2008年04月06日

能代工高新監督!信長さんのバスケット人生

先日、「あの能代工とJBLがコラボ・・・!?」ということで、能代工高監督から、JBLのリンク栃木ブレックスのHCに転身することになった加藤三彦監督の話題を取り上げましたが、
今日は、代わって能代工高の新監督に就任することになった、
佐藤信長さんについて書いてみます。

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(2004.12.12@府中 アイシンvsトヨタ)

信長さんの能代工高監督就任のニュースは、ほんとにびっくりしました!
全く予想してなかったので・・・
でも、公になってなかっただけで、そういうことでちょっと前から話は進んでいて、信長さんの中でも07-08シーズンはそういうつもりで心を決めて戦っていたのかな・・と思っていたのですが、
河北新報の記事(↓に引用します)によると、加藤前監督から就任を打診されたのは、ついこの間の3月上旬のことで、信長さんとしてはまだ現役を続けるつもりでいて、パナソニックとの契約交渉を始める直前のことだったんですね。。


「考えるバスケ」目指す 能代工高新監督
 
(写真)練習で、ノートを手に、選手に対し指示を出す佐藤新監督=3日、能代市の能代工高体育館 
 
 高校バスケットボール界の名門能代工高の新監督に、同校OBの佐藤信長さん(37)が就任した。日本リーグ(JBL)の選手を引退し、指導者に挑む佐藤新監督は「歴史ある高校の監督を継ぐ重圧はあるが、選手と一緒に汗を流しながら、佐藤信長らしいチームづくりをしたい」と意気込む。

 今月1日、チームに合流した。加藤三彦前監督(45)が掲げた伝統の「走るバスケ」を戦術の基本に据えた上で、選手には「今年は考えながらやるバスケに変えていく。目的意識を持って練習に取り組もう」と告げるなど、変化も促している。

 加藤前監督から就任を打診されたのは、3月上旬。当時所属したJBL松下電器と現役続行の契約交渉をする直前だった。母校の指導者になることは人生のプランになかったが、加藤前監督の「お前しかいない」という一言に押され、自身の「現役中にやりたいことはある程度やった」という思いもあり、決意を固めた。

 東京都出身。中学生時代に能代市へ移り住み、能代工高ではウインターカップ連覇を飾った。

 明大卒業後は、苦難の連続だった。1993年から住友金属で活躍したが、98年に休部。その後のアイシン精機への移籍劇は、居場所を失った選手たちが弱小チームに移り、日本一を目指すノンフィクション小説となった。JBLでは4チームを渡り歩いている。

 「いつバスケ人生が終わるかもしれない中で、毎日を大事にすることを学んだ。基本を大切に一生懸命プレーしていれば、必ず誰かが見てくれていることも分かった。能代工高の選手たちには自分の経験を伝えたい」と実感を込める。

 今季の具体的な目標は明言せず、「勝つことで、応援してくれる多くの方々に恩返ししたい」と力を込めた。

(河北新報ニュース 2008年4月3日)


信長さんとしても、ものすごい急展開での超名門校監督就任だったんですね。

最初、「信長さんが能代の監督に!」っていうことで、スゴイスゴイってどっちかというと浮かれてたんですけど、なんかだんだん「そうか、ということは引退しちゃったんだ・・・もうプレーは見られないんだ・・・」っていう方がじわじわ実感されてきて、切なくなってきてしまいました。
信長さんの、ベンチでもコートでもいつも全力な姿、大好きでした(> <)

記事の中でも触れられていますが、信長さんの、アイシンで優勝を目指すまでのバスケット人生については、「ファイブ」(平山譲著)という小説になっています。
この本は佐古さんのストーリーがメインですけれど、外山さん、後藤さん、エリちゃん(マッカーサー選手)、信長さん、さらには鈴木貴美一HCや、佐古さんの親友ということで折茂さん、そして応援団やチアの方などなど・・・たくさんの人のエピソードがかなり詳細に取り上げられてるんですよね。

中でも、信長さんのエピソードはすごく感動したので印象に残っています。

・・・

根っからの野球人だったお父さんと「巨人の星」状態だった野球漬けの小学生時代、

しかし、信長さんにとってのヒーローは、巨人の選手でも星飛雄馬でもなく、

又従兄弟で当時日本代表PGだった、小野秀二(現・日立サンロッカーズHC)さんで、

大喧嘩の末にお父さんを説得して中学でバスケ部に入部し、

小野さんの足跡を辿るようにして、能代工業高校に入学、

そして小柄な体で、大変な努力の末に名門校のレギュラーの座を獲得して全国優勝を果たし、

進んだ大学でも、日本リーグでも、
どんなときでも諦めない、コートいっぱいに走る全力プレーでレギュラーとして活躍、

ところが、突然訪れた所属チームの休部・・・

そこから、アイシンに移籍し、セミファイナルに出られるチームにまでアイシンを引き上げ、
佐古さんの加入により控えに回ったものの、シックスマンとして勝利に貢献し・・・というあたりまでが「ファイブ」で取り上げられているんですけれど、
(原作読んでいない方はぜひ~。オススメです)
信長さんの波乱のバスケット人生には、まだまだ続きがあり・・・

「ファイブ」の年から2年後、佐古さんのアキレス腱断裂があった壮絶なファイナルでアイシンの連覇は途絶え、信長さんは、移籍者リストに載ります。
すでに当時信長さんは34歳になっていて、引退だろうか・・と思われますが、
その年、JBLに福岡レッドファルコンズというプロチームが誕生、そこに移籍してプロ選手となります。
レッドファルコンズでは、惜しい試合がいくつもありつつも、なかなか勝ち星を上げられず、
そうこうしていくうちに、母体企業の経営不振・スポンサー獲得の難航などにより、
選手・スタッフの給料未払い、社長の自殺未遂(!)と、状況がどんどん悪くなっていき、
なんと、シーズン後半戦を残して、福岡レッドファルコンズは解散という事態に。
このときはホントにショックだった・・・。
当事者の信長さんたちの衝撃とは比べるべくもないけれど・・・

そして信長さんは、特例による救済措置で、シーズン半ばにパナソニックに移籍、
そこから約2年、
ベンチでは大きな声とアクションで盛り上げ、
コートでは思いっきりルーズボールに飛び込み、
変わらぬ全力プレーを見せてくれました。
人懐っこいキャラクターも魅力で、パナソニックに移籍後も、アイシンの選手や鈴木HCらと楽しそうにじゃれている様子もうれしかった。。

加藤監督は、そんな信長さんの何ものにも代えられない経験と熱い気持ちを買って、
「お前しかいない」
って言ったんでしょうね。

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(2004.12.12@府中 外山さんの後姿・信長さん・小宮さん)

信長さん、長い間お疲れさまでした!
新しい舞台での活躍を楽しみにしています!


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posted by rulala |06:01 | その他、バスケを語る | コメント(4) | トラックバック(0)
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