2008年11月28日

花園大学 木村功-プラン-(前)

06年 大学1年生 全日本インカレ 17位(全日本選手権出場ならず)
07年 大学2年生 全日本インカレ 20位(全日本選手権出場ならず)
08年 大学3年生 全日本インカレ 準優勝


 彼の実績を調べると、思わず感嘆の声が漏れた。これほどの短期間に、これだけ順位を上げた選手が近年でいただろうか。
 そしてさらに嘆息を誘ったのは、これが全て、彼のプラン通りに進んだ結果であるという事実である。

 今年8月の全日本インカレ。しっとりとした曲と、その演技にあわせてあつらえたような、長い手足が織り成すしなやかな動き。柔らかな手先の表現、絶妙な間。その全てに、空気を染め上げるような雰囲気があった。ライバルであるはずの青森大の選手から「アイツが優勝でも良いと思った」とまで言わしめたこの演技で、全日本インカレ準優勝。これまでの自己最高順位を記録した。
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 木村功という名前でピンと来る人がいたら、そこそこに男子新体操に詳しいか、東北出身の人間に限られるかもしれない。先にあげたこれまでの大会結果、高校時代の成績、そして彼自身が「全国で無名の選手」と自分を評するように、全国レベルでは決して目立った選手ではなかったからだ。


 高校は福島県立葵高等学校。馴染みのない名前はそのはずで、福島県で男子新体操といえば会津工業の名前がまず出てくる。県大会でそこを勝ち抜いたところで、東北には青森山田、盛岡市立のふたつの雄が待ち構える。県とブロック大会を勝ちあがって全国に出場するだけでも、簡単なことではない。高校時代の記録は、2年時の選抜大会9位、3年でのインターハイ8位。この年はインターハイ8位までは全日本選手権への出場権が与えられたから、それにも出場している。

 こうした背景を知れば或いは、たいしたものだ、と思えるかもしれない。しかし順位表を見ただけでは決して取り立てたものではない。当の本人も、全国大会への出場を決めたところで「旅行に行けるなぁ」と思った程度で、そこで勝ち抜こうなどという気はさらさらなかった。


 そんな彼が、全日本インカレで準優勝。…仕掛けなしには、考えられない。

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 きっかけは、花園大学への入学だった。とにかく個人競技に定評のある花園大学、その層の厚さは他大学の比ではない。インカレの予選である西インカレでは、例年同じ大学同士でしのぎを削り、多くの選手が振り落とされた。人数は多いが、練習場のフロアは1面しかないし、団体もあるので時間も限られている。
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 自由な気風で、学年関係なくフラットなイメージのある花園大だが、その実、誰もが互いにライバルであることを忘れてはいない。他の選手を出し抜くために、人目につかない場所で練習する選手もいた。誰もが闘志をもち、それを内に秘めていた。そんな環境にいれば自然、勝ちに対する意識は芽生える。では、勝つためにどうするか。

 このとき彼は、具体的な方法も提示されている。主将からこんなことを言われた。
「好きな演技をやりたければ、1、2年のうちに実施で点を出せるようにならなること。実施で基礎的な能力があることを周囲に認知させてから、好きな演技をすれば、点数がついてくる」

 新体操は、実施点と構成点というふたつ側面から採点される。構成はその名の通り演技の構成、入っている技や動きについてつけられる点数で、実施は演技の完成度についてつけられる。例えば、投げ上げた手具を、歩かずにその場で受け取ったり、タンブリングの着地でピタリと止まったり、という具合に、演技の熟練度合いを測る。

 さらに平たく言うなら、おもしろい演技では構成点が、ミスのない演技では実施点がつく。個人ではこのふたつを10点満点で採点し、その2分の一ずつを足した合計が点数となる。

 複雑で面白みのある演技をすれば構成点は伸びやすいが、難しい構成はその分リスクがある。ミスが出れば実施点を引かれるから、このふたつは反比例関係にあるといってもいい。

 そんな中で、先輩は彼に「1、2年のうちは実施で点が取れる演技をしろ」と説いた。ひとつには、ミスなく演技をこなせる基礎がなければ、難しい構成などこなせるはずがないからだ。そしてもうひとつは、無名な選手が、自分のやりたいような演技で点数をとるためには、まず周囲に実力があることを認めさせなければならないからだ。

 実施で高得点を出せば、基礎的な能力があることを示せる。基礎が未熟なうちに、或いは名前も通らないうちに変わった演技をしたところで、高得点は望めなかった。何より、彼自身が「点数の出ない、個性的な演技」をすることに意味を見出せなかった。
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 勝つという目的に、手段が加わった。あとは実行に移すのみ。…しかし。




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2008年11月24日

青森大学-采配-(後)

 翌日の全日本インカレ、団体競技。試技は完璧な演技を披露した国士舘大学の後に行われた。

 繊細なピアノの音から始まる青森大学の演技は、バランスを寸分の乱れもなく合わせた後、最初の見せ場、第一タンブリングに入る。ピアノの主旋律に、低音の伴奏が荘厳さを加えたところで、助走してきた外崎がドッペル。着地で一歩、前に歩いたが、男子新体操史上初というそれは、周囲を沸かせながらあまりにもあっけなく成功した。いや、あっけなく見えた、というだけなのかもしれない。彼にとって本当に頭を悩ませた技が、この後に控えていることを知っていたために、そんな風に見えただけなのかもしれない。
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 そして迎える、問題の第二タンブリング。6人同時で始まるバック転から、外崎は半分ひねって踏み切ったところを、周囲の3人に支えられるようにして受け止められる。そのまま背中から押し上げられるように宙を舞った体は1回転。空中で足を軽く前後に開くと―――片方の膝を曲げた、座の状態で着地した。直前の葛藤を知らなければ、なんということもない、と思うほどにそれは自然だった。技を変更してからの1本通しは、これ初めてだった。

 本当の、最終的な決断を下したのは公式練習の直前。皆を集めて、改めて変更の旨を伝えてから、監督はこう続けた。
「0.3減点されるかもしれない、後ろめたい状態ではやりたくはない。(青大で創部してからの)7年間、俺は自分の決めた采配で失敗したことがない。今もこの決断は失敗だと思わない。お前たちなら出来ると信頼しているし、自分の采配にも自信がある。…どうだ?」

 実際5月に行われた東インカレで、その出発当日に団体の選手変更を行うという、無謀とも言える行動に出たが、演技はミスなく終えることができた。監督の指揮と自身の実力の確かさを、選手たちは実体験として知っている。たずねられて、うなずいた。


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 練習会場の公式練習で一度だけ、この変更部分の練習は行われた。実はこの時、技は失敗している。投げ上げられる前に組みは崩れたのだ。だがやり直しはさせなかった。
「それでいい。今の感覚で、こうきたら、こうなる、ということだけ感じておいてくれ。今の突き上げられてからの感覚さえ覚えておけば心配ない。」

 そこで何度も練習を繰り返せば、肉体的な負担はもちろんだが、その部分ばかり妙に意識して、余計に力んでしまう。たった数秒の技にウェートを置くことで、他がおろそかにならぬよう、との配慮のもとのアドバイスだった。伏臥よりも座を選んだのは、その方が外崎にとってわかりやすいだろうと考えたためだ。これもやはり、リスクは最低限に抑える彼の性分があらわれた。

 そして外崎は練習でのミスを、本番ではきっちり修正してきた。この演技で今年も、絶対王者は表彰台の高みに上った。


 創部8年目を迎えた青森大学。未だ、彼の采配にミスはない。


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2008年11月23日

青森大学-采配-(前)

 絶対王者・青森大学の今年最大の武器は、ふたつのタンブリングである。ひとつめは、何と言っても男子新体操史上初となる大技・伸身2回宙返り。別名スワンドッペルとも言われるこの技、文字通り体を抱え込まない“伸身”の状態で、体を空中で後方に2回転させる。成功させれば、その後も語られることになる。

 もうひとつは、終盤の組み技。土台となる二人の選手が一人を垂直に投げ上げる技である。宙を舞う選手は、たった二人の土台で、高校生5人が力いっぱい投げ上げたほどの高さまで飛び上がり、空中で1回、2回―――なんと、空中で後方に2回転と、4分の1。ギュンギュンと回転のかかった体は、勢いそのままに地面に突っ込んでくる。それを二人の選手が両腕で抱えて受け止め、勢いを殺し、今度はその両腕を支持してグン、と前に押し出す―――青森山田高校の得意技としておなじみの“ブランコ”へとつなげるのだ。(ブランコは坂出工業高校:現青森大監督中田監督が平成4年に始め、平成8年に現在の人間が一回転する技を発表した)

 まさに大技と呼ぶにふさわしい技。間近にすると、頭で理解する前に肌が迫力を感じとり、息が止まった。

 このふたつの技で、ドッペルをするのも、投げ上げられる役を請け負うのも、タンブリングに定評のある外崎成仁。青大には彼なくしてはなしえない技がいくつもある。そのどれもが、演技の中核となる技ばかりだった。―――が、今年のインカレで彼を悩ませたのはこのふたつの技のどちらでもない。そのことを知る者は、僅か。
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 新体操の監督というのは、繊細で緻密な人間が少なくはないが、中田吉光という人間ほど緻密な監督を私は知らない。彼は普段から布団に入ると、頭の中で大会の流れを、シュミレーションする。

 それは遠征ではお馴染みの青大のグリーンのバスで学校を出るところから始まる。練習場所を共にする青森山田の選手とともにバスに乗り込むと、全日本選手権であれば、途中、盛岡で停車する。旧知の仲である野呂一希監督の率いる、盛岡市立高校の面々をひろっていくのである。彼らはたいてい、全日本選手権の出場を決めてくるから、これもいつものことだ。

 長いバスの旅を経て、インカレ前から予約しておいた宿舎に―――これは予約の際に、ネットで見た外観写真と施設情報をもとに想像するのだが―――着くと、受付で手続きを済ませ、食事や翌日の出発時間をフロントと話し合う。それが決まれば部員とミーティング、食事、風呂、就寝。そして翌朝に起床、朝食。決められたスケジュールどおりにそれらをこなし、宿を出る。

 会場入りすると公式練習の時間から逆算してアップを開始、万全の体制で公式練習に臨む―――と、これらをすべてひとつひとつ、頭の中で映像化して、確かなものにしていく。それはもう、習慣ともいえるものになっていた。
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 それほどまでに緻密な人間が、致命的なミスに気がついたのは、団体競技予選のなんと前日のことだった。演技の中に、0.3もの減点要素があることが発覚した。0.025単位の点差が勝負を分かつ新体操において、それは勝負をひっくり返すのには十分すぎるほどの減点である。

 具体的に説明すると、こうである。男子の団体では1回半以上の回転を伴う空中技で、頭から着地するもの、つまり前転の状態で着地するものは1回しか入れてはいけない、という決まりがある。この前転で着地する技を“転系”の技、という風に表現する。この転系の技は危険度が高いために、転で1回半以上回転する技は、大学や社会人では1回、高校以下の試合では完全に禁止されている。

 タンブリングの中でも難易度が高いこの技は、入れる場合にはたいてい、まだ体力のある演技の序盤、“第一タンブリング”で行うことが多い。青大もその例にもれず、第一タンブリングに、この転系の技を入れてきている。この時点で、まだ減点はない。

 さて、問題の減点対象はふたつめのタンブリング、第二タンブリングにある。ここでも要になるのは、やはり外崎。フロアを斜めに使って、手前に向かってバック転してきた外崎は、床を手で突き飛ばすとそのまま中に舞い上がり、着地点に控える3人の土台に飛び込む。土台の3人がそれを再び宙高く投げ上げると、外崎は空中で一回転、頭から前転の形、つまり転で着地する。
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 演技の見せ場のひとつでもあるこの技、一見するルールには触れない。外崎は手で踏み切って、組みを経て宙で1回転し、頭から着地しているわけだから、空中での回転は1回。1回転の、転系の技である。これであれば規定にはひっかからないはずである。解釈としてもこのルールは、1回半宙返り転を想定し作成されたものだった。―――が、ひっかかっていた。団体予選の前日、行動をともにしていた盛岡市立の野呂監督の進言で調べてみたところ、厳密に言うとこうした技も、制限される転系の技に含まれているということがわかった。あそこまで入念に大会までの道程を考える人間にとっては、迂闊だった、としか言いようがない。

 監督はおろか、選手ですら、そして実は審判ですら、このことに気がついてはいなかった。というのは実は問題のこの技、東インカレの演技でも入れているのだ。が、減点にはなっていない。単純に、審判も分かっていなかった。彼らも規定にひっかかるものを、1回半の転と想定していたためだ。

 だから3年の高岩馨が「(このままやっても)バレないんじゃないか」と思っていたことや、同行していた青森山田の荒川監督や盛岡市立の野呂監督が「このまま押し通せますよ」と言ったのにも、一理ある。
 が、どうだろうか。東インカレの時のように知らずにやっていたならまだしも、減点の可能性があると知りながら、それをやって減点されたら。やはり、と自責するのだろうか。

 問題は、着地にある。要は頭から落ちるから転としてカウントされるのだ。例えば、胸と両手で体を支える、腕立て伏せのような状態になる“伏臥(ふくが)”で着地すれば、減点にはならない。或いは片膝立ちの状態の“座”で着地すれば、これも減点にはならない。
 普通で言えばこちらの着地の方が選手にとっては格段に安全である。だが今回のことは技の安全性云々ではなく、試合前日に構成を変えることの方にリスクがあった。今からだとフロアを使っての練習は、午後の11分ずつの公式練習、2回きり。
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 大会までの道のりは、監督にとって負ける要素を徹底的に廃す作業に取り組む期間、と言ってもいい。常に「万が一」をつぶすのが彼の監督としての仕事だった。リスクを減らすことが彼の最優先事項だった。しかし今回は技を入れるにせよ入れないにせよ、リスクは背負わなければならない。ならば…いや、しかし…。思考は二転三転した。
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 団体の試合を翌日に控えたこの日、会場では朝から個人競技の試合が始まる。午後からは団体の公式練習がもうけられていた。午前の間中、監督の思考は流転し続ける。団体選手の間でも変える、変えないの情報は交錯し、「あれ、変えるんだっけ?」と互いに確認するのは一度や二度では済まなかった。昼ごろになって、結局、伏臥で着地する、ということで話が落ち着いた。伏臥であれば確実に減点はされないし、迫力でいっても、転にそうひけはとらないはずだ。何より、転での着地よりこちらの方がはるかに安全なのである。この程度の、しかもマイナーチェンジであれば、タンブリングの名手である外崎にとっては何ということもないだろう、と誰もが思っていた。
…だからそれに気付いた者は、チームの中にもほとんどいない。
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 意外に知られていないことだが、青大の団体選手は大会での公式練習の前に、眠る。団体の公式練習や試合は、個人競技の後に行われる。個人演技は長丁場になる。たとえ見ているだけであっても、長時間座り続けていると体がだるくなる。だから、青大の個人選手の応援の合間に、適宜眠りに行くのだ。それが知られていないのは、彼らが使っていない通路やカーテンの裏など、人目につかないところを選んで、各自仮眠をとっているからだった。
 その、皆が休息をとっているはずのその時間に、中田監督は選手から声をかけられる。
「…先生、眠れません」―――外崎だった。

 たとえ難易度を落としていたとしても、この変更は、勝負強さで定評のある彼にも確実にプレッシャーを与えていた。それに、彼はもともと「人に投げられる」タンブリングが好きではなかった。自分の手で足で、踏み切るのならどんなものでも自信があったが、人を介して行うとなると、彼らしからぬ不安がよぎることがあった。そのタンブリングが、まさに試合直前の変更。練習時間はほとんどない。ほぼ、ぶっつけ近い状態。彼は眠れなかった。

 監督としても彼のこの行動は意外だったが、とりあえずは外崎を落ち着かせなければならなかった。
「わかった。タンブリングは変えない。そのまま行こう。だからお前は安心して寝ろ」
そう言って、彼に休むように促した。当然ながら、彼を安心させるための方便である。


 …さて、どうしたものか。一度はまとまりかけた思考が、彼の中で再び行きつ戻りつを始めた。


posted by reportage |23:26 | 青森大学 | コメント(0) | トラックバック(0)
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