2007年12月03日
鹿島の10冠達成と浦和の失速、そしてその裏に見える日本サッカーの問題
鹿島の優勝は歴史に残る優勝となった。 彼らにとって、記念すべき10冠目はJリーグの歴史に残るような大逆転劇となった。 終盤の怒涛の9連勝は9試合中の得点が21、失点が6。失点した4試合のうち3試合が逆転勝ちという素晴らしい内容だった。 逆に浦和は終盤の5試合で3分け2敗。優勝に王手を掛けながら最後の最後に失速をしてしまった。 結果があれば原因があるのは当たり前で、その点について専門である戦略論から考えてみた。 まず、鹿島が勝ち上がった一番の要因は、新監督の戦術が浸透し、完全にチームとして意思統一ができていたこと。また、その戦術とコンセプトを実現できる資源、ソースとリソースが確保できたことである。 浦和が失速したのは、逆に彼らが勝ってきた理由が個々の強さで各局面を打開してきたことが、そのストロングポイントが失われたときに、全体の意識統一とコンセプトや役割の浸透に対する課題が浮き彫りになってしまったことだと思う。 鹿島について、具体的なリソースについては開幕前に靱帯損傷を負ってしまった野沢の6節からの復帰。そして、8月にイタリアのメッシーナから小笠原が復帰したことが大きかった。 彼らは代替品がないリソースなのである。 また、怪我や出場停止の際に上手く増田や石神、船山などの若手を当てはめて成果を出した監督オズワルドの手腕も忘れてはならない。 だが、やはり最も大きかったのは徹底したコンセプト・戦略と戦術の浸透である。それがあるから、若手がピッチに出ても同じクオリティの仕事が出来たのだと思う。 監督オズワルドは常に「目標の明確化」を唱えていた。 以下にオズワルド監督の発言がある。 ・「精神の集中が重要になる。サッカーは11人で戦うが、1人1人が集中すれば質の高いものを見せることができる。」 ・「選手というのはフルーツと同じ。タネをまき、水を与え、芽が出て、実になる。そして、「今がいちばんおいしい」というときに食べる。選手の「旬」を見逃さない。それが監督の重要な仕事のひとつだと思っています。」(FREAKS 8月号のインタビューで) ・攻撃は最大の防御というが、私はそうは考えない。まず取り組まなければならないのは守備を安定させること。しっかりとした守備が、力強い攻撃を生む。 (開幕前、攻撃的なチームを目指すのかと問われ) ・6月は必ずアントラーズが上位に顔を出すはずです。そうした強い確信のようなものを持っています。(6月7日、大分戦を前にした定例会見で。5月終了時9位だったチームは、6月末には4位にまで浮上) サッカーでは常々、「最後のホイッスルが吹かれるまで何が起きるかあきらめてはいけない。何が起きるか分らない。」と言われているが、実際にそれを実践できる人は稀である。 実は、オズワルド監督は就任以来それを選手各自に植えつけることに腐心したのだという。 目標、目的の明確化。それを実現するための計画と実行。 強力な意思と明確な目標の上に全てが実施されていた監督がその成果を手にすることになったのはある意味では当たり前だったのかもしれない。 明確なコンセプトと戦術が浸透した選手達は常にピッチの上で何をすれば良いかを分かってプレーを選択する。 そして、常に次の行動に対しての優先順位がチーム全体の共通認識として明確になっている。だから、あらゆる局面で鹿島は数的優位を確保することが可能となり、そして最後まで運動量を維持することができるのだと思う。 もちろん、それを可能にする個々のスキルがあることも重要な要素だ。 方や、浦和は個々のスキルが試合決定要素の多くを占めていた。だから、試合を決定づけるのはワシントンや田中達也の個人技だった。守備においては、リーダーシップが強い山田や闘莉王がピッチにいるときには、彼らの「声」で意識を共通化することが可能だったが、逆に彼らが抜けるとピッチが混乱することが続いた。 分かりやすいのは、山田が抜けた第30節以降勝てなくなっていること。闘莉王が抜けた試合で失点が増えるのは、何も闘莉王のスキルだけの問題ではないのだ。 つまり、明確に優先順位が分かっている選手がピッチからいなくなると、チームとしての意思統一ができなくなり、混乱をきたしてしまうのだ。 それが分かるのが最終節の横浜FC戦を終えた後のインタビューにも出ている。 2点を取らなくてはならない浦和のオジェック監督は4バックにシステムを変えて、サイドで数的優位を作りリトリートする横浜FC守備陣を崩そうとした。 しかし、選手の中には「なれないシステムだったので混乱した」という選手がいた。 この時点で明確なのは「浦和は2点取らなくてはならない」ということだった。 そのためにはどうするのか?浦和が横浜FCに明らかに勝っているのは攻撃陣である。そして、ワシントンの存在だ。つまり、そのストロングポイントをどう活かすか?という所に集約するはずなのだ。 そのためにサイドで数的優位を作り横浜FCの守備陣を横に広げてスペースを作る、またワシントンや田中達也にスペースを作るということが「結論」のはずなのだ。 それを「混乱した」という選手が一人二人ではなく浦和にはいたということは、チームコンセプトや戦術の浸透が出来ていないことと、選手個々の戦術眼やインテリジェンスが明らかに劣っているということなのだと思う。 私は、この浦和の問題点は実は日本サッカーにおける問題点の根幹を成しているとさえ感じている。 具体例として言えば、2006年ドイツワールドカップのオーストラリア戦だ。巷では、ジーコの監督としての能力の問題とされているが、私は日本選手の個々のインテリジェンスの問題だったと思っている。 なぜなら、対戦相手と自分たちの強みと弱み、機会と脅威を理解して意識していれば、オーストラリアの強みは攻撃でも守備でもゴール前であり、日本の強みが中盤の構成力だったことは明確である。 従って、後半の終盤にジーコが小野を投入したのは決して間違いではないのだ。 一部の評論家はFWを入れて前で時間を稼ぐべきだったと言っているが、残念ながら個人で局面を打開できる選手も一人で2、3人を相手にボールキープできる選手も日本のFW陣にはいなかった。 そこで、ジーコは中田英、中村俊、小野の3人でトライアングルを形成することによって、ボールポゼッションを上げボールを走らせて危機を回避しようとしたはずなのだ。 だが、残念ながらそのことを理解できない選手があのピッチの上には多数居たのだ。 たぶん、これはサッカーが文化となっているジーコにとっては「至極当たり前のこと」であって、言わなくても分かること(つまりは、日本人にとって箸の使い方をいうようなこと)だったはずだ。 私はジーコが言った「日本人はフィジカルに問題がある」という発言は「だから、それに対してどういう対策を取るべきか?」をもっと全体の意識として浸透させるべきだと言っているように感じるのだ。 つまり、日本は世界的には「言わなくても分かること」がまだまだ分からないレベルにある。ということだと思う。 かつて鹿島が圧倒的に強かった時には最終ラインにはジーコの薫陶を受けた秋田や奥野、またブラジル人DFが居た。だが、彼らが抜けるとともに勝負強さが失われてしまったのは決して偶然ではないと思う。 浦和レッズが圧倒的な戦力を擁しながら最後に失速して優勝を逃したのも、日本サッカーが修羅場に弱いことも問題の根幹は一緒なのだと思う。 これらを学びの糧として成長していかなくては日本サッカーの未来はないのではないか。 日本人は「監督」や「上司」にお伺いを立てることが当たり前だと考えているが、ピッチに立ち限られた時間の中で多くの選択肢の中から「正しい判断」を瞬時にするのは選手なのだ。 だから、オシム監督は常に「あらゆる状況を想定した」練習を取り入れて、日本人に欠けている「局面ごとに自分で判断する」そして「その判断が共通意識のもとに意識統一されている」ことを目指したのだと思う。 浦和レベルの選手層がありながら、あのような失速を監督個人の資質に転嫁してしまうようなメディアの批判は「日本サッカーの本当の弱点」から目を逸らしてしまうのではないだろうか。
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posted by reddevil |16:16 |
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