2009年10月14日

09年全日本選手権前うち 青森大学 

 先日MSN産経ニュース等々に掲載した記事の、長いものをアップします。字数の関係で割愛されたところも多かったので。。

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 8月15日~17日、栃木県立県南体育館で新体操の全日本学生選手権(全日本インカレ)が行われ、団体競技で青森大が優勝。しかし優勝した青森大のチームリーダー、佐藤聖は「気を引き締めていかないと、足元をすくわれるので」と厳しい表情で語った。完璧な演技だったにも関わらず“常勝軍団”が表情を曇らせるのは、昨年の大きな敗北の経験があるからだ。

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 青森大は創部9年目にして、全日本インカレは7連覇、国内最高峰の大会である全日本選手権も5連覇を果たす“常勝軍団”。だが、そんな彼らのフロアでの練習時間は1日わずか2時間程度だ。専用の練習場所がなく、高校の体育館を借りているため、それが限界なのだ。それでも彼らが結果を残し続けているのは、緻密な計算のなせる業だ。チームの目指すべき演技レベルを明確にし、そこまでの道のりを逆算し、練習計画をたてる。決して奇抜ではないこの方法を徹底することで、彼らは連覇を果たしてきた。その例に漏れたのが、昨年の全日本選手権だった。

 08年、青森大の最大の武器は、タンブリングを得意とする外崎成仁の存在だった。伸身後方二回宙返りは、男子新体操では今のところ彼にしかできない技だ。しかし彼は切り札であるとともに、弱点でもあった。
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 ある日の通し練習の最中、団体メンバーは外崎の掛け声を聞いた。タンブリングの最中で外崎が見えなかった選手たちは、演技終盤でのその声に「気合入ってるなあ」と思ったという。

 だが、そのとき外崎があげたのは「ファイトー!」でも「さぁ、しっかり!」でもなく、「クッソー!!」という叫び声だった。演技の中で、外崎を飛び越えて着地するはずの選手が、彼の右脚の上に落ちてきていた。もろに真上に着地され、脚は動かなくなった。その脚を動け、とばかり床に打ちつけ、自身を鼓舞するように上げた、叫び声だった。何とか立ち上がり、演技をやり遂げた外崎は、立つことができなくなっていた。

 膝の脱臼と、内側靭帯断絶。もともと危険な技が多い彼にとって、怪我は珍しいことではない。今までだって絶望的な故障をしても、大会までにはなんとか持ち直してきた。ただ、今回最悪だったのは、それが大会1週間前だったことだ。

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 その2日後の朝。寮でまだ眠っていた外崎は、「起きろ!」の声で目を覚ます。監督だった。「今から、行け」。そう言われると地図と住所が書かれた紙と旅費を渡された。寝起きの働かない頭で車に押し込まれ、そのままひとり新幹線に乗せられた。地図の住所は千葉県。監督が懇意にする診療所のある場所だった。

 外崎を送り出すまでに2日、間があいたのは、純粋に監督が迷っていたからだ。演技構成を外崎を抜いたものに作り変えるか、彼の治癒力に賭けて演技を変えずに勝負するか。中田監督は理詰めの人間だ。創部以来、「確実に勝てる」ように仕上げることをモットーとしてきた。そのために半年も前から構成づくりにはいるし、大会1ヶ月前になると、就寝時に毎日頭の中で大会をシュミレーションするほど、緻密な性質だ。だから、この不測の事態の決断に2日の時間を要した。現実主義者の彼が、この2日の間に何度も「時間が戻ってくれれば…」と願った。


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 その末に監督は、外崎を千葉に送ることに決めた。この年の全日本選手権の会場は千葉県であったから、大会ギリギリまで治療し、そのまま会場で合流し、様子を見て外崎の起用を決めることにした。だが、外崎の心はすでに決まっていた。「自分が、出場する」。

 残った5人のメンバーも、外崎のポジションを空けて練習を続けることにした。ひとりメンバーの少なくなったフロアはどこか不安げに見えた。それでも、外崎が戻ることを信じるより他なかった。



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 チームと合流するまでの間、外崎は監督に毎日、会話するように何通もメールを送っている。


 千葉に向かう新幹線の中では「自分のために、こんなにしてくれてありがとうございます」、「4年生を笑って卒業させましょう」。治療が始まったその日には「治療でこんなに痛いのは初めてです。でも、治るなら我慢しなきゃですよね」。その翌日には「みんなもがんばってるから、治るんならどんな痛みにも耐えます」。それは、彼の人柄を表すような前向きな内容がほとんどだった。
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 だが、開会式の前日、監督が「今、千葉に着いた」とメールすると「こっちに来られませんか」と返ってきた。大会直前にチームを離れ、見知らぬ土地で毎日10時間以上も絶えず激痛の走る治療を受ける生活。さすがに精神的に参っていた。

 しかし体の方は、回復を見せていた。全く曲げることのできなかった彼の膝は、本来の半分くらいまで折ることができるようになっていた。それでも、歩くたびに激痛が走った。その日の夜、外崎は「久しぶり」と、ごく普通にチームに合流した。「治ってきました」「全然、普通っす」と人懐っこい笑顔で軽口を叩いて見せ、その翌日の会場練習では「スワンドッペルやっていいですか」とまで言ってのけた。「やめとけ」と監督に制止されながらも、彼は難度を落としたタンブリングをやってみせた。



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 その日の予選で、外崎は怪我をして以来、初めて演技を通した。小さなミスはあったが、「いつ膝が爆発するか」と心配していたメンバーは、演技をやり遂げられたことに、ただ、ほっとした。一方で外崎は、ほぼぶつけ本番のような状態で通しきれたことの、喜びに打ち震えていた。「やれたってことが、とにかく嬉しくて」。大量のアドレナリンが彼に痛みを忘れさせ、驚くべきことに、決勝ではノーミスの演技を披露した。

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 外崎は自身の役割を果たすという意味では、十分な働きをした。が、それは勝つには足らなかった。僅か0.019点、国士館大に及ばなかったのだ。
 
 青森大学にとって、負けた理由は大した意味はもたない。意味は、彼らが再び挑戦者に戻った、というところにある。

 創部当時、青森大の選手はその誰もが「2番手の選手」だった。各高校のエース級は、有名強豪校に引き抜かれていったためだ。そんな彼らが、中田監督の「お前らを日本一にしてやる」という言葉を信じて、がむしゃらに強豪に戦いを挑んだ。本来青森大はそういう、チームだった。



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 ある日の練習中、普段は温厚な選手が、ミスをしたチームメイトに掴みかかる場面があった。ここ数年、見かけなかった光景だ。
 彼らは確かに、挑戦者の泥臭さを取り戻しつつある。



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posted by reportage |21:50 | 青森大学 | コメント(0) | トラックバック(0)
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