2008年04月22日
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長くなってきて失敗するとまずいからこっちにしますよ
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posted by ports |17:05 |
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「アーセナル ストッパーを発明。つねに模倣され しかし追いつかれることはない」 — アーセナルが掲示した1930年代のポスター(?) — 天才を真似ることは火遊びのように危うい。「安全第一」プレーの四半世紀に分け入ってみよう … 中略 … チャプマンの大いなる盛名は今なお生きている。偉大な将軍が死んでから二十年以上経っても、アーセナルは — いまだ彼の名とともに語られ — 傑出した栄誉を賞され続けている。 … 中略 … ハーバート・チャプマンが早世しなければ、イングランドのサッカーが斜面を滑り落ちることなどなかったに違いないと感じる。彼は危険信号を最初に気に留め、そして守備的傾向を支配した人物だろう。 だが実態としては、われわれのサッカーを懐旧的なものにしてしまい、ことをこれほど悪化させたもの、それがハーバート・チャプマンの才能だという点を認めねばなるまい。逆説的で、しかし真実ではある。 … 中略 … 外見はともかく内実として、兄とハーバートはサッカーにおけるナポレオンだった。 … 中略 …
posted by ports |23:55 |
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おそらくイングランドに限らず、たいていの国のサッカーが50年代は攻撃志向・得点志向だったと思われます。対して60年代は守備志向・失点忌避であったろうというのが乱暴な図式です。 お寄せいただいた貴重なコメントのうちにヒントがいくつかある感じなので、あらためて抜粋いたします(はあと) > ボンボコ入らないとお客さんこないから これは別の時代についてですが、勝手に使いますよ。 1950年代は比較的ボンボコです。ハンガリーに代表されるダニューブ・フットボールの全盛期があり、レアル・マドリーがディ・ステファノとともに台頭し、ディディやクバラなどが大活躍し、ペレもお祭りに参加したと伝わります。 ポジション・チェンジと個性発揮のルネッサンス時代のようです。 > で、そのおかげでシステムとかいろんなのが発展したんじゃないかなって思ったんですよ > じゃないとボンボコ点取られるからっていうんで > そういうシステムができてきたせいでだんだん点入らなくなってきたのかなって
posted by ports |12:58 |
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「改正前より『質が悪くなった』とか『ハーフバックとフォワードが20ヤード離れてるのも珍しくない』とか改正後にロングボール増えたようなニュアンスが漂ってる」
Times の旧記を調査なさってくれたブランクさんからの情報です。1926年10月の記事だそうです。
「その攻撃は極端なW型システムであり、又極端なロングパスシステムであります。この点は大陸の傾向とは可成り異る特色をなしており、私の観た英国の三試合六テイームが例外なしに完全なこのやり方をとって攻守していました。この様な布陣の元に行わるる英国蹴球の特色は実に速攻と激しさであり、又速攻と云うよりは拙速という感じがいたします」
1936年ベルリン五輪で、日本代表の主将を務められた竹内悌三氏によるものです。オリンピック後にその足でヨーロッパを視察なさったおりの、アーセナルなど三試合について記述した部分。
「このように頑健なストッパーに対峙する相手チームは、どうしてボールを地面でキープしないのだろうか。精緻なパスを中盤へ送るようにという指示はないのか。
… 中略 …
そうしてくれれば、見ている私をまごつかせる前にほとんどのモダン・ストッパーをまごつかせられるだろうに。
数年にわたる無言の観察の結果、私は唯一あり得る説明に行き当たった。答えが発見しづらかったのはそれがあまりに単純だからだ。彼らはそれができないのだ!」
ウィリー・マイスルが1934年にロンドンへ移住した後、おそらく1940年までのいつだかを回想した文です。
posted by ports |19:06 |
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1889〜1989の各シーズン、一部リーグの一試合平均ゴール数。 たしかにグラフでながめると傾向がつかみやすいです。 ほんとうは英国系ではない国を調べたかったけれど、めんどうになったので手持ち資産に続きをつなげるにとどめました。 数字の見直し、できていません。正確にいえばもうこのまま、やりません。不審の目で軽くながしてご覧ください。
posted by ports |21:27 |
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三人オフサイドをゆるめて二名とした結果、攻撃優位に大きく傾いたと感じられ、失点を抑え込もうとする強烈な意志が働きました。単にルール変更などで外形的に得点しやすくしてもだめなようですね。 再生を試みたグラフの前に、まずはそれに関する文章。 三人オフサイド・サッカー自体の質・内容を述べた文はなかったので、そこは想像するしかありません。 ————以下、引用———— 結果 FAが出した一九四八 — 四九年の年鑑にたいへん興味深いグラフがある。一九二六年からの数年間、ゴール数が急上昇したのを示し、それからは少なく少なくなっていくのだ。 一部リーグは短期間の復活を寿いだが、得点の減少は再び始まる。安全第一のゲームがオフサイド規定変更の効果に打ち勝った。またもやフォワードは愚かになり、ディフェンスは覇を唱えた。第二次大戦期に小さな上昇を見せるが、しかし…。しかし、FAの説明文自体に語らせるのがベストだ。
posted by ports |00:23 |
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「これはフォワードにロングパスを出すのが難しくなる厳しいルールであった。そのため英国ではショートパスを使ったゲームが発達することとなった」 —「フットボールの歴史」(FIFA百周年記念、どなた?)— これが1925年のオフサイドふたり化につながるのはどうも奇妙だとして、勝手に空想で是正… 「…そのため英国プロ・リーグではショート・パスを使ったゲームが衰退し、ロング・ボールを蹴ることが主流になった。そのためドリブルや精緻にパスをつなぐ能力が低下していった。 そのためオフサイド・トラップの嵐が吹き荒れたときは、もう対処するだけの芸が選手にはなく、得点欠乏症候群を調伏しづらかった」 しつこい「そのため」のうち最初のものは何を承けてのことなのかって、勝手に問いをつくってしまってアレですけど。 では英国プロフェッショナルの方々用にマイスルの文から使えそうなのを探して…
posted by ports |00:39 |
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ふたりではなく三名いなければだめ。そんな当時のオフサイド規定であっても、伝説どおりだとオフサイド・トラップが異常に効果的すぎますよ? その秘術が、仮に最初は完璧に新奇な発明品だったとします。古い未発達なサッカー人類だと思われてる二十世紀初頭の選手は、腰を抜かしたかもしれません(嘘です)。 ま、冗談でも、驚天動地に感じたとしておきますよ。で、どうしてびっくりが何シーズンも続きますか? オフサイド改定は数年間検討されたみたいです。オフサイド・トラップの嵐はそれ以前からでしょう。もしや第一次世界大戦後ではなくその前から? それはないでしょうが、そうだったとしたらもっと早くオフサイド変更、じゃなかった、対応法が考え出されそうなものです。
posted by ports |19:10 |
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前回に続いて、三人からふたりへのオフサイド変更を糾弾する話、英国批判ですが、…厳しい。 ————以下引用———— 土曜日が来るたびに、英国のサッカー場の多くではオフサイド・トラップが酷使された。それは事実である。 … 中略 … ディフェンスが呪わしいまでの狡猾さをもって、フォワードをオフサイド・トラップにかけたと思われるに違いない。 … 中略 … ところがそれは、英国のアマチュアではさほど当たり前でもなかった。そして外国ではこれに類することなど生じなかった。 他国のフォワードは、英国ほどには想像力を欠いていなかったのか。それゆえディフェンダーにしてみれば、自分自身の罠につまずくリスクが大きすぎたということなのか。 そうではなく、フルバックが英国のようには熟練していなかったせいなのか。それは私には言い難い。だがサッカーが外国で見事に進歩していき、そして成功していることは、
posted by ports |19:35 |
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相手が二名いるかどうかがオフサイドの基準、それが当然になって幾星霜もが過ぎました。以前の三名ルールならばもっと質の高いサッカーができたといわれても、そんな話に興味を持つのがむずかしい。 でもほかの事情があったので読み進めてみると、幸運にもそのオフサイド論はとてもおもしろい主張、考えてみたくなるものでした。 三人からふたりへ変えたのは二十世紀前半で、もはや当時を知る人がいないのではという過去です。 その体験者が残した論考だと、オフサイド変更は大間違い。改悪以上のこと、犯罪だとしていました。それを差し支えない程度に引用。 ————以下引用———— 新たなサッカー金脈への近道を、立派な老ジェントルマンたちはそこに見いだそうとした 彼らはひとつの語を変えてしまった。三であったのを今後は二に … 中略 … 一九二五年六月十三日、インターナショナル・ボードはパリの会議でオフサイド規定を変更した。 … 中略 … これが、かつてわれわれの知っていたサッカーに革命を起こし、早々に「安全第一」のゲームを生じさせ、徐々にではあれ明白な、英国サッカーの下降と堕落へつながった。
posted by ports |20:05 |
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