2007年12月09日

青森山田高校 vol.5 -涙-(後)

 11月24日、東京体育館。

 国内最大にして年内最後の大会の、団体予選。あれだけの不運に見舞われ、苦境を乗り越えてきた青森山田だったが、ここでも運命はその手を緩めなかった。

 直美さんから、都内に良い針治療の病院はないかと連絡がきたのは、11月21日のことだった。全日本選手権に団体・個人での出場が決まっている、柴田が腰の痛みをうったえたのだという。会場の練習フロアでうつぶせになり、その苦痛に顔をゆがめる柴田の姿は、どんな会場でも人懐っこい笑顔を浮かべていた彼からは、あまりにもかけ離れていた。

 個人4種目を通すことすらギリギリの状態の彼に代わって、団体には急遽、3年の祝大地の弟、1年の祝陽平が入ることとなった。

 波乱含みの団体競技、その予選の幕が開いた。

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市船VS流経大柏



 結果からいえば、祝陽平は彼の責務を十分に果たしたといえる。急遽入ったにも関わらず、徒手の雰囲気はまったく衰えなかったし、全員での3つバックも遜色なかった。しかし、予選5位という決して悪くない結果は、大きな問題をはらんでいた。

「ジャパン(全日本選手権)では、国士館に勝ちたい」
この言葉は国体後、3年生から口々に聞かれた言葉だった。もしそれが実現すれば、大会史上初の快挙となる。

 団体予選を終えた時点での順位は1位青森大学、次いで国士館大、花園大学、中京大学と続いて、青森山田高校が第5位。目標とする国士館大学との差は0.287。4位中京大学との差は、わずか0.025だった。しかしわずかな点差とは裏腹に、荒川監督が表情を曇らせるのは、その順位のためだった。

 決勝の試技順は、予選の順位によって決定する。予選1位は決勝での試技順7番、2位は2番、という風に割り振られ、5位は試技順1番になることが決まっている。
 一番目の試技はそれ以降の演技の基準点となるため、どうしても点数が伸びない。加えて、祝陽平がよくやっているとはいえベストメンバーではない状態。インターハイで日の目を見なかった、あのユニフォームを着た場合、「ユニフォームの破損」と見なされ、ひとりにつき0.2点、6人で合計1.2の減点がされる。ユニフォームを着なければ或いは、大学生に勝てるかもしれない。

「史上初、国士館に勝つこと」

「史上初の、ユニフォームで演技に臨むこと」

どちらかを、選ばなければならなかった。


 予選の直後。事情を知る人が「決勝では着ますか?」と荒川監督にたずねると、「今夜、ゆっくり考えます」とだけ答えた。インターハイから、もう数ヶ月考えて続けてきた問題に、監督はこの一晩で答えを出さなければならなかった。

 実のところ、全日本であのユニフォームを着るか否かについては、かなり前から選手と監督の間で練習ノートを介して意見交換がなされていた。
「高校最後だから、国士館と勝負したい」
「いや、減点されても、あのユニフォームを着たい」
 現実的に考えて、1.2減点された状態で国士館と勝負することは難しい。論点は、どうしても「どちらを優先するか」に絞られた。

 前者の、あのユニフォームを着ずに、勝負すべきという意見の持ち主の筆頭が、山田と練習場を共にする青森大学の中田監督だった。そしてそれは4位と僅差で迎えた決勝前日も、変わらなかった。
「お前ら(大学生に)勝てるから、着ないで出ろ」

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 選手の間でも、決勝前日にも関わらず意見は割れた。私もこの晩、彼らがどのような決断を下したかは知らなかった。その結論は、多くの観客と同じように試合会場で知ることとなった。


 翌日、本番フロアに併設されたアップゾーンに、紫色のジャージの面々が姿を現す。
 普通、例の長パンの上に青森山田の比較的細身のジャージをはくと、ジャージの下から広がった裾が見えてしまう。アップ場での彼らのジャージからはそんなものは見えていなかった。だから私は荒川監督の言葉で初めて、その決断を知った。
「俺の“異端児”が完結する時がきたよ」


 青森山田は1.2の減点と引き換えに、男子新体操に新風を吹き込むことを選んだ。

 直前まで「脱ぐなよ」と荒川監督に念を押されていたジャージを脱ぐと、そこにはすらりと裾の広がった、ブーツカットの長パンがあった。
インターハイで日の目をみなかった、あのシャープで、上品な裁ち上がりのユニフォーム。フロアに立つと、周囲が少しざわめいた。
「アレ、良いの?」「いや、減点でしょう」
―――それでも、彼らはそれを選んだ。

市船VS流経大柏


 決勝前夜、ホテルでの話し合い。
 中田監督とともに、あのユニフォームを着ずに大学生と勝負することを主張したのは、3年の柴田だった。「あいつは客観的に判断するから」という荒川監督の言葉通り、予選の点差であれば大学生に勝てる、と見込んでの冷静な判断だった。しかし、他の6人の団体メンバーはユニフォームを着ることを選んだ。

 国士館に勝つこと、あのユニフォームを着て出場すること、どちらも十分な偉業である。どちらが凄い、どちらを優先すべき、という問題ではない。ただ強いていうならば、彼らは先を見越して、このユニフォームが主流になることを信じて、その先駆者になることを選んだのだ。


 決勝の演技は、文句なしのノーミスに、減点1.2点。曲・演技・ユニフォームがようやくそろった雰囲気たっぷりの演技は、事情を知らない観客から「なんで1.2も減点?」と不満の声が聞こえるほどの出来だった。

市船VS流経大柏


20071208 グラウベの一太刀、届かず


 試技終了後、そんな減点とは無関係に、青森山田の選手は誰もが晴れやかな表情だった。この決断は男子新体操と彼らにとって、マイナスされた1.2よりもはるかに価値のあるものとなった。

 選抜大会での柴田の団体起用に始まり、インターハイでのユニフォームの問題、国体直前の椎野の怪我、全日本直前になってのメンバーチェンジ―――あまりにも波乱に見舞われ続けた青森山田の今シーズンは、最後まで周囲をハラハラさせながら、それでもようやく、大団円を迎えた。


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 監督、選手、それぞれに得るものの多かった、それぞれに内容の濃い1年だった。

 ただ、流した涙の分だけ、彼らは周りより少しだけ、多くのものを手にしたのかもしれない。


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2007年12月08日

青森山田高校 vol.5 -涙-(中)

「直美さんの涙を無駄にしたくない」のだと、主将の柳は語る。


 事前に審判の承諾を得て、演技・曲・ユニフォームで勝負に臨んだ、臨もうとしたインターハイ。会場入りして、本番のまさに直前に出された審判からのNG。当事者でないものが意見をのべることははばかられるが、競技を束ねるものが十分な説明をせずにその態度を急変させたのだとしたら、それは競技のレベルを落とす、嘆かわしい行為だ。


 物別れに終わった話し合いの最後、審判が放った言葉。
「見た目じゃなく、中身で勝負してくれ」
 その言葉に、笑顔が印象的な直美さんが初めて涙を流すのを目にした。

 美しいフォルムだけではなく、選手への安全性の細部にまで気をくばったあのユニフォーム。青森山田の演技とともに、「男子新体操に新風を」という想いの下、多忙を極める合間をぬって彼女が考案したものだった。
 
 荒川監督が青森山田に就任してから、いや、尾坂監督が率いていた時代から、山田が一度だって「見た目で」勝ったことがあっただろうか。

 国体の優勝を決めたあの日。インターハイでの雪辱を晴らすかのような勝利の直後。その興奮に顔を上気させた荒川監督と握手を交わした。
 少し潤んだように見えた瞳でしっかりとこちらを見据えると、何よりも先にそれを言った。

「ジャパンでは、着るから。予選がんばって、決勝残って、減点されても良いから、着るから」

 熱い掌とその力強さが、決意を物語った。

 10月中旬、青森山田の体育館。
 椎野の怪我に関して言えば、正直なところ無理なんじゃないかと思っていた。怪我をしたのが9月半ば。全日本選手権は11月23日。動かさない筋肉は硬くなるからそのリハビリと、もちろん団体の練習期間を加味すると、1ヶ月半ほどで治さなければならない。医師に言われた期間の、半分である。

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 ところが、である。10月半ば、手術から2週間ほどでギプスはとれ、それから10日ほどたつと、すでに彼はタンブリング練習を始めていた。その回復のスピードは私や、恐らく周囲の予想をはるかに上回るものだった。

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 10月末日には医師に「もう本格的にやっても良いか」をたずねるつもりで、病院を訪れた。しかし医師からの「腕立て10回から初めてください」の言葉に、思わずその言葉を飲み込んだ。
 彼の強靭な意志に支えられた治癒力は、それほど驚異的だったのだ。


 “超回復”という言葉がある。筋肉の組織が激しい運動などによって破壊されると、次に回復するときにはそれ以前より強くなっている、というアレである。彼の場合、いかんせん本番まで期日が迫っていたため、回復がそのレベルまで達していたか定かではないが、精神は確実に“超回復”を遂げていた。
 
 国体直前、急遽メンバーチェンジを余儀なくされたことについて、柳は「(チームの状況は)苦しくなった」と語った後、「でも一番苦しいのは(椎野)健人なんで」と続けた。

 椎野が怪我をしたあの組みの練習で、土台をしていた柴田は「自分が土台だったんで、土台に責任があったのかと」と話した。しかし彼がそこまで気に病む風ではないのは「(椎野が)ああやって明るくふるまってくれて、その分こっちに力が出てくる」からなのだろう。

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 また怪我は、最終学年としての彼にも影響を与えた。それまでのように遠征についていくことができなくなった椎野は、必然的に「留守番組」として監督・レギュラー不在の部をまとめる存在となった。留守番組は、毎日監督にその日の報告の電話を入れるのだが、そのときの椎野は監督が驚くほどに、しっかりとした受け答えをするようになっていた。


 さらに、こんなことがあった。ある日、監督はこんな話を耳にする。椎野が、下級生を殴ったのだという。
 事情を聞くと、こうだった。2年生が、1年生に対して「レンタルビデオを返して来い」と使い走りにしようとしていた。それを見た椎野は2年生に意見した。それは違うだろう、と。1年生が出かけるついでなら良いが、そうでないなら、自分で借りたものは自分で返しに行くのが筋だろう、と。だが、2年生は不満の色を露にした。それで手が出た、というわけだった。
「だから、俺は怒んなかったよ。」と、荒川監督は振り返り、改めて「驚いた」と語った。


 椎野自身も怪我を経て「今まで自分に甘えがあったなと(気づいた)。辛いときでも踏ん張れるようになった」とその変化を実感しているようだった。

 怪我はまもなく団体に入ってもまったく遜色がないほどに回復した。

 11月24日、彼はリハビリ中に思い描いていた通りに、全日本のフロアに立っていた。


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2007年12月04日

青森山田高校vol.5 -涙-(前)

 今思えば、あのふたつの涙はこの日のために流されたのかもしれない。

 国体という高校の三大大会の締めくくりで、今年初めての優勝の二文字を獲得した青森山田高校。相次ぐ故障、不測の事態の連続に辛酸をなめつづけた今シーズン、ついに手に入れた栄冠。青森山田のメンバーは歓喜に沸き、閉会式でもその熱は冷めやらなかった。

 そんな中、式で整列するメンバーの姿を見ながら、彼はひとり、涙を流していた。

「どうして、自分はあの列に並んでいないのだろうか」―――。

 団体メンバー3年の椎野は、同じく3年の柳、祝(いわい)大地とともに、3月の選抜大会からレギュラーの座を守り続けていた。他の二人のようにチームを引っ張るタイプではなかったが、監督から「表には出さないけど、熱いものをもってる」と評されるように、静かに、それでも確かにチームを支え続けた存在だった。

 そんな彼が戦線を離れたのは今年9月中旬。組の練習中に、肘に強い痛みを覚えた。すぐさま病院にいくと、肘の肉が骨から剥がれていた。高校最後の国体を2週間後に控えた彼に下されたのは、全治3ヶ月の診断だった。

 チームメイトから「監督の前では静かで、冷静」と言われる彼が、その監督や看護師の目をはばからずにボロボロと涙をこぼした。
彼にとって最後となる国体出場の道は、完全に絶たれた。

 だが、これを単なるお涙頂戴の物語にはしないのが、彼の強さだった。絶望的な診断をうけ、寮への帰途につく彼の頭には、すでに別のビジョンがあった。


「自分はジャパン(全日本選手権)を目指そう。大学でも続けるから、これで終わったわけじゃない」
 ―――あの涙から、わずか1時間足らずの決意だった。

 国体直前の9月23日。フロアで目にしたのは左手に痛々しいギプスをした椎野と、彼に代わって急遽団体メンバー入りを果たした、1年の小林の姿だった。そこでの彼には、今まで感じたことのない存在感があった。

 自分のポジションをつとめる小林に積極的にアドバイスするのはもちろんのこと、最近動き出したという、1、2年の補欠組で構成された団体Bチームを、彼が率いていた。

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 もちろん、自身のリハビリにも精を出した。走りこみ、スクワットなど、自ら下半身強化のメニューを組んで実行した。国体を目指すチームメイトたちが練習する、そのフロアの片隅で、自分だけはひとつ先の全日本を目指して筋トレを続けた。荒川監督の勧めで、直美さんのダンスレッスンにも通い始めた。「基本のトコトン」を叩き込まれたそのレッスンは、決して激しい動きをるすわけではないのに、終わる頃には汗だくになった。
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 取材に訪れた日の2日後に、彼は剥がれた筋肉を骨につける手術を行うことになっていた。手術後は少なくとも2~3日入院しなければならないが、青森山田が国体に出発するのは、手術の翌日だった。

「国体は見たいってのはあったけど、逆に(小林)翔が“一生懸命やんなきゃ”って変に力入るのも嫌なんで」

 手術前は冷静にそう語っていたが、国体が近づくにつれてその冷静な判断とは別のところにある「熱いもの」がうずいた。


 ―――結局、秋田の国体会場には、術後間もない彼の姿があった。













 余談ではあるがそんな椎野のことともうひとつ、強烈に印象的だったのが、1年にして団体に入った小林がひとり、尋常ではないほどの汗をかいていたこと。彼は1年とはいえ、中学時代は全日本ジュニアで優勝を果たした、団体チームのキャプテンを務めた選手である。その彼が、ついていくのも精一杯の演技とは―――青森山田の演技がそれほどのレベルにあることを、改めて思い知らされた。

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2007年09月12日

青森山田高校 vol.4-異端児-(後)

 事前にユニフォームについて審判に問い合わせたところ「ユニフォームに乱れの出ないよう、工夫するのであれば可」といった回答であった。早速、妻の直美さんによってデザインの考案が始まった。今回ユニフォームで大きく変えたいのは、「長パン」と器械体操のそれと同型であるパンツを、裾の広がったものにすることであった。体のラインがはっきりあらわれる従来のそれに、抵抗を抱く選手も少なくなかったため、このことは多くの選手の抱き続けていたい思いにも応えるかたちとなった。



 試行錯誤の末、見た目には分からないが、従来の長パンの裾の部分に、広がった部分がかぶさっているような、二重構造のユニフォームが完成した。これはタンブリングなどの際に裾がめくれあがって選手の怪我につながらないよう、配慮したものだった。さらにメーカー側の案で、裾が動かないように中で糸でとめるという細工も施した。


 そうしたメーカーとの二人三脚の末に、ユニフォームは完成した。裾の広いパンツはすらりと脚が長く、ラインがきれいに見えた。ランニング部分も従来とは違う大胆なカットを入れ、布地も重厚感のあるベロア地を使用した。


 武器がないといわれていた演技には、直美さんのダンスレッスンと、彼女のセンスによる独自の徒手動作が多分に盛り込まれ、徒手で見せる演技が仕上がった。曲は再び手直しをし、「神」をイメージしていたというそれに近づいた、荘厳なものとなった。
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 奇しくも今年のインターハイにはNHKを含む3つのテレビ局が入ることになっていた。それまでの武器と違う形で新体操に「インパクトを与える」には、絶好の場であった。





 8月3日 12:10
 インターハイの公式練習。本会場に姿を現した青森山田の6人に、会場の視線は集中する。今年の青森山田の演技、曲、そしてユニフォームの、初披露の場である。
公式練習の直前まで何度も不安の言葉を口にしていた直美さんだったが、15分間の公式練習の後、それが杞憂であったことを知る。他の関係者からの評判は、思いの外良かった。
―――これは、次の主流になるだろう。間違いなくそう感じた。



 しかしこれ以降、このユニフォームが袖を通されることはなかった。






 公式練習終了後、ユニフォームについて審判団から待ったがかかった。事前に許可を得てのユニフォーム変更だったにもかかわらず、話し合いの結果、青森山田には「これを着て出場した場合、ひとりにつき0.2ずつ減点する」との決定が言い渡された。
 審判との話し合いが物別れに終わった後の荒川監督は、表情には出さないが、憤りの色が露だった。


 「俺のような“異端児”をつくらないためには、ルールの言葉じりをしっかりしなくちゃいけない」
 荒川監督の語るように、確かに、男子新体操のルールには曖昧な表現が多い。ただそれだけに、かいくぐれる可能性と同じだけ、言いくるめられる可能性もある。実は今回のことも、ユニフォームを作る段階で「危ういかな」という思いがよぎりもした。いくら許可をとったからといって、まったく予期しなかった事態ではなかった。だから、彼の憤りの原因はまた別のところにある。



 審判との話し合いで争点になったのは、裾の二重構造についてだ。「裾に乱れの出ないよう、工夫」するように指示したのは審判側だったが、それが「こういうもの(二重構造)だとは思わなかった」というのが言い分だった。しかし、「では、どういうものなら良かったのか」という問いに対して、回答はなかった。

 話し合いの後にとりなすように「来年は(ユニフォームに関する)ルールを改定するから」と進言されてなお、監督の憤りはおさまらなかった。
「俺は今のルールと勝負してる。(来年、すべてに許可が下りてからでは)リスクを背負った意味がない」
 この試みはルールが整っていない今年のうちに、青森山田が単独でやることに意味があった。そうでなければ、インパクトなど生まれようもない。

「俺はルールブックと勝負して負けた。でも、納得した負けじゃない」
異端児を黙らせるには、それなりの説明が要る。競技を束ねるものは、その責務を果たすべきである。
 結局、インターハイで青森山田は従来のユニフォームで演技を終えた。
 
 試合終了直後、納得のいかない形で試合を終えたことにより、監督は声をかけるのもはばかられるほどに沈んで見えた。あれだけの窮地に追い込まれながら打ち出した打開策が、こんな形でふいになったのである。この件にはもう辟易しただろうか、と思った。





 だが、その数日後。
「オレはまだ諦めてないよ。国体、ジャパン(全日本選手権)で着たいのさ。」

 電話口での彼は、いつもの気さくな、でも自信にあふれた口調だった。
大丈夫、異端児の瞳はまだ輝きを失っていない。



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2007年09月10日

青森山田高校 vol.4 -異端児-(前)

あまりにも使い古された表現だが、新体操という競技は自分との戦いである、と思う。競技者は他者に働きかけることができない。できるのは、ただ自分の力を出し切ることだけである。
 だが青森山田高校の荒川監督は、それともっと別なものと戦っていた。佐賀の男女地元優勝に沸いたインターハイ、その裏側でこうした戦いがあったことを、多くの人は知らない。


 「今年は武器がない」と、珍しく荒川監督の弱気な言葉を聞いたのは、インターハイ目前の7月半ばのことだった。いつもの実力を謙遜する言葉ではなく、本当に「まいった」といったようなその様子に「珍しいですね」と言うと、ただ笑顔で応じた。
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「山田は勝つだけでは許されない」
 この言葉の意味は、往年のインターハイで初披露されてきた青森山田の演技を見れば分かる。左右からひとりの選手の両腕を持ち、ぐるん、と1回転させる「ブランコ」、会場を沸かせたそれを翌年は2回転に増やした。タンブリングから伏臥(腕立て伏せのような、手と足の先だけで着地した状態)で着地した選手を、周囲から持ち上げるように、もう一度宙に飛ばす「ガメラ」は、その姿から名づけられた技だ。青森山田は毎年、会場を「サプライズ」で沸かせてきた。
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 青森山田が、というよりは荒川監督が、毎年新しいものにこだわるのにはわけがある。

 ひとつは、伝統校かつ私立校故の、まさに「痛いほど」の期待に応えるため。もうひとつは、男子新体操の普及のためである。とはいっても、私立校ならではの「勝たなければならない」事情があるなかで、ボランティア精神に富んだ普及活動などはできない。ではどうするか。
「俺らはあくまで競技をしている。だからその中で、新体操にインパクトを与える。それが、男子新体操の普及につながる」
 「勝つこと」に固執することが当然の私立校にあって、勝負と同時に男子新体操全体のことを考えられる視野の広さ。彼が名将たる所以を垣間見た気がした。
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 話を戻そう。そうして、常に新しいものを発信してきた青森山田高校。常に新しいもの、新しいものを求めていけば、必ず行き詰るときというものを迎える。青森山田は今年、それを迎えていた。

 悪いことというのは続くものである。これに加えてこの時、1年生にしてレギュラー入りを果たしていた期待のルーキー・小林翔が故障により戦線離脱を余儀なくされた。「演技をすると体育館の空気が変わる」とまで言わしめる彼がレギュラーから外れることは、武器のない青森山田にとってはこの上ない痛手だった。
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さらに、演技の曲付けでも問題が発生した。「これだ」と思って付けてきた曲が、実際に演技に合わせてみたところイメージと大きく違ったのである。曲も、演技も、選手までも―――すべてがかみ合わなくなっていた。
 監督が弱気になるのもうなずける、まさに窮地。しかしやはり、荒川栄はここでは終わらない。




 荒川監督はルールをかいくぐることがうまい。
 近年こそ当たり前のように見られる「組み」などの選手同士の「接触」状態から始まる演技だが、実はこれ、数年前までは禁止事項であった。それを変えたのが、荒川監督だった。かつて坂出工業高校が、演技の最後を接触で終わったにもかかわらず減点をうけなかったことを引き合いに出し、青森山田の演技の接触を認めさせた。以降、ルールブックにはこう記載されている。
「演技の開始時における身体の接触(ポーズ)は可とする」
 現在、組みによる演技のスタートは男子新体操の主流になっている。
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「俺は構成、曲、衣装、全部あわせて勝負だと思ってるから」
そう語る荒川監督が今年目をつけたのは、衣装だった。
現在、男子新体操のユニフォームの規定は、「ランニング、長ズボンで色物可」、「上品な裁(た)ち上がりで透き通らない布でできていること」、「全員が同形、同色の服装で出場すること」などの規定があり、それに違反した場合、1名につき0.2ずつ減点される、というものである。また、ユニフォームの乱れは0.1、破損は0.2の減点となる。


 今度は、この規定をかいくぐる。




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2007年07月31日

青森山田高校 vol.3-隣の壁(後)-

 県総体、福士への激しいライバル意識は柴田の緊張感を増長させた。選抜を優勝したことで、県の大会で負けられないというプレッシャーもあった。

 そんな中迎えた本番で、彼の耳に周囲からの応援の声が届いた。そんなものは、大会に出れば誰でも当然のごとく経験することである。しかし、それを聞いた柴田は改めて思った。「この応援に応える演技がしたい」。



 選抜で福士に勝ったことで、無意識のうちに周りを見る余裕ができていたのだろうか。それとも選抜前に団体を経験していたことが、「周囲を見る目」を養っていたのだろうか。

 とにかく、それが柴田の試合に取り組む考え方を変えたことは確かだった。福士とは持ち味が対極にあるあまり、「自分は自分」と凝り固まっていた考え方が、変わり始めた。「周りの人が評価してくれる演技なので、みんながいいと言うような演技がしたい」。そして、そこから柴田の連勝が始まる。


 大切なことというのは、案外あっけなく見つかるものなのだ。






 団体練習の合間に行われる、柴田の通し。私は何よりも、その運動量に圧倒された。

 「伸びとか入れると、ライン悪くて目立っちゃうんで」と語る柴田の演技は、体の硬さをカバーしてもなお余りあるほどの運動量だった。1分半の間、彼の静止しているシーンはいくつあっただろうか。その想像を絶する動きは、間違いなく、私が今まで見た中でもっとも消耗するであろう演技だった。
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 さらに驚かされたのは、その調整力だ。
 インターハイ直前のこの時期、団体中心になりがちな練習の中で、柴田は3時間もの間フロアが空くのを待っていた。そして3時間後、何の前触れもなくかけられた「ごめん、翔平、(通して)良いよ」の荒川監督の声で、柴田はすぐに1本通してみせた。

―――3時間、である。もちろん、その間常に動き続けていたわけでも、ずっと休んでいたわけでもない。彼は団体の様子を見ながら監督がGOサインを出すタイミングを見計らい、それに合わせて通せるよう、調整していたのである。 その姿には、練習場を共にする青森大学の中田監督ですら「ありえねぇ」と舌を巻いた。



 選抜前、団体と個人を兼任していた柴田は、傍目にわかるほどに焦っていた。しかし今の彼はその対極にあった。何かふっきれたような「穏やかさ」が感じらるのだ。



 因縁のライバルに勝利したこと、自分の新体操にとって大切なことを見つけられたこと―――そうしたことが、彼にこの穏やかさをもたらしたのだろう。

 最も近いところにあった、最も高い壁は乗り越えた。
 
 8月4日。インターハイに臨む彼は、今までにない強さを見せてくれるはずだ。
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○●全国高校総体(インターハイ)新体操・男子(団体) 8月5日16時~NHK教育にて放送●○


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2007年07月29日

青森山田高校 vol.3-隣の壁(前)-

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 インターハイを目前に控えていよいよ追い込みに入る、という団体演技の練習の、その合間。そのほんのわずかな時間が、彼に与えられたフロアを自由に使える時間である。限られた時間、限られた場所で、力の限りの動きを詰め込んだ演技をするのは、言わずと知れた選抜王者、柴田翔平である。
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 彼は選抜を獲ってから負け知らずだった。インターハイの予選となる県総体はもちろん、東北大会でも二種目を制して完全優勝。国体予選ではリングで出場、ここでも種目別優勝を飾っている。
 或いは彼にとっては、選抜の優勝よりもこれらの結果のほうが意義深かったかもしれない。彼がもっとも勝ちたかった相手は、全国の名門校に集う選手たちではなかった。敵は、ひとつ町を挟んだ隣の市にいた。



 柔らかな動きと豊かな表現力に定評のある、弘前実業高校の福士祐介は、長らく柴田とライバル関係にあった。体の硬い柴田とは対極の演技をする彼は、三年間、柴田と接戦を演じた。


 一年次、驚くべきことに福士はインターハイ個人出場を果たしている。全国から選りすぐられた37名のうち、一年は福士を含めた2名のみ。二年生の出場者すら10名に満たず、上位はほぼ三年生に独占された状態。そんな中での13位。この年は同率優勝、同率入賞が多かったため、それを除けば点数では10位に手が届こうかというところである。紫野高校・北村の、二年にしてインターハイ優勝という偉業の影に隠れながら、一年にして福士はしっかりとその実力を全国の場に刻んでいた。

 二年になって臨んだ選抜大会では福士が優勝を飾り、柴田は4位。三年になった今年の選抜では柴田が優勝、福士が4位。


どちらも全国を獲る実力をもちながら、インターハイに出場できるのは一名のみ。男子新体操部のない高校もある中でこれだけの選手が潰しあわなければならないことは、傍から見れば「もったいない」のひと言に尽きる。
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 しかしそうした表面的なこと以上に、より根本的な部分で福士は柴田を悩ませる存在だった。
 

 個人競技でインターハイに出場できるのは各都道府県1名。全国で争う前に、彼らはお互いに超えなければならない存在だった。柴田は「県総体から、すごく意識していた」と素直にその心情を語り、こう続けた。「試合前とか、むこう(福士)がどんな演技か気になって」。



 これは、個人選手にしてはかなり珍しいことである。
これまで話を聞いてきた個人選手は、ほぼ100%の確率で「自分の演技をすること」に重きを置いていると語った。優勝を念頭に入れている選手はもちろんいるが、それも「誰に勝つとかではなく」、自身の力を出し切ることで優勝したい、といった類のものだ。競技でありながら他人を意識して競う側面の薄い、稀な競技なのである。
 そんな中での柴田のこの発言は、良いとか悪いとかではなく、素直に私を驚かせた。


 この福士に対する強烈な意識は、いつしか柴田の新体操に対する根本的な部分まで迫っていた。「俺は福士に勝つために新体操をやってるわけじゃない」と、一時は自分の演技を見失いかけた。選抜で彼からふたつも順位を引き離して優勝しても、なお。




 しかし柴田のそうした思いは、久々の直接対決となった県総体で、あっけない形で払拭されることとなった。


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2007年05月10日

青森山田高校 vol.2-策士(後)-

 亀井が団体から抜け、柴田が団体と個人を両立する、という状態が続いたあるとき。柴田は自分の思いも寄らぬところで注意を受ける。



 団体練習の休憩の間、柴田は他のメンバーが休む中、ひとり個人の練習に励んでいた。その個人練について「他のメンバーが団体に集中できない」という指摘をうけたのだ。



 このことから、私は改めて青森山田のレベルの高さを感じた。

 個人と団体を兼任する以上、どちらも十分に練習しなければならない。空いたわずかな時間であっても無駄にしまい、という柴田の行動は立派なものであるし、別の場所であれば、あるいは評価されたかもしれない。

 しかし、少なくとも青森山田ではそうではない。

 彼はやはり、団体練習の間は“団体メンバー”に徹するべきだった。例え休憩中であっても、団体に裂いている時間は、団体に集中すべきだった。


 このことは団体に微妙な影響を与えるとともに、長い間、個人中心でやっていたゆえの「個人中心」になりがちな自身の姿勢を知るきっかけとなった。




 こうして柴田が自分の中にあった「協調性の薄さ」に気づきだした、選抜大会2週間前。団体メンバーの入れ替えがあった。

 亀井が団体に復帰することとなり、柴田は再び、個人に集中することとなった。







 実はここまでの流れ、全て荒川監督の思惑通りであった。
仕事で留守の間、団体メンバーが入れ替わっていたことは、もちろん想定外であった。しかしその後、これはふたりとって良い機会かもしれない、と思い直した。

 柴田の協調性の薄さや大会前のマネージメント能力の低さについては、以前から思うところがあった。また、個人演技の練習だけでは、柴田が課題としている体力・筋力の強化に限界がある。一方で亀井はタンブリングで他のメンバーに後れを取っている中で、まだ精神面で自分を追い込めずにいた。

 このふたりを入れ替えることで、それぞれに肉体的・精神的負荷をかけることで、これらがうまいこと解消されるかもしれない。
 
 「これは、丁度良いかもしれない」-----。







 

 そして、この荒川監督の読みはほぼ的中した。迎えた高校選抜、以下がその結果である。



 第22回全国高校新体操選抜大会

【団体競技】
 優勝   神埼清明高校     得点18.775
 準優勝  青森山田高校       18.475
 準優勝  小林工業高校       18.475


【個人競技】
 優勝   柴田 翔平(青森山田高校)    得点36.675
 準優勝  日高 祐樹(小林工業高校)      36.175
 第3位  枡平 庸介(井原・精研高校)     36.075






 団体という精神的・肉体的負荷を外された柴田は、その開放感からか大会で練習以上の力を発揮することとなった。練習ではかならず、個人1種目につき1つずつミスを犯していたのだが、大会では4種目のうち棍棒で1つミスがあったのみで、他は全てノーミスであった。結果は堂々の優勝。


 団体では、亀井が悔しさをバネに努力を重ねた。大会では団体の見せ場のひとつである3つバックで他のメンバーから大きく後れを取るという痛恨のミスがあったが、もともとタンブリングに後れのあった状態、荒川監督の中では「計算のうち」のミスであった。



 ただひとつ、計算外だったのは「団体準優勝」という結果である。



 荒川監督いわく、あれは「とれちゃった2位」。チームの実力としては4位か5位、完璧に演技したとしても3位、といったところだった。

 それが、小林工業のラインオーバーによるまさかの減点。これにより青森山田と小林工業の同率2位という結果となった。



 

 今回の選抜は、柴田・亀井両名の不足していた部分を補う、という点では大きな収穫があったと言える。
しかし計算外の準優勝は、青森山田の新たな懸念材料となった。


「なるべくしてなった2位ではない。実力としては4、5番手。にもかかわらず選手達の中には“1位になれなくて悔しい”といった錯覚が生じている」

 つまり、監督に言わせれば「自分達には2位の実力がある」という勘違いが生じてしまっている、ということなのである。と同時にそのなかでどこか「でも、先生がなんとかしてくれる」という甘い部分がある、ということにも、監督は気づいていた。青森山田を連覇に導いた荒川監督である。その信頼は絶大であるが、ここにきてそれが裏目にでているのである。



 選抜を通じて、青森山田には新たな課題が見えた。しかし多少のずれはあったが、選抜までの道のり、そして結果がここまで荒川監督の「思惑通り」にはこんだのだから、青森山田には策士がいる、と改めて感じた。


 

しかし思えばこのことも、元をたどれば尾坂総監督の思い付きから始まったこと。
しかしもしそれが、単なる「思いつき」でなかったとしたら----







「団体は先生がひと言うだけで、ガラッと良くなる」
「あの人は勝負勘、もってるから」











 やはり、青森山田には策士がいる。


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2007年05月09日

青森山田高校 vol.2-策士(中)-

 午後の練習はは団体のタンブリング練習、全通し(曲に合わせての団体の通し練習)、前後半(団体を前半と後半に分けての練習)、倒立、バランスの練習を経て、1時間ほどで終了した。

この日は秋田の国体選抜チームが合同練習に来ていたので、秋田の選手にフロアを渡す。


 しかし柴田は、秋田がフロアで構成づくりをしている間も、その脇で個人練習に入っていた。棍棒の演技を曲に合わせて軽く2本ほどこなすと、曲かけをしていた選手に「もう良いよ」と言った。かとおもうと直ぐに「次、縄」といって手具を持ち替えて、今度は縄の練習に入る。


 練習熱心なのは確かだ。ただ、私の目には柴田はどうも焦っているように見えた。









 「ちょっと入ってみろ」


 荒川監督不在の団体練習中、突然、尾坂監督にそういわれて柴田は「えっ」と思った。はじめは監督の言ったように「ちょっと入って」みるだけ、と思っていたが、それが荒川監督が戻ってきてからも続いた。


自分の不在中に団体メンバーが入れ替わっていたことに驚いた荒川監督だったが、当の柴田も驚いていた。



「まさか、本当に入るとは」


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 個人競技と団体競技。器械体操の場合、そのふたつにはそこまで大きな差はない。しかし殊に新体操においては、このふたつは全く別物といっても良い。

 それぞれの規定はもちろんのこととして、もっとも大きな違いは、そこに求められる資質である。



 個人競技は当然ながら個人による、1分半の演技で、手具をもって行われる。その短時間に集中して、自分をみせなければならない。

 そのため、手具操作の器用さはもちろん、自分の持ち味や特徴を分析し、その「色」を十分に出し切る、ということが重要になる。1分半という短時間に、自分の力を出し切ることも必要である。

 つまり、個人選手には器用さと、自分への集中力が必要なのである。




 一方で団体は徒手(手具なし)で6名で行われる。
一糸乱れぬ動きが最大の魅力であるこの競技では、常に周囲を見て動くことが求められる。

時間は3分と、個人の倍もある。スタミナはもちろん必要だが、それ以上に求められるのは演技中のペース配分である。3分の間、全て100の力で動き続けることは難しい。力を抜いて体力を蓄える部分と、力を出し切る部分と、うまく配分していく必要がある。

 つまり団体では、全体を見渡す能力と、ペース配分をする、ある種の管理能力が必要になってくるのである。

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 柴田の団体経験は、昔一度はいったことがあったきりで、それ以降、高校では個人選手として活躍してきた。

 団体に関して、もらした第一声は「キツイ」。「体の使い方が全然違う」のだという。

いきなり個人の倍以上の時間、演技することに関してたずねると「今は体力をつける時期だと思ってるから」とのこと。自身の課題についても「自分の“色”はスピード感と手具操作の器用さ。今は体がかたく、筋力が弱いためにその色が出しきれていない」と言う。よく、自分の事を分析している。

休憩をとらずに練習していることについて触れると、「一番、がんばるように意識して」のことだという。「焦った」ように見えた柴田の動きの裏には、やはりこうした思いがあった。

そしてこのことは後に、柴田にひとつの気づきを与えることとなる。




 一方、この「焦り」に関して言うと、元団体メンバーの亀井はまだそこまでではないように見えた。

 タンブリング練習中、「練習に気持ちが入っていない」と、監督からのかなり厳しい檄が飛んでいた。先輩からは「団体から外されたのはあと一歩足りないから。足りないなら、残って練習すればいいのに、それがない」と厳しい言葉が漏れた。

直美さんからは「一生懸命アピールすれば、まだまだ入れ替えのチャンスはあるから」と励ましの言葉をうけ、「練習ではレギュラーの倍動かなきゃ」という気持ちがあるのだが、それが行動につながらない。というか、自分でもどう動いたらいいのか戸惑っている、という感を覚えた。





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2007年04月27日

青森山田高校 vol.2 -策士(前)-

 青森山田高校は指導者に恵まれている。

 監督は、国士舘大学で個人選手として活躍し、監督に就任してからもその独自のセンスと指導力でチームを全国大会で連覇に導いた、荒川監督。彼の残した大学時代の個人競技インカレ3連覇の偉業は、未だ他の誰にも達成されていない。その妻・直美さんも同じく大学時代に国士舘大で個人選手として活躍、現在はJAZZ DANCEのスタジオを運営している。度々山田高校で行われる彼女のレッスンは、「動きの幅が広がる」という選手達の言葉通り、チームの可能性を広げてくれた。
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 そのふたりが
 「団体は、先生がひとこと言うだけで、ガラっと良くなる」
 「あの人は、“勝負勘”もってるから」
 と絶賛するのが、総監督の尾坂監督。

 柔らかい笑顔でくだけた青森弁で話す、自然に親近感がわいてしまうような監督。


 今回のことは、この総監督の思いつきから始まる。







 3月上旬、異例の暖冬の中訪れた青森山田のフロアには、その気候とはうらはらに厳しい檄がとんでいた。


 「すごい弱いチームだ」
 「レベル落ちてるよ」
 「(分習が)流しにしか見えないよ」
 「こんなに悪かったっけ?」
 「これでは(選抜で)7番か8番だ」
 「目を覚ませ」

 -----選抜まで1ヶ月を切っていた。



 そんな中、団体メンバーの中でひとり、他のメンバーに比べてひときわ多く檄をとばされる選手がいた。新3年の柴田である。何度も何度も、細かい動きの指導を受ける。
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 一向に納得のいく動きをみせない柴田をみて、「くっそ~、苦しいー!!」と、尾坂監督。荒川監督からは冗談交じりに「責任とって下さいよ」との声。団体練習が終わる頃には「かちゃくちゃねぇ~!」と、頭をかかえてのけぞってしまった。

 「かちゃくちゃねぇ」とは、青森弁で「もどかしい」の意。


 というのも、柴田を団体メンバーに起用したのは、他ならない尾坂監督なのである。






 もともと団体で柴田のポジションにいたのは、新2年生の亀井。柴田は個人選手だった。

 亀井はタンブリングで他のメンバーに後れをとっていた。しかし動きの形は悪くないし、目に力のある選手で、審判へのアピール力もある。手足が長いために動きもよく映える。
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 だがしかし、如何せん器用なタイプではなかった。タンブリングの能力というものも、センスに関わってくる部分が大きい。上級生の祝(いわい)から「1ヶ月前に比べてだいぶ伸びた」との評価をうけるが、やはり他の団体メンバーにはまだ及ばない。




 そんな折だった。荒川監督が仕事で練習を留守にしてしまっている隙に、尾坂監督は亀井と個人選手の柴田を入れ替えてしまった。もともと、個人選手は器用で飲み込みの早い選手が多い。これが案外しっくりきてしまった。

 仕事から戻ってきた荒川監督は驚いた。だが、柴田の加わった団体の様子を見て、思った。「でも、これは丁度良いかも知れないな」





 厳しい檄の飛び交う団体分習を1時間ほどで終えると、選手達は休憩に入る。と同時にふたりの監督は肩を落としながら、まるで示し合わせたかのように「仕方ねぇなぁ」と声をそろえた。


 団体メンバーが休憩にはいったかと思うと、柴田はひとり、個人の手具を持ち、自分の曲を流していた。柴田はもともと、個人選手としての選抜大会の出場が決定していた。つまり今は“二足のわらじ”という状態だ。

 団体と個人を兼任しているからといって、フロア練習を特別にとれるわけではない。フロアを使った練習は、相変わらず時間が限られている。結局15分の休憩時間の間、一度も休むことのないまま柴田はまた午後からの団体練習に臨んだ。

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