2006年08月25日
%size(2){http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-16522-storytopic-2.html%
離島、石垣島からやってきた八重山商工はこの夏、甲子園に新たな風を送り込んだ。3試合ではあったが、八重商の繰り広げた野球は日本全国の人たちの心を捉えるには十分であった。もう一度見たい。もっと見たい。八重山商工というチームにはそう思わせる魅力がある。その結果、甲子園ベスト8を基準に選考される国体出場校に3回戦敗退ながら選出され、そして今回、甲子園で活躍した選手で構成される日米野球遠征の日本代表に金城長靖が選ばれた。これもベスト8以下のチームでは金城長靖以外では愛媛・今治西の宇高幸司のみしか選ばれていない。
金城長靖は身長は170センチしかない。しかし投手、内野手、外野手をこなすことができ、ピッチングはエース大嶺祐太にひけをとらない140キロ超の速球を持ち、バッティングでは左右両打席でホームランが打てる長打力を持つ。これだけでも十分、稀有で魅力のある選手だが、何より気持ちを前面に出しぶつかっていく伊志嶺のいうところの「魂の入った」野球をする選手で精神的にも非常にタフな選手である。金城長靖のこうした資質は伊志嶺野球を最も体現していて八重山商工の象徴ともいえる選手である。今回の甲子園でもエース大嶺の調子の出ない場面では代わってマウンドにあがり幾多のピンチを防ぎ、打っては試合を決定づける場面でホームランを放つなど八面六臂の大活躍を見せ、八重商躍進の立役者となった。
負けん気が強くぶっきらぼうな面を持つとも言われる金城長靖だがチーム、仲間を思いやる気持ちはひと一倍強い。彼の一面を表わすこんなエピソードが今回の甲子園にある。一回戦、今ひとつ調子の出ないエース大嶺を見て伊志嶺は迷わず大嶺をマウンドから降ろした。金城長靖が代わって投げたが、彼には肩をがっかり落としている大嶺の様子が気になってしょうがなかった。「やっぱりウチのエースは祐太(大嶺)だ。最後はあいつに投げてもらうのがチームにとっても一番。」
そう思った金城長靖は9回、最後の守りにつく前、大嶺に近づいていった。
「祐太、監督にもう一回、投げさせてくださいって言いにいってこい!」そう言って大嶺の背中を強く押した。
「お前、ちゃんと責任とれるんか!とれるんだったら投げてこい。」
伊志嶺は大嶺を叱責したが再び、マウンドに戻ることを許した。大嶺は最後の1イニングを全力でそして気持ちを込めて投げて抑えた。
自分の自我や活躍よりチームのため、仲間のため。これは伊志嶺が10年間、選手に説いてきた教えでもある。冷静にチームを見渡し自分を抑えるが意見を主張しなくてはいけない時はしっかり主張し選手を鼓舞して引っ張っていく。金城長靖とはそういう選手である。
今回、投手で日本代表に選ばれた金城長靖だが、彼はどうやらバッティングのほうが好きなようだ。
「投手は斎藤もいるし田中もいる。すごいピッチャーばかりじゃないですか。
投げる機会がないんじゃないかな。いざ投げるとなったらそりゃ、全力つくすけど(笑)それよりもバッティングでアピールしたいですよ。」
そう言って彫りの深い石垣の島っ子独特の濃い顔を少しくずして照れ笑いを浮かべた。
ピッチャーもやるけど俺の本職じゃあない。大嶺を差し置いて投手で選ばれるなんて参ったなというのが金城長靖の本音といったところだろうか。
自分の自我、活躍よりチームのため、仲間のため。
注目は断然、斎藤佑樹、田中将大にいくだろう。ただもう一人注目してみてはいかがだろう。
褐色の肌に濃い顔をしてふてぶてしく気持ちを前面に出して相手に向かっていく他の選手とひと味違ったきらめきを放ってプレーしている選手がいればそれは間違いなく金城長靖である。そして彼のプレーを見ていれば自分の心が揺り動かされるのを感じ、斎藤佑樹や田中将大とはまた違った魅力に気付くことだろう。
posted by ブラウンシュガー |22:11 |
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2006年08月21日
「こうなったら僕も男ですから。」
涼しげな端整なマスクと淡々と語る口調から滲み出る闘志。決して表には出さないが、誰よりも負けずぎらい。そのためにはどんな努力も厭わない。そして自分に決して妥協を許さず勝利に異常な執着心を持つ。斉藤佑樹とはそんな男である。
球史に残る決勝戦、駒大苫小牧との延長15回178球を投げ終えた後もトレードマークにもなった青いハンカチで額を拭いながら静かな口調で語り出した。
「田中もやっぱりすごいピッチャーだと思ったけど僕も一緒にやり合えるとこまできた。こうなったら最後は気持ちの問題です。今日できなかった完封をしたい。リベンジはまだ終わってない。明日勝つことがリベンジだと思っています。」
リベンジ。早実ナインが合言葉のように使うこの言葉は春のセンバツからだ。早実はセンバツでも2回戦、関西高校(岡山)と延長15回を戦い、決着がつかず再試合。4-3で再試合をものにはしたが、次の横浜高校戦では余力は残っていなかった。このセンバツで優勝した横浜高校に敗れ、力の差を感じた。センバツの屈辱を晴らそう。この思いひとつで夏に向かってきた。「全ての面でレベルアップ」を目指し、斉藤佑樹は球威をつけるために今までのフォームより重心の低いフォーム改造に着手し下半身を強化。気づけば体重は5キロ、急速も140km/h前半から149km/hまで増し、「スタミナもずいぶんついた。」というように半年で急激にレベルアップを果たした。全ては春のセンバツでの悔しさを晴らす思いからである。
もうひとつ早実ナインには悔しい思い出がある。昨年11月の明治神宮大会準決勝、駒大苫小牧との試合。結果は3-5で敗れたが何より田中将大に手も足も出なかった。3三振に終わった川西は
「あの場面は今でも忘れられない。あのスライダーを打たないと全国制覇はできないと思った。」
主将の後藤も
「あれから田中をイメージして素振りをするようになった」
というようにバッティングにおいては駒大苫小牧、田中を打ち崩すことを目標に練習をしてきた。早実ナインにとっては願ってもない舞台が決勝で実現したのである。
センバツの屈辱を晴らすためにの思いで勝ち上がってきた早実の前に最後に立ちはだかったのは奇しくも駒大苫小牧、そして田中将大であった。この田中を打ち崩すことが悲願の優勝に結びつくことは誰もが分かっている。
「再試合では打って斉藤を助けたい。」という桧垣の言葉が早実野手全員の思いだ。
斉藤佑樹は冷静にそして力強く言い切った。
「再試合は経験したからどういうイメージで戦っていけばいいかは分かっている。」
通常練習が終わり自宅に帰るのは午後11時過ぎ。そこから数時間、勉強のため、机に向かうことも少なくないという決して妥協を許さない男は何が何でも優勝も譲らないつもりだ。
早実・和泉監督も
「再試合は総力戦でいく。ただ、あの緊迫したプレッッシャーのかかる大舞台で投げられるのはウチには斉藤しかいない。」
と斉藤に全ての命運を託した。
「もう1試合、多く戦えるのは嬉しい」
と最後に白い歯をわずかに見せた斉藤佑樹が、青いハンカチと内に宿る冷徹な青い炎を携え、最後のマウンドへ上がっていく。
「王さんのために、春のセンバツの屈辱を晴らすために」
早実ナインは最後までこの合言葉を胸に戦ってきた。
夏の甲子園アルプススタンドにも再度響く、早大応援歌「紺碧の空」はこう唄う。
すぐりし精鋭闘志はもえて
理想の王座を占むる者我等
早稲田 早稲田 覇者 早稲田
理想の覇者となるべく早実ナインが世紀のそして最後の決戦に挑んでいく。オフホワイトにエンジ色の「W」マーク。
その「W」がWINNER(勝利者)のWとなるか今日、全てが分かる。
posted by ブラウンシュガー |07:43 |
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2006年08月18日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-16414-storytopic-2.html
「野球の神様が延長戦を戦えと言ってるかのようだ。」(伊志嶺監督)
夏の甲子園、3回戦で敗退した八重山商工が9月に行われる国体出場校に選ばれた。選考基準では甲子園ベスト8と地域のバランスを考慮してとのことだが、高野連会長がコメントした「八商工の試合は甲子園でも大勢の観客を集め、盛り上がりを見せた。県内外のファンがもっと八商工の野球を見たいと期待してくれたことが選出につながったと思う」の通りこの夏、八重山商工の見せてくれた見る者を熱くさせ最後まであきらめない伊志嶺野球が評価された形となった。甲子園で伊志嶺監督と島っ子たちの10年の旅は終わりを告げたかと思われたが、思わぬプレゼントに伊志嶺監督とナインは大喜び。宿舎で吉報を受けた全員の写真がその様子を物語っている。
「もう一回、日本一にチャレンジするチャンスをもらった。」
伊志嶺監督は満面の笑顔を見せ語った。なによりもう一度、このメンバーで野球ができるという喜びが伊志嶺監督はじめ、八重商ナインにはある。国体は参加12校。規模は小さく、甲子園に比べて注目は少ない大会だが、そのほうがかえってのびのび野球ができて八重商の力が存分に発揮できるのではないだろうか。
強い相手じゃないと本気になれない。という八重商独特の島人精神も強豪校のみが参加する今大会はまさにおあつらえ向きといったところか。とにもかくにも、伊志嶺吉盛と島っ子たちの旅はまだまだ続くことになった。
秋の空に伊志嶺監督の激しい掛け声がこだまする。しかし八重商ナインは笑顔で楽しんではつらつと野球をするだろう。
「まあた、親父が何か言ってるぜ(笑)」
八重山商工が最後の野球をこのメンバーでできる喜びを噛みしめながら思う存分楽しむ。そんな姿が今から目に浮かぶ。
posted by ブラウンシュガー |20:10 |
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2006年08月17日
「とってもすがすがしい気持ち。」
べスト8をかけた智弁和歌山との戦いに敗れ監督、伊志嶺吉盛は自分の気持ちをまずこう表現した。そこにはいつも子供たちを叱り飛ばしていた厳しい顔はなく屈託のない笑顔があった。石垣島で年中、あの甲高い声で選手達を叱責し、鼓舞し続けた。伊志嶺は苦笑いしながらこう語る。
「島の子たちは普段から競争がないからみーんなのんびりしてるんですわ。こどもたちだけじゃない。島のひと全員がですよ。困ったことにこの土地の性格だねぇ。」
選手たちは練習を休んだり、遅刻してくることも珍しくなかった。このままじゃいかん。ミーティングで何度も何度も選手に言い聞かせた。
「お前たちに足りんのは気持ち。センバツでやった強いチームとの差はここなんだよ。最後はどっちが強い気持ちを持ってるかなんじゃ。野球はな、強いチームが勝つとは限らん。勝ったチームが強いんだ。八重商はそういう野球をしたい。だからお前ら、魂をもったプレーをしてくれ。」
伊志嶺は毎朝4時半、誰よりも早く練習グラウンドに顔を出す。少しずつだが選手たちが練習開始前に姿を現し、自主練習をするようになった。
「朝早く起きて自主練するちゅうのは自分がやりたいと思わない限りやりませんよ。」
他の学校に比べて練習もよくやったが伊志嶺が一番心を砕いたのはこの、のんびりした島人(しまんちゅ)魂にいかに闘争心を植えつけるかだった。そういった意味ではこの夏の甲子園でこどもたちは伊志嶺の描いていた魂の入った野球を見せてくれた。2回戦の千葉経済付戦で見せた9回ツーアウトから逆転勝ちをおさめた試合はまさに気持ちでもぎとった象徴的な試合で多くの人の心を捉えた。
「悔いはない、といったらうそになる。」
この甲子園で投打に活躍を見せ、チームで一番の負けん気の強い金城長靖は素直な気持ちを語った。選手たち全員もそうだろう。だが伊志嶺はめったに褒めない子供達を最後は褒めた。
「選手たちは精一杯やった。いい負け方ですよ。大嶺には100点をあげたい。」
伊志嶺が選手たちに小学校の少年野球からいい続けてきた教えがある。
「負けて泣くな。それはやり残したことがあるということ。」
この日、最後まで投げきった大嶺は教えのとおり、試合が終わると笑顔で整列に並んだ。
「小学校からやってきた仲間と最後にここでやれて良かった。下を向かずに胸をはって石垣に帰りたい。」
みんなが持って帰る甲子園の土も手にはしなかった。
「納得した負け方だったし悔いはないから持って帰りません。」
大嶺は家庭の事情で祖父母の下で暮らし、野球を始めてからは伊志嶺の自宅で住み、父のように慕った。
「自分の息子よりも長いし、まあ、家族みたいなもんですよ。」
と伊志嶺が語れば大嶺は
「監督には・・有難うと言いたい。それ以外に言葉は見つかりません。」
人見知りの恥しがり屋が普段、面と向かって口に出せない感謝の言葉をはにかみながら口にした。
感謝といえば伊志嶺と選手がともに口にしたのは地元の人達への思い。
「地元、石垣の方たちの協力と応援がなかったら僕たちは決してここまでこれなかった。ほんとうに感謝している。」
八重山商工というチームは地元、石垣の人たちに支えられながら10年間やってきた。その思いはなおさら強い。アルプススタンドでは「ハイサイおじさん」に合わせて指笛が常に鳴り響き、エイサーを踊った。石垣の全島民の気持ちをのせた応援がグラウンドでプレーする選手を少なからず後押ししたのは間違いない。
少年野球「八島マリンズ」から10年。伊志嶺吉盛と島っ子たちの長くも熱い旅路は終わりを告げた。選手はそれぞれ進学、就職と新たな道を進み、石垣島を離れ、そして伊志嶺から旅立っていくことになるだろう。
「遠回りをするかもしれないけどプロの1軍で投げてその姿を監督に見せたい。それが僕の恩返しです。」
大嶺は伊志嶺に対しての思いを語った。そして伊志嶺は最後に将来の夢をしみじみ語った。
「こどもたちが島に戻ってきたら草野球をしたいねぇ。」
10年間、苦楽をともに歩んできた伊志嶺監督と島っ子たち。その時はきっとみんなが笑顔でのんびり野球をするのだろう。伊志嶺の言葉を聞いてそんな姿が想像できた。
褐色の肌に濃い眉、そしてギラギラした大きい二重の目。私は熱い戦いを見せ、多くの人の心を捉え魅了してやまないこの夏の八重山商工の野球をきっと忘れない。
posted by ブラウンシュガー |20:07 |
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2006年08月14日
「あいつは目が死んどる。あれじゃあ、だめだ。」
伊志嶺監督は一回戦が終わったあと、大黒柱の背番号1、大嶺祐介を叱責した。松代高校に左打者が多かったのもあるが、この日のマウンドには、大嶺ではなく左投手の当山を送り込んだ。それどころか、大嶺をスターティングメンバーからも外した。伊志嶺吉盛とはそういう男である。伊志嶺は10年に渡って選手たちを見てきた。体調、精神面など選手の顔を見ればどういう状態か手に取るように分かる。と同時に18人の選手には徹底して厳しい練習を課してきた。どの選手が出ても常に八重山商工の野球ができるとの自負がある。個人プレーではなく全員で戦えるチームに育ててきたつもりだ。戦う気持ちが感じられないやつはエースだろうと試合には出さん。大嶺に向けての強烈なメッセージでもあった。3回、ピンチを迎えると伊志嶺は、ピッチャーを金城長靖に変え、大嶺をファーストに入れた。金城長靖は気持ちを前面に出して打者に向かっていくタイプ。一塁ベースに立ちながら大嶺はどんな思いで守っていただろうか。大粒の汗を滴らせながら金城長靖の気迫のこもった熱投が続く。5回にはこの試合を決定づける3ランホームランを自ら放ち、この日の主役は間違いなく金城長靖であった。しかし8回、伊志嶺は大嶺をマウンドに送る。ここに伊志嶺の選手操縦術を見た。決して突き放すだけでなく名誉挽回の機会を与える。「戦う気持ちがあるなら見せてみい。」エースとしての自覚を持って欲しい。エースというのは責任あるものなんだ。それをお前はわからんか。8回の大嶺への交代にそんな伊志嶺の意思が見えた。そしてこの日の大嶺は一回戦とは別人のようなピッチングを見せた。大嶺の顔は戦う表情になっていた。マウンドに上がるや3者連続三振。金城長靖に負けず劣らずの気迫のピッチングはすさまじいものがあった。一塁を守りながら大嶺は金城長靖の気持ちのこもったピッチングに伊志嶺のメッセージの意図を感じたのではないだろうか。長打を一本浴び、2点は失ったもののアウト全てを三振でもぎとったあたりに大嶺の意地をはっきり見てとれた。エース背番号1の重さ。大嶺はこの甲子園の大舞台で改めてこれを実感したはずである。伊志嶺の冷徹とも思える采配は実はエースを這い上がらせるための温情でもあった。これは大嶺が力を出さないと勝っていけないことを伊志嶺自身が一番知っているからでもある。
三振を奪いマウンドで躍動する大嶺をこの日の主役である金城長靖が嬉しそうに一塁から見守っていた。この風景を見たときに真のエースは大嶺だと八重山商工の誰もが認めているんだというのを思い知らされた。伊志嶺監督はじめ八重山商工全員が認めるエース背番号1、大嶺祐介が本当に目覚めた時、石垣島に優勝旗が渡るという現実がぐっと近づく。そのために伊志嶺は次もグラウンドで選手より大きい声で選手を叱咤する。
「なあに、やっとんじゃあ!」
伊志嶺吉盛と石垣島の島っ子たちの10年の総決算はまだまだ続く。
posted by ブラウンシュガー |00:48 |
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2006年08月12日
「先輩の王さんのために、そしてセンバツの悔しさを晴らすために。」
早実ナインはこの夏、2つの合言葉を胸に戦っている。
「僕達が、王さんにできるのは勝利をプレゼントすること」
「勝ち上がっていくことで王さんが少しでも元気になってもらえればいい。」
選手は口をそろえる。
西東京予選決勝。試合会場の神宮球場と王さんの入院していた慶應病院は目と鼻の先だった。病院の部屋からは球場も見え、歓声もはっきりと聞こえたという。
「照明がついているのが見えてね。あそこでやってるんだなて思いながら応援してましたよ。選手たちは素晴らしい戦いをしたと思います。勇気をもらいました。甲子園では精一杯、プレーしてほしい。」
2回戦、早実は春のセンバツの屈辱を晴らすべく願ってもない相手と対戦することになった。昨年のベスト4、そして1回戦でセンバツ優勝の横浜高校を破った大阪桐蔭。一番胸を躍らせたのはエースの斉藤佑樹。ポーカーフェイスで普段、人前で感情を表に出さない斉藤だが、対戦が決まって表情をくずしていたという。
「いつもは感情を出さないやつなのにこの対戦が待ち遠しかったのかニコニコしてるんですよね。強い相手とやるのが楽しみでワクワクするタイプの子なんでしょうね。」
(早実 和泉監督)
その斉藤が一回からとばした。初球、スコアボードに表示された146km/hという数字に5万近くの大観衆からどよめきが起こる。そして一番スタンドが沸いたのが「平成の新怪物」こと大阪桐蔭4番の中田翔との対戦。斉藤は試合前、インタビューで
「大阪桐蔭の4番打者ということで特別、意識はしていません。」
と平静を装った。 しかし、蓋を開けてみると斉藤は負けたくない意地を思いっきり表に出し中田をねじ伏せにいった。中田の打席の時は特別気持ちの入った投球をしているのが誰の目にも見てとれた。結局、中田は4打席とも凡退。この中田を抑えたのが大阪桐蔭打線の勢いを消した勝因の一つになっていた。中田自身も斉藤の気持ちに応じて4打席ともフルスイング。斉藤と中田の力と力の真っ向勝負には毎打席、勝敗を度外視しても見たいと思わせるそんな魅力があった。高校野球でこんな思いは久々のような気がした。
西東京予選で一本も出なかったホームランが2本も飛び出し、斉藤を中心に「守」のイメージの強い早実だったがここにきて打撃も右肩上がりだ。
「正直、びっくりしています。この子たちがこんなに力が出せるということを知って驚かされています。」
と大阪桐蔭に勝ち苦笑いしながら自嘲気味にインタビューに答えた和泉監督。
監督のまだ見ぬ力が早実ナインにはあるのかもしれない。大阪桐蔭を破ったことは大きな自信になったであろう。
そして偉大な先輩、王貞治ですら成し遂げられなかった夏の甲子園、優勝。
「王さんのために、そしてセンバツでの悔しさを晴らすために」
2つの合言葉を胸にまだ発展途上の白とエンジにWマークのユニフォームが甲子園を躍動する。
posted by ブラウンシュガー |22:01 |
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2006年08月09日
「臥薪嘗胆」
最後まで決してあきらめない。
褐色の肌と濃い眉に彫りの深い顔。島の少年達の大きい二重の目はしっかりと見開き輝いていた。
第88回全国高校野球選手権1回戦、相手は一昨年ベスト4の千葉経済付。得点は6-4でリードされていた。9回表、ツーアウト。あと一人で試合が終わる。誰もがそう思っていたなか、窮地に立たされていた沖縄県代表、八重山商工の選手は誰一人、諦めていなかった。いや。諦めたくなかった。諦めることはこのチームでの最後の試合を意味することであり、何より、監督である伊志嶺吉盛が諦めないことを常に選手に教えてきたことだったからだ。
「勝つための根拠は練習だけ。今の生徒の多くには小学3年から野球を教えてきた。厳しい練習に耐えてきた子どもたちと甲子園に出場できるのは本当にうれしい」
本州のはるか遠く、そして沖縄本島からさらに400キロ離れた石垣島というこの小さい離島からでてきた八重山商工が甲子園にたどり着くまでには長い長いストーリーがある。それは監督、伊志嶺吉盛の歴史でもある。
伊志嶺と選手達の歩みは10年という歳月を経て積み上げてきたものだ。石垣島に生まれ育ち、自ら選手として甲子園を目指して野球に明け暮れた伊志嶺だったが、夢は叶わなかった。本島の沖縄大学に進学し準硬式野球で全国選手権、優勝を果たすも165センチの小柄な体ではプロは断念せざるをえなかった。帰島して伊志嶺が思い立ったことは
「子供たちに野球を教えて島に恩返しをしよう。」
1978年から1983年まで八重山商工の監督に就任したが結果は出なかった。94年に八島小学校の少年野球チーム「八島マリンズ」の監督になり、他チームの監督と共に8つのチームで島内リーグを作る。人口の少ない島内でより多くの試合を子供達にさせることが目的だった。この成果は実り、7年後には島の少年野球チームとして初めての全国制覇を遂げる。さらに、中学硬式野球、ポニーズリーグを設立し、「八重山ポニーズ」の監督としてチームを世界大会で3位に導く。そしてこの八島マリンズ、八重山ポニーズで手塩にかけて育てた選手たちが現在の八重山商工の主力の選手たちなのである。
八重山商工の監督に再度、就任し少年野球の選手達と甲子園を目指すと決めた時、練習着に「臥薪嘗胆」の文字を縫いこんだ。
臥薪嘗胆:目標を達成するためにはどんな苦しいことも耐える。
これは伊志嶺自らが経験してきた苦しみの中から見出だした教訓でもある。95年に20才の長男を亡くし、野球にのめりこみ全てを捧げる代償に2度の離婚もした。亡くなった長男に対して親父らしいことを何かしてあげられなかったかという自問にかきたてられ、その思いは少年野球の子供達に代わり、注いできた。子供たちにも苦しみに耐えることを「臥薪嘗胆」という文字を練習着に縫い付け、練習で体に染み込ませ教えてきた。
「高校野球で大事なのは精神面です。それを教えないと勝てないことに気付いた」
最初に八重山商工で結果を出せなかった経験から学んだことである。
すでに日は沈み、闇夜にカクテル光線が照らし始めた甲子園球場に金属音の響きがこだました。アルプススタンドでは沖縄民謡のリズムと指笛が勢いよく鳴った。9回、ツーアウトから同点に追いつき、さらに延長10回に逆転をとげ劇的な勝利をつかんだ八重山商工の野球に伊志嶺の生き様を見た気がする。10年間ともに歩んできた子供たちは伊志嶺の教え、そして野球をしっかり受け継ぎ体現している。
「気持ちでもぎとった勝利です。でもこのままでは次はないでしょう。」
伊志嶺は開口一番、インタビューで答えた。しかしまだまだ終えるわけにはいかない。それは選手も同じである。10年間、伊志嶺監督の元で小学校からずっとみんな一緒にプレーしてきた。プロ注目のエース、大嶺がナイン全員の気持ちを代弁する。
「もっと、みんなと野球がしたい。一番、長い夏にしたいんです。」
臥薪嘗胆。目標を達成するまで苦しみに耐える。
選手より熱くひときわ甲高い怒鳴り声を散らす伊志嶺監督と大きい二重の目をギラギラさせて必死にプレーする選手達。八重山商工の野球を見ればこの言葉の意味がよく分かるはずだ。
そして春のセンバツで果たし得なかった目標。伊志嶺監督と褐色の島っ子たちは悲願の優勝旗を石垣島に持って帰るべくまだ続く最後の夏を戦う。10年間、積み上げてきた思いとともに。
posted by ブラウンシュガー |01:44 |
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