2009年08月28日
1974年西ドイツ・ワールドカップ、準優勝のオランダを率いたミケルス監督は、トータル・フットボールといわずにプレッシング・サッカーと称し、技巧、知性とともに、それ以上というほど運動量を要求していたようです。
延々と伝承されてきた三つのBからボディ・バランスが落ちて、そこに体力が入り込んだ? しかし、ミケルス監督は体育教師をなさっていたそうですから、ボディ・バランスについては最下層の基礎として、いわずもがなの重要要素と認識していた可能性もあります。三つのBに運動量を追加したという感じだったかもしれません。
このころまでは知性が非常に強調されていました。こののち、1978年ワールドカップで優勝して脚光を浴びるメノッティ監督は、当時、まず第一に知性が選考基準だなどと仰っていました。
日本代表として活躍なさった釜本さんは、今年5月の談話でも、三つのBの教えを持ち出し、「前日本代表監督のイビチャ・オシム氏が「考えろ」と言っていたけど、それは当たり前のこと。僕らが30年前から聞いていたことだ」としていました。
今も昔も、サッカーは一緒だ
釜本さんは運動量を強調していません。しかしそれはいわないだけのことで、クラマーさんや岡野さんに相当走らされただろうと思います。ま、そうはいっても、下記で計測データを参照してみると、釜本さんは走行距離が少なめでした。
日韓対決 後追い検証
雨でグラウンド・コンディションはよくなかったらしく、マルチ・ボール化していなくて実働時間も短めな試合だったろうと想像しますが、計測された総距離は短い。これは当時の代表選手が走れなかったのではなく、走らないで済ませたのだろうと思います。この試合で中盤だったのに走行距離が非常に少ない小城さんは、同じ年の別の試合では、11,775mという長距離を計測されています。
¿ 運動量の増加、否定? かつての欧州 Best4
● クライフのオランダは違ったか
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2009年08月26日
今朝の記事で、「アらし方」見本といえそうな過去記事を列記しました。そのリンク先を試しにご覧になった方もいらっしゃるかと思います。でも実際には、当該記事にコメントがなかったりしました。たいへん失礼しました。
最近になって、問題のコメントの一部を消されてしまったんですね。ま、それも、事務局との揉め事の一環といえます。
わたしはスポーツナビ+版をあまり閲覧せず、非公開にしているFC2版を主に参照しています。コメントなどは、スポーツナビ+版から不定期に移植して拝読いたしております。そんな状態のため、「スポーツナビ+版」でコメントの一部が削除されてしまったのを把握しきれてませんでした。
わざわざ過去記事をご覧いただいた方には申しわけないことをしました。
そうした一部の方に謝意を表し、月内の2、3日間だけ、オリジナルのFC2版を公開します。これは、全記事のリンク目次が生成されたり、コメントやトラックバックも検索できたりと、ながめわたすのにはかなり便利です。そのうちにディレッタントの方々へ向けて公開する所存ではいました。
が、ある時期までの分、スポーツナビ+版からコピーした記事本体で、リンクを読み込めないなどの不備があります。そのため、まだ一般公開の段階ではないなと思っています。その点をご容赦いただき、一時的な試験公開をご覧ください。
オリジナル版進入路
オシムが何? コメント削除しやがって。アらしてやりましょうか?
● コメント
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2009年08月26日
「コメント削除しやがって。
荒らしてやりましょうか?」
こんなコメントを「K」と称する方からいただいたようです。「元ミラン監督サッキに騙され 西部謙司氏はくまさん以下レベル?」という記事に向けてでした。コメント着信の通知メールが届いたのは、2009年8月26日の午前1時39分51秒と記録されています。これは、同じく8月25日 11時20分45秒の、下記コメントを送信してくれたSANNETの「K」さんと同じ方らしい。
「すごい執念ですね。
キモ×文章。
おまえ オシムにも 否定的だったんだな。
大したヤツだ。」
×は「イ」でした。
どちらのコメントも、運営サイドの方が消してしまったようです。
● まず、今回の「K」さんや同系統の方のために。
現状、スポーツナビ+を運営されている方々は、文の内容や経緯にまで立ち入った削除判断をしていません。ご多忙ですから無理ですね。表面だけ、少々まともそうな文にすれば、悪意ある内容でも消されません、普通は。つまり、悪意なり敵意なりを不特定多数の閲覧者にもわかるよう公開したければ、ちょっと言葉を選べばいいだけなんですよ。
二行以上にしている「K」さんは、もう一歩のところまで出来ています。一行コメントは削除対象になりやすいといいますので。だから、あとは少し言葉を飾るだけで、悪意を長い時間にわたって公開しておけます。
個人的なことならば、メールあて先を公表してあります。そちらなら、スポーツナビ+事務局の方は関与しませんよ。
● 荒らしてやりましょうか?
オシムのインタビュー、エーって感じ
この記事がどうかしましたか? その一連のシリーズは、「目次4. オシム諸々」にリンクを並べてあります。
そのシリーズには「荒らし」といえそうな先輩方の足跡が残っています。どんなコメントにすれば、削除されずに悪意・敵意を掲示しておけるのか、参考になると思いますよ。
注目は2名。名前を複数使い、ほかの方の名前を騙り、いろいろ努力しています。そのうち1名は、2008年11月から2009年1月まで延々と続けました。この人は、無邪気そうにスポーツナビ+で別のブログを運営されているようです。
記事末尾には、彼らの使用した名前と掲載記事を列記しておきますから、どうぞご参考に。
● オシムがどうしたのか
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2009年08月25日
西部謙司著「サッカー戦術クロニクル トータルフットボールとは何か?」では、1974年ワールドカップ決勝の様子をこう書いています。
「この決勝で、西ドイツはクライフをはじめオランダのアタッカーをマンツーマンで抑え込む作戦を立て、見事に実行していた」
初版35ページ
これは、そのままオランダ用として置き換えられますね。「オランダはミュラーをはじめ西ドイツのアタッカーをマンツーマンで抑え込む作戦を立て」と。岡野さんが記された実例を、すでに引用させていただきました。
西部謙司氏が、オランダを対人マーク守備だと書きたがらない理由の一つとして、極度のオランダ ≒ バルセロナ妄想という理解し難い先見があるらしいことには、今までの記事で幾度か触れて来ました。
ほかの先入観のもととしては、なんとなんと、ACミランのサッキ元監督による自己宣伝コメントがあったようです。
ミラン監督だったサッキと 見当違い
先月、上の記事で引用したとおり、サッキ氏は、1970年代初頭のアヤックスがゾーンディフェンスを敷いていたかのように発言したことになっています。そして西部謙司氏は、このサッキ氏の宣伝をそのまま真に受け、「サッカー戦術クロニクル」の第二章、ACミラン編に使ってしまっています。アヤックスをオランダ代表に置き換えて。
「サッキ自身の解説によると、戦術を構成する主な要素は4つ。
①ゾーンディフェンス
②プレッシング
③オフサイドトラップ
④ローテーションアタック
この4つの要素はすべてリンクしている。そして、この4つはすでに74年のオランダ代表が実践していた。そのことはサッキも認めている」
初版40ページ
前掲記事にあるように、サッキ氏はオランダ代表ではなく、アヤックスを挙げていました。おそらく西部氏はアヤックスだと承知していて、しかし都合によりオランダへ置き換えたのだろうと思います。そうであるなら、その旨を記すべきですね。とはいえ、多くの人々が往時のアヤックスと代表チームの類似を述べていますから、この点は無視しましょう。
サッキ氏の発言自体が事実をねじまげたものらしいですし。
西部謙司という人は、偉そうな方の言葉だと、頭っから信じきってしまうタイプなんでしょうか。日本の文部省は、一部を除いてそのように育成したがっていたかもしれませんね。極東のニッポン株式会社などには、それが便利なのだろうとは思います。しかし、そうした色に染まった人は批評商品を世に出す資格などない。ま、ライセンス制ではなく、単なる大衆人気に依っているから合法なんですけど。
まず第一に、サッキ氏がホンベドを挙げている点に疑問を持つべきですね。ホンベドは、1956年のハンガリー動乱あるいはハンガリー革命挫折のおかげで、海外流浪試合をしばらく続けてから崩壊しました。その中心選手たちのプレーぶりは、マジック・マジャールなどと称賛されたハンガリー代表の動画で見ることができます。
● このチームに勝てるか? 史上最高伝説からの挑戦状!
さて、サッキ氏はおいくつなのか。1946年生まれだそうです。すると、珍しいホンベドの試合録画がどこかに秘蔵されており、サッキ氏は長じてのち、それを研究する幸運に恵まれたのでしょうか。あり得ないとはいえない。しかし、先週「西部謙司氏はオシム・ジェフをどう見た…」で触れたように、1928年生まれのミケルス監督が1930年代のオーストリア代表を語った言葉を、何らの批評もなしに読者へ丸投げする西部謙司氏では、このような疑念すら生じない可能性がありますね。仕方がないか、単なるサッカー・ライターでは。
(これは以下からの続編です)
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2009年08月22日
1974年の西ドイツ・ワールドカップでは、ミケルス監督がオランダ代表チームの指揮を執りました。どうやら監督ご本人のご意向としては、トータル・フットボールではなく、あくまでもプレッシング・サッカーを目指していたみたいな感じもあります。
ミケルス監督による、1970年代末あたりの論考を読むと、攻撃意欲は高らかに宣せられてはいるものの、具体的な手法を力説しているのは、攻め方よりもディフェンスに関してです。とにかく守備戦術と体力重視の論調。
渦巻きとしてのトータル・フットボール、状況に応じて各自が所与のポジションを入れ替わる攻めなどについては、抽象的というか、あまり参考になりません。ま、この方面のことは、とにかく状況判断と意欲が鍵だったりしますし、単純には説明し難いでしょうけどね。
今の選手にはテクニックが欠けている、インテリジェンスが不足していると嘆いてもいました。でも、ミケルス監督にいわせれば、「体力面での準備こそが第一。それなしにプレッシング・サッカーは不可能」とのことです。最大級の体力がなくては、イタリア人みたいな「待つゲーム」をすることになる、とか。
1974年のオランダではクライフがキャプテンでした。クライフは、それなりに休息は入れていた感じですけど、よく走っていた印象があります。のちにクライフ監督は、下手な奴が走るんだとか発言していたらしいですが、もしかするとミケルス監督に散々走らされたのがトラウマになっちゃってたり?
犬みたいに扱われるのはたまらない、そんな気分が無意識のうちに鬱積してしまったか。
かなり前から、日本では野犬を見かけなくなりました。犬は、ペットとして大事にされているようです。1970年ころのオランダではどうだったんでしょう。
ミケルス監督はこう書いていました。
In games the players must be able to run like dogs because you cannot play pressing football without that.
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2009年08月20日
まだジェフ市原と呼ばれていた2003年のこと、当時のオシム監督は7月12日のインタビューで、「ポジションうんぬんというよりも、コンビネーションによるトータル・フットボールを目指したい」と仰ったそうです。
西部謙司著「サッカー戦術クロニクル トータルフットボールとは何か?」の序文では、オシム監督の市原時代の言葉だとして、次の引用がありました。
「目指しているのはトータルフットボールだ。しかし、それは永遠に実現できないが」
この文言から、「サッカー戦術クロニクル」の記述は、トータル・フットボールが「“青い鳥”のようなものかもしれない」とつなぎ、そして西部謙司氏にとっての「ニシベタル」、お笑い定義を提示しました。
オシム監督は現場の指導者でした。そのオシム監督が、「現代的または未来的、優れたチームプレー、攻撃的かつ魅力的」だと感じてもらえるサッカーを目指したいと、大仰に宣言したのでしょうか。「ポジションうんぬんというよりも、コンビネーションによる」とのご発言とは、いったいどういう関係になるのか。
このオシム発言引用よりも前の文では、トータルフットボールという語を有名にしたのは西ドイツ・ワールドカップ時のオランダだと述べていて、そのあと、以下のように続きます。
「だが、トータルフットボールという言葉はオランダ以前にもあり、『30年代にはオーストリアがトータルフットボールをプレーしていた』と、リヌス・ミケルスが言っているように、トータルフットボールという言葉そのものはなくても、それらしいプレーをしていたチームはあったようだ」
これは、単に言葉をひろってきただけですね。ミケルス監督は1928年生まれでした。驚異のチームとも称されたフーゴ・マイスル監督のオーストリア代表が、アムステルダム遠征でオランダを1-0と降したのは、1933年末のことです。オーストリアの最盛期は1934年あたりまでらしく、その後の再生オーストリアも、1937年、第三帝国に併合されて消えます。
テレビなどない時代、ミケルス氏はオーストリア代表「ブンダーチーム」の実態を知りません。そういう人の言葉じりのみを引用してどうする。
その伝承内容こそが重要でしょう。なぜ、ミケルス監督は、1930年代オーストリア代表をトータル・フットボール風のスタイルだと想像したのか。
一方、ブンダーチームを実地によく知っていた、フーゴ・マイスル監督の弟であるウィリー・マイスルは、なぜオーストリア代表のサッカーを渦巻きだと見なかったのか。マイスル弟は、西部謙司氏が記すのとは違い、マジック・マジャールと称されたハンガリーをも渦巻きになっていないと書き残しています。「それに近いかのようなアイデア」を感じただけだそうです。
1950年代、発展途上のハンガリー代表は、ほぼ一試合全体を、ありがたい無料提供の動画で見ることができます。
1930年代のオーストリア、驚異のチームというのは、このブログで幾度か触れたように、流動的な攻撃に特徴があって、イングランド黄金時代のサッカーに似たスタイルだったろうと思えます。
ミケルス監督とは違い、オーストリアもハンガリーもよくよく承知していたウィリー・マイスルは、どちらも流動サッカーではありながらも、ゴールキーパーを除く全選手を巻き込んだ即応役割交換を戦術的に組み込んでいないので、「まだ渦巻きを実現してはいない」としていたのでしょう。
(これは以下からの続編です)
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