2011年08月02日
地鳴りのような、歓声ではない。爆発するような、渦巻くような、勢いを持った歓声でもない。もちろん、何かに扇動されるようなそれでもない。
その日、青い森アリーナは、既成の表現ではぴったりとはまるものがないような歓声に包まれていた。埋め尽くされた客席。圧倒的な拍手と感嘆の声。
そこで生まれたのは、大きなひとつの感動を共有する、という感じとは少し違っていた。演技と選手たちに対する尊敬、畏敬、労い―――そんなあらゆる感情がひとりひとりの観客の胸に宿っていたように思えた。皆が各々、だが等しく、感動していた。
岡山県立井原高校は、今や男子新体操の強豪校のひとつとして名を知られている。その彼らが、昨年のインターハイで8位という辛酸をなめた。この時、長田京大(きょうた)監督の胸には去来したのはこんな思いだった。
<体格が、圧倒的に負けている>
他の強豪校、特に九州勢の高校生とは思えないほどのたくましい体格に比べて、井原の選手はあまりに細く見えた。もともと、九州のダイナミックなタンブリングや組みを見せ場とした演技と、井原の線の美しい体操を見せる演技とでは、根本的に魅力が違っていた。だが、それにしても―――
<これでは、見せたいものも見せられない>
体づくりが必要だと思った。
大会から戻ると、監督はすぐに選手に指示を出す。
「3週間後の今日に体重を量るから、それまでに1人10キロ増量してくること」
もちろん、できなかったときの約束つきだ。
「できなかったら、体育館の裏の山を全員、1時間で2往復ね」
体育館の裏にある山と言えば、1往復10キロほどの道程だった。それを2往復、つまり1時間で20キロを走らなければならない。これはハーフマラソンで優勝できる速さだ。さらに言うと、道は平坦ではない。上り下りのある山道をそのスピードで走ることは、不可能だとしか思えなかった。
選手は、その日から食生活を一変させる。メンバーのひとりである、房野 純(ぼうの あつし)の食事メニューは、こうだった。
まず、朝ごはんを食べて学校へ。昼は持参した弁当を食べるのだが、それが並ではない。大きさも深さもある、巨大なタッパーには、びっしりとご飯だけがつめられている。その量、実に3合。それとは別に、おかずだけが詰められた弁当も、たいらげる。
午後の授業を終えて、練習の前には近所のスーパーで、またご飯やパンといった炭水化物を買い込んで食べる。そうして部活へ向かい、練習が終わると家で夕飯をいつも以上にたくさん食べた。だいたいの選手は同様のメニューを食べ、さらに寝る前にコーラとカップ麺を食べる選手もいた。
「とにかくカロリーの高いものを、詰め込んで」食べたが、それでも激しい練習をしていると体重はなかなか増えなかった。何日かそうした生活をしていくうち、ようやくお腹が丸くなりだし、そしてそれはすぐに筋肉に変わった。
3週間後の同じ日を、メンバー全員が目標をクリアして迎えた。太ももは太く、体幹もがっしりし、おまけに背も伸びていた。フロアに立つ彼らには、以前よりも存在感があった。同時に裏山のランニングも、何とかまぬがれた。
選手が増量に苦しんでいた頃、長田監督は孤独な戦いを強いられていた。演技構成づくりだ。
新体操の団体の構成は、大体が監督とコーチや卒業生が中心になり、時には選手も混じって作ったりもする。あらゆる人間の知恵を借り、それでも何ヶ月も試行錯誤を重ねて作り上げる。それを、井原では監督が5ヶ月ほどの間ひとりで考え続ける。
「常に、他にはない新体操をやろうと思ってるんです」
笑顔で話すその言葉は、言うほど簡単なことではない。井原はこれまで大学でも優勝をを争うような選手を多く輩出してきたし、彼らも監督と母校を慕ってよく部活を訪れたが、それでも監督は自身でで考えることにこだわってきた。
「演技が考えられなくなったときが、引退の時だと思っているので」
頑なな意志が感じられた。監督は創部以来、その意志を貫き通している。
毎年のやってくるその孤独な戦いの中で、新しい構想が生まれたのは、3ヶ月ほどたった頃だった。新しい「バランス」を考え出した。
団体の中で必ず入るバランス。両手を前と横に広げ、片足を後ろに上げる、あの状態。通常、前に重心を置いた状態で立ってから、慎重に後ろの脚を上げることが多い。その方が安定するし、何より今までほぼそれが通例だったからだ。
それを、逆にした。まず、立って前屈した状態から、後ろ脚だけを上げた状態になり、その脚に合わせてバランスの体勢になるように、上体を起こす。言葉にするとそれまでだが、それは周囲が考える以上にリスクが高い。
何せ、選手はこれまで普通のバランスの練習しかしてこなかったし、自身もそれしか指導してきていない。さらに、わずかなふらつきも目立つため、もともと減点要素の高い技なのだ。にもかかわらず、ルール上決して加点対象になるわけではない。なぜなら、前例のない「他にはない新体操」だからだ。
そんな技や動きが、井原の演技には多く詰め込まれている。ふらつくリスクが高いにも関わらず、かかとを高く上げて立つこと優先し、決して評価対象にならなくとも、肩のライン、つま先の美しさにこだわった。たとえ他の誰が気にしなくとも、腕の回し方、上げ下げに至るまでを、言葉を尽くし、体を駆使して教えた。それが、「他にはない新体操」を生み出すからだ。
井原の練習は間違いなく「厳しい」部類に分類されるだろう。細かくひとつひとつの動きにこだわった練習は、あまりに緻密だ。地域の協力で体育館はほぼ24時間に近いほど使えるから、練習は深夜に及ぶこともしばしばだ。肉体強化の時のような課題を出されることだってある。
が、主将の細羽(ほそば)勇貴に監督についてたずねたときの回答は、思わず面食らってしまうようなものだった。
「やさしい先生です」
その後すぐに「厳しいときは、すごく厳しいですけど」という言葉が続いたが、第一声にその言葉が出たことは大きかった。
「厳しいです」「怖いです」「天才肌です」「面白いです」…だが、結果を残しながらも「やさしい先生」は稀有だ。
しかし、実際のところそうだった。監督は父兄や来客にはもちろん、OBや選手たちに至るまでをよく気遣ったし、いつも穏やかな表情を浮かべて話すから、誰もが親しみを持っていた。
とある日には「暇だったので」と花園大学を卒業したインカレ王者・谷本竜也がふらりとやって来た。一方で卒業後は新体操を続けず、消防士となったOBも訪ねてきていた。新体操を続ける続けないに関わらず、何というわけではなく、人が自然に体育館に集まってくるのだ。
そうした監督と選手の信頼関係は、実に単純なことから生まれている。練習を見ていると気づくが、長田監督は練習中―――いやそれ以外の場面でも、声を荒げることが全くないのだ。間違いや問題があれば、とうとうと選手に理由を説明した。ちょうど新体操の基礎を教えるように、相手が納得するように、実に真摯に説く。至極単純なことだが、それを時間をかけてされる機会というものは、実はそう多くはない。だから率先してそれをしてくれる監督に、信頼感が湧くことは自然だった。
小学校や中学校から井原のジュニアチームで、監督のそういった性質を知っている選手たちは、強い信頼感を抱いているようだった。そして、そんな選手たちと監督が今年のインターハイで目標としたのは、高得点を出すことでも、優勝することでもなかった。
「被災者の人や、東北の人たちに、勇気と感動を与えよう」
インターハイのためにバスで北上していたときのことだ。会場のある青森まで移動する途中、監督は運転手にひとつ頼みごとをした。
「宮城に寄ってもらえますか」
バスは少し遠回りをして、宮城県の沿岸へ向かった。
海岸でバスを降りると、生徒は絶句した。ひっくり返った自動車。本来は街であるはずの場所からも立ちのぼる、猛烈な潮の臭い。
テレビで見るのと現実とは違うと、誰もが思っていた。それでも、頭で理解していた以上の現実を目の当たりにすることでチームはやはり、決意を新たにした。ここの人たちに、勇気と感動を。
8月1日、青い森アリーナ、新体操団体競技。井原のチームは、昨年8位に終わったときのメンバーからほとんど変わっていない。にもかかわらず、フロアに立つ彼らの存在感は見違えるほど大きかった。それは苦労した肉体改造の賜物であり、そして何より、選手と監督が一丸となってかなえようとしている、ひとつの確固たる決意が表れていたためだった。
曲がかかり、選手が動き始めてわずか数秒で、会場は沸き立つ。動きの大きさ、迫力が圧倒的なのだ。これまでの井原の持ち味である、美しく精緻な体操はそのままに、力強さが加わり、タンブリングからわずかな指先の動きに至るまで、まるで全てが見せ場のように力強さに満ちていた。どこを切り取っても胸に迫るような演技に、会場が沸かない時間のほうが少なかった。
演技を終えた瞬間、監督は走り出していた。誰よりも早く、選手たちの健闘をたたえるために。
演技の直後、レギュラーの原田幹啓は「演技をしながら、会場が盛り上がっているのがわかった」と監督に話した。選手たちも口々に「演技していて気持ちよかった」と口にした。
選手のもとに駆けつけた監督は「こんな大舞台で演技をさせてもらって、応援してくれた人たちに、感謝しなさい」と話した。それから「こんなに無茶を言う監督についてきてくれて、良い演技をしてくれて、ありがとう」と言った。
周りに感動を与えたいという気持ち、そして彼らをつなぐ信頼関係が垣間見えるような言葉だった。
最後に、補欠だった大舌晃平は周囲の反応を気にするように「どの演技で1番会場が沸いてましたか?」とたずねてきた。
だから感じたままを伝えた。君たちの演技が一番だった、と。
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2008年04月21日
精研の選手の保護者は、目を細めながらこう語る。
「自分の子どもの動きが、どんどんキレイになっていくのを見るのが楽しくって」
もともとは恐らく、単純に自身の子どもの練習や演技を見ていただけなのだろう。新体操を見ていたというよりは、多くの親がそうであるように、子どもの変化を目で追っていただけに違いない。
しかしそれはごく自然な形で、いつしか新体操の細やかな徒手の変化までも見て取れるほどの観察眼を養った。
男子新体操の団体で、多くの人が魅力だとかんじるのはやはり、ダイナミックなタンブリングや組みである。しかしだからこそ、それ以外の徒手の違い、良し悪しが分かると、新体操の面白さ・興味はより深いものになる。それを知ってしまったら、彼らは熱烈な岡山精研のファンになるより他なかった。なぜなら精研の徒手は、確かに美しかったからだ。
徒手の徹底は、期せずして保護者をどこよりも見る目のある、熱心な新体操ファンにすることとなった。
さらに、保護者の熱意は応援だけにはとどまらなかった。
昨年12月15日、岡山で3回目となる「岡山新体操フェスティバル」が開催された。基本的に岡山精研を筆頭とする地元のチームと、招待選手の演技が中心となる演技会なのだが、その内容は「演技会」というにはあまりにも豪華だ。
圧倒的な存在感で過去にインカレ、全日本選手権を制し、昨年の全日本選手権では花園大学の監督をつとめながら、4位入賞まで果たした野田光太郎。彼による、他では決して見られない男女新体操のペアの演技。
全日本選手権覇者、花園大学・北村将嗣による演技。インカレチャンピオン・谷本竜也による、おそらく男子では初となる「リボン」の演技。
ただ、そうした演目はもちろんなのだが、その一方で印象的だったのが、保護者たちの姿だった。フェスティバルの運営はほぼ全て、保護者の手によって行われる。それはフロアをしくところから始まるのだが、一度や二度やった程度では慣れないフロアの準備を、20名ほどにもなる保護者たちが皆、実に手際よく行っていく。通常、1時間程度をみるフロアの準備を、彼らはたったの30分程度で終わらせてしまう。
さらに練習中の、膨大な量の差し入れはもちろんのこと、招待選手は皆、保護者の家に泊まるよう、準備を整えてある。その日の夕食は大きな長机に乗り切らないほど、保護者たちのもちよりでいっぱいになった。
フェスティバルでは観客の誘導から、アナウンスまでを保護者が行う。「いつも、こちらがやって欲しいと思う以上のことを、何も言わなくてもやってくれる」という、長田監督の言葉通りの光景だった。
そしてフェスティバルのそうそうたる演目の中で、何よりも目を引いたのは、保護者による演目が入っていたことだ。「大人の新体操」と題されたそれは、長田監督、井上監督ら指導陣も加わって、基礎的な体操を音楽に合わせて行う。
ここまでくるともはや熱心、という言葉では片付けられないし、献身的、とも少し違う。彼らは岡山精研の美しい徒手に、いや、今となっては男子新体操そのものに、心酔しているのだ。
美しい徒手、流れのある独創的な構成、保護者との強い結びつき。それらは決して「隠された本質」になど起因してはいなかった。大会会場でみせる、場の空気を変えてしまうような美しい演技。それが、全てだ。
とはいえ、まだ岡山精研に関しては知りたいことが山ほどある。大会前には深夜にまで及ぶという練習の内容、そうした長時間の練習にも耐えうる選手たちのメンタル、あの構成のつくられる過程―――そういったものも、その「全て」によるものなのか、よく観察しなければ―――
などというのは口実で、実は単純に、あの美しい徒手と、それを見守るどこよりも熱い新体操ファンに、もう一度会いたいだけなのかもしれない。
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2008年04月20日
「徒手をしっかりやることは、遠回りに見えて一番の近道」
長田監督のこの言葉は、自身の経験と結果に裏付けられたものである。
男子新体操の大きな見せ場といえば、ダイナミックなタンブリングや、組みなどの大技が代表的である。だから、それ以外の動きである徒手を徹底するということは、一見すると遠回りに見える。
実際のところ、周囲の目にも部活を始めた当初はそう映ったかもしれない。
1999年、「岡山国体優勝を目指して」招聘された長田監督だったが、突きつけられたのは部員0名という現実。なんとか7、8名の部員を集めて同好会から始めるも、集まったのはこれまで部活をまじめにやってきたことのない生徒たちである。時間になっても集まらない、挨拶はしない、着替えない、休日は部活に来ない。
マット運動をやらせれば、自分の番がくるまで床に座って待っている、といった有様だった。初心者を教えるときは「まずは前転、後転から」なんて話をするが、岡山精研はそれよりもさらに手前からスタートしなければならなかった。「練習以上に、中身を変えなければ」―――。
そう考えた長田監督はあるとき、練習後にステージから、体育館端に立つ監督にむかってその日の反省を叫ぶように、と指示をした。「新体操は自分の気持ちを人に見せるものだから、それをさせたかった」という思いの下の指導だった。
徒手の徹底という地道な練習に嫌気がさし、「辞めたい」という部員も少なくはなかったが、そうした部員にも根気よく説得を続けた。「諦めるのはいつでもできるが、自分で人生を切り開いていくためには、これは大きく変われるチャンス」なのだと、言い聞かせてきた。
大学時代の演技や周囲からの評判から、長田監督にはなんとなく「論理の人」というイメージがあった。だからこうした「熱い」側面があることに、多少なりとも驚いた。青森山田の荒川監督とともに一時代を築いた大学個人選手時代、彼の演技は「いかに周囲を驚かせるか」という緻密な創意工夫のこもった、どこかクレバーさを感じさせるものだったからだ。
説得の結果「辞める」といっていた部員たちも「なんだかんだで、続ける」のは、彼のそうした意外性のある「熱い」部分に、少なからず心を動かされたためなのだろう。
同時期につくり始めていたジュニアチームも、週1回の練習から初めて、徐々に練習時間を増やしていった。そこでも一貫して行われた「徒手の徹底」は、徐々に日の目を見るようになる。
・1999年 4月 同好会から、部の設立。
6月 県総体。しかし試合には間に合わず、出場を見送る。
11月 初めての大会・新人戦に出場。結果は奮わず。
・2000年 4月 井上監督にジュニアの指導を任せ、高校生の指導に専念。
6月 中国ブロック大会に出場、3校中3位。
・2001年 ジュニアの練習を週6日、行うようになる。
・2002年 8月 インターハイ出場権を勝ち取り、出場。19位
・2003年 8月 インターハイ、6位。
10月 国体、10位。
・2004年 ジュニアチームの下に、さらに年少のキッズの教室を設立。
8月 インターハイ、5位。
10月 国体、4位。
「徒手の徹底」は年を追うごとにその成果が目に見える形で表れるようになった。見せ場のタンブリングや組みをするにしても、その基礎となる徒手を井上監督とともにジュニアで叩き込んだ事で、より美しく、完成度の高いものが仕上がった。
「(構成づくりは)自分への挑戦。自分のセンスが、どこまで通用するか」の言葉通り、構成は長田監督がすべてつくり上げる。だが、せっかくのセンスある構成も、それを実現できるだけの選手たちがいなければ意味がない。
長田監督の独創的な演技構成と、そしてそれを実現できるだけの実力を、徹底した徒手練習でコツコツと積み重ねてきた選手たち。どちらかが欠けてもいけなかった。6年の年月をかけてこの両方を揃えたことが、岡山精研にとって大きな意味をもっていた。そしてそれは同時に、表彰台の高みを確約するものとなった。
・2005年 8月 インターハイ、優勝
10月 岡山国体、優勝
さらに、この徒手の徹底はうれしい誤算を生んだ。そしてこの誤算こそが、地元国体後も、決して衰えない岡山精研の力の源となった。
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2008年04月19日
物事の見かけにとらわれてはならない。その奥に隠された本質というものがあり、それを見つけるために、注意深く観察する必要がある。
大会会場のその客席で、選手の一挙手一投足に息を呑む。
団体の組では祈るように手を組みあわせ、個人で手具を投げ上げれば「キャッチ、キャッチ、キャッチ…!」と何度も唱えた。
九州は佐賀県でのインターハイ、東北は秋田での国体。どんな遠方の大会であっても、黒いポロシャツの応援団を見ないことはなかった。その視線の先には、空気を変えてしまうほどに美しい演技をする選手たち。岡山県立精研高校である―――。
2005年の岡山国体をきっかけに強化されたこのチームは、国体後もコンスタントに結果を残し続けている。昨年のインターハイでは「タンブリングに難を抱えている」との前評判から、今年は優勝争いには絡んでこないのでは、との噂もある中で、他を圧倒する演技をみせつけ、優勝格の筆頭とも言える小林工業と同率準優勝。国体ではメンバーをひとり欠いて5人での出場ながら、「5人でもありかな、と思わせる演技をしたい」との長田(おさだ)監督の言葉通りに、十分に会場を沸かせた。
現在は中学・小学生を中心としたジュニアチームの活躍も目覚しく、昨年10月に行われた全日本ジュニア選手権では団体で3位入賞を果たしている。
―――だから、かねてより打診していた岡山精研高校の取材がかなった日も、こう思った。抜群に美しい徒手と、他のどことも違う独創的な流れのある構成、どんな遠方の大会であっても、選手を応援しつづける保護者との強い結びつき。その奥にあるものを、見つけ出さなければならない、と。
岡山精研の美しい徒手のルーツは、高校生と練習をともにするジュニアチームを見れば察しがつく。
現在小学4年~中学2年生までの選手で井原ジュニア新体操クラブは、選手のほとんどが成長期の前後にある。そのために体格は選手によって大きく違うのだが、ひとつ共通して言えることは、どの選手もひとつひとつの姿勢が実に美しいということだ。
徒手の形、手足のポジション、全てに間違いがない。両手を挙げただけの姿を見て「これが小学生の上挙か」と思わず首をひねったのは、一度や二度ではない。さらに興味深いのは、その体格差を感じさせない演技の統一感である。
井原ジュニアにはAチームとBチームがあり、Aチームは最年長の中学2年生と最年少の小学4年生が同じチームに所属する。その身長差は40センチにもなり、同時性を求める新体操においてはかなりのマイナス要因となる。手を一回まわすことにすら、時差が生じるのだ。
だが、決してそれを感じさせないどころか、こちらをうならせる演技に仕上げたのは、ひとえに演技構成のうまさ、というところに尽きる。体格差ゆえに同時性をみせられないが、代わりにそれを利用して、今回の演技には三回にもおよぶ組みからの投げ上げを入れている。体格差を逆に利用して、見せ場をつくる。長田監督が「ああいう指導者になりたい」とまで語る、井上監督の手腕である。
井原ジュニアは1999年に、2005年の岡山国体を視野に入れて長田監督が立ち上げた。翌年からは中京大学出身の井上監督に指導を任せ、自身は高校の指導に集中した。昨年、大学1年ながらインカレ個人覇者となった谷本竜也、彼としのぎを削った、同じく1年の大舌恭平らは、岡山国体時の優勝メンバーであり、井原ジュニアの第一期生でもある。
国体で優勝を果たして三年がたった今では、井原ジュニアは全日本ジュニアで上位に名を連ね、さらにその下には小学校低学年以下による「キッズ」が、20名ほど控えている。この完成された組織が、毎年息を呑むような美しい演技の基盤となる。
高校生、その下に井原ジュニア、さらに下にキッズ。これらの教室に、創設時から共通して行ってきたのは、極シンプルなたったひとつのこと。「徒手の徹底」である。
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