2007年10月23日

大分県日出暘谷高校(後)

 練習を見ていて気づいたことがもうひとつ。1年生と上級生の実力の差である。

 練習前のストレッチひとつをとってみても、1年生は「知っているな」という印象をうける。手首、ひざ、足首。新体操で使う部分、ほぐさねばならない部分が自然に身についている、そういった感じだった。細かいところを念入りに、ひとつひとつほぐしていく姿に、彼らの新体操のキャリアを感じた。
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 タンブリング、リスク、徒手。新体操のジュニアチームが増え始め、昔のように一口に「競技年数=実力」という構図が成立しなくなった昨今にあっても、初心者と経験者となれば話は別である。やはり、力に差が生じるのは、避けられないことである。



 2、3年生よりも1年生の方が競技経験が長い、というねじれの中にあって、部の機能に支障はないのだろうか。
 1年生が入ってきた当初のことを、2年の天野は「1年生だけど自分たちより先輩に見えてしまう時があって、きまずかった」と振り返り、付け加える。「今はそんなないっす。慣れですね」

 気を遣っていたのは2年だけではなかった。「言って良いのかな」と前置きしてから、1年の菅は「最初は先輩たちに気を遣っていた」と話した。そして同様に「でも話していくうちに、しっかり溶け込んで」と結ぶ。

 主将の栗原は、国体ブロック大会の、自身の出ていない個人種目について「見ててうれしかった。個人いけるな、と」と嬉しそうに語った。どうやら私の勘繰りすぎだったようだ。これだけ楽しそうに練習する部には、もはや壁など存在しようもなかった。
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 それよりもその後につづいた菅の言葉が、気になった。
「中学からあがってきたとき、学校の部活がすごく楽しみで。毎日先生に教えてもらえるっていうのが初めてで、自分はものすごくうれしかった」


 強化指定をうけている3名は、小5から新体操を地元のクラブで始めている。しかし、練習場所である別府の公民館はマットがなく、平日は自分たちでメニューを決めて練習をした。「強化指定」とは言うものの、練習環境はその名に見合うものではなかった。しかしその分、土日に行われる日出暘谷での合同練習には「本気で」取り組んだという。同じく1年の古田は「部活、ずっと上手くなりたいって気持ちでやってたんで」と話す。この時代が、彼らの今の部活に取り組む姿勢を形作った。
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 そうした思いが、そのまま形になったのが今年のインターハイの団体演技だった。メンバーでそれぞれ動きを考え、それを組み合わせた。ここではやはり経験の長い1年生が中心となった。見せ方や移動、隊形などは監督から指示を仰いだが、「だいたい、自分たちで」つくり上げた。



 団体演技の構成をつくっている最中、こんなことがあった。「ここ、こうした方が良いんじゃないか」と監督らから動きの指摘があった。すると選手たちは「いや、ここはこう見せたいんです」とそれを撥ねのけたのだという。
 「なんか、こだわりがあるんです」と、目を細めてそれを語る小園コーチ。彼らの思いを象徴するエピソードである。
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 取材前には、「演技構成」としか結論づけることができなかった彼らの演技の魅力だが、この「思い」こそ、その源なのだろう。彼らは楽しみながら、自分たちのやりたい新体操をやっている。その自然で、新体操の根本とも言える思いが、私を大分まで連れてきたのだ。
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 彼らの姿を見てふと、インターハイ優勝校、佐賀県は神埼清明高校の中山監督の言葉が思い出された。
「生徒達の尻を叩いて叩いて練習させると、計算したとおりの結果がでる。しかしそうじゃなく生徒達自身でやらせると、計算外の、それ以上のものができる」
 日出暘谷は後者のタイプ。そしてその言葉通り、彼らのそうした姿勢は結果をもたらし始めていた。



 1年の塩月が「迫力が、すさまじかった」と振り返るインターハイの、そのわずか6日後に行われた国体予選・九州ブロック大会。その出来についてたずねると、誰もが「会心の出来」だと語った。古田にいたっては「今まで新体操をやってきた中で、一番良かった」とまで話す。ブロック大会の会場は地元・大分だった。
 「インハイのときは会場が“佐賀のもの”って感じで。ブロック大会は地元で、やってて楽しかった。会場が“大分のもの”みたいな感じで」
 国体予選は2位小林工業と僅差で3位だったという。国体出場権は逃したが、半分が初心者のチームが全国で常に優勝を争う小林工業と競ったことは、それだけで賞賛に値する。


 この結果について「地元だったことが大きい」と選手たちは語った。もともと、雰囲気で盛り上げるタイプのチームであるから、その要素も大きいだろう。しかし個人種目を終えた時点で小林工業に勝っていたという驚くべき事実は、それだけを要因とするには大きすぎるものだ。部活を楽しみ、自分たちの新体操をすることに喜びを見出して活動してきたチームは、ここにきて実力を伴い始めている。
 今後の彼らがどんな風に変化するのか、予想することは難しい。しかし彼らは確かに、何かを予感させてくれる。

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 取材初日の部活が始まる前に、古田が「自分らがこんなだから、部活辞めてーって言うやつがいない」と何気なく話しているのを聞いた。「こんな」とはどんなだろうか、と思ったが、練習を見てすぐになるほど、と思った。


  部活についてたずねた小谷の第一声は「楽しいです」というもの。即答だった。「練習中、笑いが絶えなくて」。そしてそう話す間も、後ろからは絶えず笑い声が聞こえていた。




菅が語った印象的な言葉は、このチームを象徴した、恐らく他では聞くことのないもの。
「新体操はどうかわかんないすけど、新体操部はみんな、好きだと思いますよ」



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2007年10月15日

大分県日出暘谷高校(前)

 どうしても、行ってみたいと思った高校があった。

 インターハイが終わり、高校生の三大大会の締めくくり、国体は予選のブロック大会で敗退。それを最後に3年生が引退。チームは1、2年生だけで動き出したばかり。冬に向けて、これから地味な基礎トレーニングが増え始める時期。

 時期を逸していることは明らか。それでも、見てみたい高校だった。



 佐賀インターハイ最終日、団体演技を見ながらメモをとっていた。大分県、日出暘谷高校の演技のあと、こうメモしたのを覚えている。
            「  伏  兵  !!」
 今にして思えばそれは単なる私の知識不足によるものだったのだが、しかしそれほどまでに、ノーマークの彼らに強烈な印象を受けた。
 ここからはあくまで私の主観であるが、とにかく演技に、なんとも言いがたい魅力を感じた。タンブリングも強い選手が何人か入っているし、組からの投げ上げも十分に高く、それだけで会場を沸かせるには十分だった。徒手は正直、まだ課題が残るかもしれないが―――そんなことを考えながら、演技が終わるとすぐさまプログラムをめくって確認した。すると団体6人中3人が1年生で構成されているチームであることに、また驚いた。半分が1年生で、あそこまで仕上げてきたのか、と。
 このインターハイでの衝撃は、2ヵ月後、私を大分行きの飛行機へ乗せることとなった。



 別府市から15分ほど電車に乗ると、海が見えてくる。選手たちが冬は体力づくりのために走るというその海を眺めていると、まもなく日出暘谷高校の最寄駅に着く。高校は、そこから続く坂道を登ったところにある。
 体育館に着いたのは13時20分頃。ちょうど、フロアをしき始めるころだった。私が訪れたこの日は、あいにく有村監督が不在であった。そのため、インターハイから抱えていた疑問に答えてくれたのは、4年ほど前から有村監督と指導をともにする、小園コーチだった。
 日出暘谷を訪れて、とにかく聞きたかったのは団体演技の構成のことだった。というのは、団体の「なんとも言えない魅力」を、結局「演技構成が良かったに違いない」と結論づけるより他なかったからである。

 日出暘谷のそれは、九州らしい、大きな組中心で見せるものとは少し違う。岡山精研のように、流れのある徒手でみせるものとも違う。やはり表現につまってしまうのだが、強いて言うなれば「他とは違うものを」という意思が感じられるような、そんな演技。いったいどんな練習のもと、どんな過程を経てつくられたのか。
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「構成は、生徒たちが考えました」
その言葉を皮切りに、質問の間中、私は目を丸くするのだった。
 
 構成は生徒たち、それも1年生が中心となって考えたのだという。さらに、2年生や、インターハイに出場した3年生までもが、それまで器械体操の経験すらない「ズブの」素人だという。加えてインターハイを直接勝ち抜いて出場したのは、今年が初めてだという。
 15時、フロアがしき終わった頃には感嘆のため息がもれた。何もかも、あまりにも想像と違っていた。



 これだけ私が驚くのにはわけがある。
 インターハイでの「伏兵!!」というメモ。あれが「今にして思えば、単なる知識不足」というのは、大分が次期の国体開催地だからである。
 国体に合わせて開催地がチームを強化する、というのはよくある話である。流れのある構成、群を抜いて美しい徒手に定評のある新進の強豪校・岡山精研高校も、2005年の岡山国体のために強化されたチームである。昨年のインハイを制した大舌恭平も、今年1年生ながらインカレ個人覇者となった谷本竜也らを輩出したのも、岡山精研高校である。

 そういったわけで大分でもすでにこの5年ほど前から、国体に向けた強化は始まっていた。インターハイで団体に入っていた1年生、菅、小谷、古田の3名は小5で新体操を始めて以来、国体強化指定をうけてきた選手だった。彼らは昨年の全日本ジュニアで、菅の優勝を筆頭に、小谷が9位、古田が11位と上位に名を連ねた。そんな彼らが今年高校生になった。それまでは器械体操の経験すらない選手たちの集まりだったことからすれば、その戦力が今年突然にあがったのにも納得がいく。

 しかし3名とはいえ、強化指定選手を全員きっちり上位に入れてくるなど、さすがは地元国体を目指して計画的である。と思えば。
「いや、全然。(全日本ジュニアの結果に)びっくりしてます」と小園コーチ。そういえば国体強化指定について1年生にたずねてみたところ「(毎年送られてくる、強化指定の手紙を)何かな、と思っていた」という、なんだか気の抜けた答えがかえってきた。なんだか拍子抜けしてしまうような調子だが、これらは日出暘谷のカラーだった。


 「一日一回、どんなにキツイ時期でも笑い声が聞こえます」
1年の菅の言葉通り、練習の間、とにかく笑いが絶えない。練習中のかけ声も本当に全員がよく出すのだが、気合を入れるためとか雰囲気を盛り上げるためとかではなく、とにかくみんなで練習しながら、
声を出すこと自体が楽しくて仕方ない、といった感じだった。 タンブリング練習では、主将の栗原が「よーい!」と声をかけたところで、「ぷっ」っとふき出してしまい、笑い崩れるシーンもあった。
 本当に楽しそうで、見ている側も笑みがこぼれてしまうような練習風景に、小園コーチも「なーんか、楽しそうなんですよね」と笑った。
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 だが、そんな微笑ましいだけの練習で、人の気持ちを動かす演技はできない。

 突然始まった団体の部分練習。鳥肌が立ったのは、インターハイぶりに見る彼らの演技のためか、それともあまりにも突然に生まれた緊張感のためだったか。団体練習が始まると、途端に先ほどとはうって変わって真剣な表情、キビキビとして動き。コーチからの指摘には「ハイ!!」と気合のこもった声で答える。徹底した、切り替えである。
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 これまで色々な高校を見てきたが、ここまで「on」「off」の差がはっきりしているところも珍しかった。いったいどうやって培ってきたのかと思ったが、どうやらそれはふたりの指導陣の色、そのものであるらしい。

 主将の栗原に「日出暘谷の演技の魅力は何か?」という質問を投げかけたところ、長い間口ごもってしまった。
「演技の魅力…なんですかね。他と違う雰囲気がある………ちょっとわからないですね。」
だが、「部の魅力は?」とたずねると、間髪入れずに返答があった。
「部として、楽しくやっていけるところ。先生たちも冗談言ったりして。(先生たちは)普段面白くて、言ってくれるときはしっかり言ってくれる」
 1年の小谷も、同様に話す。「先生たちが面白くて、でも締めるとこはしっかり締めてくれる」

 そういえば、練習前、選手たちがフロアで好きに動いているときに、その周囲で「リスク、10本!」とOBと楽しそうに動いていたのは小園コーチだった。練習に入ると打って変わって真剣になる姿勢も、休憩になると遊び始める姿も、選手と同じだけか、それ以上。なるほど、この指導陣であれば、驚くような切り替えも自然に身につくというわけか。

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2007年09月29日

秋田選抜(後)

 チームとなった秋田選抜が訪れた9月の青森山田高校。フロアに立つ彼らに、尾坂・荒川両監督から「他県の高校にここまでするのか」というほどに、細かい指導、厳しい檄が飛ぶ。
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 それは二人の監督の面倒見の良い性格のせいでもあるだろうが、それ以上に、秋田選抜がそうさせるものをもっていた。指導を受けるときに、本当に「教わることが嬉しくてたまらない」という顔をするのだ。目は「何一つ、見落とさぬよう」と瞬きすら惜しむように話し手をまっすぐに見つめる。「話になんねぇ!」と怒声を浴びせられたり、「弱ぇなぁ~!」とあきれられても、終始、勢いのある気持ちの良い返事で応えた。彼らは怒られることがどんなに貴重かを知っていた。

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 こうなると、指導する側も思わず熱が入る。
 尾坂監督は秋田の個人選手の細かい動きを指導しながら、ふと思い出したように「そういや、お前らキツイよなぁ」とつぶやいた。この時彼らは団体でタンブリングを入れた部分練習を3本、演技を前半・後半に分けた通しを各1本ずつ、それから個人の通しを1本、直後にタンブリング抜きの徒手通しを1本。それを終えて、今度は一人ずつじっくり個人の指導を受けているところだった。


 一日の練習量としてはかなりのもの。しかしそれを忘れさせるほど、彼らの練習に対する熱意は衰えなかった。
「合宿が残り少ないので、全部吸収して、取りこぼしのないように。喰らいついていくように」。
チームリーダーの小林の言葉通りの練習だった。

 初めて秋田選抜を見たときに「見るべきものがないと感じた」が、それは違っていた。あの時彼らは、途中から始まった青森大学の練習をともにし、体格がひと回りも大きい大学生に囲まれながら、必死に同じメニューをこなそうとしていた。倒立でフロアを一周する練習では、手首を痛め、手の平を床につくことができなかったために拳で倒立をした。大学生も途中で足をつく場面があった中、その彼はフロアの四分の三まで、足をつかずに進んだ。

 「見るべきもの」は確かにあったのだ。欠けていたのは、私の観察眼だった。彼らはあの頃から、今と少しも変わらずひたむきだった。
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 確かに、強いチームには強いタンブリングと、美しい徒手がある。しかしその根本に何があるかといえば「強くなりたい」という欲求だ。彼らにはゆるぎないそれがある。

 その根本ともいえることをを思い出させてくれた秋田選抜だが、選抜チームは国体が終われば解散する。
「国体が終われば、3年生と大友先生が抜けます。今までもみんなで集まってやってたので、その形に戻るだけです」
こともなげに小林は語る。しかしこれだけ教わることに飢えた選手たちが指導者を失うことは、胸が痛む現実である。


 これまで地元国体に向けて、強化のためにその地域が指導者を呼び寄せる、というのはよくあるケースだった。しかし2008年を最後に休止されることが決まっている今、指導者の定着はますます難しくなる。彼らのような選手たちが指導者を見つけることは、さらに難しくなるだろう。

 秋田選抜は以前うけたTV取材の中で、国体にむけてこうしたコメントを残している。
「(国体では)大友先生を泣かせるような演技がしたいです」

 強い劣等感、悔しさ、厳しい練習にチーム内での衝突。それらを経てようやく形作られたチーム。しかし国体を最後に解散しなければならなにことは、避けられないことである。彼らがチームでいられる時間はもう、本当にわずかしかない。


 今はせめて彼らのその思いが遂げられることを、願うことしかできない。

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2007年09月28日

秋田選抜(前)

 事実、忘れていたのだ。強いタンブリングと美しい徒手、それがあるのが強いチーム。どこかにそんな思いがあったことにすら、気づかなかったのだ。今回そのことを思い出させてくれたチームがある。



 9月下旬、国体直前の三連休。青森山田高校の体育館に、いつものメンバーとは別に、見慣れない8人の選手がいた。今回の国体開催地・秋田の選抜チームが合宿に来ていたのである。青森山田くらいの強豪校になると、他校から合宿を申し込まれることも珍しいことではない。実際、私が秋田選抜の選手に会うのも、二度目のことである。
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 前回彼らに会ったのも、同じ青森山田の体育館で、同じく合宿に来ているときだった。まだ寒い3月上旬の、私が初めて取材に訪れた日でもあった。
 このときは初めての取材ということもあって、今回は青森山田の取材のみにしよう、と決めていた。しかし今にして思えば、少なからず当時の彼らに見るべきものがないと感じていた、というのもあったのかもしれない。今年地元国体を控えていながら、チームの始動がこの前年であることに対して「遅すぎる」という念もあった。




 しかし、秋田の男子新体操部の状況がことのほか厳しいということを、そのとき私は知らなかった。部は団体などおよそ組めそうにない程度の人数が、県内のいくつかの高校にポツリ、ポツリといる程度の規模。今回の秋田選抜チームも、秋田工業から2名、秋田商業から2名、明桜高校から補欠を含む4名、秋田工専から1名の、正真正銘の混成チームだった。行事やテストの時期が違うため、思うように人数が集まらない日も多い。ましてチームの始動時期など、選手たちがどうこうできる問題ではなかった。



 もともと人数の少ない彼らは、選抜チームが組まれるより前から練習をともにしていた。そのため、「秋田選抜」と銘うってから変わったことは、練習場がそれまでより広い「三菱マテリアル」という企業のものを使えるようになったことと、不定期ではあるが、国士舘出身の大友監督が指導に入るようになったことだけだった。



 そうしてつくられた混成・秋田選抜が初めて青森山田に訪れた日、当時まだ曲もついていない彼らの団体を見て、青森山田の尾坂総監督がこう言ったのを覚えている。「内容がない」。
 私も同感であった。演技構成がどうの、というよりかは、彼らが何を伝えたいか、演技のどこを見せたいのか、そういうものが伝わってこなかった。



 それから、半年。同じ場所、同じシチュエーションで見る、まったく違う彼らの姿に私は驚かされることとなった。





 まず、団体は構成がガラリと変わっていた。よく新体操の団体で、団体演技の形としてなっているか否か、ということを「見える」「見えない」といった表現をすることがあるのだが、彼らの団体は「見える」ようになっていた。以前は分からなかった見せたい部分が、「見える」ようになっていたのだ。
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 秋田選抜の個人はこのとき初めて目にしたのだが、それぞれ課題は多いものの、どれも勢いと、周囲にアピールしようという気持ちの見える演技だった。多く残る課題も、青森山田の荒川・尾坂両監督と大友監督の指導をうけるうちに、みるみる良くなっていくのである。
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 本当にあの時と同じチームだろうかと思うほどに見違える変化。それは、彼らの過ごした半年間の濃さを物語っていた。


 昨年から大友監督のもと、始動した秋田選抜であるが、監督は彼らとは別の学校で教えている。そのため、練習に来られないことも少なくはなく、忙しくなると2~3週間も顔を出せないこともある。それでも彼らは監督の存在を「有り難いです」と話す。強豪校やそうでないところでさえ、毎日のように監督がいて、練習を見てもらえることが当たり前である。しかし彼らにはその「当たり前」が、貴重だった。
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 初めての青森山田での合宿は、秋田選抜にとって最初の合宿だった。そしてこの最初の合宿で、彼らは彼らの中だけで、静かにその心境に変化を迎えていた。


 全国でもトップに名を連ねる青森山田と練習をともにして、タンブリング、徒手、何もかも違う自分たちを「下手だ」と実感した。だがそれはやがてふつふつと悔しさに姿を変えた。「悔しい」「追いつきたい」「負けたくない」―――そして、ひとつの結論にたどり着く。「ここは、開き直るしかない」


 もともと指導に対する欲求は、有り余るほどにあったチームである。それに加えてこの「開き直り」は、この後につづく盛岡市立、埼玉栄、岡山精研、国士舘大での合宿を、より実のあるものへ変えた。「ガラリと」変わったように見えた団体は、合宿で行く先々で手直ししてもらうことで出来上がった。




 無論、チーム全体の意思がそこに至るまで、大きなケンカも何度かあった。殴りあったことも、辞める、辞めないの話にまでなったこともあったが、そのたびに根気強く話し合った。そうやって過ごした半年間は、彼らを少しずつ「チーム」にした。

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2007年09月12日

青森山田高校 vol.4-異端児-(後)

 事前にユニフォームについて審判に問い合わせたところ「ユニフォームに乱れの出ないよう、工夫するのであれば可」といった回答であった。早速、妻の直美さんによってデザインの考案が始まった。今回ユニフォームで大きく変えたいのは、「長パン」と器械体操のそれと同型であるパンツを、裾の広がったものにすることであった。体のラインがはっきりあらわれる従来のそれに、抵抗を抱く選手も少なくなかったため、このことは多くの選手の抱き続けていたい思いにも応えるかたちとなった。



 試行錯誤の末、見た目には分からないが、従来の長パンの裾の部分に、広がった部分がかぶさっているような、二重構造のユニフォームが完成した。これはタンブリングなどの際に裾がめくれあがって選手の怪我につながらないよう、配慮したものだった。さらにメーカー側の案で、裾が動かないように中で糸でとめるという細工も施した。


 そうしたメーカーとの二人三脚の末に、ユニフォームは完成した。裾の広いパンツはすらりと脚が長く、ラインがきれいに見えた。ランニング部分も従来とは違う大胆なカットを入れ、布地も重厚感のあるベロア地を使用した。


 武器がないといわれていた演技には、直美さんのダンスレッスンと、彼女のセンスによる独自の徒手動作が多分に盛り込まれ、徒手で見せる演技が仕上がった。曲は再び手直しをし、「神」をイメージしていたというそれに近づいた、荘厳なものとなった。
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 奇しくも今年のインターハイにはNHKを含む3つのテレビ局が入ることになっていた。それまでの武器と違う形で新体操に「インパクトを与える」には、絶好の場であった。





 8月3日 12:10
 インターハイの公式練習。本会場に姿を現した青森山田の6人に、会場の視線は集中する。今年の青森山田の演技、曲、そしてユニフォームの、初披露の場である。
公式練習の直前まで何度も不安の言葉を口にしていた直美さんだったが、15分間の公式練習の後、それが杞憂であったことを知る。他の関係者からの評判は、思いの外良かった。
―――これは、次の主流になるだろう。間違いなくそう感じた。



 しかしこれ以降、このユニフォームが袖を通されることはなかった。






 公式練習終了後、ユニフォームについて審判団から待ったがかかった。事前に許可を得てのユニフォーム変更だったにもかかわらず、話し合いの結果、青森山田には「これを着て出場した場合、ひとりにつき0.2ずつ減点する」との決定が言い渡された。
 審判との話し合いが物別れに終わった後の荒川監督は、表情には出さないが、憤りの色が露だった。


 「俺のような“異端児”をつくらないためには、ルールの言葉じりをしっかりしなくちゃいけない」
 荒川監督の語るように、確かに、男子新体操のルールには曖昧な表現が多い。ただそれだけに、かいくぐれる可能性と同じだけ、言いくるめられる可能性もある。実は今回のことも、ユニフォームを作る段階で「危ういかな」という思いがよぎりもした。いくら許可をとったからといって、まったく予期しなかった事態ではなかった。だから、彼の憤りの原因はまた別のところにある。



 審判との話し合いで争点になったのは、裾の二重構造についてだ。「裾に乱れの出ないよう、工夫」するように指示したのは審判側だったが、それが「こういうもの(二重構造)だとは思わなかった」というのが言い分だった。しかし、「では、どういうものなら良かったのか」という問いに対して、回答はなかった。

 話し合いの後にとりなすように「来年は(ユニフォームに関する)ルールを改定するから」と進言されてなお、監督の憤りはおさまらなかった。
「俺は今のルールと勝負してる。(来年、すべてに許可が下りてからでは)リスクを背負った意味がない」
 この試みはルールが整っていない今年のうちに、青森山田が単独でやることに意味があった。そうでなければ、インパクトなど生まれようもない。

「俺はルールブックと勝負して負けた。でも、納得した負けじゃない」
異端児を黙らせるには、それなりの説明が要る。競技を束ねるものは、その責務を果たすべきである。
 結局、インターハイで青森山田は従来のユニフォームで演技を終えた。
 
 試合終了直後、納得のいかない形で試合を終えたことにより、監督は声をかけるのもはばかられるほどに沈んで見えた。あれだけの窮地に追い込まれながら打ち出した打開策が、こんな形でふいになったのである。この件にはもう辟易しただろうか、と思った。





 だが、その数日後。
「オレはまだ諦めてないよ。国体、ジャパン(全日本選手権)で着たいのさ。」

 電話口での彼は、いつもの気さくな、でも自信にあふれた口調だった。
大丈夫、異端児の瞳はまだ輝きを失っていない。



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2007年09月10日

青森山田高校 vol.4 -異端児-(前)

あまりにも使い古された表現だが、新体操という競技は自分との戦いである、と思う。競技者は他者に働きかけることができない。できるのは、ただ自分の力を出し切ることだけである。
 だが青森山田高校の荒川監督は、それともっと別なものと戦っていた。佐賀の男女地元優勝に沸いたインターハイ、その裏側でこうした戦いがあったことを、多くの人は知らない。


 「今年は武器がない」と、珍しく荒川監督の弱気な言葉を聞いたのは、インターハイ目前の7月半ばのことだった。いつもの実力を謙遜する言葉ではなく、本当に「まいった」といったようなその様子に「珍しいですね」と言うと、ただ笑顔で応じた。
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「山田は勝つだけでは許されない」
 この言葉の意味は、往年のインターハイで初披露されてきた青森山田の演技を見れば分かる。左右からひとりの選手の両腕を持ち、ぐるん、と1回転させる「ブランコ」、会場を沸かせたそれを翌年は2回転に増やした。タンブリングから伏臥(腕立て伏せのような、手と足の先だけで着地した状態)で着地した選手を、周囲から持ち上げるように、もう一度宙に飛ばす「ガメラ」は、その姿から名づけられた技だ。青森山田は毎年、会場を「サプライズ」で沸かせてきた。
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 青森山田が、というよりは荒川監督が、毎年新しいものにこだわるのにはわけがある。

 ひとつは、伝統校かつ私立校故の、まさに「痛いほど」の期待に応えるため。もうひとつは、男子新体操の普及のためである。とはいっても、私立校ならではの「勝たなければならない」事情があるなかで、ボランティア精神に富んだ普及活動などはできない。ではどうするか。
「俺らはあくまで競技をしている。だからその中で、新体操にインパクトを与える。それが、男子新体操の普及につながる」
 「勝つこと」に固執することが当然の私立校にあって、勝負と同時に男子新体操全体のことを考えられる視野の広さ。彼が名将たる所以を垣間見た気がした。
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 話を戻そう。そうして、常に新しいものを発信してきた青森山田高校。常に新しいもの、新しいものを求めていけば、必ず行き詰るときというものを迎える。青森山田は今年、それを迎えていた。

 悪いことというのは続くものである。これに加えてこの時、1年生にしてレギュラー入りを果たしていた期待のルーキー・小林翔が故障により戦線離脱を余儀なくされた。「演技をすると体育館の空気が変わる」とまで言わしめる彼がレギュラーから外れることは、武器のない青森山田にとってはこの上ない痛手だった。
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さらに、演技の曲付けでも問題が発生した。「これだ」と思って付けてきた曲が、実際に演技に合わせてみたところイメージと大きく違ったのである。曲も、演技も、選手までも―――すべてがかみ合わなくなっていた。
 監督が弱気になるのもうなずける、まさに窮地。しかしやはり、荒川栄はここでは終わらない。




 荒川監督はルールをかいくぐることがうまい。
 近年こそ当たり前のように見られる「組み」などの選手同士の「接触」状態から始まる演技だが、実はこれ、数年前までは禁止事項であった。それを変えたのが、荒川監督だった。かつて坂出工業高校が、演技の最後を接触で終わったにもかかわらず減点をうけなかったことを引き合いに出し、青森山田の演技の接触を認めさせた。以降、ルールブックにはこう記載されている。
「演技の開始時における身体の接触(ポーズ)は可とする」
 現在、組みによる演技のスタートは男子新体操の主流になっている。
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「俺は構成、曲、衣装、全部あわせて勝負だと思ってるから」
そう語る荒川監督が今年目をつけたのは、衣装だった。
現在、男子新体操のユニフォームの規定は、「ランニング、長ズボンで色物可」、「上品な裁(た)ち上がりで透き通らない布でできていること」、「全員が同形、同色の服装で出場すること」などの規定があり、それに違反した場合、1名につき0.2ずつ減点される、というものである。また、ユニフォームの乱れは0.1、破損は0.2の減点となる。


 今度は、この規定をかいくぐる。




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2007年07月31日

青森山田高校 vol.3-隣の壁(後)-

 県総体、福士への激しいライバル意識は柴田の緊張感を増長させた。選抜を優勝したことで、県の大会で負けられないというプレッシャーもあった。

 そんな中迎えた本番で、彼の耳に周囲からの応援の声が届いた。そんなものは、大会に出れば誰でも当然のごとく経験することである。しかし、それを聞いた柴田は改めて思った。「この応援に応える演技がしたい」。



 選抜で福士に勝ったことで、無意識のうちに周りを見る余裕ができていたのだろうか。それとも選抜前に団体を経験していたことが、「周囲を見る目」を養っていたのだろうか。

 とにかく、それが柴田の試合に取り組む考え方を変えたことは確かだった。福士とは持ち味が対極にあるあまり、「自分は自分」と凝り固まっていた考え方が、変わり始めた。「周りの人が評価してくれる演技なので、みんながいいと言うような演技がしたい」。そして、そこから柴田の連勝が始まる。


 大切なことというのは、案外あっけなく見つかるものなのだ。






 団体練習の合間に行われる、柴田の通し。私は何よりも、その運動量に圧倒された。

 「伸びとか入れると、ライン悪くて目立っちゃうんで」と語る柴田の演技は、体の硬さをカバーしてもなお余りあるほどの運動量だった。1分半の間、彼の静止しているシーンはいくつあっただろうか。その想像を絶する動きは、間違いなく、私が今まで見た中でもっとも消耗するであろう演技だった。
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 さらに驚かされたのは、その調整力だ。
 インターハイ直前のこの時期、団体中心になりがちな練習の中で、柴田は3時間もの間フロアが空くのを待っていた。そして3時間後、何の前触れもなくかけられた「ごめん、翔平、(通して)良いよ」の荒川監督の声で、柴田はすぐに1本通してみせた。

―――3時間、である。もちろん、その間常に動き続けていたわけでも、ずっと休んでいたわけでもない。彼は団体の様子を見ながら監督がGOサインを出すタイミングを見計らい、それに合わせて通せるよう、調整していたのである。 その姿には、練習場を共にする青森大学の中田監督ですら「ありえねぇ」と舌を巻いた。



 選抜前、団体と個人を兼任していた柴田は、傍目にわかるほどに焦っていた。しかし今の彼はその対極にあった。何かふっきれたような「穏やかさ」が感じらるのだ。



 因縁のライバルに勝利したこと、自分の新体操にとって大切なことを見つけられたこと―――そうしたことが、彼にこの穏やかさをもたらしたのだろう。

 最も近いところにあった、最も高い壁は乗り越えた。
 
 8月4日。インターハイに臨む彼は、今までにない強さを見せてくれるはずだ。
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○●全国高校総体(インターハイ)新体操・男子(団体) 8月5日16時~NHK教育にて放送●○


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2007年07月29日

青森山田高校 vol.3-隣の壁(前)-

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 インターハイを目前に控えていよいよ追い込みに入る、という団体演技の練習の、その合間。そのほんのわずかな時間が、彼に与えられたフロアを自由に使える時間である。限られた時間、限られた場所で、力の限りの動きを詰め込んだ演技をするのは、言わずと知れた選抜王者、柴田翔平である。
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 彼は選抜を獲ってから負け知らずだった。インターハイの予選となる県総体はもちろん、東北大会でも二種目を制して完全優勝。国体予選ではリングで出場、ここでも種目別優勝を飾っている。
 或いは彼にとっては、選抜の優勝よりもこれらの結果のほうが意義深かったかもしれない。彼がもっとも勝ちたかった相手は、全国の名門校に集う選手たちではなかった。敵は、ひとつ町を挟んだ隣の市にいた。



 柔らかな動きと豊かな表現力に定評のある、弘前実業高校の福士祐介は、長らく柴田とライバル関係にあった。体の硬い柴田とは対極の演技をする彼は、三年間、柴田と接戦を演じた。


 一年次、驚くべきことに福士はインターハイ個人出場を果たしている。全国から選りすぐられた37名のうち、一年は福士を含めた2名のみ。二年生の出場者すら10名に満たず、上位はほぼ三年生に独占された状態。そんな中での13位。この年は同率優勝、同率入賞が多かったため、それを除けば点数では10位に手が届こうかというところである。紫野高校・北村の、二年にしてインターハイ優勝という偉業の影に隠れながら、一年にして福士はしっかりとその実力を全国の場に刻んでいた。

 二年になって臨んだ選抜大会では福士が優勝を飾り、柴田は4位。三年になった今年の選抜では柴田が優勝、福士が4位。


どちらも全国を獲る実力をもちながら、インターハイに出場できるのは一名のみ。男子新体操部のない高校もある中でこれだけの選手が潰しあわなければならないことは、傍から見れば「もったいない」のひと言に尽きる。
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 しかしそうした表面的なこと以上に、より根本的な部分で福士は柴田を悩ませる存在だった。
 

 個人競技でインターハイに出場できるのは各都道府県1名。全国で争う前に、彼らはお互いに超えなければならない存在だった。柴田は「県総体から、すごく意識していた」と素直にその心情を語り、こう続けた。「試合前とか、むこう(福士)がどんな演技か気になって」。



 これは、個人選手にしてはかなり珍しいことである。
これまで話を聞いてきた個人選手は、ほぼ100%の確率で「自分の演技をすること」に重きを置いていると語った。優勝を念頭に入れている選手はもちろんいるが、それも「誰に勝つとかではなく」、自身の力を出し切ることで優勝したい、といった類のものだ。競技でありながら他人を意識して競う側面の薄い、稀な競技なのである。
 そんな中での柴田のこの発言は、良いとか悪いとかではなく、素直に私を驚かせた。


 この福士に対する強烈な意識は、いつしか柴田の新体操に対する根本的な部分まで迫っていた。「俺は福士に勝つために新体操をやってるわけじゃない」と、一時は自分の演技を見失いかけた。選抜で彼からふたつも順位を引き離して優勝しても、なお。




 しかし柴田のそうした思いは、久々の直接対決となった県総体で、あっけない形で払拭されることとなった。


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2007年07月28日

光明高校 vol,2-負けの輪廻(後)-

 これだけの選手がふたり。そしてどちらも最終学年。たったひとりの個人インターハイ出場者は、関東大会の後に控える、神奈川県高総体最終予選会で決定する。関東大会の試技終了後、貝瀬監督が「(県高総体最終予選では)審判、やりたくないです」と言ったのもうなずける話だった。



 昨年、インターハイ出場を果たしたのは蜂須賀だった。昨年の手具は棒と棍棒。棍棒は野呂が不得手とする一方で、「手具が小さい分、大きく動ける」と語る、蜂須賀のもっとも得意とする種目だった。しかしこの年の野呂の敗因はそれとは無関係に、「練習不足」という至ってシンプルなものだった。



 野呂が新体操を始めたのは高校に入ってから。中学校までは器械体操部に所属していたが、高校進学をきっかけに、新体操の道を進んだ。持ち前の器用さで、野呂はその年の11月に行われた新人大会で優勝を果たした。

 これが、いけなかった。新人戦とはいえ、新体操を始めて1年もたたずして獲った頂点は、彼を慢心させるには十分だった。
「これで勝てるんだ」。

 
 そうした気持ちのゆるみは、すぐに練習にあらわれ、すなわちそれは結果にもあらわれた。2年次の関東大会の結果は「ボロボロ」。そこから「負けたくない、と思って」臨んだ同年の県総体最終予選では、蜂須賀、野呂、ともに落下のミスがあったにも関わらず、0.2もの差をつけられ、蜂須賀がインターハイの切符を手にした。


 「この0.2は、ミスではなく実力の差なのだ」―――突きつけられた現実を、痛感した。




 時間軸を戻して今年の6月、県総体最終予選。場所は大会の都合で、光明高校の体育館で行われることとなった。

 いつもの場所で、いつものメンバーと、いつもの演技をする。ただひとつ違うのは、これで高校最後のインターハイ出場者が決まるということだ。
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 この日、貝瀬監督は関東大会での言葉通り、自らは採点せずOBに審判を任せた。どちらかを切ることは、ふたりの三年間を見てきた監督には酷だった。



 試技順は野呂が1番、蜂須賀は4番と、多少間隔が空いていた。そのためふたりは試技の合間に、互いの演技を見る時間が十分にあった。それぞれ誰の演技のときでも、大学生さながらの激しい応援の檄を飛ばし合った。

 ふたりに「相手の演技を見てるとき、何を考えていたか」とたずねると、どちらも「応援のときは何も考えずに、ただ応援していた」といった答えだった。

おそらくそれは本当だろう。ただ、互いの演技を見つめる視線が、いつもより真剣だったのもまた本当だ。
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 そして、わずか1時間半ほどで、結果は下される。





 野呂 昴大   棒:9.275  リング:9.225
 蜂須賀 竜太  棒:9.125  リング:9.175




 最後のインターハイ出場権は、野呂が掴んだ。蜂須賀は棒でラインオーバーのミスで減点。関東に続き、ここでも「まさかのミス」に泣かされた。



 しかし私の目から見て、ふたりの実力はほぼ均衡していた。ただ、唯一その差を挙げるとするならば「負けを知った者の強さ」ということに尽きる。

今でも、去年のインターハイに出場できなかったことについて野呂は「すごく悔しかった」と語る。あの日の負けの悔しさが、1年越しの思いとなって彼を勝利に導いた。







 7月21日。インターハイを目前に控えたこの日の光明高校の体育館で、私はまた、「負けを知った者の強さ」を目の当たりにした。

 光明の伝統で、夏は選手たちが自ら坊主頭になる。ただ彼に関して言えば、変化したのは姿だけではないようだった。
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 別に普段がふざけているというわけではない。おそらくインターハイが近い、ということもあっただろう。しかしこの日、約1ヶ月ぶりに見た蜂須賀は、練習に対して他の誰よりも「真摯」であるように見えた。



 この日、インターハイの団体演技と同時に、野呂以外の選手はすでに国体予選の個人演技の練習に入っていた。国体は団体出場メンバーのうち4名が、棒・リング・縄・棍棒の一種目ずつ個人競技に出場し、個人と団体の点数を合わせて競われる。

 棍棒での出場を予定している蜂須賀は、この日朝から頭痛と吐き気を抱えていたにも関わらず、個人練習で何度となくダイナミックなタンブリングを見せた。途中、具合悪そうに座り込んで頭を抱える姿を見せながらも、それでも個人の流しの後にはすぐにラストの確認。呼吸も整わないまま、何度も同じ動きを繰り返す。時折、ひとりフロアを抜けて貝瀬監督に動きの指導をもらいに行く。練習が終わりの時間に近づき「ハチ(の流し)で最後ね」と言われた後も、時間ギリギリまでタンブリング練習を行った。
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 光明高校には不幸なことに、わくわくさせてくれる選手がふたり、最終学年にいる。

 どちらかが勝つということは、どちらかが負けるということ。その負けがまた選手を強くする。彼らは三年間、その繰り返しを演じてきた。
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 或いはその負けの輪廻こそ、私をわくわくさせてくれる源なのかもしれない。

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posted by reportage | 22:45 | 光明学園相模原高等学校 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2007年07月25日

光明高校 vol.2-負けの輪廻(中)-

 光明高校に2回目の取材に訪れた日、「面白い演技をする子がいるな」と思った。とにかく、手具操作が器用。演技の中に多分に盛り込まれたそれは、見る側を飽きさせない。素早さと間、その人目をひく緩急のつけた動きには、思わず見入ってシャッターを押す手を止めてしまう。それが、野呂昴大だった。
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 部の中でも、野呂は周囲に気を遣うタイプだ。ひとりひとり順に行うタンブリング練習で、野呂は自分の次の選手が誰であっても必ず、その選手の着地を確認するまでマットの隣に補助に立っている。高校始めの1年生がタンブリングに入ると「補助、補助!」と声をかける。
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 光明高校では週1回、地元の小学生を対象とした新体操教室を行っている。教えるのは高校生たちだ。その中でも面倒見の良い野呂のまわりには、いつも子供たちが集まってくる。あんまり集まってちょっかを出してくるから、身動きがとれなくなって「あー!!」なんて声をあげることもしばしばだ。
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 よく周りに気がつくということはそれだけ、まわりに左右されるということでもある。


 大会会場で、蜂須賀は自然に集中力を高めていけるタイプだ。会場に入る前に、深呼吸しただけで、スイッチが入る。
 一方で、自身を「雰囲気にのまれる方」だと語る野呂は、意識的に集中を高め、調整を図らなければならない。だとするならば今回の結果は、彼の調整への努力の賜物である。



 「個人は動いていないと不安」だと語る野呂は、関東大会の公式練習でも、ピョンピョンと軽快にフロアを動き回った。学校の練習に組み込まれている、可動域を広げる運動“操体法”も、どこに行っても必ずやるように心がけた。

 その成果あってか、一種目めの棒で種目別1位を獲得。しかし、二種目めのリングに入る前にそれを聞かされたことは、彼にとってプレッシャー以外の何者にもならなかった。

 チームメイトの蜂須賀の演技についてすら、「自分よりうまく見える。でもここで自信をなくしたら、大きく動けなくなるから、見ないようにしてる」と語る選手である。1位ときいてのプレッシャーは、想像に難くない。




 それを打ち払おうと、ここでも周囲の演技を極力見ないように努めた。その分、練習場で体を十分に温め、必ず一汗かいてから演技に入った。結果、リングの演技直前、彼はアップゾーンで自身が1位であることを忘れるほどに集中していた。


 そして臨んだリングの演技。終盤の複雑な手具操作では会場を沸かせ、見事ノーミス。2種目を制し完全優勝を飾った。
 





 野呂はどちらかというと調子に波のある選手。だとしたら、今の彼は完全に波に乗っている。

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