2007年11月29日
今月16日に脳梗塞で千葉県浦安市の病院に緊急入院したオシム監督。家族の暖かい看護と、医師団の努力により、ようやく僅かながら家族の問いかけに反応できるまで回復したそうだ。とはいえ、まだまだ予断を許さない状況が続いている。ファンを始め、関係者一堂が一日も早い回復を祈っているのは、当然のことと言えるだろう。
できればオシム監督に、このまま日本代表を率いて10年W杯アジア予選を突破し、南アでの本大会に出場して欲しいところ。しかしながら後遺症の心配もあり、また来年1月にはアジア3次予選の準備をスタートさせなければならない。
韓国やオーストラリアなど監督不在の国々もあるが、強化の継続性という意味でも、日本サッカー協会は早急にオシム監督の後任人事に着手する必要に迫られていた(マスコミからの突き上げがあったのも否定できない要素の一つである)。そして11月27日、田嶋専務理事は緊急記者会見を開き、監督候補の予算等で承認を得られたので、今後は小野技術委員長が第1候補と交渉することを明らかにした。
小野技術委員長はすでに水面下で2度の交渉を持っており、監督就任は打診済み。田嶋専務理事によれば、すでに新聞等で監督候補が実名報道されているため、混乱を避ける意味でも交渉開始をオープンにしたとのことだった。会見後は監督候補の自宅取材を自粛するよう協会側から要請があったそうだ。それでも自宅に押しかけた新聞社や雑誌社が数社あったものの、パトカーの出動であえなく退散せざるを得なかったという。
さて、渦中の岡田氏である。新聞等によると、今週中には結論が出され、12月7日の協会常務理事会で正式決定が下される見通しが高いそうだ。ということは、監督受諾はすでに規定路線ということになる。10年前の加茂監督更迭時と同様、引き受けざるを得ない状況での監督打診では、なかなか「ノー」と言いにくい。
とはいえ、監督を引き受けて、例えW杯出場を決めても、「水を撒いて種を植えた」のはオシム前監督の功績だったと言われてしまう可能性もある。万が一W杯出場を逃せば、「やはりオシム監督でないとダメだった」と非難されることだってある。
いずれにせよ、オシム監督の現場離脱(の可能性が現状では強い)が病魔に倒れるという悲劇性を伴ったものなので、監督在任中は常に比較される不運がつきまとう可能性は高い。そしてそれは結果だけではないだろう。「ボールも人も動くサッカー」を継承するのか、それとも路線変更し独自色を出していくのか。コーチ陣らスタッフ編成を含め、あらゆる面で「オシム継承」か、それとも「脱オシム=岡田カラー」で指揮するのか熟考した上で、岡田氏は「イエス」か「ノー」の結論を出さなければならないだろう。そして万が一、「ノー」という結論を出した際に予想される批判やデメリットも考慮しなければならない。まさに岡田氏にとっては、10年前と同様の、いやそれ以上にハードな決断を強いられているに違いない。
というのも、10年前は前監督の路線を継承しつつ独自色を出せばよかったからだ。今回で言えば、大熊コーチや加藤GKコーチが監督代理に昇格すれば、周囲も応援しようという温かい目で見守ってくれただろう。しかし岡田氏はそうはいかない。繰り返しになるが、常に病床の前任者と比較される運命にある。果たして岡田氏の出す結論は……。
posted by roku03 |15:54 |
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2007年10月11日
乾の持ち味はトリッキーなドリブルだが、屈強な川崎DF陣を相手に一人で2~3人を抜くのは至難の業。というより、ボールをもらう動きに工夫がないため、川崎DF陣の中に埋没していたと言っていい。ハーフタイムに早野監督から交代を告げられた際は悔し涙を流したそうだが、交代出場した坂田のプレーを注意深く観察していれば、今後プレーの幅を広げるのに大いに役立ったのではないだろうか。
坂田は47分に田中隼のクロスを受けて抜け出し、シュートこそDFにブロックされたものの山瀬弟の同点ゴールを演出した。その坂田のプレーの特徴は、基本に忠実に「ダイアゴナル(対角線の)ラン」を繰り返していたことだ。ポスト役の大島と前後の関係を築くようにバイタルエリアに戻って味方からのボールを引き出す。ここでシンプルに味方につなぐと、何度もダイアゴナルランを繰り返していた。
47分のゴールも、右サイドにいた坂田は一度左斜め前へと走り出す。と、途中で鋭角的にターンして、今度は右斜め前へと走りこんだ。そこに田中隼からピンポイントのクロスが出て、GKと1対1の状況を作ったのだった。このプレー以外にも、松田からのロングパスに抜け出しかけたことがあった。坂田のシンプルなプレーについて、横浜Mの選手も共通のイメージを持っているのだろう。だから味方選手もパスを出しやすいと考えられる。ところが乾は、自分だけのイメージで動き回っているため、味方選手も彼の動きを瞬時に理解できず、乾の欲しいタイミングでパスを出すことは出来なかったのではないだろうか。自ら「難しいプレー」の罠にはまり、持ち味を発揮できずに終わった45分だったと言える。
タイスコアに持ち込んだことで、横浜Mは那須、田中隼の両サイドバックが攻勢を強める。これに対し関塚監督は、久木野に代えて井川を投入。井川を左DFに入れて、森を左MFへとコンバートし、横浜Mのサイド攻撃に対処した。交代を命じられた久木野も不満そうだったが、元々はFWの選手。攻撃面では果敢な突破でアピールしていたものの、1点を争う緊迫した場面では、この交代もやむを得なかっただろう。
試合は59分に中村のタテパスでマギヌンが抜け出したところ、後追いとなった田中隼が倒してしまいPKのジャッジ。これをジュニーニョが確実に決めて川崎が再び勝ち越し、アウェーの第1戦を勝利で飾った。とはいえ、終盤には大島が二度に渡り決定的なヘディングシュートを放つなど(いずれもGK川島の好セーブに防がれる)、最後まで目の離せない好勝負。交代出場のマイク ハーフナーに中澤、松田の攻めあがったパワープレーは迫力があったし、対する川崎も箕輪、佐原、伊藤、井川らが身体を張ってゴールを死守していた。
試合後、関塚監督は4DFにしたこと、右サイドにオープンスペースを作った理由について、「まだ第2戦があるので戦術的なことは話せません」と回答を拒否した。果たして今週土曜の第2戦で、早野監督はどんな策を講じ、関塚監督はどんな秘策を用意しているのか。当日は私用のため取材できないので、記者仲間に詳細を教えてもらおうと思っているが、今日と明日、二人の名将の頭の中では様々な攻防がシミュレーションされていることだろう。果たして結果は……。
posted by roku03 |16:23 |
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2007年10月11日
先ほど、日産スタジアムから帰宅した。ナビスコ杯準決勝第1戦の、横浜M対川崎戦の取材を終えて、自宅のパソコンに向かっている。当初はこの試合についてブログに書く予定はまるでなかった。
まだ第1戦のため結果が出たわけではない。そして横浜Mは現在リーグ戦3連敗。川崎は物議を醸した「最強メンバー」の柏戦での敗退後、セパハン戦もPK戦でACL制覇の望みを断たれ、ようやく日曜にJ最下位の横浜FCを1-0で下し、一息ついたチーム状態だ。このため、どちらが立ち直りのきっかけをつかむか見るのが今日の試合取材の関心事だったからだ。
ところが、試合は実に面白かった。今季のリーグ戦では、横浜Mが2試合とも早い時間に先制し、2-0とリードした後で川崎が1点を返したものの、そのまま横浜Mが逃げ切って2連勝している。このことは試合後の関塚監督も指摘していた。その打開策として、関塚監督は大胆なゲームプランで臨んだようだ(というのも、試合後の会見ではシステムとスペースの質問に関して、第2戦があるため回答を拒否したので、推測するしかないからだ)。
まず関塚監督は、それまで川崎の代名詞だった3-5-2システムを4-4-2に変更した。佐原と箕輪のCB、伊藤を左DFに起用し、右DFにはサイドアタッカーの森をコンバート。まずは両サイドのスペースを埋めにきた。中盤は谷口をボランチに、久木野を左、中村を右に配して、トップ下はマギヌン。そして2トップはジュニーニョと鄭大世のいつものコンビだ。川崎をいつも取材している記者によれば、「4-4-2システムは練習することはあっても、実際に試合で採用するのは見たことがない」と話していた。
試合は、セパハン戦での緩慢な動きから一変し、川崎の選手は誰もが「キレ」を取り戻していた。厳しいプレスでボールを奪うと素早い動き出しで横浜Mに襲い掛かった。リーグ戦での連戦と、イラン遠征の疲れによるドン底の状態から立ち直ったのか?
試合を取材していた解説者の山本昌邦氏は「プレッシャーから解放されたのでしょう」と教えてくれた。それもあるかもしれない。ナビスコ杯はアウェーゴール2倍のアドバンテージがある。アウェーだからといって、0-0のドローではホームで何が起こるか分からない。ホームアドバンテージの怖さを川崎の選手は身をもって知ったのかもしれない。
「異変」に気づいたのは5分を過ぎた頃だろうか。中村がボランチの位置に入り、右サイドには広大なスペースが広がるようになった。最初は森の攻め上がりをうながすためかと思っていたが、森は得意の攻撃参加を披露しない。そして、このスペースを有効活用したのは、トップ下から流れたマギヌンや、ジュニーニョだった。
彼らが右サイドのスペースに出現すると、フリーでボールを受け、余裕を持って攻撃の起点となっていた。8分の先制点も、マギヌンが縦へ行くと見せたため、マーカーの河合がディレイ(遅らせる)のプレーで蓋をする。このためマギヌンは中にドリブルすると、ジュニーニョとのアイコンタクトからラストパスを送り先制点に結びつけた。
マギヌンに対する河合のプレスは、結果論として甘かった。ただし、河合にしてみれば縦への突破を阻止して蓋をしたことで、ボランチの役割を果たしていると思っていたのではないだろうか。むしろ、前線から戻る動きで第2列に紛れ込み、オフサイドをケアしつつ中澤と田中隼の間にうまく走りこんだジュニーニョのうまさ(あるいはマークを曖昧にしたDF陣の軽率さ)がもたらしたゴールだったのだろう。
中村が右サイドから消えることで、川崎はスペースを作ると同時にスペースを与えるリスクも負う。それでも関塚監督がトライしたのは、那須を狙ったゲームプランと見た。那須はもともとボランチかCBが本職の選手。左DFのスペシャリストがいない横浜Mのチーム事情から左DFを務める。ここに意図的にオープンスペースを作ることで、関塚監督は喉から手が出るほど欲しい先制点を狙ったのではないだろうか。
もしも8分の先制点を始め、左サイド(横浜Mから見て)にスペースがあり、そこにジュニーニョやマギヌン、中村が侵入してくれば、本来なら左DFが高いポジション取りでプレスを掛けるだろう。それに従い右CBの松田はカバーリングのため右SBの位置に入り、中澤はセンター寄りにポジションを変える。そして右SBの田中隼は右CBに近いポジション取りをするはずだ。こうした4DFのオーソドックスな動き、基本が、もしかしたら那須が高いポジション取りができないことを見越して関塚監督はギャンブルに出たのかもしれない。横浜Mの4DFは、高さとフィジカルの強さがあるものの、左サイドに弱点があると判断して……。
もちろん早野監督は後半に入り手を打ってきた、山瀬弟を左MFに固定することで、川崎の作ったオープンスペースを逆利用したことだ。横浜Mにとって左サイド、川崎にとっては右サイドの中盤の主導権を握ることが、ゲームの趨勢を左右することになった。と同時に、早野監督は後半開始と同時に最初の切り札を使用した。負傷していた坂田を、乾に代えてピッチに送り出したのだ。
といったところで、いつもの癖で長く書きすぎたよう。この続きは明日、また投稿します。
posted by roku03 |01:21 |
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2007年09月13日
反町ジャパンは敵地サウジのダンマンで、狙い通り0-0のドローから貴重な勝ち点1を手に帰国した。森島、内田を始め柏木らU-20組も違和感なくチームに溶け込み、DFラインも伊野波の不在を感じさせない安定ぶり。前掛かりになって攻めたいサウジを弄ぶかのように、DFラインでボールを回す姿には成長を感じたものだ。
欲を言えば水野のヘッドが決まっていたら良かったのだが、サウジもノールの決定的なシュートがあっただけに、相手が10人になったとはいえ、ドローで満足するべきだろう。あとはしっかり地元でカタールを叩き、得失点差でもアドバンテージをつかんでおきたい。そう期待して取材したカタール戦だったが、結果は1-0の辛勝。勝ち点3というノルマは果たしたものの、今後に不安を抱かせる中東勢との2連戦だった。
反町ジャパンの目指すサッカーは、「ボールも人も動き」つつ、ボールポゼッションを高めながら日本人の特性であるアジリティと運動量で勝負するスタイルだと思っている。オシム・ジャパンほどボールポゼッション率は高くないものの、同じベクトルでチームを強化しようとしているはずだ。
そんな日本のスタイルを、アジアのライバルたちは百も承知している。特に中東勢は、じっくり守備を固めつつ、前線からプレスを掛けて日本のパスミスを誘い、ボールを奪ったら一気にカウンターを仕掛けるというのが「対日本対策」となりつつある。ボールを回されるのは仕方がない。しかし、虎視眈々といつでもパスカットを狙って牙を研いでいる。
そして日本の弱点、とりわけ経験値の低い反町ジャパンの弱点は、スリッピーなグラウンドではないかとサウジ、カタール戦を見て思った。ダンマンのピッチがなぜスリッピーだったのか詳しい理由は分からないが、東南アジアと違ってスコールがあるはずもない。とすると、意図的にピッチに水を撒いたのではないだろうか。
スリッピーなグラウンドにすることで、日本が得意とするパスサッカーの精度を下げる。なおかつカウンタースタイルのサウジにとっては、前線へのタテパスを日本DFが処理する際に、不測の事態からチャンスが転がり込むかもしれない。事前に水を撒いておけば、湿度も高くなるため、これも日本にとってはハンデとなるだろう。国際大会に出場するためなら、ありとあらゆる手段で最善を尽くす。もしかしたら考えすぎかもしれないが、ドローの結果に安堵して眠りについたサウジ戦だった。
そして迎えたカタール戦。当日は午前中から大雨が降っていた。雨中での戦いに慣れていない中東勢にとって、この大雨は恵みの雨になるかと期待したものの、夕方前にはあがってしまう。ピッチはサウジ戦以上にスリッピーだ。そして日本の選手たちは、慎重を期するあまり、DFラインからの球出しが遅く、MF陣とのタイミングが合わない。
梶山や柏木、家長らがマークを外してフリーでボールを受けに顔を出しても、水本、青山直、伊野波らは、MF陣が欲しがるタイミングでパスを出すことができない。彼らが出そうとした時には、すでにMF陣は再びカタールのマンマークを受けている。この結果、出しどころを失ったDF陣は自陣内でボールを回すことに終始してしまった。後半に入ると退場者を出したこともあり、自陣でのパス回しもままならない。目指す「ボールも人も動く」パスサッカーは影を潜め、ひたすらカタールの猛攻に耐えるしかなかった。
1トップに入った森島も、立ち上がりはトラップミスを狙われてカットされるより、確実に味方にボールをつなごうとダイレクトでの落としを選択したが、味方との距離が遠いためほとんどつながらない。ようやく前半なかばから連動性が出てきたものの、後半に入ると彼へのパスそのものが減少してしまい、持ち味を発揮できなかった。
ちょうど1年前のことである。アジア杯予選でサウジとイエメンを転戦したオシム・ジャパンは、デコボコのピッチにドリブル突破を禁止し、プレスを受けたらロングボールを蹴るよう指示していた。カタール戦のように、日本のミスを誘ってカウンターという相手の狙いが明確なら、ピッチ状態から判断してロングパスに切り替えるなど、プレースタイルを変える柔軟性を持って欲しいのだが、今の反町ジャパンには高すぎる望みだろうか。
ともあれ日本はホームで貴重な勝ち点3を獲得した。アウェーでは0-0で引き分け、ホームではきっちり1-0で勝ち、確実に北京へと近づいている。結果だけを見れば、「大人のサッカー」で勝ち点を積み上げていると評価する海外のメディアもあるかもしれない。しかし実態は、いつも薄氷を踏むような試合内容での「立派な結果」である。なんだかジーコ・ジャパンを思い出してしまう、反町ジャパンの「北京への道」である。
posted by roku03 |12:26 |
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2007年09月07日
日々の取材で感じたことや、サッカーにまつわる話を紹介しようと始めたブログだが、ここ最近は反町ジャパンに関する話題が中心になってしまった。今日の深夜にはオーストリア対日本戦、そして明日はサウジ対日本戦があるのだから、代表関係の話題になってしまうのも仕方のないことかもしれない。
といったところで、もう一つ五輪話しにお付き合い願いたい。「くらげ」さんもコメントで述べていた平山について、ちょっと気になることがあるからだ。
僕が始めて平山のプレーを見たのは高校選手権の時だから、それほど熱心なウォッチャーではない。その後は五輪最終予選やオランダでのワールドユースで彼のプレーを見続けたが、当時の印象としては「シュートの割にゴールを決める決定率は高くないものの、シュートを枠に飛ばす割合はかなり高いストライカー」というものだった。
いくらシュートを放っても、ゴール枠に飛ばないようでは話にならない。その点、平山は、バーやポスト、GKに防がれて得点にこそならないものの、シュートをゴール枠に飛ばす技術は高いFWだと思っていた。そしてもう一つ、自身の恵まれた身体を生かして、ディフェンダーの足が届かないところにボールを出してシュートポイントを作る、天性の巧さにも驚かされたものだ。
ところがオランダから帰ってくると、ポストプレーを求められた弊害なのか、ボールを足元に置きたがる癖がついてしまったようだ。いくら恵まれた体格でも、足元でボールをキープすれば、マーカーも背後から簡単にボール奪取を狙える。スクリーンしている意味がないのだ。シュートにしても、足元にトラップしてからの動作になるため踏み込みが浅くなりがちで、パワーも伝わりにくい。そしてディフェンダーのタックルも届きやすくなってしまう。かつてのスケールの大きなプレーは、影を潜めたままなのだ。
05年の東アジア選手権で、団長を務めていた釜本副会長とお茶を飲む機会があった。同氏いわく、「体格のあるFWなら直線的にゴールへ向かい、相手DFを身体でブロックしてシュートが打てる。しかし小柄なFWだとそうもいかないので、抜き去る必要が出てくる。抜くという動作が入ることで、シュートの態勢までに余計な手間が入ってしまう」と、当時の日本FW陣の弱点について教えてくれた。
果たして平山が、自身の武器である恵まれた体格を生かす術を思い出すことができるのだろうか。シュートを枠に飛ばす技術は相変わらず高いので(そのぶん、GKやDFに当ててしまい、決定力不足を指摘される不運もついて回るが)、一日も早く彼がトップフォームを取り戻すことに期待した。
さて、スポーツ紙の報道によると、反町監督は風邪気味の若手選手を、体調管理ができていないと批判したそうだ(シニカルな性格と言われる、反町監督らしい発言かもしれない)。現地で取材していないので、反町監督がどんな意図で語ったのかわからないが、新聞の報道通りなら、選手の体調を把握していない反町監督こそ、「選手管理」ができていない証拠ではないだろうか。
前回のアテネ五輪最終予選でのことだった。アブダビで原因不明の下痢に選手たちは苦しめられた。同じ食事を摂っていたのだから山本監督以下スタッフも下痢に苦しめられたのは当然だ。しかし山本監督はスタッフに、自分たちが下痢で苦しんでいることを選手たちに悟られてはならないと通達し、食事の時などは明るく振る舞い、率先して食べ、選手たちにも食事を摂るよう促したという。
また、アブダビでの3試合にはケガで帯同できなかった大久保と阿部に対しては、別のアプローチでケアしていた。勝気の性格で、メンバーから外れたことに憤慨している大久保にはあえて何も伝えず、彼の反発心に期待した。一方、落ち込む性格の阿部には、「日本ラウンドでは必ずお前の力が必要になるから、焦らずにケガを治して、日本ラウンドに間に合うよう準備をしてくれ」と伝えて、阿部の気持ちが切れないよう配慮していた。
結果として大久保と阿部は日本ラウンドでゴールを決める活躍を見せ、アテネ行きの切符獲得に貢献した。今回、風邪を引いてしまった青山敏と柏木は、プロとしてはまだサッカー人生が始まったばかりのニューフェイス。体調管理なども、これから経験を積んで覚えていく年頃だろう。むしろ監督としては、どう対処すべきかを教える立場にあるのではないだろうか。もしかしたら、その余裕すら反町監督にはないくらい、極度のプレッシャーが掛かっているのかもしれないが……。
そして、メディアを通じて反町監督にプレッシャーを掛けているのが、監督に任命した川淵キャプテンというのもおかしな話しで、本来任命者ならフォローすべき立場にあるはず。それとも五輪切符を逃したら、監督任命者として責任問題を問われかねないので、今のうちから反町監督に批判的な立場に回ることで、自身に批判が及ぶのを避けているのだろうか。だとしたら、立派なリスクマネジメントと言うしかない。世間ではこれを、「トカゲの尻尾斬り」と言うのだろう(たぶん)。
posted by roku03 |13:23 |
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2007年09月04日
先週、先々週と2週連続してJ1リーグのFC東京戦を取材した。8月11日に再開したリーグ戦は大分、磐田、柏に3連敗。8月25日の浦和戦にも2-3で敗れて4連敗となり、再び降格争いに巻き込まれる可能性が出てきた。と同時に、下位に低迷するFC東京の原監督の進退も問われるのではないかと思ったものだ。
8月25日は浦和に敗れた。8月29日にはアウェーで広島戦、そして9月1日にはホーム(国立)で神戸戦がある。連戦が続くため、例え原監督が結果を残せなかったとしても3連戦途中での解任はないだろう。ただし、その後は日本代表のオーストリア遠征があるためリーグ戦は15日までない。もしも広島戦に敗れて5連敗、さらには神戸戦でも結果を残せなければ、「Xデー」があるのではないかと予想したものだ。
この予想は見事に外れ、アウェーの広島戦で5-0と圧勝。そして神戸戦でも河本に先制点を許しながら3-1の逆転勝利を収めた。その原動力になったのが、ボランチに復帰した今野であり、プレースタイルの変わった梶山だった。
梶山の能力については改めて述べる必要もないだろう。180センチの長身ながらプレーは柔軟で、フィジカルコンタクトにも強い。パスセンスに優れ、右サイドからのドリブル突破も得意としている。指導者なら、その潜在能力に魅了されて「使いたくなってしまう」選手だ。しかしながら、天才的な選手にありがちな、難しいプレー、意外性に富んだ(ともすれば独りよがりな)プレーを好む傾向にあり、時としてチームに決定的なピンチを招くこともあった(98年フランスW杯のクロアチア戦で、中田英がハーフライン付近でまた抜きを試みて失敗した例もある。彼もまた孤高の将軍だったのではないか)。
そんな梶山が、浦和戦ではダイレクトかツータッチでボールをさばいていたのを見て驚かされたものだ。赤嶺の先制点も彼のダイレクトによる前線へのフィードが起点をなっていた。しかしながら、前線のルーカス、赤嶺との距離が遠いため、梶山のダイレクトプレーはサイドに散らすかバックパスに終始して、効果的な攻撃に結びつかなかった。
しかしながら、生まれ変わった梶山を救った選手がいる。広島戦からボランチに入った今野だ。本来のポジションに戻った今野は、ディレイしてボール保持者にプレッシャーを掛けるのではなく、果敢にインターセプトを狙い、ボールをカットするとそのまま前線に飛び出して攻撃に絡んでいた。彼の動きに刺激されたかのように、左サイドの栗澤&金沢、右サイドの石川&徳永は意欲的な攻め上がりを見せる。
パッサーにとって選択肢が増えることは願ってもないことだ。ポストプレーヤーがマンマークを受けている場合、確実にキープしてくれるという信頼関係がないと、なかなかパスを出しにくい。出し手にも勇気がいる。しかし2列目から選手が飛び出してくれるなら、オープンスペースにパスを出すことができる。ヒフティヒフティのケースで、なおかつ敵陣に向かってのプレーであれば、インターセプトからの逆襲を心配しないですむ。
梶山のようなパッサーに必要なのは、やはりパスの受け手であることを再認識しつつ、サウジに乗り込んだ反町監督はジーコ・ジャパンをどう評価いていたのか気になった。
僕自身、過去にジーコ・ジャパンに関して、「月刊サッカーズ(休刊中)」という雑誌で何回か原稿を書いたことがある。その内容は、中盤にパッサーばかり揃えているため、攻撃が閉塞状況にあるということだった。中田英、小野、中村俊らはパスを出すことに生き甲斐を見つける選手だと思う。彼らのパスの受け手は柳沢と高原になるのだが、前線ではプレスも厳しいため、2人ともサイドに流れてパスを受けたがる傾向に強い。その結果、相手ペナルティエリアにはフィニッシャーが不在となり、小野や稲本が飛び込まないとゴールは生まれないという悪循環に陥ったと思っていた。
例えば大黒などは、久保と同様にペナルティエリアの幅から外ではプレーしないため(サイドに流れてパスを受けてセンタリングを送るプレーを好まない、生粋のストライカー)、ゴールの予感はあったものの、残念ながらドイツでは活躍の場を与えられなかった。
そうしたジーコ・ジャパンのチーム作りにおける失敗(と僕個人は思っている)、上手い選手ばかりを集めてもチームとしては機能しないことを、反町監督は理解して梶山を使おうとしているのかどうか疑問に感じる。梶山を使うなら、サイドには本田圭のようなキープ力があり、起点となれる選手よりも、飛び出せる選手を使った方が、結果として梶山も生きると思う。
そしてもう一人、平山をFW陣の軸に据えるなら、サイドから正確なクロスを入れられる選手とセットでないと平山の良さも生かされないのではないだろうか。五輪チームの軸を誰にするか。それが平山と梶山なら、彼らの良さを引き出せる選手を招集することが、北京へと続く最善の道だと思う。
繰り返しになるが、ジーコ・ジャパンの総括を日本サッカー界は今からでもす るべきで、反町監督は同じ轍を、経験不足から(ジーコも監督としては同様に)踏んでしまうのではないかと危惧している。
posted by roku03 |20:31 |
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2007年08月23日
北京五輪を目指す反町ジャパンは、最終予選初戦でベトナムを1-0で下し、最低限のノルマを果たした。試合後の反町監督は、「初戦ということで、周りからのプレッシャーもあり、難しい試合だった。リトリートされて守りを固められ苦労した」と率直な感想を述べていた。
日本は負傷の伊野波に代わり3DFの右に細貝を起用。トップ下は家長ではなく「攻守の切り替えが速いため、前からプレスを掛けたかった」(反町監督)という理由から柏木を抜擢し、3-5-2システムで試合開始から主導権を握ってベトナム陣内に攻め込んだ。
対するベトナムは、アジア杯の対日本戦に採用した4-1-4-1から、さらに中盤を厚くする4-5-1のシステムで、日本の持ち味である「パス回し」を封じにかかった。
日本の決定機は5回、対するベトナムは1回。シュート数は16対2、ボールポゼッションでも61・35対38・7と圧倒した。しかしながら、ゴールは46分に右CKから青山直が挙げた1点だけ。引いて守りを固める相手に攻めあぐねたことを示すデータでもあるが、攻めあぐねたのはそれだけが原因ではないだろう。
79分には、それを象徴するようなシーンがあったが、その兆候は20日に西が丘で行われた練習でも見受けられた。ハーフコートを使っての8対8のフォーメーション練習でのこと。右サイドでボールを持った水野がプレスを受けたためドリブル突破を試みた。すると反町監督は「お前が上手いのは分かるけどな」と言いつつ、他の選手を呼んで隣と前にサポートに入り、トライアングルを作って、水野には周囲の選手を使うよう指示していた。
今現在、韓国で世界大会を戦っているU-17やU-20世代ではなくU-22の選手たちである。大学生の本田拓を除けば、細貝と平山以外はJでもレギュラーの選手で経験は豊富なはず。にもかかわらず、チームとして1年以上経過しても、最終予選を前にしてサポートの動き方をレクチャーしなければならないところに、反町ジャパンの苦悩を垣間見たような気がした。
チームとして周囲の選手を使うことが、個々の能力から「出来るのか出来ないのか」とは別次元の問題として、周囲の選手を使う意思が「あるのかないのか」という問題こそ、このチームの抱える深刻なテーマではないだろうかと思ったものだ。
ベトナム戦の79分のプレーに戻ろう。それまで右サイドで突破を仕掛けていた水野が左サイドのオープンスペースに流れて、フリーでボールを要求した。同サイドでボールを保持していた本田圭は水野には出さず、サポートに寄った本田拓に戻す。すると水野は不満のジェスチャーを示してボールから目を切ってしまった。本田拓はリターンボールをダイレクトで水野の前のスペースに出したのだが、反応が遅れたために動き出すことが出来なかった。水野は本田拓のプレーに拍手で応え、守備のために帰陣したが、本田圭とはコミュニケーションを図ろうともしなかった。
もしもこれが日本代表なら、大人のチームだけに、問題があればお互いに要求して解決を図ったかもしれない。また、U-17やU-20といった若いチームなら、監督やコーチの指導を素直に受け入れるのではないだろうか。反町ジャパンの難しいところは、年齢的に「大人のサッカーが理解できるほど熟成していないものの、素直にアドバイスを受け入れる子供でもない」中途半端な年代であり、その裏づけとしてJリーグでレギュラーという自信が、今はマイナスに作用しているような気もしている。
とりわけ攻撃を組み立てる選手の誰もが「マイ・ワールド」のサッカー観を持ち、「自分のプレーを出すこと」にサッカーをプレーする喜びや意義を見出しているのではないだろうか。恵まれたフィジカルとパスセンス、ドリブル突破も出来る梶山のタレントは誰もが認めるところ。しかし、運動量の少なさと意外性のありすぎるプレー、難しいことを好む傾向は、クラシカルな「10番」では許されても現代サッカーでは使いにくい選手のカテゴリーに入ってしまう。彼だけではなく、本田圭も水野も、家長も、「自分のやりたいプレー」を優先しているために、五輪代表はチームとしてなかなか機能しない弊害があるような気がする。
反町監督は「U-20(選手)との融合の時間が少ないものの、サウジアラビア戦までは時間があるので、良いトレーニングプログラムを作ってクラブチームのように(五輪チームの)精度を上げたい」とベトナム戦後に話していたが、Jリーグで実績のある選手を選ぶ方法とは別に、チームにとって有用な選手を選ぶことも、チーム強化に役立つような気がしたベトナム戦だった。
posted by 六川亨 |01:34 |
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2007年08月13日
いよいよ来週22日から北京五輪アジア最終予選がスタートする。今週17日にはそのメンバーが発表されるので、攻撃陣にはどんな顔ぶれが並ぶのか楽しみだ。
といったところで、反町ジャパンに対しては厳しい評価の方が目立つようだ。僕自身も、チームの軸や骨格が決まっていない印象を受けるし、チームコンセプトも(たぶん「ボールも人も動くサッカー」だろう)試合を見る限り、浸透しているとは思えない。
その原因の一つは、J2とJ1の監督経験しかない反町監督のキャリア不足が挙げられるだろう。そして、最も大きな原因は、この年代だけなおざりにされた、「強化の継続性」の欠如と、チームとしての「経験不足」にあるのではないだろうか。
日本は98年にタイで開催されたアジア大会より、2年後の五輪出場を目的として、フル代表ではなくユース年代の強化のためにチームを送り出すようになった。98年はトルシエ監督と山本コーチのコンビで臨み、選手も宮本、中村俊、戸田ら97年ユース組に加え、その年のアジアユースで台頭してきた小野、稲本、高原らが融合してアジアの列強に挑んだ。対戦相手はフル代表のためグループリーグは1勝2敗で終わったが、その経験が翌年にナイジェリアで開催されたワールドユースで準優勝につながる。
97年組と99年組という、日本サッカー史でも稀有なタレントで編成されたシドニー組は、楽々と予選を突破し、本大会ではベスト8に進出する。そして02年、釜山アジア大会では代表スタッフの山本監督が01年のユース組を率いて準優勝を果たす。アジア最終予選はUAEで原因不明の下痢に悩まされたものの、無事にシドニーの切符を獲得して3大会連続の五輪出場を達成した。
ところが、現チームは05年のオランダ組が主力で06年にドーハで開催されたアジア大会の臨み、北京五輪を目指すというスタイルは変わらないものの、前回2大会とはちょっとチーム事情が異なる。チーム強化にかなりのブランクがあるのだ。
それまでユース年代から指揮を執っていた大熊監督は05年6月のワールドユースでチームから離れる。ここまでは同じだが、その後、北京を目指すチームは休眠状態に入る。05年は10月にハノイで開催された親善大会3試合に、塚田監督がチームを率いて参戦しただけだ。そして06年に入っても北京を目指す動きは鈍く、ようやく6月に反町監督が就任すると、8月に日中韓の交流戦でチームは再始動する。
おそらく05年の6月以降は、W杯予選に加えてコンフェデ杯、東アジア選手権などジーコ・ジャパンのサポートでサッカー協会も手が回らなかったのかもしれない。攻撃陣の軸は平山でいいのかどうか。カナダで活躍した森島がフィットするのか。はたまた森本が救世主になるのか。中盤でも、梶山の運動量で「ボールも人も走るサッカー」が表現できるのか。家長や谷口、本田圭らがその能力を十分に発揮できるスタイルを構築できるのか。こうしてみると、最終予選を目前に不安ばかりが募ってくる。
そしてまた、彼らはその才能を十分に伸ばす機会が与えられなかったことも残念でならない。時間はあったはずなのに、チーム強化で後手に回ったからだ。なぜ、05年のワールドユース後に五輪監督を速やかに決定しなかったのか。今さらではあるが、機会があったら関係者に取材してみたい。
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2007年08月10日
8月7日は、プレマッチのマリノス対バルサ戦を取材した。バルサはスタメンでエトー、ロナウジーニョ、アンリの豪華FW3人を起用したが、まだアンリは身体が重たそう。アーセナル時代のキレ味鋭い突破は陰を潜め、マリノスDF陣を混乱させる場面は皆無だった。
試合はバルサが1-0で勝利し、対戦成績を1勝2分けとしたが、果たして8月末から始まるリーガ・エスパニョーラで、ライカールト監督は超豪華な攻撃陣をどのように起用していくのか。こちらの方が気になって仕方がない。今回は来日しなかったメッシやデコなど、攻撃的なタレントは世界一と言っても過言ではないだろう。問題は、彼らのほとんどが守備に関して効果的な動きができるかどうか疑問符がつくということだ。
例えばロナウジーニョが10人いても、勝負となれば話は別のはず。ライカールト監督のような守備的プレーヤーのスペシャリストも必要になってくるし、むしろ現代サッカーでは彼のようなタイプの選手の方が重宝される傾向にある。たぶんリーグ戦とカップ戦で「ターンオーバー制」を導入するのだろうが、その際にスーパースターたちのモチベーションをいかにコントロールできるか。超豪華な攻撃陣は、ライカールト監督にとって諸刃の剣となるかもしれない。
マリノス戦は18歳の新鋭ジオバンニが決勝点を決めたが、翌日のメディアでは彼のことをドス・サントスと表記する媒体もあった。こうした海外選手の表記の統一は、編集者にとって頭痛のタネの一つでもある。彼に限らず、ロナウヂーニョ、エトオと表記する雑誌もあるように、似ていて微妙に変わってくるから厄介だ。
ライカールトにしても、彼の氏名が日本のメディアに登場したのはEURO88ドイツ大会でのこと。当時の大会を取材した僕は、なんて日本語に置き換えたらいいのか分からず、オランダ人サポーターに聞きまわったものだ。そこで得たニュアンスは「ライカー」の後に「ル」の促音が巻き舌で入り、最後は「ト」で終わるというものだった。しかし、それでは日本語として不自然だと思い、「ル」の促音巻き舌を省略して「ライカート」として、当時勤めていたサッカーダイジェスト誌で紹介した。
結果的に「ライカート」は定着することはなく、当時ライバル誌だったサッカーマガジンの採用した「ライカールト」が彼の日本語表記としてこれまで使用されている。とはいえ、それもオランダとスペインで通用するのか、常識を疑ってかかることも必要だ。例えばライカールトと同時期に活躍した「フリット」は、イタリアでは「グリット」と呼ばれていたし、「ファン・バステン」もイタリアでは「バン・バステン」だった。基本点に日本は、母国語での発音を優先するが、所属するクラブでは当然その国の言語となって表記されるため、微妙に変わってしまうのだ。
オランダ人を例に挙げれば、クライフの大ファンである清水カメラマンが、オランダで「自分はクライフのファンだ」と言っても、それは誰だと怪訝な顔をされたそうだ。オランダ人によると、「クリュフ」というのが正確な発音らしい。かつてデンマークに「シモンセン」という名選手がいたが、彼の所属するドイツのボルシアMGで金子達仁氏が清水氏と同様なトライをしたところ、「ジーモンジー」と訂正されたこともある。同じアルファベットでも、ラテン系とドイツでは発音も随分と変わってしまうようだ。
一見すると些細な問題のようだが、選手の名前一つを取っても、日本に紹介し、定着させるまでには様々な紆余曲折がある場合もある。
posted by roku03 |10:25 |
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