2006年07月23日
ドイツでのワールドカップの興奮、狂乱が余韻から過去のものとなりゆくなかで地球の裏側南半球、オーストラリアでもうひとつのワールドカップ、女子アジア予選の熱い戦いが繰り広げられているが日本女子代表、通称「なでしこジャパン」が快進撃を進めている。A組の中国、ベトナム、台湾と同組に入った日本は初戦のベトナムを5-0と快勝すると2戦目の台湾に11点の大量点を奪って大勝。そして今日、アジアの王に君臨する中国を1-0と撃破した。日本女子が中国に勝利を収めたのは実に97年以来、9年ぶりの快挙。これによって準決勝リーグの進出が決まり27日にB組2位の国との対戦に勝てば来年、中国で開催されるワールドカップ出場の切符を得ることができる。
ドイツでの世界最高峰のプレーをさんざん見た後だけに女子のスピード、技術などさすがに物足りなさは感じてしまうのだが、なでしこジャパンはそれらを忘れさせてしまうぐらいの素晴らしい戦いを見せてくれている。勝利への貪欲さ、必死にボールに食らいつく執着心、最後まで走りぬくタフネスさ、そしてチームが共通の目的、意識をもって戦うという一体感。これは本来、ドイツの地で見せるべきだった日本代表の姿ではなかったか。代表が果てし得なかったサッカーをなでしこ達が代わって体現しているようだ。こんな姿をドイツで見たかったのにと思っているのは私だけではないだろう。この試合、見ていて中国のほうが1枚上のサッカーをしているのは明らかだったが、最後まで中国にゴールを割らせなかった。なでしこ達の勝利への執着心、気迫が中国を上回ったのである。
ここ近年の女子サッカーは短期間で一段と成長を遂げている。アテネオリンピック予選、今まで雲の上の存在であった北朝鮮に勝ち、そして今回は中国に勝った。
1989年のLリーグからはじまり着々と一歩ずつ確かな歩みを踏んできた女子サッカー。こうした土壌が女子サッカーを活性化させ現在代表の中心になっている沢などを生んだ。そして紆余曲折はあったものの当時はまだ見ぬ蒔いた種が新たな芽となって出始めている。今回、代表に選出されて活躍している永里や阪口など才能豊かな10代の選手はその象徴であり、彼女達には物心ついた時からJリーグやLリーグが当たり前のようにあり、それを見て憧れて育ってきた。フランスワールドカップに初めて出場した日本代表に目を輝かせ、沢ら先輩が活躍する姿を見て私もこうなりたいと強く願ってサッカーを始めたのである。今の代表には代表やLリーグ時代からの浮沈を経験をして礎を作ってきた磯崎や山郷、沢。そして世界の舞台を経験してきた中堅の世代がいてそして先の新しく台頭してきた若い力が入り新旧、非常にバランスがとれたチームになっている。
沢は
「今、チームの雰囲気がいいし同じ目標に向かってみんなが何をするかが分かっていてひとつになっている。」と言った。
現在のところ、ワールドカップの切符を懸けた戦いの相手は北朝鮮かオーストラリアになりそう。いずれも日本とは実力が伯仲しておりどちらがきても厳しい戦いになるのは間違いない。
しかし今のなでしこ達はやってくれそうな気がしてならない。
大和撫子とは清楚でつつましい女性といったイメージがあるが、本来のヤマトナデシコは見かけは弱そうで倒れそうだが実は乾燥に強くたくましい植物であるという。
どこまでもタフで男勝りのハートをもったなでしこ達を応援しよう。
27日に彼女達の最高の笑顔をみるために。
posted by ブラウンシュガー |22:55 |
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2006年07月17日
1982年以来、24年ぶりにワールドカップ優勝を遂げ、
歓喜に沸いたイタリア。
この優勝という眩い光が射したのも束の間、
カルチョの国、イタリアは、
不正疑惑という漆黒の闇に包まれようとしている。
昨シーズン、イタリアのリーグ、セリエAで優勝した
ユベントスをはじめ2位のACミラン、フィオレンティーナ、
ラツィオのチーム幹部が審判の選定に加わり、
自分のチームに優位に働くよう強要したというもの。
この不正疑惑はワールドカップ前から
チーム関係者、監督、選手まで事情聴取を受けるなどの
騒動となり、調査が進められるなか、
このほど規律委員会が裁定を下した。
1番多くの関与が確認されたユベントスにはセリエB降格
および勝ち点マイナス30。昨年の優勝を取り下げ。
関与したモッジGMは5年間の追放処分と除名の提案。
ミランはセリエAで勝ち点マイナス15と
今シーズンの欧州チャンピョンズリーグの出場権剥奪。
フィオレンティーナ、ラツィオはセリエB降格および
それぞれ勝ち点マイナス12と7というものだった。
イタリアで最も歴史がありイタリアサッカー界の顔とも
いえる名門クラブの処分にイタリアは大きな衝撃を受けている。
ユベントスは創設108年の歴史で初めてのセリエB降格
となるが、セリエBにて勝ち点-30ポイントからのスタートは
事実上、1年でのセリエA復帰が不可能であることを指す。
新監督に就任したデシャンは
「マイナス30ポイントでは勝ち抜くことはできない。
せめて10ポイントに軽減してほしい。」
と懇願する。
現在のところ、チームの象徴ともいえるデルピエーロと
チェコ代表のネドベドは残留を表明しているが
主力選手の大量流出は否めない。
それに加え、リーグ戦、およびチャンピョンズリーグでの賞金、
放映権、観客動員、スポンサーの獲得などの収入源は
大きく低下するのは明らかで長年、王者として君臨してきた
ユベントスにとってはこの一件であまりにも大きな代償を
支払うことになる。
ワールドカップの期間中、
昨シーズンまでユベントスでプレー、イタリア代表でも活躍し、
今年からユベントスチームマネージャーに就任した
ジャンルカ・ペッソットは
ユベントスの本部ビルから飛び降り、意識不明の重体となった。
現在、意識も戻りつつあり命に別状はないとのことだが
イタリア中、そして当時、
ドイツにいたイタリア代表にも激震が走った。
カンナバーロなどユベントスの選手は急遽、イタリアに戻り
ペッソットの入院する病院に駆けつけ、彼を見舞った。
「ペッソットの為に」
ドイツで戦っていたイタリア代表に大きなモチベーションが
加わったのは間違いない。
今となっては、ペッソットがこの不正疑惑に何らかの関与、
あるいは情報を知っていたのかも知れないと想像させられる。
こうした一連の繋がりがイタリアのワールドカップ優勝を
導いた一因になっていることが皮肉でもある。
イタリアと黒い疑惑は今に始まったことではない。
1982年、24年前にワールドカップで優勝したときも
1980年にイタリアで八百長事件があり
得点王となったパオロ・ロッシは
2年間の出場停止処分から明けての出場だった。
今回もACミランに対して処分が軽減されたのは
現首相で前ミラン会長であったベルルスコーニの圧力が
かかったとの情報もある。
この国でサッカーをカルチョと呼ぶが、
カルチョの及ぼす影響はいい意味でも悪い意味でも
計り知れないほど大きい。政治、経済、文化全てにおいてである。
それはクラブの会長が
一国の首相になっていることからも明らかだ。
どこまでも黒い疑惑は晴れず、引き離すことは難しいだろう。
これもカルチョと言ってしまえば仕方がない。
が、しかし今回の一件はそうも言ってられないほどの
衝撃を世界中に与えたイタリアサッカー界の罪責は大きい。
スポーツは全ての平等のもとにおこなわれるべきである。
スポーツとは健全な精神のもとにおこなわれるべきである。
今回のワールドカップで
大きな波紋を呼んでいるジダンの退場の引き金に
なったマテラッツィの人種差別発言もふくめて
イタリアの優勝という功績が色褪せてしまいそうな
ネガティブな印象が拭えない。
スポーツの本来あるべく姿をイタリアサッカー界全体が
今一度、再考すべく時ではないだろうか。
このままでは世界が羨む魅力あるカルチョが
崩壊してしまう。これは全世界のカルチョファン、
スポーツファンを裏切ることにもなる。
少なくとも我が日本でも決してあってはならぬ習うべからぬ
事例であることは言うまでもない。
スポーツとは本来、美しいものであるのだから。
posted by ブラウンシュガー |07:04 |
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2006年07月12日
不正疑惑によるユーべのセリエA降格がほぼ確定的で
カペッロがレアルマドリーの監督になった以上、
カンナバーロだけでなくユーべ主力のレアルマドリー移籍が
現実的になりそう。
選手獲得にあたってミヤトビッチも鼻息が荒い。
その中にエメルソンの名前も挙がっている。
ユーべだけでなくACミラン・フィオレンティーナも降格となると
イタリアでプレーする選手が大量にヨーロッパの各方面に移籍し
今シーズンのヨーロッパ勢力図が大きく変わるのは間違いない。
そしてユーべには元フランス代表でユーべでも5シーズンプレーした前モナコ監督のデディエ・デシャン(37)の就任が決定した模様。降格が決まっても指揮を執るとの事。
「かつて自分がユーべでプレーしていた時と同じくらい
自分の全てをユーべに注ぎたい。」
かつて華やかな時代をユベントスで過ごしたデシャンが
降格したユベントスをいかにして這い上げるのか。
あえて過酷なチョイスをしたデシャンの挑戦が始まる。 }
posted by ブラウンシュガー |23:30 |
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2006年06月29日
次期日本サッカー代表監督が有力視されている
現ジェフ千葉の監督、イビチャ・オシム。
以下に記してあるのは、彼の言葉の数々である。
サッカーファンには既によく知られているジェフのホームページに
ある「オシム語録」より抜粋したものである。
ここでは、試合前やハーフタイムのミーティングで
選手に投げかけた言葉、試合後の会見での記者とのやりとり、
サポーター、ファンへのメッセージ、日本人のメンタリティ、
サッカーを通しての自分の人生観など幅広く、
彼の鋭くも冷静でかつウィットにとんだ言葉が並べられている。
これを読めば、もし言葉の中の名詞を変えれば、現在の日本代表からはじまり日本サッカー界いや、日本のスポーツ界全体の問題に
あてはめることができるし、
教育という現場に立つ指導者、教師達にも非常に役立つ
教育論、指導論としても捉えることができる。
また自分の日常、あるいは人生にあてはめて考えさせてくれる
生きていくうえでの教訓になりうる言葉があるし、
それはそれぞれに直球で突き刺さって
自分に向かって強烈に問いかけてくる言葉がここにはある。
この偽りのない実直な言葉は彼の決して順風とはいかなかった
今までの人生から得た実体験から発せられている。
故に、リアルなのだ。
とくに故郷であるボスニアでの長く続いた
ユーゴ分裂の内戦、紛争は彼の中で大きく影を落としている。
現実として受け入れざるを得なかった
自分の生まれ育った国の内戦、紛争は
結果、数年間、彼と戦火の故郷サラエボに取り残された
自分の家族、妻、娘を引き離すことになった。
サラエボに戻ることも出来ず、しかも家族がいる
故郷サラエボを攻める勢力の敵軍、
セルビアのチームを率いて監督を続けた
彼の苦悩は計り知れない。
「サッカーとは私の人生だ。人生からは逃げられない。」
という言葉はこうした体験からくる悲壮な覚悟の言葉でもある。
彼の言葉は非常に物事を現実的に捉えているが、
ただ悲観することなく希望があることを教えてくれる。
ある一人のサッカーの監督の言葉としてでなく、
そしてサッカー、スポーツ興味あるなしに関係なく
全ての人の胸に響く
リアルなこのオシムの言葉を1人でも多く知ってほしい。
それぐらい重みのある厳しくも優しい言葉がここにある。
●大事なことは、昨日どうだったか、明日どうかではなく、一日一日を大切にすること。
●何もしていないし、何もしようとしていない。何かをやろうとしなければ、何も起こらない。
●「(今日の試合の感想をお願いしますという言葉に対して)何をお願いするのですか? ここは教会ではないので、何かをお願いするのはやめてほしい。私が何かを言うのを待つのではなく、まずは記者のみなさんが考えてほしい。私が逆に聞きたいぐらいだ。私は何が起こったか全部知っている。」
●「君たちは何か勘違いをしている。自分だけが良い生活をして、良い車に乗っていれば良いということは絶対にない。サポーター・街・市原市・千葉市のためにも最高のプレーをみせないでどうする。」
●「ゲームに負けることはある。ただ負けるにしても自分たちのプレーをやりきって負けるのと、そうでないのでは大きな違いだ。」
●クリスマスも近いですが、まずクリスマス以前に実際ヨーロッパでは長い間ちょっとした戦争が起こっていました。例えばそれがアフリカでも起こっていて、クリスマスから子供達はすごく離れた存在にあった。もちろんクリスマスが出来る環境であって欲しい。そして日本に生まれたということは、戦争から今はかけ離れている。それはすごくすばらしいことですし、ある意味運をもっていたということもあるでしょう。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんに見守られて日本でサッカーをしていて、将来的にサッカー選手になれる子どもたちもいるでしょう。そうじゃない子どもたちもいるかもしれないけれど、みんなが幸せであってほしい。
●サッカーは戦争ではない。政治がスポーツに悪影響を及ぼさないことを、強く願う。
●「たなぼた」という言葉は、母国にはない。ぼたもちが五つ見つかっても、優勝は難しいだろう。可能性があることは知っている。しかし、私は現実を見て話をしている。
●結局、結果を出したいい監督だからといって、別のチームに連れてきても同じように力を発揮するとは限らないわけです。
重要なのは自分の所にいる選手が何ができるかということを見ることなのです。
●ことわざにもあるが、こぼれたミルクは元には戻らない。
列車は行ってしまったのだ。ただ、こういった経験を覚えておき、ミスを繰り返さないことが大事。
●サポーターの皆さんに分かってほしいのは、サッカーというのは人生と同じであって、必ずしも自分の思った方向に物事が動くとはかぎらない。勝つこともあれば負けることもあるのだ。勝ちだけを望むサポーターであってほしくない。このフクアリで、ジェフの新しい文化が生まれることを期待している。
●日本は裕福な国だし、逆に貧しい国もある。しかし、環境の違いはあっても、スタジアムに来れば自分が大声を出して熱狂できるものがある。特に、近代サッカーというものは自分の生活の次に大事な要素になりつつある。 だからこそ監督やスタッフ、スポンサー、そして観客と、チームにかかわっている人間が一体にならなければならない。そういう意味で私にとってはサッカーが宗教であり、スタジアムが教会なのかもしれない。世界中に有名な教会があって人々がそこに集まるけれど、その数よりも有名なスタジアムのほうが知られているんじゃないだろうか。
●日本の長所は、あくせく、すばやく動き回れる点だ。体が小さい分、ぴったり厳しいマークにつくこともできる。日本人としての特性を、自分たちのやり方で生かさねば、もったいない。体の大小や、肌の色など関係ない。知恵と工夫次第では、弱点を利点に変えることもできる。だからサッカーは、おもしろいのだ。
●骨折したら試合に出てはいけないのかい。何なら骨折したことにメダルでもあげようか(笑)。
●メンタリティーというものは、勝った、負けたで、落ちたり上がっていくようじゃダメ。自分がずっと暮らしていく、毎日戦っていく中で、いつも持ち続けていなければいけない。
●人間というのは本質的に一般階級から抜け出したい、上に行きたい、という気持ちがある。それを実現しかけているのだから、その分もっとやってやろうという気持ちがあって当然だ。それがいまいる立場を「逆転」することでもある。 試合に負けた後、ロッカーに戻ると、みんな帰る準備をしていて、誰も言い合ったり、負けたことに対して話し合う人間がいない。結局監督が言うしかない。誰かがミスした人間に文句を言うとか、そういうことがまったくない。オレは負けたときは寝られないし、買い物に行ったりなんかできない!オレはこのチームを一つ上に上げるためにやっている、それをやっている選手がついてこなければしょうがない。
●実際に選手が何かを学ぶなら、勝ったときより負けたとき、敗北から学ぶことが本当に大きい。勝つことからは学べないことがある。ここ何試合かいい試合をしていたが、負けから学ぶことがある。
●疲れていて神経質になっているときこそ、自分をコントロールすることが大事なのだ。今、彼らの人生は一気に変わっている。彼ら自身も一生懸命やっているが、もう一回り大きくなるためには、プレーだけではなく人としてのふるまいなど、すべての面で頑張っていく必要があると思う。
●心理的な動きというものは必ずあるもの。だからこそ、そこで落ち着いてプレーすることが重要になってくる。自分たちの方が強い気持ちをもてれば、落ち着いてプレーすることが出来るだろう。いつものような気持ちでいつものようにプレーする。冷静に!!
初心に戻ろう。走ることを忘れるな!走ることの出来ない選手は、ボールを受けたくないから隠れているのと同じ。気持ちで負けているという事。走るというものはそういうものだ!!
●(記者会見を終えて)
もう質問がないということは、皆さん、試合に満足していただいているということですね。
(さらに去り際に)
このように質問が少ないときは、いい試合か最悪の試合ということです(笑)。
●監督は観客ではない。観客とは違う視点で試合を見ている。選手たちもそれを知るべきだ。新聞記者がいいプレーだと書き立てたり、観客が拍手しても、監督は別の視点から見ている。
正直、記者の皆さんやサポーターといった第三者的な立場の人は、監督よりも物事を正しく見ているのかもしれない。なぜなら観客席の上のほうから見ているのと違い、私はベンチで平面で見ているだけだからね。だけど、監督のほうが正しいというときもあるということを覚えておいてほしい。
●練習でできなかったことがゲームで出来るようになるはずがない。人生も同じ。日々の生活でのことが重要なときに必ず出てしまうもの!
●攻撃的ないいサッカーをしようとする。それはいい家を建てようとするのと同じ意味。ただ、それを壊すのは簡単です。戦術的なファウルをしたり、引いて守ったりして、相手のいいプレーをブチ壊せばいい。作り上げる、つまり攻めることは難しい。でもね、作り上げることのほうがいい人生でしょう。そう思いませんか?
●どこで何が起こるかわからないもの!人生とはいつも危険と隣合わせだ。サッカーも同じだ。
●勝とうという気持ちが山をも動かすことも出来るってことをこのゲームで見せて欲しい。
まず自分たちを信じ、そして相手を尊敬すること。だが相手を恐れてはいけない。
●夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう?
●サッカーはひとりの人間がすべてを知っていることはあり得ません。他人の意見も尊重するべきです。その意見が良くても悪くても、尊重するべきです。他人の意見を聞けないような人間は、必要ありません。人間は他人を尊重できるという面で、ロバよりは優れているでしょう。
●誰かを「不要だ」などと言う人間は、いつか自分もそういう立場に陥るようになる。人生とはそういうものだ。その時、自分はどう感じるか、考えてみるがいい。ただ中田英を含めた、海外組に一つ、注文がある。外国のリーグやクラブで見たこと、聞いたことを自分の中で消化するだけではなく、母国に持ち帰って広めるべきだ。そういう先駆者の自覚と行動も、日本サッカーの質を上げる原動力の一つだから。
●監督というものは、常に何がうまくいっていないかを探さないといけない。私はブラシのようなもの。常にホコリをはらうことをしないといけないのだ。
●記者の皆さんは失望しているかもしれないが、ということは私はもっと失望しているということ。
でも人生はこれからも続くよ。
●私にとって、サッカーは人生そのものだ。人生からは逃げられない。
●私の人生にサッカーは欠かせない、だから昨日も試合(チャンピオンズリーグ準決勝)を見ていたし、サッカーを選んだ。人生において結婚もしたし、子供もできた。数学の教師になる道もあったが、サッカーがあって、今がある。友人にはサッカーはサッカー、プライベートはプライベートと分けている人もいるけど、私にとってはプライベートもサッカー。お金ができて家内と旅行に行っても、結局サッカーを見に行ってしまう。でもそれが私の選んだ人生だし、いい人生だと思っている。
●人生は常にスタートではない。過去から物事が連結して、ずっと続いているものなのだ。いきなり落ちたり、いきなり上がったりするかもしれない。それはわからないが、ただ言える事は、常に上にはいけないということだ。
●「私の国の言葉で『こんにちは』をドバルダン(dobar dan)という。いわゆる『良い日』だが、常に毎日が良い日とはかぎらないですよね。
●「やったことが返ってくるのが人生というもの」
●選手のメンタリティを変えるには、監督だけでなく周囲の人々による力も必要なのです。
●本当のファンというのは、いいときばかりではなく、負けたりしても足を運んでくれて、応援をしてくれる人を指す。そういう意味では、ファンもチームが何をできるかしっかり見極めてほしいい。決して負けたり引き分けたりしたいわけではないのだ。なぜ、そのような結果になったのか、現実を見つめてほしい。
●サッカーというものは紙に書いてすべてを説明できるものではない。いろいろな 情報やビジョン、
アイデアがあり、それらが全部混ざって成り立っているものだ。
●人生は100年も続かない。選手のサッカーキャリアなど短いものだ。その短い選手生命の中で、
何か歴史に残ることをしよう。
●日本人コーチに即興性、柔軟性、創造性が欠けているから、選手にもそれが欠ける。コーチが本や紙を
見ながらやっているうちに選手には違う現象が起こっている。その現象を見てコーチが判断する。サッ
カーはそういうスポーツ。コーチが変わらないと選手は変わらない。(中略)創造性に欠ける指導者は
ヨーロッパにもいる。そういう指導者からは、創造性に欠ける選手しか生まれない。
文化、教 育、世情、社会に左右されることはよくない。サッカーは普遍的なもの。そして、 常に変わって
いくからコーチも常に変わっていく必要がある。
●監督には監督の視点があり、選手にも選手なりの
視点がある。だけど両者の考えがあまり開いてはダメなので、自分がやろうとしていることと、選手たちが
できることをしっかりと分析してすり合わせる。そのなかで選手たちに自由を与え、自分たち自身で試合を
クリエートできるようにしてやる。その過程で、選手たちを信じることが監督として一番大事なことだ。
●日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。これは危険なメンタリティーだ。受け身過ぎる。
フットボールの世界ではもっと批判に強くならなければ。
●日本では選手が気楽過ぎるんだよ。プレーし、勝つ。もちろんオーケー。プレーし、0-3で負ける。
オーケー。プレーし、0-8で負ける。それでもオーケーなんだ。何をやっても周囲から批判される
ことがない。
●どの選手に対しても、常に満足することはない。なぜなら、満足してしまうと成長が
止まってしまうからだ。
●監督は選手一人ひとりの思いをしっかり把握しておくことが大事。私は彼らが変わろうとする
手助けをするだけ。重要なことは選手に『もっとできる』と思わせること。
●コーチが変わっても、やることは変わりません。ジェフはジェフです。監督、選手、コーチが変わっても、「ジェフ」というチームは続いていきます。誰がいなくなっても、ジェフは続きます。たとえスポンサーが撤退しても、サポーターが残っています。みんなで話し合ってジェフは続いていくでしょう。
●とにかく、ここ(ジェフ)には一緒にやってきた人たちとのいろんな交流があり、積み上げてきたものがあります。だからこそ、私はここで監督を続けることを決めたのです。
●私は心のどこかでまだ、友愛と共存を信じていたかった。サッカーとサラエボの両方への思いの中で気持ちは揺れていましたが、他にもう手の打ちようがないと思った時に身を引くことを決意しました。戦争の始まる数週間前に、サラエボで代表の最後の親善試合を行いました。あの時は満員のスタジアムでサポーターから近年にないものすごく熱い応援をもらった。今までにない平和なムードに驚くほどでした。今、思えば、それは多民族が平和に共存する国家への最後のラブコールだったのではないかと思います。平和を求めるあの時の人々の柔和な表情を私は忘れることができない。
●ぜひ試合を見に来てください。そこではきっと、素晴らしい出来事が待っています。
posted by ブラウンシュガー |22:17 |
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2006年06月27日
日本代表の2006年ドイツワールドカップは
1引き分け2敗の勝ち点1。1次リーグ敗退という結果に終わった。
メディアを中心にプロから一般のファンまで様々な議論、検証がされているが
こういった多くの人が議論や意見を交わすことはいい現象であると思う。
選手、サッカーに携わる関係者はもちろん、我々一般のファンやメディアも
共に成長していくことが日本サッカーの発展に繋がる大事な要素である。
時には優しく、時には厳しくといった目で見守りサポートするといったことが
重要で、単純に勝ってほしいと願ったり、勝ったり負けたりで一喜一憂、騒ぐことだけが本当のサポートすることには繋がらない。
そういった意味では98年に初めて出場したフランス大会から2002年の日韓大会を通して少しずつではあるがサッカーに対して目が肥えてきて、真剣に熱く語ったり考える人は明らかに増えてきてるようだ。
こうした時には厳しい意見や世評が選手やサッカー関係者にとって、
いい意味でのプレッシャーになって刺激を与え、双方が成長していくという関係を築くことも日本サッカーの発展に欠かせないことだと思う。
現在、J2の横浜FCでプレーし、98年のフランス大会ではエースストライカーと期待され出場した城 彰二選手が興味深いコメントをしている。
初出場だったフランス大会での日本は国民の期待も虚しく3戦全敗。
城自身も期待に応えられず無得点で無念の帰国となった。
成田空港に降り立った城はサポーターから
水を掛けられてしまう。
その当時を振り返って城は
「多少は落ち込んだけど(水を掛けたサポーターに)怒りは感じなかった。
というより、水を掛けられて初めて自分はすごい場所にいたんだなとつくづく感じた。あの件で本当にエースとしての自覚が芽生えた。」
と語っている。
水を掛けることがいいとは限らないが、サポーターの熱い気持ち、プレッシャーが選手にダイレクトに伝わった瞬間でもあった。
そして城は、フランス大会直前にメンバー落選となった
カズこと三浦和良選手にこう諭されたという。
「俺がブラジルでやってた時は、しょっちゅうだったよ、
卵をぶつけられるのは当たり前だし時にはパイプいすが飛んできたこともある。でも、それはお前をエースだって認めたからなんだよ。期待している証しなんだ。」
今回ドイツから帰国した選手にはフランス大会のような手荒い出迎えはなかった。むしろ労わりの感が強かった。
実際、ピッチに立った日本代表の選手は一生懸命プレーしたと思う。
まずはお疲れ様と言ってあげたい。
しかし、今回の日本代表に闘う意志が今ひとつ感じられなかったのは
私だけではないだろう。
私が見て3試合を通じて闘う気持ちを全面に出してプレーしていたのは
中田英、川口の2人だったように思う。
そしてこの2人が今回のメンバーの中でフランスワールドカップを
経験している2人であった。
一部の情報では試合前のバスの中でゲームをしている選手もいたという。
これを知って日本代表を必死に応援したサポーターはどう思うだろうか。
選手達にも考えてほしい。
ブラジル戦が終わってピッチに7分間、横たわって起き上がれなかった
中田英。スタンドの日本サポーターに挨拶をしている選手をよそに涙を流し目を赤くした中田英に声を掛けたのが宮本だけだったというのが日本代表の統一感を象徴していたようで悲しくも虚しく感じてしまった。
ドイツで決勝トーナメントの熱い戦いが続く中、
日本代表は解散し、ジーコ監督は退任会見をおこなった。
監督人選も含めて、2010年の南アフリカ大会に向けてのスタートは
すでに切られている。
現在、次期日本代表監督の声が高いジェフ千葉の監督、
イビチャ・オシムは日本のサッカーのファンと選手の立場を
的確に捉えたコメントをしているので最後に紹介しよう。
「日本のクラブの歴史は浅く、ファンはクラブに依存は弱い。
国民の期待は代表に集まっている。全ての期待を代表が背負ってプレーしているんだ。」
自らが選手として旧ユーゴスラビア代表のデビューを
飾ったのが東京オリンピックの舞台。
日本戦でも2ゴールを挙げてから42年。
この縁のある日出る国、日本の地で
このイビチャ・オシムという男は国民の期待が一斉に集まる代表で指揮を
執ることを選択するのか興味深いところだ。
posted by ブラウンシュガー |22:01 |
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2006年06月20日
日本人として、希望観測的には勝ってほしかった。
そして、決勝トーナメントに進出という目的を果たすためにも
状況は勝たければならない試合だった。
ただ、0-0という引き分けはおおよそ、現実的な結果だった。
もちろん、勝つことも、そして負けることもまた現実的だった。
実際、試合は、
終了のホイッスルが鳴るまで
勝ちなのか引き分けなのか負けなのかが
読めない予断を許さない状況が90分続いた。
そういった意味ではとてもスリリングな試合だった。
勝利の女神はどっちに微笑もうか悩んで決められずにいたようだ。
勝負を決定づけるチャンスは日本にもクロアチアにも
双方、度々あった。
しかし、この引き分けといった結果を導いた最大のシーンは
前半21分、クロアチアのPKをGK川口が阻止した場面だった。
「あのPKが決まっていればクロアチアに2点、3点と入った展開になったかもしれない。」(クロアチアDF ロベルト・コバチ)
クロアチアにとっては願ってもない得点のチャンスだった。
勝敗のベクトルがクロアチアに傾きかけた場面でもあった。
そして、日本中が両手を合わせて固唾を飲んだ瞬間だっただろう。
ボールを置いた位置から助走位置に数歩、
後ろに下がったクロアチアのスルナ。
笛が鳴って主審の顔を左にチラッと視線を配ってから助走を始めた。
思いっきり右足で振り抜いたボールは低い弾道で
ゴール右下に向かった。
それに合わせてボール方向に両手を伸ばして飛んだ川口
ボールは川口の伸ばした左手に当たってゴールの外に転がっていった。
PKは外れた。
両手で顔を覆うスルナ。
雄たけびを上げ両拳を握る川口。
三都主がそして中田英が川口に抱きつく。
まさにクロアチアに傾いた勝敗の行方を一気に引き戻した場面になった。
「最初から右に蹴ろうと決めていた。
だが、ゴールキーパー(川口)が同じ方向に飛んでしまった。」
(クロアチアDF スルナ)
川口は蹴る前まで左に来ると予想をしていた。
「でも、蹴るときに直感で右に来ると感じた。」(川口)
川口能活という男は究極に追い込まれた時ほど
神経が研ぎ澄まされ、集中力が高まり能力を発揮する。
それは、本人も自覚していて、それが自分の長所だと言う。
「僕は、みんながもうだめだと諦めそうになる場面こそ、
いや、そんなことはないて思うんです。」
川口が奇跡を起こしたのは今回だけではない。
最も象徴的だったのが、
今から2年前の2004年、中国でのアジアカップ、
準々決勝、ヨルダン戦。
格下相手に苦戦し、90分、そして延長戦で決着をつけられず
PK合戦に持ち込まれた日本。
日本は1人目、中村俊輔、2人目の三都主がたて続けにまさかの失敗。
それに対してヨルダンは2人が確実に決めた。
そしてヨルダンがこれを決めれば日本は敗退という
究極の場面で川口は阻止をした。
ボールは川口の指先に当たって、ゴール上にはじき出された。
そして、次のPKもしっかりボールに反応し阻止。
連続して失敗したヨルダンは動揺し、
続くキッカーが今度はゴールポストに当てて自ら失敗。
日本は奇跡的に勝ちあがった。
準決勝も延長戦で同点に追いつき勝ち越すなど
日本は神がかり的なミラクルを起こして
結果、劇的な優勝を遂げるが、準々決勝のあの川口の
PKでのスーパーセーブをなくして日本の優勝は成し得なかった。
私もあの時、どこかで奇跡は信じていたがもうだめだと思った。
川口がPKを止める度に鳥肌が立ったのを今でも覚えている。
だが、川口だけは「いや、そんなことはない。」
と思っていたのだろう。
「人間というのは本当に追い込まれた時に
普段、出ないような力を出せるんです。」(川口)
こう言い切る川口の言葉には、
96年の「マイアミの奇跡」と言われるブラジルに勝った
アトランタオリンピックや先のアジアカップといった
実体験を通して身につけた自信からくるものである。
98年、日本が初めて出場したフランスワールドカップに
3試合ゴールを守った川口だったが結果は3戦全敗。
人目をはばからず、涙を流し悔しがった川口が印象に残っているが
これ以降の川口は順風といえなかった。
成長を求めて海外に飛び出したが
在籍したイングランド、デンマークでもレギュラー定着ができず
出場機会がほとんどないという
不遇の時期を過ごした。
そして2002年の日韓ワールドカップ。
正ゴールキーパーの座を同じ年の楢崎に譲ることになる。
決勝トーナメント進出を果たし日本中が盛り上がる中、
川口はベンチに座ってじっと戦況を見つめるしかなかった。
「もう、やだな、逃げたいという
自分に対して逃げない、そういう状況に向き合うんですね。」
今ではそう語る川口だが、この不遇の時期が
逆に川口を人間的に、そして精神的に大きく成長させたといってもいい。
そして、再びワールドカップのピッチに立つことになった川口。
「フランスでは1度も勝てなかった。そして日本では
出場すらできなかった。今度は僕が出て絶対、勝ちたい。」
川口はワールドカップで並々ならぬ強い意志を持って臨んでいる。
23日のブラジル戦では2点差をつけて勝たなければ
決勝トーナメントに進むことはできない。
日本にとって極めて、厳しい状況にあるのは間違いない。
誰もが、もうだめだと諦めかける状況ではある。
でも川口は言うだろう。
「いや、そんなことはない。」
土壇場で幾度も奇跡を起こし、這い上がってきた川口。
相手はちょうど10年前に奇跡の勝利ををあげた因縁のブラジル。
シナリオはそろった。
「サッカーは何が起こるか分からないんですよ。」(川口)
そして、クロアチア戦終了後に川口はこう語った。
「終了になるまで、絶対あきらめないで
終わって倒れてもいいと思うぐらい持っているもの
全部を出し切って闘います。」
最後まで絶対諦めないという強い気持ちを持って
再び、奇跡を起こすべく川口はブラジル戦のピッチに向かっていく。
posted by ブラウンシュガー |00:40 |
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2006年06月17日
かつて住んでいた家は後楽園球場から自転車で15分。
巨人戦を観にいくのは日常的なことで生活の一部でした。
父によく連れられて観にいった外野席ライトスタンド。
ある試合、王選手が打席に入ると、応援団の人が、
一斉に、色とりどりな紙テープをみんなに配り始めます。
こども心ながら、なんで打つ前からホームランて
決めつけているんだろう?て思っていました。
ドキドキしながら左打席に立つ王選手を見つめる中
あの1本足から繰り出された白球は夜空に放たれました。
高く上がった白球は
ライトスタンド、しかも自分の方向に
向かって、段々近づいてきました。
一瞬、時間が止まったかのように
スローモーションを見ているような感覚になりました。
加速して迫ってくる白球が自分にぶつかるんじゃないかと
こわくなりましたが、
自分の目の前に勢いよく飛び込んできました。
ワーッ!!
その瞬間、耳をつんざく大歓声とドンドンと力強く鳴る太鼓の音、
そして目の前が見えなくなるくらい
たくさんの紙テープと紙吹雪がライトスタンド全体を舞いました。
みんなが手を取り合って喜んでいました。
ボクも手に持っていた紙テープを思いっきり投げました。
ほんとに、打った!
父に「すごいね!すごいね!」
て、何度も叫びました。
何号だったかは覚えてないけど
メモリアルアーチだったということです。
父は今でも「あれは、世界新記録のホームランだったんじゃないか」と言っています。
あの滞空時間の長い綺麗な放物線を描いた
王選手のホームラン。
そして何色もの紙テープと紙吹雪
が無数に自分に降ってきた美しい光景は
今でも鮮明に目に焼きついていて
忘れることができません。
小学生になったボクは幼なじみの親友と一緒に
何度も、後楽園球場のライトスタンドにメガホンを持って
行くようになりました。
当時は入場料も安く、
小学生でも200円くらいで観戦できました。
子供同士でも近所に遊びに行く感覚で気軽に行けたものです。
江川、西本、、松本匡史、篠塚、中畑、そして原 辰徳。
巨人軍の選手達の躍動する姿に一喜一憂し、
ワクワクしながら、無我夢中になって応援してました。
あれから時を経て、昭和から平成にうつり
後楽園球場が東京ドームに姿を変えるとともに
家が引越ししたこともあり、
足を運ぶこともめっきり
なくなりました。
自分にとって後楽園球場は
昭和のそして、子供時代のたくさんの思い出がいっぱい詰まった
大事な場所として自分の中にしっかりと刻まれています。
posted by ブラウンシュガー |23:30 |
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2006年06月17日
我々の誰もが予想していなかった、いや考えたくなかったといった
いったほうがいいだろうか。
オーストラリアに3-1の敗戦という事実を。
もちろん気温32℃、真夏のような太陽が容赦なく照りつける
カイザースラウテルン、
フリッツ・ヴァルター・スタディオンであの瞬間
ピッチで戦った選手たちも、そして監督のジーコも。
前半26分、右サイドより切り込んだ中村俊輔の左足から
繰り出されたふわっと上がった
ボールはオーストラリアDF、GKシュウォーツアー
柳沢、高原の密集した頭上を通り抜け
ゴールに吸い込まれていった。
日本にとっては願ってもない先制点だった。
しかしこの後、試合終了のホイッスルが鳴るまで
オーストラリアのゴールネットを
揺らすことは無かった。
「全体を通しても選手ひとりひとりは
アグレッシブによく戦っていたし、
80分までは日本のシナリオ通りだった。」
(前日本代表監督、フィリップ・トルシエ)
私にはゲームを観ていて
90分を通して日本代表に対して
ずっと言い知れぬ不安がつきまとって離れなかった。
いやな予感がしてならなかった。
それは先制点が入った後も変わらなかった。
それは試合開始から終始、
日本のリズムあるいは日本の望んでいたペースで
試合は出来ていなかったように感じていたからだ。
普段、テンポよく繋がるパスがちょっとしたずれで繋がらない。
コンビネーションの呼吸がちょっとしたずれで合わない。
ちょっとしたところでのファールがもらえない。
所々でこのちょっとしたずれが何かが違うと思わせ
普段と違う、このリズム、ペースにとても違和感を覚えた。
日本にリズムが流れず試合が進んでいくのを見ながら
もどかしさと息苦しさを感じた。
ジーコもピッチの外から
不安を感じながら見ていたのかも知れない。
ジーコはハーフタイムでこう指示している。
「リードしているサッカーをしよう。
ボールを動かし、相手を動かそう。」
しかしジーコのこの言葉も虚しく
後半、時間が経つにつれ、リードしているサッカーはできず
ボールを動かされ、防戦一方に動かされてしまった
日本代表の姿がそこにあった。
「私は注意すべくプレーヤーにケーヒルを挙げたい。
欧州では過少に評価されているが、
彼の優れた得点能力には目をむけなくてはならない。
消えている時間も長いが決定力にはすさまじいものがある。」
(アーセナル監督 アーセン・ベンゲル)
試合前のベンゲルのコメントであるが、
後半、そのケーヒルが途中出場で入ってきた瞬間
私のいやな予感が増長した。
「これはまずい事態になると直感した。」(アーセン・ベンゲル)
その予感は的中してしまうことになる。
ここまで、ファインセーブを再度繰り返してきた川口が
この試合、唯一犯してしまった最大のミスから
ケーヒルに押し込まれてしまう。
時計は後半39分を指していた。
見ていた者ももちろん、ピッチに立っていた
選手達の受けた衝撃は非常に大きいと感じた。
98年、フランスワールドカップ
対クロアチア戦
あの時のナントもこの日のカイザースラウテルン以上に
暑かった。灼熱の太陽がピッチを、選手を照らし続ける中、
0-0でこのままドローに持ち込もうと必死に守り続けていた
日本だったが、残り僅かな時間に
エース、シュケルに均衡を破られた
あの瞬間がだぶった。
その時のGKが川口だった。
川口の表情があの時以上にショックを受けているというのが
画面を通して伝わってきた。
それは、宮本、中沢も同様だった。
彼らの表情は衝撃の大きさ、動揺を隠し切れなかった。
「フリッツ・ヴァルターの悪夢」
全てはこの同点シーンに始まった。
「残り10分間のパワープレーには全てが起こり得る。」
(アーセン・ベンゲル)
気持ちを持ち直す前に、あるいは勝ち点1でいいという
ネガティブなちょっとした慢心ができた隙にケーヒル、アロイージと立て続けにゴールを割られてしまう。
サッカーにはこうした逆転劇は珍しくはない。
これがサッカーというものである。
日本には次のクロアチアに勝つしか道はない。
ブラジル―クロアチア戦も見ても
相当に険しい道ではあるが、可能性はゼロではない。
競技は違うが、一種の神風が吹いた
WBC(ワールドベースボール)の日本の例もある。
事実、クロアチアはブラジル戦でチームのそして中盤の要である
キャプテンのニコ・コバチが負傷退場し日本戦の出場が
危ぶまれている。
早くも神風がそよぎ始めたのか。
「技術、戦術は問題ない。
心理的、肉体的にも十分回復をして次の試合に臨むことだ」
(フィリップ・トルシエ)
サムライ・ブルーの戦士達は
どう立ち直ってくるのだろうか。
そしてジーコはどんな心境で
次のクロアチア戦を迎えるのだろうか。
サムライ・ブルーとジーコの真価(進化)が
早くも問われる時が来た。
悪夢を振り払うのは彼等自身でしかない。
posted by ブラウンシュガー |22:16 |
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2006年06月17日
なんてメディアはこぞって昨日のマルタ戦の
出来を不安視した報道をしている。
先日のドイツ戦が素晴らしいパフォーマンスだったということも
あるだろう。確かに観ていても退屈極まりないゲームであった。
相手の格は落ちるし、終始、集中力に欠けた試合は
親善試合というより地元アマチュアクラブチームか大学生相手の
練習試合を観ている様だった。
中田英は試合終了後にはっきり言い切った。
「この試合の収穫はない。」
フィールドの中で90分通して、真剣に本番モードで
プレイしているのは中田英だけのように見えた。
本人もプレーをしていて1番、感じたのだろう。
「意識の問題です。ということはワールドカップの準備が
まだできていないということなんでしょう。
それはそれぞれが感じていくことだろうし、僕は自分がコンディションをあげていくことだけを考えていきます。」
自分とメンバーとの間にある意識のギャップ。
そんな苛立ちをかいま見せ、メンバーへの苦言を呈した。
試合内容だけ見れば収穫は玉田の久しぶりの代表ゴール以外、ほとんどと見当たらなかった。
終わってみればこのような試合に終わり、
メンバーも気持ちが引き締まったことが
収穫だったのかも知れない。
運動量が落ち、足が止まり再三、ピンチを迎えたり、簡単なミスが
でたのはコンディションの問題とみたほうがいいだろう。
油断もあっただろうが当然、集中力も低下する。
競技は違えど、選手経験から言わせてもらうと
ピーキングといって体調を含め、
目標の試合にコンディションをトップに持っていくのは
はどの競技も共通。
要は1番いい状態にあるべきなのは
1週間後のオーストラリア戦で
今はトレーニングの疲れもかなり溜まっていて
パフォーマンス的には下降しているのが普通で
今が逆にトップコンディションでは怖いくらいだ。
ただ、中田英が伝えたかったのは
コンディションうんぬんではなく
ワールドカップに対する思いを伝えたかったんだと思う。
中田英は3度目の出場になるが
初出場で何も経験がなかったフランス大会
地元でワールドカップの怖さを感じなかった日韓大会。
しかし、今度は違う。ワールドカップがどういものか
分かって地元ではない大会。
今までのワールドカップとは違うんだ。
甘くないんだよ。
世界を肌で感じてきた中田英だから感じられること。
そして中田英自身、最後になるかもしれない
この大会に懸ける意気込みは何より強い。
それを、メンバーに伝えたい気持ちが
先の試合後のコメントに表れたのだと思う。
しかし、ヒデよ。
「後に続く選手たちはみんな、君の背中を見、行動を見ている。
頼んだぞ。」
と、メンバーと離れて一人で朝食を摂ろうとした中田英に
ポンと肩を軽く叩き声を掛けた
加藤強化部長の声を決して忘れてはならない。
君はきっと最高のコンディションでワールドカップを迎えることが
できるだろう。その術も知っているはずだ。
だが、自分一人だけ良くってもサッカーはチームプレイ。
11人、いや23名の意思、意識が統一されていないと
結果は自分の望んでるものにはならないだろう。
孤高のエース。
そんなニックネームは聞きたくない。
今でこそ、笑顔でチームメイトに声を掛けて欲しい。
サッカーはチームプレイだから・・・
笑顔の少なくなったヒデが気になる。
みんな、君の背中、行動を見ている。
頼んだぞ。
posted by ブラウンシュガー |22:13 |
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2006年06月17日
日本代表が発表された。
ドイツの地に足を踏むことが許されることになった23名。
この4年間で代表に召集されたのは66名
そのうち、ピッチにたったのが54名である。
以下が今回、選出された23名
GK 土肥
川口
楢崎
DF 田中
宮本
中沢
加地
三都主
駒野
坪井
中田浩
MF 稲本
中村
小野
中田英
小笠原
福西
遠藤
FW 高原
柳沢
玉田
大黒
巻
予想通りといえば予想通りだが
1つサプライズがあるといえば
FWに久保が落ち、巻が選ばれたことだろう。
ジーコは選考基準に
「この4年間で勝ち点3がかかった試合で結果をだしてきた選手」
を挙げている。
それを考えれば選考ば順当だろう。
久保に関しては、ジーコも充分に彼の資質、能力を認めたうえで
持病の腰痛などによる常時、完全なコンディションが求められないことが落選の理由になったようだ。
柳沢については骨折からのリハビリ後の状態も良く
骨折の場合はしっかりリハビリをこなせば
復帰した時のいい動きが期待できる。
とジーコの選手時代からの経験も踏まえたうえでの選出となった。
ジーコは選手として3度
テクニカルアドバイザーとして1度
ワールドカップに出場している。
自ら選手として経験したこと
スタッフとして得た知識や学んだことが
監督になって非常に役立っていると話し
今回の選出にもそれらの経験を踏まえ
失敗したことを活かそうという考えのもと
おこなったそうだ。
記者会見でのジーコはいつもにも増して
目つきの鋭い表情で淡々とメンバーを発表していった。
その顔には1点の曇りもなかった。
自信を持って選んだという証明だろう。
ストレスから胃腸炎を患ったこともあったが
この日のジーコは晴れ晴れしく見えた。
「さぁ、これで乗る船と乗員は決まった。
優勝という目標に向かってこれから出発しようじゃないか」
といったところだろうか。
今回の発表で1番、ほっとしたのはジーコかも知れない。
ジーコは記者会見で最後にこう締めくくった。
「いろいろ自分のやり方を通す中で批判もいろいろ受けたこともあった。他の国では志半ばで辞任せざるを得なかった監督もいる中で
今日、自分が出場する23名を発表する場にいることができて幸せに思う。
また、こうして選手発表が日本で大きく注目され関心を集めるようになったことが何より嬉しい。」
91年に母国、ブラジルで大臣職を辞めてまで
日本サッカーの発展の力になりたいと
当時、まだアマチュアの鹿島アントラーズの前身
住友金属のユニフォームに袖を通してから15年。
今回のワールドカップがジーコの日本サッカーへの愛情あふれるサポートの総決算になる。
選手達は15年のジーコの日本に対する思いを
最高のプレーと結果でジーコに恩返しをする番ではないだろうか。
ジーコは本気で考えている。
この日本のメンバーでワールドカップを優勝するんだ。
日本に来たとき、よく言ってたことがある。
「勝たないでどうするんだ!
プロは勝つことをいつも意識してプレーするんだ!」
ジーコはこの意識を植え付けるために
日本に来た。
15年経っても、ジーコの気持ちは変わらない。
どんな試合でも勝つ気持ちで向かうんだ。
それに、ふさわしい23名を今日、ジーコは選んだ。
6月、ドイツの地でジーコと23名の繰り広げる
サッカーに期待しよう!
posted by ブラウンシュガー |22:11 |
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2006年06月17日
強い。
今年の巨人はどうしちゃったのよ?というぐらい強い。
開幕から5カード、全チームに勝ち越し。勝率は8割超え。打率、防御率リーグ1位、2位、1点差ゲーム負けなしと勝負強さも見せつけ文句なしの内容で原巨人はロケットスタートを決めた。
ここまで勢いが良すぎると逆に心配になるのだがこれには原辰徳の今シーズンに懸ける熱い思い、原の言葉を借りるなら
「頭から湯気が出るくらい常に沸騰するような熱い気持ちを持って戦う」
が込められている。
原はこの熱いファイティングスピリットを就任当初から徹底して全選手に植え付け意識改革をおこなった。
爽やかで温厚なイメージだが
実に情熱的な人で戦う意志が感じられない選手には鉄拳も辞さない。
「我々はチャレンジャー。去年5位のチームが今年勝つていうのは生半可な気持ちでは達成できないんですよ。そのためには全員が一丸となってね同じ気持ちで戦わないといけない」
今年の巨人を見てて1番感じるのがひとつひとつのプレーの熱さだ。選手全員が戦う気持
ちを前面に出して野球をしている。まるで高校野球を見ているようである。
我々は高校球児の1度負けたらもうおしまいという中で純粋にボールを追っかけひたむきで全力でプレーする姿に感動を覚える。
今年の巨人はまさにそんな野球をしている。
「一戦必勝、全力野球」
これが今年の原巨人野球の象徴であるといえる。
原にはとても身近に監督としてのお手本がいる。
父、貢である。
原自身、東海大相模高校、東海大時代、選手として指導を仰いだ恩師でもある。
前回の初監督時代は優勝こそしたものの長嶋茂雄のヘッドコーチの延長の色合いが濃かったし原自身も長嶋の野球を継承するという意識が強かった。しかし今回は原の描く野球を展開し自分でタクトを振るっている。いわば、今回が原としては本当の監督をしているのである。前回監督を経験して監督の喜び、大変さを知った。父の偉大さに気付いた。
今年の原には高校大学時代に徹底的に注入させられた父、貢の野球イズムが随所に感じられる。実際、インタビューで父の名前、言葉を口にする機会も多い。
泥くさいひたむきな高校球児のような野球が今年の巨人に見られるのはひょっとしたらそのせいもあるかもしれない。
そんな原野球を体現すべく矢野、鈴木尚広、福田などのフレッシュマンが活躍しフロントが大改革の補強をした移籍組のパウエル、、グローバー、、豊田、李、小坂がしっかり役割を果たしている。
そして小久保のリーダーシップがプレーもさることながら何よりチームの士気を高めている。
全員が一丸となって熱く戦う。
この野球が続けばおのずと原巨人に勝利の女神は微笑むことだろう。
これからも、観るものを熱く楽しませてくれる原野球を期待し見守りたい。
posted by ブラウンシュガー |22:08 |
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2006年06月17日
アテネオリンピック競泳で日本人初の個人種目で金メダル2個を獲得したあの輝かしい栄光から2年。
北島康介はもがき苦しんでいた。
アテネの夏空の下で
「ちょー気持ちいい!」
と叫んだ自信満々ですがすがしい康介は影を潜めた。
昨年2005年の世界選手権選考レースとなった日本選手権。
康介は200mで敗れ、200mでの代表落選。
誰もが康介の泳ぎに目を疑った。
「まさか、俺が代表になれないなんて」
何よりその結果にショックを受け驚いたのは康介自身に違いない。
あとがなくなった100mは必死に気持ちだけで泳いだ。
なんとか100mの代表権は死守。
「ほっとしました。」
康介は唇をかみ締めたままインタビューに答えた。
その夏の世界選手権は100m1本に絞ってトレーニングを積み
本来の調子を戻して臨んだ。
アテネよりそして自分の持つ日本記録より速く
泳いだが、アテネで康介に屈辱を味わったライバルの
世界記録保持者、アメリカのハンセンにタッチの差で敗れた。
銀メダル。
望んでいた色とは違ったが
康介は素直にこの結果を受け入れた。
「今回に関してはハンセンの勝ちです。ハンセンがいたから僕も
頑張ってこれたところもある。これからもお互いにいいレースを
していきたい。」
銀メダルとはいえ周囲はここぞという時の
康介の底力に舌を巻いた。
北島は戻ってきた。
ハンセンからの世界記録奪還。
このテーマを設定して康介と平井コーチの師弟コンビは
第2章をスタートさせた。
トレーニング不足を露呈した2005年の反省を踏まえ
練習開始の時期を10月に早め、中身の濃いトレーニングを
こなすことを考えた。
しかし康介の身体は悲鳴を上げていた。
肘、そして膝の故障。
康介の泳ぐ平泳ぎはとかく肘、膝への負担が大きい。
練習を計画通りにこなすことは出来なくなり
治療を受けながらのトレーニングを余儀なくされた。
平泳ぎは4種目の中で最もテクニカルで繊細な泳ぎである。
少しでも感覚が鈍るとリズムを崩しやすく
一旦崩すと戻すのは容易ではない。
膝の影響で本人の気づかないところで泳ぎに微妙な変化
があった。ムチのようにしなる持ち味のキックはかたくなり
泳ぎ全体の歯車を狂わせていた。
不安を抱えて今回の日本選手権を迎えた。
今大会も夏のパンパシフィック大会、2007年の世界選手権の
選考を兼ねたレースであった。
不安は的中した。
初日の200m。
ラスト10mまでトップだった康介は失速。
最後に3人にかわされ、4位。
表彰台からも外れてしまった。
北島康介が日本国内の試合で表彰台で上がれなかったのは
高校生だった1999年以来のことだった。
「またか。」
続く50mも2位に敗れ、去年と同じあとがなくなった。
ガウンを頭からすっぽりかぶり頭を抱え
プールサイドで茫然とし何かを考える康介がいた。
康介の場合、泳ぐ前の表情でだいたい結果が分かる。
康介は舞台が大きければ大きいほどモチベーションが上がり
ここぞという時は目つきが急に鋭くなり顔つきが変わる。
ラストの100m決勝前。
康介の顔は変わっていた。
焦燥と絶対勝ってやるという闘志をみなぎらせる
気持ちが入り交じった表情だったが目つきは鋭くなっていた。
スタートから1度もリードを許すことなくトップでゴール。
着順を確認した康介はアテネとは違う
自分に怒りをぶつけるが如く感情を吐き出し
拳を水面に叩きつけた。
「うらあーっ!」
今までの苦しみが一気に噴き出した表現だった。
康介の意地でもぎとった勝利。
絶対、負けられない、そして負けたくなかった。
タイムは自分の記録より1秒以上も遅かった。
でも嬉しかった。
平井コーチは平静を装い、苦笑いを作り
1/100秒届かなかった世界選手権の標準記録の
ことを悔やんだ。しかしその顔は安堵の表情だった。
「ほっとしました。こんなところでほっとするのは間違いなんだろうけどこれだけ来てくれたファンの前で情けない泳ぎだけはしたくなかったし、本当に素直に嬉しい。本当にファンの方の応援があったから頑張れました。また1から出直して夏はもっといい泳ぎをします!」
最後は珍しく少し興奮しながら力強く言い切った。
まだ不安が拭いきれたわけじゃない。
でも有言実行の男、北島康介はきっとまた自信に満ち溢れた
あの目つきの鋭い顔で周りをあっと言わせる泳ぎを
世界の舞台で見せてくれるだろう。
そしてまたあのアナウンスコールが聞きたい。
「やっぱり、北島強かった!」
posted by ブラウンシュガー |22:05 |
水泳 |
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2006年06月17日
浦和レッズが第4節を終えて開幕から3勝1分けの負けなしの
2位につけ好調な滑り出しを見せている。
戦前の評価は高かった。
J2に陥落したV川崎で昨シーズン、
得点源の核だった決定力抜群の元ブラジル代表のワシントンを獲得。
昨年、故障に泣かされた闘将、トゥーリオが復活。
そして4年ぶりに再び赤のユニフォームに袖を通した
小野伸二のレッズ復帰が何より大きい。
小野伸二の浦和レッズ復帰は本来の彼の意図するところではなかった。
オランダで実績を作り、2年、3年でスペインリーグ(リーガエスパニョール)に行くという絵空図を描いていた。
「あのスペクタクルで攻撃的なサッカーが僕は好きだし、僕のプレースタイルに合ってると思う。スペインでやってみたいよね。」
2001年、22歳でオランダ、フェイエノールトに移籍した小野伸二はすぐさまレギュラーを獲得。監督、チームメイト、ファンの信頼を得て彼は間違いなくチームの中心的存在だった。
フェイエノールトにとって2001~2002シーズンのUEFAカップ制覇は小野伸二の活躍なくしては成し得なかった栄光であり、日本人、初の偉業であり、また彼のサッカー人生においての最大の勲章になり、至福の時だった。
全てが順風万汎に見えたが小野伸二にとって、いつもついて回る厄介者がいた。「怪我」である。
とにかく怪我が多い。しかもここぞという大事な時期に。
シドニーオリンピック然り、日韓ワールドカップ然り。
彼が類い希な才能を一気に開花させられない理由がそこにあり
けががいつも彼の足を引っ張って彼を苦しませてきた。
度重なるけがが続くと彼の夢だったスペインリーグ移籍は交渉の難航もあり彼の目論見とは大きく反比例していき現実と希望はそれぞれ背中合わせになり一歩、また一歩とその距離を遠ざけてしまう。
試合に出れないもどかしさを感じ、苦しいリハビリをこなしながら彼はこう言う。
「焦ってもしょうがない。ボールに触れるだけでも僕は幸せなんだよね。けがをしてボールに触れない日が続くと、ボールを蹴ることがこんなに楽しいのかって思う。だから、子供の頃のサッカーが好きでたまらないという新鮮な気持ちを思い出してサッカーに取り組めるんだ。」
彼が純粋にサッカーが好きで根っからのサッカー少年だということをよく現している言葉でもあるし、けがを繰り返してきた末に行き着いた境地でもある。
こうして苦しんでいるなか絶対安定にも近かった日本代表の座も
危うくなってくる。
試合に出れない。移籍もできない。そして代表にも選ばれない。
彼にとって日本代表、ワールドカップはかけがえのないものであり誰よりもその思いは強い。
彼は苦しんだ。
さんざん、苦しんだ中での英断だった。
小野伸二は日本に戻ることを決める。
「浦和でやることが日本代表への近道だと考えた。
もちろん、ここで結果をださない限りは代表はないものだと思っている。それくらいの強い気持ちで臨みたい。」
浦和に感謝し浦和でプレーする喜びも口にはしたが
彼に笑顔はなかった。自分で追い込み、覚悟を決めたワールドカップに懸ける強い意志の表れであった。
結果を出さなくてはという焦りが開幕から彼、本来の
パフォーマンスを引き出せずにいたが、
第4節、彼はとうとうゴールを決める。
しかも、いつまでも見ていたい誰もがうっとりするそうそうお目にかかれない美しいスーパーゴールだった。一瞬、時が止まったかのようだった。
それはいかにも小野らしい芸術のようなゴールだった。
「ボールが長い時間、空中にあった。その間にゴールが見えた」
同僚の日本代表の坪井が漏らした。
「ワールドを見た」
小野伸二は手を横に広げ、ジャンプし、拳を大きく突き上げて
喜びを爆発させた。
実に2001年の7月以来の4年半ぶりの日本でのゴールであった。
「ここ浦和で決められたのが何より嬉しい。
今日は試合前から絶対に決めようと思っていた。」
レッズサポーターが狂喜の雄たけびをあげて小野を祝福する。
こんな小野伸二をみんな、待っていた。
長いトンネルからようやく抜け出してきた。
小野には今、前しか見えていない。
「満足してない。ゴールもアシストも、もっとやらないと」
ようやく復調した天才がワールドカップという道に突き進む。
怪我という厄介者を突き放して。
今度はワールドカップで小野伸二の最高の笑顔を見たい。
きっと誰もがそう願っているはずだ。
posted by ブラウンシュガー |22:02 |
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2006年06月17日
冬季トリノオリンピックはご存知の通り、
日本はメダル1。唯一、金メダルを獲得したのが
フィギュアスケートの荒川静香だった。
唯一のメダリスト、しかも金とあって
メディアの注目は一斉に荒川に集まり
イナバウアーという言葉は本人以上に世間一般に広まり
誰もが知りえる言葉となった。
スポーツニュースはもちろんワイドショーもとめどとなく
荒川やフィギュアスケートを特集し放送。
荒川が画面から外れる日はないほどテレビ出演が相次いだ。
オリンピック後のアイスショー公演は今後も含めて36本を数えるという。
荒川の金メダル獲得により一気にフィギュアスケートがズームアップされフィギュアスケートの認知を高め、発展に大きく影響を与えているのはいうまでもない。
しかし、過度のメディア出演と凱旋公演が相次ぎ
体調は整わず、練習もままならないという理由で当初、出場予定であった世界選手権は欠場することになった。
彼女はプロ転向を示唆しているがあまりにもメディアの露出が多いし確かにこれでは練習どころではないだろう。
もう少し彼女をコントロールさせてサポートするスタッフが必要ではないだろうか。
今回、年齢規定でオリンピックに出場できなかった浅田真央という選手がいる。彼女も第二の荒川になり得る次代を担うフィギュア界の期待の星である。
彼女も最近、メディアの露出が増え、CMで見かける機会が非常に多くなった。
先日、スロベニアで行われた世界ジュニア選手権では圧倒的な優勝候補とされながら本来のパフォーマンスとはほど遠い出来で2位に終わった。
浅田は現在、15歳。
精神的、肉体的に少しずつ変化を見せ始め、情緒が不安定でとても繊細な時期になる。
その時期に過度にメディアから注目を浴び露出が多くなることが
微妙に彼女のスケーティングに影響を与えているようにも見えた。
浅田真央はとても将来性のある選手である。
4年後はもちろん、8年後まで活躍が見込まれている選手である。
彼女は元々、とても天心爛漫、純粋無垢な性格だけに
こういったいわゆる大人たちのしがらみや思惑の中で動かされることが彼女の精神的発達に少なからずあまりいい影響を与えているとは思えない。
そんな貴重な選手がメディアを中心とした大人たちの勝手なエゴによって潰されてしまうことがあるとすれば残念でならない。
もっとも本人はあっけらかんとはしているものの
本人の気づかない部分でそれが見えないプレッシャーや
自分を呪縛していくことになっていくという想像を禁じえない。
ただ、彼女にはこうした自分にふりかかってくる様々なものと対峙し、それを乗り越える精神的強さも今後、身に付けていかなくてはならないというのも事実ではある。
フィギュアスケートはとても芸術性と表現性が強い競技であり
氷上で演技することでその選手の感情、生き様、生い立ち、人間性を非常に濃く映し出すことが特徴でそれがまた見る者の心を惹きつけるのである。
そういった意味ではフィギュアスケートは非常に繊細な競技であり、その選手がどういう生き方をしてきたか、その選手のバックグラウンドはどういうものなのか、そしてその時の少しの精神的な歪みまたは安定が演技に反映されるものなのである。
安藤美姫が父を亡くしていることは意外と知られていないし
荒川静香の母が彼女がスケートを続けるために仕事をし、コスチュームを自ら彼女のために何年も作りあげたことも多くは語れていない。
今、荒川静香のようになりたいとスケートを始める幼児や小学生が沢山、増え始めているという。
しかし、金メダルフィーバーの中、またひとつまたひとつとスケート場が閉鎖されて減ってきているのが現状であり、
世界ジュニア代表の沢田選手でさえもホームグラウンドを失い、
遠く離れたスケート場に通い、一般客に交じって少ない練習時間をやっと確保しているのが現在のフィギュアスケート界の状況でもあるのだ。
そしてまたそんな厳しい状況でありながらも日本スケート連盟に何千億円という不明な使途金があることも先日、伝えられた。
連盟トップ・幹部は豪邸を構え、外車を何台も所有すると
いう。聞いてあきれる話である。
荒川の金メダルや浅田、安藤をはじめ現在、世界で活躍している選手たちはスケート連盟が立ち上げた英才教育による長期強化育成システムの中からでてきた選手である。これは間違いなくスケート連盟の成果だと言える。荒川静香はその第1期の選手である。
こうした長い時間をかけた努力は連盟の結晶でもあり大変、評価できるものであるが
今のスケート連盟の現状が続くようならフィギュアスケート界に明るい未来はない。
また第2の荒川、浅田を生み出すためにも、選手、その下、底辺にいるこれからスケートを始める将来の宝石たちを第一に考えた施設、練習環境、徹底したサポートを構築していくことが今、スケート連盟および関係者に求められていることであるのは間違いない。
華やかな面だけがが取りざたされている裏側で実はすでに音を立ててがらがらと崩れはじめている現状が今のフィギュア界にあることを認識しなくてはならない。
10年後、さらにその先にも我々を魅了して楽しませてくれるスケーターが
日本から登場することを願いたい。
posted by ブラウンシュガー |21:56 |
ウィンタースポーツ |
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2006年06月17日
9回裏、A・ロドリゲスのセンター前ヒットで
アメリカのサヨナラ勝ち
アメリカ4-3日本。
結果だけ見れば惜しい戦いをしたということになる。
しかし今まで日本とアメリカのプロ同士が国を代表して戦う
機会はなかった。
そういう意味では
ここ最近の野球の試合の中では間違いなく最もエキサイティングで緊迫感のある試合であったし
見ている側が野球は面白いと改めて感じさせるものだった。
なにより、あんなに真剣なメジャーリーガー達を自分は始めて見た。
1点をとるための送りバントや
メジャーで多くの修羅場をくぐりぬけてきたクローザーピッチャーが動揺して全くストライクが入らないなど
普段、テレビで見るメジャーリーグの華やかなプレーはそこには全く感じられなかった。
今日みたアメリカは「ベースボール」ではなく
「野球」をしていた。
どんな手段を使っても何がなんでも勝ちにいくある意味泥臭いアメリカは自分にとっては意外、驚きだったし
その姿は明らかに必死そのものだった。
おそらく、プレーオフやワールドシリーズでも今まで感じたことのないプレッシャーを今日のアメリカの選手たちは感じたことだろう。
WBCを提唱し開催にこぎつけたアメリカには絶対負けられない意地がある。野球発祥の国というプライドもある。
8回のタッチアップ判定疑惑はまさにその象徴だったといえる。
3-3で迎えた8回表、日本は岩村の犠牲フライにより
西岡がホームに生還し日本が逆転した。
しかし西岡のスタートが早かったというアメリカの抗議により一番近いところで見ていた塁審のセーフというジャッジを主審が覆し、ホームインは認められずスリーアウトチェンジになる。王監督はすかさず主審に抗議したが受け入れられず試合は再開、そして9回のアメリカのサヨナラ勝ちという結果に結びつく。
アメリカでは審判のジャッジは絶対だという。
しかし、現地のESPNの映像は西岡は捕球をしてから
スタートをきっているのをしっかり捉えている。
出てしまった結果はもう変えられない。
日本はこれで終わるわけではないしメキシコ、韓国に勝てば
準決勝進出の可能性はまだある。
選手たちもこの結果を受け入れて気持ちを切り替えて戦うしかない。
しかし、これだけ魅力のある素晴らしい大会にアメリカが後味の悪いものを残してしまったということは否めない。
アメリカのファンも決して気持ちのいいものではないだろう。
アメリカ全体は今回の疑惑の判定をどう受け止めるのだろうか?
試合後に王監督は記者会見でこう言いきった。
「4人の審判にはそれぞれ平等に権限と責任がある。しかし、1回でたジャッジをオーバールールで変えるというのは私が今まで長い間やってきた野球人生のなかで初めてだ。そしてこういうことが野球発祥の地であるアメリカであってはならない。」
今日の試合は日本にとっていい意味でも悪い意味でも「歴史に残る」試合になるであろう。
このイベントを今後も発展させ多くの人々に野球の魅力を伝えるためにも誰がみても納得する公平性を期することを切に願わずにはいられない。
posted by ブラウンシュガー |21:50 |
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