2009年04月30日
「大きなことを成し遂げ、考えうる最高のパフォーマンスを見せられたことに大満足している」
4月8日のチャンピオンズ・リーグの試合後、グァルディオラ監督のコメントはご満悦加減でした。
「何もかもが正しかった」
しかし、一部は正しくなかったとするべきだったかも。その試合の相手、バイエルンは、ほとんど攻撃をすることができませんでした。攻め上がる気もない、いや、ボールを奪おうとしていないムードといった方がいいでしょうか。
そのバイエルンと似た感じに振る舞った4月28日のチェルシーに対し、グァルディオラ監督は、「前に攻めようとせず、サッカーをしようとしないチーム」と述べて暗に非難し、自らのチームのことは、「今夜のようなパフォーマンスなら、恥ずべきことは何もない。勝てなかったのは誰の責任でもない」のだとしました。
もしかして、恥ずべきは、チェルシーなのかなぁ?
http://jp.uefa.com/competitions/ucl/fixturesresults/round=15278/match=302804/report=rw.html
http://jp.uefa.com/competitions/ucl/fixturesresults/round=15279/match=302809/report=rw.html
上記のUEFA日本語ページに載っていた談話は、相手や世間に対しての効果も考慮した上でのものでしょう。言葉のすべてが本音とは限らないし。次のアウェー・ゲームに向け、三十歳代の監督が蒔いた心理戦の伏線なのかもしれません。
ま、そうしたことは別にし、この発言につながった事象をざっと見直してみましょう。
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2009年04月28日
今や、各選手が好き勝手な番号をつけることが世界的な流行になり、この面では、野球の国である日本国の慣習、日本化がいきわたったともいえます。しかし源流をさぐる際は、ポジションごとの本来の番号が非常に大切な場合もあるし、個人的には、1から11までで試合に臨んでくれるイングランド気質は尊いなと感じます…
さて、かつて背番号の伝統的な割り振りについて記した際、アルゼンチンが問題になりました。たとえば下記記事など。
● ウィング…ハーフ?
ブラジルの背番号は、どう変わって今に?
本来はアルゼンチンも、純粋なサッカーの伝統を受け継ぐウルグアイと同じであったはずで、下が当初のかたち。
5
6 3 2 4
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2009年04月27日
オシム監督がジェフ市原を指揮していたころ、対人マーク主体のディフェンス網を敷いていた話は有名ですね。おそらくさまざまに論じられていることでしょう。その中には、流動的なトータル・フットボール風の攻撃をするための守備だという見解もあっただろうなと想像します。
以下に引用するのはオシム監督の言葉ではなく、レアルの監督だった方の文です。
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2009年04月27日
「攻撃タイプのサッカーとは、ボールを奪いとったら、選手たちは、自由奔放に攻撃に加わってプレーするということである」
昨年、「◆ ヨハン・クライフ・スーパー・スター」という記事の出だし部分に引用した言葉です。三十年くらいも昔の考え方。これは、カウンター・アタックを表しているようにもとれますね。
「前方にスペースを見いだしたら躊躇なくチャンスを活かさなければならない」
「誰かが自分の(後方の)任を引き受けるという認識があれば、好機到来時にその選手は、そうあるべき質の高い働きをするだろう」
「チームのフォーメーションはほとんど絶え間なくローテーション化し」
こちらは五十年以上も昔に出版された書籍に載っている言葉です。やはり前掲の記事で引用しました。それは昨年繰り返し引用し続けた「Soccer Revolution」という本です。FIFAが創立百周年を記念して出版した本には、「Soccer Revolution」が以下のように紹介されています。
「1955年、ウィリー・マイスルは「サッカー革命」という本の中で彼はフットボールの将来においては、ディフェンダーも攻撃ができ、アタッカーも守備ができなければならない、選手は何でもこなせるマルチな技術を得なければならなくなるだろうと予測していた」
申しわけない、次の文で「初版年を間違い」としている方が、間違いです。上記引用文の1955年で、間違いありません。別チャネルの本の方を見て、うっかり「間違っている」と書いてしまいました。お詫びして追記します。(4月27日)
ちょっと変な感じも受ける文章で、初版の年も間違っています。そして、「技術を得なければ」云々というのは、サッカー界全般よりもイングランドの選手たちに向けてのもので、予測ではなく提言・宣言でした。
それはともかく、かつての世の中では、この書籍に記された「ローテーション化」をかなり実現したものが、1970年代に見られたトータル・フットボールだとされました。
このような考え方は、1974年ころの日本でもさんざん騒がれました。その線に沿って、下記の記事では、最近の日本で流行しているかもしれない「トータル・フットボールの拡大解釈」を否定してみました。
▶「サッカー戦術クロニクル」 トータルフットボール独歩
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2009年04月25日
前節のミラン対トリノ(インザーギ爆発! フラミニ右バックのミランが2位浮上)で、ミランは途中まで快心の試合を演じました。正当には、相手の状況から割り引いて勘案するべき面が多々あるとはいえ、得点差よりも内容に感心します。
さかのぼって1月28日のミラン対ジェノア(トータルフットボール JEF市原に似ているかな)でも、トリノ戦とは隔たりがあるものの、特に前半のミランはなかなかの見え方でした。
セードルフは元来が、実際の運動量以上にエネルギッシュな動きをしているように感じる選手だし、その系統のボールなしの動きを、ジェノア戦でも普通に発揮していた印象。若干落ちる動きだったかもしれません。
いつもに増して好感を受けたのは、アンブロジーニ、ベッカム、そしてピルロが、セードルフとからみあってポジション・チェンジをしていく様子でした。そこにカカも関与し、外縁部ではヤンクロフスキ、ザンブロッタも適度に入り込んでくる感じで、ジェノアのディフェンスに的を絞らせないボールのつなぎ、つなぎというよりは崩しを実演しかけていました。
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2009年04月24日
現在のACミランは、かつてヨーロッパを制した1980年代末のチームのようには守備堅固でなく、かなり攻撃に依存したスタイルに見えます。それでも弱小チーム風に失点が多くはありません。弱いチームと較べれば守備にもタレントがそろっていることになるし、強い相手と対戦したときでも、さほど攻め込まれないようにもなっています。
その一翼を担うのがボール・キープで、アンチェロッティ監督などは「主導権を握る」と称しているようです。
これは、サッカー関係者が感覚的に使う「流れをつかむ」こととは少々異なるみたいで、ミランが相対的にボール支配率でかなり上回っていても、どちらかというと試合全体としては相手のペースだなと思える場合も多々あります。
しかし、とにかく不調な試合でも、ミランはボールまわしで時間を使おうとし、それはミランがシュートを浴びる機会を少なくするし、「試合の速度」を遅くさせて相手の流れを停滞させることにつながります。ついでにミラン自体も停滞気味になったりするのが問題ですが、それは、まあ…
4月24日現在では、ミランがイタリアNo.1 となっています、主に勝ち点以外では。
パニーニ・ディジタルご提供の累計値によれば、ミランの一試合当たりボール・キープ時間は28分17秒。第二位のインテルに2分以上の差をつけています。相手陣内でのキープ時間でも、二番目に来るインテルとは2分近い差で、ミランは13分7秒。
しかし得点数は、前節の爆発でトップに立ったとはいえ、インテルを1点しか上回らない59。
相手の調子によっても違ってくるので一概には比較し難くもありますが、ミランの攻めが若干非効率だともいえるでしょう。しかし、そのおかげで、ミランの失点がユベントスより1点少なくなるところまで来たと思えばいいわけです。ミランの失点は29で、インテルの24に次いで第二位に上がってきました。
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2009年04月24日
以前、オリンピック代表チームでの闘莉王選手の攻撃参加を見て、中盤でドリブルをつぶされたりするシーン等々から、あまり感心できないなと思いました。セット・プレーに出ていくだけにしておけばとか、そんな気もしました。
しばらく後、浦和レッズでときおりながめるようになると次第に好印象に変わり、オシム監督になった日本代表に呼ばれるあたりでは、かなり攻撃参加に期待する方向へ変心。闘莉王選手が中盤でかんたんにボールをさばいて、タイミングを合わせながらフリー・ランニングしていく姿は楽しみなものになりました。
最近の代表チームではベンチからとどめられる気配や、自重の雰囲気もあるようですが、そうだとするとなんだか残念。
ペアを組む中澤選手も、以前は流れの中でオーバーラップすることがもっとあったようにも感じますが、最近は珍しくなった印象だし。日本代表も分業制の高度な今風に戻ったかもしれません。
しかし、役割分担の高度なサッカーがよしとされるムードだから、逆にオールラウンダー的にプレーすると意外性もあって、多少下手でも、中央からのオーバーラップの動きなどは生きるかなとも思うんですが。
似た考えによるのか、別のベースから来るのかは不明ながら、イタリアでは後方からの攻撃参加を組織的に組み込もうとする動きがあるようです。それは日本でよくいわれる「サイド・バックの上下動」とは少し違う枠組みで…
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