2006年09月07日
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=83242&media_id=2
試合終了とともに、大きいため息をゆっくり一つ吐き出したオシム。これが記者会見ではあらゆる言葉をつなぎ聞き手をはぐらかしては本音を語らない彼の心中を表わしていたのではないだろうか。
ということでオシムが決して表には言わないだろう気持ちを私見もまぜてコミカルに想像してみました(笑)
以下、オシム監督
『ふー。やれやれ。正直、勝ててホッとした。こういう試合は心臓に良くない。ただでさえここは、酸素が少ないというのにね。しかし、このチームはいつからオオクマのチームになったんだい?まるでオオクマが監督みたいだ(笑)私はもうあんなに大きい声は出せないから助かるがね。ただ、私の指示を一言一句ちゃんと伝えてくれているかが心配だが(苦笑)とにかく状況を考えると今日の勝ちは色々な意味において大きい。選手にとっても、私にとってもそれと日本のメディアの皆さんにとっても。私にはもう見出しが見える。私の名前と我那覇の字が躍っているだろう。我那覇に最後に競りながらヘディングで落とした巻や、巻にセンタリングをあげた坪井のことは書かれないだろう。とくに坪井はこれ以外にも今日はいい仕事をした。もっと彼のことを書いてもいいのではないだろうか。アジアサッカー協会に劣悪な芝生のことを訴えたいが、日本の放送局の方にも言いたいことがある。私のインタビューの尺の時間を多めにとるということだ。私はかなりしゃべるからね(笑)私のインタビュー時間を前もってとっておくことだ。そうしないと放送時間内に私のインタビューだけで終わってしまい選手のインタビューがとれないことが起こりえる。ぜひ、気を付けていただきたい。ふー、酸素が少ないところでたくさん話すとのどがカラカラに渇いてくるから今日はもう帰るよ。今日は勝ったんだから選手と一緒のバスに乗って帰りたいからね(笑)おい、水をくれないか。何?さっき試合中にあなたがペットボトルを叩きつけたからないだって?そうだったか。何だって?こぼれたミルクは元に戻らない?そうだったな。では、ホテルまで我慢しようか。(立ち上がって帰ろうとするがこちらを振り向いて)そうそう、メディアの皆さん。もうオシムジャパンというのはやめてくれないか?仮に私の息子が日本代表の監督になったら何と呼ぶつもりなのかな(笑)それでは。』
と思ってるかどうかは知らないが、少なくともオシムも今日の勝利には胸をなでおろし多少は喜んだに違いない。
posted by ブラウンシュガー |03:13 |
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2006年07月23日
ドイツでのワールドカップの興奮、狂乱が余韻から過去のものとなりゆくなかで地球の裏側南半球、オーストラリアでもうひとつのワールドカップ、女子アジア予選の熱い戦いが繰り広げられているが日本女子代表、通称「なでしこジャパン」が快進撃を進めている。A組の中国、ベトナム、台湾と同組に入った日本は初戦のベトナムを5-0と快勝すると2戦目の台湾に11点の大量点を奪って大勝。そして今日、アジアの王に君臨する中国を1-0と撃破した。日本女子が中国に勝利を収めたのは実に97年以来、9年ぶりの快挙。これによって準決勝リーグの進出が決まり27日にB組2位の国との対戦に勝てば来年、中国で開催されるワールドカップ出場の切符を得ることができる。
ドイツでの世界最高峰のプレーをさんざん見た後だけに女子のスピード、技術などさすがに物足りなさは感じてしまうのだが、なでしこジャパンはそれらを忘れさせてしまうぐらいの素晴らしい戦いを見せてくれている。勝利への貪欲さ、必死にボールに食らいつく執着心、最後まで走りぬくタフネスさ、そしてチームが共通の目的、意識をもって戦うという一体感。これは本来、ドイツの地で見せるべきだった日本代表の姿ではなかったか。代表が果てし得なかったサッカーをなでしこ達が代わって体現しているようだ。こんな姿をドイツで見たかったのにと思っているのは私だけではないだろう。この試合、見ていて中国のほうが1枚上のサッカーをしているのは明らかだったが、最後まで中国にゴールを割らせなかった。なでしこ達の勝利への執着心、気迫が中国を上回ったのである。
ここ近年の女子サッカーは短期間で一段と成長を遂げている。アテネオリンピック予選、今まで雲の上の存在であった北朝鮮に勝ち、そして今回は中国に勝った。
1989年のLリーグからはじまり着々と一歩ずつ確かな歩みを踏んできた女子サッカー。こうした土壌が女子サッカーを活性化させ現在代表の中心になっている沢などを生んだ。そして紆余曲折はあったものの当時はまだ見ぬ蒔いた種が新たな芽となって出始めている。今回、代表に選出されて活躍している永里や阪口など才能豊かな10代の選手はその象徴であり、彼女達には物心ついた時からJリーグやLリーグが当たり前のようにあり、それを見て憧れて育ってきた。フランスワールドカップに初めて出場した日本代表に目を輝かせ、沢ら先輩が活躍する姿を見て私もこうなりたいと強く願ってサッカーを始めたのである。今の代表には代表やLリーグ時代からの浮沈を経験をして礎を作ってきた磯崎や山郷、沢。そして世界の舞台を経験してきた中堅の世代がいてそして先の新しく台頭してきた若い力が入り新旧、非常にバランスがとれたチームになっている。
沢は
「今、チームの雰囲気がいいし同じ目標に向かってみんなが何をするかが分かっていてひとつになっている。」と言った。
現在のところ、ワールドカップの切符を懸けた戦いの相手は北朝鮮かオーストラリアになりそう。いずれも日本とは実力が伯仲しておりどちらがきても厳しい戦いになるのは間違いない。
しかし今のなでしこ達はやってくれそうな気がしてならない。
大和撫子とは清楚でつつましい女性といったイメージがあるが、本来のヤマトナデシコは見かけは弱そうで倒れそうだが実は乾燥に強くたくましい植物であるという。
どこまでもタフで男勝りのハートをもったなでしこ達を応援しよう。
27日に彼女達の最高の笑顔をみるために。
posted by ブラウンシュガー |22:55 |
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2006年07月17日
1982年以来、24年ぶりにワールドカップ優勝を遂げ、
歓喜に沸いたイタリア。
この優勝という眩い光が射したのも束の間、
カルチョの国、イタリアは、
不正疑惑という漆黒の闇に包まれようとしている。
昨シーズン、イタリアのリーグ、セリエAで優勝した
ユベントスをはじめ2位のACミラン、フィオレンティーナ、
ラツィオのチーム幹部が審判の選定に加わり、
自分のチームに優位に働くよう強要したというもの。
この不正疑惑はワールドカップ前から
チーム関係者、監督、選手まで事情聴取を受けるなどの
騒動となり、調査が進められるなか、
このほど規律委員会が裁定を下した。
1番多くの関与が確認されたユベントスにはセリエB降格
および勝ち点マイナス30。昨年の優勝を取り下げ。
関与したモッジGMは5年間の追放処分と除名の提案。
ミランはセリエAで勝ち点マイナス15と
今シーズンの欧州チャンピョンズリーグの出場権剥奪。
フィオレンティーナ、ラツィオはセリエB降格および
それぞれ勝ち点マイナス12と7というものだった。
イタリアで最も歴史がありイタリアサッカー界の顔とも
いえる名門クラブの処分にイタリアは大きな衝撃を受けている。
ユベントスは創設108年の歴史で初めてのセリエB降格
となるが、セリエBにて勝ち点-30ポイントからのスタートは
事実上、1年でのセリエA復帰が不可能であることを指す。
新監督に就任したデシャンは
「マイナス30ポイントでは勝ち抜くことはできない。
せめて10ポイントに軽減してほしい。」
と懇願する。
現在のところ、チームの象徴ともいえるデルピエーロと
チェコ代表のネドベドは残留を表明しているが
主力選手の大量流出は否めない。
それに加え、リーグ戦、およびチャンピョンズリーグでの賞金、
放映権、観客動員、スポンサーの獲得などの収入源は
大きく低下するのは明らかで長年、王者として君臨してきた
ユベントスにとってはこの一件であまりにも大きな代償を
支払うことになる。
ワールドカップの期間中、
昨シーズンまでユベントスでプレー、イタリア代表でも活躍し、
今年からユベントスチームマネージャーに就任した
ジャンルカ・ペッソットは
ユベントスの本部ビルから飛び降り、意識不明の重体となった。
現在、意識も戻りつつあり命に別状はないとのことだが
イタリア中、そして当時、
ドイツにいたイタリア代表にも激震が走った。
カンナバーロなどユベントスの選手は急遽、イタリアに戻り
ペッソットの入院する病院に駆けつけ、彼を見舞った。
「ペッソットの為に」
ドイツで戦っていたイタリア代表に大きなモチベーションが
加わったのは間違いない。
今となっては、ペッソットがこの不正疑惑に何らかの関与、
あるいは情報を知っていたのかも知れないと想像させられる。
こうした一連の繋がりがイタリアのワールドカップ優勝を
導いた一因になっていることが皮肉でもある。
イタリアと黒い疑惑は今に始まったことではない。
1982年、24年前にワールドカップで優勝したときも
1980年にイタリアで八百長事件があり
得点王となったパオロ・ロッシは
2年間の出場停止処分から明けての出場だった。
今回もACミランに対して処分が軽減されたのは
現首相で前ミラン会長であったベルルスコーニの圧力が
かかったとの情報もある。
この国でサッカーをカルチョと呼ぶが、
カルチョの及ぼす影響はいい意味でも悪い意味でも
計り知れないほど大きい。政治、経済、文化全てにおいてである。
それはクラブの会長が
一国の首相になっていることからも明らかだ。
どこまでも黒い疑惑は晴れず、引き離すことは難しいだろう。
これもカルチョと言ってしまえば仕方がない。
が、しかし今回の一件はそうも言ってられないほどの
衝撃を世界中に与えたイタリアサッカー界の罪責は大きい。
スポーツは全ての平等のもとにおこなわれるべきである。
スポーツとは健全な精神のもとにおこなわれるべきである。
今回のワールドカップで
大きな波紋を呼んでいるジダンの退場の引き金に
なったマテラッツィの人種差別発言もふくめて
イタリアの優勝という功績が色褪せてしまいそうな
ネガティブな印象が拭えない。
スポーツの本来あるべく姿をイタリアサッカー界全体が
今一度、再考すべく時ではないだろうか。
このままでは世界が羨む魅力あるカルチョが
崩壊してしまう。これは全世界のカルチョファン、
スポーツファンを裏切ることにもなる。
少なくとも我が日本でも決してあってはならぬ習うべからぬ
事例であることは言うまでもない。
スポーツとは本来、美しいものであるのだから。
posted by ブラウンシュガー |07:04 |
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2006年07月12日
不正疑惑によるユーべのセリエA降格がほぼ確定的で
カペッロがレアルマドリーの監督になった以上、
カンナバーロだけでなくユーべ主力のレアルマドリー移籍が
現実的になりそう。
選手獲得にあたってミヤトビッチも鼻息が荒い。
その中にエメルソンの名前も挙がっている。
ユーべだけでなくACミラン・フィオレンティーナも降格となると
イタリアでプレーする選手が大量にヨーロッパの各方面に移籍し
今シーズンのヨーロッパ勢力図が大きく変わるのは間違いない。
そしてユーべには元フランス代表でユーべでも5シーズンプレーした前モナコ監督のデディエ・デシャン(37)の就任が決定した模様。降格が決まっても指揮を執るとの事。
「かつて自分がユーべでプレーしていた時と同じくらい
自分の全てをユーべに注ぎたい。」
かつて華やかな時代をユベントスで過ごしたデシャンが
降格したユベントスをいかにして這い上げるのか。
あえて過酷なチョイスをしたデシャンの挑戦が始まる。 }
posted by ブラウンシュガー |23:30 |
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2006年06月29日
次期日本サッカー代表監督が有力視されている
現ジェフ千葉の監督、イビチャ・オシム。
以下に記してあるのは、彼の言葉の数々である。
サッカーファンには既によく知られているジェフのホームページに
ある「オシム語録」より抜粋したものである。
ここでは、試合前やハーフタイムのミーティングで
選手に投げかけた言葉、試合後の会見での記者とのやりとり、
サポーター、ファンへのメッセージ、日本人のメンタリティ、
サッカーを通しての自分の人生観など幅広く、
彼の鋭くも冷静でかつウィットにとんだ言葉が並べられている。
これを読めば、もし言葉の中の名詞を変えれば、現在の日本代表からはじまり日本サッカー界いや、日本のスポーツ界全体の問題に
あてはめることができるし、
教育という現場に立つ指導者、教師達にも非常に役立つ
教育論、指導論としても捉えることができる。
また自分の日常、あるいは人生にあてはめて考えさせてくれる
生きていくうえでの教訓になりうる言葉があるし、
それはそれぞれに直球で突き刺さって
自分に向かって強烈に問いかけてくる言葉がここにはある。
この偽りのない実直な言葉は彼の決して順風とはいかなかった
今までの人生から得た実体験から発せられている。
故に、リアルなのだ。
とくに故郷であるボスニアでの長く続いた
ユーゴ分裂の内戦、紛争は彼の中で大きく影を落としている。
現実として受け入れざるを得なかった
自分の生まれ育った国の内戦、紛争は
結果、数年間、彼と戦火の故郷サラエボに取り残された
自分の家族、妻、娘を引き離すことになった。
サラエボに戻ることも出来ず、しかも家族がいる
故郷サラエボを攻める勢力の敵軍、
セルビアのチームを率いて監督を続けた
彼の苦悩は計り知れない。
「サッカーとは私の人生だ。人生からは逃げられない。」
という言葉はこうした体験からくる悲壮な覚悟の言葉でもある。
彼の言葉は非常に物事を現実的に捉えているが、
ただ悲観することなく希望があることを教えてくれる。
ある一人のサッカーの監督の言葉としてでなく、
そしてサッカー、スポーツ興味あるなしに関係なく
全ての人の胸に響く
リアルなこのオシムの言葉を1人でも多く知ってほしい。
それぐらい重みのある厳しくも優しい言葉がここにある。
●大事なことは、昨日どうだったか、明日どうかではなく、一日一日を大切にすること。
●何もしていないし、何もしようとしていない。何かをやろうとしなければ、何も起こらない。
●「(今日の試合の感想をお願いしますという言葉に対して)何をお願いするのですか? ここは教会ではないので、何かをお願いするのはやめてほしい。私が何かを言うのを待つのではなく、まずは記者のみなさんが考えてほしい。私が逆に聞きたいぐらいだ。私は何が起こったか全部知っている。」
●「君たちは何か勘違いをしている。自分だけが良い生活をして、良い車に乗っていれば良いということは絶対にない。サポーター・街・市原市・千葉市のためにも最高のプレーをみせないでどうする。」
●「ゲームに負けることはある。ただ負けるにしても自分たちのプレーをやりきって負けるのと、そうでないのでは大きな違いだ。」
●クリスマスも近いですが、まずクリスマス以前に実際ヨーロッパでは長い間ちょっとした戦争が起こっていました。例えばそれがアフリカでも起こっていて、クリスマスから子供達はすごく離れた存在にあった。もちろんクリスマスが出来る環境であって欲しい。そして日本に生まれたということは、戦争から今はかけ離れている。それはすごくすばらしいことですし、ある意味運をもっていたということもあるでしょう。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんに見守られて日本でサッカーをしていて、将来的にサッカー選手になれる子どもたちもいるでしょう。そうじゃない子どもたちもいるかもしれないけれど、みんなが幸せであってほしい。
●サッカーは戦争ではない。政治がスポーツに悪影響を及ぼさないことを、強く願う。
●「たなぼた」という言葉は、母国にはない。ぼたもちが五つ見つかっても、優勝は難しいだろう。可能性があることは知っている。しかし、私は現実を見て話をしている。
●結局、結果を出したいい監督だからといって、別のチームに連れてきても同じように力を発揮するとは限らないわけです。
重要なのは自分の所にいる選手が何ができるかということを見ることなのです。
●ことわざにもあるが、こぼれたミルクは元には戻らない。
列車は行ってしまったのだ。ただ、こういった経験を覚えておき、ミスを繰り返さないことが大事。
●サポーターの皆さんに分かってほしいのは、サッカーというのは人生と同じであって、必ずしも自分の思った方向に物事が動くとはかぎらない。勝つこともあれば負けることもあるのだ。勝ちだけを望むサポーターであってほしくない。このフクアリで、ジェフの新しい文化が生まれることを期待している。
●日本は裕福な国だし、逆に貧しい国もある。しかし、環境の違いはあっても、スタジアムに来れば自分が大声を出して熱狂できるものがある。特に、近代サッカーというものは自分の生活の次に大事な要素になりつつある。 だからこそ監督やスタッフ、スポンサー、そして観客と、チームにかかわっている人間が一体にならなければならない。そういう意味で私にとってはサッカーが宗教であり、スタジアムが教会なのかもしれない。世界中に有名な教会があって人々がそこに集まるけれど、その数よりも有名なスタジアムのほうが知られているんじゃないだろうか。
●日本の長所は、あくせく、すばやく動き回れる点だ。体が小さい分、ぴったり厳しいマークにつくこともできる。日本人としての特性を、自分たちのやり方で生かさねば、もったいない。体の大小や、肌の色など関係ない。知恵と工夫次第では、弱点を利点に変えることもできる。だからサッカーは、おもしろいのだ。
●骨折したら試合に出てはいけないのかい。何なら骨折したことにメダルでもあげようか(笑)。
●メンタリティーというものは、勝った、負けたで、落ちたり上がっていくようじゃダメ。自分がずっと暮らしていく、毎日戦っていく中で、いつも持ち続けていなければいけない。
●人間というのは本質的に一般階級から抜け出したい、上に行きたい、という気持ちがある。それを実現しかけているのだから、その分もっとやってやろうという気持ちがあって当然だ。それがいまいる立場を「逆転」することでもある。 試合に負けた後、ロッカーに戻ると、みんな帰る準備をしていて、誰も言い合ったり、負けたことに対して話し合う人間がいない。結局監督が言うしかない。誰かがミスした人間に文句を言うとか、そういうことがまったくない。オレは負けたときは寝られないし、買い物に行ったりなんかできない!オレはこのチームを一つ上に上げるためにやっている、それをやっている選手がついてこなければしょうがない。
●実際に選手が何かを学ぶなら、勝ったときより負けたとき、敗北から学ぶことが本当に大きい。勝つことからは学べないことがある。ここ何試合かいい試合をしていたが、負けから学ぶことがある。
●疲れていて神経質になっているときこそ、自分をコントロールすることが大事なのだ。今、彼らの人生は一気に変わっている。彼ら自身も一生懸命やっているが、もう一回り大きくなるためには、プレーだけではなく人としてのふるまいなど、すべての面で頑張っていく必要があると思う。
●心理的な動きというものは必ずあるもの。だからこそ、そこで落ち着いてプレーすることが重要になってくる。自分たちの方が強い気持ちをもてれば、落ち着いてプレーすることが出来るだろう。いつものような気持ちでいつものようにプレーする。冷静に!!
初心に戻ろう。走ることを忘れるな!走ることの出来ない選手は、ボールを受けたくないから隠れているのと同じ。気持ちで負けているという事。走るというものはそういうものだ!!
●(記者会見を終えて)
もう質問がないということは、皆さん、試合に満足していただいているということですね。
(さらに去り際に)
このように質問が少ないときは、いい試合か最悪の試合ということです(笑)。
●監督は観客ではない。観客とは違う視点で試合を見ている。選手たちもそれを知るべきだ。新聞記者がいいプレーだと書き立てたり、観客が拍手しても、監督は別の視点から見ている。
正直、記者の皆さんやサポーターといった第三者的な立場の人は、監督よりも物事を正しく見ているのかもしれない。なぜなら観客席の上のほうから見ているのと違い、私はベンチで平面で見ているだけだからね。だけど、監督のほうが正しいというときもあるということを覚えておいてほしい。
●練習でできなかったことがゲームで出来るようになるはずがない。人生も同じ。日々の生活でのことが重要なときに必ず出てしまうもの!
●攻撃的ないいサッカーをしようとする。それはいい家を建てようとするのと同じ意味。ただ、それを壊すのは簡単です。戦術的なファウルをしたり、引いて守ったりして、相手のいいプレーをブチ壊せばいい。作り上げる、つまり攻めることは難しい。でもね、作り上げることのほうがいい人生でしょう。そう思いませんか?
●どこで何が起こるかわからないもの!人生とはいつも危険と隣合わせだ。サッカーも同じだ。
●勝とうという気持ちが山をも動かすことも出来るってことをこのゲームで見せて欲しい。
まず自分たちを信じ、そして相手を尊敬すること。だが相手を恐れてはいけない。
●夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう?
●サッカーはひとりの人間がすべてを知っていることはあり得ません。他人の意見も尊重するべきです。その意見が良くても悪くても、尊重するべきです。他人の意見を聞けないような人間は、必要ありません。人間は他人を尊重できるという面で、ロバよりは優れているでしょう。
●誰かを「不要だ」などと言う人間は、いつか自分もそういう立場に陥るようになる。人生とはそういうものだ。その時、自分はどう感じるか、考えてみるがいい。ただ中田英を含めた、海外組に一つ、注文がある。外国のリーグやクラブで見たこと、聞いたことを自分の中で消化するだけではなく、母国に持ち帰って広めるべきだ。そういう先駆者の自覚と行動も、日本サッカーの質を上げる原動力の一つだから。
●監督というものは、常に何がうまくいっていないかを探さないといけない。私はブラシのようなもの。常にホコリをはらうことをしないといけないのだ。
●記者の皆さんは失望しているかもしれないが、ということは私はもっと失望しているということ。
でも人生はこれからも続くよ。
●私にとって、サッカーは人生そのものだ。人生からは逃げられない。
●私の人生にサッカーは欠かせない、だから昨日も試合(チャンピオンズリーグ準決勝)を見ていたし、サッカーを選んだ。人生において結婚もしたし、子供もできた。数学の教師になる道もあったが、サッカーがあって、今がある。友人にはサッカーはサッカー、プライベートはプライベートと分けている人もいるけど、私にとってはプライベートもサッカー。お金ができて家内と旅行に行っても、結局サッカーを見に行ってしまう。でもそれが私の選んだ人生だし、いい人生だと思っている。
●人生は常にスタートではない。過去から物事が連結して、ずっと続いているものなのだ。いきなり落ちたり、いきなり上がったりするかもしれない。それはわからないが、ただ言える事は、常に上にはいけないということだ。
●「私の国の言葉で『こんにちは』をドバルダン(dobar dan)という。いわゆる『良い日』だが、常に毎日が良い日とはかぎらないですよね。
●「やったことが返ってくるのが人生というもの」
●選手のメンタリティを変えるには、監督だけでなく周囲の人々による力も必要なのです。
●本当のファンというのは、いいときばかりではなく、負けたりしても足を運んでくれて、応援をしてくれる人を指す。そういう意味では、ファンもチームが何をできるかしっかり見極めてほしいい。決して負けたり引き分けたりしたいわけではないのだ。なぜ、そのような結果になったのか、現実を見つめてほしい。
●サッカーというものは紙に書いてすべてを説明できるものではない。いろいろな 情報やビジョン、
アイデアがあり、それらが全部混ざって成り立っているものだ。
●人生は100年も続かない。選手のサッカーキャリアなど短いものだ。その短い選手生命の中で、
何か歴史に残ることをしよう。
●日本人コーチに即興性、柔軟性、創造性が欠けているから、選手にもそれが欠ける。コーチが本や紙を
見ながらやっているうちに選手には違う現象が起こっている。その現象を見てコーチが判断する。サッ
カーはそういうスポーツ。コーチが変わらないと選手は変わらない。(中略)創造性に欠ける指導者は
ヨーロッパにもいる。そういう指導者からは、創造性に欠ける選手しか生まれない。
文化、教 育、世情、社会に左右されることはよくない。サッカーは普遍的なもの。そして、 常に変わって
いくからコーチも常に変わっていく必要がある。
●監督には監督の視点があり、選手にも選手なりの
視点がある。だけど両者の考えがあまり開いてはダメなので、自分がやろうとしていることと、選手たちが
できることをしっかりと分析してすり合わせる。そのなかで選手たちに自由を与え、自分たち自身で試合を
クリエートできるようにしてやる。その過程で、選手たちを信じることが監督として一番大事なことだ。
●日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。これは危険なメンタリティーだ。受け身過ぎる。
フットボールの世界ではもっと批判に強くならなければ。
●日本では選手が気楽過ぎるんだよ。プレーし、勝つ。もちろんオーケー。プレーし、0-3で負ける。
オーケー。プレーし、0-8で負ける。それでもオーケーなんだ。何をやっても周囲から批判される
ことがない。
●どの選手に対しても、常に満足することはない。なぜなら、満足してしまうと成長が
止まってしまうからだ。
●監督は選手一人ひとりの思いをしっかり把握しておくことが大事。私は彼らが変わろうとする
手助けをするだけ。重要なことは選手に『もっとできる』と思わせること。
●コーチが変わっても、やることは変わりません。ジェフはジェフです。監督、選手、コーチが変わっても、「ジェフ」というチームは続いていきます。誰がいなくなっても、ジェフは続きます。たとえスポンサーが撤退しても、サポーターが残っています。みんなで話し合ってジェフは続いていくでしょう。
●とにかく、ここ(ジェフ)には一緒にやってきた人たちとのいろんな交流があり、積み上げてきたものがあります。だからこそ、私はここで監督を続けることを決めたのです。
●私は心のどこかでまだ、友愛と共存を信じていたかった。サッカーとサラエボの両方への思いの中で気持ちは揺れていましたが、他にもう手の打ちようがないと思った時に身を引くことを決意しました。戦争の始まる数週間前に、サラエボで代表の最後の親善試合を行いました。あの時は満員のスタジアムでサポーターから近年にないものすごく熱い応援をもらった。今までにない平和なムードに驚くほどでした。今、思えば、それは多民族が平和に共存する国家への最後のラブコールだったのではないかと思います。平和を求めるあの時の人々の柔和な表情を私は忘れることができない。
●ぜひ試合を見に来てください。そこではきっと、素晴らしい出来事が待っています。
posted by ブラウンシュガー |22:17 |
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