2010年01月25日

小林投手の記憶

先日57歳の若さで急逝された元阪神投手の小林繁氏。
まず初めに、ご冥福をお祈り致します。

世の中便利になったもので、彼についての断片的な記憶の欠落している部分は、大分ネットで埋めることが可能です。
あえてそれを見ずに記憶だけを頼りに、小林投手について、記憶にあることを箇条書きして見ました。
なので正しい認識とは限りませんのでご了承を。。。

・巨人軍の元エース格の投手。
・空白の一日で阪神に行った投手。
・敬遠暴投サヨナラ。
・巨人戦にやたら強い阪神の投手。
・TBS系列での解説。
・バタ臭い顔。
・さわやかな口調・・・と言われていたこと。
・プロ野球ニュース解説陣とは異質であったこと。
・さんまがよくピッチングフォームを真似して確かレコード出したんじゃなかったっけ?
・重なりますけど独特なピッチングフォーム。

等々・・・多分もう少し思い出せると思うのですがこの辺で。。。

ただ今ひとつ時系列が定かではないですので上もバラバラ。
巨人ファンでしたので、それを頼りに確認してみると、長嶋巨人が初のリーグ優勝、そして阪急との日本シリーズで大熱戦(3連敗3連勝で最後は負け)の末負けたのが、中2か中3の頃。
長嶋引退が小学生の頃と、これは割りとはっきりしてるので、それから考えるとこの熱戦は中2と言う結論になりそう・・・なので33~4年くらい前になるのかなぁ?

ただ江川の入団がそこから何年後だったかというのは殆ど記憶にないです。
なのでその間に活躍していたはずの小林投手の活躍についても、やはり記憶に残ってません。

ってことで最近信頼が薄れつつあるかものウィキに頼って見ます。

・V9の最終年の伝説の試合となった阪神戦での登板。
0-7でリードされていたこの試合に敗れていたら、巨人のV9はなかったでしょう。
辛うじて10-10に持ち込み、この試合の最終回に巨人の投手として登板したのが小林。
この年が1軍デビューだったんですね。
この試合のことは覚えてますけど、小林投手はV9時代にもいたんだ・・・ってのが正直な感想だったりします。

彼の登板シーンはないですけど、この試合のダイジェストの動画もあるんですね。

http://www.youtube.com/watch?v=1w1yLEAqgho

・76・77年連続18勝+77年は沢村賞。
すんません、元とは言え巨人ファンの資格なしと言われそうですが、これについての記憶は全くなし。
文句なしにエースの活躍だったと言えるのですが、この頃の長嶋監督のお気に入りは新浦だったように記憶しています。
今思うと変則型の小林投手に対して、力は認めつつも本格派のエースが欲しいという空気がチームにもファンにもあって、それが江川獲得に走らせた原因だったのかもしれませんね。

・空白の一日は78年。
そうだったんだぁという感じ。
判定をめぐって試合が中断した大杉の日本シリーズでのホームランがでた、あの年だったんですね。
学校の寮の娯楽室で見てたんだよなぁ・・・あの試合。

空白の一日を含めて、その当時の野球についての記憶が薄い原因は、学校の厳しい規則が原因だったのかもしれないなぁ。
テレビをゆっくり見るのは週末のみで、門限もあったのでナイターが始まるころの時間には、学校へ戻らなければならなかったし。。。
多分人生の中で、メディアに触れる機会が一番少なかった時期でした。

引退後の80年代後半は、小林投手のメディア露出がピークだった時代。
この辺についてはウィキ他をサーフしてください。

なんだか自分の記憶のなさをさらしただけのヘンテコなエントリーになりましたが、小林投手が亡くなられたことにより、わしと同じように自分の過去を振り返った人も結構いると思います。
それだけでも追悼になる・・・なんて妙な結論になったところで、この辺で。。。

ついでに・・・なかなか行き先が決まらないデーモンですけど、ヤンキースと復縁か?と言う噂もちらほらし出しましたね。
わしの知る限り、ヤンキース側は特にアクションをしていないようですがどうなりますか???



posted by rahmian |11:43 | 他チーム | トラックバック(0)
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