2007年12月04日
青森山田高校vol.5 -涙-(前)
今思えば、あのふたつの涙はこの日のために流されたのかもしれない。 国体という高校の三大大会の締めくくりで、今年初めての優勝の二文字を獲得した青森山田高校。相次ぐ故障、不測の事態の連続に辛酸をなめつづけた今シーズン、ついに手に入れた栄冠。青森山田のメンバーは歓喜に沸き、閉会式でもその熱は冷めやらなかった。 そんな中、式で整列するメンバーの姿を見ながら、彼はひとり、涙を流していた。 「どうして、自分はあの列に並んでいないのだろうか」―――。 団体メンバー3年の椎野は、同じく3年の柳、祝(いわい)大地とともに、3月の選抜大会からレギュラーの座を守り続けていた。他の二人のようにチームを引っ張るタイプではなかったが、監督から「表には出さないけど、熱いものをもってる」と評されるように、静かに、それでも確かにチームを支え続けた存在だった。 そんな彼が戦線を離れたのは今年9月中旬。組の練習中に、肘に強い痛みを覚えた。すぐさま病院にいくと、肘の肉が骨から剥がれていた。高校最後の国体を2週間後に控えた彼に下されたのは、全治3ヶ月の診断だった。 チームメイトから「監督の前では静かで、冷静」と言われる彼が、その監督や看護師の目をはばからずにボロボロと涙をこぼした。 彼にとって最後となる国体出場の道は、完全に絶たれた。 だが、これを単なるお涙頂戴の物語にはしないのが、彼の強さだった。絶望的な診断をうけ、寮への帰途につく彼の頭には、すでに別のビジョンがあった。 「自分はジャパン(全日本選手権)を目指そう。大学でも続けるから、これで終わったわけじゃない」 ―――あの涙から、わずか1時間足らずの決意だった。 国体直前の9月23日。フロアで目にしたのは左手に痛々しいギプスをした椎野と、彼に代わって急遽団体メンバー入りを果たした、1年の小林の姿だった。そこでの彼には、今まで感じたことのない存在感があった。 自分のポジションをつとめる小林に積極的にアドバイスするのはもちろんのこと、最近動き出したという、1、2年の補欠組で構成された団体Bチームを、彼が率いていた。![]()
もちろん、自身のリハビリにも精を出した。走りこみ、スクワットなど、自ら下半身強化のメニューを組んで実行した。国体を目指すチームメイトたちが練習する、そのフロアの片隅で、自分だけはひとつ先の全日本を目指して筋トレを続けた。荒川監督の勧めで、直美さんのダンスレッスンにも通い始めた。「基本のトコトン」を叩き込まれたそのレッスンは、決して激しい動きをるすわけではないのに、終わる頃には汗だくになった。![]()
取材に訪れた日の2日後に、彼は剥がれた筋肉を骨につける手術を行うことになっていた。手術後は少なくとも2~3日入院しなければならないが、青森山田が国体に出発するのは、手術の翌日だった。 「国体は見たいってのはあったけど、逆に(小林)翔が“一生懸命やんなきゃ”って変に力入るのも嫌なんで」 手術前は冷静にそう語っていたが、国体が近づくにつれてその冷静な判断とは別のところにある「熱いもの」がうずいた。 ―――結局、秋田の国体会場には、術後間もない彼の姿があった。 余談ではあるがそんな椎野のことともうひとつ、強烈に印象的だったのが、1年にして団体に入った小林がひとり、尋常ではないほどの汗をかいていたこと。彼は1年とはいえ、中学時代は全日本ジュニアで優勝を果たした、団体チームのキャプテンを務めた選手である。その彼が、ついていくのも精一杯の演技とは―――青森山田の演技がそれほどのレベルにあることを、改めて思い知らされた。![]()
posted by reportage |04:25 |
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