2007年09月10日
青森山田高校 vol.4 -異端児-(前)
あまりにも使い古された表現だが、新体操という競技は自分との戦いである、と思う。競技者は他者に働きかけることができない。できるのは、ただ自分の力を出し切ることだけである。 だが青森山田高校の荒川監督は、それともっと別なものと戦っていた。佐賀の男女地元優勝に沸いたインターハイ、その裏側でこうした戦いがあったことを、多くの人は知らない。 「今年は武器がない」と、珍しく荒川監督の弱気な言葉を聞いたのは、インターハイ目前の7月半ばのことだった。いつもの実力を謙遜する言葉ではなく、本当に「まいった」といったようなその様子に「珍しいですね」と言うと、ただ笑顔で応じた。![]()
「山田は勝つだけでは許されない」 この言葉の意味は、往年のインターハイで初披露されてきた青森山田の演技を見れば分かる。左右からひとりの選手の両腕を持ち、ぐるん、と1回転させる「ブランコ」、会場を沸かせたそれを翌年は2回転に増やした。タンブリングから伏臥(腕立て伏せのような、手と足の先だけで着地した状態)で着地した選手を、周囲から持ち上げるように、もう一度宙に飛ばす「ガメラ」は、その姿から名づけられた技だ。青森山田は毎年、会場を「サプライズ」で沸かせてきた。![]()
青森山田が、というよりは荒川監督が、毎年新しいものにこだわるのにはわけがある。 ひとつは、伝統校かつ私立校故の、まさに「痛いほど」の期待に応えるため。もうひとつは、男子新体操の普及のためである。とはいっても、私立校ならではの「勝たなければならない」事情があるなかで、ボランティア精神に富んだ普及活動などはできない。ではどうするか。 「俺らはあくまで競技をしている。だからその中で、新体操にインパクトを与える。それが、男子新体操の普及につながる」 「勝つこと」に固執することが当然の私立校にあって、勝負と同時に男子新体操全体のことを考えられる視野の広さ。彼が名将たる所以を垣間見た気がした。![]()
話を戻そう。そうして、常に新しいものを発信してきた青森山田高校。常に新しいもの、新しいものを求めていけば、必ず行き詰るときというものを迎える。青森山田は今年、それを迎えていた。 悪いことというのは続くものである。これに加えてこの時、1年生にしてレギュラー入りを果たしていた期待のルーキー・小林翔が故障により戦線離脱を余儀なくされた。「演技をすると体育館の空気が変わる」とまで言わしめる彼がレギュラーから外れることは、武器のない青森山田にとってはこの上ない痛手だった。![]()
さらに、演技の曲付けでも問題が発生した。「これだ」と思って付けてきた曲が、実際に演技に合わせてみたところイメージと大きく違ったのである。曲も、演技も、選手までも―――すべてがかみ合わなくなっていた。 監督が弱気になるのもうなずける、まさに窮地。しかしやはり、荒川栄はここでは終わらない。 荒川監督はルールをかいくぐることがうまい。 近年こそ当たり前のように見られる「組み」などの選手同士の「接触」状態から始まる演技だが、実はこれ、数年前までは禁止事項であった。それを変えたのが、荒川監督だった。かつて坂出工業高校が、演技の最後を接触で終わったにもかかわらず減点をうけなかったことを引き合いに出し、青森山田の演技の接触を認めさせた。以降、ルールブックにはこう記載されている。 「演技の開始時における身体の接触(ポーズ)は可とする」 現在、組みによる演技のスタートは男子新体操の主流になっている。![]()
「俺は構成、曲、衣装、全部あわせて勝負だと思ってるから」 そう語る荒川監督が今年目をつけたのは、衣装だった。 現在、男子新体操のユニフォームの規定は、「ランニング、長ズボンで色物可」、「上品な裁(た)ち上がりで透き通らない布でできていること」、「全員が同形、同色の服装で出場すること」などの規定があり、それに違反した場合、1名につき0.2ずつ減点される、というものである。また、ユニフォームの乱れは0.1、破損は0.2の減点となる。 今度は、この規定をかいくぐる。
posted by reportage |21:45 |
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