2007年04月07日

立石諒  ネクストジェネレーション2

「いやぁ、スタートで失敗しちゃったんですよ。」
立石諒は、目が合うと、開口一番、悔しさをにじませて話し始めた。
予選をぎりぎりの7位で通過し、北島康介以下、差のない勝負とはいえ、
長水路の日本選手権は、やはり甘いものではないと思っていた。
しかし、予想を裏切るがごとく彼は勝負強かった。初めての日本選手権決勝で、臆することなく歴戦のスイマーたちに臨み、しっかり北島康介の次の椅子を手に入れた。
2分12秒88の2位。
自分の持つ高校記録に0秒55及ばなかったものの、今夏に日本でおこなわれる世界競泳インターナショナルスイムミートの代表権はほぼ、手中にした。
それを知らされると、
「え、本当ですか?やった。」とそこで初めて嬉しそうな表情を見せた。
本人曰く、
「スタートの入水角度を誤り、手首が逆に返るくらいの抵抗を受けた。」
スタートは、陸の高いところから飛び込むため、レースのどんな場面よりも最も加速がついている状態。そこでの失敗は、水中に入ってからの泳速を大幅に減速させてしまうことを意味する。どんな種目であれ、距離であれスタートを失敗するのを選手は最も嫌がる。ゆえに、最も緊張する場面である。
スタートの失敗は、レースにおける精神的動揺も大きい。
「それで、とてもあせってしまった。」
あせりとともに挽回を取り戻そうとして、エネルギーを消耗してしまう。
ただでさえ、スピードが課題と言っていた後半型の立石諒にとっては、スタートでの出遅れという致命的な遅れをとったことになる。
100mをターンして浮き上がると、立石諒のピッチは見るからに速くなった。北島康介が、定番の逃げ切りパターンを図ろうとするのを猛烈に追いかけ始めたのである。100mから150mまでのラップタイムは33秒34。
これは北島康介のラップを大きく上回っている。これを伝えると、
「え、そんなに速かったんですか?」と言って、彼は、目を丸くさせた。
いつもであればここは最後のスパートのためにじっくり温存するところである。この早いスパートに、一瞬、驚かされたがそれも、結局は、
「あせりからだったかもしれないです。無意識だったし、意識してあげたつもりはない。」
というように、スタートでの失速が彼に強いあせりを与えたことを物語っている。
最後の50mは、さすがにいつものスパートは見られなかったが、後続の追い込みを粘り強く、振り切って2位でゴールに飛び込んだ。
結果として、「無意識」でかけた早いスパートが、功を奏した形となった。
このアクシデントがありながらも、2分12秒88で2位に入るというところに、まだ、底知れぬ力が彼にはあるのだと確信させられた。と同時に、
立石諒に対する期待はより大きいものとなった。
では、このレースで、逆にこれでもっといけるという確信がもてたんじゃないか?そう投げかけると、彼は、
「たしかにそうですね、自信にはなりました。」
と、目に力を入れて強く言い切った。
「緊張はなかった。かえって、びり残りで気楽に臨めた。」と語ったが、
今回のスタートの失敗にはやはり、どこか気負いや緊張があったのではないかと思う。それが日本選手権であり選考レースの難しさである。
それでも、立石諒にはそれにも打ち克つ強さを、持ち合わせていると、思わされるレースでもあった。そして彼本人にとっても、また学ぶべきことが多くあったレースにもなったはずだ。彼はまだまだ成長し続けていく。
この夏、立石諒は、いよいよ世界デビューする。ネクストジェネレーション、高校生3年生。湘南ボーイの立石諒を、ぜひ、お見逃しなく。

posted by ブラウンシュガー |04:20 | 水泳 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2007年03月27日

パク・テファン 17歳のコリアン・マリンボーイ

 世界水泳の競泳初日は、パク・テファンという一人の韓国人の若者によってセンセーショナルな幕開けとなった。
水泳を良く知ってるオーストラリアの観客は信じられない光景を目の当たりにすることになった。
男子400m自由形決勝。
多くのオーストラリア人をふくめ、スタンドの観客は、350mのターンまで終始、先頭を泳いでいた自国の英雄、長距離王者グラント・ハケットの予選8位からの劇的な優勝シーンを思い描いていたはずだ。その期待を、韓国の17歳の若者が、もろくも打ち砕いたのだ。
パク・テファンのラスト50mで3人を一気に抜き去ったあの凄まじいラストスパートは、水泳関係者でも、にわか信じがたい驚異的なものであった。ラスト100mのラップタイムは53秒91。これはアテネオリンピック200m自由形で優勝したイアン・ソープの後半の100mとほぼ同じである。
水泳後進国といってもいい韓国から出てきた17歳の若者が成し遂げた偉業の大きさと、あのカミソリの如く元世界王者ハケットやオリンピックメダリストを切り裂いたラストのスピードに、レースが終わった後も、私はその衝撃に、しばらく開いた口が塞がらなかった。
やはりというか、ついにというべきか。いやいや、いずれは世界の頂点に登りつめるべき逸材だとは確信していたが、まさかこの世界水泳で、早くも実現してしまうとは思いにもよらなかった。
06年パンパシフィックで韓国男子自由形で初のメダル獲得。続くアジア大会でアジア人、初の1500m、14分台突入。
どれも韓国から出てきたこの若者の未来に大きな期待をふくらませるものだった。しかし、それは数年後という仮定の話であり、韓国、またはアジアというスケールの中での話であった。誰も、パク・テファンが1年後に世界の頂点に登りつめる姿はイメージできなかったはずだ。
くしくも、去年、電撃引退をしたこの種目の世界記録保持者、イアン・ソープも初めて世界の頂点に立ったのが、オリンピック前年の世界水泳で年齢も同じ17歳だった。
イアン・ソープは、その勢いで翌年のシドニーオリンピックで爆発。400m自由形を世界新記録で優勝し、以後、引退するまで王者として君臨した。
今回のパク・テファンにも、イアン・ソープが初めて世界水泳を制した時に似た衝撃を受けた。彼は「アジアのソープ」になり得るとは思うが、微妙に適正種目が違う。イアン・ソープが200、400mを得意としたのに比べ、パク・テファンは400、1500mが適正種目である。パク・テファンは心肺機能、持久力が高く、イアン・ソープより絶対的なスピードは劣るが、200mでも世界で勝負できるスピードは持ち合わせている。ここが、従来の長距離選手と違うところであり、ラストのカミソリスパートが武器となっている所以である。
泳ぎはエネルギー効率が非常に低く無駄がない。上下動ももちろんだが、横のぶれも少ない。とても平べったく泳ぐのが彼の特徴だ。そしてどんなにスピードが上がってもそのバランスが崩れないところが、彼の素晴らしいところである。ボディバランスもいいが、ラストスパートで存分に発揮されるキックの強さが、この泳ぎの大きな支えとなっている。
そして彼のさらに優れている部分は、17歳とは思えないほど、知的で精神的に成熟していることだ。大偉業を成し遂げたにもかかわらず、本人は周囲が驚くほど冷静にレースを振り返り、おごることなく淡々と次を見据えている。
「優勝したことはびっくりしているし嬉しい。レースは200mを過ぎて一度、スパートをしようと思ったけど周りのペースに合わなかったので自重した。この2年で国際舞台で経験を積んできたので、精神的なコントロールも、ペースのコントロールも分かってきた。来年のオリンピックでは、自分の足りない部分をさらに補完しなくてはならない。コンディションの調整も非常に大事になるでしょう。」
あまり知られていないが、彼は2004年のアテネオリンピックで400m自由形に14歳で出場している。このレースで緊張のあまりスタートでフライングをし、失格という苦々しい経験をしている。あれから3年。まだあどけなさは残るが、身も心もそして泳ぎも大きく変貌を遂げた韓国のマリンボーイは、あっという間に世界のトップに躍り出た。イアン・ソープの世界記録にはまだ4秒離れており、これを塗り替えるためには、絶対的スピードのアップが必要ではあるが、それすらもこの17歳には、乗り越えていけそうな可能性を感じる。1500mはもちろん、来年のオリンピックでどこまで飛躍していくのか想像するのが今から楽しみでしょうがない。韓国のマリンボーイの泳ぎに、世界は再び、驚かされるであろう。

posted by ブラウンシュガー |01:26 | 水泳 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2007年03月15日

立石諒 ネクストジェネレーション

「いつかはガチンコで勝負したい。」
北島康介の短水路高校記録を6年ぶりに塗り変えた湘南育ちの高校2年生は、泳ぎ終わった後に、涼しげな眼差しで淡々と語ったが、放った言葉には力が込められていた。そこには、やがては北島康介に勝ちます。という明確な意思表示が見てとれた。
この高校2年生の名前は、立石諒。彼の名前が、全国区となり、注目を浴びたのは2006年10月、兵庫でおこなわれたのじぎく国体。200m平泳ぎで、北島康介の持っていた長水路高校記録を6年ぶりに、しかも1秒以上も更新したことだった。さらに、驚くべきは最後の50mのラップが32秒台という世界大会でもお目にかかれないラストスプリットだったということ。これは北島康介、現世界記録保持者のブレンダン・ハンセンをもしのぐものである。
立石諒は、4歳から水泳をはじめたが、すぐに頭角を表したわけではない。中学時代までは、全国大会に出ても、決してスポットライトを浴びる存在ではなかった。しかし200mでいうと、中学3年から高校1年で約5秒、高校1年から高校2年は6秒と、2年間で11秒を短縮してきた。この急激な成長には目を見張る。2年前までは、全国中学でようやく決勝に残れるレベルの選手が、今回のジャパン・オープンで100m2位、200m3位と、一気に北島康介の次に高い表彰台を占めるまでになった。
しかし、本人はあくまで謙虚で、そして貪欲だ。
「尊敬する選手は、北島選手、今村選手。まだまだ力は及ばないと思っています。今回も二人からいろいろ学ぼうと思って泳ぎましたし、学べることはどんどん吸収したい。」
今後の課題としては、スピードをあげた。
国体のレースが示すようにラストには絶対的な自信を持っている。さらなる高みを目指すのなら、ベースのスピードを引き上げるということである。今回、10歳から立石諒を見続けている薩摩コーチは、「50、100、200で全てで高校新記録」をテーマにジャパンオープンに臨んだ。その目論見は果たせた。
一年後は、北京オリンピックが控えている。薩摩コーチ、立石諒、二人に同じ質問をぶつけてみた。
「北京オリンピックは狙っているのか?」
答えは二人ともはっきりとイエスだった。
立石諒は、時折見せる高校生らしい笑顔を除けば、クールで物怖じしないスマートなスイマーである。しかし内に秘める闘志はとても熱く強い。性格的にも泳ぎも北島康介や今村元気と違ったこの高校2年生の存在には、とても興奮させられ、魅力を感じずにはいられない。
「僕は、緊張したことがない。」
堂々と言い放った姿が、とても頼もしく映った。
そこに、日本の次なるエースの匂いを感じた。湘南育ち、平成生まれの超新星、立石諒から目を離すな。

posted by ブラウンシュガー |22:34 | 水泳 | コメント(1) | トラックバック(0)
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2006年09月07日

オシムの本音

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=83242&media_id=2 

 試合終了とともに、大きいため息をゆっくり一つ吐き出したオシム。これが記者会見ではあらゆる言葉をつなぎ聞き手をはぐらかしては本音を語らない彼の心中を表わしていたのではないだろうか。 
ということでオシムが決して表には言わないだろう気持ちを私見もまぜてコミカルに想像してみました(笑) 

以下、オシム監督 
『ふー。やれやれ。正直、勝ててホッとした。こういう試合は心臓に良くない。ただでさえここは、酸素が少ないというのにね。しかし、このチームはいつからオオクマのチームになったんだい?まるでオオクマが監督みたいだ(笑)私はもうあんなに大きい声は出せないから助かるがね。ただ、私の指示を一言一句ちゃんと伝えてくれているかが心配だが(苦笑)とにかく状況を考えると今日の勝ちは色々な意味において大きい。選手にとっても、私にとってもそれと日本のメディアの皆さんにとっても。私にはもう見出しが見える。私の名前と我那覇の字が躍っているだろう。我那覇に最後に競りながらヘディングで落とした巻や、巻にセンタリングをあげた坪井のことは書かれないだろう。とくに坪井はこれ以外にも今日はいい仕事をした。もっと彼のことを書いてもいいのではないだろうか。アジアサッカー協会に劣悪な芝生のことを訴えたいが、日本の放送局の方にも言いたいことがある。私のインタビューの尺の時間を多めにとるということだ。私はかなりしゃべるからね(笑)私のインタビュー時間を前もってとっておくことだ。そうしないと放送時間内に私のインタビューだけで終わってしまい選手のインタビューがとれないことが起こりえる。ぜひ、気を付けていただきたい。ふー、酸素が少ないところでたくさん話すとのどがカラカラに渇いてくるから今日はもう帰るよ。今日は勝ったんだから選手と一緒のバスに乗って帰りたいからね(笑)おい、水をくれないか。何?さっき試合中にあなたがペットボトルを叩きつけたからないだって?そうだったか。何だって?こぼれたミルクは元に戻らない?そうだったな。では、ホテルまで我慢しようか。(立ち上がって帰ろうとするがこちらを振り向いて)そうそう、メディアの皆さん。もうオシムジャパンというのはやめてくれないか?仮に私の息子が日本代表の監督になったら何と呼ぶつもりなのかな(笑)それでは。』 

と思ってるかどうかは知らないが、少なくともオシムも今日の勝利には胸をなでおろし多少は喜んだに違いない。 

posted by ブラウンシュガー |03:13 | サッカー | コメント(7) | トラックバック(1)
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2006年08月25日

10年分の思いをこめて第5章 伊志嶺監督と島っ子たち 八重山商工野球部

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 離島、石垣島からやってきた八重山商工はこの夏、甲子園に新たな風を送り込んだ。3試合ではあったが、八重商の繰り広げた野球は日本全国の人たちの心を捉えるには十分であった。もう一度見たい。もっと見たい。八重山商工というチームにはそう思わせる魅力がある。その結果、甲子園ベスト8を基準に選考される国体出場校に3回戦敗退ながら選出され、そして今回、甲子園で活躍した選手で構成される日米野球遠征の日本代表に金城長靖が選ばれた。これもベスト8以下のチームでは金城長靖以外では愛媛・今治西の宇高幸司のみしか選ばれていない。
 
 金城長靖は身長は170センチしかない。しかし投手、内野手、外野手をこなすことができ、ピッチングはエース大嶺祐太にひけをとらない140キロ超の速球を持ち、バッティングでは左右両打席でホームランが打てる長打力を持つ。これだけでも十分、稀有で魅力のある選手だが、何より気持ちを前面に出しぶつかっていく伊志嶺のいうところの「魂の入った」野球をする選手で精神的にも非常にタフな選手である。金城長靖のこうした資質は伊志嶺野球を最も体現していて八重山商工の象徴ともいえる選手である。今回の甲子園でもエース大嶺の調子の出ない場面では代わってマウンドにあがり幾多のピンチを防ぎ、打っては試合を決定づける場面でホームランを放つなど八面六臂の大活躍を見せ、八重商躍進の立役者となった。
 負けん気が強くぶっきらぼうな面を持つとも言われる金城長靖だがチーム、仲間を思いやる気持ちはひと一倍強い。彼の一面を表わすこんなエピソードが今回の甲子園にある。一回戦、今ひとつ調子の出ないエース大嶺を見て伊志嶺は迷わず大嶺をマウンドから降ろした。金城長靖が代わって投げたが、彼には肩をがっかり落としている大嶺の様子が気になってしょうがなかった。「やっぱりウチのエースは祐太(大嶺)だ。最後はあいつに投げてもらうのがチームにとっても一番。」
そう思った金城長靖は9回、最後の守りにつく前、大嶺に近づいていった。
「祐太、監督にもう一回、投げさせてくださいって言いにいってこい!」そう言って大嶺の背中を強く押した。
「お前、ちゃんと責任とれるんか!とれるんだったら投げてこい。」
伊志嶺は大嶺を叱責したが再び、マウンドに戻ることを許した。大嶺は最後の1イニングを全力でそして気持ちを込めて投げて抑えた。
 自分の自我や活躍よりチームのため、仲間のため。これは伊志嶺が10年間、選手に説いてきた教えでもある。冷静にチームを見渡し自分を抑えるが意見を主張しなくてはいけない時はしっかり主張し選手を鼓舞して引っ張っていく。金城長靖とはそういう選手である。
 今回、投手で日本代表に選ばれた金城長靖だが、彼はどうやらバッティングのほうが好きなようだ。
「投手は斎藤もいるし田中もいる。すごいピッチャーばかりじゃないですか。
投げる機会がないんじゃないかな。いざ投げるとなったらそりゃ、全力つくすけど(笑)それよりもバッティングでアピールしたいですよ。」
そう言って彫りの深い石垣の島っ子独特の濃い顔を少しくずして照れ笑いを浮かべた。
ピッチャーもやるけど俺の本職じゃあない。大嶺を差し置いて投手で選ばれるなんて参ったなというのが金城長靖の本音といったところだろうか。
 自分の自我、活躍よりチームのため、仲間のため。

 注目は断然、斎藤佑樹、田中将大にいくだろう。ただもう一人注目してみてはいかがだろう。
褐色の肌に濃い顔をしてふてぶてしく気持ちを前面に出して相手に向かっていく他の選手とひと味違ったきらめきを放ってプレーしている選手がいればそれは間違いなく金城長靖である。そして彼のプレーを見ていれば自分の心が揺り動かされるのを感じ、斎藤佑樹や田中将大とはまた違った魅力に気付くことだろう。
 

posted by ブラウンシュガー |22:11 | 野球 | コメント(4) | トラックバック(1)
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2006年08月22日

北島康介 王者の焦燥とプライド カナダで見せた笑顔

 「ちょー気持ちいい」とはいかないが、パンパシフィック大会を終えた後の北島康介は実にすがすがしい表情を見せた。こんないい顔をした康介を久々に見た気がする。
 アテネの栄光から2年。康介を待っていたのは苦悩の連続であった。度重なる肘、膝の故障。それにともなって怪我の影響からか体のバランスを悪くし結果、泳ぎのバランスも崩していった。康介の中で、好調時の泳ぎのイメージが描けなくなってきていた。
 競泳に限らないが、選手は自分の理想のフォームというものを持っている。
まず自分の中でベースにあるのは自分が最高の結果を出した時の泳ぎ。そして自分が作ろうとする泳ぎ。選手は常にそのイメージを描き、トレーニングを通じて体で思い出す、あるいは覚えさせる作業をするのだが、康介はそのイメージがつかめないまま、自分の幻想と追っかけごっこしながらこの2年を過ごしてきた。特に水泳は水が媒体で自分の体はもちろんだがに水と向き合っていかなければならない非常に繊細な感覚を必要とする競技でちょっとした感覚のずれが自分の泳ぎに大きく影響する。ここが陸上競技との大きな違いでぱっと見ではわからないが競泳のしかも世界トップレベルの選手はそうした水の感覚と常に試行錯誤しながら戦っている。自分でも経験あるのだが、いいイメージが作れなかったり、イメージにフィットした泳ぎができないと、とてももどかしく苦しい。そのような時はレースでも大概、いい結果は得られない。康介もこうしたいやそれ以上の苦しみとオリンピック金メダリストになって勝って当たり前というプレッシャーも相まってそれがずっと2年間続いていた。
 4月の日本選手権でもその呪縛を振り払うことができず今回のパンパシフィックで再起をかけてトレーニングを開始したが肘、膝の痛みは癒えず、6月には肺炎で入院も余儀なくされた。そのため海外高地合宿に参加できず、これまで康介にとって決して欠かせないパートナーであった平井コーチとも初めて離れた。国内でのトレーニングもままならないまま、パンパシフィックを迎えることは大きな不安となって康介を襲った。周囲ではパンパシフィック欠場の声も上がり始めたが、康介は現実を見つめて開き直った。
「すごい不安にもなったし苦しかったけど、数少ない国際大会に出て行かないと前にも進めない。出ないことよりやるだけのことをやって出たほうが悔いも残らない。」
 北島康介という男は開き直った時は強い。難しく考えるよりシンプルに本能にまかせて泳ぐ。そして追い込まれてようやくその本能にスイッチが入る。今回も普通に考えればいいタイムが出る要素はどこにもなかった。過去でここまで悪い状況もなかったが、康介はこの大会で自力で這い上がった。
 今回、自信を呼び戻したのは200mでの泳ぎだろう。2年前のアテネ以来、一番ベストに近いタイムで泳ぐことができた。本人も「200mに合わせた練習をしてきた。」と言うとおり、久々に北島康介らしい彼独特の大きな伸びのある泳ぎが戻ってきた。一時は「200mを泳ぐのが怖い。」とまでこぼしていただけに、この200mの康介の泳ぎに一寸の光明が見えた。
 2年前のアテネで康介にひれ伏したブレンダン・ハンセンは昨年の世界水泳で2種目制覇し今年は世界記録を塗り替えた。立場は逆転したが康介の思いはひとつだ。
「こうなったらオリンピック男になるしかない。」
オリンピックで勝てればいい。いやオリンピックでは絶対勝つ。
有言実行男、北島康介の決意表明でもある。
 200mを泳ぎ終え、ミックスゾーンに戻ってきた康介は呼吸をはずませながらハキハキと力強く話し始めた。
「ハンセンとはずいぶん離されちゃったね。でも今度は追う目標ができたわけだからその目標を見失わずしっかりやっていきたい。」
そう話す康介の目つきは鋭かった。表彰台でオリンピックでも見せなかった充実感にあふれた笑顔を見て少し安心感を覚えた。はきはきとした話し方、目つきの鋭い表情。そして戻ってきた笑顔。あの強い時の康介と同じであったからだ。試合の最後でようやく見れた彼の笑顔を見て、康介は何かを掴んだという確信を感じてとれた。
 オリンピック王者に神様は試練を与えた。しかし、この試練は康介を成長させることになった。強い北島康介が戻ってくるかもしれない。ひと皮むけた北島康介がさらなる進化を求めて第2章のページを開いていく。
 康介の中で最後のページには、はっきりと北京オリンピックで勝つと書かれているに違いない。
 

posted by ブラウンシュガー |03:52 | 水泳 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年08月21日

王貞治の後輩 早実ナインの合言葉第2章  青い炎を持つ斉藤佑樹

「こうなったら僕も男ですから。」
涼しげな端整なマスクと淡々と語る口調から滲み出る闘志。決して表には出さないが、誰よりも負けずぎらい。そのためにはどんな努力も厭わない。そして自分に決して妥協を許さず勝利に異常な執着心を持つ。斉藤佑樹とはそんな男である。
 球史に残る決勝戦、駒大苫小牧との延長15回178球を投げ終えた後もトレードマークにもなった青いハンカチで額を拭いながら静かな口調で語り出した。
「田中もやっぱりすごいピッチャーだと思ったけど僕も一緒にやり合えるとこまできた。こうなったら最後は気持ちの問題です。今日できなかった完封をしたい。リベンジはまだ終わってない。明日勝つことがリベンジだと思っています。」
リベンジ。早実ナインが合言葉のように使うこの言葉は春のセンバツからだ。早実はセンバツでも2回戦、関西高校(岡山)と延長15回を戦い、決着がつかず再試合。4-3で再試合をものにはしたが、次の横浜高校戦では余力は残っていなかった。このセンバツで優勝した横浜高校に敗れ、力の差を感じた。センバツの屈辱を晴らそう。この思いひとつで夏に向かってきた。「全ての面でレベルアップ」を目指し、斉藤佑樹は球威をつけるために今までのフォームより重心の低いフォーム改造に着手し下半身を強化。気づけば体重は5キロ、急速も140km/h前半から149km/hまで増し、「スタミナもずいぶんついた。」というように半年で急激にレベルアップを果たした。全ては春のセンバツでの悔しさを晴らす思いからである。
 もうひとつ早実ナインには悔しい思い出がある。昨年11月の明治神宮大会準決勝、駒大苫小牧との試合。結果は3-5で敗れたが何より田中将大に手も足も出なかった。3三振に終わった川西は
「あの場面は今でも忘れられない。あのスライダーを打たないと全国制覇はできないと思った。」
主将の後藤も
「あれから田中をイメージして素振りをするようになった」
というようにバッティングにおいては駒大苫小牧、田中を打ち崩すことを目標に練習をしてきた。早実ナインにとっては願ってもない舞台が決勝で実現したのである。
 センバツの屈辱を晴らすためにの思いで勝ち上がってきた早実の前に最後に立ちはだかったのは奇しくも駒大苫小牧、そして田中将大であった。この田中を打ち崩すことが悲願の優勝に結びつくことは誰もが分かっている。
「再試合では打って斉藤を助けたい。」という桧垣の言葉が早実野手全員の思いだ。
 斉藤佑樹は冷静にそして力強く言い切った。
「再試合は経験したからどういうイメージで戦っていけばいいかは分かっている。」
 通常練習が終わり自宅に帰るのは午後11時過ぎ。そこから数時間、勉強のため、机に向かうことも少なくないという決して妥協を許さない男は何が何でも優勝も譲らないつもりだ。
 早実・和泉監督も
「再試合は総力戦でいく。ただ、あの緊迫したプレッッシャーのかかる大舞台で投げられるのはウチには斉藤しかいない。」
と斉藤に全ての命運を託した。
「もう1試合、多く戦えるのは嬉しい」
と最後に白い歯をわずかに見せた斉藤佑樹が、青いハンカチと内に宿る冷徹な青い炎を携え、最後のマウンドへ上がっていく。 
 「王さんのために、春のセンバツの屈辱を晴らすために」
早実ナインは最後までこの合言葉を胸に戦ってきた。
夏の甲子園アルプススタンドにも再度響く、早大応援歌「紺碧の空」はこう唄う。
 すぐりし精鋭闘志はもえて 
 理想の王座を占むる者我等
 早稲田 早稲田 覇者 早稲田

理想の覇者となるべく早実ナインが世紀のそして最後の決戦に挑んでいく。オフホワイトにエンジ色の「W」マーク。
その「W」がWINNER(勝利者)のWとなるか今日、全てが分かる。
 

posted by ブラウンシュガー |07:43 | 野球 | コメント(3) | トラックバック(4)
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2006年08月18日

水上の甲子園  競泳インターハイ

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=73833&media_id=4 

 今日までのインターハイの結果を見ていると1、2年生の活躍が目立ちここ1年で急激に力をつけた伸び盛りの選手が多く見受けられます。コメントなどを聞いていると1年生でも全く物怖じしていない様子が伺え近年の若い選手のメンタル面の強さと勢いを強く感じます。記録的にも女子200m平泳ぎで1、2位の金藤選手や村上優海選手、女子200m個人メドレー優勝の中村咲子選手などの記録は、現在、同時にカナダで行われているパンパシフィック大会の日本代表の選手と遜色がなくパンパシフィック大会でも入賞出来得る好タイムです。ただそれ以外の種目では昨年に比べ低調な面は否めず、現在、史上最強といわれる競泳陣の次世代の選手たちの頑張りと3年生の発奮に期待したいと思います。 
  
 自分が1年生の時に出場したインターハイは緊張で何が何だか分からないうちにレースが終わってしまい悔いだけが残りました。一緒に泳いだ3年生はレース前も余裕があり迫力を感じました。逆に3年生の時はこれが最後だという気持ちから練習も身が入り、レースにも集中できるようになりました。結局、試合直前に高熱がでてしまい、いい結果は出せませんでしたが今までにない調子の良さを自分でも感じてそのままインターハイに臨めました。それを考えると現在の平成生まれの子達(自分からみるとこの世代は「新人類」)は普段の私生活から上級生やはたまた大人のコーチにも物怖じしない精神性が競技においてはプラスに活かされているようです。 

 高校生は時期的にも身体面、精神面での成長が著しい時期で周りが驚くほど急激に記録を縮めることもあります。逆に精神面での情緒が激しい時期でもあり、モチベーションの維持が難しく、1年で記録をあっという間に低下させてしまう選手も少なくありません。双方の選手たちを自分は何人も目の当たりにしてきました。記録が低下している選手を見た時にもったいない、コーチはどのように選手に接していたのだろう、自分がコーチであったらどのようにフォローしただろうかといった事を考えました。この年代の選手を指導することは難しいですが、精神面のコントロール、モチベーションの誘導、維持が一番重要かと思います。 

何より、1年間で飛躍的に成長する選手を見ているのはとても楽しみです。先に出た村上優海選手は去年、一緒に国体に出場しましたが、この1年であっという間に全国中学のレベルから日本選手権上位に入るレベルまで成長しました。1年前はここまでの姿を想像できませんでした。それが高校生の勢いであり特徴でもあるというのを実感しましたが、彼女には、このまま順調に育ってほしいと願っています。 

今、世間は甲子園に注目が集まっていますが、大阪では甲子園に負けず劣らず、高校生スイマーの熱い戦いが繰り広げられています。 

選手には悔いのないよう高校生活の全てをレースで出し切ってほしいと願います。2度と戻らぬ青春を無駄にするな!頑張れ!高校スイマー。 

posted by ブラウンシュガー |21:47 | 水泳 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年08月18日

10年分の思いをこめて第4章 伊志嶺監督と島っ子たち 八重山商工野球部

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-16414-storytopic-2.html 

「野球の神様が延長戦を戦えと言ってるかのようだ。」(伊志嶺監督) 

 夏の甲子園、3回戦で敗退した八重山商工が9月に行われる国体出場校に選ばれた。選考基準では甲子園ベスト8と地域のバランスを考慮してとのことだが、高野連会長がコメントした「八商工の試合は甲子園でも大勢の観客を集め、盛り上がりを見せた。県内外のファンがもっと八商工の野球を見たいと期待してくれたことが選出につながったと思う」の通りこの夏、八重山商工の見せてくれた見る者を熱くさせ最後まであきらめない伊志嶺野球が評価された形となった。甲子園で伊志嶺監督と島っ子たちの10年の旅は終わりを告げたかと思われたが、思わぬプレゼントに伊志嶺監督とナインは大喜び。宿舎で吉報を受けた全員の写真がその様子を物語っている。 
「もう一回、日本一にチャレンジするチャンスをもらった。」 
伊志嶺監督は満面の笑顔を見せ語った。なによりもう一度、このメンバーで野球ができるという喜びが伊志嶺監督はじめ、八重商ナインにはある。国体は参加12校。規模は小さく、甲子園に比べて注目は少ない大会だが、そのほうがかえってのびのび野球ができて八重商の力が存分に発揮できるのではないだろうか。 
 強い相手じゃないと本気になれない。という八重商独特の島人精神も強豪校のみが参加する今大会はまさにおあつらえ向きといったところか。とにもかくにも、伊志嶺吉盛と島っ子たちの旅はまだまだ続くことになった。 
 秋の空に伊志嶺監督の激しい掛け声がこだまする。しかし八重商ナインは笑顔で楽しんではつらつと野球をするだろう。 
「まあた、親父が何か言ってるぜ(笑)」 
八重山商工が最後の野球をこのメンバーでできる喜びを噛みしめながら思う存分楽しむ。そんな姿が今から目に浮かぶ。

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2006年08月17日

10年分の思いをこめて第3章 伊志嶺監督と島っ子たち 八重山商工野球部

「とってもすがすがしい気持ち。」
べスト8をかけた智弁和歌山との戦いに敗れ監督、伊志嶺吉盛は自分の気持ちをまずこう表現した。そこにはいつも子供たちを叱り飛ばしていた厳しい顔はなく屈託のない笑顔があった。石垣島で年中、あの甲高い声で選手達を叱責し、鼓舞し続けた。伊志嶺は苦笑いしながらこう語る。
「島の子たちは普段から競争がないからみーんなのんびりしてるんですわ。こどもたちだけじゃない。島のひと全員がですよ。困ったことにこの土地の性格だねぇ。」
選手たちは練習を休んだり、遅刻してくることも珍しくなかった。このままじゃいかん。ミーティングで何度も何度も選手に言い聞かせた。
「お前たちに足りんのは気持ち。センバツでやった強いチームとの差はここなんだよ。最後はどっちが強い気持ちを持ってるかなんじゃ。野球はな、強いチームが勝つとは限らん。勝ったチームが強いんだ。八重商はそういう野球をしたい。だからお前ら、魂をもったプレーをしてくれ。」
 伊志嶺は毎朝4時半、誰よりも早く練習グラウンドに顔を出す。少しずつだが選手たちが練習開始前に姿を現し、自主練習をするようになった。
「朝早く起きて自主練するちゅうのは自分がやりたいと思わない限りやりませんよ。」
他の学校に比べて練習もよくやったが伊志嶺が一番心を砕いたのはこの、のんびりした島人(しまんちゅ)魂にいかに闘争心を植えつけるかだった。そういった意味ではこの夏の甲子園でこどもたちは伊志嶺の描いていた魂の入った野球を見せてくれた。2回戦の千葉経済付戦で見せた9回ツーアウトから逆転勝ちをおさめた試合はまさに気持ちでもぎとった象徴的な試合で多くの人の心を捉えた。
「悔いはない、といったらうそになる。」
この甲子園で投打に活躍を見せ、チームで一番の負けん気の強い金城長靖は素直な気持ちを語った。選手たち全員もそうだろう。だが伊志嶺はめったに褒めない子供達を最後は褒めた。
「選手たちは精一杯やった。いい負け方ですよ。大嶺には100点をあげたい。」
伊志嶺が選手たちに小学校の少年野球からいい続けてきた教えがある。
「負けて泣くな。それはやり残したことがあるということ。」
この日、最後まで投げきった大嶺は教えのとおり、試合が終わると笑顔で整列に並んだ。
「小学校からやってきた仲間と最後にここでやれて良かった。下を向かずに胸をはって石垣に帰りたい。」
みんなが持って帰る甲子園の土も手にはしなかった。
「納得した負け方だったし悔いはないから持って帰りません。」
大嶺は家庭の事情で祖父母の下で暮らし、野球を始めてからは伊志嶺の自宅で住み、父のように慕った。
「自分の息子よりも長いし、まあ、家族みたいなもんですよ。」
と伊志嶺が語れば大嶺は
「監督には・・有難うと言いたい。それ以外に言葉は見つかりません。」
人見知りの恥しがり屋が普段、面と向かって口に出せない感謝の言葉をはにかみながら口にした。
 感謝といえば伊志嶺と選手がともに口にしたのは地元の人達への思い。
「地元、石垣の方たちの協力と応援がなかったら僕たちは決してここまでこれなかった。ほんとうに感謝している。」
八重山商工というチームは地元、石垣の人たちに支えられながら10年間やってきた。その思いはなおさら強い。アルプススタンドでは「ハイサイおじさん」に合わせて指笛が常に鳴り響き、エイサーを踊った。石垣の全島民の気持ちをのせた応援がグラウンドでプレーする選手を少なからず後押ししたのは間違いない。
 少年野球「八島マリンズ」から10年。伊志嶺吉盛と島っ子たちの長くも熱い旅路は終わりを告げた。選手はそれぞれ進学、就職と新たな道を進み、石垣島を離れ、そして伊志嶺から旅立っていくことになるだろう。
「遠回りをするかもしれないけどプロの1軍で投げてその姿を監督に見せたい。それが僕の恩返しです。」
大嶺は伊志嶺に対しての思いを語った。そして伊志嶺は最後に将来の夢をしみじみ語った。
「こどもたちが島に戻ってきたら草野球をしたいねぇ。」
10年間、苦楽をともに歩んできた伊志嶺監督と島っ子たち。その時はきっとみんなが笑顔でのんびり野球をするのだろう。伊志嶺の言葉を聞いてそんな姿が想像できた。
 褐色の肌に濃い眉、そしてギラギラした大きい二重の目。私は熱い戦いを見せ、多くの人の心を捉え魅了してやまないこの夏の八重山商工の野球をきっと忘れない。

 

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2006年08月14日

10年分の思いをこめて第2章  伊志嶺監督と島っ子たち 八重山商工野球部

「あいつは目が死んどる。あれじゃあ、だめだ。」 
伊志嶺監督は一回戦が終わったあと、大黒柱の背番号1、大嶺祐介を叱責した。松代高校に左打者が多かったのもあるが、この日のマウンドには、大嶺ではなく左投手の当山を送り込んだ。それどころか、大嶺をスターティングメンバーからも外した。伊志嶺吉盛とはそういう男である。伊志嶺は10年に渡って選手たちを見てきた。体調、精神面など選手の顔を見ればどういう状態か手に取るように分かる。と同時に18人の選手には徹底して厳しい練習を課してきた。どの選手が出ても常に八重山商工の野球ができるとの自負がある。個人プレーではなく全員で戦えるチームに育ててきたつもりだ。戦う気持ちが感じられないやつはエースだろうと試合には出さん。大嶺に向けての強烈なメッセージでもあった。3回、ピンチを迎えると伊志嶺は、ピッチャーを金城長靖に変え、大嶺をファーストに入れた。金城長靖は気持ちを前面に出して打者に向かっていくタイプ。一塁ベースに立ちながら大嶺はどんな思いで守っていただろうか。大粒の汗を滴らせながら金城長靖の気迫のこもった熱投が続く。5回にはこの試合を決定づける3ランホームランを自ら放ち、この日の主役は間違いなく金城長靖であった。しかし8回、伊志嶺は大嶺をマウンドに送る。ここに伊志嶺の選手操縦術を見た。決して突き放すだけでなく名誉挽回の機会を与える。「戦う気持ちがあるなら見せてみい。」エースとしての自覚を持って欲しい。エースというのは責任あるものなんだ。それをお前はわからんか。8回の大嶺への交代にそんな伊志嶺の意思が見えた。そしてこの日の大嶺は一回戦とは別人のようなピッチングを見せた。大嶺の顔は戦う表情になっていた。マウンドに上がるや3者連続三振。金城長靖に負けず劣らずの気迫のピッチングはすさまじいものがあった。一塁を守りながら大嶺は金城長靖の気持ちのこもったピッチングに伊志嶺のメッセージの意図を感じたのではないだろうか。長打を一本浴び、2点は失ったもののアウト全てを三振でもぎとったあたりに大嶺の意地をはっきり見てとれた。エース背番号1の重さ。大嶺はこの甲子園の大舞台で改めてこれを実感したはずである。伊志嶺の冷徹とも思える采配は実はエースを這い上がらせるための温情でもあった。これは大嶺が力を出さないと勝っていけないことを伊志嶺自身が一番知っているからでもある。 
 三振を奪いマウンドで躍動する大嶺をこの日の主役である金城長靖が嬉しそうに一塁から見守っていた。この風景を見たときに真のエースは大嶺だと八重山商工の誰もが認めているんだというのを思い知らされた。伊志嶺監督はじめ八重山商工全員が認めるエース背番号1、大嶺祐介が本当に目覚めた時、石垣島に優勝旗が渡るという現実がぐっと近づく。そのために伊志嶺は次もグラウンドで選手より大きい声で選手を叱咤する。 
「なあに、やっとんじゃあ!」 
伊志嶺吉盛と石垣島の島っ子たちの10年の総決算はまだまだ続く。 

posted by ブラウンシュガー |00:48 | 野球 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年08月12日

王貞治の後輩 早実ナインの合言葉

 「先輩の王さんのために、そしてセンバツの悔しさを晴らすために。」 
早実ナインはこの夏、2つの合言葉を胸に戦っている。 
「僕達が、王さんにできるのは勝利をプレゼントすること」 
「勝ち上がっていくことで王さんが少しでも元気になってもらえればいい。」 
選手は口をそろえる。 
 西東京予選決勝。試合会場の神宮球場と王さんの入院していた慶應病院は目と鼻の先だった。病院の部屋からは球場も見え、歓声もはっきりと聞こえたという。 
「照明がついているのが見えてね。あそこでやってるんだなて思いながら応援してましたよ。選手たちは素晴らしい戦いをしたと思います。勇気をもらいました。甲子園では精一杯、プレーしてほしい。」 

 2回戦、早実は春のセンバツの屈辱を晴らすべく願ってもない相手と対戦することになった。昨年のベスト4、そして1回戦でセンバツ優勝の横浜高校を破った大阪桐蔭。一番胸を躍らせたのはエースの斉藤佑樹。ポーカーフェイスで普段、人前で感情を表に出さない斉藤だが、対戦が決まって表情をくずしていたという。 
「いつもは感情を出さないやつなのにこの対戦が待ち遠しかったのかニコニコしてるんですよね。強い相手とやるのが楽しみでワクワクするタイプの子なんでしょうね。」 
(早実 和泉監督) 
その斉藤が一回からとばした。初球、スコアボードに表示された146km/hという数字に5万近くの大観衆からどよめきが起こる。そして一番スタンドが沸いたのが「平成の新怪物」こと大阪桐蔭4番の中田翔との対戦。斉藤は試合前、インタビューで 
「大阪桐蔭の4番打者ということで特別、意識はしていません。」 
と平静を装った。 しかし、蓋を開けてみると斉藤は負けたくない意地を思いっきり表に出し中田をねじ伏せにいった。中田の打席の時は特別気持ちの入った投球をしているのが誰の目にも見てとれた。結局、中田は4打席とも凡退。この中田を抑えたのが大阪桐蔭打線の勢いを消した勝因の一つになっていた。中田自身も斉藤の気持ちに応じて4打席ともフルスイング。斉藤と中田の力と力の真っ向勝負には毎打席、勝敗を度外視しても見たいと思わせるそんな魅力があった。高校野球でこんな思いは久々のような気がした。 
 
 西東京予選で一本も出なかったホームランが2本も飛び出し、斉藤を中心に「守」のイメージの強い早実だったがここにきて打撃も右肩上がりだ。 
「正直、びっくりしています。この子たちがこんなに力が出せるということを知って驚かされています。」 
と大阪桐蔭に勝ち苦笑いしながら自嘲気味にインタビューに答えた和泉監督。 
 監督のまだ見ぬ力が早実ナインにはあるのかもしれない。大阪桐蔭を破ったことは大きな自信になったであろう。 
そして偉大な先輩、王貞治ですら成し遂げられなかった夏の甲子園、優勝。 
「王さんのために、そしてセンバツでの悔しさを晴らすために」 
2つの合言葉を胸にまだ発展途上の白とエンジにWマークのユニフォームが甲子園を躍動する。

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2006年08月09日

10年分の思いをこめて 伊志嶺監督と島っ子たち 八重山商工野球部

 「臥薪嘗胆」
最後まで決してあきらめない。
褐色の肌と濃い眉に彫りの深い顔。島の少年達の大きい二重の目はしっかりと見開き輝いていた。
 第88回全国高校野球選手権1回戦、相手は一昨年ベスト4の千葉経済付。得点は6-4でリードされていた。9回表、ツーアウト。あと一人で試合が終わる。誰もがそう思っていたなか、窮地に立たされていた沖縄県代表、八重山商工の選手は誰一人、諦めていなかった。いや。諦めたくなかった。諦めることはこのチームでの最後の試合を意味することであり、何より、監督である伊志嶺吉盛が諦めないことを常に選手に教えてきたことだったからだ。
「勝つための根拠は練習だけ。今の生徒の多くには小学3年から野球を教えてきた。厳しい練習に耐えてきた子どもたちと甲子園に出場できるのは本当にうれしい」 
 
 本州のはるか遠く、そして沖縄本島からさらに400キロ離れた石垣島というこの小さい離島からでてきた八重山商工が甲子園にたどり着くまでには長い長いストーリーがある。それは監督、伊志嶺吉盛の歴史でもある。
 伊志嶺と選手達の歩みは10年という歳月を経て積み上げてきたものだ。石垣島に生まれ育ち、自ら選手として甲子園を目指して野球に明け暮れた伊志嶺だったが、夢は叶わなかった。本島の沖縄大学に進学し準硬式野球で全国選手権、優勝を果たすも165センチの小柄な体ではプロは断念せざるをえなかった。帰島して伊志嶺が思い立ったことは
「子供たちに野球を教えて島に恩返しをしよう。」
 
 1978年から1983年まで八重山商工の監督に就任したが結果は出なかった。94年に八島小学校の少年野球チーム「八島マリンズ」の監督になり、他チームの監督と共に8つのチームで島内リーグを作る。人口の少ない島内でより多くの試合を子供達にさせることが目的だった。この成果は実り、7年後には島の少年野球チームとして初めての全国制覇を遂げる。さらに、中学硬式野球、ポニーズリーグを設立し、「八重山ポニーズ」の監督としてチームを世界大会で3位に導く。そしてこの八島マリンズ、八重山ポニーズで手塩にかけて育てた選手たちが現在の八重山商工の主力の選手たちなのである。
 八重山商工の監督に再度、就任し少年野球の選手達と甲子園を目指すと決めた時、練習着に「臥薪嘗胆」の文字を縫いこんだ。
臥薪嘗胆:目標を達成するためにはどんな苦しいことも耐える。
これは伊志嶺自らが経験してきた苦しみの中から見出だした教訓でもある。95年に20才の長男を亡くし、野球にのめりこみ全てを捧げる代償に2度の離婚もした。亡くなった長男に対して親父らしいことを何かしてあげられなかったかという自問にかきたてられ、その思いは少年野球の子供達に代わり、注いできた。子供たちにも苦しみに耐えることを「臥薪嘗胆」という文字を練習着に縫い付け、練習で体に染み込ませ教えてきた。
 「高校野球で大事なのは精神面です。それを教えないと勝てないことに気付いた」
最初に八重山商工で結果を出せなかった経験から学んだことである。

 
 すでに日は沈み、闇夜にカクテル光線が照らし始めた甲子園球場に金属音の響きがこだました。アルプススタンドでは沖縄民謡のリズムと指笛が勢いよく鳴った。9回、ツーアウトから同点に追いつき、さらに延長10回に逆転をとげ劇的な勝利をつかんだ八重山商工の野球に伊志嶺の生き様を見た気がする。10年間ともに歩んできた子供たちは伊志嶺の教え、そして野球をしっかり受け継ぎ体現している。
「気持ちでもぎとった勝利です。でもこのままでは次はないでしょう。」
伊志嶺は開口一番、インタビューで答えた。しかしまだまだ終えるわけにはいかない。それは選手も同じである。10年間、伊志嶺監督の元で小学校からずっとみんな一緒にプレーしてきた。プロ注目のエース、大嶺がナイン全員の気持ちを代弁する。
「もっと、みんなと野球がしたい。一番、長い夏にしたいんです。」
臥薪嘗胆。目標を達成するまで苦しみに耐える。
 選手より熱くひときわ甲高い怒鳴り声を散らす伊志嶺監督と大きい二重の目をギラギラさせて必死にプレーする選手達。八重山商工の野球を見ればこの言葉の意味がよく分かるはずだ。
 そして春のセンバツで果たし得なかった目標。伊志嶺監督と褐色の島っ子たちは悲願の優勝旗を石垣島に持って帰るべくまだ続く最後の夏を戦う。10年間、積み上げてきた思いとともに。

posted by ブラウンシュガー |01:44 | 野球 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年08月07日

拳闘一家 父と亀田三兄弟の闘い2 亀田興毅の原点

 不安だった。恐かった。 

「勝つと負けるじゃ天と地やからな。」 

 興毅は目をつぶってコーナーの椅子に座り判定結果を聞いた。 
「WBAライトフライ級、新チャンピョン、浪速乃闘拳 亀田興毅!」 
コールされた瞬間、興毅の顔は一気に崩れた。涙がとめどもなく出てきて溢れる感情を抑えることができなかった。後ろを振り返ると父、史郎も顔をくしゃくしゃにして涙をいっぱいに溜めている。 
「ようやったな。」 
父の短くも最大の褒め言葉とともに抱き合うと興毅はさらに泣きじゃくった。まるで幼稚園時代の頃のように。 

 興毅はいつでも泣いているような子供だった。父、史郎は初めて授かった子供、長男の興毅をとても可愛がり欲しいものは何でも与え甘やかした。興毅は繊細で内気、人とコミュニケーションをとるのが苦手。そのうち集団生活が始まる幼稚園に入ると同世代の子供たちの輪の中に入れずそれどころかいじめられはじめたのである。 
「小学校までは友達もおらへんかったなぁ。いつも親父と一緒やった。」 
毎日のように泣いて帰ってくる興毅を見かねて史郎は興毅に空手を習わせる。空手を習い始めて3年が経った頃、いじめられていた興毅を目撃した史郎は興毅を捕まえこう言い放った。 
「もう1回行って相手の顔めがけて思いきり左のストレート喰らわしたれ。お前の左は強いんや。大丈夫や、やってみい。」 
おそるおそる勇気を振り絞って繰り出した左拳は相手の顔にヒットして今までいじめられていた相手は地面に叩きつきられた。 
「あれから俺の中で何かが間違いなく変わったなぁ。あれは自信になったんちゃうかなぁ。」 
この出来事が今日の亀田興毅の原点になっている。 

 公の前で見せる浪速の闘拳、亀田興毅の姿は彼自ら、作り上げたキャラクターにすぎない。本来の彼は繊細で内気。なんら幼少時代と変わっていない。初めての世界戦、初めてのライトフライ級での試合。そして初めて相対する世界トップの選手。不安と緊張でいっぱいだったに違いない。入場前から興毅の顔はこわばっていた。どうにもおさえることができないこみあげてくる緊張感を前にしてこれが世界戦なのかと実感したであろう。最初の1Rは本人曰く「生まれたての子馬みたい」と表現するほど足元がおぼつかないほど緊張していた。自分も選手時代に経験あるのだが極度の緊張状態になると呼吸が浅くなり息苦しくなり、重い倦怠感を感じ、体に全く力が入らなくなる。おそらくこの日の興毅も限りなくこの状態に近い状態であったであろう。いきなり1Rで喫したダウンはショックも大きかった反面、目を覚めさせてくれたダウンにもなった。 
「たぶん、パンチをもらわんでもちょっと押されただけでも倒れたやろな。それぐらい緊張しとった。でもあれでいつものリズムでやれたんよ。まだまだ取り戻せる思ったしな。」 
とはいえ、実際に瞬時に気持ちを切り替え、自分のボクシングを取り戻した興毅の精神力はやはり並ではない。とても苦しかったと思う。いつもの自分がどれだけできるか知っているだけにそのパフォーマンスが今できないほど歯がゆく苦しいものはないのだ。それでも、興毅の強い怨念にも似た思いが自分を最後まで戦い奮い立たせていたのである。 
「自分のため、家族のために戦う。親父のボクシングが世界に通用するのを証明するんや。」 
批判、パッシングは今に始まったことではない。全てを黙らせるには結果を出すことが何よりの唯一の答えになることを興毅自身が一番よく理解している。だから今回は絶対負けられない一戦であったのである。まだ若いし今回がだめでもまた頑張ればいいじゃないかという声もあるが、興毅はきっぱり言う。 
「勝つからまた次があるんや。負けたらまたはないんや。」 
ふらふらになりながら12Rを戦い薄氷の勝利をもぎ取れたのは 
父への思い、弟たちへの思い、今までやってきたことすべてを背負って自分達がやってきたことは間違いないということを俺が証明せなあかんという使命感、世界チャンピョンへの強い執念が対戦相手、ランダエダをほんの少し上回ったからに他ならない。そして何より最後まで勇気と自信を持って戦えたのはあの幼少時代のいじっめ子に殴り返した原点があるからである。 
「親父のいうことを信じてやっていけば絶対、世界チャンピョンになれるんや。俺をチャンピョンにできるのは親父にしかおらんわ。」 
ずっと思い続けてきたことが達成できた瞬間、今まで見せてきた傲慢で強気な浪速乃闘拳、亀田興毅はそこにはいなかった。 
いたのは幼稚園のころ、毎日のように泣きじゃくっていた興毅だった。人前もはばからず嗚咽しながら興毅は叫んだ。 
「親父、今までありがとう。おかあちゃん、俺のことを産んでくれてありがとう。」 

 だが、亀田家の戦いはこれで終わったわけではない。 
興毅も言っている通り、これがスタートなのである。 
「俺がここで勝たなかったらあとが続かないやんか。」 
20日には大毅のプロ5戦目が控えており、三男、和毅も北京オリンピックを目指す。長く険しい道のりはまだまだ続いていく。そして歴史的、波紋を広げた一戦から5日。 
世界チャンピョン、興毅は次なる戦いに向けてすでに練習を再開している。  

posted by ブラウンシュガー |03:16 | ボクシング | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年07月26日

アイ・オブ・ザ・タイガー タイガーの涙  第135回全英オープンより

 タイガーの目からはぼろぼろと大粒の涙がこぼれだした。
「ずっと、父親の姿を思い出しながらプレーしていた。」

 第135回全英オープン、最終日18番ホール。
優勝パットを静かに入れたタイガー・ウッズは今までぐっと抑えてきた感情を爆発させた。両拳をリバプールの空に突き上げ雄たけびを上げた。
今年5月にガンで亡くなった父、アールへ届けとばかりに。
今まで見せたことがない、そして本人自身も止めることもできないほど一気に感情が溢れ出した。
「これまであんな風になったことはない。いろいろ乗り越えてきた最近の出来事を考えてたらね。。私は自分なりに少しずつ感情を隠しながら乗り越えてきた。私にとっての父の思い出や教えてもらったゴルフのすべて、父にもう一度優勝シーンを見てもらいたかった。」

 タイガーの傍らには常に父、アールの姿があった。彼が優勝して真っ先に抱きつくのはいつもアールで我々はこんな二人の姿を何度も目撃してきたはずである。3歳からクラブを持たせ、ゴルフを一から教え現在のタイガーを作り上げたアールは、タイガーにとってはよき父であるとともにゴルフの師であり、そしてゴルフプレーヤーを続けていくうえでの良きパートナーであった。スランプに陥ったり、落ち込んでいる時は必ず父に相談、アドバイスを求めた。そんな心から頼りにしていた父の死はタイガーの心にぽっかりと大きな穴を開けた。父の死を引きずったままプレーした6月の全米オープンでは自身メジャー大会初の予選落ちという経験を味わう。あれから1ヶ月。傷心のタイガーを心配する周囲をよそに、タイガーは見事、王者として舞い戻ってきたのである。
 全英オープンに臨むタイガーはいつもの自信満々の王者としての風格はなく、このタイトルを何がなんでも勝ち取るといった悲壮感さえ感じた。飛距離が自慢の彼は勝負に徹するためにドライバーをあえて封印した。4日間、全72ホールでドライバーを手にしたのは僅か1回のみである。ファンもタイガーの豪快なドライバーショットを期待していたが、最後の最後までセーフティで堅実なゴルフに徹し、眉間に皺を寄せながら緻密で冷静にプレーし続けるタイガーの姿にこのタイトルを絶対獲るといった強い執念を感じた。
 タイガーはこれでメジャー通算11勝目となったが、この1勝は亡くなった父、アールに捧げるべく執念でもぎ取った大きな大きな1勝でもある。
 最終日、必死にタイガーを追い上げ2位に入ったクリス・ディマルコもまた、7月4日に最愛の母を亡くし失意の中での出場であった。
こんな二人が今年の全英オープンのタイトルを懸け優勝を争い、今回の主人公を演じた。全英オープンには毎年様々なドラマがあるが、今年は二人のプレーヤーがそれぞれ亡くなった父と母への思いを馳せながらの戦いでありそれが彼らのプレーに乗り移ったような弔いの4日間とも言うべきドラマがあった。
 私自身、1996年に競泳の現役選手を辞めたのだが、2004年に国体に出場したいと思ったのはガンを患い病床にいた母にもう一度見てもらいたいという強い思いがあったから。いつも試合会場に足を運び、常に最大限のサポートをしてくれ一番のファンであった母に対してもう一度見てほしい、喜んでほしい、そして少しでも元気になってほしい、そんな姿を私も見たかった。結局、母は国体予選の前に亡くなったが、母の為にという執念にも似た思いが国体に出場できる力になったと今でも思っている。あの時は不思議と背中を押してくれた気がしてならなかった。だから、今回のタイガーには少なからず共感できる思いがあるし、優勝という最高の結果を得ることができたことがとても嬉しい。
 
 18番ホールでタイガーは大粒の涙を流し、キャディーと力強く抱き合い、そして妻のエリンと抱擁を交わした。溢れ出てくる感情と興奮が覚め止まない記者会見でタイガーは最後にこう締めくくった。
 「私はマスターズで勝てなかったことが残念で仕方なかった。父が見れる最後のメジャー大会だということを知っていたからね。あの大会は本当に悔しかった。今回の大会で優勝できたけど、父に見てもらえることができなくてとても残念だ・・ 今晩はこのジャグ(優勝トロフィー)で乾杯しようかな。私が好きな飲み物を入れてね。でも1杯だけじゃ足りないだろう、きっと・・」
 1杯じゃ足りない。それはタイガーが亡き父、アールに優勝の報告をして一緒に勝利を分かち合いたいという意味だと私は感じた。

posted by ブラウンシュガー |06:26 | ゴルフ | コメント(0) | トラックバック(1)
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