2008年08月30日
昨年、滝沢南中学校新体操部を、見事全日本ジュニア初優勝に導いた小渡監督には、ささやかな自負がある。
「自分は演技指導はかなり下のほうだと思ってるけど、選手が部活に来たいと思わせることに関しては、自信がある」
滝沢南中の練習を見れば、それが決して驕りなどではないことが分かる。
監督には、部に新入生が入ると必ずすることがある。大会のビデオを配るのだ。昨年の全日本ジュニアで優勝した際の演技などはもちろんであるが、全日本選手権を制した大学生のものなど、中学生ではとても手の届かないようなレベルの高い演技も見せる。
中でも現在も全日本選手権を連覇中の青森大学の演技は圧巻である。鍛え上げられた大きな身体から繰り出される迫力のタンブリングに、一糸乱れぬ徒手。今年度の場合は、その演技が、現在、滝沢南中Bチームの指揮を執る中村祥輝によるものであることを説明してみせた。さらに彼が滝沢南中で新体操を始めたことを話せば、きっかけとしてはもう十分である。「中学から始めてもこういう風になれるんだ」。まずは憧れと、イメージを持たせる。
それから、監督は普段から頻繁に「日本一」という言葉を持ち出す。「日本一を目指すやつが宿題もやってこないのか」「日本一のチームならできるだろう」。とにかく場面を問わずにそう言われれば、日本一なんて夢にも思わない選手だって、自然、意識するものである。
動機付けと、日本一を目指す気持ちが芽生えれば、あとは「練習を好きにさせて、部活を楽しませる」ことに尽きる。
手具の投げ技の練習では、チーム分けして対抗戦にしてみる。シェネで何ポイント、タンブリングで何ポイント、なんて技によってポイント制にすれば、自然とゲームのような雰囲気になる。冬場にメインとなる、地味な補強や筋トレも、景品がかかると途端に面白くなる。「補強メニューが一番早くに終わったやつには、財布の中の何かをあげよう」なんて言われれば、それが十円玉か百円玉か分からなくとも、盛り上がるというものだ。
言うまでもないが、楽しい練習と楽な練習は違う。冬の体づくりのシーズンは、徒手の基本的な動きに1時間、ブリッジや転回といったマットの基本にみっちり2時間を費やす。ロンダートなどのタンブリングの基礎をつくる「あふり」という動きでは、フロアを10往復させる。これは大学生も嫌がる練習量である。
それでも、主将の三上健太は補強運動を「辛いけど、自分に力もつくし、楽しくやったりするので」と笑って話す。「練習全体も楽しいし、先生も面白いし」
かつては不登校だった生徒も、部活にだけは顔をだすようになったという。
やはり、驕りなどではない。
それともうひとつ、彼には譲れない持論がある。
「気持ちがあれば、絶対にうまくなれる」
この根拠を知りたければ、監督自身の歴史について少し振り返ればいい。自身でも「キラキラしていた」と語る大学時代をちょっと遡れば、この持論は十分に説得力を持つ。
posted by reportage |21:48 |
滝沢南中学校 |
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2008年08月21日
箱根駅伝でその名を知られる、山梨学院大学陸上部の名将・上田監督が、こんなことを言っていた。
「人生においては何が起きるのかが問題ではなくて、起こったことをどう受け止めるかが大切だ」と。
耳ざわりの良い胡弓の音色で始まる彼の演技は、柔らかな動きとキレの緩急が絶妙で、いつまでも見ていたいと思うような、心地よい演技だった。
7月某日、京都は花園大学。演じるのは、合宿でこの地を訪れていた佐賀県神崎清明高校の、木原正憲。周囲を圧倒するのではなく、自然に空気を変えてしまうような演技に、見入った。
演技が終わると、花園大学のOBにつきっきりで教えを請う。一言、指摘を受けるごとにみるみる上達していく彼から、目が離せなくなった。以前の彼とは明らかに、何かが違っていた。
ふと、神埼清明の中山監督の「個人は勝ちたきゃ、勝手にやるから」という言葉が思い出された。神崎清明は個人に関しては、ほぼ選手に任せる形をとっている。その言葉通り、この変化が彼自身によって及ぼされたものだとするならば、それは――――それは、大したものだ。シャッターを切りながら、昨シーズンの彼に思いを馳せた。
木原の第一印象は、真面目で繊細そうな子だな、ということだった。
初めて彼に会ったのは07年の5月。線のきれいな、丁寧な演技をする彼の実際は、そのイメージと寸分も違わなかった。言葉を選びながら、慎重に、少し控えめに、でも聞かれたことに対しては的確に答えようと努めた。時折目が合うと、必ずツイと逸らされた。心なしか沈んで見えたのは、このとき彼が負っていた怪我のためだったかもしれない。
彼は左ひざにジャンパー膝という、腱の炎症を抱え、団体メンバーから外れていた。しかし、中学から団体経験のある彼はチームには欠かせない存在であるし、何より神埼清明といえば全国大会での優勝格である。木原に関しても、インターハイまでには何とか仕上げてくるだろう、と思っていた。
――――が、間に合わなかった。07年のインターハイ直前、痛めていた膝に滑液包炎を併発。団体メンバーから外れることを余儀なくされた。彼の舞台は、秋の国体の場に持ち越された、はずだった。
10月。秋田の国体会場に、木原は左足にギプスをはめて現れた。松葉杖をした彼は何度かこちらに気付いて目を向けたが、またすぐに目を背けた。膝の擦り傷にばい菌が入って化膿したのだという。膝の状態は、以前よりももっと悪かった。
こうして2年の選抜以降を、彼は丸々棒に振った。そう、少なくとも傍目には、棒に振ったかのように思えた。
「人生においては何が起きるのかが問題ではなくて、起こったことをどう受け止めるかが大切だ」
この言葉は、昨シーズンの彼を体現するものである。
ほぼ1年間、団体から抜けていた木原は、ひとつ思ったことがあった。
「外から見た団体は、こんなだったのか」
中学で新体操を始めてから、自分は常に“団体メンバー”の一員で、
怪我で抜けるまで、レギュラーから外れることなどなかった。思えば、こんな風に“外から”団体を見るのは、初めてじゃなかったか。
そんな風にして、彼は自分のいない団体演技から、新体操の新しい見方を知った。「新体操は、人に見せる競技なのだ」と、再認識した。以前から、聡いところのある選手だと思っていたが、この認識は彼の考えの根本に影響を与えることとなった。そしてそれは、彼自身の内にとどまらなかった。
木原は団体メンバーのひとり、中学からのチームメイトで同じくチームの柱となる存在の田原丈嗣と、改まったミーティングを開いた。長い付き合いと、互いに実力を認め合った仲だったが、それだけに「言わなくても分かるだろう」という思いがあった。そしてその思いが緊密なコミュニケーションを邪魔していることに気が付いたのだ。
話し合い、「3年が声をだして、雰囲気を盛り上げて、ひっぱっていくチームをつくろう」と決めた。その内容よりも、話し合って決めたことが、大きな意味を持っていた。チームは改めて、ひとつになる。
団体チームが通し練習をする前に、掲げる言葉がある。
「やるない、やろう!」
佐賀弁のこの言葉には、「やるんだったら、一本で決めよう」という思いがこめられている。現在、チームのメンバーはそのほとんどが何らかの故障を抱えており、何本も通し練習をすればその分、体に負担がかかる。チームの状態を慮り、しかし勝つために妥協はしない、強い言葉である。
満身創痍のチームには、鋼の心が宿る。
以前は、演技をこなすことで精一杯だった。その彼が今では「審判を越えて、客席まで伝わる演技がしたい」という。インターハイで、その思いは確かに伝わったはずだ。
そしてそう話す木原は、今度は決して、視線を逸らさなかった。
posted by reportage |04:01 |
佐賀県立神埼清明高校 |
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