥知らず」なのである。
例えばオシムが「日本の魅力が最もつまった選手。」というゴン中山は、こんな事言うだろうか?絶対に言わないはずだ。
サッカーをすることが仕事であり、しかも夢であるはずの選手達が、サッカーの試合に意味を見出せないなんていうのは、情けないの一言です。やる気が無く意味が見出せないのなら、サッカーを辞めるなり海外に行くなりすればいい。かといってそのような覚悟も無く、彼らは「モチベーションが・・・」と言うのである。結局は安住の地に留まり続けるのである。
もちろん言葉の前提というものはありますが、僕には言い訳にしか聞こえません。
次は「メンタル」です。僕らの国にはたくさんの精神にまつわる言葉があります。「武士道」「大和魂」「勤勉精神」などなど、挙げればきりが有りません。「メンタル」と言われてもピンときません。
「メンタルって大事で、メンタルが勝負を分けるよねー。」
「あいつらメンタル半端ないから、難しいよねー。」
なんて言われた日には、
「最初から精神力で負ける宣言をする奴らなんて、応援するかっ!!」
と唾を吐きたくなります。精神力で負けるなんて、応援してくれる者に対しての侮辱だと思ってしまうのです。
ドイツでの日本代表は、負けた帰りのバスでニンテンドーDSで盛り上がり、ニコニコ談笑しながらホテルに帰ってきたそうです。僕から言わせれば、背信行為です。負けたことよりも遥かに恥ずかしいことです。
僕は勤勉精神を大事にする一般人ですが、闘うべき選手達には武士道を求めたいものです。彼らはサムライブルーなのですから・・・
かつての男達は、絶対に闘っていた!!
posted by モーリー |15:26 |
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2007年02月02日
名実共に、日本サッカーのトップランナーになる資格と可能性を秘めたチーム。それが現在の浦和を表現する言葉として、適当ではないかと思っています。
僕は、マリノスファンですが今回は日本サッカーを占う上で、浦和を題材にしました。レッズサポの皆様方、マリノスファンの泣き言と思わずに見てくれたら幸いです。
去年一番いいサッカー(クオリティの高いサッカー)を見せたチームはどこか?と聞かれて「レッズ」と応えるサッカーファンは少ないのではないかと思う。勝つことのみがいいサッカーだと言い切る人がいれば別ですが、サッカーの質と言うことで言えば少なくともトップ5にも入っていないのが現状だと思います。
いいサッカーの定義を言い出すと収拾がつかないので、今回は省きますが、去年の浦和が見せたサッカーは完全なリアクションサッカーであり、屈強な守備と前線の個人で勝利を重ねたサッカーでした。
ラインは低く、人数をかけることで守り、豊富な資金でバックアップを含めての勝利であり、戦術的にもスペクタクルという意味でも、志の低いサッカーだったと思います。ブッフバルトも明確な戦術のあった指揮官ではなく、選手に任せる部分の多い監督だったと認識しています。偉大なるモチベーターではあっても、名指揮官ではなく何も新しいものは生み出さなかった。日本が世界に出て行く上ではマイナスのほうが多いだろうと思っています。
このサッカーでは世界では太刀打ちできません。「いやいや、浦和が勝てばいいんだよ。」と言われれば、僕としては志が低いよ!!と言うしかありません。世界基準から大きく離れたサッカーを日本のチャンピオンがしているとなれば、それは日本のサッカーにとって大きな損失です。
幸いにも、監督が交代しました。今季はそのメンバーにふさわしいサッカーを見せて欲しいと思ってます。
最後に、彼らは多大な重圧に勝った偉大なチャンピオンだと言わねばなりません。見せるサッカーはともかく、集中力が大変高く、局面での厳しさもチャンピオンにふさわしいものでした。「負けられない」という闘争心は素晴らしいものがあったといわねばなりません。
それを、打ち破るチームが現れてくることと、レッズが「サッカーすらさせないよ」「これが日本のサッカーだ!!」というものをアジアで見せてくれることを期待しながら・・・・
posted by モーリー |20:45 |
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