2012年05月21日
サクラバクシンオー
競馬人と歩んだ名スプリンター
文=瀬戸慎一郎 写真=JRA
※馬齢表記ほか、文章は掲載当時のままです
【最強ヒストリー】バックナンバー
目次
プロフィール・戦績
- 生年月日:1989年4月14日
- 調教師:境 勝太郎
- 引退日:1995年1月30日
- 主戦騎手:小島太
- 性別/毛色:牡/鹿毛
- 馬主:さくらコマース
- 戦績:21戦11勝
- 生産:社台フアーム
- 主な勝鞍:
- 1993年:スプリンターズステークス(GI)
- 1994年:スプリンターズステークス(GI)
- 代表産駒:シーイズトウショウ、ショウナンカンプ、カノヤザクラ、ブランディス、グランプリボス、ダッシャーゴーゴー、ブルーショットガン、サンダルフォン、メジロマイヤー、ヘッドライナー、ジョイフルハート、スプリングソング
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2012年05月21日
※馬齢表記ほか、文章は掲載当時のままです
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1992年3月14日「桜草特別(500万下)」(中山芝1200) 2勝目を挙げた500万下特別。器の違いを見せ付けたレースだった。
1992年4月18日「クリスタルカップ(GIII)」(中山芝1200) 一生に一度のクラシックを捨て短距離路線へ。得意の舞台なら負けられない。
1992年4月18日「クリスタルカップ(GIII)」(中山芝1200) 堂々の初重賞制覇。クラシックを捨てた甲斐があったというものだろう。
1993年12月19日「スプリンターズステークス(GI)」(中山芝1200) 早めに仕掛けて堂々と抜け出す。後続はなかなか迫ってこない。
1993年12月19日「スプリンターズステークス(GI)」(中山芝1200) 「オヤジ、やったぞ!」。鞍上小島太は高々とステッキを振り上げた。
1994年4月3日「ダービー卿チャレンジ(GIII)」(中山芝1200) GIII程度なら敵ナシ。単勝1.2倍の圧倒的人気に応えて快勝した。
1994年4月3日「ダービー卿チャレンジ(GIII)」(中山芝1200) 名スプリンターへの道を歩みだしたバクシンオー。その顔には自信が漂っている。
1994年10月29日「スワンステークス(GII)」(阪神芝1400) この距離ならマイル王でも倒せる。直線で堂々と抜け出したバクシンオー。
1994年10月29日「スワンステークス(GII)」(阪神芝1400) ノースフライトの追撃を振り切り、1馬身4分の1離してゴールに飛び込んだ。
1994年12月18日「スプリンターズステークス(GI)」(中山芝1200) 「負けるわけがない」絶対の自信とともに、小島太はバクシンオーの背中にいた。
1994年12月18日 「スプリンターズステークス(GI)」(中山芝1200) 強い!スプリント戦での4馬身差はまさに絶対的。チャンピオンの貫禄を示した一戦だった。
1994年12月18日「スプリンターズステークス(GI)」(中山芝1200) このスプリンターズSなど、一連の活躍が評価され、最優秀短距離馬に選出された。
1995年1月15日 引退式(中山競馬場) 「1200なら世界一。世界に羽ばたいて欲しかった」というのが小島太唯一の心残りだという。
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2012年05月21日
伝説の名馬がここによみがえる……
連綿とつながる日本競馬史のアルバムをひもとくと、一層厚いページが開く。
そこには、かつて一時代を築きいまや伝説となった数かずの名馬の激戦が記録されている。
“強さ”そのものを体現したかのような気高さを備えたむくな存在が、人々の心を打ち震わせ、それは大きなうねりとなった。
一人歩きする虚像に覆い隠された、伝説の名馬の実像に秘話で迫る。
闘争する魂は、子や孫へ世代を超えて脈々と受け継がれる……。
シンボリクリスエス
度派手な花道を飾った寵児(ちょうじ)が残した“別の可能性”(全9話)
ブエナビスタ
戦う女帝 完全燃焼の軌跡(全9話)
タイキシャトル
底が知れない史上最強マイラー(全8話)
キングカメハメハ
名手が言った“誰が乗っても勝てる馬”(全9話)
アグネスタキオン
夢は光速のかなたへ (全13話)
メジロドーベル
メジロの血を継ぐ歴史的名牝 (全13話)
エアグルーヴ
誉れ高き勲章の馬 (全13話)
クロフネ
世界をとらえたダートのバケモノ (全11話)
グラスワンダー
濃密すぎる瞬間のために (全13話)
エルコンドルパサー
世界最高峰の頂に最も近づいた馬 (全10話)
サイレンススズカ
極限まで駆け抜けた――異次元の快速馬 (全10話)
サクラローレル
夢見させてくれた……凱旋門の月桂冠 (全11話)
テイエムオペラオー
王者たるもの ―― 王道を問う (全10話)
スペシャルウィーク
ライバルと戦いつづけた、特別な存在 (全10話)
トウショウボーイ
宿命の対決――あの時代には2頭の最強馬がいた (全13話)
カブラヤオー
逃げるバケモノ――その裏に隠された真相 (全10話)
マックスビューティ
究極の美と素材 (全10話)
ハギノカムイオー
悲運の名マイラー (全9話)
ハギノトップレディ
美しく華麗に逃げる“芸術品” (全7話)
サクラスターオー
神がかりのサラブレッド (全10話)
アンバーシャダイ
偉大なるチャンピオン (全8話)
タマモクロス
君は芦毛対決を見たか? ――人知を凌駕(りょうが)した希有のサラブレッド (全10話)
ホウヨウボーイ
無限の可能性を感じさせてくれる馬 (全11話)
ニホンピロウイナー
時代が必要とした英雄 (全9話)
アドマイヤムーン
チャンピオンの意地とプライド (全10話)
トウカイテイオー
今、明かす真実“帝王神話”の謎に迫る―― (全9話)
ミホノブルボン
無敵の“人造サラブレッド” (全11話)
メジロラモーヌ
史上初の3冠牝馬 強さの価値 (全12話)
ミスターシービー
“最強”の名に値しない――なんて誰が言った!! (全8話)
ビワハヤヒデ
不運な巡りあわせ (全9話)
アイネスフウジン
史上最速でダービーを駆け抜けた馬の舞台裏 (全13話)
テンポイント
頑ななまでに勝負に生きたサラブレッドの奇跡 (全11話)
ミホシンザン
“最後の傑作”の苦難の道 (全13話)
オグリキャップ
怪物に流した涙――ひとはそれを奇跡と言った…… (全8話)
メジロマックイーン
名勝負なき名ステイヤー (全10話)
ナリタブライアン
人智を超えた馬 (全8話)
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2012年05月21日
第11話 花道
文=瀬戸慎一郎 写真=JRA
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本文中で何度か触れてきたように、小島太のさくらコマースとの関係は「ジョッキーと馬主」という関係を超えたものであった。小島が騎乗したサクラの著名馬といえば、サクラショウリ、サクラチヨノオーという2頭のダービー馬を筆頭に、サクラユタカオー(天皇賞・秋)、サクラチトセオー(天皇賞・秋)、サクラキャンドル(エリザベス女王杯)、サクラホクトオー(朝日杯3歳ステークス/現朝日杯フューチュリティステークス)、サクライワイ(安田記念)といったGⅠホースであろう。重賞勝ち馬ともなれば、サクラゴッド、サクラシンボリ、サクラシンゲキ、サクラトウコウ、サクラサニーオー、サクラガイセン、サクラエイコウオーなど、いちいち挙げていったらキリがないほどだ。さらには、調教師に転進してから手がけた、重賞3勝で皐月賞2着のサクラプレジデントもいる。
では、小島太にとって、もっとも思い出深いサクラの馬とはなんなのだろう?
競馬の世界において、ダービーの重みは別格といわねばならない。普通に考えれば、初のダービーを勝ち取ったサクラショウリか、混戦ダービーを制したサクラチヨノオーといったところが妥当に思える。記憶に残る馬という点では、マイラーながらジャパンカップに参戦して果敢に逃げ、「日の丸特攻隊」と呼ばれたり、マイラーズカップ(このときは東信二が騎乗)で「一の矢二の矢三の矢」と言われた攻撃を受けたりしたほか、多くのエピソードを持つサクラシンゲキも有力候補かもしれない。
しかし、小島太の答えは、それらのいずれでもなかった。
実は、サクラバクシンオーであるという。その背景に、「オヤジ」と慕った全演植の死があったのは言うまでもないが、ジョッキー小島太としての思い入れも強かったのだ。
デビュー当初、スピードだけがとりえだった馬が、紆余曲折を経て名スプリンターの座まで上り詰めたのである。その間、小島は一度も他人に委ねることなく手綱を取り続けたのだ。つぶさに成長を見守り、また育てたというジョッキーとしての矜持があったに違いない。
「これでステッキを置く……」
最後のスプリンターズステークスを前に、小島太はそう決心していたそうだ。サクラバクシンオーは最高の形で花道を飾ったことになる。
※文中敬称略
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2012年05月21日
第10話 絶対の自信
文=瀬戸慎一郎 写真=JRA
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秋一連の戦いから、来るスプリンターズステークスに対し、小島太は「負けるわけがない」という絶対の自信を抱いていた。
この年(1994年)からスプリンターズステークスは国際レースとなり、3頭の外国馬が参戦している。3頭の中で最も高い評価を得ていたのは、アメリカのソビエトプロブレムであった。ブリーダーズカップ・スプリントの2着馬で、1200メートル以下に限れば12戦10勝、2着2回というほぼ完璧な成績を残していただけに、迎え撃つ日本馬にとっては脅威の存在というべきであろう。
それでも小島太の自信は揺るがない。
「シーキングザパールやタイキシャトルがまだ海外のGIに勝つ前のことでしたが、当時私は“1200であれば、世界で一番強いのはバクシンオー”と思っていたんです。ですから、ソビエトプロブレムも全く怖くありませんでした。ましてや、左回りしか経験していないアメリカの馬ですし、中山の1200なら断然こちらが有利ですからね」
さらにいうと、前2走で死闘を繰り広げたノースフライト不在のレースでもあった。「絶対」という印象はファンも同様だったようで、サクラバクシンオーは1.6倍の断然人気に支持されていた。
レースはバクシンオーの圧勝であった。ヒシクレバーが引っ張る中、3、4番手の好位をキープし、4コーナーでは外をまくって早めの進出。直線はまさに独走状態で、ゴール版を駆け抜けたとき、追い込んできたビコーペガサス以下に4馬身もの差をつけていた。しかも、勝ち時計の1分7秒1は日本レコード。まさに「負けるわけがない」という自信にふさわしいレース内容というべきであろう。小島太も「バクシンオーのベストレース」と認識している。
このスプリンターズステークスを最後に、サクラバクシンオーは引退した。そして、このレースをはじめとする短距離路線での活躍が評価され、1994年度の最優秀短距離馬に選出されることになる。その後、社台スタリオンで種牡馬入りし、スピード豊かな多くの産駒を輩出しているのは周知の通りである。
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2012年05月21日
第9話 完成の域へ
文=瀬戸慎一郎 写真=JRA
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毎日王冠の後、サクラバクシンオーは自分のフィールドで戦うことになった。その戦場では、安田記念の覇者ノースフライトという強敵が待っている。それに関し、小島太は
「1400までならこっちに分があるけど、マイルでは厳しい戦いになるかもしれない……」
という予測を立てていた。
結果は小島の読みどおりである。1400メートルのスワンステークスは1着サクラバクシンオー、2着ノースフライトというもので、1600メートルのマイルチャンピオンシップは1着ノースフライト、2着サクラバクシンオーというものであった。
特筆すべきは、スワンステークス、マイルチャンピオンシップともにレコード決着だったことであろう。そんなハイレベルの戦いの上で星を分けあったのだから、2頭の力がいかに傑出したものだったかがわかろうというものだ。特にスワンステークスの内容は濃い。通常、このレースは京都競馬場で行われるのだが、この年は阪神競馬場が舞台だった。直線が平坦の京都に比べ、坂のある阪神で時計が出にくかったにもかかわらず、日本馬として初めて1分20秒を切る快挙を成し遂げたのである。しかも、59キロの斤量、8枠17番という不利な条件を跳ね除けての勝利だったのだ。
「とうとう完成の域に入った」
サクラバクシンオー陣営の誰もがそう感じたのは当然であろう。
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2012年05月21日
第8話 更なる進化
文=瀬戸慎一郎 写真=JRA
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明け6歳(現表記で5歳)になったサクラバクシンオーは、スプリンターズステークス以来の実戦にダービー卿チャレンジトロフィーを選んだ。得意の1200ということで、1.2倍の断然人気に応えて快勝している。しかし、やや間隔が開いた安田記念では、健闘したものの4着まで。やはり1600メートルの距離がネックだったようだ。だが、小島太は
「1200の馬でも、1600、1800と対応できる距離を伸ばしていくのが我々の仕事」
と言う。
今の競馬は距離適性に対して結構厳格だったりするが、昔は存外おおらかなものだった。ダービーに勝つような馬でも、当たり前のように1200くらいの距離でデビューさせていたのである。昭和50年代のダービー馬ラッキールーラは芝1000メートル、カブラヤオーは芝1200メートルが初陣だったし、クライムカイザー、サクラショウリ、カツラノハイセイコ、カツトップエースに至ってはダート1000メートルでデビューしているのだ。小島太にしても、師匠の境勝太郎にしても昔ながらの競馬人であり、ダービー馬の短距離デビューとは少々意味合いが違うが、「対応できる距離を延ばしてゆこう」という発想を持っていたのである。
そんなわけで、安田記念の後夏休みをとったバクシンオーの秋初戦には、1800メートルの毎日王冠が選ばれた。なお、昔の競馬人にとって、天皇賞の重みは別格である。毎日王冠の結果次第では、天皇賞挑戦という選択肢もあったのかもしれない。
いかに成長し、折り合いがつくようになったからといって、生粋のスプリンターが1800で粘りきるのは難しい。果敢に逃げたが4着までだった。それでも、バクシンオー陣営は確かな手応えを感じ取っていた。
「前半10000メートルの通過ラップが57秒5というハイペースで行き、レコード決着だったことを考えれば、“健闘”と言っていいと思います。しかも、着差は0秒4で、勝ち馬は後の天皇賞馬ネーハイシーザーですからね。守備範囲外の1800であれだけの競馬ができたのは大きな収穫でした」
と小島太は振り返る。
確実に進化している。
そんな感触をつかんだ陣営は、今後の戦いに向けて強い自信を持った。
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第7話 天を衝く
文=瀬戸慎一郎 写真=JRA
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1993年12月19日中山競馬場、スプリントレースの最高峰スプリンターズステークス。1番人気に推されていたのは、安田記念を連覇し、秋の天皇賞をも制したヤマニンゼファーだった。進境著しいサクラバクシンオーが2番人気、前年の覇者ニシノフラワーが3番人気に推されていた。
ハナを切ったのは、逃げ宣言をしていたイイデザオウであった。そこにドージマムテキが続き、抑える競馬を覚えたサクラバクシンオーが3番手につける。注目のヤマニンゼファーはバクシンオーを見る形の4、5番手、ニシノフラワーはほぼ中団に控えていた。
スプリント戦特有の速い流れの中、直線を迎えると先行集団の脚色が鈍り始めた。そんな中、バクシンオーが抜群の手応えで上がってゆく。ヤマニンゼファーもすぐに交わせる位置につけていた。
昔のままのバクシンオーであれば、直線に入ったところでアッサリ交わされていたところだろう。しかし、充実のときを迎えた今、余力は十分に残っていた。
「ギリギリまで追い出しを我慢するつもりでしたが、持ったままの凄い手応えだったので、坂下あたりから追い始めました」
レース後、小島太がそんなコメントを残したように、いくぶん早めにスパートをかけたバクシンオーだったが、脚色は全く衰えない。ヤマニンゼファーもスパートをかけたが、差が縮まるどころか開いてゆく一方であった。最後は天皇賞馬に2馬身半もの差をつけ、先頭でゴールを駆け抜けたのである。
ゴールの瞬間、小島太はまるで天を衝くかのように高々と右手を突き上げた。そして、その腕をグルグル回すという派手なアクションまで演じて見せたのである。天にいる全演植へのはなむけにほかならない。
「オヤジ、やったぞ!」
小島は心の中でそう叫んでいた。
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第6話 オヤジの死
文=瀬戸慎一郎 写真=JRA
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ここで、さくらコマースのオーナー全演植の死去について触れておかねばならない。
キャピタルステークスの快勝後、サクラバクシンオーはスプリンターズステークスへの参戦を表明していたが、レースの8日前に当たる12月11日、サクラのオーナー全演植が67歳でこの世を去ったのである。
「オーナーが亡くなってからというもの、寝ても覚めても頭に浮かぶのはスプリンターズステークスのことばかりでした。“恩返しするためにも、絶対に勝たなくてはならない、絶対に負けられない”、という思いで一杯でした」
と小島太は言う。
サクラの馬の主戦ジョッキーが小島太であったのは広く知られた事実である。サクラショウリ、サクラチヨノオーによるダービー制覇、サクラユタカオーによる天皇盾獲得など、このコンビで勝ち取った栄冠は数知れない。
その一方で、小島に対して「お灸を据える」という意味で、サクラスターオーから降ろしたこともあった。いずれにしても、様々な苦楽をともにしてきた間柄であり、その関係は、単なる一馬主と一ジョッキーという関係を越えたものといわねばならない。小島は全演植を「オヤジ」と呼び、まるで実父のように慕っていたほどなのだ。
バクシンオーのGI制覇でオヤジを弔う。スプリンターズステークスを前にして、小島太の頭を占めていたのはそんな思いであった。
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第5話 長い休養の後
文=瀬戸慎一郎 写真=JRA
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スプリンターズステークスの後、脚部不安と疲れが出たサクラバクシンオーは、長い休養に入ることになった。復帰戦は約10か月後のオータムスプリント(オープン特別)。長いブランクにもかかわらず、逞しさを増したバクシンオーは見事に復帰戦を飾っている。続くアイルランドトロフィーこそ、2走ボケもあって4着に敗れたが、次走のキャピタルステークスでは、2番手追走からによる堂々の横綱相撲で快勝した。
休養後、目に見えて変わったのは気性面であろう。休む前、バクシンオーの勝ちパターンは「逃げ切り」に限られていた。しかし、復帰後は抑える競馬で勝てるようになっていたのである。小島太が腐心した「トップギア」への入り方、使い方を覚えたのであろう。大きな進境といわねばならない。
成長したのは気性面だけではなかった。馬体も一回り大きくなっていたのである。以前は480キロ台だった体重が490キロ台に増えており、時には500キロに達することもあったほどなのだ。そして何より、かねてから懸念されていた手脚の緩さという弱点が解消されていたのだ。
バクシンオーの体質強化には、当時トレセンに導入されたウッドチップコースの役割が大きかったらしい。
「あまり脚元が丈夫でない馬だったので、昔ながらのダートコースだけだったら、あれほど順調に調教できたかどうか疑問です。その意味では時代に恵まれたといっていいでしょう」
と小島太は言う。
こうして、スピードだけだった馬がいよいよ本格化してきたのである。
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