2006年07月26日
イタリアサッカー界の不正問題について、上訴審の判決が出た。
結論から言うと、「あまりに処分が軽すぎる」というのが率直な感想だ。一番重要なのは、フィオレンティーナとラツィオの降格が取り消されたこと。更にミランはCLにも出場できるし、今シーズンの減点も限りなく少なくなった。ユヴェントスに関しても、今回の判決でより一層、1シーズンでのセリエA復帰が濃厚になったと言えよう。
つまるところ、何のための処分だったのか分からなくなりつつある。損害が最小限に住んでいる。いくらミラン、フィオレンティーナ、ラツィオの3チームがユヴェントスに“巻き込まれた”と主張したところで、それらのチームが不正に加担し、自ら利益を得ていたことに変わりはないのだ。
中田英寿が「カルチョは魅力を失った」という発言をワールドカップ前にしていたが、私もそれに同調する。まったく、これでは何も問題の解決になっていないのではないか。短期的にはともかく、2,3年後にはまた不正がまかり通るようになっていても、何ら不思議ではない。
そもそもミランとユヴェントスの覇権争いから生まれたと言われる一連の防いだが、ニュースを聞くたびに感じるのは、この問題に関与した様々な人物は、全てエゴのみで動いているという事である。ベルルスコーニにしろ、モッジにしろ・・・・・
自分のチームが、スター選手によって華々しい成績を上げ、利益を得る。名誉なことだ。しかし、そのために手段を選ばない、まさしく血で血を洗う戦いがピッチの外で行われているのが、現在のカルチョだ。これでは観客としても、試合の前から試合が支配されているのでは、興味は殆ど無くなってしまう。
別にイタリアのみに限った問題というわけでもないのかもしれないが、ここまで表面化したときに適正な手を打っておかないと、問題に歯止めが利かなくなる恐れは充分にある。人の意識を変えるのは、残念ながら難しい。ならば、多少は強行な手段であろうと、罰によってそれを分からせるべきである。
げんこつの一発すら、イタリアサッカー協会は下すことが出来なかったことになる。そういう点で、今回の恩赦は残念でならない。
posted by s_co_log |23:50 |
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2006年07月15日
ついに、世界を震撼させたイタリアの不正問題について、決着がついた。処分内容を見ていくと、概ね妥当なものだと感じる。
とりあえず最初に触れておかねばならないのは、この処分を受けたユヴェントス、ミラン、フィオレンティーナ、ラツィオの4チームが、05-06シーズンで本来ならばトップ6の内に全て入っていたという点である。ヨーロッパカップへの出場権を獲得した7チームのうち、実に4チームが処分を受けたことになる。この点は念頭においておかねばなるまい。
ミランに関しては、そこまで罪が重くないという判断だろうが、減点の数を見れば、CLの出場権を獲得できるかどうかギリギリのラインとなっている。因みに05-06シーズンで、ミランの勝ち点は88、CL出場権をギリギリで獲得した(はずだった)フィオレンティーナの勝ち点は74である。
とはいえ、来期は強豪3チームが降格してしまい、事実上のライバルはインテルとローマのみになるため、おそらくミランはCL出場権を獲得できるだろう。
そして核心の、ユヴェントスである。勝ち点-30というのは、いくらユヴェントスといえど厳しい数字ではある。しかし現有戦力がどの程度残留するかというのが問題だが、決して1シーズンでの昇格が不可能なわけではない。それに控えにも、有望な選手はたくさん居るはずだ。
参考にならない比較ではあるが、05-06シーズンでユヴェントスから勝ち点を30引いたと仮定してみても、6位には入る。セリエAでそれだけ勝てたチームだ。セリエB程度ならば、勝ち点30の差をひっくり返す可能性は充分にある。
対してラツィオとフィオレンティーナは、なかなか厳しい戦いになる公算が大きい。フィオレンティーナは、昨年の躍進を支えた殆どの選手が“外様”である。トニを始め、主力選手の大半が離脱する事態は避けられそうにない。
ラツィオは、「ケチな会長」で有名なチームである。昨シーズンに関しても、補強戦力は頭数だけで、あまり機能していない。そんなチームが現有戦力を引き止められるだけの資金を投入するかということは、大いに疑問だ。
というわけで、結論から言うと、ユヴェントスとミランの“ビッグ2”は、処分のダメージを最小限に食い止められる可能性が高い。結果として、あまり影響はないだろう。
但し上位チームが3チームも降格してしまうと、プレーのレベル、クラブ運営面共に、リーグのレベル低下は避けられそうも無い。少なくとも、本来はセリエBでプレーするはずだった3チームが、セリエAに上がるのだ。今からでは補強できる範囲も限られてくる。昨シーズンのトレビーゾのような気の毒なチームが、幾つか出てくるかもしれない。
さて、一方の日本のサッカーである。今日は、Jリーグのオールスター戦が行われた。
私はそもそもこの試合にはあまり興味が無く、後半途中からしか観戦しなかった。しかしそれを観戦しただけでも、酷いゲームであったことには間違いない。
誰か次のワールドカップへ向けて日本代表を背負う選手がいないかと探してみたのだが、目に付いたのは小林大悟のみである。彼は突破力があり、クロスが正確であり、積極的にゴールを狙う貪欲さを持ち合わせている。更にFKという武器がある。既にオシムは彼につばをつけているが、次の代表の核となれる選手であろう。
しかし、他の選手のノロノロとしたプレーには呆れた。オールスターなのだから、遊び心を見せたプレーをするのは良い。しかし度が過ぎて、“ふざけて”いるように見えた。遊びの中にも真剣さは持ち合わせるべきだ。小笠原のプレーに代表されるように、何やらサッカーをなめているのではないかという酷いプレーがただただ目に付いた。
小林大悟の他に1人を上げるとすれば、内田であろうか。彼もいずれ伸びて、2010年のワールドカップで活躍できる可能性を感じさせる逸材である。今日も持ち味を出していたと思う。
もっとも私が4年後の代表に入ると考えたトゥーリオや徳永らは出場していないので、今日の試合だけを見て日本サッカー界の未来が暗いというのは早計なのかもしれない。しかし少なくとも、あのようなふざけたプレーをする選手がオールスターに選ばれているようでは、Jリーグのレベルは欧州各国リーグのそれとは比べることすらおこがましいくらい低いということだけはハッキリしている。
カルチョとJリーグ。どちらも、質の低下は避けられない。しかしながら、どちらのリーグも懸命に未来を明るくするための努力はすべきだ。カルチョに関しては、この処分で一連の問題に一応は決着を見たから、あとはフロント及び選手の努力にかかっている。
一方のJリーグは、全ての意識を根本から叩きなおさない限り、レベルアップは図れないだろう。選手一人ひとりに、改めて今回のワールドカップの結果を踏まえた、自覚が求められる。
posted by Alan Hetarade |22:48 |
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2006年07月10日
ファン-パブロ・モントーヤが、07年からはNASCARに参戦することが決定した。
当初はレッドブルへの移籍かとも言われていたものの、クルサードが活躍した事や、レッドブルが配下に多数のドライバーを抱えていることにより、それも叶わなくなった。結果、彼の居場所がF1フィールドから無くなってしまったため、今回の決断に至ったのだろう。
思い出してみると、特にデビューから3年間は、モントーヤは鮮烈な印象を我々に残した。01年のデビュー年からいきなりシューマッハとの熾烈な争いを見せ、時には荒々しく、しかし力強いそのドライビングは、ファンを魅了した。
02年に入ると、主に予選での速さが目立った。特にシーズン中盤での5戦連続ポールポジション獲得という快挙は、シューマッハ&フェラーリの独壇場だったその年、ファンに唯一、「この男なら、もしかしたら・・・・」と思わせる存在であった。決勝の結果には結びつかなかったものの、彼の走りは確実にファンの目に焼きついた。
3年目を迎えると、前年までのイメージとは一転。「コロンビアの暴れん坊」という呼び名は死語と化し、むしろ“大人の走り”をする、より成熟したドライバーとなった。シーズン序盤でウィリアムズ不振の影響をモロに受け、ポール獲得こそ1回こっきりだったものの、ホッケンハイムでは他を全く寄せ付けない圧倒的な強さを見せたりと、よりタイトルに近づく走りをして、シューマッハ兄弟やライコネンとともにシーズンを盛り上げた。
この時が、モントーヤに対する期待感が一番高まった頃である。チームメイトのラルフ・シューマッハが不調だったこともあるが、モントーヤは真にタイトルを取れる位置まで来たと、誰もが思ったはずだ。
しかし03年のオフシーズンに、05年シーズンからのマクラーレンへの移籍を発表した時から、歯車は一気に狂い始める。ウィリアムズのチーム自体もこの年から一気に下降線を下るわけだが、この年のモントーヤのドライビングというものが、個人的には全く印象に無い。かなり無気力なものであったと記憶している。そして最終戦の準地元開催であるブラジルGPだけは本気の走りをして、優勝をさらった。
あの最終戦を見て、モントーヤはまだ衰えていなかった、と思ったのだが、実際は違った。1年間、特に目標も無く過ごしたのが祟ったのか、マクラーレンに移籍してからはライコネンの影にすっかり隠れてしまった。
とはいえ、05年シーズンに関して言えば、モントーヤにもチャンスは大いにあったはずだ。ライコネンが不幸な形でポイントを取れなかった序盤で、モントーヤは渋い走りながらも開幕から2戦連続で6位以内でフィニッシュしている。シーズン中盤からマクラーレンが速さを取り戻すと、3勝を挙げている。
しかしモトクロスを運転して転倒したためにレースを欠場したりと、あってはならない行為を幾つかした。その上、彼の走りには以前には見られた荒々しくも力強いものや、安定感を誇る落ち着いたものは全く無かった。
そして今年は、言うまでもあるまい。ライコネンが時折気合の入った走りを見せるのとは対照的に、モントーヤは中位に埋もれ、不甲斐ないという言葉が似合う走りをしている。もはや往年の輝きなど、見る影も無い。
彼のターニングポイントは、間違いなく04年である。あの年見せた無気力な走りを、そのまま引きずってしまった。翌シーズンから他チームで働くという難しい状況下であり、更にウィリアムズのマシンも悪かったことは確かだ。それでも、同じように翌シーズンの移籍を早々と発表したアロンソや、フェラーリとは内々に契約を交わしているとされるライコネンが、マシンの力やチームの政治的状況云々に関わらず常にアタックし続ける姿勢を見ると、どうもモントーヤのケースと比べて“温度差”を感じてしまう。
クリスチアーノ・ダ・マッタの場合もそうだったが、アメリカのレースから来たドライバーというのは、たとえ速さを持ち合わせていたとしても、なかなかF1の世界に順応するのは難しいようだ。走りが、ではない。マシン開発の方法やパドックの雰囲気など、現代F1のコクピット外での出来事がストレスになるのだろう。そう考えると、ジャック・ヴィルヌーヴの偉大さが伝わってくる。
ともあれ、モントーヤは決断をしたのだ。ファンに抱かせたあの期待感を思うと、このような形でF1を去ることになってしまったのは、なんとも残念である。同時に、NASCARに転向して数年後、また彼に“飽き”が来ないか、多少は心配である。
posted by s_co_log |21:39 |
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2006年07月10日
なかなかの好ゲームだった印象を受けた。
はじめに断っておくが、私は普段の行いが悪かったせいか試合開始時には起床することが出来ず、後半開始以降の試合しか観戦していない。
とりあえず後半は多くの時間をフランスが支配していたが、カテナチオを突破するだけの力は無かったということだろう。何よりあのジダンの決定的なヘディングのシーンもそうだったが、一番最後にブッフォンが控えているゴールから得点するのは、非常に難しい。結局ブッフォンは、流れの中からの失点は、オウンゴールを除けば今大会では全くしなかったことになる。
そして時間が進むにつれて、両チームの足は止まりだした。ここまではよくある展開だ。というより、決勝レベルの試合は選手も緊張しているので、疲労も溜まりやすい。一概に途中交代で入ったからといって、動きが良いわけでもない。
私も、これはPKになるか・・・・・と思っていた矢先の、あのジダンの退場劇だ。
あの行為は明らかに退場に値する。マテラッツィとどんなやり取りがあったかは定かでないが、しかしあそこで冷静さを失うのはジダンらしくないと言えばいいのか、らしいと言えばいいのやら。「らしい」ということにしておこう。ワールドカップの決勝で退場する選手自体が稀なのに、しかもそれが現役引退をする選手、それもあのジダンともなれば、これはサッカー界の歴史に残る珍事である。数年経てばむしろ笑い事として語り継がれているのではなかろうか。
とはいえ、フランスはあれで確実なPKのキッカーを1人失ったことになる。そもそもアンリとヴィエラを怪我という不本意な形で交代させていたので、予期せぬ形で3人もの選手を失ったことになる。さすがにそのような状態では、イタリア有利と言わざるを得ない。
PK戦は各選手が落ち着き払った、質の高いものとなった。やはり互いにベテラン選手を揃えただけのことはあって、よく決まった。今日に限って言えばバルテズ、ブッフォン共にことごとく“外れて”いたため、もはや誰がミスをするかという勝負になったわけだが、唯一そうなってしまったのがトレゼゲだったわけだ。
彼はユヴェントスでもシーズン中盤から大スランプに陥り、その流れを引きずってワールドカップに臨んだために、殆ど出場機会すら与えられなかった。決勝の大事な場面で出てきてもそれに変わりはなかったし、最後のPKにまで流れは繋がってしまったのだろう。ましてや相手は、クラブチームでは度々危機を救ってくれたブッフォンだ。プレッシャーになったのは間違いない。
しかし、皮肉かな、ティエリ・アンリはチャンピオンズリーグ、そしてワールドカップと、この2ヶ月あまりで最も世界的な2つのカップ戦の決勝にまで進出したものの、両方とも惜敗してタイトルを逃してしまった。彼が世界最高のプレーヤーの1人であることは紛れもない事実だから、なんとも気の毒な話である。
イタリアは今日もそうだったのだが、個人の力での勝利ではなく、あくまで出場した選手全員で勝ち取った勝利だった。各選手が良いコンディションを維持し、大崩れする選手は大会を通じて殆ど居なかったし、そのような選手が居た場合は層の厚い交代選手が補った。
結局ネスタはチェコ戦以降は出られなかったし、その代理を務めたマテラッツィも出られない試合もあったが、そこもしっかり凌いだし、ジラルディーノやトニが本来の力を発揮出来なかったときには、インザーギやイアキンタもそれをサポートした。
グロッソは攻守に渡って大活躍したし、ピルロのキラーパスも目立った。守備面ではカンナバーロを中心とした最終ライン、更には“あの”ガットゥーソが相手に殆ど仕事をさせず、もし決定機を作られてもブッフォンがことごとくシュートを弾き出した。トッティは今日は良くなかったが、デル・ピエロとともに攻撃の核となったことは確かだ。まさしく、全員がヒーローである。
イタリアは優勝に値するチームだった。ここまで完成度が高いチームであれば、優勝という結果にも満足できる。カルチョが不正問題に揺れ、これからの未来も決して明るいものではないだろうが、そんな中でも選手達は、自らの純粋な力で栄光をその歴史に刻み込んだ。
posted by s_co_log |06:39 |
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2006年07月09日
本当にここ最近は、日本サッカー協会絡みの記事を見るたびに、どこか心が沈んでいく思いがする。
オシム騒動
ご存知の通り、この騒動は川淵氏の“失言”から始まった。事実関係は私がいちいち書くより、昨日行われたジェフの報告会の内容を見ていただいた方が一目瞭然であるはずなので、参照していただきたい。
このジェフ側の見解を見ていて感じるのは、如何にJFAが身勝手に“オシム日本代表監督就任”という既成事実を作り上げたかということである。こうした経過を見ていると、もはや川淵氏は“失言”をしたのではないことは明白である。
そもそもオシムとジェフの間の契約が日本代表監督就任に際して問題になるとは、一部の人間を除いては知らなかったはずだ。私も恥ずかしながら、そこいらの問題は無いと思ってはいたのだが、考えてみれば欧州ではこれからシーズンオフに入るものの、日本はシーズン真っ只中である。監督の契約を半期毎にすることは無い。
ならば、シーズン終了までは少なくとも、ジェフの契約は残っている。残っているにせよ、あの場で川淵氏がああいう表現をしたということは、本来ならばそれも協会側とクラブ側で、契約を移すことで合意しているのだと思うのが普通である。
ところが今回の件ではそれが全く行われておらず、交渉の段階であのような発言が行われたことになる。しかし事実して、あの発言で「オシムジャパン」へと国民は傾き、それが既成事実であると報道され、その通りとなりつつある。だとすれば、事態はまさしく協会側が意図した方向に進んでいるものと思われる。
そんなことでオシムが代表監督になったとしても、ジェフのサポーターのみならず、我々としても素直にこの事実は受け入れ難い。オシムの代表監督就任はシーズン終了後と読んだジェフの判断も甘かったことは事実であるが、しかし契約と信義を踏みにじったことは、その国のスポーツを仕切る協会が行った手法としては、断じて許され難い。
更に昨日の経過報告会を含め、この問題について協会側からはまだ一切のコメントが公には発表されていない。ジェフへの謝罪文も内々に送られたものであり、公表していない。このように問題を表に出さずに葬ろうとする姿勢は、糾弾されるべきであると考える。
まあ川淵氏の妄言はこれのみならず、「中田英寿を日本サッカー協会会長に」などと冗談半分で語った。とはいえ、これは中田に対して侮辱的な発言であると感じたのは、私だけではないはずだ。これからの自分の人生は自分で決めていくとして引退した中田に、願望とはいえ将来を指示するようなこの言葉を送るのは、失礼である。
迷走しているのが川淵氏だけならば私もこんな記事はわざわざ書かないのだが、オシム騒動も協会の組織的な意図が見える今、事態はもっと深刻だと捉えた方が良い。
アジアの“増枠”を要望
小倉副会長が、ワールドカップ・南アフリカ大会でのアジアからの出場枠を「5」にするよう要望すると表明した。
まったく、“これ以上、恥をさらさないでくれ”というのが、私の率直な意見だ。アジアの人間として、枠が増える方が嬉しいことには変わりない。しかし前回大会では韓国と日本が決勝トーナメントに進んだために、増枠も妥当ではあったものの、総スカン状態となった今大会で増枠を望むのは、無謀という域を通り越して醜態である。
他の大陸に増枠の余地が無いにしても、アジアよりはマシなはずである。アフリカも北中米も、それぞれ1チームずつながら、決勝トーナメントにチームは送り出している。南米代表のエクアドルも1次リーグを突破した。更にトリニダード・トバゴはアジアのバーレーンとのプレーオフを制している。1次リーグで敗れたにしても、コートジボワールやアンゴラ、トリニダード・トバゴはその敢闘精神が称えられた。
アジアはどうだろう。韓国がまだ健闘したものの、イラン、日本、サウジアラビアの3国はそれぞれ勝ち点を1ずつしか挙げることができず、韓国は3位、残りの国に至っては全てが4位で、1次リーグ敗退。4チームあわせても1勝7敗4引き分け。挙げた勝ち点はわずかに7。これで増枠を望むのだから、もう恥ずかしい限りである。
確かにオーストラリアはAFCに移ってくるが、一国の力で枠を維持するのは難しい。個人的には今回のワールドカップを受けて、ヨーロッパの枠を増やし、南米、アフリカと北中米は現状維持、アジアは一つ減らすのが妥当だと思う。とまれ、これを決定するのはFIFAだ。しかしながら、どう考えても、日本が増枠を希望するのは筋違いに思えてならない。
代表チームの低迷
最後に、もう一つ重大な問題がある。他でもない、ワールドカップ本大会での惨敗である。
いつから日本のサッカー界は変ってしまったのだろうか。少なくとも02年のワールドカップまでは、日本のサッカーは着実に進歩を遂げていた。99年にはワールドユースで準優勝し、00年シドニー五輪では8強。02年ワールドカップでは16強。
しかしその後、成績は下降線の一途をたどる。03年ワールドユースでは試合内容を酷評され、04年アテネ五輪では1次リーグ敗退。05年ワールドユースもファンの全てを失望させる試合に終始し、そしてこのワールドカップでの、手も足も出ない惨敗である。
まずもって、これは特に昨年のワールドユースと今回のワールドカップで言えることであるが、日本のサッカーというのはとてつもなくつまらない。思うに、これは田嶋幸三技術委員長が提唱し、現在の高校サッカー界では常識となっている、フィジカル・サッカーのせいであると思う。
田嶋氏だけのせいでないことは確かだが、少なくとも技術委員長と名乗る人物がこのような間違った方針を示していたのでは、ユース段階という後のプレースタイルを確立する時期において、多大な悪影響が及んでいるのではないか。スペクタクルが全てではないものの、このようなサッカーは日本に不向きであることは明らかだし、事実として松井や中村など、海外で活躍する選手はテクニックを売りにしている。田嶋氏の方針は間違っていることが分かる。
更にアテネ世代が殆ど今大会に出場しなかった。この点はジーコの責任とも言われているが、一方で協会側のサポートが全くなっていなかったというコラムを、スポーツナビで見かけた。だとすると、これも前述の問題と合わせ、大きな問題である。
このように、日本サッカー協会、特にその上層部の人間が抱える問題は大きい。これを解決するには人事を刷新するしかないのだろうが、現状ではそれも望めない。
選手らは努力しているのに、もし協会の不誠実な行いでチームが負けたり、嫌な思いをする関係者が出てくるのであれば、それは非常に不幸な話だ。
posted by s_co_log |15:13 |
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2006年07月09日
対照的な両チームの結果となってしまった。
まずドイツだが、今日は事実上、シュバインシュタイガーの独壇場だったと言って差し支えない。ポルトガルのディフェンスを統率してきた、しつこいマークをするカルバーリョが居なかった影響が大きいだろうが、エリア前でやりたい放題、大暴れした。イエローカードを貰ったのはご愛嬌としても、大会の最後に強烈なインパクトを残してくれた。
但しシュバインシュタイガー以外にはあまり見せ場が無かったのも事実だ。幾つか決定的なシーンになりかけた場面はあったものの、なかなかそこから先へは行けなかった。
対するポルトガルの方も、ここまで散々言われてきた、攻撃オプションの致命的な少なさというものが、如実に現れてしまった形だ。今日はデコは良かったものの、パウレタが点を取れなければ、極小の得点しか挙げられない。いくらロナウドやシモンがスピードを生かして突破しようが、その次の手が全く無いのである。
だからこそ、最後に得点したのが今大会で出番が無かったヌノ・ゴメスというのも、皮肉な話である。ヌノ・ゴメスをトップに据えれば成功したかというほど単純な話ではないが、パウレタが空振りした今大会に限って言えば、もっとヌノ・ゴメスに出番を与えてもよかったのではないかと思わせた。
しかし得点を決めたのがドイツではシュバインシュタイガー、そしてポルトガルの得点をアシストしたのがフィーゴだという点のみに着目すれば、両チーム各々、なかなか感慨深いものである。
クリンスマンが若返りを図り、これまで成果が出ずに色々と批判されてきたドイツだ。だが結果的には今大会ではこのシュバインシュタイガーやポドルスキーといった若手が活躍して、3位にまでチームを導いた。その路線の終着点を象徴するような、シュバインシュタイガーの2ゴールであった。
一方のポルトガルは、“黄金世代”の生き残りであるフィーゴが、最後にアシストを決めた。4年前、脂の乗り切った黄金世代の選手達は優勝候補と謳われていたが、結果は惨敗。間もなくパウロ・ソウザはピッチを去り、ジョアン・ピントやルイ・コスタらは代表のユニフォームを脱いだ。
そのような“夢を果たせなかった”数多くの選手の意志を背負い、代表に復帰してここまで下の世代の選手を引っ張ってきたのが、フィーゴである。最後に見せたあの素晴らしいプレーは、これからの代表を担う選手達への強烈なメッセージであるような気がして、勝手に感動してしまった。
とにかく両チームとも、対照的ではあるものの、それぞれのワールドカップを終えた。批判はあれど、この2チームが準決勝まで勝ち進んだことには変わりはない。最後は賛辞を呈して、この記事の結びとしたい。
posted by s_co_log |12:45 |
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2006年07月06日
いよいよワールドカップも、残り2試合となった。世界中の人々が熱狂した“お祭り”も、あと少しである。
3位決定戦にはドイツとポルトガルが、決勝戦にはイタリアとフランスがそれぞれ進んだわけだが、この組み合わせは強豪国同士とはいえ、開幕前に予想されていたそれとは随分違うのではないか。
優勝候補の筆頭と目されていたブラジル、アルゼンチン、オランダ、スペインといったあたりは既に居ない。イタリアとポルトガルはそこそこの期待感はあったにせよ、守備が“ざる”だなどと酷評されていたドイツと、事実として1次リーグの序盤戦まで全くいいところが無かったフランスがここまで勝ち進むと予想した人は、どれだけ居ただろうか。個人的にも、本命として挙げていたイングランドやチェコが敗退してしまい、かなりがっかりするとともに、驚いている。
何より決勝に残ったイタリアとフランスは、1次リーグ第2戦の終了時点では、決勝リーグ進出が危ぶまれていた身だった。フランスはそもそも勝ち点で韓国とスイスに比べて劣っていたし、イタリアもチェコに負ければ十中八九敗退するという状況だった。その2チームが、イージーに1次リーグを突破したチームを破って決勝まで勝ち進んだのかと思うと、なかなか興味深いような気もする。
各チームのキーマンを挙げるとすると、まずドイツは何といってもクローゼがチームを引っ張っている。好調の彼に釣られるようにして、ポドルスキーも大会が進むにつれて調子を上げてきた。ポーランド戦でのノイビルの劇的なゴールもあり、FW陣がチームを引っ張ってきた。と同時に、大会前に不安視されていた守備も守護神レーマンを中心にまとまりをみせ、バランスの取れたチームになった。が、しかしイタリア戦では、ややグロッソにマークを外された感がある。
ポルトガルからはMVPの候補にマニシェが挙がっているが、むしろ良くも悪くもデコに左右されたといっても過言ではない。1次リーグからチームの中心には間違いなくデコが居たが、ひとたび彼が居なくなったり、また不調だったりすると、周りの選手まで輝きを失ってしまった。そこがこのチームの弱点かもしれない。
決勝に残った2チームの中でも、特にイタリアの戦い振りは完璧である。アメリカ戦こそやや不覚を取った感があるが、そもそも失点はあのザッカルドのオウンゴールだけだ。
その上、登録されたFWが全員得点しているし、これまで1度も出場していないのも控えGKのみという、チーム全体としての質の高さが素晴らしいことを誇示している。実際、このチームのゴールというのは非常に印象に残る素晴らしいものばかりだ。
また、中盤ではピルロの働きが素晴らしいし、もし決定機を相手に作られたとしても、ブッフォンという神にも等しい存在のGKが控えている。今のところ欠点が見えない。
しかしその完璧なチームを崩す、即ち守護“神”であるブッフォンから得点を奪うのは、やはり“神”しか居ないのではないかとも思わせる。もはや言うまでもない、ジダンだ。首の皮一枚つなげて1次リーグを突破したが、あのトーゴ戦から、それまでとはまったく別のチームにフランスは生まれ変わった。これまではタレントが豊富に居たものの各自の役割分担や連携が無茶苦茶でチームとして全く機能していなかったが、今では違う。
一番大きいのは、中盤の底が安定したことだ。ヴィエラとマケレレが連携して相手FWのマークにつけるようになった事で、ディフェンスラインも随分と守りやすくなっている。大会前からここがフランスの穴だと指摘されていたが、それが解決された。
また攻撃面でも、シセの離脱、トレゼゲの不調といったマイナスな話題ばかりが続いていたが、それを補って余りあるアンリとジダンの連携が見事だ。この2人が噛みあうと、どんな相手だろうと戦々恐々とせずには居られない。さらに新鋭リベリー、好調のヴィエラらが攻撃に加わり、なかなか厚みのある前線に仕上がった。
しかし他の何事にも変えがたいのが、言うまでもない、ジダン本人の復調だ。パスのミスは多かれど、あの見るもの全てを魅了するテクニックは、まさしく全盛期の彼そのものである。現役引退の間際にああいった輝きを放つことが出来るのは、彼がそれだけ傑出した選手であり、特別な存在であることを物語っている。
この2チームの対決は予想が非常に難しいが、個人的にはジダンの魔力を信じて、フランスに賭けてみたい。
ともかく、あと2試合。熱狂はまだ終わらない。
posted by s_co_log |22:35 |
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2006年07月04日
ある程度、近々に彼が引退するであろうことは予測していたが、このタイミングで発表したことには驚きを隠せない。
引退の要因を考えてみると、やはり第一は、近年の彼のプレーであろう。パルマやフィオレンティーナではチャンスが与えられること自体が希薄だったし、ボルトンに移った今季も、大きな成果が得られたわけではなかった。プレースタイルも大幅に変化し、ドワイト・ヨークのように、以前は前線で動くアタッカーとしての要素も持っていたものの、今ではチームを後ろから仕切るプレーヤーになっていた。
私としては彼の近年のプレースタイルも嫌いなわけではなかった。
が、まずそれがボルトンのサッカーにフィットしなかったことがあるだろう。中田は不慣れなロングボールを多用しなければならなかった。個人的には、イヴァン・カンポが怪我をしていなければ、中田のシーズンもだいぶ違ったものになったのではないかと思っているが、そんなことはもはや問題ではないだろう。
代表での立場も然り、である。2002年の時には中田を中心に、チームが一体になっていた。しかし今回は、アジアカップ等で国内組が変な対抗意識を海外組、特にリーダー的な存在であった中田に対して抱いた。代表ももはや、彼の思いのままに動かせるものではなくなっていた。
これも個人的な意見ではあるが、私は宮本をはじめとする国内組が主張する戦術よりも、中田や中村が主張する海外組の戦術の方が優れていると思っていたので、そのせいで中田にストレスがかかったのならば、それは気の毒だと思う。しかしそれももはや問題ではない。
しかし29歳という年齢での引退は、やや寂しい気がするのも確かだ。思えばペルージャで名を上げたものの、その後の中田のサッカー人生は冷遇に次ぐ冷遇、という状態だった。ローマでは「トッティより優れている」と絶大な支持を得たものの、結局は不可解な起用法のせいで、いつまでもトッティの控えに甘んじた。その後、一時期はボローニャでそこそこの出番を得るものの、上述した通り、思うように活躍できないシーズンが続いた。
もう少し現役を続けて、最後くらい、彼の苦労が報われる場、もう一度輝ける場が提供されても良かったのではないかという気がしてならない。戦績だけを見れば、近年は名前だけが先行する選手に成り下がっていた感は否めない。ちょうど脂が乗っているはずの年齢なのに。だからこそ、もう少し挑戦を続けて欲しかった。
しかし、この退き方は中田らしいといえばそれまでである。これまでの波乱万丈のサッカー人生を自ら顧みて、この引退を決めたのだ。それを惜しむことはあれど、批判することはしない。
偉大な選手が1人、ピッチを去った。日本サッカー界史上最高の至宝の引退に際し、心より労いの念を表したい。
posted by s_co_log |00:25 |
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