2007年07月11日

紫野高校 -機能(後)-

では、このチームを機能させているもっとも大きな要因は何だろうか。
それはおそらく、絶妙な人間関係だろう。
 まず、3年の山根と坂口。彼らは演技にせよ性格にせよ、まったく逆のタイプである。
山根の演技の魅力は、前述したようにタンブリングの強さである。一方で坂口は徒手の動きが好きで、練習もしばしばそちらに偏ってしまうほどである。
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 学校でも、山根が比較的おとなしい友人が多いのに対し、坂口はにぎやかなグループとつるむ。「新体操がなかったら、接点がなかったような二人」と監督語るほどに対照的なふたりだが、不思議と仲が良い。お互いが足りない部分を補いながら、部をまとめる。不思議な調和がとれているのだ。
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 調和ということに関して言えば、2年の3人も面白い。
 2年には小椋、廣庭という個人で選抜出場を果たした2名の選手がいる。個人ではこの二人が間違いなく、紫野を背負って立つ存在だろう。そしてそれと同時に、この二人は長い間ライバル関係でもあった。


 小学校5年から同時に新体操を始めた二人は大会に出場するようになってから、表には出さないが互いをライバルと意識するようになっていた。結果から言えば、これまで順位では常に小椋が上だった。それが、今年3月の選抜で初めて廣庭が順位を上回った。続けざまに、5月の近畿大会でも廣庭が二位、小椋が三位。このことはどちらの選手にも少なからず、心理的に影響を与えたはずだ。
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「2年があの二人だけだったら、気まずいこともあったかもしれない」
監督がそう語る、二人の中和剤になるのが、同じく2年の和藤だ。

 和藤は、何というか独特の雰囲気をもっている。「マイペース」という言葉があまりにもしっくりくる彼は、大会でもプレッシャーを力に変えて、練習以上の演技をみせることがある。周りに左右されるどころか、自ら空気をつくり出すような存在。それは練習中にも言えることだった。




 倒立の練習中のことである。この日は10本、全員で倒立を止まれば終わり、というメニューだった。しかし逆に言えば、10本止まらなければ延々とつづくということである。

 一度、集中が切れて止まらなくなると、そこから立て直すにはさらに集中力が要る。しかし本数をこなせばその分だけ疲労がたまり、集中力が失われる。消耗してくると声も出なくなり、雰囲気も悪くなる。この日は6本までは止まったが、そこからが進まない。悪循環のスパイラルにはまると、なかなか抜け出せないのだ。


 「あと4本、止めたら良いだけやんか」そんな折にふっと、どこか力の抜けたように言うのが和藤だった。すると周りも「そやな」と返す。チームから肩の力が少し抜けたのを感じた。
 結局、この日は10本止まるのに23本の倒立をしたわけだが、そこから苦しい場面になっても、選手の表情から笑顔は消えなかった。
 この場面での和藤の言葉は、どんな檄や掛け声よりも効果的だったに違いない。つまり、彼はそいういう存在なのだ。
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 こうした練習に、部で唯一の一年の石井はよく喰らいついている。器械体操出身の石井はこのとき、新体操を始めてわずか2ヶ月ほどだったが、ジュニアからの経験者のいる中でよくついてきているな、という印象をうけた。
 
 部員は団体が組めるぎりぎりの6人だから、当然石井も団体に入る。しかし周囲との力の差を見ていると、一本通すだけでも相当に辛いだろうと思わずにはいられない。しかし石井はそれについて「みんなと差があるのは辛いけど、通した後、達成感があるから」とはにかんだような笑顔で答える。


 個人練習の時間になると、それぞれ演技をもっている5人は各自練習に入るが、新体操を始めてまだ日の浅い石井は、基本的な手具操作の練習を黙々と続けるのみである。が、彼がひとりで練習しているシーンは、案外にすくない。

 例えば、練習中に坂口の手具が転がって場外に出る。それを、フロアの外にいる石井が拾って渡す。すると「ありがとう。お礼に教えたるわ」といって坂口が新しい手具操作を教える。こんな調子で、代わる代わる誰かしら、教えにやってくる。
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 この日、個人選手全員で2本ずつ、リスクをやって落とした本数×1分、壁倒立(壁に脚をよりかからせる形でする倒立)をする、という少しゲーム性のある練習をすることとなった。石井はまだリスクはできないが、罰ゲームの倒立には参加する。この日は結局3本落として、壁倒立3分が決定した。大学生でもキツイという3分の壁倒立、2年生が途中で根を上げる場面もあった中、周りよりもひと回り体格の小さい石井が、黙って耐えた。

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そうした彼の努力を誰もが認めている。だからよく教えるし、周囲もまた、それによって得るものがあるのだろう、と思う。
 「石井君、(壁倒立)落ちんかったな」「がんばったやん」
 練習後に周りからそう言われると、彼はまたはにかんだように笑った。 
 



 木学監督に今年のチームについて聞くと、去年は北村がひっぱっていくチームだったが今年はみんなでひっぱりあげよう、というチームだと語った。そして「彼らは特別かもしれないですね」と結んだ。


 学年や役職ではなくひとりひとりの性質がかみ合うことで、部は機能している。紫野高校はこういう部活もあるのだと、私に教えてくれた。

またひとつ、楽しみなチームが増えた。





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2007年07月09日

京都市立紫野高校 -機能(前)-

「チームが機能する」というのは、団体において個々がそれぞれの役割を全うし、それらがうまくかみ合っている状態を指す。だとしたら、紫野高校はチームとして機能していると言えるだろう。それも、何というか、少し不思議なかたちで。





 例えば、練習中のこと。
「さぁ、しっかり!」「集中集中!」
練習中、もっとも声を出すのは主将というが相場だが、ここでは2年の廣庭がその役割をかって出る。
 タンブリングがうまくいけば、「よっしゃ!」と拍手。朝から晩までの一日練習がつづいた、連休の最終日、疲労がピークに達していたチームを「さぁ、声出して!」と真っ先に盛り上げたのも、彼だった。
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 例えば、上下関係の希薄さ。
 強豪と呼ばれるチームには「フロアの上では学年の上下関係なく、指摘しあう」という気風があるが、そういうことではなくここでは日常的に上下関係がない。
「今のラスト、良かった」。個人演技の練習中、2年の小椋はまるで友達に話すように、3年の坂口に言う。ここではそうすることが自然な、そんな空気なのだ。





例えば、団体演技に対する意識。「団体と個人、どちらが好きか」と尋ねると、全員がもれなく「個人」と答える。多くのチームは団体演技を通じて改めてチームとしての意識を強めるが、ここではどうもそうではないらしい。





 とにかく、今まで目にしてきた「機能しているチーム」とは明らかに違う。それでも、このチームはなぜだかうまいこと調和を保っている。いったい何が、それを可能にしているのか。それらは練習を注意深く観察し、選手たちの性格を知れば、みえてくるものだった。





 まず、練習中のことに関して。
 これに関していえば、ひとえにタイプの違い、ということに尽きる。主将の山根は、自らあれこれ指示を出すタイプではない。練習中、もっとも声を出して雰囲気を盛り上げるのは2年の廣庭だし、下級生や中学生によく教える、面倒見が良いタイプなのは3年の坂口だ。代わりに山根は、そのどちらとも違う形で部を引っ張る。
 
 今年の紫野の団体の構成で、山根のパートは他の選手の3倍の運動量に相当する。彼のパートはタンブリングが多く、当然そこがもっとも消耗する部分なのだが、「ここのところ調子が良くない」と木学監督が語っていたその日ですら、その部分を1本の流しの中で何度も何度も練習した。取材で滞在した3日の間、私は練習中に、彼の口から「疲れた」といった類の言葉を聞くことはなかった。
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 それから、上下関係の希薄さについて。
これは、京都体操協会が運営している新体操教室の影響が多分にある。

 現在の2年の小椋と廣庭はその新体操教室出身であり、その練習場所であった紫野高校には小学5年から出入りしている。高校入学前から3年のふたりとは一緒に練習してきた。それが高校に入ったとたんに「先輩・後輩」なることのほうが、彼らにとっては不自然な話だ。現に彼らは昨年(2006年)インハイ準優勝を飾った北村正嗣のことも「まーくん」と親しげに呼ぶ。

 そういったわけで、紫野高校は至極自然な形で「上下関係のないチーム」となった。
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 それから、団体に対する意識。
 これは練習を見ていれば、納得のいく話だった。
 部の雰囲気は、先にも述べたように上下関係がないせいもあり、基本的にゆったりとしている。
「ぼちぼち始めようか」。朝8:30という、比較的早い時間に始まる紫野高校の部活は、木学監督のこの言葉をきっかけにがらりと雰囲気を変える。
 
「徒手!」監督が言うが早いか、走りもアップもすっ飛ばしていきなり、団体のバランスの練習から入る。そこから続けざまに上下肢、斜前屈、体回旋といった団体の部分練習を、ハイ次、ハイ次と、めまぐるしい速さでこなしていく。
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それが終わるとすぐに団体の流し。
「今言われたとこ、各自で言ってけ!」曲を流して動きながら、先ほどの部分練習の確認。1曲終わると、間髪いれずにもう1曲。見ている側が苦しくなるほどに、まさしく息つく暇もない。選手たちも呼吸が荒くなり、思わず顔が歪む。が、そこにすぐに「しんどい練習しとんのやから、しんどいの当たり前や!出すな、そーいうの!試合で(雰囲気に)のまれんぞ!」と厳しい檄。
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3分ほど、柔軟の時間を入れるとすぐにまた部分練習。続いてタンブリング練習。それが終わると10分ほど休憩をはさんで、すぐに団体の全通しを1本。また数分の休憩を入れて、全通し。これが三度、続く。ここまでがようやく終わると選手たちは息も絶え絶えに、ラストポーズをきめた場所から立ち上がることすら困難な状態。するとそこに追い討ちをかけるように「すぐに立ち上がれ!」


―――そしてこれが、個人に入るとまた一変する。
 「こうしてみたら?と提案する程度」だという監督の言葉通り、演技構成から練習法にいたるまで、ほぼまったくと言っていいほど、指示が出ることがない。
 「(流し)誰から?」「ジャンケン?」なんて言いながら個人演技を流す順番を決めるのんびりとした風景は、つい先ほどまでの団体練習とはあまりにもかけ離れていて拍子抜けしてしまう。
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 これを見れば、団体としての意識が希薄だとかそいういうことではなく、選手たちが「個人のほうが好きだ」と答えたことにも納得がいく。
「個人は自分の自由にできるから」といった後で、少し遠慮がちに「…個人は怒られないから…」といったことにも。


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