2011年02月27日
■証明した、タフさとスピード
今年の東京マラソンは、非常によくコンディションに恵まれた。快晴、また例年有明の沿岸部で選手を苦しめる向かい風も無く、気象コンディションは万全。レースの方も、昨日の福岡クロカンで圧勝したカロキの完璧なペースメイクにより、淀みない流れが作られた。
それに乗る形でレースはハイペースで進んだ。優勝はエチオピアのメコネンだったが、やはり今大会一番の輝きを放ったのは、3位に入った川内優輝だろう。殆どの選手が終盤ペースを落とす中、一度は3位集団から遅れながらペースダウンを抑えて押し切る走りをしたのは、彼くらいだった。
市民ランナーということで今回の入賞、代表内定により大きくピックアップされであろう川内だが、ここ2年ほどは福岡、東京と年2回ずつ国内の選考レースに出場し、上位戦線に絡んでいる。特に4位に入った昨年の東京でのレースが印象深いが、その時は雨で序盤からペースが上がらず、“勝負”に焦点が絞られた大会だった。今回は好コンディション、ハイペースの中で2時間8分台半ばでの優勝ということで、以前から見せていたタフネスに加え、スピードにも対応できることを示した、素晴らしいレース内容だった。
■“エリート市民ランナー”は、彼が初ではない
さて放送でも紹介された通り、川内は実業団チームに属さない、所謂“市民ランナー”である。埼玉県の定時制高校で職員として働く傍ら、朝の時間を使っての練習に加え、出勤時の駅までのランニングなど生活の中で練習する時間を見出し、また休日には数多くの大会に積極的に参加するなどして、自分にできる範囲で実力をつけ、試合勘を磨いてきた。
世界選手権の代表にまでなったのは川内が初めてだが、過去にも実力のある市民ランナーがいなかったわけではない。
2000年代の序盤に活躍した間野敏男という選手の名は、長いマラソンファンなら記憶に残っているだろう。実業団のYKKを退社した後、富山のラーメン屋の店員として働く傍ら、自宅近くの河原などで練習を行っていた選手だ。2002年の東京国際マラソンでは日本人最上位フィニッシュを飾るなど、輝かしい実績を残している。
またNTT西日本の所属ではあったものの、2004年に東京国際マラソンで2時間8分46秒の好タイムで2位になった大崎悟史は、当時会社が陸上部の支援を行っていなかったため、フルタイムで仕事をこなした後に練習を行い、レースに出場していた。当時の大崎の練習環境も、現在の川内とほぼ同様のものと見て良いだろう。
間野はタイムが2時間14分台と芳しくなかったため代表にはなれず、また大崎も国近と諏訪が福岡で2時間7分台を出していたため、アテネオリンピックの代表にはなれなかった。惜しくも2人は日の丸には届かなかったが、今回の川内は年間を通じサブテンが1人しか出ないという日本男子マラソン界が深刻な低迷期にあった中での好記録、そして日本代表内定ということで、そのインパクト、影響は非常に大きいものがある。
■エリートで無くてもいい、様々な可能性
通常、日本のエリート長距離ランナーは、全員がほぼ同じようなステップアップをしていく。中学までは野球やサッカーをしている選手もいるが、まずは高校の段階で駅伝の強豪校と言われる学校に入学し、脚を鍛える。そこで大学のスカウトの目に留まれば、主に関東の強豪校に進学、箱根駅伝を目指す。大学卒業後は実業団に進み、競技を継続する。
だが川内は、完全にこのレールから外れた選手だ。まず高校時代に故障したため、駅伝強豪の大学への入学が叶わなかった。だが学習院大学で力をつけ、学連選抜という2000年代に入ってから導入されたシステムで、箱根駅伝出場を果たした。この大学での成功が大きかったのだろう、卒業の段階で今度は自ら実業団からの誘いを断り、埼玉県の職員として、個人で競技を継続する道を取った。
解説を務めた中国電力の坂口監督が、実業団の人間として反省するようなことを口にしていたが、私は決して今回の川内の走りが、実業団の全てを否定するものだったとは考えていない。実業団のスタイルが合い、そこで力を大きく伸ばす選手もたくさんいる。ただ、競技を続けるには実業団に入らなければいけない、社会人のトップレベルは実業団が全て、という固定的な概念を完全に崩したという点では、大いに意義深い結果だったと考えている。
もちろん遠征費を自費で捻出しなければならないなど、選手個人の負担も大きくなってくるのが、市民ランナーとしての活動である。だが、実業団という土壌の上で胡坐をかく選手が増え、なかなか結果を出せなくなった昨今のマラソン界に活を入れ、選手としての様々なあり方があることを示してくれた今回の川内の走りを、単なるいち市民ランナーの敢闘精神を称え、実業団選手の不甲斐なさを嘆くだけに留めてしまっては、何の意味も無い。彼の走りから様々な可能性を見出していくことで、マラソン、陸上競技全体の発展に繋がっていくだろう。
posted by Alan Hetarade |15:07 |
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2010年02月28日
■栄光の学生時代
藤原正和―――
長年の陸上ファン、及び箱根駅伝を見てきたファンにとっては、忘れられない名前である。
彼は中央大学在学時代、押しも押されぬ学生長距離界のエースであった。のみならず、今後10年の日本の長距離ロード界のエースに君臨するであろうと目された、紛れもない天才ランナーだった。
2000年の第76回箱根駅伝、1年生にして5区を任された藤原は、1時間11分36秒(当時の5区は現在より短く、柏原らとタイムでの比較はできない)で山を駆け抜け、見事に区間賞を獲得。鮮烈な箱根デビューを飾った。その後01年、02年も5区を走ってそれぞれ区間2位、3位と、安定して良い成績を収める。
そして4年生となった03年の第79回大会では、満を持して花の2区に登場。この時の2区には、昨年の実業団駅伝で劇的なトップフィニッシュを飾った松下龍治(駒澤、現富士通)や世界陸上のマラソンで11位に入った清水将也(日大、現旭化成)をはじめ、09年日本選手権10000m3位の尾田賢典(関東学院、現トヨタ)、独特の走法とクロスカントリーの強さで印象深い飛松誠(帝京、現安川電機)、後にホンダでチームメイトとなる三行幸一(東洋)、留学生のオンベチェ・モカンバ(山梨学院)などが出場していた。そんな彼らの中で、誰よりも早く2区を駆け抜けたのが、藤原だった。
さらに同年のびわ湖で、衝撃的なマラソンデビューを飾る。歴代屈指の高速レースとなった同大会では、翌年のアテネオリンピック代表となる国近友昭や諏訪利成らが次々と遅れる中、終盤で壮絶な3位争いを演じたのが、佐藤敦之、清水康次、そして藤原の3人だった。この中で終盤一気にスピードを上げたのが藤原で、当時次代のエースとして期待されていた佐藤、さらに安定感のあるベテランとして確固たる地位を築いていた清水を引き離し、堂々日本人最上位の3位入賞。2時間8分12秒という日本人初マラソンの歴代最高タイムをたたき出し、見事その年のパリ世界陸上のマラソン代表に内定した。
■怪我での低迷、ステップ・バイ・ステップの復活
しかしそのパリの世界陸上を負傷で欠場すると、04年に駅伝に出場するも、その後長らく表舞台から姿を消すことになる。その間、彼が日本代表のエースとして出場することが期待されていたアテネ、そして北京オリンピックが開かれたが、当然藤原はそこで走ることは出来なかった。その間に日本のマラソン界を牽引したのは、油谷、尾方、佐藤といった中国電力勢だった。
07年の東日本実業団駅伝、藤原はHondaの選手として6区に登場し、区間3位とまずまずの走り。地味ながらも、第一線に帰ってくる。08年の全日本実業団駅伝では、最終第7区で区間賞を獲得。その勢いをかって出場したびわ湖マラソンでは9位と振るわなかったものの完走を果たす。まるで一歩一歩、着実に感触を確かめながら往年の感覚を取り戻すように、藤原は歩みを進めてきた。
迎えた今シーズン。東日本実業団駅伝では、2番目に長い7区で区間賞を獲得。全日本実業団駅伝では最長区間の4区に登場して8位と、まずまずの走りを見せる。そして2年前のびわ湖とは違って勝利を期し、準備万端で臨んだ3回目のマラソンで、40kmすぎでスパートを決め、遂に優勝を飾った。
■真の“エース”と呼ばれるその日まで
これまでの藤原のキャリアでの全盛期という言い方をするのであれば、おそらく自他ともに中央大学時代を挙げるであろう。当時の藤原は、速さ、強さ、安定感を併せ持った、本当に隙の無いランナーであった。箱根駅伝での安定した成績、そして初マラソンながら叩きだした2時間8分台というタイムが、それを物語っている。
現在の藤原に、あの頃のようなスピードがあるかどうかは、まだ定かではない。今大会は最初から全選手が勝負に徹する(そうせざるを得ない)ほどの悪コンディションの中で行われた大会であり、レースの展開として、藤原のスピードが試される機会は無かった。そのため優勝したとはいえ、彼が完全に往年の走りを取り戻したかという事に関しては、評価する事は出来ない。
しかし、彼が持つロードでの“強さ”が戻ってきたことは確かだ。いや、怪我を乗り越えて円熟味を増した彼の心は、学生時代よりも強くなっているだろう。我慢を強いられる展開の中、序盤は常に集団の後ろで待機を続け、途中でダメージにならない程度の揺さぶりはしかけたものの、本当の力は40kmまで取っていた。あれを焦れて35km過ぎでスパートしてしまっていたら、今日の藤原の勝利は無かっただろう。そこまで勝負をガマンできたのは、やはり彼が貪欲に勝利に拘り、またその心を押さえつける事が出来る強さを併せ持っていたことを示す。
日本のマラソン界としては、失望の福岡国際の後、別大、そしてこの東京と、2レース続けて同じような展開のレースが続いた。その中で、福岡では新鋭の井川が活躍し、そして東京では藤原が復活劇とも言えるレースを完遂した。どちらも日本のマラソン界にとって、非常に明るいニュースである。
しかし優勝を飾ってなお、過去の彼を知っている者ならば、こう思うだろう。
―――まだまだ藤原は、こんなものじゃない―――
それはファンはもちろん、Hondaの明本監督も、そして藤原本人も思っているところだろう。彼は優勝直後にも関わらず、インタビューでロンドンオリンピックについて言及した。この優勝が、キャリアのハイライトになる選手ではない。そうなってはいけないし、そうはならないだろう。それほどのポテンシャルを、藤原正和は秘めている。
藤原正和の全盛期は、日本マラソン界のエースとしてのキャリアは、まだこれからである。
posted by Alan Hetarade |18:08 |
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2010年01月03日
6区
◎千葉健太(駒澤)
○山下隆盛(中央) 田口恭輔(山梨学院) 高関伸(大東文化)
△池谷健太郎(日大)
×加藤創大(早稲田) 高尾博教(日体大)
何と言っても駒澤の1年生、千葉の走りに尽きる。クロスカントリーで鍛えた佐久長聖出身選手のアップダウンへの対応という点で、往路の村澤と同様、強さを見せつけた格好。昨年6区に起用された藤山を押しのけての起用となったが、その期待に見事に応え、駒澤復路優勝の一里塚を築いた。
トップを走った東洋の市川は最後に失速したものの、まずまずの走り。序盤を突っ込んで入り転倒というアクシデントに見舞われながらも最後まで押し切って1時間をカットした中央の山下、また逆に後半に向けて足を溜め、残り3kmでスパートした山梨の田口の走りが光った。また大東大の高関は区間5位と健闘し、往路の嫌な流れをリセットさせた。
日大は実力者の池谷を起用してシード権を目指したが、浮上ならず。早稲田の加藤も1時間2分台と、ベストな状態ではなかったにせよ完全に期待外れの走りに終わった。そして日体大の高尾はブレーキとなり、一気に10位まで転落。日体大の上位進出の芽を潰してしまった。
7区
◎田中貴章(東洋)
○石田亮(城西) 市岡敬介(青山学院)
△小山大介(山梨学院) 早川智浩(日体大)
×梶原有高(学連選抜・松蔭)
柏原、宇野に続く2年生の選手として評判は高かった田中だが、大舞台で予想以上の走りを見せた。昨年同区間で区間賞を獲得した飛坂に続き、2年連続で東洋の選手が区間賞を獲得。細かいアップダウンと気温の上昇が続く難コースで、長い距離でも冷静さを保ちイーブンペースで走れる東洋の選手の強さが、発揮された格好だ。
そのほか、城西の石田、日大の井上、駒澤の撹上といったトラックで好記録を持つ選手が軒並み区間上位につけ、実力を示した。そんな中に混じり、青山学院の市岡が区間5位と健闘。青山学院の上位進出を決定的なものにした。一方上位陣では、山梨学院の小山、日体大の早川といった辺りの走りはやや物足りなかった。昨年活躍した梶原は残念ながらブレーキとなってしまい、学連選抜のシード権獲得という夢は潰えた。
8区
◎木之下翔太(中央学院)
○土田純(大東文化) 赤染健(東海)
△岩田真澄(山梨学院) 吉田和矢(日大) 小柳俊介(中央)
木之下の区間賞は、今大会で区間賞を獲得した選手の中では最大のサプライズと言っていい。東洋の千葉、駒澤の井上といった実力者を上回り、10000mのベストが30分台の選手が区間賞を獲得したその走りは、大健闘と言えよう。今大会はあまり明るい話題が無かった中央学院だったが、キャプテンが最後に見せた意地の走りは、必ず来年以降に繋がるはずである。
1秒差で区間賞を逃した東洋の千葉だったが、こちらも実力を発揮した見事な走り。昨年に続き、後半の遊行寺の坂を難なく攻略し、脚力の強さを見せた。その他、事前にほぼ名前が挙がっていなかった大東大の土田、東海の赤松がそれぞれ区間4位、5位と健闘した。一方上位陣の中では、山梨の岩田がやや実力を発揮できなかったか。
9区
○高林祐介(駒澤) 河野健一(帝京)
△中川剛(山梨学院) 遠藤寿寛(明治) 丸林祐樹(日大)
圧倒的な区間賞候補だった高林は、流石の走り。コンディションの整わなかった中央の斎藤を全く寄せ付けず、こちらも不本意な走りとなってしまった山梨の中川を力づくで振り切った走りは、圧巻だった。駒澤のエース格としての役割を立派に果たし、堂々の2年連続区間賞。年を追うごとに逞しくなっていった姿を、最後の箱根で見せつけた。
そのほか、城西の田中や東農大の田村といった有力選手に混じって、帝京の河野が区間3位に入った。トラックの記録と比べるとハーフのタイムが良い選手だが、長距離での適性を発揮し、復路のエース区間での起用に応えた格好だ。ラストでバテてしまった明治の遠藤、腹痛を抱えた日大の丸林は、厳しい走りを余儀なくされた。
10区
◎福島弘将(上武)
○辻幸佑(中央) 藤山修一(駒澤)
△高見諒(東洋) 渡辺真矢(明治) 福島法明(学連選抜・創価)
地味ながら23.1kmという長丁場で、スタミナのある選手が配される10区。その区間にエース格の1人を温存していたのが、上武大学だった。既にシード争いにも決着がついた後であったが、福島が素晴らしい走りを見せ、区間賞を獲得。8区の木之下や9区の高林同様、4年生としてチームに置き土産を残す結果となった。
同じく4年生の中央の辻、駒澤の藤山の激走も光った。特に藤山は6区でブレーキとなった昨年の借りを返して余りある走り。この1年で力をつけた事を印象づけた。無難に首位をキープした東洋の高見だったが、彼の実力からすれば区間賞を狙って欲しかったところ。練習不足の影響はあったにせよ、やや物足りない走りだった。
復路・総合総括
往路の段階であまりにも差がつきすぎたため、トップの東洋、2位~10位のチーム、そして11位以下のチームと、完全にレースが3分割されてしまった。そのため優勝争い、シード権争いともに殆ど盛り上がりを見せないまま終わってしまったが、内容としては非常に濃いレースとなった。
東洋は10区の高見こそやや不調だったものの、それ以外の選手は軒並み期待通りの走りを見せ、危なげなく優勝。脅威的なのは、箱根の経験の有無に関わらず、各選手が物おじすることなく着実に己の力を発揮し、走りきることだ。豊富な練習に裏打ちされたスタミナ、及び大舞台にも動じない精神鍛錬があってこその、あの走りだろう。6区を走った市川が、1年生にして「楽しかった」と自らの走りを振り返った事は、まさにその象徴である。
大津、千葉、高見といった2年続けて優勝に貢献した3年生、柏原を筆頭に宇野、田中らが力をつけた2年生、そして渡辺と市川が大舞台を経験した1年生・・・・と、今大会で主力を担った選手たちは、軒並み来年も出場してくることが予想される。柏原のみならずチーム全体が強化されており、今後2年ほどは、こと箱根に限っては東洋の黄金時代が続く可能性がある。
復路優勝を果たし2位に入った駒澤は、往路とは一転して下級生が強さを見せつけ、来年以降へ弾みをつけた。千葉と高林の区間賞をはじめ、全員が区間4位以内で走りきるという圧倒的な強さだった。昨年は復路に良いメンバーを残しながら惨敗してしまったが、今年は逆にそこで強さを発揮し、1年前の二の轍を踏まなかった。宇賀地や高林ら4年生は卒業してしまうが、今日快走を見せた千葉や撹上、井上らを中心に、強豪駒澤が復活する狼煙を上げた大会となった。
4年生を中心とした山梨学院は、復路の選手はやや期待外れだったものの、総合3位。モグスが抜けた後、日本人選手が着実に力を付けていることは出雲や全日本の結果からも明らかだったが、箱根でも上位に入ったことでそれを改めて証明。多くの経験者が抜ける来年は厳しい戦いも予想されるが、常に安定して上位で戦い続けた今大会は、1つ“モグス後”の山梨の足跡として意味のあるものとなった。
そのほか健闘したのは、悲願のシード権を獲得した5位の東農大、6位の城西。共に外丸、高橋という低学年時から活躍してきた絶対的なエースを擁しながら、それ以外の選手でも予選会で上位に食い込むような戦力が育ち、チーム全体の底上げがなった上でのシード入りとなった。いずれも昨シーズンとの違いは、3番手、4番手から10番手までの選手のレベルアップである。両エースが他部員を鼓舞して盛り上げる姿は、TV中継を通じても多く見られたはずだ。
そして殊勲のシード獲得となった青山学院。やはり2区での米沢の快走が光ったが、シード獲得の真の立役者は、1区、4区、5区、8区で起用されながら健闘を見せた、1年生たちだ。9区の川村は区間15位だったものの、その他の選手はほぼミスをすることなく、上位でレースを展開。来年に向けては米沢の穴を埋めるエースの成長が待たれるが、更なる上位進出の可能性を感じさせる大会となった。
往路でレースを盛り上げた明治は、残念ながら松本の出場は叶わず、復路では後退。2年続けてシードを守り、往路5区間に渡って首位争いをした点は評価できるが、北条、石川、安田、松本というエース格の4人が卒業。鎧坂は残るものの、来年に向けては他の選手の奮起が待たれる。
期待外れの結果に終わったのは、優勝候補と目されていた早稲田と日大。特に早稲田は本来レースに出場すべき選手のコンディションが上がらず、上位争いが出来なかった。昨年は矢澤と三田が区間賞を獲得、八木も区間2位の走りを見せ、入学当初から黄金世代として期待されていた2年生は、矢澤以外が今シーズンはまったく活躍できず。この結果を糧に、来シーズンのトラックシーンから奮起を期待したい。
posted by Alan Hetarade |17:09 |
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2010年01月02日
1区
◎北條尚(明治)
○矢澤曜(早稲田) 宇野博之(東洋)
△森本卓司(神奈川・学連選抜) 佐藤直樹(城西) 出口和也(日体) 谷口恭悠(日大)
森本が勝負をかけ、五ヶ谷、矢澤がそれに乗ってペースを作り、今年は1区から「様子見」ではなく「振い落とし」が掛かった。森本が先鞭をつけたという事はあるにせよ、このように力のある選手が積極的にレースを動かす強気の走りを見せた事は、まず1区全体の評価を高める。
その中での北条の走りは、見事だった。上記の3人を上手く使いながら常に自分は一番良い位置をキープし、主導権は握らなかったものの、集団の速い流れを作って力のない選手を振り落とした。そして各選手の息遣いを正確に把握した上での、六郷橋の上りという完璧なタイミングでの仕掛け。さらに、そこでついてきた矢澤を第2弾のスパートで振り切り、矢澤が得意とするラストスパートの勝負に持ち込ませず、明確な差を持って中継所に走り込んできた。自らや周りの足色、そして相手と自分の特徴を比較した上で、その都度の局面でベストな選択肢を取り続けた、クレバーなレース運びだった。
その北条に振り切られたものの、矢澤も区間2位なら上出来。今シーズン躍進した東洋の宇野もしっかり前が見える位置で、2区に襷を繋いだ。森本は1区の役割という点では素晴らしい走りだったが、ハナから区間賞を狙った走りではあっただけに、北条のスパートについていけなかったのは悔やまれる。だがこの流れを最初に作った選手という点で、結果とは別の部分で評価される走りではあった。
2区
◎村澤明伸(東海) 米澤類(青山学院)
○ダニエル(日大) 外丸和輝(東農) 宇賀地強(駒澤)
△尾崎貴宏(早稲田) 山本庸平(中央) 五十嵐祐太(専修)
今年は1区で各チームがバラけたために昨年ほどの壮絶な展開とはならなかったが、それでも見ごたえのある2区だった。
ダニエルが何らかの要因で本調子でなかった事は、間違いない。1kmで2分55秒程度という“平凡”な入りにしてもそうだし、最終的に昨年の自身のタイムより30秒も遅い1時間7分37秒という区間タイムに甘んじたことからも、彼が本調子でなかったことが伺える。しかし今シーズンを通じてダニエルが見せた「チームのための走り」は、この日も見る事が出来た。決して大崩れすることなく、出来得る範囲での最高の走りをするという、エースとしての役割を十分に理解した走りは、箱根でも健在だった。
そして何と言っても、1年生の村澤。佐久長聖時代からクロスカントリーに滅法強かったが、アップダウンの激しい過酷な2区というコースにあって、まさにその強さが発揮された格好だ。また1年、2年という低学年時から2区を走り続けた外丸、宇賀地の学生長距離界エース2人の走りは流石。そして区間5位と大健闘し、チームを上位に留めた米沢の走りは、その後の区間の選手たちにも確実に影響を及ぼした。
3区
○野口拓也(日体) 鎧坂哲哉(明治) 平賀翔太(早稲田)
△西村知修(帝京) 飯田明徳(駒澤) 長谷川裕介(上武)
近年、往路の流れを決定づける区間として、重要性が増してきている3区。今年も日体大の野口が2区までの出遅れを取り戻す8人抜きの快走を見せ、チームを大きく引き上げた。1年時から気持ちを前面に押し出す走りを見せてきた野口。なかなか目に見えるような実績が得られなかったが、今回こうして区間賞を取ったことで、ようやく正当な評価を得られたと言えよう。
明治の鎧坂は最後まで2分55秒/kmというペースを崩さず、独走力の高さを見せつけた。また早稲田の1年生、平賀も区間4位と健闘。事前の評価が高い選手だったが、長距離への適正も見せつけた格好で、来シーズン以降の飛躍が期待される存在となった。
帝京のエース格の1人西村、また駒澤の次代を担う存在として期待される飯田はそれぞれ区間14位、15位に終わり、野口とは逆に2区までの流れを失ってしまった。
また学生歴代10位という10000mの記録を持つ上武の長谷川は、怪我を押しながらも走らなければならないエースの宿命を背負って出場したが、区間19位に沈んだ。残念ながら彼の実力がどうこうというより、レースに出場できる状態で無かった事は明らかで、結果的に起用した事それ自体に疑問符がつくこととなってしまった。
4区
○安田昌倫(明治) 久保岡諭司(日体) 橋本隆光(城西) 世古浩基(東洋)
△大串顕史(早稲田) 後藤敬(山梨学院)
圧倒的な区間賞候補だった安田は、圧巻の走り。風の影響で区間新記録こそならなかったものの、明らかに他の選手との違いを見せつける安定したレース運びだった。明確な差が出ることが少ない4区で区間2位の選手に48秒という大差をつけたことからも、彼の実力が窺い知れる。
その他、区間2位の久保岡は、これまでの箱根での借りを返す走り。野口の流れを引き継ぎ、日体大の上位進出を確実なものにした。また区間3位の橋本、4位の世古も健闘。一方で優勝争いをしなければならない早稲田の大串、山梨の後藤は区間2桁の順位に沈んでしまった。
5区
◎柏原竜二(東洋)
○大谷康太(山梨学院) 大石港与(中央) 福山真魚(上武)
△八木勇樹(早稲田) 金子太郎(東海) 高橋賢人(大東文化)
×久國公也(明治) 山中宣幸(亜細亜) 笹崎慎一(日大)
柏原の走りは、圧巻の一語に尽きる。あの区間記録を更新する事だけでも偉業中の偉業と言えるが、今年は途中での強い向かい風があった。さらに昨年は苦手とする下りで早稲田の三輪と競った事により、多少なりとも競争があった。だが今回はその“難所”に、独走状態で臨んだ。それでも前年度の記録を上回れるのだから、彼が今シーズンも着実に進歩している事、そして1人でも他の選手と競っている時と変わらない走りができる並はずれた精神力を持ち合わせている事が、証明された。
他の選手の記録を見ても、今年の箱根の山が昨年より厳しい条件であった事は明らかだ。昨年は区間2位の小野(順天堂)が1時間20分切りを達成、その他に竹下(日体)、辻(中央学院)が1時間20分台で走り、区間7位の選手までが1時間21分台の記録を残している。しかし今年は、区間2位の大谷康太のタイムが1時間21分16秒。小野はともかく、竹下や辻といった選手と比べれば大谷の実力はさほど変わらないか、或いは大谷のほうが上である。上記のような悪条件下で前年度の記録を更新した柏原は、10秒という縮めたタイム以上に、驚異的な走りをしたと言える。
その大谷や区間3位の大石、そして駒澤の深津、城西の田村といった各チームのエース格が軒並み区間上位につけ、堅実な走りを見せた。その一方、早稲田の八木は他の選手が無視を決め込む中ただ1人柏原と並走するというミスを犯し、案の定失速。戦略ミスが招いた後退だった。金子、高橋といった辺りも、10000mやハーフの記録からすれば、やや不満の残る結果か。
首位で襷を受けた明治の久國は、多少の遅れは予想されていたものの、1時間27分台で区間18位というのは、いくらなんでも“遅すぎ”。また毎年ブレーキが出る5区で、今年もフラフラになってしまった山中、そしてその山中よりもさらに遅い区間20位に終わってしまった笹崎にとっては、非常に苦しいレースとなった。
往路総括
柏原という大砲中の大砲があったにせよ、東洋の各選手たちはソツの無い走りを見せた。確かに柏原がいたからこその往路優勝ではあるが、そこまでに大きなミスをすることなく繋いできた4区間の選手たちの走りがあってこその、柏原の快走である。
1区の宇野が流れを作り、2区の大津は他校のエースたちより実力がやや劣る中で健闘し、目標タイム通りの走りで区間10位。箱根デビューとなる3区のルーキー渡辺も区間10位で、4区の世古が区間4位とチームを押し上げた。こうしてみると、優勝する上での鉄則とも言える「1人2人が成功するより、全員が失敗をしない」走りをまさしく東洋の選手はしていた。明治の失速に助けられた部分はあるにせよ、小田原中継所の時点で2位の日体大と2分以内の差で柏原に繋いだことは、評価される。
4区まで鉄板と言えるメンバーで固めてきた明治は、ほぼ目論見通りの走り。だが5区でのあまりの失速が勿体なかった。4区、5区の区間距離を変更して以降、箱根駅伝ではあまりにも5区によってレースが左右される傾向があるが、まさにその象徴ともいえるレース運びとなってしまったのは、4区までの選手たちが殆ど完璧に近い走りをしていただけに、残念だった。同じく日大も、5区でそれまでのレースを台無しにしてしまったと言える。
優勝候補の一角に挙げられていた山梨、また部員の不祥事の問題でここまでの駅伝シーズンを棒に振ってきた日体大は、それぞれ2位、3位と申し分ない位置。山梨は3区と4区、日体大は1区と2区の走りがやや残念だったが、それぞれ大谷、野口がチームを引き上げる走りを見せたのが大きかった。
そのほか健闘しているのが4位の中央、5位の東農大、そして9位の青山学院。特に青山学院は2区の米沢が素晴らしい走りを見せた後、3区の荒井が思うような走りが出来なかったが、1区、4区、5区で起用された1年生がいずれも健闘し、一桁順位でのフィニッシュ。往路が終わった段階でまだ早計ではあるが、来シーズン以降も楽しみになってくるレース内容となった。
一方、優勝が期待されながら7位に沈んだ早稲田は、各区間でのバラつきが目立った。1区の矢澤、3区の平賀は期待通りの走りだったが、2区、4区、5区は残念な結果に。昨年は3区間で区間賞を獲得したが、その中から竹澤が抜けたことはまだしも、本来エース格の1人でならなければならない三田がメンバーから外れた影響が、如実に表れてしまった格好だ。
復路展望
2位に3分36秒という圧倒的な差をつけた事、またその大差に驕らず着実なレース運びをすることができる選手を揃えている事。この2点でもって、東洋の絶対的な優位は揺らぎそうにない。昨年も復路を経験している千葉が8区、富永が10区にエントリーされており、絶対的な安定感を誇る高見も、問題が無ければ9区で起用されるはずだ。6区、7区、9区はエントリー変更の可能性があるが、いずれにせよ長い距離でこそ強さを発揮する選手が揃っている。余程のミスを犯さない限り、優勝は間違いない。
その東洋を僅かな可能性ながら捕える事があるとすれば、やはり2位の山梨学院が有力だろう。昨年9区で区間賞を獲得したエースの中川が今年も同じく9区にエントリーされている上、各選手ともハーフマラソンでの好記録を持つ。またハーフで1時間3分台の好記録を持つキャプテンの岩田が補欠に登録されており、区間エントリーの変更で出場してくる場合は脅威となる。9区の中川が東洋から1分差以内でスタートする事があれば、一気に勝負は分からなくなる。
白熱しそうなのは、その次の3位争いだ。4位の中央は7区と9区でエントリー変更をしてくることが確実で、ハーフで1時間3分10秒という記録を持つ斎藤を補欠に温存している。また東農大も9区区間賞候補の1人である田村を筆頭に長い距離を走れる選手を揃えている上、明治は何と言っても松本昂大が出場してくるかどうかに注目が集まる。現在7位の早稲田まで、3位から5チームが2分以内にひしめいており、激しい順位変動が起こりそうだ。
シード権争いは、8位の駒澤から13位の日大辺りまでという事になってきそうだ。駒澤は9区に高林という大砲を温存しており、何事もなければ今以上の順位が狙えるはず。ただ連覇をしていた頃とは違い安定感に欠ける選手が多いため、どのような展開になるかは不透明だ。大健闘の9位青山学院、悲願のシード獲得を目指す10位城西を脅かすのは、ムラの無い戦力を揃え7区梶原、10区佐野と昨年も活躍した選手を揃える学連選抜、そして本来は優勝を狙っていた日大だ。
posted by Alan Hetarade |17:33 |
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2009年04月27日
◆“春の世界選手権”ロンドン◆
今年のロンドンも、豪華なメンバーがそろった。
男女とも世界記録保持者のゲブレセラシエ、ラドクリフこそ出場しなかったが、北京オリンピックのメダリストが一堂に会することとなった。このうち男子のワンジル、ガリブ、ケベデの3人は最後までデッドヒートを見せ、ガリブとケベデの順番こそ入れ替わったものの、トップ3でゴール。力を見せた格好となった。
近年のロンドンには、以前にもまして有力ランナーが終結する傾向がある。優勝で5万5,000ドルという高い賞金もそうだが、男子は1997年以降優勝タイムが2時間8分を越えたことが無く、男女合わせてこれまで11回の世界記録が樹立されたことが示すように、記録を出しやすいレースであることが、特に賞金やスポンサーフィーで生計を立てる海外のプロランナーたちをひきつける要素となっている。また4月下旬という開催時期も、冬のマラソンシーズンの締めくくりとして、調整しやすいタイミングだ。緯度の高いロンドンであれば、この時期でも気候はマラソンに最適である。
昨年はベルリンマラソンで、男子はゲブレセラシエが世界最高記録を樹立し、女子ではこの大会でも優勝したミキテンコが、2時間20分切りを達成した。記録の面では、ベルリンも世界を“リード”してきた。だがやはり、ロンドンマラソンに出場するメンバーの豪華さ、そのプライオリティというものは、他の大都市マラソンとは一線を画する。下手をすれば国別の出場制限枠が無い分、世界選手権よりも豪華なメンバーが集まるのだ。
私は以前から、この“世界基準”のロンドンマラソンに、日本人選手が挑戦するよう、またその環境を日本陸連が整えるよう、提唱してきた。そしてついに今年、男女ともに、日本の有力ランナーがこのマラソンに挑んだ。
◆これからも下げるべき、“敷居”◆
この夏、ベルリンで行われる世界陸上。日本陸連はその代表選考にあたり、その1枠については海外で行われるレースについても選考の対象とする決定を下した。これは大きな一歩と言えよう。
これまで日本国内のレースのみを選考対象としてきた日本のマラソン界は、必然的に欧米の大都市マラソンにおける実地経験が不足し、世界的なスピード化の流れに乗り遅れてきた。まずは選手が海外のマラソンに挑むハードルを低くするためにも、代表選考に海外の大都市マラソンを含めていく流れは持続すべきである。
今回の佐藤や森本のように、海外のレース1発のみで代表を得ようとする選手は、まだ少ないだろう。しかしこのように徐々ににしろ、海外のレースへ日本人が出場しやすい環境を整えていくことで、年が経つにつれ日本人選手にも海外のマラソンがより身近に感じられ、チャレンジするためのハードルも低くなっていくであろう。そのためには、「まず1枠」という陸連の代表選考における海外マラソンが対象となる設定は、適切であると言える。
もちろん世界的なスピード化の流れからすると、まだまだ日本人選手の対応は不足しており、海外マラソンでの経験も圧倒的に不足している。だが海外マラソンへの敷居を低くする取り組みの一方で、日本の国内マラソンの活性化という事も、同時に考えていかなければならない。幸い日本には伝統あるマラソンレースが幾つか存在し、好記録も生まれている。
単純に敷居を下げるといっても、日本の選手が海外へ出ていく動きを加速させるだけではなく、日本のマラソンに海外の有力な選手をより多く招待すべきだ。世界的な流れに、日本のマラソン界全体として乗っていく必要がある。それには、選手を出すだけでは不十分だ。
日本のマラソンのプライオリティは、意外と高い。それは世界選手権やオリンピックで上位に入った選手が、その前後にかなりの割合で日本のレースに参加し、良い成績を残していることでも分かる。あとは陸連や大会の主催者らが、賞金の設定や選手へのアピールなど、一層の努力を重ねていくべきだ。
◆佐藤敦之の“再挑戦”始まる◆
さて今回のロンドンマラソンには、上でも少し触れたとおり、日本の有力ランナーも出場した。男子は北京オリンピックで残念なレースとなってしまった佐藤、女子はすでに世界選手権の代表を決めている加納に加え、森本、奥永が最後の1枠を手にするために、レースに臨んだ。
女子の選手たちは残念ながらイマイチな結果となってしまったが、2時間9分16秒というタイムで8位に入った佐藤は、まずまず評価できる走りだっただろう。
佐藤は以前から、当ブログでも盛んに訴えてきた「世界基準でのマラソンへのチャレンジ」を実行してきた、数少ない日本人選手だった。いち早くスピード化の流れに対応しようとし、直前の調整の段階で断念したものの、2年前にもこのロンドンに出場しようとしていた。その後はハーフマラソンでスピードを磨き、日本記録を樹立。北京オリンピックでの結果は上述したとおりだが、その後年明けからはほぼ毎週といっていいペースで駅伝やクロスカントリー、ハーフマラソンなど、様々なレースに出場。「レースをこなしながら調整する」という、これまでの日本人選手には見られなかったスタイルで徐々に調子を上げてきた。
ある意味ではその1つの通過点でありゴールであるといえたのが、今回のロンドンマラソンだ。年明けから数多くこなしてきたレース群の、最後にして最大のレースが、このロンドンマラソン。しかし選考レースとしての結果を求めつつもそれでいて集大成ではない、まだ世界選手権へ向けての過程の1つとして捉えていたのもまた、このロンドンマラソンである。
結果は、上々だった。10kmを28分30秒というトップ集団のペースは、いくらなんでも速すぎる。冷静に第2集団で待機し、終盤までペースを保った。タイムとしては平凡なものだが、5kmごとのラップが1度も16分を超えなかった安定したレース運びは、評価すべきである。順位も8位だが、終盤に並走したアテネ銀メダリストのケフレジギをはじめ、2006年の覇者リモ、北京9位のリッツェンハインらに先着しての8位だ。胸を張るべきであるし、世界で戦える力を示したと言えよう。
かつてただ1人、世界で戦えることを示した高岡が引退した今、佐藤にかかる期待は大きい。実際、ここまで徹底して世界の基準で戦おうとしている日本人ランナーは今のところ彼以外にはいないし、本人がそれを理解し、積極的に自らを高めていっているのが頼もしい。本人も今回のレースに手ごたえを感じていたようだが、それはまさに春先からの取り組みの成果を確認するとともに、夏への通過点としても上々の感触を得られたからであろう。
北京で止まっていた佐藤の世界への挑戦が、再び始まった。
posted by Alan Hetarade |09:11 |
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2009年03月22日
◆風との戦いとペースの上げ下げ◆
先日のびわ湖毎日マラソンも向かい風でのレースとなったが、今日の東京はその比ではなかった。ただでさえ吹く海風に加え、今日は日本海の海上に低気圧が発生しており、太平洋上の高気圧の存在と合わせて、関東地方では猛烈な南東の風が吹いた。東京湾沿岸のビッグサイトに向けて走るレース終盤は、まさしくこの猛烈な風が、選手たちの真正面から吹き付ける格好となった。
序盤からこの風に翻弄され、レースはペースのアップダウンが激しくなった。ここで省エネの走りをしたかどうか。集団の中で力を使ってしまった選手たちは、30km過ぎの高橋の仕掛けに対応できなかった。高橋は集団の中で常に前のほうに位置していたが、しかしペースメーカーの前に出る動きは見せていなかった。この辺り、改良を加えたフォームと合わせて、案外冷静にレースを進められていたのだろう。
故障が発生してしまったと思われる尾形などは別にしても、藤田や佐藤、中尾といった辺りは、まさにこの消耗戦の餌食になってしまった。結果的にではあるが、勝負の局面でまともに動けた高橋、キプサング、コリル、さらに一度は遅れたものの意外と足を残しておりペースで追い上げた前田の4人だけが、序盤から繰り広げられていた“見えざる消耗戦”の中で、足を溜めることが出来ていた。
◆パワーみなぎるキプサングと前田の走り◆
優勝したキプサングが35kmの給水を落とし、さらにわざわざ止まってまでそれを拾いに行った際、誰もが驚いたはずだ。あの場面は、ゼッケンの下1桁が「3」だった高橋が直前でドリンクを取ったがために、「4」のキプサングはそれと交錯してしまい、ドリンクを落としてしまった。
だがあそこで一旦立ち止まってまでそれを拾ったキプサングの姿は、余裕の表れであった。もし彼の体力が限界に達していたのであれば、一度止まってからの追い上げは不可能。となると、給水を捨ててでも、前に喰らいついていく必要がある。だがそこで敢えて給水を取ったというのは、多少差が開いても前の2人には追いつけるだけの力を余しているという自があるからこそ出来ることだ。そうであれば、摂れるものは摂っておいた方がいいに決まっている。案の定彼は、追いついたその足で一気に2人を抜き去り、そのまま前に出た。
そこからの走りは、圧巻だった。地面を着実に捕らえ、前へ進んでいく。当然ラップタイムは落ちてはいたが、しかし肝心のピッチ自体はそうそう落ちてはいなかった。
これは後方から追い上げてきた前田にも当てはまる。トラックで培ったスピードで勝負したいのであれば、この展開は彼には不利だったはずだ。だが彼の場合は、スピードを出すバネに加え、それを支える強靭な脚力があった。向かい風で抵抗が大きい中、それを押しのけて前進するためのパワーがこのレースでは必要だった。その足を、前田は持っていた。
最終的に、これが勝負を分けたと言える。パワーを前面に押し出したキプサングや前田と異なり、典型的なバネで走るタイプのコリルは、完全に強風に流されてしまった。高橋の走りは一歩ずつにエネルギーを使い過ぎず、ひたひたと足を前に運ぶ走りであっただけに、パワーという点では前田と比べるといま一つだった。彼ら2人にとっては、序盤から中盤にかけてのエネルギー温存はうまくいったものの、終盤のレースコンディションが、自らの走りのタイプに味方しなかったと言えよう。
◆危険なコース◆
さてこの東京マラソンについては、私は毎年運営に苦言を呈している。そして今年も、大いに不満の残るシーンが散見された。
まず5kmを過ぎたところでの、給水の問題。5kmの関門を過ぎてゼネラルテーブルに達する外堀通りの急激な下り坂では、ゼネラルテーブルの直前で片側車線から両側車線へと、コースが広がる。一般ランナーの数を考えればこのコース幅の増はやむを得ないだろうが、その広いコースの両端にゼネラルテーブルが設けられているため、先頭集団の選手たちがコース取りを戸惑う場面が見られた。
しかもその過程で反対車線へと道路中央部を跨ぐことが選手には求められたわけだが、その道路中央部はフラットではなくやや盛り上がっており、選手たちはそれを飛び越えるような形になった。当然下り坂でスピードも出ており、足を取られるリスクも高くなる。先頭集団では堀端が背中を着くような派手な転倒をしてしまい、映像は無かったが土佐もこの辺りで転倒したという。結局堀端は一度集団についたもののほどなく遅れてしまい、土佐は膝に痛々しい擦り傷を作ることとなってしまった。
突然コース幅が広くなるようであれば、せめて選手がどこを走るかという指針となるラインくらいは、引いておくべきだ。そうしないと、選手がどこを走れば良いのか混乱してしまい、無用なエネルギーを使ってしまう事になる。当然、主催者が出してほしいと思っている好記録の妨げにもなる。ましてやそのコースに凸凹があるなど、もっての外だ。
私が第1回大会から訴えている、品川の折り返しの横断歩道も相変わらずだ。急な折り返し地点で足元にあのホワイトラインが引かれているというのは、滑りやすくて非常に危ない。雨の第1回大会でジェンガが足を取られかけたシーンは、今でも覚えている。
コースを変えるか道を変えるかは、都知事様の持つ多大な権力をもってすればどうにか出来そうな気がするのだが、市民ランナーに向けて笑顔を振りまく彼の眼には、どうやらその辺りは入っていないようだ。残念である。
◆自覚足りないボランティア◆
またこちらも相変わらずという事になるが、大会ボランティアの質があまりにも低すぎる。これは主に、給水所にいるボランティアたちの事である。
まずそもそも、立っている位置が邪魔なボランティアが多すぎる。給水のテーブルの合間に立っている人は、ハイスピードで給水を取る選手がその至近距離を通過することになるため、非常に危険だ。選手は給水を取るために手を差し出すのだから、接触のリスクも高くなる。そんな場所にいてノボリを持っているなど、論外だ。
またこれは本当に腹が立ったのだが、あろうことか先頭集団のエリートランナーたちをカメラで撮影しているボランティアがいた。その紙一重のところを、選手が走っているのである。選手の側がよけるようなアクションを見せるシーンもあった。これはレースの進行に重大な損害を及ぼす可能性があり、看過できない。
怒りを、覚えた。
エリートランナーたちは、1秒をかけて必死に戦っている。ボランティアとして大会に参加する以上、彼らに力を出してもらうために、全力でレースを走ってもらうために、協力を惜しむべきではない。ところがその本来あるべきボランティアの姿を放棄したばかりか、自分がお客さんであるかのように勘違いし、サポートするどころか邪魔をしているのだ。走ってくる選手に向けて手を差し出してカメラを出す。接触のリスクが高まり、非常に危険だ。一度の接触、転倒で、その選手が何か月、いや1年をかけて準備してきたこのレースが、台無しになるのだ。
その選手の努力を踏みにじる権利が、ボランティアにあるだろうか。答えは言うまでもないだろう。それくらいの可能性を考慮できない、極限の状態で戦う選手へのリスペクトが何もない者に、スポーツの大会に携わってほしくない。邪魔だ。
写真が撮りたければ、沿道から撮れば良い。レースが見たければ、TVで見ればいい。自分たちが何のためにそこに、選手のすぐそばに立っているのか。東京マラソンのボランティアたちには、今一度そのことを考えてもらいたい。
posted by Alan Hetarade |13:48 |
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2009年03月08日
◆積極的だが、余裕なし◆
今日の藤永のレースは、終始このようなものだった。
5km過ぎでの白雪の飛び出しに、日本人で真っ先に反応した。しかしその後、白雪、キレル、新谷との4人の集団になってからは、位置どりは常に一番後ろ。10kmを過ぎた地点から、離れては追いついて、離れては追いついてという展開が延々と続いた。キレル、そして新谷が勝負に打って出た30km地点でも、当然反応できない。序盤から苦しい表情をしていたとおり、余裕があったか無かったかといえば、当然無かったのであろう。
だが結果的には、それが良い方に転んだ。余裕が無いが故にかえって周囲に惑わされることなくイーヴンペースを刻み、フィニッシュまでペースを保つ走りができた。そして結果的に、先に仕掛けを行った白雪、キレル、新谷らが次々と潰れていく中でそれを捕えていった。
ただ余裕が無かったと言っても、積極性だけではこのレース、藤永は誰にも負けていなかった。白雪に真っ先に反応したあたりには勝負にかける彼女の思いの強さが詰っていたのだろうし、その後たびたび離されそうになりながら懸命に先頭に喰らいついた。常に気持ちは、前へ前へと向かっていた。余裕が無いことが良い方に出てのレースでの勝利は幸運ではあったが、そうなったときに勝利を掴むだけの大前提をクリアーしていたからこその、優勝であった。
◆早すぎた仕掛け◆
余裕が無かった藤永が優勝できたのは、余裕があったほかの選手たちが、その余裕ゆえにことごとくレース運びを失敗してしまったからだ。
先頭集団から真っ先に脱落してしまった白雪に関しては、勝負の判断というよりはコンディションの悪さから勝てなったように見えたため、やや異なるかもしれない。だがキレルと新谷に関しては、明らかに仕掛けが早すぎた。
キレルは序盤から細かく仕掛けていたが、あれで後半に向けて体力を浪費してしまった感は否めないし、結局自ら仕掛けて最後はつぶれてしまうという、マラソン経験が不足しているランナーの典型的な失敗をしてしまった。マラソンそれ自体というより、このようなハイレベルな中で勝負がかかったレースとでの駆け引きというものに、慣れていなかったように思える。
新谷も、同じようなものだ。30km付近でのスパートは、早すぎたのだ。新谷の場合、アベレージで上げていくのではなく、30km~31kmにかけての1kmで、それまで3分30秒台半ばだったラップを、一気に3分18秒にまで上げた。そのまま押していければ良かったのだが、結局そのペースを保てず。残っていた余力をラストの12.195kmに満遍なく使えば逃げ切りは可能だっただろうが、その力を30kmからの1kmですべて出しつくしてしまった。これもまた、2度マラソンの経験があるとはいえ、キレルと同じく駆け引き面での経験不足が招いた失敗といえる。
また新谷がこれを意識していたかどうか定かではないが、集団を引っ張ったキレルが上記のように細かい仕掛けを乱発したために、先頭集団はなかなかペースが安定しなかった。1kmごとの細かいラップで見ると、バラつきがあった。これが知らず知らずのうちに疲労となって蓄積し、思った以上に35km以降の新谷の足に響いてきた可能性は否定できない。その点余裕がなかった藤永は再三集団から離れはしたが、かえって自分のペースを守って走れたために、結果的にフィニッシュまで脚が持つこととなった。
◆遅すぎた仕掛け◆
一方その4人をはるか前方に見やることになった後方の大集団。彼女たちがあそこで先頭につかなかった判断それ自体は、決して間違いではない。現に4人のうち3人までが潰れてしまったのだし、優勝した藤永にしろ、最後はだいぶペースが落ちていた。
だがこの集団はキレルや新谷とは逆で、今度は勝負を躊躇しすぎ、逆に仕掛けるタイミングが遅くなりすぎてしまった。その結果、最後は堀江と町田が猛追を見せたものの、それまでのアドバンテージがあまりに大きすぎたために、藤永には追いつけなかった。
この集団がペースを上げたのは30km前後だったと思われるが、中間点付近から堀江がイニシアティヴを握ってペースを上げていれば、或いは・・・・と、レースに“たられば”は禁物とは言え、思わざるを得ない。堀江としてはおそらく昨年のこの大会、先に仕掛けに出て結果的に中村に抜かれてしまったレースのことが頭にあったのだろうが、今回は逆にあまりにも仕掛けどころが遅すぎ、追いつくことができなかった。集団の中での実力では、大南が脱落したことで頭一つ抜けていただけに、勝負どころで思い切って引っ張ることができなかったのは、残念である。
あくまで「結果的に」ではあるが、余裕が無かった故に自ら勝負を仕掛けることは一度もなかった藤永のもとに、勝利が転がり込んだ。改めてマラソンというレースでの勝負所の判断、42.195kmという距離を見据えたうえでのレース・マネジメントの難しさというものを感じさせられた、レースであった。
posted by Alan Hetarade |20:46 |
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2009年03月01日
◆世界と渡り合った清水将也◆
タイムとしては平凡なものだったが、国内でこれほどの選手たちが出場した大会の中では、清水将也は近頃の日本人選手では一番、“世界”に対抗できた選手となった。福岡でケベデのスパートに日本人が全く対抗できなかったのに対し、このレースでの清水将也は実績では雲の上とも言える選手たちを相手に、40km付近まで互角に渡り合った。
後半は強い向かい風の中でのレースとなり、清水将也はその中で、時折アスメロンと競りながらも大半の時間、集団の先頭を引いた。本来であれば、向かい風の中で集団を引くことは自殺行為に等しい。だが延岡西日本マラソンで強い風の中を優勝した経験から、向かい風への苦手意識が無い清水将也は、敢えて集団を引っ張った。そして結果的にそれは吉と出た。変に集団に埋没して自らのペースを崩すよりは、周りをあまり気にせず自分が走れるペースで臆することなく走る方が、精神面での憂いも少なくなる。本来は恐がってなかなかできないことだが、清水将也はそれをやってのけた。
またゴールするまで、後ろ向きにならずひたすら前を見て走り続け、勝負に拘った点も、評価に値する。ゴール後のインタビューでは智也が後ろから迫ってこないかという恐怖にかられたことを語っていたが、これまでの国内レースで度々見られたような、外国人選手がペースアップした時点で優勝争いを放棄してしまい、日本人での順位争いに徹するようなレース運びでは無かった。ペースが落ちがちな集団を引き、リオスとテルガトがスパートした後も、それを追い続けた。一旦アスメロンと並走した際にも、彼との勝負ばかりを意識するのではなく、リオスの背中をしっかりと見据えていた。
世界で勝負するには、このような少しでも前を追い、背中を追う勝負根性こそ、重要である。前が速いからといって諦めることなく、それを追っていかなければならない。日本人が得意とするレース展開で、よく「落ちてくる選手を拾う」という言い方をするものがある。これは確かに間違った表現では無いが、一方で前と一緒に自分も落ちてしまっては、相対的な位置関係は変わらない。前を追い続けるからこそ、“相対的に落ちてきた選手”を捕らえられるのだ。
選考会では実際に捕まえられたか云々より、この姿勢を失わず、最後まで“勝負できたかどうか”が重要だ。今日の清水将也には、久々に日本人選手としてそのような姿を見ることが出来た。
◆それぞれに収穫あった、日本勢上位◆
日本人2位となる6位に入った清水智也も、まずまずの内容か。昨年は初マラソンで2時間9分台の記録を出したが、勝負に出たというよりは自らのペースを守りきっての走りで得たものだった。今回は代表権を意識してレースを走り、残念ながら25kmほどで遅れてしまったが、その後でもペースを大きくは落とさず走り切れたことは、やはりマラソンでの能力の高さを示したと言える。
そういう点では、今回初マラソンを走った佐々木、また2回目ながら今回が初の完走となった真壁は、今後に向けて意義あるレースになったと言える。佐々木は勝負には絡めなかったが、しっかりと完走を果たした事で、本人が言う「マラソンの経験」を積むことが出来た。やはり今回、マラソンというレースの難しさ、また長い距離での壁を感じただろうが、これくらいのタイム、順位で完走を果たせば、次のマラソンに挑む意識も今回とはだいぶ変わるはずである。
トラックでは日本屈指のスピードを誇る真壁は流石に最後バテたが、それでも30km近くまで先頭集団に食らいつき、もがきながらも何とか完走を果たしたことで、今後に繋げることができた。やはりスタミナという点ではまだまだではあったが、彼のスピードは日本のマラソン界にとっては1つの希望である。流石に2回続けてのリタイヤとなるとマラソンへの悪い苦手意識も生まれただろうが、完走して課題がハッキリしたことで、次のマラソンに向けて手ごたえを掴めたはずだ。
別大マラソンで3位に入った秋葉も含め、ここ2大会で将来が嘱望される若手選手たちがしっかり完走を果たせたことは、来年以降に向けて期待が持てる。いずれもポテンシャルは高い選手だ。あの高岡寿成も、初マラソンとなった2001年の福岡では3位だった。彼らが次回以降、記録を大幅に伸ばす可能性は、少なくない。
◆テルガト、“存在感”でレースを制す◆
最後になってしまったが、レースそのものについても少し触れておく。
世界歴代2位のタイムを持つポール・テルガトが40km付近からのスパートでレースを制したが、集団が5人となった段階でアスメロンとリオスは、仕掛けようと思えば仕掛けられたはずだ。清水将也は、スピードというよりはピッチ走法のスタミナ勝負が得意な選手であり、瞬間的にスピードを上げてのスパートは出来ないし、無理にはしない方がいい。しかしアスメロンとリオスについては十分にそれが出来る脚質だし、最終的に動いたのはリオスだったが、それが出来るだけの余力も残していた。
しかし彼らは集団の中を頻繁に見回したものの(リオスの場合、駆け引き以上に“癖”という要素が強いだろうが)、仕掛けられなかった。それは中継でも触れられていたがテルガトの存在感によるものであり、スパートしても彼に付いてこられたら困る、その際自分が先に体力を使い果たしてしまえば・・・・という恐怖があったからこそ、飛び出すことができなかった。
そしてそのままずるずると距離が進んでしまい、最終的にリオスが飛び出したときには、既に“手おくれ”。体力云々ではなく単純なスプリント力の勝負になってしまい、リオスもアスメロンもテルガトに対抗できなかった。
こういった瞬発力がある選手を相手にする場合、ペースでもって40kmまでにその選手を引き離してしまうことが重要である。しかし向かい風いという事もあいまって、リオスもアスメロンも前に出られなかった。そして気づいた時には、既にテルガトの土俵に上がってしまっていたのだ。そういう点では、勝負に際してベストの選択肢を採り続けたのは、このレースではテルガトと清水将也の2人のみであったと言える。
posted by Alan Hetarade |20:05 |
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2009年01月25日
◆真の力を発揮するレース◆
もはや改めて書くまでもないが、これまでのマラソンにおける渋井陽子のイメージは「速い。しかし、失敗しやすい」というものだった。
10,000mの第一人者として日本の他のランナーには無いスピードを持ち、それが爆発すれば2時間19分台を出す力も持っている。しかしその一方で、積極果敢なレース運びが仇となった30km以降での失速を、これまで幾度となく繰り返してきた。日本人は高橋尚子や野口みずきらがそうであったが、コンスタントに毎レース結果を残してこそ、真の“マラソンランナー”と認められる。ムラの大きい渋井は、これまでその条件を満たしてこなかった。
今回のレースだけで、渋井が今後のレースでも上手くいくようになると決まったわけではない。しかし我慢を強いられるレース展開で圧勝したこの日のレースは、渋井がマラソンランナーとして自らの殻を破ったレースと位置づけることが出来よう。
◆プラスに働いた「トラウマ」◆
渋井自身も語っていたとおり、これまでの数々の失敗が誰よりも本人にとって強いトラウマになっていたことは間違いない。通常あのようなネガティヴな思考はスポーツでは良しとされない。だが今回の渋井に限っては、それがプラスに働いた格好だ。リミッターを解除すれば途端に自らのペースで走りだしてしまう渋井にとっては、半ば強制的にであれ、それを封じ込める走りが求められていた。今日の場合、彼女の強いトラウマがリミッターとなり、後半へ力を蓄える大きなファクターとなった。
余力を残して後半に入れれば、渋井のペースに付いてこられる選手は、そうはいない。今日のレースはタイムは良くなかったが、着目すべきはレース後半にかけてのペースアップである。序盤から5kmあたり17分台のペースが続いていたが、渋井がペースアップした30km~35kmにかけては16分11秒と、その前の5kmから1分以上もタイムが短縮されている。
このような急激なペースアップは脚への負担が大きく、心肺機能などの単純なスタミナは勿論、イーヴンペースで長く走る能力と言うよりは、もっと瞬発力を要するトラックレースで結果を残せるような能力が求められる。最終的に振り落とされたとはいえ初マラソンの赤羽が一時的に渋井に対応し、原や扇といったロングランを得意とするランナーが遅れた一因には、このような側面があろう。
レース後の渋井のインタビューで印象的だったのは、彼女が序盤から「失敗するイメージしか無かった」と悪いイメージに捕らわれていた一方で、大阪城でペースアップをした際には「自然に前に出た」という、まったく正反対と言っていい心理状態をレースの中で感じていたという点だ。自ら無理やりリミッターを外したというよりは、押さえつけていたはずが無意識のうちに緩くなっていき、ある時ポロッと取れてしまった、という形に近いだろう。その瞬間、彼女の心理状態がスポーツに於いて最も良しとされる“無”の状態に達した結果が、あのスパートだった。
勿論このような心理的な面のみならず、中継内で触れられていた給水における糖分摂取の工夫や、調整の面など、フィジカルな面でも成功を収めたからこその、今回の優勝であろう。渋井には是非ともこの感覚を忘れず、次以降のレースでも同じような調整をしてもらいたいところである。
◆「中69日の成功」が示すもの◆
また今回のレースで渋井が注目されていたもう1つの点として、東京国際女子マラソンでの失敗から僅か中69日でのレースに挑んだ、という事がある。
海外では1年の間に複数回マラソンを走ることは当たり前とされているが、日本ではそのような認識はなかなか無い。年に3回行われる国内のレースに照準を定め、それ1本で勝負。上手く行けばオリンピック、または世界選手権に出場し、夏に1本。多くても、年間でこの2本だけというスタイルが、染み付いている。
これには選手が実業団に所属して活動しているという、日本ならではの事情もあろう。海外のプロのマラソンランナーは、賞金レースに出場してその賞金を得るなりギャランティーを得るなり、プロとしてのスポンサーフィーを得るなどして活動している。そのため“走らなければ喰えない”状況に置かれるため、可能な限りレースに出場したいという発想が生まれる。
しかし日本の場合、選手は企業の社員である。レースを走らなくても仕事をすれば、ひとまず喰えるわけだ。そのため多くのマラソンに出場する必然性が無く、結果として出るレース数が少なくなる傾向にある。
この日本独特の環境が、悪いとは言わない。むしろ選手のセカンドキャリア等々を考えれば、実業団という方式は理想的でもある。だが長らく「1年にマラソン1回」というスタンスで日本の陸上界全体が取り組んできた結果、その既成概念ばかりに囚われ、出来るのにやろうとしない状態に陥っている可能性がある。
これは長らく私が訴えているスピード化への対応の遅れとも、無関係ではない。いくら世界でスピード化が進もうが、複数回のマラソンを走るのが当たり前だろうが、所詮は対岸の火事、向こうは向こうでうちはうち、という思いが、日本の陸上関係者には蔓延っている気がしてならない。特にスピード化からの遅れが顕著な男子マラソンにおいて、雑誌等においては「まだ日本人でも勝負できる」との声もあるが、現状それは単なる現実逃避であるとしか言いようが無い。もっと危機感を持ち、もっと根本的な部分からの見直しを図らなければ、日本のマラソン界は世界から遅れを取るばかりだ。
そういった点で、今回渋井が行った中69日での挑戦が成功したことは、日本のマラソン界に風穴を開けたという点で、大きな意味を持つ。選手個人の体質の事もあるため、もちろん全員が全員年に複数回マラソンを走れるとは言わないが、「日本人だから出来ない」などということは無いということを、渋井は証明してくれた。渋井が出来たのだから、他の日本人選手でも出来る者は居るはずだ。年に複数回マラソンをこなすスタイルが今後定着していけば、今回の渋井が果たした功績は大きいし、そのムーヴメントを推進していかなければいけないだろう。
渋井は、日本のマラソン界の殻も、破ったのだ。
posted by Alan Hetarade |20:56 |
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2009年01月03日
6区
○佐藤匠(大東文化) 板垣辰矢(帝京) 川内優輝(学連選抜・学習院)
△加藤創大(早稲田) 藤山修一(駒澤) 芳村隆一(東海)
6人が1時間をカットするという、過去にないハイレベルな争いとなった。昨年も活躍した佐藤はタイムを縮めて区間記録を獲得。前日の5区に続き、奈良監督の下“山の大東”が完全復活したことを印象づけ、復路のレースに勢いをつけた。帝京の板垣、学連選抜の川内も、後半区間へもたらした影響は大きい。
東洋の富永をかわし首位に立った早稲田の加藤だが、わき腹痛で不本意な走りになったことは間違いない。本来この区間でもっと貯金が作れるはずだった早稲だのレースプランの狂いは、後々にも響いた。
追い上げが期待された駒澤の藤山、東海の芳村もピリッとしない走り。特に藤山は着実に襷を繋ぐことが求められたが、ラスト3kmで失速。見事に6区の罠にはまってしまった。
7区
◎飛坂篤恭(東洋)
○八木勇樹(早稲田) 梶原有高(学連選抜・松陰)
△我妻伸洋(駒澤)
思い切って序盤のペースを抑え、後半勝負にかけた飛坂の走りは見事だった。前が見える位置で襷を貰うとついつい突っ込んで入ってしまうものだが、一旦それが見えなくなるくらい離れながらも焦ることなく自らのペースをままおる走りに徹するのは、相当勇気要ることだ。それをやってのけた精神力は、並大抵のものではない。
その飛坂に若干詰められこそしたものの、早稲田の八木も区間2位であれば及第点の走りだろう。ラストで見せた粘りのある走りは、来年以降にも繋がるものだ。また中位の争いで活躍した学連選抜の梶原も、期待以上の走りだった。一方駒澤の我妻は完全に気持ちが空回りしてしまい、区間19位と失速。この区間でも駒澤は、着実に次区間に託す走りができなかった。
8区
○高林祐介(駒澤) 千葉優(東洋) 園田稔(東農大)
△大野紘崇(中央学院) 佐藤健(帝京)
×石田亮(城西)
今大会の駒澤でまともに走れたのは、2区の宇賀地とこの高林だけだったと言っても過言ではないだろう。他の選手が前を追う気持ちが強すぎてことごとく実力を出し切れなかった復路において、彼だけは自らの走りに徹して、きっちり結果を残した。長い距離でもしっかり走れることを示せたという意味でも、来年にも期待したい。
トップ争いにおいて必要以上に早稲田を意識することなくペースで引き離した千葉の走りも、冷静そのもの。農大を一気にシード圏内に引き上げた園田も見事だった。中央学院の大野は失速してしまい、3位争いから脱落。佐藤はそれまで順調に順位を上げていた勢いを切ってしまい、ここから一気に帝京は転落していった。同じく復路に驚異的な追い上げを見せていた城西がここでリタイヤしてしまったのは、残念だった。
9区
◎伊藤一行(城西) 中川剛(山梨学院)
○大津翔吾(東洋)
△池田宗司(駒澤) 野口功太(日体大)
×朝日嗣也(早稲田) 前川剛己(帝京)
これまで箱根では苦杯をなめ続けてきた、城西の伊藤。以前から実力はありながら箱根ではことごとくブレーキをしてきたが、4年生の今年は、遂に自らの力を最大限に発揮した。しかしその前にチームが棄権していたというのは、まさに皮肉としか言いようが無い。“幻の区間賞”となってしまったが、この伊藤の走りを後輩が来年に繋げられるだろうか。
山梨の中川は、モグス以外の日本人でも区間賞を取れる人材がいることを証明してみせた。モグスへの依存度が高いチームの体制下でも、他の選手も進歩していることをアピールできたのは大きい。東洋の大津は序盤もたついたかに見えたが、終わってみれば区間2位のタイム。長距離への適性を見せた。
鶴見直前の生麦までは区間トップのタイムで来ていた池田は最後に失速。キャプテンまでもが、焦りで空回りしてしまった。区間賞も期待された野口も、やや不本意な走りか。そしてオーバーペースで入り後半潰れるという典型的な失敗レースをしてしまった朝日のレース運びは、東洋と早稲田の明暗をくっきりと分けるものとなってしまった。
10区
◎佐野広明(学連選抜・麗澤)
○永井大隆(日体大) 三戸格(早稲田)
△倉持貴充(東農大) 渡邉克則(帝京)
熾烈を極めたシード圏争いにおいて、まさに矢のように突っ込んできた学連選抜の佐野。大逆転で順位を3つ上げ、ゴール後は胴上げで祝福されていたが、前とやや差がありながら諦めずに追っていたからこその区間2位の走りだろう。序盤は向かい風の中で、国士舘の実力者、羽島の後ろについて体力を温存した事も、大きかった。
その風の中で集団を引っ張ってしまい、後半一気に失速したのが東農大の倉持。外丸が上位に押し上げ、園田が再びシード圏内に導いた順位を失ってしまったのは、痛恨という他なかった。単独走行ながら区間賞を獲得した日体大の長井は見事な走り。好調が伝えられた三戸は前区間の選手とは異なり冷静にペースを保って前を追い上げたが、遅れが大きすぎた。
◆総括◆
まず早稲田が東洋を大きく引き離すと思われた6区で加藤が予想以上に伸びなかったことが、東洋の総合優勝への大きなキッカケとなった。その後も長い距離を苦にしない自信に満ちた走りを東洋の各選手が見せたのに対し、早稲田は7区、10区は実力を発揮したものの、8区、9区が後半で失速。特に序盤で極端に差を詰めながら後半だけで逆に1分の差を広げられた朝日のレース運びは、痛恨と言う他なかった。
終わってみれば、東洋は復路優勝も果たし、総合優勝。持ちタイムの良い選手を揃えた2年前のチャンスは山登りの失敗でフイにしたが、今回その山登りで柏原が活躍したことも大きかった。またその前に、3区で大西が5人を抜いて柏原のトップ奪取をお膳立てしたことも見逃せない。往路で2人の看板選手が機能し、復路では逆に平均して実力のある選手が力を発揮した東洋は、まさにバランスが取れたチームだった。
山の登り下りで上位につけてその流れを保ったのが、3位の日体大、4位の大東文化、5位の中央学院といったところ。柏原の一発大逆転のみならず、とにかく上位進出のためには山をソツなくこなすことが求められるが、そういった点でこれらのチームは成功したと言える。
6位には山梨学院が入った。モグスの貯金はあったにせよ、その他の日本人選手がキッチリ走ったのは大きい。8区で岸本が区間21位とブレーキになってしまったが、直後に区間賞の走りでまた順位を押し上げた中川の走りは、モグスと並んで山梨学院ではMVP級といえるだろう。
久々のシードを獲得し大躍進を果たしたのは、7位の明治。7区にエントリーされていたエースの東野を欠きながらのこの結果は、評価できるだろう。松本、安田といった主力選手は3年生で、来年に向けてもさらなる活躍が期待できる。
かろうじてシードに滑り込んだのは、学連選抜と中央。学連選抜は6区の川内、7区の梶原、10区の佐野が、中央は6区の山下、9区の平川がそれぞれ区間5位以内に入り、チームを押し上げた。どちらも出入りの激しいレースとなった感は否めないが、学連選抜のシードへの思い、また中央の伝統的な安定感は、流石といったところだ。
昨年の戦力が多く残った国士館は、あと一歩。6区の村川が区間21位に終わったのが痛恨だった。東農大は園田の大活躍もあって10区に襷を繋いだ時点では笑いが止まらない状態だっただろうが、10区でまさかの失速。残念ながらチーム全体の出来というよりは、倉持個人の失敗でシードを逃してしまったという事になる。
優勝も期待されながら、駒澤は13位に終わった。3区で渡邊が中位をキープするどころか下位に落ちてしまったのが痛恨で、復路も焦らずに走れば良かったところを、6区、7区と完全に気負いが裏目に出た走りに。9区、10区の4年生2人も実力を発揮できず、実力伯仲のレースの中、完全に足元をすくわれた格好となってしまった。
その駒澤以上に最悪のレースとなってしまったのが、城西。まともに走っていればシード入りは間違いなかっただろうに、事もあろうか往路の選手が全員失敗レースをしてしまった。復路では心機一転し、6区の三田、7区の篠原が区間1桁台の順位で走ったが、8区でまさかの棄権。9区、10区でも伊藤が区間賞、田村が区間10位に相当するタイムで走っただけに、本当にもったいないとしか言いようがないレースをしてしまった。これほど実力がありながらそれを出せなかったチームは、そう無いであろう。
posted by Alan Hetarade |21:54 |
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