2011年08月19日
前々回から、毎週連載している携帯サイト「超ワールドサッカー」のコラムについて、2週間後以降なら転載してもいいとのお許しをいただいたことをご報告しました。
2週間も経過すると、ちょっと古い話題になってしまいますが、暇つぶしがてら読んでいただければ幸いです。
以下の原稿は、携帯サイト「超ワールドサッカー」に、7月29日に掲載したコラムで、ドイツW杯における、澤穂希選手にまつわるエピソードです。今日のチャリティマッチでも、活躍が楽しみです。
「澤穂稀を守れ」
といっても、ストーカーや祝勝会(合コン)でプライベートをツイートするような、常識知らずの若者の話ではない。これは実際にドイツW杯で起こった出来事だ。
知人の女性審判員は、今回のドイツW杯で開幕戦のドイツ対カナダで第4の審判を務めた他に、グループAのカナダ対フランス、グループCのスウェーデン対米国の2試合で主審を務めたほど、優秀な審判員でもある。
その彼女の話によると、グループリーグ終了後に審判ミーティングが開かれ、なでしこJAPAN対イングランド戦のジャッジが問題になったという。
この試合はイングランドが2-0で勝利したが、澤が下腹部を蹴られたのを始め、イングランドのラフプレーに対しキャロル・チェナード主審(カナダ)は、ほとんど反則を取らずに流していた。テレビで試合を観ていて、やはりアジアのチームは欧米に比べて不利な判定を下されるのかと憤慨したものだ。
しかし彼女の話によると、「手を巧妙に使って相手をブロックするプレーや、ラフプレーまがいの激しいタックルなどを、チェナード主審は普段の国内リーグで経験していないため、笛を吹くことができなかった。国際試合の経験が不足していたのだろう」と教えてくれた。
そして審判ミーティングでは、「イングランド戦では澤が2度のラフプレーを受けた。イングランドの2選手にはレッドカードを出すべきだった」と総括して、決勝トーナメントからは、「手を使ったプレーに対する対処と、ターゲットの保護」が通達されたという。
澤のようなチームの中心選手は、対戦相手のターゲットとして狙われる。そこで審判団は、いかにしてターゲットとなる選手を保護するか。こうした観点からのジャッジメントが、決勝トーナメント以降にスタンダードとして採用された。
その後、チェナード主審はなでしこJAPAN対スウェーデンの準決勝でも笛を吹いたが、この試合は澤が狙われることもなく、公平なジャッジという印象を受けた。
テレビを観ながら、準決勝ともなれば注目度も高まるため、チェナード主審は判定基準を変えたのだろうと想像していたが、実際には審判団のチェック機能が働き、適切な指導がなされていたというのがその真相だった。
そしてW杯期間中は、タイ代表の試合VTRを入手できるかどうか打診されたという。韓国、北朝鮮、中国、オーストラリアとはこれまでにアジア予選などで何回も対戦しているので情報はある。しかしながら、タイの情報が不足しているそうだ。なでしこJAPANがまだ世界1になる前から、すでにロンドンへ向けた戦いの準備は始まっていたのだった。
posted by roku03 |15:27 |
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2011年08月11日
約3週間のご無沙汰です。相変わらず更新頻度が遅くてすみません。
前回から、毎週連載している携帯サイト「超ワールド」のコラムについて、2週間後以降なら転載してもいいとのお許しをいただいたことをご報告しました。
ちょっと古い話題になってしまいますが、暇つぶしがてら読んでいただければ幸いです。
以下の原稿は、携帯サイト「超ワールドサッカー」に、7月22日に掲載したコラムです。7月17日に他界された森孝慈さんを偲び、韓国戦にまつわるエピソードをまとめました。
昨日10日の日韓戦で日本は3-0の完勝を飾りましたが、韓国から3点差の勝利を上げたのは、森さんがご活躍された74年の第3回日韓定期戦以来のこととなります。これも何かの因縁かもしれません。
なでしこJAPANが米国との決勝に臨む前日の17日、親しい知人から訃報が届いた。68年メキシコ五輪銅メダリストで、日本代表の監督を務めた森孝慈氏が、腎盂(じんう)がんのため東京都目黒区の病院で亡くなられた(67歳)。
広島の名門・修道高校時代は、後に日本代表の監督を務める下村幸男氏に率いられ、国体と高校選手権で優勝し2冠を果たす。当時の高校サッカーはこの2つしかタイトルがなかったため、全タイトルを獲得したことになり、高校選手権の決勝では釜本邦茂氏(現JFA名誉副会長)を擁する京都・山城高校を撃破しての全国制覇だった。
高校卒業後は、一浪して慶応大学と早稲田大学に合格。周囲は兄の森健兒(現JFA特別顧問)がいる慶応大に進むと思っていたが、同郷の先輩である野村尊敬(元JFA副会長)の誘いで早稲田大学の政経学部に進学し、釜本氏とコンビを組むことになった。大学4年では主将を務め、66年の天皇杯決勝では当時無敵を誇っていた東洋工業(現広島)を破り日本一に輝いている。大学勢が天皇杯を制したのは、この時の早稲田大が最後でもある。
大学卒業後は三菱(現浦和)に入社し、横山謙三、杉山隆一らと黄金時代を築いた。日本代表としてもメキシコ五輪の全試合に出場し、銅メダル獲得の原動力となる。メキシコ五輪後の70年代、日本代表はエース釜本氏の病気や五輪選手の現役引退などによる戦力低下から次第に低迷期へ向かう。長いトンネルの始まりだったが、森氏がひときわ輝いた試合もあった。
72年から始まった日韓定期戦、日本は1分1敗で迎えた74年の第3回大会で、森氏や日本国籍を取得したネルソン吉村氏(後に大志郎/故人)、釜本氏(2得点)らの活躍によりホーム国立で4-1の勝利を収めた。
日本が韓国から勝利を奪ったのは、59年のローマ五輪予選で対戦し、後楽園球場で1-0の勝利を収めて以来、13試合(15年)ぶりの快挙だった。ちなみに、日本がフル代表の試合で韓国に3点差をつけた勝利と、3得点以上奪ったのは、この1試合と11年8月10日に札幌で行われた試合だけである(逆のパターンはかなりある)。
この日韓戦の勝利だけでなく、不思議と森氏は韓国との試合に因縁がある。現役引退後は将来の指導者候補として西ドイツへ留学したが、監督に就任した川淵三郎(現JFA名誉顧問)の要請により80年に急きょ帰国してコーチに就任。81年に川淵氏が古河の人事異動により名古屋へ転勤したため、監督として日本代表を率いるようになった。
それまでの日本代表は、三菱や古河(現千葉)、日立(現柏)といった企業チームの選手が多かった。しかし森監督は松木安太郎氏や都並敏史氏、戸塚哲也氏ら読売クラブ(現東京V)や、木村和司氏や柱谷幸一氏ら日産(現横浜FM)といったセミプロの選手も積極的に起用し、パスをつなぐスタイルでアジアの壁を突破して五輪やW杯の出場を目指した。
81年の秋にマレーシアで開催された第25回ムルデカ大会ではベスト4に進出するものの、準決勝で優勝したイラクに0-2で敗れた。ベスト4進出は76年の第20回大会で決勝に進出して以来の好成績だったため、監督就任1年目としては期待の持てる森ジャパンだった。
そして翌82年の11月、インド・ニューデリーで開催されたアジア大会のグループリーグで、森ジャパンは原博実氏(現JFA強化委員長)と岡田武史氏(元日本代表監督)のゴールで宿敵韓国を2-1で下す。日本が、国外の試合で初めて韓国に勝利した、記念すべき試合でもあった。なお、日本に敗れたことで、グループリーグ3位となり決勝トーナメントに進めなかった韓国の金正男監督は大会後に更迭された。
準々決勝の相手は、前年のムルデカ大会で苦杯をなめたイラク。原博実氏のゴールで先制したかと思われたが、不可解なジャッジでゴールは取り消される。そして延長戦に入り、102分に決勝点を許して力尽きた。イラクはその後、サウジとクウェートを撃破して初優勝を飾った。
その後、83年の日韓定期戦は1-1のドロー。84年のロス五輪最終予選は、初戦でそれまで負けたことのないタイに2-5の大敗を喫し、続くマレーシア、イラク、カタールにも敗れ、まさかの4戦全敗。森監督は辞意を申し出るが、長沼健JFA専務理事(後にJFA最高顧問/故人)の慰留により辞意を撤回。86年のメキシコW杯出場を目指して再スタートを切った。
そして84年9月30日、86年のアジア大会と88年のソウル五輪のメインスタジアムとして完成した蚕室(チャムシル)競技場のこけら落としに日本は招待された。ロス五輪予選後、田口光久氏や斉藤和夫氏、前田秀樹氏らベテランがチームを去り、若返りを図った森ジャパン。そんな日本を甘く見たのか、韓国は若手主体のチームで日本戦に臨んだ。
若手といっても、やはり実力は韓国の方が上だった。しかし韓国の猛攻を、加藤久氏ら守備陣が身体を張って防ぐと、木村和司氏が30メートルのFKを直接決めて先制する。一度は同点に追いつかれたが、再びFKから原博実氏がヘッドで落としたボールを水沼貴史氏がボレーで叩き込み決勝点を奪った。日本がアウェーの韓国で、初めてライバルを倒した試合でもあった。
81年の監督就任以来、韓国には81年の韓国大統領杯と82年の日韓定期戦では敗れたが、その後は2勝1分けで通算成績は2勝1分け2敗とまったくの五分。雌雄を決する舞台は85年に訪れた。
86年メキシコW杯アジア最終予選、公式発表6万2千人が詰め掛けた国立での第1戦は木村和司氏が伝説のFKを決めて一矢を報いたが1-2の敗戦。敵地での第2戦は日本国籍を取得した与那城ジョージ氏がスタメン出場したものの0-1と敗れ、W杯初出場はならず、森監督は辞任することになる。韓国を率いていたのは、アジア大会で更迭された金正男監督だった。
指導者としては理論派で知られるが、森さんの魅力は温厚で誠実な人柄だった。お兄さんの森健兒氏も、「弟が怒っているのは見たことがない」と語っていた。そんな人柄に惹かれ、監督時代の森ジャパンは結束力の強さから森ファミリーと形容された。
蚕室競技場でメキシコへの夢を断たれた試合後のロッカールーム、主将の加藤氏は「森さんを男に出来なかった」と選手全員の気持ちを代弁して号泣した。今なお年に1回、森ジャパン時代の選手が集まり、「森会」という親睦会を開催しているのも絆の強さの現われだろう。
昨日21日のお通夜には、川淵名誉会長や大東和美チェアマンを始め、メキシコ五輪組のチームメイトである杉山氏や釜本氏、横山氏、松本育夫氏(元鳥栖監督)、さらにはかつての教え子である加藤氏や木村氏、福田正博氏、ペトロヴィッチ現浦和監督など多くのサッカー関係者が参列し、67歳という早過ぎる他界を惜しんだ。
森さんの逝去された17日の深夜、なでしこJAPANはW杯で初優勝という快挙を達成した。森さんが日本代表の監督に就任した81年は、初めて女子の日本代表が結成された年でもある。もしかしたら森さんが、「最後まで諦めるな」とエールを送っていたのかもしれない。ここに謹んで哀悼の意を表します。
posted by roku03 |13:36 |
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2011年07月25日
長らくご無沙汰しています。昨年のW杯決勝以来だから、1年以上が経過したことになります。
その後の近況を簡単に紹介すると、森山泰行さんを取材した書籍「ストライカー特別講座」(東邦出版)を昨年12月に出しました。
ちょっと遅れて執筆したDVD付きムック「サポーターが選んだ浦和レッズ名勝負ベスト10」(コスミック出版」も、無事12月に発刊できました。
12月からは、携帯サイト「超ワールドサッカー」で有料のメルマガもスタート。このため年末からは「超ワールド」で毎週水曜にメルマガ、金曜にコラムと週2本の原稿を書きつつ、今年1月はアジア杯を取材し、携帯サイトだけでなく新聞(日刊ゲンダイ)、雑誌(週刊朝日)などに寄稿しました。
その後もDVD付きムックを2冊(名古屋と鹿島)出して今日に至っています(鹿島は8月4日発売予定)。
こうして書くと、あまり仕事をしていないことがバレバレですが、毎週メルマガとコラムの原稿を書いていると、なかなかブログのネタがなくて休眠状態になってしまったのが実状です。
そこで、「超ワールド」のコラムについては、2週間後なら転載してもいいとのお許しをいただきました。ちょっと古い話題になってしまいますが、暇つぶしがてら読んでいただければ幸いです。
以下の原稿は、携帯サイト「超ワールドサッカー」に7月8日掲載のコラムです。
鹿島の伊野波雅彦がクロアチアのハイデュク・スプリトへ、G大阪の宇佐美貴史がバイエルン・ミュンヘンへ、東京Vの高木三兄弟の次男、高木善朗がユトレヒトへの移籍が決まった。といったところで、またまた海外移籍のニュースが飛び込んで来た。柏の大津祐樹がボルシアMGのメディカルチェックを受けにドイツへ渡り、広島の李忠成はヘルタ・ベルリンと交渉中だという。若手日本人選手の海外移籍は、まさに花盛りと言えるだろう。
ポジションは違うものの、彼らに共通しているのは「スピード」という武器があることだ。香川真司や長友佑都、宮市亮らと同様、速さと個人技により「個」で勝負できる強さがある。そして彼らの海外移籍に、日本のサッカーもようやく欧州に近づいたのかという感慨がある。
ほんの少し前まで、日本人選手の海外移籍と言えば、中盤の選手、いわゆるゲームメーカーが主流を占めていた。中田英寿を筆頭に名波浩や中村俊輔、小笠原満男らだ。ストライカーも海を渡ったが、城彰二、西澤明訓、柳沢敦らはレギュラーに定着することはできなかった。中田寿や中村は輝いた時期もあったが、Jリーグでプレーしたいた頃とは違う役割を担うことで、チームの一員として機能した。
日本にいた頃は「ファンタジスタ」としてのプレーが許されたものの、もう欧州ではその存在が必要とはされていなかった。90年代末でR・バッジョのような「ファンタジスタ」は居場所がなくなっていた。攻守にハードワークが要求され、ゲームをコントロールする役割はセカンド・ボランチが担当するようになった。
ところが日本では、代表を例に取れば06年のドイツW杯でジーコ監督は「黄金の中盤」という幻想を追い求め、10年の南アフリカWでも直前まで岡田監督は「10番」の起用に頭を悩ませていた。結果的に中村俊の負傷が癒えず、「ファンタジスタ」を右サイドで起用することを断念。日本代表は「中盤の将軍」スタイルを捨てたことで、対戦相手のマークを絞らせず、逆に両サイドにドリブルで勝負できるアタッカーを持つことができた。
7日のコパ・アメリカで、アルゼンチンはコロンビアにまさかの敗退を喫するところだった。コロンビアのモレーノがフリーで放ったシュートがゴール枠を捕らえられなかったのはラッキー以外の何物でもないだろうし、その前のラモスに対するチャージは明らかにPKモノだ。
確かにメッシは偉大な選手だ。しかしバルセロナでの彼は、「将軍」ではない。シャビ、イニエスタ、ビジャ、ペドロらとのハーモニーからスペクタクルなサッカーでファンを魅了している。メッシの能力を最大限に生かすため、アルゼンチンはメッシの、メッシによる、メッシのためのチームを作ろうとしてマラドーナ元監督は失敗し、今またバチスタ監督は同じ過ちを繰り返そうとしている印象が強い。
話を日本人選手に戻そう。ザッケローニ監督は、遠藤保仁は別格として、3年後のブラジルでのW杯に向けて若返りを図っている。その際の選手選考基準の一つは「スピード」であることに間違いはない。このため、「力は分かっている」として中澤佑二や闘莉王を一度も代表に招集していなが、もともとメンバーに加える予定はないのではないだろうか。中村憲もプレースタイルがクラシカルなため、構想外の選手のような気がする。
今後もスピードのある日本人の若手選手は、海外からオファーを受ける可能性は高いのではないか。U-22世代では名古屋の永井謙佑、柏の酒井宏樹、大宮の東慶悟らが有力候補だろう。ただ、こう何人も若手選手が海外移籍すると、Jリーグの魅力が薄れ、空洞化してしまわないかという懸念も出てくる。海外で経験を積んで成長するのはうれしい限りだが、これは贅沢な悩みなのだろうか。
posted by roku03 |20:02 |
Jリーグ |
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2010年07月12日
決勝戦は負けたくないと思うあまり、退屈な試合になりやすい。そんな見本のようなオランダ対スペインの決勝戦でした。スペインはいつもの4-2-3-1から、右DFのセルヒオラモスが果敢な攻撃参加を見せる、「オレ流」を貫いての攻撃サッカーで世界王者を目ざしました。これに対してオランダも、サイドアタックで対抗してがっぷり四つの攻防を演じてくれれば試合も盛り上がったことでしょう。
ところがオランダは、序盤こそ4-2-3-1でスタートしたものの、スペインの攻勢にサイドMFが下がる4-4-1-1で対抗しました。スペイン得意のミドルサードのパスワークを、リトリートしてスペースを消すことで分断しようとしたのです。
ビリャはCBのハイティンハとマタイセンの2人でケアして、イニエスタはファンデルフィール、ペドロはファンブロンクホルスト、チャビはファンボメルがマンマーク。セルヒオラモスにはカイト(あまり守備はうまくありませんが)、カプデビラにはロッベンを下げてマークに当たらせました。デヨングはスペースと人を見る中盤のアンカーという念の入れようです。
スペインの破壊力を考えたら、これぐらい徹底しないと守りきれないのかもしれません。しかし、カイトとロッベンの攻撃に移るポジションがいつもより低いため、オランダの攻撃力も半減してしまいます。それでも前半は、得意のミドルシュートでオランダらしさの片鱗を見せたと言えるでしょう。
後半に入るとスペインはヘススナバスを投入して右サイドの活性化を図ります。ビリャは左サイドからフィニッシャーとしてゴール前に侵入し、イニエスタが左から中央に流れ、よりスペインの攻撃は変化に富んできました。オランダにとって悔やまれるのは、ファンペルシーとポジションチェンジして、1トップに入ったロッベンが2度GKと1対1になりながら、チャンスを決め切れなかったことでしょう。
膠着状態に入った試合は、0-0のまま時間が過ぎて延長戦が濃厚になってきました。オランダは、71分にエリアを投入したものの、その後は交代カードを切らなかったため、ファンマルウェイク監督は延長戦とPK戦も視野に入れたゲームプランだったのかもしれません。一方のデルボスケ監督は、終了間際の87分にセスクを投入して勝負に出ます。延長戦に突入しても、ゴールをこじ開けて勝利を奪うというメッセージを感じたものです。
シャビアロンソがベンチに下がったことで、スペインは4-1-4-1と攻撃を強化。「1」のブスケツはDFラインの中央に入ることで、セルヒオラモスを高い位置に押し出します。そして「4」のイニエスタとセスクは2列目から飛び出してオランダ・ゴールに襲い掛かりました。
オランダにはハイティンハの退場というアクシデントもありましたが、それだけスペインの猛攻に耐えられず、ファウルを犯した証拠でもあります。イエローカード9枚がそれを物語っているでしょう。ハイティンハの退場により、オランダはファンデルファールトをCBに下げました。彼はフェルナンドトレスのクロスを、体勢を崩しながらよくクリアしたものの、ラインを上げるのにワンテンポ遅れてしまいます。その結果、セスクのパスを受けたイニエスタはオンサイドとなり、決勝点も生まれたのでした。
勝負の世界に「IF」は禁物です。ロッベンが2度あったチャンスのいずれかを決めていたらと、オランダのファンは思ったかもしれません。それよりも僕は、立ち上がりにスペインの攻撃に対し受身に回ってしまったことの方を残念に思います。
もしも開始15分くらい、オランダが猛攻を仕掛けていたらスペインも危なかったのではないか。彼らの、前線からのプレスは強烈ですが、守勢に追い込まれると意外な脆さも同居しているような気がするのです。リトリートして相手の猛攻を耐えるよりは、凄絶な撃ち合いを選択するのではないでしょうか。もしもそんな展開になれば、4年後に語り継がれるスリリングな試合になったかもしれません。あくまで仮定の話しですけれど。
これで長かったW杯もフィナーレを迎え、スペインが、ようやくW杯優勝国の仲間入りを果たしました。EUROに続いてW杯を制したのは72年と74年の西ドイツ以来2度目の快挙です。当時の西ドイツは夢のチームと言われましたが、スペイン型ドリームチームはどこまで進化を遂げるのか。2年後のEUROが楽しみです。
そうそう、試合終了直前に締め切られた、記者投票で選ぶ今大会のMVPですが、ウルグアイのフォルランに1票を投じておきました。結果は、僅差ながら彼が受賞したので、ちょっとうれしい気分です。彼のひたむきなプレーと、素晴らしいゴールの数々に感動した、日本のファンも多かったのではないでしょうか。
メッセージ性の強い閉会セレモニーでした
記者席のテレビモニターを激写
posted by roku03 |08:19 |
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2010年07月11日
ロスタイムの時間はオーバーしていたのかもしれません。フォルランのFKがクロスバーを叩いて中空に舞い上がったところで、メキシコのアルチュンディア主審はゲームオーバーの笛を吹きました。
ウルグアイは40年前の雪辱を果たすことはできず、またもドイツ(当時は西ドイツ)に敗れ去りました。しかし前回は0-1だったものの、今回は先制されながら追いつき、一時は逆転しただけに、誰もが彼らの健闘を称えたのではないでしょうか。エースのフォルランは満身創痍ながら、鮮やかなボレーシュートで逆転ゴールを決めました。うまく足を折りたたんだ難しいボレーで、GKはシュートの弾道が見えなかったはずです。今大会のベストゴールと言っていいでしょう。79年生まれの彼は、日本でいうゴールデンエイジの世代(稲本、遠藤)に当たるベテランですが、豊富な運動量は最後まで衰えませんでした。
彼だけでなく、先制点を決めたカバニやペレスら、ウルグアイにはグッドルッキンな選手も多いようです。一緒にテレビ観戦していた女性記者は、その点をしっかりチェック済み。かつてはイタリア、現在はスペインと世界のサッカー・リーグの主流は絶えず変化しています。スター選手の有無、CLでの実績やクラブの資金力、試合内容の充実などがその原因でしょうが、女性ファンにとっては、それにプラスして「カッコイイ選手」も必須条件かもしれません。
その「カッコイイ選手」の基準はというと……それは皆さんのご想像にお任せします。WBCで日本が活躍しても、一過性の盛り上がりに終わり、他国の選手に注目の集まることが、特に日本の女性ファンにとって少ないことも関係しているかもしれません(野球は詳しくないので想像ですが)。
決勝5時間前、スタジアムの前哨戦はオランダ圧勝?
posted by roku03 |22:35 |
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2010年07月11日
ドイツ対スペインの準決勝後は、そのまま温暖なダーバンに留まり、レスト・デー(休息日)を楽しみました。といっても、7日の試合後は市街から40キロ以上離れたB&Bしか予約できず、深夜の2時過ぎにチェックインしてベッドに直行。翌日、ゆっくりバスタブに浸かって疲れを癒すと、再びダーバン市に戻り、今度はビーチ沿いのB&Bにチェックインです。
もうダーバンは試合会場ではないため、試合当日のB&Bがツイン1泊1990ランドもしたのに、翌8日のB&Bはツイン1泊650ランド。まず値段が安い。そして街やビーチから近く、部屋も広くてキッチンまで付いています。たぶん後者が普段の値段で、試合当日はW杯プライスに跳ね上がるのでしょう。予約が遅れればホテルはなくなり、空港で一夜を明かすくらいの覚悟が必要になったのかもしれません。
幸い、車で移動していたため遠隔地のB&Bでも泊まることができたのは大助かりです。9日はヨハネスに戻りがてら、ダーバンから68キロほど北にあるピーターマリッツバーグという街に一泊しました。かつてはズールー族とイギリス軍の戦いの舞台となり、若き日のガンジー氏が差別を受けた街、そしてネルソン・マンデラ氏が逮捕され、27年間に及ぶ投獄の始まりとなった街でもあります。
シティ・ホールの反対側に続くショッピング街の入り口にはガンジー氏の銅像があり、両側にずらっと並んだお店には、中世のヨーロッパの面影を残す建造物も建っています。そんな街の雰囲気とは対照的に、街中には黒人の姿しかありません。そして郊外にある巨大なショッピングモールに行くと、こちらは白人の比率が圧倒的に高いのです。
その日の宿は、ピーターマリッツバーグのインフォメーションセンターで紹介された、郊外にあるB&Bでした。こちらのご主人は黒人なのですが、翌日、ヨハネスに戻りがてらレソトの国境沿いにあるナタール国立公園への行き方を聞いたところ、存在そのものを知りませんでした。親切にカーナビで調べ、地図を広げてくれたのですが、それでも途中までしか道がわかりません。そこで最後に、「手前にある街で道を聞いた方が確実だね。しかし、黒人に道を聞いてはいけない。白人を見つけて道を聞くように」とのアドバイスをもらいました。
実際には、ガソリンスタンドにいた黒人のポリスに道順を聞いて事なきを得たのですが、南アの多様な人種構成と彼ら独自のヒエラルキーは、とても短期間の滞在で理解することは不可能でしょう。ナタール国立公園経由で無事にヨハネスに戻ってきたのが10日の午後4時過ぎ。走行距離1468キロ。この6日間は、南アのドライブを楽しん旅でもありました。
奇岩の並ぶナタール国立公園にもサッカー場がありました
posted by roku03 |00:08 |
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2010年07月08日
準々決勝まで魅せたドイツのパス・サッカーも、スペインの完成度には敵わなかったようです。ドイツと対戦したスペインは、イニエスタにこれまでのキレがありません。左サイドに張って攻撃の起点にこそなりましたが、運動量は激減していました。疲れが溜まっているのかもしれません。しかし、フェルナンドトーレスに代わって起用されたペドロが攻撃陣を活性化しました。
準決勝のスペインは、それまでの4-2-3-1から少しシステムを変えて来ました。ブスケスを中盤のアンカーに置き、その前にシャビアロンソを出す4-1-4-1のシステム。右サイドからはペドロだけでなく、セルヒオラモスも果敢に攻め上がってドイツにプレッシャーをかけます。この2人と、DF陣の裏を虎視眈々と狙うビジャに、シャビとシャビアロンソが好パスを出して多彩な攻撃を繰り出しました。
このスペインのパスワークは、受け手(レシーバー)の動き出しの速さと、その人数=パスコースの豊富さ=が原動力ですが、もう1点、ドイツとは大きな差があります。それはパスの出し手ではなく、受け手が主役という点です。受け手は、普通は味方に寄る動き(サポート)や敵から逃げる動き(プルアウェイ)をよくしますが、スペインの選手は敵の「門(中間点)」に入り込むことで、フリーになりつつパスを引き出します。
この時に、レシーバーは阿吽の呼吸でパスを出してもらわないと、せっかくフリーになったのに、再び敵のマークに遭ってしまいます。そこでボール保持者の感覚でパスを出すのではなく、ボール保持者は受け手の欲しいタイミングでパスを出す必要があるのです。その結果、パサーがボールを保持している時間はコンマ何秒かの違いで短縮され、その蓄積が速いパスワークによる攻撃に結びつくことになります。
一方のドイツは、ダイレクトパスを試みてはミスを繰り返していました。この時のダイレクトパスは、パスを受けた瞬間にボール保持者(例えばクローゼ)が厳しいマークを受けていたため、第3の動きによる受け手(例えばエジル)がパスをもらう準備できていないにもかかわらず、(クローゼは)無理にダイレクトで出してしまうことでパスミス、コントロールミスを繰り返していました。それだけプジョルやピケのプレスが厳しかったと同時に、ドイツは腰の引けたような戦いをしていたのが意外でもありました。
マイボールになっても動き出しが遅いのです。まるで前へボールを運ぶことで、マイボールを失ったらカウンターを受けるのを恐れているかのように、多くの選手が自陣に残っていました。2年前の欧州選手権決勝のダメージなのか、それとも疲労の影響があったのかは分かりません。フォローがないからクローゼもエジルも孤立していました。
準決勝まで、これまでのドイツとは違うリズミカルなパスで強敵を倒してきましたが、やはりスペインとはサッカーの完成度が違うという一言に尽きるのでしょうか。ドイツが、これほど何も出来ずに敗れ去ったのを見るのは、02年日韓W杯の決勝戦以来のような気もします。果たして3位決定戦では、ミュラーの復帰とともに「ゲルマン魂」が復活するのでしょうか。
試合前に見つけたドイツのファン
posted by roku03 |19:49 |
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2010年07月07日
ダーバンのマリンビーチにあるファン・フェスタは、サッカーの試合を見ているファンより、「イベントに参加しているファン」の方が多いといった印象でした。インド系住民の多いここダーバンですが、彼らは親子連れで会場内のオフィシャル飲食店めぐりを楽しんでいるよう。ティーンエイジャーのグループは、気になる男子(もしくは女子)のチェックに余念がありません。例えて言うなら、ホテルの立ち並ぶ道路を挟んだビーチ沿い(熱海の海岸かワイキキ・ビーチ)を、特に目的もなくブラブラして、縁日(ファン・フェスト)の熱気を楽しんでいるといったところでしょうか。
ホテルのエレベーターで一緒になった青年は、ファン・フェスタのVIPカードを首から提げていたので、てっきりスペインから来たファンと思いました。しかし、片言のスペイン語で話してみると、アルゼンチンのブエノスアイレスから、マクドナルドの招待でダーバンのファン・フェスタに来たとのこと。ロビーに出ると、同じようにVIPカードを提げた友人たちと連れ立って会場に向かって行きました。
W杯のファン層は、大会を重ねるごとに変わりつつあるようです。4年間働いてお金を貯め、W杯のために仕事を辞めて見に行くといったファンは、もう希少価値かもしれません。そして大会がグレードアップすればするほど、スポンサーの、スポンサーによる、スポンサーのための大会へと姿を変えていくのでしょうか。アナログ地上波が近い将来なくなり、新聞や雑誌といった活字メディアの衰退と前後して、インターネットによる文字や映像の速報、ブログによる情報発信、さらに今大会ではtwitterというツールもW杯で活躍しました。W杯そのものと、それを取り巻く環境が恐ろしいほどのスピードで変容しているといったところでしょうか。
スクリーンの画面に映し出された映像を真剣に見ているのは、最前列にいる集団だけです。それも試合が終わると、すぐにいなくなりました。身の安全確保のためもあるのでしょう。残った数人のために、スクリーン前のステージではその後1時間近くもコンサートをやっていました。ファン・フェスタの会場とホテルは道路を1本隔てただけ。その騒音のおかげで仕事はほとんど手につかず、かといって寝るわけにもいかず、テレビのボリュームを上げて、終わったばかりの試合を見ながら睡魔の訪れを待ちました。
ダーバンのファン・フェスタ会場。多くの人で賑わいました
posted by roku03 |23:59 |
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2010年07月06日
今大会2度目のレスト・デー(休日)となった5日は、ヨハネスブルグからダーバンまで、兄と交互にレンタカーを運転して550キロのドライブを楽しみました。6日はケープタウンでの準決勝、ウルグアイ対オランダ戦がありますが、この試合はダーバンの海沿いにあるファン・フェスタで観戦を予定しています。
ここダーバンはオランダ対日本戦の行われた会場ですが、インド洋に面したとても温暖な都市です。朝、ビーチ沿いを散歩すると、サーファーが三々五々サーフボードを抱えてやって来ます。どうやらサーファーにとってはメッカの一つのよう。メディアセンターに移動してメールをチェックすると、FIFAから準決勝の審判団の割り振りが届いていて、西村さんはウルグアイ対オランダ戦の第4の審判に指名されています。もしかしたら3位決定戦か決勝戦で再登場があるかもしれません。こちらも楽しみです。
そして今日の試合ですが、ウルグアイはFWスアレスがガーナ戦でハンドによる決定機阻止でレッドカード。DFフシレも2枚目のイエローで出場できません。MFロデイロは右足を骨折、キャプテンのDFルガノも右膝靭帯の負傷によりガーナ戦は途中交代しています。まさに満身創痍といったところでしょう。
このためウルグアイは、徹底して守備を固めてカウンターを狙うでしょう。むしろ彼らの伝統的なスタイルと言えます。その堅守を、オランダのサイドアタッカーがどうこじ開けるか。もしかしたら試合は、ウルグアイの消極的な試合運びに、両国のファン以外には退屈なものになるかもしれません。それでも、ウルグアイがどんな「したたかさ」を見せるか楽しみです。
ちょうどパラグアイが、日本戦は前線にFW3人を並べ、4-3-3で攻めてきたのに、準々決勝のスペイン戦は4-1-3-2で中盤の守備を固め、「3」でスペインの「3」によるパスワークを封じてきたように、タバレス監督も秘策を練っているかもしれません。オランダも、ブラジル戦ではロビーニョに簡単に先制点を許しているだけに、意外な弱点をタバレス監督が見つけている可能性もあります。いずれにしても1点を争う好勝負になることでしょう。
ビーチに作られたファン・フェスタの会場。25000人収容です
砂浜に作られていたオブジュ
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2010年07月04日
南米勢5チームが決勝トーナメント進出を果たした南アW杯も、準々決勝が終わってみればベスト4に残ったのはウルグアイだけでした。彼らは韓国、ガーナと対戦相手に恵まれた感も否めないでしょう。チリは1回戦でブラジルと当たったため、不運だったと言えますが、そのブラジルもオランダに1-2と逆転負けを喫し、ベスト8で姿を消しました。
もう一方の南米の雄アルゼンチンは、ドイツに0-4と完敗しました。そして日本を破ったパラグアイも、善戦およばずスペインに0-1と惜敗しました。ベスト4に残った国で過去に優勝経験があるのはドイツとウルグアイの2チームだけです。しかしウルグアイの優勝は、1930年に自国で開催した第1回大会、50年のブラジル大会と半世紀以上も大昔の話です。そしてスペインのベスト4も、50年ブラジル大会以来60年ぶりの快挙ということになりました。
50年ブラジル大会のスペインは、グループリーグこそ首位で通過しましたが、4チームによる決勝ラウンドは1分け2敗の最下位。ベスト4というと聞こえはいいのですが、あまり誇れた記録ではないでしょう。ただし、これでマノーロおじさんのW杯は続くので、早く元気になって再び南アを訪れて欲しいと思います。準決勝の相手、ドイツには2年前のEUROで勝って優勝しているだけに、縁起の良い相手でもあります。
しかしながら、気になるデータもあります。フランスが初優勝した98年大会を除くと、決勝戦は過去6回連続して優勝経験のある国同士の対戦となっています。両チームが初優勝を賭けて激突したのは、今から32年前の78年アルゼンチン大会まで遡らなければなりません。この時は、地元アルゼンチンが得点王になったケンペスの活躍などで、2大会連続決勝に進出したオランダを延長戦の末に3-1と倒して世界王者に輝きました。
果たして決勝は、データ通りウルグアイ対ドイツの顔合わせになるのか。それとも初優勝を狙うオランダ対スペインになるのか。気になる準決勝は、ダーバンでのドイツ対スペイン戦を取材にのんびり車を走らせます。ケープタウンのウルグアイ対オランダ戦は、飛行機のチケットもホテルも満席で確保できないためパスすることにしました。もしかしたらブラジルが負けたため、キャンセルが出ているかもしれませんが、ドイツ対スペイン戦に全精力を注ぎます。
それにしてもパラグアイ対スペイン戦は、手に汗握るスリリングな試合でした。これまでのベストゲームと言っていいでしょう。スペインの持ち味である華麗なはずの攻撃を、個人と組織のダブル・ブロックで封じて、「スペインらしさ」を発揮させませんでした。グッドルーザーのパラグアイ、幾度も突破を試みながらドイツの頑丈な壁に跳ね返されたアルゼンチン、そしてオランダ戦はファンタジーもスペクタクルもなく、FW陣の駒不足というフラストレーションを感じたブラジル。南米3チームの散り際は三者三様で、興味深いものがありました。
posted by roku03 |06:50 |
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