2009年08月31日

「ミラン目線」かよ! 西部謙司のオランダ学

 西部謙司著「サッカー戦術クロニクル トータルフットボールとは何か?」の第二章、ACミラン編では、冒頭に誤認が登場していました。ミラン監督だったサッキ氏の記事を引き、そこで提示された4つの要素が、クライフのいた1974年オランダにも備わっていたと。

「そのことはサッキも認めている」
 初版40ページ

 サッキ氏がそのように論じたらしい。それを、西部謙司氏が鵜呑みにしてしまっただけでしょう。サッキ氏の名前って、サッカー認識の印籠・葵のご紋つき風のものですかね。

「ミケルスとクライフのオランダにあった粗さは大胆さと表裏一体で、それが魅力でもあったのだが、あまりに時代より先に“つんのめり”過ぎていた。オランダは衝撃を与え、「未来のサッカー」と称賛されたものの、そのまま他チームが真似るのは危険すぎたのだ。そこを上手くまとめ上げたところに、サッキ監督の功績がある」
 初版41ページ

 なにかにつけ「スペクタクル」といいたがるサッキ氏は、実のところ相当に慎重な守備重視派だったムードもあります。その点は同感でしたが、サッキ監督の手法自体には触れません。
 さて、西部謙司氏が決めつける、オランダの守備が粗かったというのは事実なのか。

 あえて荒さとは分けて考えます。当時のオランダはスライディング・タックルを多用し、大柄な体格を生かした荒々しいディフェンスも見せたりしました。それをも組み込んだ戦術だったことを考慮すれば、本来は守備時の隊形と荒っぽさはセットだとするのが正当でしょう。しかし、そうした面はこれだけにとどめます。守備にまわった際のオランダの動き方に焦点を定め、「粗い」とするよりも、緻密だったと見るのが妥当だろうことを論じます。
 オランダは、サッキ・ミランとはちょっと違う守備理念を持っており、相当にロジカルで細やかなディフェンスをしていたはず。

 下は、ウルグアイのローチャに対しオランダの5人が集中したシーンです。

   ports-96544.jpg

(これは以下からの続編です)


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2009年08月28日

釜本さんも三つのBだ クライフは走らないのか

 1974年西ドイツ・ワールドカップ、準優勝のオランダを率いたミケルス監督は、トータル・フットボールといわずにプレッシング・サッカーと称し、技巧、知性とともに、それ以上というほど運動量を要求していたようです。
 延々と伝承されてきた三つのBからボディ・バランスが落ちて、そこに体力が入り込んだ? しかし、ミケルス監督は体育教師をなさっていたそうですから、ボディ・バランスについては最下層の基礎として、いわずもがなの重要要素と認識していた可能性もあります。三つのBに運動量を追加したという感じだったかもしれません。

 このころまでは知性が非常に強調されていました。こののち、1978年ワールドカップで優勝して脚光を浴びるメノッティ監督は、当時、まず第一に知性が選考基準だなどと仰っていました。
 日本代表として活躍なさった釜本さんは、今年5月の談話でも、三つのBの教えを持ち出し、「前日本代表監督のイビチャ・オシム氏が「考えろ」と言っていたけど、それは当たり前のこと。僕らが30年前から聞いていたことだ」としていました。

 今も昔も、サッカーは一緒だ

 釜本さんは運動量を強調していません。しかしそれはいわないだけのことで、クラマーさんや岡野さんに相当走らされただろうと思います。ま、そうはいっても、下記で計測データを参照してみると、釜本さんは走行距離が少なめでした。

 日韓対決 後追い検証

 雨でグラウンド・コンディションはよくなかったらしく、マルチ・ボール化していなくて実働時間も短めな試合だったろうと想像しますが、計測された総距離は短い。これは当時の代表選手が走れなかったのではなく、走らないで済ませたのだろうと思います。この試合で中盤だったのに走行距離が非常に少ない小城さんは、同じ年の別の試合では、11,775mという長距離を計測されています。

 ¿ 運動量の増加、否定? かつての欧州 Best4

● クライフのオランダは違ったか

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2009年08月27日

基礎から出直し 西部謙司氏に オラが陣内捕物帳を

 クライフを擁しトータル・フットボールと称された、西ドイツ・ワールドカップでのオランダ。その姿は次第に歪曲されつつあるようです。なんのため…
 そんな虚像に対し、実在したオランダはどうだったのか。懐古さんはじめ若干数の方々は、妄想トータル・フットボールではなく実態にご興味をお持ちのようです。あらためて系統だったプレー分析をしてみましょう。

 西部謙司著「サッカー戦術クロニクル トータルフットボールとは何か?」には、こう書いてありました。

「ただし、オランダがいつ何時でも「ボール狩り」を発動していたわけではない。
 … 中略 …
 プレッシャーのない「オフ」の状態なら、リトリートしながら相手選手をマークする従来のやり方で守る」
 初版17ページ

 これは、「元ミラン監督サッキに騙され 西部謙司氏はくまさん以下レベル?」で引用した文、オランダを「ゾーンプレス」風に見てしまう記述から続いています。
 まず、集中守備ではなく、オランダが基本としていた「従来のやり方」を確認。西部謙司氏が素通りしたがる部分ですね。

 オランダが上出来だった二次リーグ最終戦の対ブラジル、その試合の後半からです。こんな感じに変容したのちのこと。

ports-101283.jpg

 選手交代が一名ずつ行われ、オランダがレンセンブリンクからデ・ヨンク、ブラジルは、パウロ・セザル・リマがミランジーニャに代わっています。
 ミランジーニャはセンターフォワードに入り、それまでのトップだったジャイルジーニョは、やや下がりめになりました。
 クライフは、レンセンブリンクの抜けた左に移り、センターフォワードは空白気味。そこには、途中出場のデ・ヨンクや右ウィングのレップ、そしてクライフなどが侵入します。

(これは以下からの続編です)


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2009年08月26日

うっかりしてました 「コメント削除しやがって」限定公開

 今朝の記事で、「アらし方」見本といえそうな過去記事を列記しました。そのリンク先を試しにご覧になった方もいらっしゃるかと思います。でも実際には、当該記事にコメントがなかったりしました。たいへん失礼しました。
 最近になって、問題のコメントの一部を消されてしまったんですね。ま、それも、事務局との揉め事の一環といえます。

 わたしはスポーツナビ+版をあまり閲覧せず、非公開にしているFC2版を主に参照しています。コメントなどは、スポーツナビ+版から不定期に移植して拝読いたしております。そんな状態のため、「スポーツナビ+版」でコメントの一部が削除されてしまったのを把握しきれてませんでした。
 わざわざ過去記事をご覧いただいた方には申しわけないことをしました。

 そうした一部の方に謝意を表し、月内の2、3日間だけ、オリジナルのFC2版を公開します。これは、全記事のリンク目次が生成されたり、コメントやトラックバックも検索できたりと、ながめわたすのにはかなり便利です。そのうちにディレッタントの方々へ向けて公開する所存ではいました。
 が、ある時期までの分、スポーツナビ+版からコピーした記事本体で、リンクを読み込めないなどの不備があります。そのため、まだ一般公開の段階ではないなと思っています。その点をご容赦いただき、一時的な試験公開をご覧ください。

 オリジナル版進入路
 オシムが何? コメント削除しやがって。アらしてやりましょうか?

● コメント

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2009年08月26日

オシムが何? コメント削除しやがって。荒らしてやりましょうか?

「コメント削除しやがって。
 荒らしてやりましょうか?」

 こんなコメントを「K」と称する方からいただいたようです。「元ミラン監督サッキに騙され 西部謙司氏はくまさん以下レベル?」という記事に向けてでした。コメント着信の通知メールが届いたのは、2009年8月26日の午前1時39分51秒と記録されています。これは、同じく8月25日 11時20分45秒の、下記コメントを送信してくれたSANNETの「K」さんと同じ方らしい。

「すごい執念ですね。
 キモ×文章。

 おまえ オシムにも 否定的だったんだな。
 大したヤツだ。」

 ×は「イ」でした。
 どちらのコメントも、運営サイドの方が消してしまったようです。

● まず、今回の「K」さんや同系統の方のために。

 現状、スポーツナビ+を運営されている方々は、文の内容や経緯にまで立ち入った削除判断をしていません。ご多忙ですから無理ですね。表面だけ、少々まともそうな文にすれば、悪意ある内容でも消されません、普通は。つまり、悪意なり敵意なりを不特定多数の閲覧者にもわかるよう公開したければ、ちょっと言葉を選べばいいだけなんですよ。
 二行以上にしている「K」さんは、もう一歩のところまで出来ています。一行コメントは削除対象になりやすいといいますので。だから、あとは少し言葉を飾るだけで、悪意を長い時間にわたって公開しておけます。

 個人的なことならば、メールあて先を公表してあります。そちらなら、スポーツナビ+事務局の方は関与しませんよ。

● 荒らしてやりましょうか?

 オシムのインタビュー、エーって感じ

 この記事がどうかしましたか? その一連のシリーズは、「目次4. オシム諸々」にリンクを並べてあります。

 そのシリーズには「荒らし」といえそうな先輩方の足跡が残っています。どんなコメントにすれば、削除されずに悪意・敵意を掲示しておけるのか、参考になると思いますよ。
 注目は2名。名前を複数使い、ほかの方の名前を騙り、いろいろ努力しています。そのうち1名は、2008年11月から2009年1月まで延々と続けました。この人は、無邪気そうにスポーツナビ+で別のブログを運営されているようです。

 記事末尾には、彼らの使用した名前と掲載記事を列記しておきますから、どうぞご参考に。

● オシムがどうしたのか

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2009年08月25日

元ミラン監督サッキに騙され 西部謙司氏はくまさん以下レベル?

 西部謙司著「サッカー戦術クロニクル トータルフットボールとは何か?」では、1974年ワールドカップ決勝の様子をこう書いています。

「この決勝で、西ドイツはクライフをはじめオランダのアタッカーをマンツーマンで抑え込む作戦を立て、見事に実行していた」
 初版35ページ

 これは、そのままオランダ用として置き換えられますね。「オランダはミュラーをはじめ西ドイツのアタッカーをマンツーマンで抑え込む作戦を立て」と。岡野さんが記された実例を、すでに引用させていただきました。
 西部謙司氏が、オランダを対人マーク守備だと書きたがらない理由の一つとして、極度のオランダ ≒ バルセロナ妄想という理解し難い先見があるらしいことには、今までの記事で幾度か触れて来ました。

 ほかの先入観のもととしては、なんとなんと、ACミランのサッキ元監督による自己宣伝コメントがあったようです。

 ミラン監督だったサッキと 見当違い

 先月、上の記事で引用したとおり、サッキ氏は、1970年代初頭のアヤックスがゾーンディフェンスを敷いていたかのように発言したことになっています。そして西部謙司氏は、このサッキ氏の宣伝をそのまま真に受け、「サッカー戦術クロニクル」の第二章、ACミラン編に使ってしまっています。アヤックスをオランダ代表に置き換えて。

「サッキ自身の解説によると、戦術を構成する主な要素は4つ。

①ゾーンディフェンス
②プレッシング
③オフサイドトラップ
④ローテーションアタック

 この4つの要素はすべてリンクしている。そして、この4つはすでに74年のオランダ代表が実践していた。そのことはサッキも認めている」
 初版40ページ

 前掲記事にあるように、サッキ氏はオランダ代表ではなく、アヤックスを挙げていました。おそらく西部氏はアヤックスだと承知していて、しかし都合によりオランダへ置き換えたのだろうと思います。そうであるなら、その旨を記すべきですね。とはいえ、多くの人々が往時のアヤックスと代表チームの類似を述べていますから、この点は無視しましょう。
 サッキ氏の発言自体が事実をねじまげたものらしいですし。

 西部謙司という人は、偉そうな方の言葉だと、頭っから信じきってしまうタイプなんでしょうか。日本の文部省は、一部を除いてそのように育成したがっていたかもしれませんね。極東のニッポン株式会社などには、それが便利なのだろうとは思います。しかし、そうした色に染まった人は批評商品を世に出す資格などない。ま、ライセンス制ではなく、単なる大衆人気に依っているから合法なんですけど。

 まず第一に、サッキ氏がホンベドを挙げている点に疑問を持つべきですね。ホンベドは、1956年のハンガリー動乱あるいはハンガリー革命挫折のおかげで、海外流浪試合をしばらく続けてから崩壊しました。その中心選手たちのプレーぶりは、マジック・マジャールなどと称賛されたハンガリー代表の動画で見ることができます。

 ● このチームに勝てるか? 史上最高伝説からの挑戦状!

 さて、サッキ氏はおいくつなのか。1946年生まれだそうです。すると、珍しいホンベドの試合録画がどこかに秘蔵されており、サッキ氏は長じてのち、それを研究する幸運に恵まれたのでしょうか。あり得ないとはいえない。しかし、先週「西部謙司氏はオシム・ジェフをどう見た…」で触れたように、1928年生まれのミケルス監督が1930年代のオーストリア代表を語った言葉を、何らの批評もなしに読者へ丸投げする西部謙司氏では、このような疑念すら生じない可能性がありますね。仕方がないか、単なるサッカー・ライターでは。

(これは以下からの続編です)

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2009年08月22日

クライフは嫌いだったかな、トータルフットボールが

 1974年の西ドイツ・ワールドカップでは、ミケルス監督がオランダ代表チームの指揮を執りました。どうやら監督ご本人のご意向としては、トータル・フットボールではなく、あくまでもプレッシング・サッカーを目指していたみたいな感じもあります。

 ミケルス監督による、1970年代末あたりの論考を読むと、攻撃意欲は高らかに宣せられてはいるものの、具体的な手法を力説しているのは、攻め方よりもディフェンスに関してです。とにかく守備戦術と体力重視の論調。
 渦巻きとしてのトータル・フットボール、状況に応じて各自が所与のポジションを入れ替わる攻めなどについては、抽象的というか、あまり参考になりません。ま、この方面のことは、とにかく状況判断と意欲が鍵だったりしますし、単純には説明し難いでしょうけどね。

 今の選手にはテクニックが欠けている、インテリジェンスが不足していると嘆いてもいました。でも、ミケルス監督にいわせれば、「体力面での準備こそが第一。それなしにプレッシング・サッカーは不可能」とのことです。最大級の体力がなくては、イタリア人みたいな「待つゲーム」をすることになる、とか。

 1974年のオランダではクライフがキャプテンでした。クライフは、それなりに休息は入れていた感じですけど、よく走っていた印象があります。のちにクライフ監督は、下手な奴が走るんだとか発言していたらしいですが、もしかするとミケルス監督に散々走らされたのがトラウマになっちゃってたり?
 犬みたいに扱われるのはたまらない、そんな気分が無意識のうちに鬱積してしまったか。

 かなり前から、日本では野犬を見かけなくなりました。犬は、ペットとして大事にされているようです。1970年ころのオランダではどうだったんでしょう。
 ミケルス監督はこう書いていました。

 In games the players must be able to run like dogs because you cannot play pressing football without that.

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2009年08月21日

下手な奴が走るのか? クライフ

 トータル・フットボールと称された1974年のオランダは、ときにペース配分重視の休憩風味プレーはあった気もしますが、それでも、ゲームを殺して終わらせようとする姿勢は感じられませんでした。かなり攻撃意欲が強く、それが失せたのは西ドイツとの決勝戦だけだったような。

 以下は、ワールドカップの二次リーグ最終戦、引き分けでも決勝進出のオランダが2—0とブラジルをリードしていた終盤のプレー。

ports-106975.jpg
(22日追記:申しわけない、イスラエルは背番号5でした)

 すでにブラジルのアタッキング・ディフェンダー、ルイス・ペレイラが退場処分になり、ブラジルは全部で10人しかいません。オランダの方は、負傷したレンセンブリンクの位置にクライフを移し、トップは空け気味。守備固めの様相でした。
 残り時間も3分を切ったかという状況で…


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2009年08月20日

西部謙司氏はオシム・ジェフをどう見た…

 まだジェフ市原と呼ばれていた2003年のこと、当時のオシム監督は7月12日のインタビューで、「ポジションうんぬんというよりも、コンビネーションによるトータル・フットボールを目指したい」と仰ったそうです。
 西部謙司著「サッカー戦術クロニクル トータルフットボールとは何か?」の序文では、オシム監督の市原時代の言葉だとして、次の引用がありました。

「目指しているのはトータルフットボールだ。しかし、それは永遠に実現できないが」

 この文言から、「サッカー戦術クロニクル」の記述は、トータル・フットボールが「“青い鳥”のようなものかもしれない」とつなぎ、そして西部謙司氏にとっての「ニシベタル」、お笑い定義を提示しました。

 オシム監督は現場の指導者でした。そのオシム監督が、「現代的または未来的、優れたチームプレー、攻撃的かつ魅力的」だと感じてもらえるサッカーを目指したいと、大仰に宣言したのでしょうか。「ポジションうんぬんというよりも、コンビネーションによる」とのご発言とは、いったいどういう関係になるのか。

 このオシム発言引用よりも前の文では、トータルフットボールという語を有名にしたのは西ドイツ・ワールドカップ時のオランダだと述べていて、そのあと、以下のように続きます。

「だが、トータルフットボールという言葉はオランダ以前にもあり、『30年代にはオーストリアがトータルフットボールをプレーしていた』と、リヌス・ミケルスが言っているように、トータルフットボールという言葉そのものはなくても、それらしいプレーをしていたチームはあったようだ」

 これは、単に言葉をひろってきただけですね。ミケルス監督は1928年生まれでした。驚異のチームとも称されたフーゴ・マイスル監督のオーストリア代表が、アムステルダム遠征でオランダを1-0と降したのは、1933年末のことです。オーストリアの最盛期は1934年あたりまでらしく、その後の再生オーストリアも、1937年、第三帝国に併合されて消えます。
 テレビなどない時代、ミケルス氏はオーストリア代表「ブンダーチーム」の実態を知りません。そういう人の言葉じりのみを引用してどうする。

 その伝承内容こそが重要でしょう。なぜ、ミケルス監督は、1930年代オーストリア代表をトータル・フットボール風のスタイルだと想像したのか。
 一方、ブンダーチームを実地によく知っていた、フーゴ・マイスル監督の弟であるウィリー・マイスルは、なぜオーストリア代表のサッカーを渦巻きだと見なかったのか。マイスル弟は、西部謙司氏が記すのとは違い、マジック・マジャールと称されたハンガリーをも渦巻きになっていないと書き残しています。「それに近いかのようなアイデア」を感じただけだそうです。

 1950年代、発展途上のハンガリー代表は、ほぼ一試合全体を、ありがたい無料提供の動画で見ることができます。
 1930年代のオーストリア、驚異のチームというのは、このブログで幾度か触れたように、流動的な攻撃に特徴があって、イングランド黄金時代のサッカーに似たスタイルだったろうと思えます。
 ミケルス監督とは違い、オーストリアもハンガリーもよくよく承知していたウィリー・マイスルは、どちらも流動サッカーではありながらも、ゴールキーパーを除く全選手を巻き込んだ即応役割交換を戦術的に組み込んでいないので、「まだ渦巻きを実現してはいない」としていたのでしょう。


(これは以下からの続編です)

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2009年08月19日

サッカー戦術クロニクル 西部謙司氏の態度

 ベッケンバウアーは、メキシコ・ワールドカップのテレビで見たときには中盤選手でした。ふわふわと脱力しつつ漂っているようでいて、実は精力的に広く移動し、要所へつねに出没してくるイメージ。
 しかし、ミッドフィールダーだったベッケンバウアーは、1972年の欧州選手権予選途中から、代表チームでもスイーパーになりました。バイエルンでのように。代表チームの守備に問題もあったんでしょうが、それとは別にシェーン監督の懸案構想、オベラート、ネッツァー、ベッケンバウアーをすべてそろえたチームをつくること、そのための施策の一つでもあっただろうと思います。
 ベッケンバウアーは、機を見て得点を狙うディフェンダーになりました。

 この、スイーパーとして最終ラインに下がったベッケンバウアーも、西部謙司著「サッカー戦術クロニクル トータルフットボールとは何か?」では、オランダをバルセロナ化してしまう風変わりな妄想から、「ストッパーよりも前方でプレーする時間の長い、前にいるリベロ」にされます。
 ストッパーよりも前なのか後なのか、どちらか一つというならば、ベッケンバウアーの方が後であるとするのが実態に近い。しかし、そのような静的フォーメーションに拘泥する思考は、トータル・フットボールの動きで崩す手法を無視するようなもので、本質的な心得違いだといえるでしょう。ベッケンバウアーはグァルディオラのような役割ではなかったし、昔の西ドイツというのは、ベッケンバウアーのみならず、ストッパーも流れの中で得点を狙うチームでした。

 中澤、闘莉王、 … トータルフットボール

 ● 天才ストライカーの動き トータルフットボール

   ports-96756.jpg

 ベッケンバウアーは、こうした流動的トータル・フットボールのシンボルで、どちらかといえばストッパーよりも後方を所定位置としているのに、チャンスをうかがって前線までも進出していくプレーを特徴としていました。

「そして、ベッケンバウアーは“スイーパー”という役割に新しい次元をつけ加えた。後方のもとのポジションから突然前進し、フリーとなってミッドフィールド・プレーヤーとしてのその技能を自在に発揮する!」

 これは、西部謙司氏も面識があったはずの、エリック・バッティ記者による文です。西部氏とは異なり、サッカー・ライターではなく、批評家として当時の最高峰と目されていました。バッティさんの謦咳に接っしても、なんら学ぶことのない日本人もいるらしい。
 西部氏は、攻撃面でベッケンバウアーと同様であるとするオランダのハーンを、このように書きました。

「当時の概念に当てはめて、メディアはアーリー・ハーンを「スイーパー」と呼ぶこともあった。ところが、ハーンのポジションはレイスベルヘンの背後ではなく、前にいることも多かった。攻撃時には、中盤でパスを捌いている時間が長かったからだ」

 西部氏の、「サッカー戦術クロニクル」におけるバルセロナ ≒ オランダ妄想は、何とかしてハーンをグァルディオラに仕立てようとします。それが間違っているだけのこと。そうした妄想にとり憑かれているとしても、多くのメディアでハーンをスイーパーだとしていた事実を認めたなら、なぜそうなのかなと考えたりはしないんでしょうか、この人は。

 岡野さんが、1974年ワールドカップ決勝戦について、サッカーマガジンへ寄稿なさった一節を引用してみましょう。

「そして、相手の主力選手はマン・ツー・マンでマークする。だからミュラーにはレイスベルヘンがいつもぴったりつき、ハーンがリベロのようなかたちでさらにその後を守っている」


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