2010年03月01日

煌きのベガルタ仙台編 その5

こんばんわ。ひさおです。


前回まではこちらです。

ベガルタ仙台
煌きのベガルタ仙台編 その1
煌きのベガルタ仙台編 その2
煌きのベガルタ仙台編 その3
煌きのベガルタ仙台編 その4


ガンバ大阪編
天皇杯連覇へ!ガンバ大阪編 その1
天皇杯連覇へ!ガンバ大阪編 その2
天皇杯連覇へ!ガンバ大阪編 その3
天皇杯連覇へ!ガンバ大阪編 その4


さて。

試合終了後、チャラ男さんから電話。


チ「終わったよ」

ひ「こっちも終わりました」

チ「どっかで待ち合わせして帰ろうか?」

ひ「そうですね。あ、ちょっとまってください?」

チ「え?うん」


武藤さんとMさんにお食事に誘われました。
チャラ男さんには悪いけど、これは何か面白い話が聞けそうなので、ついて行くことにします。


ひ「チャラ男さん、すいません。武藤さんたちとご飯行くことになって…」

チ「え、そうなの?わかった。じゃあ」

ひ「あ、ちょっとまって!Yさん達がいるから、会っていった方が良いんじゃないですか??」


川崎華族の方々が仙台コールリーダーのKさんと話していました。



Yさん「おお、ひさおくん!Kくん、こちら、セガのひさ…」


Kさん「何回目だよ!」


この日3度目のKさんへの紹介(笑)



Yさん「どうだった?今日は」


ひ「いや、今回はゴール裏のまん真ん中ではなく、ちょっとそれたところで応援していました…」


Yさん「なにー?おーいどういうことだよ」


華族「ブー、ブー!!」


ひ「あ、いや、応援してないことはないんですよ??
あ、ちょっと、今日お世話になった方と、食事することになっているんで、すいません。
あ、そうだ。チャラ男さんが一人でいるので、ちょっと連絡とってみてもらえますか??」


Yさん「了解。連絡してみるよ。それじゃあ」


ということで、逃げるようにその場を脱出。


外に出ると、武藤さんのお友達で、仙台のいわゆる応援団に所属していらっしゃるTさんと合流しました。



信濃町まで居酒屋を探しに出ます。

信濃町への道すがら…

外苑にある聖徳記念絵画館の前の駐車場には、この日のバスツアーのバスが隙間なく、並べられてありました。

僕たちも、試合終了後、割と早くスタジアムを出たのですが、もうすでにバスは出発を始めていたので、ずいぶんな弾丸ツアーですね。

仙台からこられた方は本当にお疲れ様でした。



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しばらく歩いて、信濃町駅に到着。
駅に併設されてある、居酒屋へ。


とりあえず、全員生ビールで乾杯。

勝利で乾杯できればよかったのですが、とにかくそれぞれの口をついて出てきたのは

「長い一年間、お疲れ様でした」

ということでした。

武藤さん「本当にねえ、こんな時期まで試合を観ることができるなんてのは幸せなことだね」


Tさん「まったくだね。いや、良い一年だったよ」


武藤さんと、Tさんはなんと幼稚園のころからの幼なじみ、ということで
昔話を交えつつ、自分たちのルーツなんかをお話して頂きました。


Tさんは、コアなサポーター活動をされているので、気になっていた応援団の分裂について聞いてみると…


ひ「いまの仙台の応援ってすごく和気あいあい、というか、一般のサポーターでも入りやすいような雰囲気を感じましたが…」


Tさん「最近、変わってきたんですよ。
結局分裂といわれていることも、昔からいる人達と、若い子たちとの間でのサポート活動に対する姿勢の違いが原因でもともとはウチもかなり武闘派の集まりでしたよ」


武藤さん「やっぱり、昔はねえ、どこもそういう雰囲気だったから」


Tさん「でも、今の若い子たちは、そういう考え方じゃなくて、もっと一般に広く受け入れられるようなサポート活動じゃなきゃ駄目だ、とそう考えていてね。
それで、昔からのある種トラディショナルなサポート活動を続けてきた人たちと対立してしまうんですね。
僕は若い子たちの考え方に共感しますよ。だから、Kくんを非難する人たちもいるけど…僕はKくんに頑張ってもらいたいね。
彼はやっぱりカリスマがある。そういう人じゃないとコールリーダーって務まらないから」


確かに、僕がこれまで訪れた、岐阜や川崎なんかは、広く一般にサポート活動を広げて行くような働きかけを積極的に行っていました。

横浜にしても、このブログでは武闘派な側面ばかりをクローズアップしましたが、ハマトラの活動のようにやはり殻に閉じこもらず、コアサポーターという垣根を崩して多くの人達がスタジアムでの応援に限らず何らかのサポート活動に参加できるような流れを作っていました。

FC東京では、また別のベクトルで、だれでもゴール裏に入って応援できるような懐の深さを感じました。


武藤さん「最近の時代の流れとでもいうものかな」


Tさん「もちろん、どちらが正しいとか、間違っているとかっていう話ではないんですけどね。
どの立場にしても、クラブを愛してのことなので」


武藤さん「しかしどういう形にしろ、日本のサッカーが、ひとつひとつのクラブが、これだけの人を動員して、それぞれ応援している、この光景は僕は奇跡だと思っている」


Tさん「本当に。それはそうだよね。
つい20年前なんて、こんなことになるなんて思っても見なかった」


武藤さん「僕が、こういう、いわゆるサポーターの活動というのを初めて目にしたのは、大学の頃かな。大学のサッカーの大会。
そのころはもちろんまだ、応援団なんて存在しないし、今みたいな応援はなかったんだけど、そんな中で大学の応援団がひとつになって母校を応援していた。
それこそ太鼓を叩いて、今みたいな感じで。
あれは、ね、いま思うとサポーターのさきがけみたいなものだったなあ。
まあ、そんな時から30年ほどで、日本のサッカーはこれだけのものになった。
多くの地域にクラブが存在して、それぞれのクラブに強固なサポーターが存在して。
僕にはね、この現象は奇跡に思えて仕様がない。
だからやっぱり…
大分の問題には心が痛むね。一人のサッカーを愛する者として、微力でもなにか力になりたいという思いはある」


Jリーグが開幕したとき、僕は9歳で、Jリーグブームに沸いた数年は一気にサッカーの情報があふれた気がしますが、それ以前のサッカーについては、全く知る由もありませんでした。

ですので、僕の中では、いまのサポーターの様子は、当然のことのように思っていたのですが、様々な人々の努力の積み重ねで、今日のJリーグのサポーター団体というものが存在しているのだ、ということを知り、それが十数年の間でここまでのものになったというのは武藤さんの言うとおり、やはり「奇跡」と呼ぶにふさわしいものなのかもしれません。


この後、話は仙台のローカル話に飛んだりしながら
あっという間に2時間が経過しました。


Tさんはこの日、新幹線で仙台に帰るということでその時間に合わせて解散ということになりました。


武藤さんとMさんとも、信濃町駅でお別れし、ベガルタ仙台での体験は終了となりました。


ここまで、間隔が空きながらの更新で、申し訳ありませんでした。
チャラ男さん、僕ともにちょっとゴタゴタしていまして。

なんとか仙台編の最後まで書くことが出来ました。



最後に。
武藤さん、Mさん、Tさん、武藤さんのお友達の皆様
本当に楽しい体験となりました。
この場を借りてお礼をいたします。
ありがとうございました。



というわけで次回は、総括編になるのでしょうか。
ACLも開幕し、Jリーグ開幕も、もうまもなくですね…。

次のクラブは?さて?


それではまた。


posted by ひさお |20:34 | 煌きのベガルタ仙台編 | コメント(0) | トラックバック(0)
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