2008年05月28日
● 事実支持 !【プレッシング・トータル・フットボール】
プレッシング戦術こそがトータル・フットボールの根幹なのだとすれば、二十世紀後半まで待たずに、今から百年くらい前の英国では、とっくにトータル・フットボールの原型が現れていたようです。上図では中央の色が変わった部分、ほぼ10ヤード・プラス10ヤード、20ヤードの幅に二十人が収まって、…いや、少しはみ出していますけど、だいたいです。
元祖と宗家の跡目争い(?)、ノッツ・カウンティがニューカッスル征伐に乗り出した試合の模様を再現してみました。三人オフサイド時代の百年前に行われた、仮称「ハーフコート・プレス理論」推進派チーム同士の対決です。 こういった近接している状況では、みんながそれなりに連動した反応・連鎖があったでしょう。その意味では全員攻撃全員守備かもしれません。アグレッシブ=攻撃的な守備、つまり守備を徹底して重視した守備的戦術が、両者の試合では展開されたようです。 全然ハーフコートになっていない、それはそうですが…。守備側のみならず、ボールを持っている方も次の守備機会のことを考慮し、また、中盤の密集を、人手をかけて打開しようすることなどから押し上げてしまっているわけです。というよりも、守備側が押し込め切れなかったことの方が強いか。 ボールが保持できて、そしてほぼ純粋にハーフコート理念を堅持したままだと、当然のようにこうなるかと思います。 これはイバン・シャープが実地に体験したオフサイド戦術とは別ものです。オフサイド・ラインを極端に上げるプレッシング・サッカー理論、その元祖がここにあります。 相手をハーフコートに押し込められなくても、このまま勝負をする意味は充分ありそうです。ボールを奪ったときは広大なスペースにパスを送り込んで、スピード勝負の速攻を狙えます。相手のオフサイド・トラップにかかる可能性も高いでしょうが、繰り返していれば、何回かに一回は成功しそうです。 三人オフサイドの時代ではあり、二十一世紀の日々進歩する理屈とは異質なんでしょうが、現場の見た目には大差ないということかもしれません。まあ、この想像図が、絶対間違いない事実だともいえませんが。 ● だが、手紙が手形 イバン・シャープは第一次大戦よりも前のいつごろだかに、H.T. イェーツという人から手紙をもらったそうです。彼はフットボール・リーグのレフェリーとして名の通った人であるとのこと。 そのイェーツの手紙には彼が審判をした試合、ノッツ・カウンティがニューカッスルへ遠征した試合の状況が描写されており… 「なんというゲーム! 双方四人のフルバックが、センターラインから10ヤードの範囲内。ゴールキーパーを別にすれば、全員がスモール・スペースに閉じ込められた」 ここでのフルバックは、WM以前ですからセンターバックのことですね。 第一次大戦が始まる前なのは確かだとして、そのいつのことなのか? イェーツの文には、アルバート・シェパードのニューカッスル移籍から間もないころだと、そう記されていたといいます。 シェパードはセンターフォワードとしてイングランド代表歴が二回ある選手です。ボルトン・ワンダラーズで1905-06の一部リーグ得点王。1908年にニューカッスル移った後、1910-11にもやはり得点王です。戦後になると、もうプレーしていないらしい。 イェーツの記憶どおりだとすると、早ければ1908年には、こんな試合が行われていたことになります。 少し疑問なのはイェーツから手紙をもらった時期です。シャープは18歳のとき、1907-08シーズンは、ワトフォードにいたようです。しかしワトフォードはプロの全国リーグ一部二部には入っておらず、また、ユース・チーム所属だったかもしれません。その後は大学へ通ったのか、プロのクラブに登録していない模様。そして1911年、22歳でダービーと契約したと思われます。 イェーツと若年時から親交があった雰囲気でもないので、1911年以降に手紙をもらったと推測するのが妥当か。 シャープは残念ながら一部リーグでは出場なしのまま、二部のリーズ・シティへ移ったのでした。この間ダービーでカップ戦には出たかもしれないし、非公式試合にはたくさん出場したと思えます。しかしそのあたりでイェーツと親しくなるものでしょうか? 可能性はありますが、今わかっていることだけから、とりあえずは二部リーグ、リーズで主力になってから親交を結んだと考えておきます。 手紙をもらいそうなのは1913-14シーズン以降。そしてシャープがノッツ・カウンティと対戦したのもたぶんこのシーズン。 これをつなぎ合わせてしまうと、イェーツから手紙をもらったのはノッツ・カウンティとの試合に出たときよりも後ではないかと思えてきます。それだと筋の通りがいいんですね。 シャープは噂のオフサイド戦術に遭遇したが、まるでたいしたことがない。それで、なにかのついでに、知己となったイェーツにその旨を書き送る。イェーツは、いやちょっと昔はそれなりにアグレッシブだったものだ、などと返書をしたためた? しかしこんな想像どおりならば、プレッシング戦術進歩の視点からは、ノッツ・カウンティが退行したことになります。イェーツが審判をしたときはアグレッシブ、その後のイバン・シャープが対戦した際は、比較的のんびり型オフサイド戦術へ戻ってしまった? このハーフコート対決はどうなったのでしょう…
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プレッシング戦術こそがトータル・フットボールの根幹なのだとすれば、二十世紀後半まで待たずに、今から百年くらい前の英国では、とっくにトータル・フットボールの原型が現れていたようです。
2008-05-29 00:21 | 続きを読む

上図では中央の色が変わった部分、ほぼ10ヤード・プラス10ヤード、20ヤードの幅に二十人が収まって、…いや、少しはみ出していますけど、だいたいです。

