2008年01月14日

オシムイズムの体現者たれ! ~1~

『オシム流の継続』と『日本化』

少なくとも僕が知っている限り、オシム流の継続なる言葉そのものが、オシムの残したかったものを理解しない言葉であるように思う。オシムは
「日本は既にして誇るべき日本なのだ!」
と言った。彼が千葉を、日本代表を率いてピッチで体現したかったのは、決して「自分」のサッカーではない。
自分に与えられた選手で、最高のサッカーを披露しようとしていただけに過ぎない。そこに彼のサッカー哲学、サッカー理解を込め、そして日本人サッカー選手の潜在能力を最大限に引き出そうとしていたのが彼のサッカー・・・いわゆる「オシム流」と言われるサッカーだと言っていい。それをオシム流のサッカーと呼ばれるのは本人の望むところではないだろう。
彼はそれを「日本サッカーの日本化」と呼び、その完成形は、今後の日本のサッカー界にとって大きなヒントになるはずだった。

そういう意味では、継続すべきは「日本化」であり「オシム流のサッカー」などではないのだと思う。それはオシムの望むところではなく、オシム自身は
「そんなサッカーもう古い・・・」
笑って皮肉るに違いない。

何故「日本化」が重要なのか?そもそも何故日本化が重要なのかは非常に大事な問題だ。それは決して私たちがオリジナリティを誇る為などではない。
「日本人はたった15年で欧州の常識を理解してしまったようにも見える・・・ただ、本当の意味で血肉になっているようには思わない。」
サッカーにおける法則のようなものについて、オシムはこのような感想を抱いている。うわべだけしか見ていない・・・とも語っている。千葉時代には
「日本の選手の学習能力は非常に高い、ただ忘れやすい。」
とも語っている。
結局は自分達で「サッカー」を理解せねばならない・・・という事なのだろう。例えば最先端のサッカーを模倣して勝てるのであれば、オシムはそれを選択するのではないか?それは充分に誰にも真似できない能力だとも言える。ただし、それは不可能なのだ。偽物は本物を越えないし、真似している間に本物は更に進化する。それほどまでにサッカーの進化は速いし、奥が深い。

それにサッカーを理解する人間がそもそも違う。日本人はブラジル人やイタリア人の精神性を本当の意味では理解できない。そもそも身体的な特徴も違えば、サッカーへの理解も違う。ブラジル人とイタリア人のそれもまた別物だ。

例えば日本人FWに足りないもの・・・
イタリア人は、狡猾さとエゴイズムと言うだろう。
スペイン人は、テクニックとアイデアと言うかもしれない。
ブラジル人は、マリーシアと積極性と言うのかもしれないし、
ドイツ人は、冷静さと覚悟と言うのかもしれない。
全て正解だという事は出来る。似通ったものだとも言えるのだろう。ただどれも、ヒントにはなっても答えにはなりはしない。
FWの理想像は自らが獲得し、自分達で創造するしかない。

オシムが言いたかったのはつまり、当然自分達のサッカーは自分達で創造するのだ!そうすれば、そこには自分達にしか出来ないサッカーがあるはずだ!と・・・

ヒントは既にしてある。世界の最先端で行われているサッカーは大きなヒントだ。それを自分達の「解釈」で、自分達の「言語」にせねばならない。自分達には出来ないことも、「もっと出来る」こともあるだろう。

それこそがオシムの言うところの「日本化」なのだろうと僕は「解釈」する。

僕はオシムが心血を注いでやろうとしたことに何とか報いたい。それはサッカーに少しでも携わる者として、せめて注ぎ得る限りの情熱でもって報いたい。
それはオシムがもしかしたら最後に情熱を預けようとした国の住民である僕の矜持でもある。
それと同時に、この作業を行うことがより良いサッカー選手を育てることや、より良いサッカーを育てることへの近道だという確信も、僕にはある。

次回は、「組織」と「自由」。をテーマに書きたいと思います。(予定)


追伸 あくまでもサッカーファンの立場から、ゆっくりと何回かに分けて書きたいと思います。

posted by モーリー |18:50 | コメント(8) | トラックバック(1)
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少なくとも僕が知っている限り、オシム流の継続なる言葉そのものが、オシムの残したかったものを理解しない言葉であるように思う。オシムは 「日本は既にして誇るべき日本なのだ!」 と言った。彼が千葉を、日本代表を率いてピッチで体現したかったのは、決して「自分」のサッカーではない。

2008-01-15 00:16 | 続きを読む
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オシムイズムの体現者たれ! ~1~

オシムは「日本人は非常に速いスピードの中で生きている。それ自体は悪いことではないが、何度も繰り返し反復練習することが大切だ」とも語っています。
つまり最先端のサッカーであろうと古いといわれるようなサッカーであろうと、選手、あるいはチームとしてしっかりとした理解が必要である、ということでしょう。

日本人のサッカー、日本化とはどんなサッカーなのかは答えはないと思います。それはガンバ、千葉や代表が目指してきたサッカーに近い形なのかもしれないし、あるいは浦和のようなサッカーなのかもしれない。ただ、Jができてまだ15年、特徴と呼べるものはまだできてはいないだろう。(強いて言うなら攻守の切り替えの早さ?)オシムはそれを指摘したかったのではないかと思います。

posted by かれん | 2008-01-14 20:23

オシムイズムの体現者たれ! ~1~

オシム氏の言葉を引用しながら話されていて、とても興味深い話です。多くのサッカーファンがマスコミの「オシム流」に違和感を感じているのではないでしょうか?

僕も、現在叫ばれている意味での「オシムサッカー」「オシム流」という表現には違和感を感じます。そもそも「オシムのサッカー」とは何か?ユーゴスラビアもグラーツもジェフも同じサッカーだったのか?それは違うと思います。彼が「走れ」「考えろ」と言ったのは、自分が率いるチームが勝つためにその必要があったから。走らずに勝てる(現代サッカーにはほぼありえないが)なら彼は走れとは言わないのではないでしょうか。

チームの中にしか答えはない。このチームにメッシがいたら、カカがいたら・・・そんな考えは何も生み出さない。高原がいたら何ができるのか、遠藤がいたら何ができるのか、これがプロの監督の仕事だと思います。
その上で初めて「日本化」なるものを論じるべきなのではないかと思います。

サッカー関係者だけでなく、ファンやメディアが日本のサッカーを育てていけると良いですね。

posted by popos | 2008-01-14 23:38

返信

かれんさん。
コメントありがとうございます。
やはり共通の認識というのは、サッカーにおいては大事な問題なのだと、僕も思いますね。
それは戦術や組織だけでなく、ゲームを読む目や、流れを感じ取る嗅覚にも及ぶのかもしれません。速いスピードで生きすぎて、うわべだけしか捉えられていないのであれば、その共通理解は永遠に体得できないようにも思いますね。
進歩する為に、一歩後退する必要がある・・・とは御大オシムの言葉・・・彼が指導していたのは、戦術でも組織でもなく、判断力や選択肢といった原理的なもの・・・やはり失ったものの大きさを感じます。

そして日本人のサッカー・・・これは永遠にいたちごっこなのかもしれません。理想と現在地の追いかけごっこのような気もします。
少なくとも・・・自分達のサッカーの理想はこうである・・・という共通理解が出来れば、何らかのスタイルのようなものが出来ているかもしれません。

poposさん。
コメントありがとうございます。
全部パクリなんですけどねww彼のサッカーはいつも進化している。彼自身のサッカーに対する理解やアイデアがより深まっていった証左だろうと思います。
いくつかのメディアは、オシムの哲学を吸収し学び、前進してくれるという感覚が僕にはあります。考えて「走る」という部分ばかり強調されて、多くの間違った解釈が特にテレビや新聞メディアに出回ったように思いますが、彼はより良いサッカーをする為に、ならばなんだってするでしょう。走ることも、走らないことも、的確な判断ならば彼は何も言わないだろうと僕は思います。
自分達の理想のサッカーが無ければ、理想の選手すら論じられない。
ファンが選手を進歩させる・・・そういうゲームや選手に対して、厳しくも真摯な目を持っていたいと僕も思います。

posted by モーリー | 2008-01-15 19:10

オシムイズムの体現者たれ! ~1~

お久しぶりです。

一番気になるのが「日本」のFWなんですよね。日本のFWのイメージと言いますか、FWの「日本化」で具体的に表現できる言葉が見つからないのです。モーリーさんのおっしゃるように、永遠のいたちごっこになりそうです。

あまりに漠然としたコメントで申し訳ありませんが、記事を読んで胸につっかえてることを無理矢理書いてみました。

posted by たまたま | 2008-01-15 23:07

オシムイズムの体現者たれ! ~1~

 明けましてオメデトウございます。今年もよろしくお願いします。

 なんか「言葉ありき」なんですよね。盛んに言われる「オシム流」っていうのは。

 あくまで、オシムさんが、今の日本の短所=長所を活かして、世界に通用するサッカーを考えていたのに、其の「過程」を思いっきりすっ飛ばしているような感じがありますよね。

 だからと言って、私がオシムさんの目指していた完成形など、解りようもないのですが。

 「言葉」の発せられた根本の考えを理解せずして、その言葉のみが「聖典化」されていくことに、私も、違和感を感じますね・・・。
 

posted by HemRock | 2008-01-16 15:26

オシムイズムの体現者たれ! ~1~

お久しぶりです。
なかなかコメントを出せずにすいません。
久々のコメントで大変失礼かと思いますが私が個人的に好きそうなテーマがモーリーさんの中に戻ってきたような気がします。
次回の更新を楽しみにしています。
私もまた、いちサッカーファンとして意見をさせていただければと思います。

posted by xiao | 2008-01-17 15:45

オシムイズムの体現者たれ! ~1~

 モーリーさん、こんばんは。あきら@です、またお邪魔します。

 オシムサッカーという言葉、何度も耳にしましたが、結局、自分たちの特徴(長所・短所)は何かを考えろ。その長所が1つでもあるなら、それを活かしまくったチームを。ということなんだと私は考えています。

 オシムさんからすれば、走る・考えるはそれを実行するための手段でしかないのでしょうね。

 オシムさんはそのヒント・きっかけをもたらそうと考えていたのでしょう。でも答えは、日本人や日本人選手・監督が見つけねばならないのでしょうね。きっと彼も、「私が日本化する?ボスニア人の私には不可能ですよ。」なんて言いそうですから。

posted by あきら@ | 2008-01-17 22:34

返信

返信の遅くなりました。

たまたまさん。
お久しぶりですね。
胸につっかえるようなエントリーでご迷惑おかけしております。このポジションほど、言葉で言い表すのが難しいものはないかと・・・
漠然とでも、理想像があればいいのだと僕は思いますよ。そうならば「良し悪し」の判断は可能だし、想像することで、それを上回る裏切りは喜びでもありますし・・・
この話には関係はありませんが、ちなみに僕が思う世界最高のFWはエトーです。日本人では・・・中山のようでカズのような前田遼一と言っておきましょう(笑)

HemRockさん。
お互い遅くなりました!おめでとうございます。
やはり上澄みだけを掬うことは出来ないのでしょうね。「オシム流」なるものが、不可侵なものになるべきではない!という結末に向かって、かなり長いシリーズになる予定です。既に二つくらいは書いているのですが、その前に書いておきたいことが出来たので・・・
オシムの目指したサッカーの完成形は、想像して楽しみましょう。それを各々が想像して選択してみせることは、サッカーそのものを鍛えることにもなると思います。

xiaoさん。
本当にお久しぶりです。見ていただいていたのですね。嬉しいです。年も変わり初心に返ったつもりで頑張りたいと思います。
やはりこういう事を、空想?妄想?創造?しているほうが情熱がこもっていいのかもしれません。
サッカーファン同士、またサッカーを語れればいいですね。ちなみに次回のテーマは変わりました。組織を語る前に、日本人選手について書いておこうと思いましたので、お楽しみに・・・日曜くらいかな?(多分ですよ!)

あきら@さん。
度々どうも!!
相対化や絶対化、主観と客観・・・オシムサッカーを考えれば、考えるほど、矛盾した二つのものを同居させているのだと思います。選択して、決断する・・・ここ数年の日本サッカーが見せられていないものを、彼のサッカーは訴えていたのかもしれません。インターナショナルを語るには、ナショナルを語らなければならない・・・これはオシムの言葉ではありませんが、彼は自分の人生で、サラエボの誇りを見事に体現した人だと個人的には思っています。
彼が指導の中で、常に答えを言わなかったことはそれらとは無関係ではないと思います。
残された我々が、彼が残したものを少しでも示せれば・・・それは大変に素晴らしい!そう思います。

posted by モ-リー | 2008-01-18 19:11

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