2009年05月16日

お知らせ

◎お知らせ◎

MSN産経ニュースにて、男子新体操の記事が掲載されることとなりました。

記事は3部構成で、本日(16日)の13時と18時、明日(17日)の13時にそれぞれ掲載される予定です。

ご一読いただけますと幸いです。

http://sankei.jp.msn.com/

http://sankei.jp.msn.com/sports/other/090516/oth0905161300008-n1.htm

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2009年03月28日

恵庭南高校-バランス-(後)

絶妙な立ち位置とモチベーション 

 監督の手元には5冊の手帳がある。今年の予定を記す用の手帳と、過去4年分のものが4冊。過去実績と練習内容を考察して、それにチームの現状を加味して、練習計画に活かすのだという。

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 「だいたい最近5年分あれば良いですね」といってパラパラと手帳をめくると、月間のページに書き込みが見つけられる。その時期にチームがどういった状況にあるかを一言で書き記すのだという。

「今は(本当はもっと練習したいが)追い込む時期ではないので、我慢です。だから、今日のところにはたぶん“我慢”って書きますね」。

 だから、今日の練習で激は聞かれなかった。
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 今が「追い込む時期ではない」というのは、チームの現状を考えた結果だ。今年の団体は、傍目にはまとまっているように見えても、去年とは実力の差が歴然だという。それは「去年より良い結果は出ないと思うけど」という主将の高堰翔平の言葉からもわかるように、監督、選手ともに実感していることである。

 工藤監督の考えるところでは、今年のチームは全国9位の実力だという。それは昨年のメンバーが根こそぎ引退した、今年のチームの能力を冷静に見た結果だ。それをわかっていながら「優勝目指して」では、嘘になる。だから、「選抜の目標は6位」だし、無理に追い込むこともしない。

 高堰のそれは、弱気な言葉でも、実力を卑下する言葉でもない。
「でも、これからがんばって6位以内に」と高堰は続けるし、彼と同じくレギュラーの渋谷郁哉も「でも、がんばればこれから伸びると思うんで」と話し、前を向いた。決して悲観もせず、気負うこともしない。立ち位置と、目標へのモチベーションが絶妙なのだ。おそらくこれが、強さと心地よさの理由のひとつだ。


 そう、全体としての印象を語るとするならば、このチームはバランス感覚に優れているのだ。過去の実績と、チームの状況を考慮したスケジュールを調整。チームの実力を見て設定する的確な目標。そう、このチームが実績を残し続けている理由を説明するなら、バランスという言葉に終始する。そんな気がした。

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半分残れば、「御の字」 

 練習内容に関しても、同じことが言える。講習会での集中力に驚嘆したのだが、その細かな日程を聞けば、驚きは更に深くなる。

 あの講習会の日、彼らは北海道から直接、会場に来たわけではなかった。その2日前に青森入りし、青森山田高校との合宿を経たその足で8時間の道のりをバスに乗って、東京まで遠征していたのだ。青森合宿の翌日にはもう講習会会場に到着、2日間の日程をこなし、そしてその後の、団体練習。それであの集中力、質の高さであるから、彼らのそれはタフという言葉ではとても言い足りない。さらにその団体練習の後、再びバスで青森まで戻り、深夜2時に青森発のフェリーに乗り、早朝6時に函館に着くこと、そして恵庭に戻るにはそこからさらに6時間かかることを聞けば、もはや閉口するより他なかった。

 しかし、そんな強行スケジュールをやってのけた彼らだが、普段の練習はどんな具合かと尋ねれば、この日の練習風景を指して「こんな感じ」だという。逆に言えば、あんな練習はたまにだからこそ、耐えられるのだ。

 確かにメリハリのある練習といえるが、しかし、たまのハードな練習で、どこまで効果は見込めるものだろうか。実際、恵庭南での練習を見て気抜けした理由の半分は、講習会で見た彼らの方が、レベルが高かったように思えたからだ。

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 そのことについて触れると、監督はこともなげに「講習会のときより(実力は)落ちてますよ」と話す。

「(青森)合宿と、講習会ですごーく伸びたんです。でも、帰ってくるともどってしまうんです。今はその伸びた分の半分くらいしか、残ってない」と両手を広げて成長の幅を示すと、その半分あたりまで手を縮めてみせた。

「でも、あと半分、残ってるんです。半分残れば、御の字です」。

 初心者と、経験者の混在するチームである。多くを追求すれば、付いてこられない選手も出てくる。だからキツイ練習も、チームの様子を見ながらギリギリのところで加減する。その結果、成果は半分が残れば、十分。これも、バランス。
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全国一の素人集団 

 演技についても、兼ね合いは重んじられる。監督自身の意見、選手の意見、そして審判、観客を含めた周囲の視点。ことに、この構成に関して、工藤監督は驚くほど謙虚な立場をとる。

 おおまかな演技の内容を紙に書き記すと、それをその年、演技作りをまかせると決めた大学生に渡す。その紙の内容を軸に、その年、監督が見込んだ大学生に、細かい動きづけを依頼する。新体操の演技は、年々進化するし、評価の流れも変わってくる。それから取り残されないようにと、その最前線にいる大学生にアイディアを借りるのだ。演技が監督の思いそのものとも言える新体操において、工藤監督のこの立場は、ことさらに潔く思えた。

 そしてそこに選手と、周囲からの見た目を考慮した監督の意見を加えながら、演技はつくりこまれる。選手の意見をないがしろにすれば、チームは演技に愛着を持てなくなるし、周囲の見た目を無視すれば、ひとりよがりな演技になる。もちろん、強すぎない程度に、監督自身の思いも盛り込む。そうして例年、それらの均衡を保ちながら、演技は作り上げられる。

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 練習のバランス。構成作りのバランス。選手と監督の意志のバランス。それらが絶妙に均衡を保つことで、このチームは実績を残し続けている。層の厚い強豪校や、経験者の集まるエリート高校とは違う、このやり方で。

「素人集めてやってるとこなら、全国1位じゃないですかね」

 工藤監督は笑む。最高の素人集団はこうして、つくり上げられるのだ。





 しかしこのバランスというのは、なかなかに奥深いものである。
監督の10年の経験を以ってしても、それは容易いことではない。昨年はその難しさを思い知らされた、こんなエピソードがあった。



   *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *   


 昨年のチームは、現在のレギュラーや監督が語るように、確かに強かった。演技は評価が高く、周囲からも優勝が狙えるチームとの呼び声が高かった。ライバル校からも意識されていた。

 それが象徴的だったのは、この年の青森山田高校との合宿のことだ。
青森山田の荒川監督は、国士舘大学での工藤監督の後輩に当たる。全国優勝22回、毎年必ず5本の指に入る成績を残す名門校。全国から集められた選手たちが、寮生活をし、新体操漬けの生活を送る青森山田の練習は、恵庭南の選手がいうには、「(自分たちとは)空気が違う」らしかった。その上、青森山田の尾坂総監督、荒川監督のふたりは、合宿相手の選手にも熱心に手ほどきをする。自然、練習時間も長くなる。正直なところ、恵庭南の選手にとってはなかなか、キツイ。


 が、昨年ばかりは、嫌がっていたのは恵庭の選手だけではなかった。工藤監督が「去年は嫌がられましたね。かなり、嫌がられました」と、振り返る相手は他でもない、荒川監督である。

 合宿というのは、周囲や、選手自身が思う以上に効果がある。昨年などは、青森山田と古くから親交のある盛岡市立高校が、インターハイ前のわずか数日の合同合宿で、見違えるほどに雰囲気が変わった。

 荒川監督はそのことをもちろん心得ていたし、おそらくその場になれば思わずみっちり相手校を指導してしまう自分の性格も知っていたのだろう。その上、他校が遠征に来るとなれば、フロアを使う時間も半減し、もちろんいつも通りの練習などままならない。

 だが、それは毎年のことである。この年、ことさらのようにそれを嫌ったのは、このときの恵庭南にそうさせるものがあったからだ。
確かに、工藤監督の経験の中で、その成長の早さは「間違いなく最速」だと語るほどのチームだった。すでに春の時点で選抜大会4位という実績も残していた。名門校や強豪校に、「素人集団」が食らいついた、まさに、快挙であった。
 最後まで工藤監督の申し出を渋っていた荒川監督だったが、結局、合宿は敢行された。

 合宿を経て更なる成長を遂げ、臨むインターハイ。選抜では表彰台に手が届く、というところまできた。これでその上を目指さなければ、ウソというものだ。だが、その結果は―――5位だった。

 演技に大きなミスはなかった。ただ、試技順が2番と早かったこと、そして1番のチームが大きなミスをしてしまったために、自分たちが全体の基準点とされてしまったことも、大きく災いした。その結果を受け止めた工藤監督は、荒川監督にこんなことを言われる。

「先輩、なんでラスト、強くしなかったですか」

その言葉に思わず、反応する。

「どうして(合宿で)言わなかったんだよ!」

 問い詰めるのは筋違いと分かっていながら思わず語気を強めたのは、先に述べた理由のほかにもうひとつ、思い当たる敗因があったからだ。



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 インターハイ前、監督にはどうしても、気になることがあった。演技の終わり方についてである。今回の演技のラストは、全員が片膝をついた「座」の状態で、下を向いて終わる、コンパクトな印象のものなのだが、監督はもっと強く、歯切れの良い、前に迫るようにして終わるものが良いのではないか、と考えていた。

「ラスト、強く終わった方がいいんじゃないか」

 監督が選手にそう尋ねたのは1度や2度ではなかったが、その度に選手は「いえ、こっちが良いんです」とはっきりと主張した。ここで監督の我を通すことは簡単だったが、演技に対しては自身よりも選手が愛着を持って欲しい、というのが信条だった。選手の想いと、監督の想いと、周囲からの評価。その、どれもが演技には欠けてはならない。その選手がこれほど想っているのならと、監督は気持ちを押しとどめた。そうして臨んだインターハイだった。

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「先輩、なんでラスト、強くしなかったですか」

だから、その一言で頭の中のもやがようやく取り払われたようであり、と同時に「やはり!」という思いが去来した。

「どうして(合宿で)言わなかったんだよ!」

問うと、相手はさらりと答える。


「だって、(うちが)負けそうだったから」






 選手の想い、監督の想い、周囲からの評価。どれが欠けても、また強すぎてもいけない。

 やはり、バランスというのは、難しい。

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★iza!のオフィシャルブログで写真を載せてもらってます★
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2009年03月23日

恵庭南高校-バランス-(前)

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 選手がひとり、倒立の状態でフロアの上を歩いている。両腕だけで体を支え、その腕を一歩、また一歩と交互に前に踏み出し、新体操で使用する一辺13メートルのフロアの上を、端から端まで歩く。新体操では一般的な補強メニューだ。
 まださほど新体操の経験が長くないのか、彼の足取り(この場合は手だが)は、如何せんおぼつかない。一歩、踏み出すごとに両足がふらつくから、どうしても途中でバランスを崩して床に足をつくことが多い。逆立ちの状態で静止することさえ、簡単ではないのに、その状態で歩行、さらにそれが弾力性のあるフロア上となれば、よりバランスをとることは難しくなる。

 そう、バランスをとるということは非常に難しいのだ―――何事においても。
 食事のバランス、人間関係のバランス、心と体のバランス。休息と練習のバランス、叱り飛ばすことと褒めることのバランス。一度、「ベストバランス」だと思うものを見つけたとしても、日々、状況は変化する。だからその「ベスト」もまた、状況に合わせて刻々と姿を変えるのだ。丁度、倒立の最中に宙でふらついてしまう、彼の両足のように。
 
 しばらくして彼は、恐らく自身が決めたであろうゴール、フロアの端まであと一歩、いや、その半分、というところまできていた。が、そこで再び足をついてしまう。体を起こして立ち上がってからもう一度両足を振り上げると、届かなかった分の半歩をきっちり進んでから、ようやく地に足をついて、息をついた。結局、誰が見ているというわけではないその補強で、彼は少しの距離もごまかしたりしなかった。彼の所属する北海道恵庭南高校は、そんな気持ちのいい練習と、絶妙なバランスとを保っているようなチームだった。






「奇妙な、心地よさ」
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 道内で唯一、体育科をもつ恵庭南高校には体育館がふたつあり、そのうちひとつが新体操部の練習場となっている。そこはボクシング部の練習場も兼ねているから、フロアの脇にリングが隣接しているが、それでも館内は十分に広い。
 壁一面に大きな窓があり、そこから眩しいほどに光が差し込むのは、積雪による反射光が存分に注がれるため。時おりそれに影がさすのは、屋根から大量の雪が滑り落ちてくるためだった。近づくのが恐ろしくなるほど巨大なストーブが3台、フロアに向かって轟音を立てる。それでも、吐く息は白い。
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 恵庭の練習は、監督が指示を出し、それに選手がしたがう、という分かりやすい構図ではない。練習は、対話を以って行われる。
指揮を執るのは、恵庭南を指導してちょうど10年目を迎える、工藤直人監督。ただ、彼のそれは「指揮を執る」とうのとは、少し違う。




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 インターハイに向けての構成づくりの最中、監督が「この動き、変か?」とたずねると、「変ですね、なんか、しっくりこないです」とハッキリと答えたのは2年の高橋伸児。
 演技を前半、後半に分けて通しこむときも、「後半やって、前半やろう」との監督の言葉に、選手たちは「前半先の方がいいです」と言う。ずっと前半の練習をやっていたから、「いや、後半で気分変えてから」と監督が言っても、「いや、(気持ちの)切り替えができないんで…」と、笑みを浮かべながら交渉する。
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 その様子は驚くほどにフラットなのだ。思えば練習の間、監督から檄らしい檄は聞かれなかったが、だからといって甘い練習をしている、というわけでもない。ただ、ここでは選手と監督の意志が同等に近い形で扱われ、監督はその調整役のような立場にいる。そして何というか、そこに流れる空気がどこか、寛容なのだ。それが奇妙に、心地いい。

 こうした恵庭南の練習風景にどこか気が抜ける思いがしたのは、東京で一度、彼らの練習を見ていたからだった。1月10日、国士舘大学で行われた「選手指導者講習会」。全国の新体操部が集まり、練習をともにする、体操協会主催の行事だ。講習会が終わり、他校の選手が帰途につき始める頃。そんな中で団体演技の練習を続けていたのが、恵庭南高校だった。
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 公立校であるから、おそらく北海道から東京まで陸路でここまで遠征し、みっちり2日間の日程を終えた、その後に、時間一杯まで練習を続けていたのである。しかもそうした中でも、フロアにはピリッとしたほどよい緊張感が走り、その脇では、補欠の選手がひとり、倒立歩行の補強を行う。少しの距離もごまかさずに歩く、生真面目なその姿に、いい練習をしている学校だな、と思った。

 中でも目を引いたのは、演技の完成度の高さだった。新チームは通常、12月に3年生が引退した後に動き出すから、講習会に来ているのは出来て1月ほどのチームのはずだった。が、それにしてはあまりにも演技の水準が高い。

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 ただ、この新チーム始動の時期に関しては、後ほどその思い違いに気づくことになるのだが、それを差し引いたとしても、その時の彼らには感じるものがあった。その場で思わず、練習を見に行く約束を取り付けてしまうほどに。
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「素人」たちが挙げる、コンスタントな実績 

 だから、北海道で見た彼らの練習風景に、拍子抜けするような気分だった。あまりにも平坦な監督との関係、監督自身が「楽しくやるのが好きなので」という言葉どおり、練習の合間には度々笑い声が漏れる。そしてその工藤監督に選抜の目標を聞けば、「6位入賞が目標」だという。年々、実績は安定してきているように見えるし、特に昨年などは間違いなく争覇圏内にあった。そんなチームにしては、あまりに牧歌的だ。その原因はおそらく、彼らが「素人の集まり」なことにある。

 昨年、高校入学後に行われる部活紹介で、新体操部の選手がバック転する姿を見て、山内睦葵(むつき)と袴田一輝は入部を決めた。ふたりとも体育科ではなく普通科の所属で、「タンブリングができたら良いな、と思って」入部を決めたくらいであるから、もちろん、新体操の経験はない。

 「テレビで新体操を見て、自分もやってみたいと思った」と話す、同じく1年の山田那智(なち)は、小学校から続けていた野球を辞めて、新体操部の門を叩いた。

 こういったいわゆる初心者は、ここでは少なくはない。だから、というわけではないかもしれないが、練習の中にもどこかのどかな、素人の部分を許容するような空気が流れる。

 恵庭南のような、高校で新体操を始める選手が多いチームは決して珍しくはないが、特筆すべきはその「素人」たちが、全国大会でコンスタントに上位入賞し続けているという点である。

 新体操経験がない選手の多いチームでは、年によって成績の上下が激しくなる。経験者が多く入った年や、たまたま運動神経の良い選手が集まった年などは成績も格段に上がるが、そうでない年であればガタ落ちする。

 しかし恵庭南はここ5年を振り返ると、04年をのぞいた全ての年で、全国大会で5位以内の成績を収めている。練習を見る限り特殊な運動や、もちろん別段厳しい指導をしているようには思えない。では、何が素人を全国レベルにまで仕立て上げるのか。
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 まず今年のチームに関して言えば、ひとえに新チームが例年より早く構成されたことが理由のひとつにある。実は講習会では思い違いをしていたのだが、この新チームは12月以降にできたチームではなかった。10月の国体が終了した時点で、当時の3年生は引退していたのだ。彼らは全日本選手権の出場権を手にしていたから、本来ならば12月のそれに出場して引退、というのが通例であったが、この年は3年生の進路などの問題から、たまたま新チームがこの大会に出場することとなった。国内最高峰の大会に、できて数ヶ月のチームが出場を果たした。

 この大会で、1年にして全国トップクラスのチームと肩を並べることになった霜山 生(しょう)は、「緊張しすぎて、頭が真っ白になった」と振り返りながらも、「選抜に生かせるものが手に入った」と、その経験を話した。2年の富岡佳之は、全日本で見た一流選手の「(タンブリングの)ひねり方を参考にして」、技の数を増やしたし、渋谷郁哉は「みんな練習に対する雰囲気が変わった」と、チームのモチベーションの変化を感じていた。翌年3月の選抜に向けた、日本一レベルの高い前哨戦は、確かにチームの財産になっていた。

だがしかし、それは今年に限ったことだ。例年の好成績には、別の理由がある。


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2008年12月02日

花園大学 木村功-プラン-(後)

 しかし、である。実施に重きをおいた演技というのは、正直なところ面白くない。技の精度を高めることが最優先になるから、同じ難度でもより確実な、言ってしまえば派手さのない技を入れる。動きにしたって、シンプルであればあるほど、実施点は取りやすいのだ。

 まず初めに基礎を固めて実施点をあげる、というのは、よくよく考えれば当然のことで、決して奇をてらった方法ではない。だから感心したのは方法そのものではなく、彼がそれをストイックに行ったということの方だった。

 彼はそもそも、能力が低い選手ではない。高校時代に目立った成績を残していないとはいえ、地元では「アイツは、本当にすげえ」と上級生から噂されるほどだった。

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 そもそも男子新体操、とりわけ個人は、自分を表現してナンボの競技である。演じるのは自分ひとりだから、自分の考えを動きで表現し、評価を得ることが醍醐味の競技。選手にも、新しいことや自分の個性で周囲をあっと言わせることに、達成感を覚える気質が多い。

 彼はすでにある程度、自分のしたいことを表現できる能力を持っていた。それでも、シンプルな演技で実施点を上げることに努めた。

 自己表現とは正反対に当たる、決められた演技を確実にこなすことは、個人選手にとっては競技から魅力そのものを奪うようなものである。

 それでも、あえてその道を選んだのは、彼にとってそれが「勝つ」方法としては確かなものではなかったからだ。それは何よりも高校時の実績が示している。

 だから、地道な、それでも自身が確実に結果が出ると信じたプランを選んだ。

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 彼はそれを大学に入ってから自身が納得するまで続けた。個人選手がもっとも自分を表現できるはずの構成づくりでも、決してつくりこむことはせずに、一度つくったものを多少手直しする程度にとどめた。

 それよりもひとつの演技を徹底的にやり込むことに集中した。彼はこともなげにこのことを語ったが、いつ結果が出るか分からないことのために、自身が本来望まないことを続けるということは、恐ろしく胆力のいる作業である。それはまるでゴールの見えないマラソンを走るようなものだった。

 ただ、彼はこのマラソンの中にも少しずつ、喜びを見出していった。成績では1年時に比べて2年の方が劣っているが、着実に延びる実施点に、やりがいを感じていった。構成でみせる選手を順位で上回ったときには、ひとり喜びを噛みしめた。そして2年の秋に行われた、関東圏の大学の集う交流戦で、彼は確信を得た。実施で、9.4の高得点をたたき出したのだ。機は、熟した。
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 その翌年、つまり今年の春からつくった棒とリングの演技は、5~6回も作り直しをし、自分の納得した作品をつくり上げた。それまで決して行わなかった、つくりこんだ構成は、周囲からも以前より良くなったと評価された。

 さらに身体的な特徴を生かした表現も加えられた。彼の左腕は、過去に骨折している。そのため手の平を上にして両腕を左右に伸ばすと、左腕だけが肘からしなるようにして反り返る。奇妙な傾斜がつくのだ。両腕を上にあげたり、左右に伸ばしたりといった基礎的な体操をするときには、これを目立たなくするために左肘を少し曲げるようにして調節して動かしていたが、柔らかな表現ではこのしなった腕も魅力になると気付いた。

 彼は柔軟な動きを表すときには、必ず左手を用いるようになった。その、本来人にあるはずのないラインは、彼だけの持ち味になった。
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 基礎と演技の精度を高めることを、1年以上に渡って積み重ねてきた彼が、本来持っている構成能力を開花させれば、結果は火を見るより明らかだった。彼は突然、上達したわけではなかった。ただ待っていたのだ。彼のプランに合わせた、タイミングを。

 今年の全日本選手権に、木村は高校3年以来、出場を果たす。もう、あの頃のように「旅行気分」ではない。

 今回の話を聞いて、彼のストイックな姿勢に正直なところ驚かされた。冷静で、どこか淡白な印象のある選手だと思っていたからだ。ただ、恐らく彼にとってこれは、「しんどいことをがんばり続けて、やりとげた」という、情熱溢れるストーリーではないのだろう、とは思った。彼はただ、自身の思う最適なプランを選んだだけなのだ。

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 木村はフロアを歩くときに、まるで氷を踏むような、慎重な動作をみせることがある。走るときも、足を極力浮かさず、地面をするようにして走る。それは、長年抱えている故障のためだった。
 高校時代から、彼は両足首を痛めていた。慢性化していたその痛みを、自身ではねんざ程度にしか考えておらず、病院にいくことはしなかった。
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 それが、大学に入ってから監督のすすめで診察をうけたところ、両足のじん帯が断絶していたことが分かった。片足に2本ずつある大きなじん帯の、それぞれ外側のものが完全に断ち切れていた。痛みを押してもなお動き続けられたのは、すでにその部分の筋肉が、じん帯の代わりを務められるほどに発達していたためだった。


 故障に負けない、素晴らしい選手の話をしたいわけではない。このことが、彼の性格と微妙にリンクするように思えたのだ。
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 じん帯を断絶すると、場合にもよるが、それを縫い合わせる手術が必要になる。手術すれば最低1週間程度は入院が必要、歩けるようになるまで1月程度かかり、ギプスが外れるようになるまでさらに1月かかる。2ヶ月の間、まったく動けない期間をもつということは、スポーツをする者にとっては脅威だ。

 大きく損傷したじん帯をカバーするだけの筋肉を養うためにかかる期間は個人によってことなるが、鍛えれば筋肉は必ず育つ。痛みは伴うし、時間もどれほどかかるか分からないが、その間、体を動かし続けることはできる。足首は悲鳴を上げる代わりに、耐えながらただ黙々と、その代用になる筋肉を鍛えた。



 痛みを伴うし、先は見えないが、確実な方法―――彼が選んだプランと、似てはいないだろうか。

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2008年11月28日

花園大学 木村功-プラン-(前)

06年 大学1年生 全日本インカレ 17位(全日本選手権出場ならず)
07年 大学2年生 全日本インカレ 20位(全日本選手権出場ならず)
08年 大学3年生 全日本インカレ 準優勝


 彼の実績を調べると、思わず感嘆の声が漏れた。これほどの短期間に、これだけ順位を上げた選手が近年でいただろうか。
 そしてさらに嘆息を誘ったのは、これが全て、彼のプラン通りに進んだ結果であるという事実である。

 今年8月の全日本インカレ。しっとりとした曲と、その演技にあわせてあつらえたような、長い手足が織り成すしなやかな動き。柔らかな手先の表現、絶妙な間。その全てに、空気を染め上げるような雰囲気があった。ライバルであるはずの青森大の選手から「アイツが優勝でも良いと思った」とまで言わしめたこの演技で、全日本インカレ準優勝。これまでの自己最高順位を記録した。
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 木村功という名前でピンと来る人がいたら、そこそこに男子新体操に詳しいか、東北出身の人間に限られるかもしれない。先にあげたこれまでの大会結果、高校時代の成績、そして彼自身が「全国で無名の選手」と自分を評するように、全国レベルでは決して目立った選手ではなかったからだ。


 高校は福島県立葵高等学校。馴染みのない名前はそのはずで、福島県で男子新体操といえば会津工業の名前がまず出てくる。県大会でそこを勝ち抜いたところで、東北には青森山田、盛岡市立のふたつの雄が待ち構える。県とブロック大会を勝ちあがって全国に出場するだけでも、簡単なことではない。高校時代の記録は、2年時の選抜大会9位、3年でのインターハイ8位。この年はインターハイ8位までは全日本選手権への出場権が与えられたから、それにも出場している。

 こうした背景を知れば或いは、たいしたものだ、と思えるかもしれない。しかし順位表を見ただけでは決して取り立てたものではない。当の本人も、全国大会への出場を決めたところで「旅行に行けるなぁ」と思った程度で、そこで勝ち抜こうなどという気はさらさらなかった。


 そんな彼が、全日本インカレで準優勝。…仕掛けなしには、考えられない。

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 きっかけは、花園大学への入学だった。とにかく個人競技に定評のある花園大学、その層の厚さは他大学の比ではない。インカレの予選である西インカレでは、例年同じ大学同士でしのぎを削り、多くの選手が振り落とされた。人数は多いが、練習場のフロアは1面しかないし、団体もあるので時間も限られている。
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 自由な気風で、学年関係なくフラットなイメージのある花園大だが、その実、誰もが互いにライバルであることを忘れてはいない。他の選手を出し抜くために、人目につかない場所で練習する選手もいた。誰もが闘志をもち、それを内に秘めていた。そんな環境にいれば自然、勝ちに対する意識は芽生える。では、勝つためにどうするか。

 このとき彼は、具体的な方法も提示されている。主将からこんなことを言われた。
「好きな演技をやりたければ、1、2年のうちに実施で点を出せるようにならなること。実施で基礎的な能力があることを周囲に認知させてから、好きな演技をすれば、点数がついてくる」

 新体操は、実施点と構成点というふたつ側面から採点される。構成はその名の通り演技の構成、入っている技や動きについてつけられる点数で、実施は演技の完成度についてつけられる。例えば、投げ上げた手具を、歩かずにその場で受け取ったり、タンブリングの着地でピタリと止まったり、という具合に、演技の熟練度合いを測る。

 さらに平たく言うなら、おもしろい演技では構成点が、ミスのない演技では実施点がつく。個人ではこのふたつを10点満点で採点し、その2分の一ずつを足した合計が点数となる。

 複雑で面白みのある演技をすれば構成点は伸びやすいが、難しい構成はその分リスクがある。ミスが出れば実施点を引かれるから、このふたつは反比例関係にあるといってもいい。

 そんな中で、先輩は彼に「1、2年のうちは実施で点が取れる演技をしろ」と説いた。ひとつには、ミスなく演技をこなせる基礎がなければ、難しい構成などこなせるはずがないからだ。そしてもうひとつは、無名な選手が、自分のやりたいような演技で点数をとるためには、まず周囲に実力があることを認めさせなければならないからだ。

 実施で高得点を出せば、基礎的な能力があることを示せる。基礎が未熟なうちに、或いは名前も通らないうちに変わった演技をしたところで、高得点は望めなかった。何より、彼自身が「点数の出ない、個性的な演技」をすることに意味を見出せなかった。
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 勝つという目的に、手段が加わった。あとは実行に移すのみ。…しかし。




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2008年11月24日

青森大学-采配-(後)

 翌日の全日本インカレ、団体競技。試技は完璧な演技を披露した国士舘大学の後に行われた。

 繊細なピアノの音から始まる青森大学の演技は、バランスを寸分の乱れもなく合わせた後、最初の見せ場、第一タンブリングに入る。ピアノの主旋律に、低音の伴奏が荘厳さを加えたところで、助走してきた外崎がドッペル。着地で一歩、前に歩いたが、男子新体操史上初というそれは、周囲を沸かせながらあまりにもあっけなく成功した。いや、あっけなく見えた、というだけなのかもしれない。彼にとって本当に頭を悩ませた技が、この後に控えていることを知っていたために、そんな風に見えただけなのかもしれない。
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 そして迎える、問題の第二タンブリング。6人同時で始まるバック転から、外崎は半分ひねって踏み切ったところを、周囲の3人に支えられるようにして受け止められる。そのまま背中から押し上げられるように宙を舞った体は1回転。空中で足を軽く前後に開くと―――片方の膝を曲げた、座の状態で着地した。直前の葛藤を知らなければ、なんということもない、と思うほどにそれは自然だった。技を変更してからの1本通しは、これ初めてだった。

 本当の、最終的な決断を下したのは公式練習の直前。皆を集めて、改めて変更の旨を伝えてから、監督はこう続けた。
「0.3減点されるかもしれない、後ろめたい状態ではやりたくはない。(青大で創部してからの)7年間、俺は自分の決めた采配で失敗したことがない。今もこの決断は失敗だと思わない。お前たちなら出来ると信頼しているし、自分の采配にも自信がある。…どうだ?」

 実際5月に行われた東インカレで、その出発当日に団体の選手変更を行うという、無謀とも言える行動に出たが、演技はミスなく終えることができた。監督の指揮と自身の実力の確かさを、選手たちは実体験として知っている。たずねられて、うなずいた。


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 練習会場の公式練習で一度だけ、この変更部分の練習は行われた。実はこの時、技は失敗している。投げ上げられる前に組みは崩れたのだ。だがやり直しはさせなかった。
「それでいい。今の感覚で、こうきたら、こうなる、ということだけ感じておいてくれ。今の突き上げられてからの感覚さえ覚えておけば心配ない。」

 そこで何度も練習を繰り返せば、肉体的な負担はもちろんだが、その部分ばかり妙に意識して、余計に力んでしまう。たった数秒の技にウェートを置くことで、他がおろそかにならぬよう、との配慮のもとのアドバイスだった。伏臥よりも座を選んだのは、その方が外崎にとってわかりやすいだろうと考えたためだ。これもやはり、リスクは最低限に抑える彼の性分があらわれた。

 そして外崎は練習でのミスを、本番ではきっちり修正してきた。この演技で今年も、絶対王者は表彰台の高みに上った。


 創部8年目を迎えた青森大学。未だ、彼の采配にミスはない。


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2008年11月23日

青森大学-采配-(前)

 絶対王者・青森大学の今年最大の武器は、ふたつのタンブリングである。ひとつめは、何と言っても男子新体操史上初となる大技・伸身2回宙返り。別名スワンドッペルとも言われるこの技、文字通り体を抱え込まない“伸身”の状態で、体を空中で後方に2回転させる。成功させれば、その後も語られることになる。

 もうひとつは、終盤の組み技。土台となる二人の選手が一人を垂直に投げ上げる技である。宙を舞う選手は、たった二人の土台で、高校生5人が力いっぱい投げ上げたほどの高さまで飛び上がり、空中で1回、2回―――なんと、空中で後方に2回転と、4分の1。ギュンギュンと回転のかかった体は、勢いそのままに地面に突っ込んでくる。それを二人の選手が両腕で抱えて受け止め、勢いを殺し、今度はその両腕を支持してグン、と前に押し出す―――青森山田高校の得意技としておなじみの“ブランコ”へとつなげるのだ。(ブランコは坂出工業高校:現青森大監督中田監督が平成4年に始め、平成8年に現在の人間が一回転する技を発表した)

 まさに大技と呼ぶにふさわしい技。間近にすると、頭で理解する前に肌が迫力を感じとり、息が止まった。

 このふたつの技で、ドッペルをするのも、投げ上げられる役を請け負うのも、タンブリングに定評のある外崎成仁。青大には彼なくしてはなしえない技がいくつもある。そのどれもが、演技の中核となる技ばかりだった。―――が、今年のインカレで彼を悩ませたのはこのふたつの技のどちらでもない。そのことを知る者は、僅か。
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 新体操の監督というのは、繊細で緻密な人間が少なくはないが、中田吉光という人間ほど緻密な監督を私は知らない。彼は普段から布団に入ると、頭の中で大会の流れを、シュミレーションする。

 それは遠征ではお馴染みの青大のグリーンのバスで学校を出るところから始まる。練習場所を共にする青森山田の選手とともにバスに乗り込むと、全日本選手権であれば、途中、盛岡で停車する。旧知の仲である野呂一希監督の率いる、盛岡市立高校の面々をひろっていくのである。彼らはたいてい、全日本選手権の出場を決めてくるから、これもいつものことだ。

 長いバスの旅を経て、インカレ前から予約しておいた宿舎に―――これは予約の際に、ネットで見た外観写真と施設情報をもとに想像するのだが―――着くと、受付で手続きを済ませ、食事や翌日の出発時間をフロントと話し合う。それが決まれば部員とミーティング、食事、風呂、就寝。そして翌朝に起床、朝食。決められたスケジュールどおりにそれらをこなし、宿を出る。

 会場入りすると公式練習の時間から逆算してアップを開始、万全の体制で公式練習に臨む―――と、これらをすべてひとつひとつ、頭の中で映像化して、確かなものにしていく。それはもう、習慣ともいえるものになっていた。
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 それほどまでに緻密な人間が、致命的なミスに気がついたのは、団体競技予選のなんと前日のことだった。演技の中に、0.3もの減点要素があることが発覚した。0.025単位の点差が勝負を分かつ新体操において、それは勝負をひっくり返すのには十分すぎるほどの減点である。

 具体的に説明すると、こうである。男子の団体では1回半以上の回転を伴う空中技で、頭から着地するもの、つまり前転の状態で着地するものは1回しか入れてはいけない、という決まりがある。この前転で着地する技を“転系”の技、という風に表現する。この転系の技は危険度が高いために、転で1回半以上回転する技は、大学や社会人では1回、高校以下の試合では完全に禁止されている。

 タンブリングの中でも難易度が高いこの技は、入れる場合にはたいてい、まだ体力のある演技の序盤、“第一タンブリング”で行うことが多い。青大もその例にもれず、第一タンブリングに、この転系の技を入れてきている。この時点で、まだ減点はない。

 さて、問題の減点対象はふたつめのタンブリング、第二タンブリングにある。ここでも要になるのは、やはり外崎。フロアを斜めに使って、手前に向かってバック転してきた外崎は、床を手で突き飛ばすとそのまま中に舞い上がり、着地点に控える3人の土台に飛び込む。土台の3人がそれを再び宙高く投げ上げると、外崎は空中で一回転、頭から前転の形、つまり転で着地する。
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 演技の見せ場のひとつでもあるこの技、一見するルールには触れない。外崎は手で踏み切って、組みを経て宙で1回転し、頭から着地しているわけだから、空中での回転は1回。1回転の、転系の技である。これであれば規定にはひっかからないはずである。解釈としてもこのルールは、1回半宙返り転を想定し作成されたものだった。―――が、ひっかかっていた。団体予選の前日、行動をともにしていた盛岡市立の野呂監督の進言で調べてみたところ、厳密に言うとこうした技も、制限される転系の技に含まれているということがわかった。あそこまで入念に大会までの道程を考える人間にとっては、迂闊だった、としか言いようがない。

 監督はおろか、選手ですら、そして実は審判ですら、このことに気がついてはいなかった。というのは実は問題のこの技、東インカレの演技でも入れているのだ。が、減点にはなっていない。単純に、審判も分かっていなかった。彼らも規定にひっかかるものを、1回半の転と想定していたためだ。

 だから3年の高岩馨が「(このままやっても)バレないんじゃないか」と思っていたことや、同行していた青森山田の荒川監督や盛岡市立の野呂監督が「このまま押し通せますよ」と言ったのにも、一理ある。
 が、どうだろうか。東インカレの時のように知らずにやっていたならまだしも、減点の可能性があると知りながら、それをやって減点されたら。やはり、と自責するのだろうか。

 問題は、着地にある。要は頭から落ちるから転としてカウントされるのだ。例えば、胸と両手で体を支える、腕立て伏せのような状態になる“伏臥(ふくが)”で着地すれば、減点にはならない。或いは片膝立ちの状態の“座”で着地すれば、これも減点にはならない。
 普通で言えばこちらの着地の方が選手にとっては格段に安全である。だが今回のことは技の安全性云々ではなく、試合前日に構成を変えることの方にリスクがあった。今からだとフロアを使っての練習は、午後の11分ずつの公式練習、2回きり。
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 大会までの道のりは、監督にとって負ける要素を徹底的に廃す作業に取り組む期間、と言ってもいい。常に「万が一」をつぶすのが彼の監督としての仕事だった。リスクを減らすことが彼の最優先事項だった。しかし今回は技を入れるにせよ入れないにせよ、リスクは背負わなければならない。ならば…いや、しかし…。思考は二転三転した。
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 団体の試合を翌日に控えたこの日、会場では朝から個人競技の試合が始まる。午後からは団体の公式練習がもうけられていた。午前の間中、監督の思考は流転し続ける。団体選手の間でも変える、変えないの情報は交錯し、「あれ、変えるんだっけ?」と互いに確認するのは一度や二度では済まなかった。昼ごろになって、結局、伏臥で着地する、ということで話が落ち着いた。伏臥であれば確実に減点はされないし、迫力でいっても、転にそうひけはとらないはずだ。何より、転での着地よりこちらの方がはるかに安全なのである。この程度の、しかもマイナーチェンジであれば、タンブリングの名手である外崎にとっては何ということもないだろう、と誰もが思っていた。
…だからそれに気付いた者は、チームの中にもほとんどいない。
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 意外に知られていないことだが、青大の団体選手は大会での公式練習の前に、眠る。団体の公式練習や試合は、個人競技の後に行われる。個人演技は長丁場になる。たとえ見ているだけであっても、長時間座り続けていると体がだるくなる。だから、青大の個人選手の応援の合間に、適宜眠りに行くのだ。それが知られていないのは、彼らが使っていない通路やカーテンの裏など、人目につかないところを選んで、各自仮眠をとっているからだった。
 その、皆が休息をとっているはずのその時間に、中田監督は選手から声をかけられる。
「…先生、眠れません」―――外崎だった。

 たとえ難易度を落としていたとしても、この変更は、勝負強さで定評のある彼にも確実にプレッシャーを与えていた。それに、彼はもともと「人に投げられる」タンブリングが好きではなかった。自分の手で足で、踏み切るのならどんなものでも自信があったが、人を介して行うとなると、彼らしからぬ不安がよぎることがあった。そのタンブリングが、まさに試合直前の変更。練習時間はほとんどない。ほぼ、ぶっつけ近い状態。彼は眠れなかった。

 監督としても彼のこの行動は意外だったが、とりあえずは外崎を落ち着かせなければならなかった。
「わかった。タンブリングは変えない。そのまま行こう。だからお前は安心して寝ろ」
そう言って、彼に休むように促した。当然ながら、彼を安心させるための方便である。


 …さて、どうしたものか。一度はまとまりかけた思考が、彼の中で再び行きつ戻りつを始めた。


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2008年09月07日

滝沢南中学校 -持論(後)-

 中学から男子新体操を始めた小渡監督は、盛岡市立高校を卒業すると、中京大学に進学。 当時全国大会の優勝格に名を連ねていた中京大学に、推薦で入学した。推薦というとあたかもエリートのような印象を受けるが、入学してまもなく彼は周囲との差を痛感する。同じ新体操部の新入生たちは、自分以外は皆、全国大会優勝経験者だった。

 
 彼の高校時代の最高成績は、個人でのインターハイ3位。十分立派に思えるこの結果は、大学での団体レギュラー入りを目指す彼に微妙な劣等感を与えた。さらに実はこの実績は、大学入学時にも足をひっぱる存在だった。


 当時、中京大学に特待生として入学するには、全国大会で準優勝以上の成績を収めていることが必要な条件だった。進学を考える際、中京大と同じく全国の覇権を争っていた国士舘大学からは特待生の話をもらっていた。それだけの、実力はあった。ただ、彼が第一志望とする中京大学に入るためには、ひとつランクが下のスポーツ推薦枠を受けるしかなかった。だから、思った。



「日本一を経験してるやつに、負けたくない」    「自分がいたから勝てたと言わせたい」



 そうして生まれた劣等感と負けん気は、すぐに行動に直結した。部活が始まると、練習中は誰よりも声を張り上げた。どんなことでも、常に誰よりも早く行動することを心がけた。そしてそうした行動は、比較的早い段階で実を結ぶこととなる。入学したその年に、1年生で唯一の団体レギュラーに、抜擢されたのである。



 しかし努力が実を結んだのも束の間、新たな課題もまたすぐに立ちはだかった。ルーキーの彼に課されたのは、“2回きりもみ”というD難度のタンブリングを成功させることだった。高校を出たての彼にとってそれは決して容易いことではなく、たったひとりの1年生レギュラーは失敗に失敗を重ね、今度は他のレギュラーとの差を、まさに身をもって痛感した。



 団体で失敗続きの彼に、ある日先輩は賭けの話を持ち出す。何ということもない、その日の通し練習で、2回きりもみが成功すれば先輩から夕飯をおごってもらい、失敗すれば彼が先輩にタバコをおごらなければならない、というものだ。他愛もない賭けだったが、日ごとに数を増やすタバコを見て、「いくつ貯まるかなぁ」なんてこれ見よがしに言われれば、たとえ冗談であっても悔しくないはずはなかった。



 そういった思いが、すぐに行動につながるのが彼の長所である。大学では、練習が終わると1年生が後片付けをする決まりだった。片づけを済ませ、同輩たちと「お疲れ」を交わして解散すると、彼はひとり、スクーターでまた体育館にもどった。大学のハードな練習が終わった後に、そうして練習を重ねた。



 そうまでしても、課題の技は成功しなかった。団体メンバーで、特に彼に厳しく当たる先輩からは、通しの最中に「できねぇなら岩手に帰れ!!」と怒声を浴びせられたこともあった。


 大会直前になると、通しこみが始まる。団体はノーミスが出るまで、何本でも演技を通す。それはつまり、彼の2回きりもみが成功するまで、練習は終わらないということでもあった。そしてその時でさえ、ついに技は成功しなかった。練習は、いつまでも終わらない。


 自分以外のミスのために終わらない練習は、決して雰囲気の良いものではない。明らかに消耗し、集中力も切れてくる。自然、ミスも増え、そのスパイラルにはまると抜け出せなくなる。メンバーの苛立ちもピークに達するであろうその場面。彼はいつも厳しくあたられていた先輩から、意外な言葉をかけられる。
「今日は何回でもいいから失敗しろ」






 ―――また、別の先輩の話である。賭けに負け続け、先輩に渡すタバコが数を伸ばし続けていたある日、夕食に連れ出してくれたことがあった。「賭けには負けてるけど、メシおごってやる」。食事の最中、彼はその先輩が「お前は絶対に、2回きりもみ成功する」と力強く言っていたことを思い出す。それまで通し練習では一度も成功したことがない、自分にである。





 通しこみの最中にも関わらず、ボロボロと涙がこぼれた。彼は、周囲が自分の陰の努力を認めていたことを知る。






 その年、ルーキーを擁した中京大学は、全日本インカレと、続く全日本選手権を制した。

 優勝の歓喜に沸き、会場からの帰途につくバスの中。彼は先輩から問われる。
「なんで今年、中京が勝てたか分かるか?」
「先輩のがんばりが…」「演技構成が…」彼の挙げた言葉はすべて「違う」と一蹴され、こう続けられた。「お前が、中京に入ったからだ」





「日本一を経験してるやつに、負けたくない」   「自分がいたから勝てたと言わせたい」
 



 入学して周りの新入生と自分を比較し、団体メンバーに起用されても技が成功せず、常に後れを感じ続けていた。それを負けん気で跳ね返し続けた1年生の、思いが遂げられた瞬間だった。




 「気持ちがあれば、絶対にうまくなれる」

 使い古された感すらある、あまりにも真っ直ぐな指導論。そこに説得力を持たせるのは、あまりにも真っ直ぐな彼自身の過去である―――。





 そんな思いに導かれて、悲願の優勝をなしとげた滝沢南中。今年も優勝格の筆頭として期待は厚いが、実は今年のチームに昨年の優勝メンバーはひとりも残っていない。選手の内訳にしても、昨年は6人中3人がジュニアでの新体操経験者だったのに比べて、今年のチームに経験者はたったの1人。力強いタンブリングで周囲を圧倒した昨年の演技だったが、今年はそうもいかなくなる。
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―――滝沢南中と彼の持論の、真価が問われる年になりそうだ。



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2008年08月30日

滝沢南中学校 -持論-(前)

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 昨年、滝沢南中学校新体操部を、見事全日本ジュニア初優勝に導いた小渡監督には、ささやかな自負がある。

「自分は演技指導はかなり下のほうだと思ってるけど、選手が部活に来たいと思わせることに関しては、自信がある」

 滝沢南中の練習を見れば、それが決して驕りなどではないことが分かる。



 監督には、部に新入生が入ると必ずすることがある。大会のビデオを配るのだ。昨年の全日本ジュニアで優勝した際の演技などはもちろんであるが、全日本選手権を制した大学生のものなど、中学生ではとても手の届かないようなレベルの高い演技も見せる。

 中でも現在も全日本選手権を連覇中の青森大学の演技は圧巻である。鍛え上げられた大きな身体から繰り出される迫力のタンブリングに、一糸乱れぬ徒手。今年度の場合は、その演技が、現在、滝沢南中Bチームの指揮を執る中村祥輝によるものであることを説明してみせた。さらに彼が滝沢南中で新体操を始めたことを話せば、きっかけとしてはもう十分である。「中学から始めてもこういう風になれるんだ」。まずは憧れと、イメージを持たせる。


 それから、監督は普段から頻繁に「日本一」という言葉を持ち出す。「日本一を目指すやつが宿題もやってこないのか」「日本一のチームならできるだろう」。とにかく場面を問わずにそう言われれば、日本一なんて夢にも思わない選手だって、自然、意識するものである。


 動機付けと、日本一を目指す気持ちが芽生えれば、あとは「練習を好きにさせて、部活を楽しませる」ことに尽きる。

 手具の投げ技の練習では、チーム分けして対抗戦にしてみる。シェネで何ポイント、タンブリングで何ポイント、なんて技によってポイント制にすれば、自然とゲームのような雰囲気になる。冬場にメインとなる、地味な補強や筋トレも、景品がかかると途端に面白くなる。「補強メニューが一番早くに終わったやつには、財布の中の何かをあげよう」なんて言われれば、それが十円玉か百円玉か分からなくとも、盛り上がるというものだ。
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 言うまでもないが、楽しい練習と楽な練習は違う。冬の体づくりのシーズンは、徒手の基本的な動きに1時間、ブリッジや転回といったマットの基本にみっちり2時間を費やす。ロンダートなどのタンブリングの基礎をつくる「あふり」という動きでは、フロアを10往復させる。これは大学生も嫌がる練習量である。


 それでも、主将の三上健太は補強運動を「辛いけど、自分に力もつくし、楽しくやったりするので」と笑って話す。「練習全体も楽しいし、先生も面白いし」


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かつては不登校だった生徒も、部活にだけは顔をだすようになったという。


 やはり、驕りなどではない。
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 それともうひとつ、彼には譲れない持論がある。
「気持ちがあれば、絶対にうまくなれる」

 この根拠を知りたければ、監督自身の歴史について少し振り返ればいい。自身でも「キラキラしていた」と語る大学時代をちょっと遡れば、この持論は十分に説得力を持つ。


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2008年08月21日

神崎清明高校 -視線-

 箱根駅伝でその名を知られる、山梨学院大学陸上部の名将・上田監督が、こんなことを言っていた。
「人生においては何が起きるのかが問題ではなくて、起こったことをどう受け止めるかが大切だ」と。


 耳ざわりの良い胡弓の音色で始まる彼の演技は、柔らかな動きとキレの緩急が絶妙で、いつまでも見ていたいと思うような、心地よい演技だった。


 7月某日、京都は花園大学。演じるのは、合宿でこの地を訪れていた佐賀県神崎清明高校の、木原正憲。周囲を圧倒するのではなく、自然に空気を変えてしまうような演技に、見入った。

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 演技が終わると、花園大学のOBにつきっきりで教えを請う。一言、指摘を受けるごとにみるみる上達していく彼から、目が離せなくなった。以前の彼とは明らかに、何かが違っていた。

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 ふと、神埼清明の中山監督の「個人は勝ちたきゃ、勝手にやるから」という言葉が思い出された。神崎清明は個人に関しては、ほぼ選手に任せる形をとっている。その言葉通り、この変化が彼自身によって及ぼされたものだとするならば、それは――――それは、大したものだ。シャッターを切りながら、昨シーズンの彼に思いを馳せた。




 木原の第一印象は、真面目で繊細そうな子だな、ということだった。

 初めて彼に会ったのは07年の5月。線のきれいな、丁寧な演技をする彼の実際は、そのイメージと寸分も違わなかった。言葉を選びながら、慎重に、少し控えめに、でも聞かれたことに対しては的確に答えようと努めた。時折目が合うと、必ずツイと逸らされた。心なしか沈んで見えたのは、このとき彼が負っていた怪我のためだったかもしれない。


 彼は左ひざにジャンパー膝という、腱の炎症を抱え、団体メンバーから外れていた。しかし、中学から団体経験のある彼はチームには欠かせない存在であるし、何より神埼清明といえば全国大会での優勝格である。木原に関しても、インターハイまでには何とか仕上げてくるだろう、と思っていた。



 ――――が、間に合わなかった。07年のインターハイ直前、痛めていた膝に滑液包炎を併発。団体メンバーから外れることを余儀なくされた。彼の舞台は、秋の国体の場に持ち越された、はずだった。

 10月。秋田の国体会場に、木原は左足にギプスをはめて現れた。松葉杖をした彼は何度かこちらに気付いて目を向けたが、またすぐに目を背けた。膝の擦り傷にばい菌が入って化膿したのだという。膝の状態は、以前よりももっと悪かった。


 こうして2年の選抜以降を、彼は丸々棒に振った。そう、少なくとも傍目には、棒に振ったかのように思えた。


「人生においては何が起きるのかが問題ではなくて、起こったことをどう受け止めるかが大切だ」
 この言葉は、昨シーズンの彼を体現するものである。


 ほぼ1年間、団体から抜けていた木原は、ひとつ思ったことがあった。

「外から見た団体は、こんなだったのか」

 中学で新体操を始めてから、自分は常に“団体メンバー”の一員で、
怪我で抜けるまで、レギュラーから外れることなどなかった。思えば、こんな風に“外から”団体を見るのは、初めてじゃなかったか。

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 そんな風にして、彼は自分のいない団体演技から、新体操の新しい見方を知った。「新体操は、人に見せる競技なのだ」と、再認識した。以前から、聡いところのある選手だと思っていたが、この認識は彼の考えの根本に影響を与えることとなった。そしてそれは、彼自身の内にとどまらなかった。


 木原は団体メンバーのひとり、中学からのチームメイトで同じくチームの柱となる存在の田原丈嗣と、改まったミーティングを開いた。長い付き合いと、互いに実力を認め合った仲だったが、それだけに「言わなくても分かるだろう」という思いがあった。そしてその思いが緊密なコミュニケーションを邪魔していることに気が付いたのだ。

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 話し合い、「3年が声をだして、雰囲気を盛り上げて、ひっぱっていくチームをつくろう」と決めた。その内容よりも、話し合って決めたことが、大きな意味を持っていた。チームは改めて、ひとつになる。



 団体チームが通し練習をする前に、掲げる言葉がある。

「やるない、やろう!」

 佐賀弁のこの言葉には、「やるんだったら、一本で決めよう」という思いがこめられている。現在、チームのメンバーはそのほとんどが何らかの故障を抱えており、何本も通し練習をすればその分、体に負担がかかる。チームの状態を慮り、しかし勝つために妥協はしない、強い言葉である。

 満身創痍のチームには、鋼の心が宿る。

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 以前は、演技をこなすことで精一杯だった。その彼が今では「審判を越えて、客席まで伝わる演技がしたい」という。インターハイで、その思いは確かに伝わったはずだ。




 そしてそう話す木原は、今度は決して、視線を逸らさなかった。

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