2007年04月07日
「いやぁ、スタートで失敗しちゃったんですよ。」
立石諒は、目が合うと、開口一番、悔しさをにじませて話し始めた。
予選をぎりぎりの7位で通過し、北島康介以下、差のない勝負とはいえ、
長水路の日本選手権は、やはり甘いものではないと思っていた。
しかし、予想を裏切るがごとく彼は勝負強かった。初めての日本選手権決勝で、臆することなく歴戦のスイマーたちに臨み、しっかり北島康介の次の椅子を手に入れた。
2分12秒88の2位。
自分の持つ高校記録に0秒55及ばなかったものの、今夏に日本でおこなわれる世界競泳インターナショナルスイムミートの代表権はほぼ、手中にした。
それを知らされると、
「え、本当ですか?やった。」とそこで初めて嬉しそうな表情を見せた。
本人曰く、
「スタートの入水角度を誤り、手首が逆に返るくらいの抵抗を受けた。」
スタートは、陸の高いところから飛び込むため、レースのどんな場面よりも最も加速がついている状態。そこでの失敗は、水中に入ってからの泳速を大幅に減速させてしまうことを意味する。どんな種目であれ、距離であれスタートを失敗するのを選手は最も嫌がる。ゆえに、最も緊張する場面である。
スタートの失敗は、レースにおける精神的動揺も大きい。
「それで、とてもあせってしまった。」
あせりとともに挽回を取り戻そうとして、エネルギーを消耗してしまう。
ただでさえ、スピードが課題と言っていた後半型の立石諒にとっては、スタートでの出遅れという致命的な遅れをとったことになる。
100mをターンして浮き上がると、立石諒のピッチは見るからに速くなった。北島康介が、定番の逃げ切りパターンを図ろうとするのを猛烈に追いかけ始めたのである。100mから150mまでのラップタイムは33秒34。
これは北島康介のラップを大きく上回っている。これを伝えると、
「え、そんなに速かったんですか?」と言って、彼は、目を丸くさせた。
いつもであればここは最後のスパートのためにじっくり温存するところである。この早いスパートに、一瞬、驚かされたがそれも、結局は、
「あせりからだったかもしれないです。無意識だったし、意識してあげたつもりはない。」
というように、スタートでの失速が彼に強いあせりを与えたことを物語っている。
最後の50mは、さすがにいつものスパートは見られなかったが、後続の追い込みを粘り強く、振り切って2位でゴールに飛び込んだ。
結果として、「無意識」でかけた早いスパートが、功を奏した形となった。
このアクシデントがありながらも、2分12秒88で2位に入るというところに、まだ、底知れぬ力が彼にはあるのだと確信させられた。と同時に、
立石諒に対する期待はより大きいものとなった。
では、このレースで、逆にこれでもっといけるという確信がもてたんじゃないか?そう投げかけると、彼は、
「たしかにそうですね、自信にはなりました。」
と、目に力を入れて強く言い切った。
「緊張はなかった。かえって、びり残りで気楽に臨めた。」と語ったが、
今回のスタートの失敗にはやはり、どこか気負いや緊張があったのではないかと思う。それが日本選手権であり選考レースの難しさである。
それでも、立石諒にはそれにも打ち克つ強さを、持ち合わせていると、思わされるレースでもあった。そして彼本人にとっても、また学ぶべきことが多くあったレースにもなったはずだ。彼はまだまだ成長し続けていく。
この夏、立石諒は、いよいよ世界デビューする。ネクストジェネレーション、高校生3年生。湘南ボーイの立石諒を、ぜひ、お見逃しなく。
posted by ブラウンシュガー |04:20 |
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2007年03月27日
世界水泳の競泳初日は、パク・テファンという一人の韓国人の若者によってセンセーショナルな幕開けとなった。
水泳を良く知ってるオーストラリアの観客は信じられない光景を目の当たりにすることになった。
男子400m自由形決勝。
多くのオーストラリア人をふくめ、スタンドの観客は、350mのターンまで終始、先頭を泳いでいた自国の英雄、長距離王者グラント・ハケットの予選8位からの劇的な優勝シーンを思い描いていたはずだ。その期待を、韓国の17歳の若者が、もろくも打ち砕いたのだ。
パク・テファンのラスト50mで3人を一気に抜き去ったあの凄まじいラストスパートは、水泳関係者でも、にわか信じがたい驚異的なものであった。ラスト100mのラップタイムは53秒91。これはアテネオリンピック200m自由形で優勝したイアン・ソープの後半の100mとほぼ同じである。
水泳後進国といってもいい韓国から出てきた17歳の若者が成し遂げた偉業の大きさと、あのカミソリの如く元世界王者ハケットやオリンピックメダリストを切り裂いたラストのスピードに、レースが終わった後も、私はその衝撃に、しばらく開いた口が塞がらなかった。
やはりというか、ついにというべきか。いやいや、いずれは世界の頂点に登りつめるべき逸材だとは確信していたが、まさかこの世界水泳で、早くも実現してしまうとは思いにもよらなかった。
06年パンパシフィックで韓国男子自由形で初のメダル獲得。続くアジア大会でアジア人、初の1500m、14分台突入。
どれも韓国から出てきたこの若者の未来に大きな期待をふくらませるものだった。しかし、それは数年後という仮定の話であり、韓国、またはアジアというスケールの中での話であった。誰も、パク・テファンが1年後に世界の頂点に登りつめる姿はイメージできなかったはずだ。
くしくも、去年、電撃引退をしたこの種目の世界記録保持者、イアン・ソープも初めて世界の頂点に立ったのが、オリンピック前年の世界水泳で年齢も同じ17歳だった。
イアン・ソープは、その勢いで翌年のシドニーオリンピックで爆発。400m自由形を世界新記録で優勝し、以後、引退するまで王者として君臨した。
今回のパク・テファンにも、イアン・ソープが初めて世界水泳を制した時に似た衝撃を受けた。彼は「アジアのソープ」になり得るとは思うが、微妙に適正種目が違う。イアン・ソープが200、400mを得意としたのに比べ、パク・テファンは400、1500mが適正種目である。パク・テファンは心肺機能、持久力が高く、イアン・ソープより絶対的なスピードは劣るが、200mでも世界で勝負できるスピードは持ち合わせている。ここが、従来の長距離選手と違うところであり、ラストのカミソリスパートが武器となっている所以である。
泳ぎはエネルギー効率が非常に低く無駄がない。上下動ももちろんだが、横のぶれも少ない。とても平べったく泳ぐのが彼の特徴だ。そしてどんなにスピードが上がってもそのバランスが崩れないところが、彼の素晴らしいところである。ボディバランスもいいが、ラストスパートで存分に発揮されるキックの強さが、この泳ぎの大きな支えとなっている。
そして彼のさらに優れている部分は、17歳とは思えないほど、知的で精神的に成熟していることだ。大偉業を成し遂げたにもかかわらず、本人は周囲が驚くほど冷静にレースを振り返り、おごることなく淡々と次を見据えている。
「優勝したことはびっくりしているし嬉しい。レースは200mを過ぎて一度、スパートをしようと思ったけど周りのペースに合わなかったので自重した。この2年で国際舞台で経験を積んできたので、精神的なコントロールも、ペースのコントロールも分かってきた。来年のオリンピックでは、自分の足りない部分をさらに補完しなくてはならない。コンディションの調整も非常に大事になるでしょう。」
あまり知られていないが、彼は2004年のアテネオリンピックで400m自由形に14歳で出場している。このレースで緊張のあまりスタートでフライングをし、失格という苦々しい経験をしている。あれから3年。まだあどけなさは残るが、身も心もそして泳ぎも大きく変貌を遂げた韓国のマリンボーイは、あっという間に世界のトップに躍り出た。イアン・ソープの世界記録にはまだ4秒離れており、これを塗り替えるためには、絶対的スピードのアップが必要ではあるが、それすらもこの17歳には、乗り越えていけそうな可能性を感じる。1500mはもちろん、来年のオリンピックでどこまで飛躍していくのか想像するのが今から楽しみでしょうがない。韓国のマリンボーイの泳ぎに、世界は再び、驚かされるであろう。
posted by ブラウンシュガー |01:26 |
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2007年03月15日
「いつかはガチンコで勝負したい。」
北島康介の短水路高校記録を6年ぶりに塗り変えた湘南育ちの高校2年生は、泳ぎ終わった後に、涼しげな眼差しで淡々と語ったが、放った言葉には力が込められていた。そこには、やがては北島康介に勝ちます。という明確な意思表示が見てとれた。
この高校2年生の名前は、立石諒。彼の名前が、全国区となり、注目を浴びたのは2006年10月、兵庫でおこなわれたのじぎく国体。200m平泳ぎで、北島康介の持っていた長水路高校記録を6年ぶりに、しかも1秒以上も更新したことだった。さらに、驚くべきは最後の50mのラップが32秒台という世界大会でもお目にかかれないラストスプリットだったということ。これは北島康介、現世界記録保持者のブレンダン・ハンセンをもしのぐものである。
立石諒は、4歳から水泳をはじめたが、すぐに頭角を表したわけではない。中学時代までは、全国大会に出ても、決してスポットライトを浴びる存在ではなかった。しかし200mでいうと、中学3年から高校1年で約5秒、高校1年から高校2年は6秒と、2年間で11秒を短縮してきた。この急激な成長には目を見張る。2年前までは、全国中学でようやく決勝に残れるレベルの選手が、今回のジャパン・オープンで100m2位、200m3位と、一気に北島康介の次に高い表彰台を占めるまでになった。
しかし、本人はあくまで謙虚で、そして貪欲だ。
「尊敬する選手は、北島選手、今村選手。まだまだ力は及ばないと思っています。今回も二人からいろいろ学ぼうと思って泳ぎましたし、学べることはどんどん吸収したい。」
今後の課題としては、スピードをあげた。
国体のレースが示すようにラストには絶対的な自信を持っている。さらなる高みを目指すのなら、ベースのスピードを引き上げるということである。今回、10歳から立石諒を見続けている薩摩コーチは、「50、100、200で全てで高校新記録」をテーマにジャパンオープンに臨んだ。その目論見は果たせた。
一年後は、北京オリンピックが控えている。薩摩コーチ、立石諒、二人に同じ質問をぶつけてみた。
「北京オリンピックは狙っているのか?」
答えは二人ともはっきりとイエスだった。
立石諒は、時折見せる高校生らしい笑顔を除けば、クールで物怖じしないスマートなスイマーである。しかし内に秘める闘志はとても熱く強い。性格的にも泳ぎも北島康介や今村元気と違ったこの高校2年生の存在には、とても興奮させられ、魅力を感じずにはいられない。
「僕は、緊張したことがない。」
堂々と言い放った姿が、とても頼もしく映った。
そこに、日本の次なるエースの匂いを感じた。湘南育ち、平成生まれの超新星、立石諒から目を離すな。
posted by ブラウンシュガー |22:34 |
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2006年08月22日
「ちょー気持ちいい」とはいかないが、パンパシフィック大会を終えた後の北島康介は実にすがすがしい表情を見せた。こんないい顔をした康介を久々に見た気がする。
アテネの栄光から2年。康介を待っていたのは苦悩の連続であった。度重なる肘、膝の故障。それにともなって怪我の影響からか体のバランスを悪くし結果、泳ぎのバランスも崩していった。康介の中で、好調時の泳ぎのイメージが描けなくなってきていた。
競泳に限らないが、選手は自分の理想のフォームというものを持っている。
まず自分の中でベースにあるのは自分が最高の結果を出した時の泳ぎ。そして自分が作ろうとする泳ぎ。選手は常にそのイメージを描き、トレーニングを通じて体で思い出す、あるいは覚えさせる作業をするのだが、康介はそのイメージがつかめないまま、自分の幻想と追っかけごっこしながらこの2年を過ごしてきた。特に水泳は水が媒体で自分の体はもちろんだがに水と向き合っていかなければならない非常に繊細な感覚を必要とする競技でちょっとした感覚のずれが自分の泳ぎに大きく影響する。ここが陸上競技との大きな違いでぱっと見ではわからないが競泳のしかも世界トップレベルの選手はそうした水の感覚と常に試行錯誤しながら戦っている。自分でも経験あるのだが、いいイメージが作れなかったり、イメージにフィットした泳ぎができないと、とてももどかしく苦しい。そのような時はレースでも大概、いい結果は得られない。康介もこうしたいやそれ以上の苦しみとオリンピック金メダリストになって勝って当たり前というプレッシャーも相まってそれがずっと2年間続いていた。
4月の日本選手権でもその呪縛を振り払うことができず今回のパンパシフィックで再起をかけてトレーニングを開始したが肘、膝の痛みは癒えず、6月には肺炎で入院も余儀なくされた。そのため海外高地合宿に参加できず、これまで康介にとって決して欠かせないパートナーであった平井コーチとも初めて離れた。国内でのトレーニングもままならないまま、パンパシフィックを迎えることは大きな不安となって康介を襲った。周囲ではパンパシフィック欠場の声も上がり始めたが、康介は現実を見つめて開き直った。
「すごい不安にもなったし苦しかったけど、数少ない国際大会に出て行かないと前にも進めない。出ないことよりやるだけのことをやって出たほうが悔いも残らない。」
北島康介という男は開き直った時は強い。難しく考えるよりシンプルに本能にまかせて泳ぐ。そして追い込まれてようやくその本能にスイッチが入る。今回も普通に考えればいいタイムが出る要素はどこにもなかった。過去でここまで悪い状況もなかったが、康介はこの大会で自力で這い上がった。
今回、自信を呼び戻したのは200mでの泳ぎだろう。2年前のアテネ以来、一番ベストに近いタイムで泳ぐことができた。本人も「200mに合わせた練習をしてきた。」と言うとおり、久々に北島康介らしい彼独特の大きな伸びのある泳ぎが戻ってきた。一時は「200mを泳ぐのが怖い。」とまでこぼしていただけに、この200mの康介の泳ぎに一寸の光明が見えた。
2年前のアテネで康介にひれ伏したブレンダン・ハンセンは昨年の世界水泳で2種目制覇し今年は世界記録を塗り替えた。立場は逆転したが康介の思いはひとつだ。
「こうなったらオリンピック男になるしかない。」
オリンピックで勝てればいい。いやオリンピックでは絶対勝つ。
有言実行男、北島康介の決意表明でもある。
200mを泳ぎ終え、ミックスゾーンに戻ってきた康介は呼吸をはずませながらハキハキと力強く話し始めた。
「ハンセンとはずいぶん離されちゃったね。でも今度は追う目標ができたわけだからその目標を見失わずしっかりやっていきたい。」
そう話す康介の目つきは鋭かった。表彰台でオリンピックでも見せなかった充実感にあふれた笑顔を見て少し安心感を覚えた。はきはきとした話し方、目つきの鋭い表情。そして戻ってきた笑顔。あの強い時の康介と同じであったからだ。試合の最後でようやく見れた彼の笑顔を見て、康介は何かを掴んだという確信を感じてとれた。
オリンピック王者に神様は試練を与えた。しかし、この試練は康介を成長させることになった。強い北島康介が戻ってくるかもしれない。ひと皮むけた北島康介がさらなる進化を求めて第2章のページを開いていく。
康介の中で最後のページには、はっきりと北京オリンピックで勝つと書かれているに違いない。
posted by ブラウンシュガー |03:52 |
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2006年08月18日
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=73833&media_id=4
今日までのインターハイの結果を見ていると1、2年生の活躍が目立ちここ1年で急激に力をつけた伸び盛りの選手が多く見受けられます。コメントなどを聞いていると1年生でも全く物怖じしていない様子が伺え近年の若い選手のメンタル面の強さと勢いを強く感じます。記録的にも女子200m平泳ぎで1、2位の金藤選手や村上優海選手、女子200m個人メドレー優勝の中村咲子選手などの記録は、現在、同時にカナダで行われているパンパシフィック大会の日本代表の選手と遜色がなくパンパシフィック大会でも入賞出来得る好タイムです。ただそれ以外の種目では昨年に比べ低調な面は否めず、現在、史上最強といわれる競泳陣の次世代の選手たちの頑張りと3年生の発奮に期待したいと思います。
自分が1年生の時に出場したインターハイは緊張で何が何だか分からないうちにレースが終わってしまい悔いだけが残りました。一緒に泳いだ3年生はレース前も余裕があり迫力を感じました。逆に3年生の時はこれが最後だという気持ちから練習も身が入り、レースにも集中できるようになりました。結局、試合直前に高熱がでてしまい、いい結果は出せませんでしたが今までにない調子の良さを自分でも感じてそのままインターハイに臨めました。それを考えると現在の平成生まれの子達(自分からみるとこの世代は「新人類」)は普段の私生活から上級生やはたまた大人のコーチにも物怖じしない精神性が競技においてはプラスに活かされているようです。
高校生は時期的にも身体面、精神面での成長が著しい時期で周りが驚くほど急激に記録を縮めることもあります。逆に精神面での情緒が激しい時期でもあり、モチベーションの維持が難しく、1年で記録をあっという間に低下させてしまう選手も少なくありません。双方の選手たちを自分は何人も目の当たりにしてきました。記録が低下している選手を見た時にもったいない、コーチはどのように選手に接していたのだろう、自分がコーチであったらどのようにフォローしただろうかといった事を考えました。この年代の選手を指導することは難しいですが、精神面のコントロール、モチベーションの誘導、維持が一番重要かと思います。
何より、1年間で飛躍的に成長する選手を見ているのはとても楽しみです。先に出た村上優海選手は去年、一緒に国体に出場しましたが、この1年であっという間に全国中学のレベルから日本選手権上位に入るレベルまで成長しました。1年前はここまでの姿を想像できませんでした。それが高校生の勢いであり特徴でもあるというのを実感しましたが、彼女には、このまま順調に育ってほしいと願っています。
今、世間は甲子園に注目が集まっていますが、大阪では甲子園に負けず劣らず、高校生スイマーの熱い戦いが繰り広げられています。
選手には悔いのないよう高校生活の全てをレースで出し切ってほしいと願います。2度と戻らぬ青春を無駄にするな!頑張れ!高校スイマー。
posted by ブラウンシュガー |21:47 |
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2006年06月17日
アテネオリンピック競泳で日本人初の個人種目で金メダル2個を獲得したあの輝かしい栄光から2年。
北島康介はもがき苦しんでいた。
アテネの夏空の下で
「ちょー気持ちいい!」
と叫んだ自信満々ですがすがしい康介は影を潜めた。
昨年2005年の世界選手権選考レースとなった日本選手権。
康介は200mで敗れ、200mでの代表落選。
誰もが康介の泳ぎに目を疑った。
「まさか、俺が代表になれないなんて」
何よりその結果にショックを受け驚いたのは康介自身に違いない。
あとがなくなった100mは必死に気持ちだけで泳いだ。
なんとか100mの代表権は死守。
「ほっとしました。」
康介は唇をかみ締めたままインタビューに答えた。
その夏の世界選手権は100m1本に絞ってトレーニングを積み
本来の調子を戻して臨んだ。
アテネよりそして自分の持つ日本記録より速く
泳いだが、アテネで康介に屈辱を味わったライバルの
世界記録保持者、アメリカのハンセンにタッチの差で敗れた。
銀メダル。
望んでいた色とは違ったが
康介は素直にこの結果を受け入れた。
「今回に関してはハンセンの勝ちです。ハンセンがいたから僕も
頑張ってこれたところもある。これからもお互いにいいレースを
していきたい。」
銀メダルとはいえ周囲はここぞという時の
康介の底力に舌を巻いた。
北島は戻ってきた。
ハンセンからの世界記録奪還。
このテーマを設定して康介と平井コーチの師弟コンビは
第2章をスタートさせた。
トレーニング不足を露呈した2005年の反省を踏まえ
練習開始の時期を10月に早め、中身の濃いトレーニングを
こなすことを考えた。
しかし康介の身体は悲鳴を上げていた。
肘、そして膝の故障。
康介の泳ぐ平泳ぎはとかく肘、膝への負担が大きい。
練習を計画通りにこなすことは出来なくなり
治療を受けながらのトレーニングを余儀なくされた。
平泳ぎは4種目の中で最もテクニカルで繊細な泳ぎである。
少しでも感覚が鈍るとリズムを崩しやすく
一旦崩すと戻すのは容易ではない。
膝の影響で本人の気づかないところで泳ぎに微妙な変化
があった。ムチのようにしなる持ち味のキックはかたくなり
泳ぎ全体の歯車を狂わせていた。
不安を抱えて今回の日本選手権を迎えた。
今大会も夏のパンパシフィック大会、2007年の世界選手権の
選考を兼ねたレースであった。
不安は的中した。
初日の200m。
ラスト10mまでトップだった康介は失速。
最後に3人にかわされ、4位。
表彰台からも外れてしまった。
北島康介が日本国内の試合で表彰台で上がれなかったのは
高校生だった1999年以来のことだった。
「またか。」
続く50mも2位に敗れ、去年と同じあとがなくなった。
ガウンを頭からすっぽりかぶり頭を抱え
プールサイドで茫然とし何かを考える康介がいた。
康介の場合、泳ぐ前の表情でだいたい結果が分かる。
康介は舞台が大きければ大きいほどモチベーションが上がり
ここぞという時は目つきが急に鋭くなり顔つきが変わる。
ラストの100m決勝前。
康介の顔は変わっていた。
焦燥と絶対勝ってやるという闘志をみなぎらせる
気持ちが入り交じった表情だったが目つきは鋭くなっていた。
スタートから1度もリードを許すことなくトップでゴール。
着順を確認した康介はアテネとは違う
自分に怒りをぶつけるが如く感情を吐き出し
拳を水面に叩きつけた。
「うらあーっ!」
今までの苦しみが一気に噴き出した表現だった。
康介の意地でもぎとった勝利。
絶対、負けられない、そして負けたくなかった。
タイムは自分の記録より1秒以上も遅かった。
でも嬉しかった。
平井コーチは平静を装い、苦笑いを作り
1/100秒届かなかった世界選手権の標準記録の
ことを悔やんだ。しかしその顔は安堵の表情だった。
「ほっとしました。こんなところでほっとするのは間違いなんだろうけどこれだけ来てくれたファンの前で情けない泳ぎだけはしたくなかったし、本当に素直に嬉しい。本当にファンの方の応援があったから頑張れました。また1から出直して夏はもっといい泳ぎをします!」
最後は珍しく少し興奮しながら力強く言い切った。
まだ不安が拭いきれたわけじゃない。
でも有言実行の男、北島康介はきっとまた自信に満ち溢れた
あの目つきの鋭い顔で周りをあっと言わせる泳ぎを
世界の舞台で見せてくれるだろう。
そしてまたあのアナウンスコールが聞きたい。
「やっぱり、北島強かった!」
posted by ブラウンシュガー |22:05 |
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